Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

宝達志水町 喜多家

2016-08-31 | 旅行

 8/20(土)、村澤先生の「義仲と巴」講座から宝達志水町へ行った。氷見から山越えをして、源行家の進軍路を辿るルートである。宝達志水町に着いてからは、岡部家、末森城、喜多家を訪ねた。

 末森城は眺めただけ。暑いし、登るのは次回にと言うことだろう。ま、私にはもう無理だが。この城は加賀と能登の要に位置するので、しばしば合戦の舞台となっており、能登の中世、戦国期を代表する歴史的に重要な城で有名な合戦としては、前田利家と越中の佐々成政との間で行われた「末森合戦」が広く知られている。       

 次に、最後の見学地、加賀藩十村役だった「喜多家」を訪れた。喜多家は源氏の名門、新田義貞の三男の嫡流…と喜多家の由緒が、👇の説明版に記されている。👇 表門をくぐると主屋、道具倉、味噌倉と配置されている。

              

 加賀藩だけにつくられた「十村役」は百姓のかしらとして選ばれた。その名の通り10ヶ村ほどをとりしきる仕事をした。年貢のとりたてや藩のきまりの連絡・検地による地図作成・用水の管理・争いごとの裁判などがおもな仕事。
 すり鉢がたの土地に主屋・門・納屋が建てられてて外から目立たなくなっている。お殿様や武士が泊まることもあったのでこのような造りになっているそうだ。
   
 喜多家の主屋には玄関が4つ~百姓の玄関、表玄関、武士の玄関、お殿様専用の玄関~がある。下の身分の玄関ほど後ろへさげてつくられていた。
 
 👇は、「調詞所」(武士の仕事の間)。武士の部屋の床は一段高くなっていて、百姓は勝手に上がることはできない。喜多家の主も百姓身分なので自分の家でありながら自由に上がることはでなかった。武士の仕事の間の格子戸は台形の木でつくられていて、家の中の武士は外の人物をよく見ることはできまる、外の者からは中の武士の姿は見えない。百姓・町人は基本的に武士の顔を見てはいけなかった。 

  👇 「ご本陣」(殿様の間)。

 👇 「使者の間」。

  👇 立派な仏間(?)。

  👇は、広い敷地にひろがる庭。 

  他に、洋間、湯殿、古民具、蓄音機、弁当箱などが展示され、隣の資料館にも加賀藩からの拝領品など様々な文化財が並んでいた。説明も(子孫の方)とても詳しく興味深い。皆さん、いろいろ質問しておられた。が、何と言っても暑い日、朝からいくつも回っていて頭がもうろうとしている。写真もメモもいい加減です。

 高岡へ帰り、8号線の’ジョイフル’で一息つきました。生ビールで一杯、と行きたいところです。


高岡薪能 ’16

2016-08-29 | 能楽

  

👇は、私の「昨年の高岡薪能」のブログです。 
高岡薪能 ’15
  ↓は昨年の私のブログだが、「薪能」開始直前の雨で急きょ法堂に駆け込み、「羽衣」の演能があったことを書いている。 瑞龍寺法堂での「薪能」  8/24(日)、国......
 

  8/28(日)、「高岡薪能」が高岡市民会館で行われた。ブーメラン台風と呼ばれる台風10号の接近により天候の予測がつかないので、いつもより早めに会場変更が決まった。例年は瑞龍寺境内で幽玄の世界が繰り広げられる。昨年は幸い好天に恵まれたが、その前2年間ほど突然の降雨に見舞われ、舞台も客席の座布団もびしょ濡れ、急きょ法堂に変更になった。先生方のご苦労は大変だったことだろう。

 と言うことで、高岡市民会館での薪能は7年ぶりだそう。第1部の素謡に出る私にとっては初めての経験。駐車場が少ないので平米公民館まで行き、松○さんのご主人に拾ってもらい市民会館に連れて行ってもらう。着物の荷物が重いのだ。
 👇は、市民会館の入り口(トップも)。   

  合唱の時のように2階が更衣室かと心配したが、舞台裏の楽屋を使わせてもらえ大助かり。鏡も洗面台もついていて、お芝居の主役級役者さんのお部屋かも。

 1時より会員の素謡が始まる。私たち蒼山会は「藤戸」。
 源氏の武将、佐々木盛綱(ワキ)と、盛綱に浅瀬を教えたために殺された地元の若い漁師の母親(前シテ)、二人の掛け合いがなんとも哀れで迫力があり、私たち地謡にも自然に力が入った。

 👇は、「藤戸」。
 👇は、「鞍馬天狗」。

 素謡が終わると、また松○さんに平米公民館へ連れて行ってもらい、一旦帰宅した。もらった折詰で夕食をとり、近所の人と一緒に再度車で市民会館へ行く。今度はバッグだけなので大手町から歩いた。👇 ちょうど、第1部最後の「玉鬘」が始まっていた。 

  5時45分から第2部が始まる。後部席は見なかったが、前は満席。例年、境内には700席設けると聞いたことがある。いつかの新聞では1000名の観客とあった。今年はどうだったのだろう?
 高岡能楽会理事長の上田先生は開会宣言で、決定までの苦労話と変更のお詫びを話され、「今となっては土砂降りになってほしい」と笑わされた。(3時頃小雨がポツポツ落ちた)その後、能楽会会長の高橋市長の挨拶、金井雄資師による能「殺生石」の解説があった。
 👇 金井先生。開口一番、「ご当地出身の登坂選手の金メダルおめでとうございます」と挨拶され、拍手が沸いた。さすが金井先生。   

  まず、金森秀祥師の舞囃子「融」。 

  👇 狂言「梟山伏(ふくろうやまぶし)」。           

👇 大坪喜美雄師の仕舞「三山」。続いて金井雄資師の「善知鳥(うとう)」。              

 

👇 火入れの儀。先導は、瑞龍寺四津谷道宏住職。

 👇 舞台上3か所に篝火が焚かれる。 

 👇 能「殺生石」は、平安時代の玉藻の前伝説を題材にしている。玉藻の前は「九尾の狐」と言われる妖怪が化けた絶世の美女で、鳥羽院の命をとろうと企んでいた。が、陰陽師の安倍泰成の調伏に合い、化生の姿となり那須野へ逃げ失せ、その執心が石となり石に触れる人畜はみな命を落とす。

 そんなスケールの大きい伝説をもとにした、変化に富んだ能です。前半は那須野の殺生石の近く、という異様な情景のなかで、女と高僧との問答が展開される。動きは少ないが妖しい雰囲気に満ちている。後半は打って変わって、狐の精霊が、自らの物語をアクション満載で再現する。
 👇は、前場、女が高僧と問答する。     

 👇は、後場、白頭の狐の精(後シテ)が、自らが追われ射殺される有様を見せる場。   

 金井先生が解説で仰ったが、👇のように、夜が更けると殺生石が二つに割れ(桃太郎の桃のように)、狐の精が現れる演出もあります(👇はネットからで国立能楽堂で)。今回は、「想像してください」と言われた。   

 10年前と8年前に金沢能楽堂で観た「殺生石」では、若い能楽師さんが「飛び安座(飛び上がって空中で安座の構えになって着地する)」を演じられ驚いたものだ。

 前シテ(里の女)・後シテ(狐の妖怪):佐野由於
 ワキ(玄翁和尚):殿田謙吉      間狂言(下働きの僧):荒井亮吉
 大鼓:飯島六之佐  小鼓:住駒幸英  太鼓:徳田宗久   笛:瀬賀尚義
 地謡:大坪喜美雄 他

 * 第2部の舞台写真はKI新聞と高岡能楽会のネットからお借りしました。


カーナビ、 薪能 & 花火

2016-08-27 | 日記・つぶやき

 宝達志水町の喜多家について書く予定だったが、ちょっと変更。
 と言うのは、Uターンして本州に再接近している台風10号が日本の南海上を北東に進んでいて、「薪能」のある28日(日)は高岡は雨の予報。降水確率は60%だそうだ。
 例年8月末に瑞龍寺境内で行われる「高岡薪能」、昨年は好天に恵まれたが、その前2年間は境内に仮設能舞台も観覧席も設営した後雨が落ち始め、急きょ法堂へ移動したのだ。今年は台風が来るとわかっている、どう進路変更するかはわからないが、大事をとって古城公園内の「高岡市民会館」へ会場が変更になった。そう決まると出演者も観客も、駐車場に困るのだが…。

 さて、4,5日前に米島モーターズでカーナビを付けてもらった。私よりウンと先輩の方が「カーナビのおかげで知らない所へも行けるよ。夜の運転は絶対しないけど…」と仰る。単純な私はすぐさま真似ることにした。米ちゃんの息子さんに使い方を丁寧に教えてもらい、今は慣れるために知っている所にも使ってみている。

 8/27(土)、午前は野村の「子ども勉強室」に顔を出し、夕方に市民会館近辺の駐車場をチェックした。途中義妹からメールが入り、「7時からBSで大曲の花火が映ります」とある。そう言えば今朝TV欄に出ていたっけ。義妹や茶々姫教室の友人たちが花火見物ツアーに出かけているのだ。帰宅後さっそく録画しながら、3時間も見ていた。お天気もいいそうでよかった。今年は90回目記念として特別に、ベートーベンの「歓喜」をテーマに全団体が共同で打ち上げる花火があるそうだ。👇は、TV画面の写真できれいには撮れないが紹介します。

 👇 ”オー、フロイデ…”のバリトンソロで始まり…。       

 

   

 どんどん盛り上がって、フィナーレへと現場で観ている人はさぞ感動したことだろう。


宝達志水町 岡部家

2016-08-26 | 旅行

 8/20(土)、村澤先生の「義仲と巴」講座から宝達志水町へ行った。氷見から山越えをして、源行家の進軍路を辿るルートである。初めてのことでわからない事だらけだ。お弁当がいるのかどうかもわからない。他の日程には、「この辺はコンビニがないのでおにぎりを持って来て下さい」などとメモがついている、この日はそう書いてないからどこかへ入るのかも、と考えていた。宝達志水町は「オムライスの町」と聞いたことがある。日本で最初にオムライスを作った○○シェフの出身地とか。それを記念していろんな種類のオムライスを食べられる店がある…。期待がふくらむ。

 「志雄山の合戦」の説明を聞き終わるころちょうど正午だった。8台の車を連ねてしばらく行くと「桜の里・古墳の湯」。車を降りたところで、「お風呂だけで食べる場所はないそうだ」と言われた。仕方なくぞろぞろとトイレだけ借りる。受付けの若い女性が「どうぞどうぞ」と愛想よく迎えて下さり、お土産を買う人もいた。丘の上が公園らしかった。後で風子さんに聞くと、桜の名所だそう…。

 結局、またまた8台の車を連ね行った先はコンビニだった。それぞれおにぎりやお弁当を買ったが、この暑さでは外でも食べられない。涼しい車の中でランチとなる。

 午後訪ねたのが、石川県指定文化財 加賀藩十村役「岡部家」。(午後のコースは義仲とは関係がない)トップ写真は、茅葺屋根の前景です。

 👇は、台所。正面に式台(偉い客を迎える玄関)があるが、私たち一般人は土間から台所へ上がる。 

 👇 天井。  

 岡部家は、一の谷の合戦で功績をあげた鎌倉幕府の御家人、岡部○○を祖とすると言われる。加賀藩では十村役を仰せつけられていた。

 👇 前田の殿様が泊まった奥座敷。   

 👇 前田家から拝領した矢屏風。   

     

 👇 宝達金山日記。   

 👇 前田利家、年長、利常の直筆が並んでいた。右が利長の書簡か?    

 👇 ベンガラの色鮮やかな壁。       

  👇 簀の子天井。       

 👇 回廊式庭園(水は抜いてある)。冬の雪吊りの風景もきれいだろう。皆さん、木や石の名前をよく知っておられ、説明の女性を喜ばせていた。先生も、何度も何度も訪ねておられるのだろう。掛け合い漫才みたいな会話が楽しかった。


「木曽義仲・巴御前合戦記」講座から宝達志水町へ

2016-08-23 | 旅行

 今年久しぶりに、県の自游塾に二つも申し込んだ。「千利休」と「義仲と巴」だ。臨地学習のあるのが魅力。この日は、義仲軍の合戦地を訪ねる日だった。氷見柳田布尾山古墳集合とある。古墳を見学するのかと思ったらそこは単に集合地。国道160号線を走り過ぎて、戻ったら遅刻してしまった。最初から失敗だ。
 集まったのは先生も含め19名。ここから山越えで宝達志水町へ行くそうだ。私たち二人は小矢部の方の車に乗せてもらうことになった。

 まず最初の見学地が「荒山峠」。新宮十郎蔵人行家の進軍路であり義仲道とも呼ばれる道、富山県氷見市と石川県中能登町との境にある峠で標高387メートル。古くから越中と能登を結ぶ峠の一つ、茶屋があり、能登からの石動山(せきどうさん )参詣者、越中の商人や和倉温泉客が頻繁に通行したそうだ。
 👇は、荒山城跡。城跡まで段が整備されているようだが夏草に覆われてよく見えない。上まで登った人もいたが私たちは待機。

 👇 「荒山合戦古戦場」との説明版が立っている。秀吉、利家、謙信、石動山の名前があるから戦国時代末期の合戦だろう。

 👇 前田利家が石動山に攻め入った時の宗徒の姿か?

 説明板があったから紹介したが、源行家がこの峠を通ったのはこれより更に400年ほど前、平安末期のことだ。
 源行家は為義の十男で、義朝(頼朝の父)や義賢(義仲の父)の弟である(頼朝や義仲の叔父にあたる)。以仁王の令旨を諸国の源氏に伝え歩き、平家打倒の決起を促した。が、頼朝と不和になり、義仲に受け入れられた。義仲が平家を迎え撃った倶利伽羅合戦の時、は搦め手として「志雄山(しおさん)」で戦ったが負け、義仲軍に助けられて京に登ったそうだ。

 👇は、宝達志水町から眺めた志雄山。

  「しお」と読むが、「志雄」、「志乎」、「子浦」の漢字も使われるそうだ。

 講師の村澤先生は、行家の志雄山合戦の敗因を次のように説明された。

 * 平家軍3万は加賀国に入り、千里浜が有名であるように浜通りを進軍してきたので疲れていない。それに対して行家軍1万は、氷見阿尾海から曲がりくねり足元の悪い、樹木の薄暗く覆う峠道(荒山峠)を進軍して疲労困憊していた。兵士らを山陰や樹下に隠して休養させてから合戦すべきだった。
 * 義仲軍は山岳戦が強いのに、高い山のない平野で戦った。
 * 兵士の数も、平家の1/3だった。
 * 行家は、八条院の蔵人(荘園財務管理人)を務めており、公家の暮らしをしていたので戦が下手だった。

 以上、自分の復習のためにまとめてみました。私たちは今年初めての受講で、ただただ皆の後をついて回る一日、わからない事だらけだった。資料を見ると詳細に書かれているが、「先生、今どこを読んでおいでるがけ?」と聞く人もいて私も同じ気持ちだった。継続して受講しているので、皆さんよく知っておられる。
 しかもこのツアー、なんと8台の車に分乗し、途中で後続車が見えなくなることもあり、あっちで待ちこっちで待ち、これで不満が出ないのはよほど気心が知れたメンバーなのね。もう一度続きを書くので読んでください。


「高岡第九」チケット

2016-08-22 | 音楽

 「高岡市民会館50周年記念」として、「オーケストラ・アンサンブル金沢と歌う第九」が計画され、合唱団の一般公募があった。二年間ほど合唱から遠ざかっていたが練習期間が短いので頑張れるかな~と応募した。結団式の日と「義仲・巴」講座の現地学習の日と重なり、仕方なく友人に手続きだけお願いした。

 👇 は、8/21(日)のKI新聞の記事。

 この記事が出たとたん、城端のTOちゃんから電話があり(聴きに来ない?と誘っていたので)、「全指定席らしいけど良い席をとってほしい」とのこと。すぐ市民会館に電話をしたら、案の定続きの良い席はかなり埋まっている。月曜は休館日だけど、事務所は開いているからどうぞ、とのことで出かけた。

 台風9号が近づきつつある古城公園。みんみんゼミが忙しなく鳴いているが、なんとなく夏の終わりを感じさせる風景だ。 

 

 市民会館の通用口のインタホンで用件を伝えると、自動ドアが自然と開いた。勝手知ったるとは言え、しばらく来ていない。今日は楽屋口の事務所は閉まっているだろうし、事務所ってどこだっけ? え?もしかして…。ああ、やっぱり。
 👇 階段下にこんな張り紙が…。「2階事務所にてチケット発売中です!」 あ~あ、1階の高さがとても高いので、段数がそれは多いのだ。踊り場がありまた1階分ほどある。手すりにつかまりゆっくり上るが息切れでハアハアする。当日はここを何回も上り下りしなくちゃいけないな~。 

 

 50年前に建った建物か~。50周年記念にエレベーターを付けるといいのに…。事務所に入るとクーラーは付いていた。
 👇 団員には招待券の特典がついているのだが、指定ではないので結局3枚続き席券を買った。さっそく送ってあげましょう。

 👇 ロビーコンサート用のピアノが置いてあった。市民会館は、ほんとに久しぶり。 


NLT の 「OH! マイ ママ」 が面白そう !

2016-08-21 | 映画・テレビ・演劇・芸能

  8/17(水)路線バスデビューをした日、NLTの「OH! マイ ママ」の制作者である「小川浩さんを囲む会」に出席した。今回から入会されたSAさんを誘った。
 NLTのお芝居は6回ほど観ている。その時にも聞いたのだが、この劇団はフランスのコメディ「ブールヴァール劇(パリの軽喜劇中心の商業演劇)」を日本に紹介したいと結成されたそうだ。昔、TVドラマのおばあちゃん役をされた賀原夏子さんらが中心だった。劇団名の”NLT”は、”新文学座”と言う意味のラテン語の頭文字。

 👇は、ポスター。タイトルは「オー! マイ ママ」だが、原題は「奇妙な男性」と言うそうだ。全然違うのがちょっと不思議。しかも、チラシには「この秘密だけは決して人にはしゃべらないでください!」と書いてある。 なんかワクワクする話だナ~。  制作の小川浩さんがコッソリ漏らしてくださった秘密とは…

 フランスの国会議員アルベールの妻マリイは25年前に謎の失踪をした。今、アルベールは、息子ルイと同じ日に結婚式を挙げて選挙に有利な話題づくりを狙っている。そんな時に彼を訪ねてきたのがアメリカ陸軍大佐のフランク。フランクは息子のルイのことを知りたがり、行方不明の妻の秘密も知っているらしい。

 アルベール:「で、妻は今、どこにいるのですか?」
 フランク:「あなたの目の前に…」

 👆のセリフは、私が勝手に創作したものだが、どうやらこんな展開になるらしい。 …そして”大爆笑コメディ”と続く。面白そう…。初めて参加されたSAさんに感想を聞くと、「やっぱり難しそうやね~」と言われる。「えッ?どこが?」「その後、どうなるか考えると…」 その後、どうなるかは、悩まないで楽しみながら観ればいいのよ、と伝えました。衣装がクリムトの絵をモチーフにしている、最初のシーンに伏線が張られている、他にも楽しみがいっぱいです。


路線バス デビュー と「OH ! マイママ」

2016-08-17 | 高岡

 "初めてのおつかい”と言う番組があったり、”公園デビュー”と言う言葉があったりする。今日8/17日は、私の”路線バスデビュー”の日でした。

 数カ月前から我が家の近所に、新たにバス停ができていることに気付いた。どこへ行くバスだろう?と思っていると、いつもの美容師さんが「国道を通っていたバスが新高岡駅経由になりバス停がなくなって困っている人がいる」と新情報をくださる。が、他人事と聞き流していた。
 私が高岡に住み始めた頃(50年前)からずっと、国道156号線を砺波方面行のバスが通っている。実家(城端)へ行く時や戸出に勤務していた頃よく利用した。我が家から高岡駅までは歩いて約15分(南口ができる前)、歩ける距離だが荷物があったり急ぐ時はタクシーを利用してJR城端線に乗ったものだ。…これはマイカーのない頃の話だ。

 今はどうだ。どこへ行くにも車。そしてこの暑さ、外へ出るのも嫌だ、家にいると寝ているかパソコンかテレビの前。これじゃ足腰が萎えて寝たきり老人になるぞ、とさすがに心配になってきた。いずれ運転免許証も返上せねばなるまい。歩いたり、バスに乗ったり、の生活に切り替えねばならないな~と思い始めた。

 ネットでバス路線図と運賃を調べ、バス停の時刻表をカメラに写して準備した。今日は1時半からウイングウイングで次の演劇「OH! マイママ」の制作者を囲む会がある日。行先はそこに決めた。昼前、突然の雨。予報通り台風に伴う雨だ。傘をさして家を出た。
 👇 は「清水町東」のバス停。シャトレーゼの向かい側になる。バスは高岡駅北口をスタートし、片原町、白金町を経由して、清水町交差点で左折、高岡駅南口を通り「新高岡駅」へ行く。その後、戸出、砺波、庄川、小牧など行く先はさまざま。高岡駅南口まで100円、新高岡駅まで160円。新幹線に乗る時はこれで行けばタクシーに乗らなくてもすむわけだ。 

 👇 高岡駅南口①に止まる。私はここで降りたが、このまま新高岡駅へ向かうわけだ。 

 万葉ロードを渡り、北口(公園口)に出て、万葉線電車の発着駅・待合室のバスセンターで、大きな時刻表をもらった。
 👇は、ウイングウイング6階、劇団NLTの小川浩さんを囲む会。フランスのコメディでとても面白そう(いずれまた書きます)。 

 会場で懐かしい人たちに何人か会った。今年退職されたTUさんもその一人。5,6年ぶりかな~。なはさん、まめさんなど6名で「ジャカッセ」でコーヒーを飲んだ。SE子さんが車なので駐車料が気になり早めに解散。サヨナラをした後、SAさんとクルンの「イタリアン・トマト カフェジュニア」でパスタを食べた。👇 青海苔イカのたらこクリーム+パスタMサイズ。食べ始めて気付いた。先週、クレアチニンの数値がめちゃ高いと言われ、塩分控えめをきつく注意されたばかりだった。 

 歩いて帰ると言うSAさんと別れ、北口のバス停②をチェックしてから(ここから乗ってもいい)、南口へ回り、バス停②から清水町東まで乗った。降りてみると、「トワイス」の前だった。バスは1時間に2本ほど。ときどき利用して、スローライフに切り替えてみよう。


実家のお墓参り

2016-08-16 | 日記・つぶやき

 8/15(月)、天気予報通り朝から雨だ。が、昨夜は一晩中暑かったのでは? ともかく眠れなかった。タイマー付きでクーラーをかけたのは初めてのこと。今までは窓を開ければほぼ眠れたのに…。寝不足頭で起き上がる。今日は城端でたくさん用事があるのだ…。
 結局、小止みになったのを見計らって家を出たのは11時半近かった。久しぶりの城端。156号線を太郎丸で右折する道がマイウエイなのだが、福野、福光を過ぎると山がぐっと迫り、やっぱり山の麓だな~と実感。まず、TOちゃん宅を訪ねる。街中を通らずにお墓へ行くときは通り道なのでついつい寄る。この日はKUNちゃんお手製のラッキョウを預かってもらっていた。

 👇 は、ラッキョウ漬け。      

 👇は、TOちゃんにもらったこれもお手製のQちゃん漬け。今年はいろんな胡瓜の漬物をもらい、その都度レシピを聞いて試してみた。TOちゃんの漬物はなかなか手が込んでいるようだ。             

 先にランチをと思ったのに、お墓がすぐ傍なので「私も一緒に行くから先にお参りしよう」とTOちゃん、そして先にスイスイと歩いて行かれる。我が家(実家)の墓はもう覚えたそうだ。ここは町の共同墓地なので、名前を見ればどこの誰のお墓、かわかるのだ。
 雨の中で4つのお墓のお参りをした。実家と分家2軒と、私の大叔父の墓。ローソク、線香は濡れるのでお花だけ、前日からお参りしておられるのでお花もいっぱい活けてある。ただ、跡継ぎのいない大叔父の墓は隣の空き地の笹の葉やドクダミが覆いかぶさっている。草刈りは覚悟のうえ、鎌と軍手とごみ袋は持参していた。が、雨と汗でグショグショになり中止、ランチにしよう、と「まねき」へ行く。

 👇は、墓地の横にある「善徳寺大谷廟」(正面奥)。

 「まねき」で選んだメニューは「田舎ご膳」。煮物がとくに美味しかった。その後、「じょうはな座」で10月のシネマ歌舞伎の券を買う。電話で4枚続きの座席を予約しておいたのだ。楽しみだ。
 👇 チケットとちらし。1000円割引が使えてうれしい。         

    

 2時過ぎ、雨がすっかり上がり、晴れ渡った青空が見える。暑さも戻った。Toちゃんに大きなごみ袋をもらい、彼女とは別れてもう一度お墓に行く(なんせ、皆この辺りに固まっていて近い。昔は小学校のあった場所だ)。ローソクや線香を立て、改めて草刈り十字軍に挑戦だ。ごみ袋いっぱい刈った。せっかくスカートも上着も乾いたのに、今度は汗でビショビショ。
 👇 50数年前に母が建てたもの。墓石に「○○○○ 昭和20年7月27日 ルソン島サンタマリアにて戦死」の文字が刻まれている。

 一軒目の分家に行き、冷たいお茶をいただき休ませてもらう。お話、いろいろ。次にもう一軒の分家に寄り、玄関の上がり框でまたまたお喋りいろいろ。👆のお墓をどうしよう、との話だ。しばらくは分家の世話になり、私も今までより頻繁に訪ねようと思う。

 夏の日は長く、高岡に着いたのは5時頃だった。長~い一日で、疲れ果てました。


お盆の二上霊園

2016-08-14 | 日記・つぶやき

 8/14(日)、今日も猛暑日でしたね。息子がお盆に帰省しないとわかり(5月に娘夫婦とお墓参りはして行ったのだが)、二上山へは14日、城端へは15日に行くと決めた。3時頃気温が少し下がるとの予報だったのでそれを見計らって家を出た。

 まず、久しぶりに「中尾清月堂」野村店へ。お盆のお遣い物のお菓子を買いにかたくさんの客で賑わっている。老舗の銘菓店では一番繁盛しているのではないか?店内に入っていつも思うが、展示の仕方が都会的。お菓子の種類も多種多様。今日は、”だっくわーず”とジェリー菓子を買った。     

 二上霊園へ着いた頃は少し涼しくなっている。誰も思うことは同じ、夕方めがけてお参りする人が多く、一方通行の案内が出ていて、交通整理の人があちこちに座っておられた。3日前に義妹と掃除に来てお参りした時の花や線香を片付け、新たに花を生け、ローソクを立てる。👇は、山から下りてくる車、上っていく車。       

 帰宅すると、玄関前に保冷箱が置かれていた。甥が海釣りしてきた魚を刺身にして義妹が届けてくれたのだ。夕飯にいただく。甘味があり、とても美味しい。ありがたいこと。       

 明日は雨の予報だ。何日ぶりだろう。雨のようすを見ながらお墓参りをして、分家に挨拶に寄り、友達に会ってきたい。


お盆切り花大特売市~高岡テクノドーム

2016-08-13 | 高岡

 8/13(土)、例年のごとくお寺さんのお盆のお参りの日だ。そして例年のごとく、10時過ぎと言いつつ、8時半過ぎに来られた。予定通りには行かないことはわかるので、私も早めに準備はしていた。
 昨夜はなぜか寝苦しく、朝、頭がすっきりしない。そのうち、義妹から電話。しばらくすると三鷹の義妹からも電話。そう言えば、昨夜は芦屋の義弟からも電話があった。お盆は何かと忙しい。

 午後、「多文化こども勉強室」の打ち合わせがあった。1時間あまり情報交換をする。4月以来、利用する子ども達の状況がかなり変わり、人数も増えたようだ。場所が狭いのが悩みだ。もっと広く、のびのびと学習できる部屋がほしい。

 3時近かったが、帰る途中に高岡テクノドームへ寄ってみた。2,3年前から「あぐりっち」のお盆切り花特売市が、ここで開かれたいる。朝から開いているからもう売り切れかな~。ところがまだまだ出入りする人が多い。中に入ると、       

 👇 600円コーナーと350円コーナーがあり、まだたくさん残っていた。城端のお墓には母の名にちなみ、ユリ(鉄砲ユリだが)を買う。    

 👇 ひまわりだけの花束もかわいい。

 👇 ピンクの花もきれい。      

 明日は、二上山へ。明後日は城端へ行く予定。「切り花大特売市」は、8/13,14日 午前7時~午後5時。


高岡薪能・三派能楽大会・高岡第九 のお知らせ

2016-08-12 | 高岡
 
ひまわり農園の迷路 & 高岡薪能 ’15 お知らせ
  8/8(土)、射水市大島絵本館で「おおしま絵本会議 2015」が開かれ、ようこ姫さんに誘われて出かけた。絵本館の裏口から入ると、手前にひまわり畑があり、迷路になっている。道端に......
 

 👆は、昨年の私のブログです。今年も、あちこちで「ひまわりの迷路」が作られているようですね。私は、まだどこへも行っていません。そのうち終わるかも。暑い、暑い、と言っているうちに少しは涼風を感じるようになりましたね。

 昨年に習い、まず「高岡薪能」を紹介します。👇は、番組表の表紙で、能「殺生石」です。8/28(日)、瑞龍寺山門前(雨天の場合の会場変更は、当日北日本新聞朝刊に掲載されます)。

 第1部の会員素謡は午後1時より法堂で、第2部の薪能は午後5時45分より山門前で。「殺生石」のシテは佐野由於師が務められます。狂言は「梟山伏」。   

  次に、「三派合同能楽鑑賞大会」を紹介します。三派とは、能の宝生、観世、狂言の和泉の三つの流派のことで合同の大会はめったに観られません。特に今年は三〇回記念で、観世流の半能「井筒」、宝生流は家元のシテで能「乱(みだれ)」を演じられます。午前は会員の素謡や連吟ですが、「能楽講座」のちびっこ受講生の舞台もあります。ちびっこ達は、今回いよいよ舞囃子「鞍馬天狗」を演じるまでになりました。9/18(日)、高岡文化ホールです。
 👇の、表紙写真は、「猩々(乱)」。家元の舞が楽しみです。

 最後に、「高岡第九」です。高岡市民会館50周年記念として、五環の森合唱団が、オーケストラ・アンサンブル金沢(指揮垣内悠希氏)と歌います。10/16(日)午後3時開演、高岡市民会館です。

 興味のある方は、当方までお知らせください。特に、今月末の「薪能」はお早めにどうぞ。


つれづれな日々45~ 「かわいい高岡」・川崎バイク・お墓掃除

2016-08-11 | 日記・つぶやき

 雨が全く降りませんね。庭がカラカラです。でも、今朝あたり少し涼しかったですね。窓を開けて寝ているので、明け方(最低気温)は悪寒が来るほど寒かったです。

 さて、日々の生活の中でのちょっと気にかかる小さな出来事。そんな記事を”つれづれな日々”として書いています。今日は45回目です。

《かわいい高岡》
 娘から久しぶりにメールが届きました。フランスで、”NHK World”と言うTV番組をよく見ると以前に聞いたことがあるのですが、その番組で「高岡」を紹介していたそうです。どらえもん電車のこと、ベルモンタ電車のこと、大仏、銅器の風鈴などなど、いろいろ出てきます。英語と日本語の交互の説明で結構楽しめますよ。
 ぜひ、↓のURLを開いてみてください。

 http://www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/vod/jtripplan/20160801.html

《川崎バイク》
 2月頃からマークがオートバイの免許に挑戦していました。どうやら合格し、川崎バイクを買ったようです。自動車、自転車で飽き足らず、バイクまで。根っからののアウトドア派ですね。  

《お墓掃除》
 8/11(祝)、朝8時過ぎ、義妹と二人で二上山のお墓掃除に行きました。昨年だったか、床石の黒ずみが取れなくて、墓石やさんにクリーニングを頼もうかと思っていました。が、若い義妹は床石も磨くつもりです。
 彼女は、バスマジックリン、私は、酢入り重曹、他に、雑巾、箒、ちりとり、鎌、ごみ袋、バケツなど一式持って出かけました。以前は、お隣の空き地の草刈りまでしたのだけど、今はお墓が建ったので助かります。私はすぐ息切れするけど、義妹は汗だくになりながらごしごしとこすってくれて、見違えるようにきれいになりました。↓の写真はボケていますが、継ぎ目や根元の茶色がまだ残っています(写真に撮ってわかりました)。真っ黒だったことを思うとずいぶんきれいなのですが…。     


つれづれな日々44~お茶教室一学期終業式・桃のコンポート・鉄道博物館土産

2016-08-09 | 日記・つぶやき
 
”季節のたより”~福島の桃・暑中見舞状と切手・主菓子いろいろ
  8/8日、ようやく「立秋」です。暦の上だけでも「秋」の文字を待っていました。東京では猛暑日が8日間も続いたとか。こちらも雨が降らないのがつらく、草木も人も干上がりそうです。昨夜......
 

  ↑は、私の昨年のブログです。今年も連日の猛暑にうっかりしていましたが、7日が立秋だったのですね。今日9日はやや風が涼しく感じられ、前庭の草むしりを少しだけしました。

 さて、日々の生活の中でのちょっと気にかかる小さな出来事。そんな記事を”つれづれな日々”として書いています。今日は44回目です。

 《お茶教室の1学期終業式》
 8/6(土)、茶々姫先生のお茶教室の土曜組は毎年夏休みをとることにしている。娘さん一家やお孫さん達がお盆の里帰りをされる家庭が多いからだ。私のように息子が帰省するかどうか、直前にならないとわからない者も中にはいるのだが…。
 終業式の出席者は、姫さんと案山子さんと私の3名だけだった。茶箱の「和敬のお点前」のお稽古は一通りしたが、たっぷりとお喋りを楽しんだ。この3名だけという組み合わせが久しぶりだったせいもある。次回は9月だね、と学生気分で別れた。
 ↓は、前週の主菓子です。先生にお寿司の巻き簾を借りて姫さんの演出です。           

 《桃のコンポート》
 今年も相模原市の親戚から暑中見舞い状が届いた。それを見てふと思いつき、桃のコンポートを作ってみた。(写真がうまく行かなかった)       

 《鉄道博物館のお土産》
 
友人のSAさんが次男さん夫婦と小学生の男のお孫さん、長男さんと京都旅行に行かれた。夏休みの初日である。元気のいい男の子と一緒に全日程をこなすのは体がもたない、と途中別行動で二条城と近くの二条陣屋を訪ねたそうだ。私も昔訪ねた記憶がある。渉成園と同じく、隠れ名所である。
 お孫さんのお気に入りが、京都梅小路の「鉄道博物館」。昔から梅小路に機関車か貨物車か飾ってあったような?と思ったが、4月にオープンしたばかりの豪華な博物館らしい。鉄道の歴史となれば大人も楽しめそう…。
 ↓は、私までもらったお土産「トワイライトエクスプレス」。しかも、ホチキスなのです。


全戦没者を悼み平和を願うつどい 2016・政治と宗教のかかわり~念仏者のあり方を考える~ 

2016-08-07 | イベント

  8/5(金)6時半より、浄土真宗本願寺派高岡教区主催の”平和のつどい”があり、昔お世話になった富山市妙福寺の藤井先生がパネリストとして出席されると聞き、山○さんと参加した。なはさんも聴いてみたいと仰り、わざわざ電車で来てくださった。

 ↓は、お仏壇の両側の天女の襖絵。

 

  まず、全戦没者の追悼法要が行われた。「正信偈」を唱和し、お念仏を唱え、お焼香があった。教務所長挨拶、会の趣旨説明と続く。

 パネリストは、浄土真宗大谷派(お東)から永宗寺の永埼暁さん、誓光寺の菊池正人さん、本願寺派(お西)から妙福寺の藤井慶喜さん、光照寺の公文名眞さんの4人、コーディネーターは本願寺派教眼寺の岡西法英さん。
 翌日のKI新聞の記事を借りるなら、「パネル討論は、僧侶4人がパネリストを務め、戦時体験や政治と宗教の関係、戦争責任などについて語り合った。」
 ↓は、コーディネーターの岡西さん。

  ↓は、パネリストの藤井慶喜さん。富山大空襲の経験を語り、「無数に落ちてくる焼夷弾を見て死を現実のものとして捉えた。戦争について傍観するのでなく、わが身のこととして、想像力を働かせてほしい。…政治のカナメは世論である。世論は流動的。三分の二とられた。ダメだ、ではなく、教義の上からも戦争協力の過去を懺悔する上からも、平和への具体的な行動をいろいろ実践するべき時」と訴えられた。

 他の三人の方たちも、廃仏毀釈令や国家神道で仏教が弾圧された歴史、靖国神社法案のこと、戦争ができる国になった今「日本の戦争展」を企画し、非戦決議表明する意味(私が理解できた範囲)を熱を込めて語られた。