しばらく家に引き籠っていたら、お盆前にしてしまいたい用事がいっぱい溜まってしまった。 少し涼しくなったことだし、と市役所、病院、銀行などいくつか回った。 8/10(火)のことである。 リハビリにも行く日なのだが、足の浮腫み問題が解決しないのでお休みした。
市役所は年に一度は行く。 新市長になり雰囲気が変わったかしら? 身分証明のために運転免許証と健康保健証(念のため)を持ち、印鑑も必要かもしれない(これは実は途中取りに帰ったのだが、不要だった)と準備し…。
戸籍謄本をとるなんて久しぶりだ。さてどの窓口に行けばいい? 前はボランティアか職員の方が近寄って来られ、読めばわかることも丁寧に説明してくれた。 が、そんな人はいない。 「戸籍」と書いてある窓口を探す。 各種証明書発行、ここかな? 「発券機を使わずに窓口へ来てください」、とある。 わかる範囲で申請書を書き、空いた窓口へ進んだ。 「実は~」と説明する。
👆の写真は、娘が送ってくれた「コマドリ」。
実は、実家の墓が城端の共同墓地にあるが、祖母の兄にあたる家のお墓もすぐ傍にある。 Aさんと言うその方は、満州で羽振りの良い生活をしておられたが終戦後舞鶴港へ引き揚げて来られた。子どもはなく、奥さんとも別れ、唯一の親戚である妹の家を頼って城端へ来られたわけだ。 妹である祖母はもう既に亡く、姪である私の母が最期までお世話をした。 手の器用な方で、私が小学生の頃の学芸会の小道具を作ったり、近所の子供のために「回り灯篭」を作り夏の夜を楽しませてくださったものだ。
その方のお墓にお詣りするのは、今は私だけ。 分家のM子さんが周りの木や草を刈ってくださる。私もM子さんも年をとり、動けなくなる前に墓じまいをしたいと考えていた(このいきさつは既に何度も書いているが)。 念のため、ほんとに家が絶えたのか城端市民センターの戸籍係りに調べてもらおうと電話をした。すると、私の戸籍謄本があれば調べられると言うのだ。 要するに私がAさんの姪の娘とわかる証明書だ。
さて、受付の女性がこのややこしい説明をすぐに理解してくださったのには驚いた。 ちょっと申請書類を訂正し、「どうぞお待ちください」と番号札をくださる。しばらく待ち、受け取り窓口へ行き、別の女性から謄本を受け取った。「戸籍全部事項証明書」と言うらしい。 450円也。 仕上がりが早くて、書類が美しく、私と亡夫と息子の両親、出生地、届人名が印字され、自分の人生をすべて見るようで感動した。
「そこにある封筒をお使いください」と言われる。「書類を半分に折って…」 なるほどA4の書類を折ると入る大きさの封筒が置いてあった。 「窓口封筒」、なんと親切な…。
話にはもう少し続きがある。 ついでに「マイナンバーカード」を作ろうと思った。 「マイナンバーカード」の表示がある窓口を探す。 誰かに聞こうと、人のいない窓口の前でウロウロしていると、「ちょっとどいてください。 今対応している方がここへ来られるので」と怒られた。 私もムッとして「じゃ、どこへ行けばいいのですか?」 「その発券機で番号札をとって…」 ま、その後の説明は丁寧だったが、発券機で番号札を取る場合と取らない場合があると言うことらしい。 文字の表示だけで知らせるのは難しい。 やはり、親切な説明がほしいな~。 システムと言うより各職員の人柄かもしれない、と言うのが感想です。