Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

氷見「すがた」へ

2015-09-27 | 食物

 9/21(月)、7月の「北海道喜寿の旅行」の後拭きと言うランチの会があった。氷見市阿尾の民宿「すがた」でである。宿から送迎バスが出るので、高岡からの3名も拾ってもらえると言う。が、高岡瑞龍寺口(南口)ロータリーに観光バスが入れなくなった。パチンコ屋の横で止めてもらう。

 男性4名、女性8名の参加。むぎや祭の翌日なので、祭関係者はさすがに参加できない。私は初めてだが、お料理が美味しいと評判の店。しかも天然温泉だ。
 椅子、テーブル席で、海の見える広い部屋。お天気もよく空も海も青い。食事に熱中し、回りの景色の写真をとる暇ナシ。↓は 玄関。     

 男性群はまずお風呂へ。女性は料理後、3名だけ。もちろん私は入る。

 会長が、北海道の旅をふり返りながら挨拶。皆さん元気でいましょうね。

 ↓ 前菜。   

 ↓ 船盛りが3個。4人にひとつ。  

 ↓ マツタケの土瓶蒸し。 

 ↓ あつあつのクロダイ(?) 

 ↓ うどんの蒸し物。 

 この他に鍋物、天ぷら、・・・デザートとすごい量のお料理だった。話に花が咲き、いつの間にかカメラを構えるのを忘れている。残ったお刺身は昆布〆にして持たせてくださった。こんな心配りが民宿のよさ。この後、氷見番屋街に回り、お買いもの。高岡へは早い時間に到着した。

〒935-0002 氷見市阿尾653
TEL:0766-74-1855  FAX:0766-74-1216
MAIL:info@himionsen-sugata.com


秋たけなわ~秋色の花 & 高岡への客

2015-09-25 | 日記・つぶやき

 京都への旅のレポートをチョッと中断して、最近の出来事を。

 9/18(金)、「色野の会」のグループ展を見に画廊「七本杉」に行った時、ようこ姫さんとYAさんとで近くの”CAT"へ食事に行った。食事は私だけで、2人は水出しコーヒーを注文。↓は、ご自慢のカレーうどん。

 

 ↓は、秋の花が飾られた玄関。斑入りのアオキ、紫陽花、ヒガンバナ、紫の葉は何だったかな?笹の葉も。 

 9/21(月)、北海道旅行の後拭きで氷見の「すがた」へ(それについてはまたいずれ)。食事後、氷見番屋街へ寄った。↓は、最後に寄った店の前で目に止まったススキと小菊の生け花で花盛り。よく見ると、「井上菓子店」の前ではないか。お花の横にはセルフサービスのポットとお茶碗が置かれている心配り。お店は人でいっぱい。風子さんのお義姉さんはとても忙しそう。またまた「鰤大敷き」を買った。      

 

 9/24(木)、久しぶりの平米公民館のお稽古日。娘たちが新高岡へ着く日でもある。今までは関空を使っていたが、金沢の乗り換えが面倒になったので、今回は成田空港へ着くと言う。都内で息子と会うかもしれないので新幹線で高岡へ着く時間がギリギリまでわからない。結局、米島モーターズまでタクシーで行ってもらい、レンタカーを借りる手はずを整えた。キーは持っているので私が帰宅する前に2人はもう着いていた。私が出した「一人一客キャンペーン」の葉書きで、新高岡駅の観光案内所でトートバッグ(トップ写真)とおしゃぶり昆布をもらって来たと見せてくれた。↓がそれ。このトートバッグを持って市内で買い物すると特典があると言う。 


「蒼山会」京都の旅②~渉成園(枳穀邸) & 東北院(とうぼくいん)

2015-09-22 | 旅行

 9/12.13(土・日)、蒼山会研修旅行で京都を旅した。例年は10月だが、貴船川の川床料理が9月いっぱいと言うことで今年は早まった。そのためかいつもより参加者が少なく、実施が危ぶまれていたらしい。先生が困っておられると聞き、いつも謡や能を見に来て下さる友人たちをお誘いしたら、今年はなはさん、茶々姫さん、SAさんの3名が参加してくださった。山崎先生のお人柄にもよるが大変和やかな会で、皆さん、飲むのが大好き、例年瀬賀先生、松本先生も参加される。

 コースは、射水総合会館~高岡~宇治平等院~喜撰茶屋(昼食)~渉成園~東北院~渡月亭(宿泊)~仁和寺~北野天満宮~貴船神社~料理旅館べにや(川床料理)~高岡~射水総合会館

 「喜撰茶屋」で昼食をいただいた後、京都駅近くへ戻り、「渉成園」を見学。ここは枳穀邸(きこくてい)とも呼ばれ、からたちを生垣に植えている。今は東本願寺の飛び地境内だが、かつては源融(みなもとのとおる・光源氏のモデルと言われている)の屋敷跡と伝えられている。4年前の10月、茶々姫教室から日帰りで訪れており、詳しく書いているので↓のブログをご覧ください。ようこ姫さんの紅葉の美しい写真が楽しめます。

 http://blog.goo.ne.jp/67kiyoh/e/65fe72d0a94a694e8dd25412e9bcacde

 また、↓は、その後、能「融」を鑑賞した時のブログです。
 http://blog.goo.ne.jp/67kiyoh/e/1bddad7952bb769aa9935fd7de4820c0

 4年前も時間不足で慌ただしかったが、今回はもっと訪問先が多くゆっくりできなかった。↓は、西門の正面の「高石垣」。              

 ↓ 書院「臨池亭」の前に立つ和服姿のカップルは結婚式の前撮りでしょうか?     

 ↓ 「臨池亭」に続く「滴翠軒」。       

 ↓ 「印月池」はスイレンの葉で覆われ、サルスベリが色を添えている。中央辺りにかすかに見えるのが源融ゆかりの塔。   

 ↓ 「塩釜の手水(ちょうず)」。 融が奥州 塩釜の塩作りを真似て大阪湾の水を運び、塩を作ったと言われているとか。               

 「傍花閣」は残念ながら修復工事中。侵雪橋やお茶室「蘆庵」は写真をとる暇ナシ。さて、この後「東北院(とうぼくいん)」へ向かう。左京区浄土寺真如町は坂の上の町。大型バスは入れないのでひたすら歩く。長い長い登り坂だった。ここでお謡を奉納する我々のため、ご住職は御堂を開けて待っていてくださった。住職さんは学校の先生、弟さんがお寺のお勤めしておられる様子。「時宗」のお寺だそうだ。

 ↓ 男性は「融」を、女性は「東北」の謡を奉納した。こんなことは初めて、と大変喜んでくださり私たちも嬉しかった。狭いのでお役の方は扇子を持ち、地謡の我々はくっつき合って謡っている。              

 ↓ 「軒端の梅」の前で記念撮影。   

 ↓ 和泉式部が手植えしたと言う「軒端の梅」。毎春、白い花を咲かせるそうだ。

 ↓ 帰りは下り坂。この急坂を上ったのだ。            

 ↓ ふり返ってみる。目で見るよりもずっと急な坂でした。   

  ↓ 夕暮れの「渡月橋」と桂川。            

 ↓ 宿泊の「渡月亭」の付近の旅館群。   

  ↓ 「渡月亭」の玄関。ここで泊まります。                 


「蒼山会」京都の旅①~ふくちゃんと一緒に

2015-09-20 | 旅行

 9/12.13(土・日)、蒼山会研修旅行で京都を旅した。例年は10月だが、貴船川の川床料理が9月いっぱいと言うことで今年は早まった。そのため稲刈りと重なるなどいつもより参加者が少なく、実施が危ぶまれていたらしい。先生が困っておられると聞き、いつも謡や能を見に来て下さる友人たちをお誘いした。今までも何度か誘ったのだが、知らない人たちと行くのは…、お謡も知らないのに…、と二の足を踏んでおられた。が、数年の間に顔見知りになったり、旧知の間柄の人もいたりで、今年はなはさん、茶々姫さん、SAさんの3名が参加してくださった。山崎先生のお人柄にもよるが大変和やかな会で、皆さん、飲むのが大好き、例年瀬賀先生、松本先生も参加される。

 コースは、射水総合会館~高岡~宇治平等院~喜撰茶屋(昼食)~渉成園~東北院~渡月亭(宿泊)~仁和寺~北野天満宮~貴船神社~料理旅館べにや(川床料理)~高岡~射水総合会館

 何回かに分けて紹介します。朝大門を出たバスは高岡駅ウインウイング横に停車、高岡組を乗せる。今までの駅南瑞龍寺口ロータリーに観光バスが入れなくなったらしい。次に福岡で二人を乗せ、全員集合。そこで初めて、山崎先生や、米島会長、添乗員さん、ガイドさんのご挨拶。ガイドさんは、福本好江さん?ン?もしかして名物ガイドさん?偶然そうだったのです。沿線の城、山、川の位置説明がとても的確、コーヒーを配る時はぬれティッシュをテーブルの丸い穴に入れてコップを置くと少しこぼれても平気ですよ、など独特のアイディアも披露してくださる。お客さんの気持をそらさない柔らかい説明。感心することばかり。ユーモアたっぷりで歌もお上手。これは楽しいバス旅になりそう…。

 午前中に、宇治平等院に到着。修理が終わった鳳凰堂は1時間半待ちなので入らない。源頼政の「扇の芝」を見るのが目的。↓は、頼政のお墓にお参りする。

  ↓ 「扇の芝」。記憶が曖昧で、扇の一回り大きいほどの芝地と思い違いしていたが、けっこう広い。源三位頼政が以仁王を奉じて、平氏追討を計ったが敗北し、この地で辞世の句を遺して自刃した。それを謡った能「頼政」は、今年5月、米島さんが「宝生能楽堂」でシテを務められたお能である。
 
 埋もれ木の 花咲くことも なかりしに 身のなる果てぞ 悲しかりける 
  

 ↓ 長く続く藤棚。満開の藤を想像しながら通る。

  ↓ 正面。左右の鳳凰がかすかに見える。真中の窓から阿弥陀如来像が見えるはずなのだが…。

 ↓ 横へ回り、「鳳翔館」(宝物館)に入る。

 

  ↓ 「鳳翔館」入り口。’ほうしょうかん’と言ってもわからないからか、平等院博物館と英語書きしてある。中には、梵鐘、鳳凰一対、雲中菩薩52体のうち26体が保存、展示してある。映像展示もあり、面白い。修学旅行で来た頃はなかったミュージアムだ。

  ↓ 雲中菩薩のうち、能のお囃子に関わる楽器を持たれた菩薩たちを丁寧に見て来た。シンバルやアコーディオンや平安時代にこんな多種多様な楽器があったとは。それぞれ自分の楽器を探しました。左は横笛、右は鞨鼓(かっこ)…撥で打つ。撮影禁止なのでネットから。

   

 ↓ 腰鼓(ようこ)とある。大皷のことだろう。両手打ちのようだ。

 ↓は、太鼓。締め太鼓だ。両手に撥。                               

 ↓ 舞い姿。

 昼食は、「喜撰茶屋」で。↓は 宇治川にかかる「喜扇橋」。中州があり、十三石塔が建っている。水量が多い。宇治川の戦いはどの辺であったのだろうか?


絵画展 2展

2015-09-19 | イベント

 

 
「色野の会」絵画展 ’14
 友人のSAさんが所属する「色野の会」の絵画展が、高岡市末広町 画廊「七本杉」にて開かれている。期間は、9/8(月)~15(月)まで。先生も含め13名がそれぞれ、1~3点出しておら...
 

 ↑は、昨年の「色野の会」絵画展の私のブログ。今年は目下開催中だ。友人のSAさんが3点出品されている。↓は、案内のはがき。9/17(木)~23(水)、高岡市末広町 画廊「七本杉」で。            

 ↓は、会場のようす。先生も含め13名の会員の方の作品が2,3点ずつ飾られている。               

 ↓ ウインドウ側の「柿」。          

 
 ↓ 真中の「夏のゆくえ」がSAさんの絵。りラックうしたポーズにゆとりが感じられる。バックの壁が難しいそうだがよくマッチしている。少女2点とも脚がきれい。        

 ↓ 右がSAさんの「アイリス」。’WISDOM’ はアイリスの花言葉。レタリングに工夫を試みたそうだ。花びらの色が力強い。                  

 二人のモデルさんを呼び、裸婦のデッサンの勉強をされたようだ。4,5点出されていた。         

              

           

  ↓はSAさんの作品。王道を外して頭から描いてみた。「髪の毛 ふわっと良い感じだね」と私の感想。「とても苦労した」とのこと。        

 ↓は、太田広信先生の’Layer' 3点。          

 さて ↓の3点は同級生のSEさんが先日送ってくださった水彩画。(蝶や蜻蛉を作っていた人です) 額に入れず台紙だけつけて送ってくださった。まだ未完成なのだそうだが…。我が家での展覧会をご覧ください。
 ↓ 「春の奥只見」。           

 ↓ 「鍋が浦」。       

 ↓ 「能登加賀屋の黄昏」     


つれづれな日々34~お茶2学期始業式・かたかごのランチ・映画「天空の蜂」

2015-09-15 | 日記・つぶやき

 豪雨災害や阿蘇の噴火、国会の動きなどと不安の重なる毎日ですが、少しずつ秋が深まり過ごしやすくなりましたね。土日に、「蒼山会」から京都へ「謡蹟巡りの旅」に行ってきました。宇治平等院、嵐山、仁和寺、東北院、渉成園、北野天満宮、貴船神社…など。足が棒です。

 さて、日々の生活の中でのちょっと気にかかる小さな出来事。そんな記事を”つれづれな日々”として書いています。今日は34回目です。

 《お茶2学期始業式
 
暑くて長い夏休みも終わり、ルビーの会の誕生会後初めて全員が顔を合わせるはずの始業式の日、のはずだが、体調の悪い人、用事で欠席の人があり、9/5(土)の出席者は4名。お点前は茶箱で「和敬の点前」。主菓子のうさぎを三方に載せてススキをあしらい、月見団子に早変わり。きのこの砂糖菓子も添えられている。すべてようこ姫さんの演出。            

 《かたかごのランチ》
 9/7(月)、元の職場で同じ部会だった友人達と急きょランチをすることになった。中では年長のTUさんのご主人が近くのホームに入られた。少し手が空いたこともあり、勤めていた頃のALTから手紙(近況報告と旅行記)を読み合おうと言うことになった。かつては日本の中学生に英語を教えることに意欲を燃やしておられたMaryさん(アイルランド人)も50歳を過ぎ、アイルランドの教育界の悩みを書き綴っておられる。どこの国も同じらしい。
 野村の「かたかご」で、お寿司や刺し身定食をいただきながらお喋りをした。先日のテレビによると、異年齢集団での集まりやお喋りはボケ防止になるとか。昔、子どもたちが地域で遊ばなくなり、異年齢集団が成立しなくなった、その代替として「必修クラブ」と言う時間が中学校に設けられたものだ。老人にも同じことが言えるらしい。↓は、刺し身定食。            

 《映画「天空の蜂」》
 9/8(火)、映画「天空の蜂」の試写会の券が、「当たったから行かない?」とお誘いの電話がようこ姫さんからかかり、急きょ出かけることになった。実は、タイトル名も知らなかったが、東野圭吾の原作とか。東野圭吾と言えばなんかドロドロとしたイメージがあり、ン?と言う感じもあったが何と言っても無料だから行くことにした。

 出演は、江口洋介、本木雅弘、綾野剛 他。
 話は、自衛隊のために開発された最新大型ヘリコプター、ビッグBのお披露目の日から始まる。そのビッグBが何者かに奪われ、遠隔操作で動きだし、会場から飛び立ってしまう。しかも、中にはビッグBの設計技師、湯原(江口)の息子が誤って乗っていた。息子だけは助け出せた(この救出劇はスリル満点だ)が、ビッグBが静止したのは、福井の原子力発電所「新陽」の真上だった。
 犯人は自らを“天空の蜂”と名乗り、国内すべての原発を廃棄しなければ、爆発物が搭載されたビックBを原発に墜落させると宣言する。湯原と、原発の設計士である三島(本木)は、事件解決のために力を合わせるが・・・。

 原作は20年前に書かれたそうだ。東日本大震災の前であることに驚く。その時すでに、すべての原発廃棄を訴えているのだ。原作者の東野氏は「映像化は難しいと思っていた」と感想を述べておられる。
 ただ、犯人の動機、三島が協力した理由が映画の中ではハッキリしなかった。原作には書かれているのかもしれない。映画は、エンタテインメントとするためにぼやかしたか?            


つれづれな日々33~ミラノ万博とバリ島のお土産・マークの絵葉書・たくちゃんの絵画展

2015-09-11 | 日記・つぶやき

 日々の生活の中でのちょっと気になる小さな出来事。いくつかたまったそんな記事を、”つれづれな日々”として書いています。今日は33回目です。

 《ミラノ万博のお土産》
 8/26(水)、音訳ボランティア「グループあかね」の日。「市民と市政9月号」の録音日だった。8/1日のミラノ万博・富山県の日に参加されたTUさんからお土産をいただいた。「万葉朗唱の会」の衣装を着て、万葉祭りのPRをして来られたようだ。↓は、カーニバルの仮面のマグネット。ミラノにもカーニバルがあるようだが、これはヴェネチアの仮面かも。

 ↓は、富山県の日のイベントのようすです。ますの寿司、鯛の蒲鉾、おわら踊りなどが披露されています。 

    https://www.youtube.com/watch?v=UJABKEx5JxM

 《バリのお土産》
 9/8(火)、映画の試写会に行った時にイオンでみつけたバリ島のお土産。NOちゃん、姫ちゃんの3人で初めて個人旅行に出かけたのがバリ島だった。自炊してゆったりと過ごしたバリの生活が懐かしい。そしてバリ雑貨も。↓は、木製の動物マスコット。猫、馬、牛など。寝そべって読書する猫を買った。          

 ↓ アタかごやアタトレイ。アタとはシダ科の植物。トウナガン村の製品だそう。当時楕円形のトレイを買って来た。 

 ↓は、ネックレス。チャリティ 100円ストラップ(子どもたちの手作り)は写真にはない。

 《マークの絵葉書》
 マークから時々Cメールで近況報告が届くのだが、↓は絵葉書き。厚紙に描かれているので小さな額縁に入れて飾ってもいい。海のイメージ? 魚や貝や波や空…        

 《たくちゃんの個展》
 9/10(木)、平米公民館のお稽古の後、小杉「ニューモンブラン」のケーキやさんに寄った。9月いっぱいたくちゃんの個展が開かれている。↓は、店内、テーブルにはワレモコウと名前は忘れたが秋の可憐な花。注文のケーキは抹茶モンブラン。  

 

 ↓ 左が「光の中で」。右が「カーテンの前に」。両方とも文化ホールの展示を見たが、また一味違って見えるから不思議だ。特に「光の中で」はどこかのホールに飾ると素適だろう。

  

 ↓ スペインの城。トルヒーリョだったかな?

 ↓ 「春の空」 と 「夕暮れの空」。

 ↓ 「桜」 と 「バラ」。

                                

 この画廊は何度も訪ねて来ているのだが、一度見た工さんの絵が更に一段と映え、飾る場所によって絵は異なって見えることに気づいた。一度、マークの絵も展示してもらおうかしら。


青少年わかば公演

2015-09-09 | 映画・テレビ・演劇・芸能
 
東京湾アクアライン・海ほたる~東京と千葉の旅
  8/29(金)~31(日)、2泊3日で東京、千葉方面に旅行した。最終日、できれば千葉の息子宅に寄りたかったが、お盆に無理して帰省してくれたし、日曜は家の事をす...
 

 ↑は、昨年の私のブログ。例年、8月末に東京卯辰会(城端小中の同級会)のメンバーが「暑気払い」と称して食事会をしている。 昨年は私も参加して、その後千葉を回ったのだった。gooのブログでは時々こんな風に昨年の記事を送ってくれる。たった1年しか経っていないのに、「あぁ~、こんなことがあったっけ」と懐かしく思い出している。

 今年は9/4(土)との案内をもらったが、その日は高岡市芸術祭関連事業として「青少年わかば公演」が催される日の前日で、リハーサルが行われた。
 日本舞踊や仕舞を習っている子どもたちが発表し、またお互いに鑑賞しあう場である。それぞれ習っているお師匠さんの会でしか発表する機会がないのでとてもいいことだ。↓は、昨年の写真ですが、可愛らしい日舞ですね。     

 ↓は、今年のプログラムの表紙です。日舞の会が8社中、生涯学習センター「能楽講座」の受講生、高岡保育園の園児たちの出演です。

 9/5(日)は、あいにく朝から雨。私たちは予め「駐車許可証」をもらい、楽屋口のすぐ傍の駐車場に止めさせてもらった。楽屋の部屋のいくつかが雨漏りするとかで、奥の駐車場にプレハブの臨時楽屋が設けられていて、そこで着物を着換えリハーサルをする。小さな子たちもいるので、緊張やら疲れやらで途中眠り出す子も…。特に連調連管は最後だったので待ち時間が長かったことだろう。でも、本番はバッチリでした。

 ↓は、K紙のサイトから。仕舞「養老」。後の鏡板は山崎先生宅のもの(?)。                 


狂言「禰宜山伏(ねぎやまぶし)」

2015-09-07 | 能楽

  8/29(土) 8月最後の土曜日、急きょ金沢へ行くことにした。例年 7,8月の毎土曜日に石川県立能楽堂で「観能の夕べ」が開かれる。今年は1度も行く機会(元気も)がなかった。最終日は宝生流家元による「天鼓」だ。山崎先生から券をいただき、連れはなかったが一人で行くことにして高速バスを利用した。

 この日の演目は、仕舞「三山」、狂言「禰宜山伏」、能「天鼓」だった。「三山」と「天鼓」について前回書いたので、今日は「禰宜山伏」を紹介します。先日、長年金沢に住んでおられた友人が、コメントに「能と狂言の違いは?」と書かれたので、その答も探してみます。

 今はどうかわからないが、30年ほど前まで高岡市内の中学校では「芸能鑑賞」と言うイベントがあり、高岡市民会館でいくつかの中学校が合同で「狂言」を観たものだ。伝統芸能の鑑賞と言うことだったのだろう、わかりやすい狂言がよく取り上げられた。「柿山伏」や「附子(ぶす)」を観た記憶がある。国語の教科書に載っていたのかもしれない。

 金沢へ能を見に行くと必ず狂言も見ることになる。「寝音曲」、「鬼瓦」、「狐塚」、「棒縛り」、「伊文字」、「仏師」などなど、いくつも思い出される。基本的には、太郎冠者、次郎冠者と、頼うだお人(主人)が登場し、主人が無茶なことを頼むのを、太郎冠者、次郎冠者が知恵を絞ってくぐり抜け、「お許されませ、お許されませ」と逃げる(退場する)のを、「やるまいぞ、やるまいぞ」と追いかけると言うのが定番である。

 ある本によると、そもそも狂言は、舞台芸能としての内容そのものに大きな違いがある。
 はほとんどが悲劇で、「源氏物語」「平家物語」などの登場人物を主役にした演目も多い。シテ方はたいてい面をつけ、流れるような仕舞と、豊かな謡(うたい)で幻想的な世界を織りなしていく。
 これに対し、狂言は室町時代の民衆の身近な話が中心で、そのほとんどが喜劇だ。狂言方はたいてい面をつけず、しぐさとせりふで庶民の世界を描く。古い録音を聞いた人が、「気品に満ちた能。親しみやすい狂言というのが、率直な印象だった。」と語っているそうだ。

 さて、「禰宜山伏」は? 禰宜(神主)と山伏の話。さらに茶屋の亭主と可愛らしい大黒天が登場します。↓は、ようやくネットで見つけた写真です。禰宜が祈祷すると、大黒天はそちらを向きます。             

 ↓ 山伏が祈祷し、無理やり自分の方を向かせようとすると小槌を振り上げます。       

 《あらすじ》
 
旅の道中、禰宜が街道の茶屋で一服しています。そこへ山伏が通りかかり、禰宜に対してなにかと難癖を付けはじめ、挙句の果てには肩荷の箱まで押し付けて家来同然に扱おうとします。この様子を見咎めた茶屋の主人は、計らって、主人の所有する大黒天に向かい、2人が祈祷して祈り比べ、どちらの祈祷に従うかて勝負することを提案します・・・。
 
一見大人しくも伊勢神宮の威光を背景に持つ芯の強い禰宜と、難行苦行の末に得た能力ゆえ、傲慢な態度をとる山伏の対比がくっきりと描かれます。
 また、神仏信仰の表れと、権力に抑圧された時代背景を捉えた作品だそうです。大黒天役を子どもが演ずることも多く、大きな小槌を振りながらの采配ぶりは、可愛らしくもあり、痛快とも言えます。この日の大黒様は子方ではありませんでしたが、とてもかわゆかったですよ。

 山伏:能村祐丞  禰宜:炭哲男  茶屋:鍋島憲  大黒:山田譲二 

 ↓に、「禰宜山伏」の動画を見つけましたのでご覧ください。埼玉県日高市高麗神社での行事のようです。最初神社風景が写るので狂言だけ観たい方は早送りもできます。狂言は一部だけですがだいたいわかります。 

https://www.youtube.com/watch?v=vkow2ntq2-w 


金沢「観能の夕べ」 & 能楽美術館

2015-09-05 | 能楽

  8/29(土) 8月最後の土曜日、急きょ金沢へ行くことにした。例年 7,8月の毎土曜日に石川県立能楽堂で「観能の夕べ」が開かれる。今年は1度も行く機会(元気も)がなかった。最終日は宝生流家元による「天鼓」だ。山崎先生が「会の券がありますよ」と言われたので、連れはなかったが一人で行くことにした。一人で行くからには、高速バスに乗ってみようと思った。高岡駅前~戸出~砺波から高速に入り金沢へ、バス代が720円であいの風鉄道より100円安い。乗客もけっこう多く、戸出、砺波で乗る人もかなりおられた。広坂に着いたのはまだ4時半頃。久しぶりに「能楽美術館」に入った。65歳以上は200円。↓

  ↓ ちょうどプレ講座の最中、「どうぞ3階の研修室ですから」と言われ上がった。講師は佐野玄宜さん。以前何度か来たものだ。能「海人」と泉鏡花の「歌行燈」の講座も聴きに来た。

  2階の展示場では、”能を彩る植物”の企画展をしていた。能装束の他に「半蔀」の立花の作り物も飾ってある。↓は ポスター。

 後で「能楽美術館」をネット検索したら、面を作ったり、装束を試着したり、楽器を演奏したり、さまざまな体験講座を設け、幅広い活動を続けておられることがわかった。さすが金沢、お金をかけているな~と実感。
↓ は、すべてネットからの写真だが紹介します。 

 

 

 

  さて、広坂から出羽町までの登り道は短い距離だが、私にはなかなかきつく休み休み上がった。この日の演目は、仕舞「三山(みつやま)」、狂言「禰宜(ねぎ)山伏」、能「天鼓(てんこ)」である。いつものように金沢大学の西村聡先生の解説がある。いつもは、専門的すぎてよくわからない、と不満が残るのだが、この日はとてもわかりやすかった。おそらく私自身習った曲が増えたせいだろう。

 「三山」、「葵上」、「鉄輪」などに出て来る「うわなり打ち」についての話が面白かった。「うわなり」とは「後妻」のこと。こんな漢字 「嫐」を書くようだ。「三山」を ”山の三角関係” の物語と解説された。大和三山の「香具山」を男性、「畝傍山」と「耳成山」を女性と見たてた三角関係の物語と言うわけだ。耳成山(桂子)が畝傍山(桜子)を打ち据える場面を大坪喜美雄先生が舞われた。後妻ではないが、桂子は年上の女性、桜子は若い女性で、これも「うわなり打ち」と言うらしい。

 狂言は、次回改めて紹介することにして、能「天鼓」を紹介します。↓は、昨年の「三派能楽大会」の私のブログ。この時の能が「天鼓」で、能楽会のHPの写真も拝借してアップした。

  http://blog.goo.ne.jp/67kiyoh/e/45f1d9e5c7f416dd6d66b3b8d65290f9

 ↓は、昨年の舞台をコピーしました。

 《あらすじ》 中国、後漢の時代、王伯と王母と言う夫婦がいました。王母が、天から鼓が降り胎内に宿った夢を見て、男の子を生み、天鼓と名付けます。その後、本当に天から鼓が降り下り、天鼓はその鼓とともに育ちます。その鼓は妙なる音を奏で、人々を喜ばせました。
 その噂を皇帝が聞き、鼓を差し出すように命じます。天鼓は逆らって、鼓を持って山中に隠れます。が役人に見つかり、呂水に沈められ殺されてしまいます。鼓は宮殿に運ばれますが誰が打っても音を出しません。
 皇帝は、父王伯を呼び出し、皷を打たせようとします。王伯は、鼓が鳴らなければ自分も殺されるだろう、と死を覚悟し、子への思いを込めて鼓を打ちます。すると、この世のものと思えない清らかな音が鳴り響きました。親子の絆を示すその音色に皇帝も哀れと思い、涙を浮かべます。王伯に褒美を与え、家に帰します。
 その後、呂水の傍に天鼓を据え、管絃講を催します。するとその音に引かれて天鼓が現れ、懐かしそうに鼓を打ち、「楽」の舞を舞います。勅命に背いたのに、回向してもらい成仏できたと喜び、楽しげに舞いながら、夜がほのぼのと明けた頃、夢か幻のように消えて行きます。(↓の写真は、昨年の高岡での舞台で、シテは金森秀祥先生、笛は瀬賀尚義先生です)

 今年の金沢の舞台では:  
 シテ(前シテ:父親 後シテ:天鼓):宝生和英、ワキ(勅使):北島公之、間狂言(役人):荒井亮吉
 囃子は、大皷:飯島六乃佐、小鼓:住駒幸英、笛:藤田次郎、地謡:大坪喜美雄他 の皆さんでした。
笛の藤田先生は「一噌流」だそうで、瀬賀先生の「森田流」とは少し違うそうだが、いずれも「バンシキ」と言う小書きがついており、「楽」の舞が高く激しい調子になり、しかも長く吹き続けられる音色は人間技と思えないほどでした。

 「天鼓」は、「藤戸」とよく似ていると言われるようだ。前シテと後シテが別の人物で、親子関係。

 「天鼓」:前シテが父親、後シテが息子の亡霊、息子は天皇に殺される。天鼓は天皇の命に背いたのは自分の罪、管絃講で弔ってもらえ嬉しい、と喜びの舞を舞う。

 「藤戸」:前シテが母親、後シテが息子の亡霊 息子は佐々木盛綱に殺される。土地の男は、佐々木盛綱に浅瀬の場所を教え、戦功を立てさせたのに無残に殺されたことを恨み責める。「藤戸」は、数年前に米島さんがシテを務められた。 


東京の友と高岡観光

2015-09-03 | 高岡

 最近、友人の高岡観光の案内をして、いろいろ気づくことがあったのでふり返りながら書いてみます。

 来春、金沢で学生時代のクラス会をすることになり、呉羽のYOさんと私がお世話係になったことを以前書いた。地方での開催は初めてで、これも新幹線効果である。
 たまたま、東京の幹事の方の一人が何かの会で、富山へ来られ、「磯はなび」で一泊されることになった。高岡でグループと別行動がとれると言うので、YOさんと3人で会うことになった。

 8/28(金)。私は1日空いている日(最近こんな日が多い)、高岡案内を申し出た。短時間なので、瑞龍寺(ここは彼女がぜひ見たいと希望)と大仏さまだけ。2人とも11時過ぎに高岡着の予定。まず、高岡駅へYOさんを迎えに行く、次に新高岡駅で東京からの友人SAさんを出迎える。駅が離れているとこう言うことになるんだ、と一人納得。新高岡駅の観光センターで、トートバッグの品切れを告げられガックリ。
 ランチは八丁道の「清風」で、とプランを立てていた。お魚の美味しい「ひろもと」もと姫さんに勧められたが、プリントを広げて打ち合わせもしたいのでカウンター席はまずかろう、奥に部屋もあるがキトキトの魚は「磯はなび」で出るだろう、と「清風」の精進料理を予約した。
 ↓は、朱塗りのお椀で出された「精進ご膳」。南瓜、ずいき、オクラ+もう一つの煮物。サツマイモをつぶしてグラタン風にした蒸し物、レンコンの胡麻和え、そうめんとモロヘイヤと湯葉だったか?の吸い物、ゴーヤと茄子の漬物、真中左は何だったかしら?ご飯もいろいろ炊き込んであった。 

 ↓ さらに、高坏(たかつき)に焼き茗荷とジャガイモ。これがとても美味しかった。

  ↓ デザートは、お抹茶と甘く煮た小豆をのせたゼリー菓子。「清風」の料理は二人ともとても喜んでくださった。

  ↓ 棚の上には、夜桜の振袖と羊の置物。「写経修行体験コース」のお食事処でもあるらしい。 

  この後、瑞龍寺参拝。場所場所にボランティアガイドさんがおられ、担当場所を決めて説明しておられた。8月は3回目の瑞龍寺なので、写真を撮らなかったが説明を聞くと知らなかった(忘れていた)ことばかり。
 ↓ 8月初め、ライトアップの時の総門と玉砂利。総門の右は大庫裡、左の修理中の建物は禅堂。

 仏殿では、屋根は鉛板、天井部分は扇垂木(おおぎたるき)やエビ紅梁(こうりょう)の複雑巧妙に木を組み合わせた架構法について説明を聞く。天蓋は絹(昔は絹と蓮の茎)で織ってある。ご本尊は、釈迦、文殊、普賢の三尊を祀っている。

 ↓は、法堂。これは8月末の「薪能」の時の写真。欄間は「高岡」と言う地名の由来となった鳳凰が彫られ、中央奥には利長公のお位牌が安置されている。この右の般若の間に「烏瑟沙摩(うすさま)明王」が祀られている。火神、便所の神、安産の神と言われる。回廊にある大きな像はレプリカ。 

  YOさんは、子どもさん達の小さな頃この近所に住んでおられ、瑞龍寺の境内を横切って朝日湯(最近閉められた)まで行っていたと懐かしがっておられた。私もお弁当を持って子ども達を遊ばせによく来たものだ。SAさんも興味深そうにいろいろ質問しておられた。↓は、3人で記念撮影。2人のお若いこと。いつも前かがみか横かがみの自分を猛反省。

 さて、街中に入り、高岡大仏へ。ここは駐車場が4台分しかない(桜馬場から入れば大仏の後に駐車スペースがあるのだが)。私は降りないつもりで道端に止めた。が、1台空いたので(この人、どうも大仏様の参拝客ではなさそうだった)、方向転換に苦労していると、「オーライ、オーライ ストップ。右へ切って」と大きな声をかけて誘導してくださる男性がいる。車を止めてからお礼を言おうと私も降りた。その男性は参拝客にいろいろと説明しておられる。友人達の質問に答えて、「あんた方は、いつ建ったかや、どっちが大きいかばかり聞いて肝心なことを知らん」と言われる。奈良の大仏は天皇が建てた、鎌倉の大仏は幕府が建てた、高岡は何度も焼けた後高岡町人と職人が協力して建てたもの、そこが違う、と言うわけだ。与謝野晶子の『鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立ちかな』の歌はは聞いたことがあり、ハンサムな大仏さまとは知っていたが。

 他にも、坂下町の坂を上がって来ると真っ正面に鎮座しておられた大仏が少し横にずれているわけ、大仏様と視線がピタッと合うのはどの位置か、など次々と面白い話をしてくださった。「いつもココで説明されるのですか?」と聞くと「ああ、ときどきね」と言われたがご近所の信仰篤い方だそうだ。
 ↓は、大仏様と目が合った場所で撮ってみました。

 この後、雨晴海岸 義経神社の傍を通り「磯はなび」へ。義経岩の傍の「ココを渡ってはいけません」の線路の通行場所にはとうとう踏切が設けられていた。この日は立山連峰は見渡せなかったが、翌日はかなり顔を見せてくれたらしい。また、海王丸パークで、海王丸と新湊大橋と立山連峰が富山湾越しに見られ、「きっときと市場」でお土産を買って大満足とのメールが後で届いた。

 後から聞いたのだが、SAさんのツアーは「アマゾンで植林活動をしておられた長坂さんを偲ぶ会」だったそうだ。富山富岩運河環水公園-呉羽ハイツ-風の盆前夜祭-高岡瑞龍寺-磯はなび-雨晴海岸-海王丸パーク-きっときと市場 と言う2泊3日の旅だったようだ。SAさんは途中参加をし高岡で私たちと会ってくださったのだ。我が町を旅人のように観光する一日、充分に楽しませてもらった。