Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

JR高岡駅「万葉ロード」

2011-08-30 | 高岡

 前夜金沢でお能を見た後、すぐ能楽堂の前で待ちうけていたタクシーに乗り、KKRホテル経由で東口に着いたがタッチの差で電車を逃した。缶ビールとおむすびを買って、次の電車の中でのんびりと発車を待っていたら、「七尾行きが…」とのアナウンス。電光掲示板のホーム番号を見間違えたらしく4番ホームは七尾行き。アッチャーだ。次は40分待ち。特急もあるが勿体ないから待つことにした。ホームのベンチで賑やかな女子高校生の会話を聞きながら待つ。高岡へ着いたのは10時半近くだ。駅南口へ降り、自転車で自宅へ。

 翌28日(日)は、高校の同窓会で宇奈月へ行く日。福野発のバスで高校の「巌浄閣」を見学後富山駅経由で宇奈月へとあり、私は、直接富山駅へ行くことにした。
 朝、高岡駅南口(今は”瑞龍寺口”)へ行くと賑やかな人の群れ。「ああ、今日が万葉ロード開通の日だ」と気づく。高岡駅南北を結ぶ自由通路、高架線上のロード。高岡駅は、橋上駅舎になり改札口は一つ、アプローチが”古城公園口(北口)と瑞龍寺口(南口)となった。

 昨夜は仮駅舍の南口改札口だったのに、今朝の万葉ロードオープンに向け、夜中に徹夜で作業をされたのだろうか。
 都会の駅の気分でエスカレータで上がると、改札口前広場は駅弁やら鉄道グッズの店が並び、オープン記念イベントが始まっている。すごい人混みだ。午後は記念式典があるとか。カメラを出したが、また乗り遅れたら大変と写真は翌日に持ち越した。

 翌日、宇奈月の帰りに高岡駅で降りたのは小松に帰るMiさんと二人だけ。福野へ向かう延對寺荘のバスと別れを告げる。2日間楽しかった、ありがとう。
    

 さて、↓は、高岡駅瑞龍寺口正面。
    

 左のエスカレーター(右端にエレベーターがある)を上ると、改札口。
     

 前日まだ表示されていなかった電光掲示板は、どうやらまだ工事中(右端の人のかたまり)らしい。天井のデザインが斬新。何をイメージしている?
           

 高岡駅南口ができたのは何年前だろう?清水町に住んでいる我々にとっては、便利になり嬉しかったことを覚えている。我が家から高岡駅までは約15分。以前はタクシーの乗車拒否もあり(今はそんなことはないが)だった。南口がオープンし、2分ほど短縮されるだけなのに何故かワクワクしたものだ。でも朝、晩の改札口の時間帯は北口より短く、みどりの窓口もない。これで都会の駅のように改札口は一本化された。 


近江町市場と「観能の夕べ」

2011-08-29 | 能楽

 8/28,29日に福野高校普通科サザン(33)会の同窓会が開かれると言う案内をもらってから、川越の友人Moさんと相談しているうち、彼女が前日、用事で金沢に来ることになった。そこで、「観能の夕べ」を観る話が持ち上がった。
 石川県立能楽堂では、例年7,8月の毎土曜日の夜、能と狂言が1番ずつ演じられる。お謡いの先生からチケットを1冊いただいたが、なかなか日が合わずSaさんに4枚あげ、残りは余っていたのでMoさんと行くことにした。

 午後、3時頃、武蔵が辻近江町市場入り口付近で合流することにした。彼女が大手町のKKRホテルに泊まるので、チェックイン後会いましょうと決め、便利なケータイ電話で「今、近江町市場でバスを降りたよ」「今、歩いて向かっていま~す。」で、万事OK。

 かなり暑い日で、市場内には氷柱が。「つめた~い」と女の子。
       

 あちこち回っていると、湯葉屋さんが。「ゆば・とうふ しばた」と書いてある。
           

         

 2本300円の「串ゆば」を注文し、店先で食べる。3個刺してあり、左から「味噌、塩、何もつけない」湯葉。写真を撮ると言うとお盆に載せ、冷水のサービスもあった。
             

 その後、2階へ上がり、以前も入った「伝兵衛寿司」を覗いた。親方の顔に見覚えがある。カウンターのタッチ式メニュー表も懐かしい。まず盛り合わせを注文する。
       

       

 ちょっと物足りなく、奮発して追加注文をする。”超おすすめ伝兵衛豪華3点握り”の「梅」~鮑、さざえ、煮蛤~である。
       

 〆て、3210円でした。その後、喫茶店でコーヒー一杯でお喋りし、シャトルバスで能楽堂へ。

 演目は、狂言が「雷」、能は「杜若(かきつばた)」。8月の最終土曜日、観能の夕べの今年最後の日。満員御礼の盛況だった。
       
   

 「杜若」は、≪伊勢物語≫の第九段「八橋」の場面を題材にしているが、、尾形光琳も何度か、この燕子花(かきつばた)を作品に描いている。トップ写真は、傑作の国宝『燕子花図屏風』。東京根津美術館蔵である。

 ≪伊勢物語≫では、三河国の八橋(現在の愛知県知立市八橋町近辺。水が蜘蛛の手のように分かれて流れているために、八つの橋を渡したことから≪八橋≫と名付けられたそうだ)の沢のほとりに燕子花(カキツバタ)が美しく咲いていたと記されている。   

 能「杜若」のあらすじ(能 演目事典参照):
 
都の僧が東国行脚の途中、三河の国八橋の杜若に見とれていると、里女(前シテ)が現れ、在原業平が『かきつばた』の五文字を句の上に置き、「らころも(唐衣)(着)つつ馴れにしま(妻)しあればる(遥々)きぬるび(旅)をしぞ思ふ」と旅の心を詠んだ故事を語ります。やがて日も暮れ、女は侘び住まいながら一夜の宿を貸そう、と僧を自分の庵に案内します。僧がくつろいでいると、里女は業平形見の初冠(ういかむり)を付け、二条の后の唐衣(からころも)を着て現れ、「自分は業平が昔植えた杜若の精(後シテ)である」と告げます。そして、業平が歌舞の菩薩の化身として現れ、衆生済度の光を振りまく存在であり、その和歌の言葉は草木をも救いに導く力を持つと語ります。そして、伊勢物語に記された業平の恋や歌を引きながら、幻想的でつややかな舞を舞います。やがて杜若の精は、草木を含めてすべてを仏に導く法を授かり、悟りの境地を得て、夜明けと共に姿を消します。

 「杜若」は、シテとワキだけの能で、また中入りがなく、前シテの里女は、舞台の上で後見により、衣装を替え後シテの業平の精に変わります。「物着(ものぎ)」と言います。囃子には太鼓が入り、後シテは「序の舞」を舞います。 

 ↓は、演目事典の写真です。興味のある方は開いてご覧ください。 

 http://www.the-noh.com/jp/plays/photostory/ps_029.html  


比叡山~三井寺~蝉丸神社

2011-08-27 | 旅行

 2日目、8/21(日)は、比叡山、三井寺、蝉丸神社を見学して帰路に着く。比叡山と三井寺は、それぞれ1,2回は来ているが、蝉丸神社は初めてなので楽しみだった。だが、3か所も回るのでかなり駆け足だった。       

 まず、比叡山延暦寺。天台宗の総本山だが、日本仏教の各宗、各派の高僧を輩出した母山と言われている。お念仏は「南無阿弥陀仏」でも「南無妙法蓮華経」でも、何でもいいのだそうだ。
 「根本中堂」(トップ写真)だけお参りした。伝教大師自作の本尊「薬師如来」の前には、「不滅の法灯」が開祖以来1200年間消えることなく灯り続けている。この法灯は信長の焼き討ちで一時途えたが、山形県の立石寺に分灯されていたものを移して現在に伝わっているそうだ。
 内陣が、参拝者のいる中陣、外陣よりも低い位置にあるので、本尊や法灯が参拝者の目の高さにきているのは、仏も人もひとつという考えを表わしている。お賽銭のほかに、白檀や伽羅のお線香を買った。

 次に三井寺へ。何度も来ているので、興味のある物だけ写真に収めた。↓は、近江八景に出てくる「三井の晩鐘」。弁慶の引き摺り鐘の代わりに造られた。
   

 ↓は、「閼伽井屋」の井戸。天智、天武、持統天皇が産湯に用いられたと言う
泉。御井寺から三井寺と言う名前になった。
   

 ↓は、「弁慶の引き摺り鐘」。奈良時代、俵藤太秀郷が三上山の大百足を退治した功により、琵琶湖の龍神から鐘をもらい受け、三井寺に寄進した。三井寺が比叡山と争った時、弁慶が三井寺からこの鐘を奪い、比叡山まで引き摺り上げて撞いたら「イノー イノー」(帰りたい)と響き、弁慶は怒って谷底へ突き落とした、と言う。
       

 ↓は、三重塔。おばさんが1人で草むしりを。
        

 さて、最後に「蝉丸神社」へ。蝉丸神社は3ヶ所ある。関蝉丸神社(下社)、村社(中社)、上社である。↓は、私たちが参拝した「村社」。
    

 百人一首の「これやこの~」で知られる蝉丸法師だが、能「蝉丸」のあらすじは:
 蝉丸の宮は、
延喜帝第四皇子だが幼少から盲目だったため、帝は侍臣に頼み僧形にして逢坂山にお捨てになった。この世で前世の罪業の償いをすることが未来への助けになると諦めた宮は、孤独の身の上を琵琶で慰めていた。
 一方、延喜帝第三皇女逆髪(さかがみ)の宮も、前世の業因強く遠くの果てまで歩き回る狂人となって逢坂山まで来てしまった。美しい琵琶の音に惹かれて偶然にも弟宮の蝉丸と再会し、二人は互いの定めなき運命を宿縁の因果と嘆き合い、姉宮は心を残しながら別れていく・・・・という今昔物語を出典とした名曲。

 国道1号線やJR東海道線の通る交通量の激しい道沿いに、逢坂の関跡や3つの蝉丸神社が点在している。今は逢坂トンネルがあるが、昔は険しい山だったのだろうか。

    

 その後、近くの「月心寺」へ。ここは、かつては東海道随一の賑わいをしていた追分の地で繁昌していた「走井茶屋」の跡だそうだ。この茶屋では、お茶のほかに白と緑のお餅が出されたそうだ。境内には今も枯れることなく「走井の名水が」湧き出ている。帰りのお土産やで「走井の餅」を買った。
       
              

     

 庵主さんの精進料理がおいしいのだそうだが、この日は体調が悪く休んであられた。かなりの高齢の方のようだ。だが、中に通していただきお茶をご馳走になった。
 ↓は、お庭。小野小町の百歳の像を祀る「百歳堂」が見える。ちょっと見てみたい気がする。
     

 ↓は、庭に向かって座り、「蝉丸」を謡う皆さん。私などほとんど覚えていないが、先生方が何人もおられるので大丈夫。
     

 逢坂の関所跡など、もう少しゆっくり見たかったが、時間がなく、うな重の昼食の後はひたすら高岡へ。おかげで日暮れ前に帰宅できた。娘と二人で駅から家まで歩く。夕焼け空がきれいだった。
     
 

 ↓は、お土産の「走井の餅」(平米公民館のお稽古日に皆で食べてしまったのでネットから)。    

            


がんこ高瀬川二条苑

2011-08-26 | 旅行

 8/21(土)、京都の夜の食事処が「がんこ 高瀬川二条苑」と言うお店。高級な店だから、ホテルに入ったらスカートにはき替えましょう、との申し合わせだった(女性群が勝手に)。だが、行ってみると土曜の夜のこととて、どの部屋も満席で、気軽な服装の若者や会社の同僚グループなど、そう高級感はない。
 ところが聞くところによると、ここはお店と言うよりお屋敷。明治の元勲山縣有朋の別荘、「第二無鄰庵」だったそうだ。元はと言えば、江戸時代に豪商角倉了以(すみのくら りょうい)によって造られた庭苑で、高瀬川はこの庭苑から始っているのだそうだ。
 私たち28名が通された部屋は大きなお茶室だったそうで、炉畳の上にテーブルと椅子が…。勿体なくて正座したくなるほどだ。
      

 お料理もさることながら、お庭が立派。食後、案内してもらった。ライトアップされているが夜はよく見えず、写真も撮れない。まず、樹齢約250年の紅梅。大事に育てられ、幹は削られているが毎年花をつけるそうだ。
      

 ↓は、さざれ石。水音をよく響かせる。
  

 ↓は、高瀬川の源流。鴨川からの取り込み口。高瀬川は、ここから伏見までの運河だそうだ。
  

 ↓は、お茶室のにじり口。客が頭を下げて入ると無用心なので丈を高くしてある。
  

 ↓は、室内から見た庭苑。灯篭がたくさんあり、日本一と言われる自然石を組み合わせ作られた「化け灯籠」もある。トップ写真は、この店の川床から眺めた風景。
  

 お料理の写真は、食べながら話しながらで、全部は撮れなかった。右端は、豆乳だけだが野菜と湯葉を入れる。
      

         

 お昼のメニューもあり、9月いっぱいは納涼川床もある。もらって来たパンフと私の話で、ようこ姫さんがさっそく秋の京都の旅を計画中。泊まりか日帰りか、いつが都合がいいか、最初の「茶々姫教室」で相談する予定だ。彼女はホントに行動的。


嵯峨野~野宮(ののみや)神社~

2011-08-24 | 旅行

 鞍馬のお山を下りて、仁和寺、嵯峨野へと行く予定だったが、仁和寺がカットされたのですぐ嵯峨野へ。仁和寺は数回訪ねているが、この旅では、能「経政」に登場する琵琶の名器「青山(せいざん)」(「絃上」、「獅子丸」と共に唐から伝えられた3名器の一つ)について何か聞けるかと、期待していた。 

 嵐山でバスを降り、渡月橋の手前で右折し天竜寺まで歩く。天竜寺はもちろん、二尊院、祇王寺、化野念仏寺、落柿舎、滝口寺…そして大河内山荘まで、この辺りは何度か回ったものだ。竹林を通りながら、野宮神社がこんな所にあったか?と不思議に思うほど、まったく記憶になかった。
       

 この竹林の道は、いつの季節だかライトアップされるそうだ。ときどき観光用の人力車も見かけたが、この日はわりと静かだった。途中、左に「野宮神社」があった。↓は、黒木の鳥居。「縁結び、進学祈願」と赤文字で書かれている。「両方とももう関係ないわ」と誰かが呟き、皆、「そう、そう」と言っていた。
      

 「黒木鳥居」とは、樹皮のついたままの鳥居のこと、原始的な最古の形式の物だそうだ。源氏物語の『賢木(さかき)』にも登場する「小柴垣に黒木の鳥居」が、現在に再現されているとか。
 説明によると、従来は、「くぬぎ」を使用し、3年ごとに立て替えをしていた。が、近年くぬぎが入手困難となり、徳島県剣山の山麓より切りだした自然木に防腐加工を施し、高松市の会社が奉納したそうだ。また、鳥居の両袖の小柴垣は、くろもじを用い、源氏物語や謡曲に表された遺風を残している。

 なでたり、木の皮をはがしたりする人がいるらしく、一部めくれていた。社は小さく境内もせまい。
   

 山崎先生が、「奥に子宝の神社があるよ」と言われ、娘が「お参りせんな~」と入って行った。
 さて、お能「野宮」のあらすじは:
 

 晩秋の嵯峨野の野宮。木枯らしが吹く頃、ここを訪れた旅僧の前に、里女(六条御息所の亡霊)が現れる。「六条御息所が、斎宮(さいぐう=伊勢神宮に仕える女性)となった娘と共に伊勢へ下ることを決め、御禊ぎの為に野宮に籠っていると、光源氏が訪れ、いろいろと慰留されたけれども、頼りない源氏の愛情に失望し、娘と共に伊勢へ下った…」と語り、黒木門から消え失せる。

 旅僧が菩提を弔っていると、在りし日の姿で、網代車に乗った御息所の霊が現れる。その車は賀茂の祭の時に、源氏の正妻・葵上との場所争いをした恥ずかしく因縁深い車である。「光源氏と恋に堕ち、捨てられた悲しみが妄執となり、迷っている。この苦しみから救ってほしい……」と僧に頼んで、再び車に乗り、消え去って行く 

 黒木門に消える御息所が目に浮かぶようだ。お能も見たことがないし、お謡いもお稽古していないが、いつか見てみたいもの。

 帰り道で、舞妓さんの二人連れとすれ違った。バスガイドさんに言わせると、「なんちゃって舞妓」と言って、人力車と一緒で舞妓姿の貸衣装とのことだが?
       
 

  いよいよ今夜の夕食は、「がんこ高瀬川二条苑」だ。


鞍馬山と能「鞍馬天狗」

2011-08-23 | 旅行

 「富美家」で川床の京料理をお腹一杯食べ、最初の見学地「鞍馬寺」へ向かう。叡山電鉄「市原駅」でバスを降り、電車で二つ目の駅が終点「鞍馬駅」だ。この頃は、山の冷気でビールの酔いも醒め、鞍馬山登山も大丈夫そう。ただ、雨がぱらつきはじめ、傘をさしての見学だ。
 鞍馬山は、昔職員旅行で訪れたはずだが、山を歩いたことと貴船神社の近くで何とか料理を食べた記憶しかない。

 駅の構内には、大きな松明が天井から下がっている。10月の火祭りに焚くものだろう。駅を出ると左に、これまた大きな天狗の面が。
     

          

 鞍馬寺は、京都盆地の北、豊かな自然環境を残す鞍馬山の南斜面に位置する。鞍馬は牛若丸(源義経)が修行をした地として、また、大佛次郎の小説『鞍馬天狗』でも知られる。

 能「鞍馬天狗」は、源義経の幼少時代を題材にした物語で、花盛りの鞍馬山を背景に、威厳ある大天狗と華やかな牛若丸との師弟の絆を中心に、情趣ある多彩な場面が展開されます。
 前半では、大勢の可憐な稚児たちが登場し、寺男の小舞や、高僧の居丈高な物言いがあり、また、大天狗の化身である山伏と、孤独な牛若丸との心の交流が描かれ、詩情豊かな深山の雰囲気が漂います。
 後半は、大天狗のもと兵法を学ぶ牛若丸の、殊勝な心がけに焦点があてられ、師匠を大事にする、凛々しく素直な少年として描かれます。
 登場人物が多く、謡や所作も変化に富み、みどころの多い能です。

 鞍馬山から、♪京の五条の橋の上♪までは20kmもあるそうで、毎夜、剣の腕を磨きに通うのは、ハリー・ポッターのように空を飛ばない限り無理なのでは?と思った。夜空をすいすい飛びながら鞍馬のお山へ帰って行く牛若丸を想像するのも楽しい。実際には山を駆け登ったのだろうか。

 駅から200m歩き「仁王門」へ。この辺りで火祭りが行われるようだ。↓は、「仁王門」。
         

 ここから、ケーブルで2分、120m上り、「多宝塔」へ。小雨の中で参拝。ここで待つ人も。
             

 そこから本殿まで傘をさして約半キロ、160m登った。多少息切れがしたが、ハイキングクラブの山歩きよりはよほど楽だ。気温が低いせいだろう。
 ↓は、「本殿金堂」と周りの山々。
      

      

      

 天候のせいか、観光客も少なめ。本殿までで戻ることになった。予定は「多宝塔」までだったとか。皆、元気でどんどん歩き、本殿を目指したと言うわけだ。この先に、僧正ヶ谷、義経堂、奥の院魔王殿があり、貴船神社に降りるらしい。

 ↓は、帰りの下り道を降りる我々のグループ。真ん中に手すり、両側に灯篭が続いている。
          

 この後、仁和寺と野宮神社へ行く予定だったが、時間が遅れ仁和寺はカットされた。


「春夏冬二升五合」

2011-08-22 | 旅行

 8/20、21(土、日)で、「京都・謡曲古蹟巡りの旅」に出かけた。私が所属する謡曲の会、「蒼山会」の研修旅行で、いつもは春なのだが今年は暑い夏の旅となった。だが、幸か不幸か両日とも、ときどき小雨のぱらつく曇り空で気温が低く過ごしやすい日となった。
 1日目は、鞍馬寺、仁和寺(にんなじ)、野宮(ののみや)神社、2日目は、比叡山延暦寺、三井寺、蝉丸神社、月心寺を訪ねると言う盛りだくさんなスケジュール。プラス鴨川の川床京料理や、がんこ高瀬川二条苑の懐石料理と言う美味食の旅である。

 昼過ぎに京都に着くとすぐに先斗町(ぽんとちょう)で昼食。まず三条大橋を渡る。ここは、東海道五十三次の西の起点。橋のたもとには弥次喜多の像があるらしい。橋は今はコンクリートだが、擬宝珠は昔のまま。 

      
 橋を渡るとすぐ「高瀬川」が流れている。ここは、江戸時代初期に豪商、角倉了以(すみのくらりょうい)によって物流用に造られた運河。鴨川から水を引いている。
         

      

 もう一度、三条大橋に戻り、川沿いの先斗町に入ると、舞妓さんのための「歌舞練場」がある。
          

 そのすぐ近くの、京料理「富美家」が昼食のお店。店の玄関前の石柱に彫られたのが、タイトルの「春夏冬二升五合」だ。さて、意味がおわかりでしょうか。通の方ならすぐわかるかも。私達は少し悩みました。私は前半だけしかわからなかった。
 たぶん、秋がないから”あきない=商い”、二升は、一升ますが2つで”ますます”、五合は、一升の半分で”はんじょう=繁盛”、続けると、「商いますます繁盛」
となります。
          
 
入り口を入ると、カウンター。横が板場で、奥に部屋があり、さらに奥は鴨川に面して川床になっている。
         

 5/1~9/30は、「鴨川納涼床」の季節。夏の花街で川風に吹かれながら、川床の京料理を味わう趣向です。昼会席1800円からです。私達は、たぶん2800円の会席料理。(料理の写真は省略します)

 ↓は、川床から見た三条大橋。川に入り、堰に投網を打っている人がいました。川沿いは遊歩道。
      

 ↓は、隣の川床。
      

 ↓は、三条大橋から眺めたもの。
      

 午後は、鞍馬山に登るので、ビールも控えめにして川床の眺めを楽しんだ。京都の寺社や博物館は何度も訪ねたが、川床料理は初めとの経験だった。 


城端うらら

2011-08-18 | 日記・つぶやき

 今年の3月頃、福野の叔母を井波の病院に見舞ったら退院された後だったとブログに書いた。戦死した私の父のすぐ下の妹で、遺児になった私達姉弟をとてもかわいがってくれ、母が脳卒中で倒れた時もしばらく病院に泊まりこんで看病してくれたしっかり者の叔母だ。

 その後お見舞いにも行かずじまいだったので、娘と一緒に顔を見に行こうと電話をしたら、先月から城端の「うらら」に入っておられるとのこと。昨日城端まで行ったのに、知らなかった、とばかり今日また城端まで出かけた。
 叔母の家は、昨年私より3歳年上の息子さんが亡くなられ、奥さんは車椅子、家にはお孫さん夫婦とひ孫さん達。寝たきりではないけれど、転んで足が弱くなっておられ入所されたようだ。

 城端には、「ケアハウス・うらら」と「介護老人保健施設・うらら」と「特別養護老人ホーム・きらら」が、田んぼの真ん中の広い広い敷地に隣り合って建っている。
    

 叔母が入所しているのは、「介護老人保健施設・うらら」で、要支援、要介護の認定を受けた人が、1日でも早く家庭で自立した生活を送れるようにすることが目的とのこと。入所の他に、ショートステイ、デイケアの施設もある。

 食堂の横の、「療養室」と言う個人の部屋(大きな部屋に4人ずつ、棚やカーテンで仕切られているので個室のよう)で、話をしてきた。
 目も耳も頭もすっきり、しっかりして、ただ、歩くのは歩行器が頼り。言葉づかいも話の中身も昔同様、相変わらず自分の意見や考えを話され、自分でも「わたし、きかんもんやったから~」と言われる。前にいた所と勝手が違うらしく、まだ慣れていないからだろうが、不満もちょっぴり。昔の笑顔がないな~と気になった。

 弟と一緒にフィリピンの戦跡に巡拝に出かけた時の写真を見せ、いろいろ話してあげると、父が城端駅から戦地に向かった時の思い出話をしてくださった。娘の婚約のこともとても喜んでくださった。

 以前作った折り紙の兎を5羽、息を入れてふくらませ棚の上に飾った。「今年は卯年だし、私が卯年なので」と言うと「わたしも卯年やよ」と言われる。大正4年生まれの96歳だ。
 娘が、「あと24年経ってお母さんもこんな元気だったら…」と言ったが、たぶん私には無理。

 最近、城端はお墓参りくらいしか来ない。たまに祭り、じょうはな座の催し、同窓会など。「うらら」の訪問が、新たな楽しみになった。ここ、理休は「水車の里」。↓は、帰り道で見つけた大きな水車。

    

 昨日、お留守だった分家にも寄り、次男さんの結婚式の写真を見せてもらい、お互いの近況報告。年に1度顔を合わせての親類づきあいはお盆ならではである。


桜ヶ池クアガーデン・ヨッテカーレ城端(じょうはな)

2011-08-17 | 富山

 今年もギリギリになって、息子がお盆は帰れないと言う。それもこちらから何度も問い合わせた結果だ。今年は娘とお墓参りに行くからいいか、とあっさり諦めた。15日は朝から二上霊苑へ。帰りに、国分浜「越乃庭」に寄り一風呂浴びた。4,5日前に久しぶりにSaさんと行った時忘れものをしたせいもある。海が見え、時には氷見線の電車が窓の下を通るのに出合える。

 16日は、実家の墓参りに城端へ。いつものように2軒の分家や友人宅にも寄るので買い物をして。雨を気にしながら出かけたが、案の定、ちょうど墓参りの最中に大雨が。お墓も、4つ回るので雨宿りをしている暇もない。どうせ暑いのだし、雨シャワーは気持ちがよかった。分家の1軒が近所の葬儀で留守だったので、予定が早めに進み、桜ヶ池に寄ることにした。

 桜ヶ池クアガーデンで、ランチは済んでいてもティータイムをと思ったら、「今日はティータイムはお休み。5時のディナーまで休憩」とのこと。お盆だから?宿泊客が多いから?
 確かに駐車場は満員。室蘭、長崎、千葉、三重ナンバーなど県外車がとても多い。富山ナンバーはプール利用者か、我々のように墓参り組か。
      

      

 クアガーデン(↑写真)のロビーで休んだ後、すぐ前の城端SA”ヨッテカーレ城端”を覗いた。軽食とお土産の店だったはずだが、お土産と野菜直売所が別棟になっている。聞くと、2年前に増築したそうだ。

 ↓は軽食コーナー。コロッケやおむすびが人気だ。
      

 中は、明るい食堂になっており、麺類もしろえび出汁だそうだ。
      

   ↓は、お土産と野菜直売所。

      

 ホタルイカやしろえびのお菓子、五箇山の土産もあるのは、どこの土産売り場も同じ。五箇山の「堅豆腐」(400円)と「麦やエール」と言う地ビール(450円)を買った。
      

      

 ↓は、飾り用・食べられないかぼちゃ。
          

 数年前息子と墓参りに来たとき、高速を利用して二上山の墓と城端の墓を1日で回ったことがある。福光ICで降りるのをうっかり忘れ、五箇山ICまで行きUターンしたことをアップした。その後しばらく試験的に、スマートICの期間があり城端で高速を降りて街へ入れたが、今はトイレと休憩だけのSAだ。駐車場が別なので、ここ”ヨッテカーレ”は人は両側から入れるが、街から来る車と高速道路から来る車は別と言うわけだ。

 タオルをぶら下げてお風呂やプールに来る城端町の人と、遠く県外から来る旅行客が交じり合う不思議なスポットだ。↓は、ヨッテカーレのHPです。

      http://yottekare-johana.com/


映画「ハリー・ポッターと死の秘宝 Part2」

2011-08-16 | 映画・テレビ・演劇・芸能

 いよいよ「ハリー・ポッター」の最終版映画である。「ハリーを卒業する~締めくくる」には観なければならないと思っていた。最終版本(「死の秘宝・下」を読んだのはもう2年前。映画の「死の秘宝・Part1」を観たのが今年1月だ。

 8/10(水)新湊高校が初戦突破をした日、3D映画で観た。
 ハリーとヴォルデモート卿の最後の対決が延々と続く中、闘いの場面に3D効果が見られるのだろうと言う予想だった。以前、「アバター」で3D映画を観た時は、メガネは借りて返却した。

 ところが今回から、メガネを400円で買うのだそうだ。次回3Dを観る時は100円引きになる。メガネ代300円なんだって。
 ↓の写真は、向こうが裸眼の人向け、手前は眼鏡の上にさらにかける3Dメガネだ。映画館はかなり満員で後部席に座ったので、私もコンタクトの上にさらに運転用の近視用眼鏡をかけた。だから、眼鏡の上に向こうの太枠のメガネをかけて観た。そのせいか、3D効果はそう感じられなかったみたい。
       

 ↓は、私が、本で「死の秘宝・下」を読んだ時のブログです。http://blog.goo.ne.jp/67kiyoh/e/9affa2ae9f3b3c1279fd2f62dc677608

 2人の最後の闘いの場面が「ホグワーツ魔法学校」の構内だったと書かれている。スネイプ先生がホグワーツの校長になっているが、彼がダンブルドア校長を殺したのはヴォルデモートの目を欺くためとわかる。本当は幼い頃から、ハリーの母親のリリーを慕っていてハリーをも守ろうと思っていたのだ。

 学校内の闘いとなり、何人もの友人や先生たちが死ぬ。以前弱虫だったネヴィルがヴォルデモートに立ち向かう場面も。
 ヴォルデモートを倒すための分霊箱を壊すごとに彼は弱って行くが、なかなか倒れない。残る分霊箱の「蛇」との闘いなど手に汗を握る場面が続く。

 最後の分霊箱がハリー自身だと、わかり、ハリーは「自分の任務は、両手をひろげて迎える『死』に向かって、静かに歩いていくことだ、それには別の種類の勇気が必要だ」と気づく。・・・この辺りは、本では彼の決意がよくわかるが映画では伝わって来にくかった。
 ハリーは、
「一緒に死のう」と言って、ヴォルデモートと2人ともが深い谷に落ちて行くが、ヴォルデモートは「俺様だけが生き残る」と言い残す。ともかくハリーは一旦死ぬ。死の淵をさまよう夢の中でダンブルドアに会い…、そして生き返りもう1度杖で闘う。

 最後に今までの謎がすべて解かれ、19年が経つ。ハリーはロンの妹のジニーと結婚し、両親と校長先生の名前をもらった3人の子供たちに囲まれる普通の父親だ。ロンとハーマイオニの子供たちと一緒に、ホグワーツ魔法学校の新学期に向かうのを、キングスクロス駅の9と3/4番線ホームで見送るところで「完」となる。子供たちが未来に向かい、ハリー達の友情が今も続いている場面である。

 ↓は、ロンドン、キングス・クロス駅。ハリポタマニアが写真を撮りに訪れるらしい。                          

 ↓は、不思議な写真ですが?何とカートが、9と3/4線のプラットフォームに埋め込まれているらしい。おじさんは手で捕まっているだけ。
        


堀井三と工春雄の小作品展

2011-08-15 | イベント

 以前、モリアオガエルのオタマジャクシを放しにKuさん宅を訪ねた時、2人展の案内をいただいた。Kuさんこと、工(たくみ)春雄さんは「葛の会」に所属され、精力的に油絵を描いておられる。先日、広い敷地に建つアトリエも外から見せていただいた。ようこ姫さんの同級生である。 

 小杉の洋菓子店「ニューモンブラン」の中に小さなギャラリーと喫茶室があり、いつもそこでコーヒーとケーキをいただきながら絵を眺める。テーブルに何気なく飾られた黒い実。金糸梅の実かと思ったが違っていた。ママに聞くのを忘れたが何の実でしょう?
        

 いただいたケーキは、ラズベリーのタルト。
       

 さて、工さんの絵は、花の小品が多かった。薔薇以外はすべて自宅の庭の花だそうだ。あの広い庭なら何でも咲くのだろうなあと想像する。まず、紫陽花2点と豪華な椿。白の混じった淡いぼかしの色と、絵具の質感がいいな、といつも思います。  
     

   

   

 琵琶の実と葉っぱ。単純化(焦点化?)して。実も葉も色が鮮やかで厚みがある。
   

 家に、知り合いの人の描かれたバラを2点(別々の人の)持っているが、それぞれ味わい深い。トップの「赤いバラ」も、器やバックの色とよく調和している。   

 他に、夏の海、少女の絵。伏木の海と、絵画の会でのモデルさんだろうか?
            

   ニュー モンブラン 洋菓子店、喫茶室
  射水市(旧小杉)戸破 1658-3
  ℡ 0766-56-6347 
 

  期間: ’11 8/1 ~8/30 (定休日 水曜日)10:00 ~ 18:00

 工さんの絵だけ紹介したが、もちろん堀井三さんの絵もあります。どうぞお出かけ下さい。


JA高岡 アグリッチ佐野

2011-08-14 | 日記・つぶやき

 毎年8/13が、我が家のお寺のお盆のお参りの日。昨年から、JA佐野店でお花を買うことにした。

 前にも紹介したが、今年4月、”アグリッチ佐野店”としてリニューアルオープン、ときどき覗いているが、朝、切り花を買いに行くのは初めて。
 12日朝、8時半からだと思って出かけたら、お盆の間は切り花の直売は7時からだそうだ。駐車場係りの方が何人も出て、車の整理をしておられる。ほぼ満車状態だ。お花売り場はつき当たりの大きな倉庫の中。↓のようになっている。縦に4、5列ずらっと並び、真ん中には丸い桶にびっしりと花が入っている。
       
 

       

 一束300円と500円。市内の有名花店のような高価な洋花はないが、近隣の農家の畑で栽培された花たち、せいぜいで鉄砲ユリが混じっている程度。我が家の庭の細々としたカサブランカを添えて仏壇に供えた。

 トップは、いつものアグリッチ。ついでに何か野菜も、と覗いたのだが満員。レジには行列が続いている。この日は出かける予定だったので、野菜は諦めて帰宅。
 ここは開店早々から混んでいるのですね~。私がときどき昼頃に行くともう少なくなっているのは当然でした。


祝・新湊初戦突破

2011-08-13 | 富山

 8/9(火)夜、合唱練習の時「明日、新湊やね」との話題が出た。「え~ッ?明日映画の日やわ。試合何時から?」「3試合目だから午後の1番」
 映画は1度延期しているから変更したくない。上映時間は?と悩んでいると、当日朝、ようこ姫さんから電話があり、映画の前に小杉のギャラリーでKuさんの二人展を観ようとのお誘い。「それがネ、今日新湊やよ」と言うと、「新湊って何?」との返事。ああ、もう諦めて夜ハイライトを見よう。

 午前中、小杉で待ち合わせ、絵を見て、コーヒーを飲んで、ランチは道の駅「カモンパーク新湊」で白エビバーガーを食べることになった。カモンパークも白えびバーガーも初めてなので、すぐ乗った。 ↓は、カモンパークのHPです。http://www.shinminato.co.jp/

 入り口に、「新湊のさかな」と「しろえび」コーナー。大きな目玉のおさかなさんがゆうゆうと泳いでいる。
      

 ”テイクアウトコーナー”の真ん中に大きなテレビ。第二試合が延長しているらしい。白えびバーガー(300円)とお茶で待つ。
         

 カリカリの白えびのから揚げ入りの大きなバーガー。1個で満腹だ。ご当地新湊で、新湊の試合の応援ができるなんて幸せだ。
     

 いよいよ試合開始。対戦相手は強豪校、京都代表の龍谷大平安高校。
        

 残念ながらここでは2回裏までしか見られなかった。両校無得点。新湊の好守備が目立つ。諦めてイオンの映画に向かう。
 25年前の春の選抜でベスト4入りをし、「新湊旋風」と騒がれた。夏は12年ぶり5回目の出場だそうだ。

 10数年前、牧野中にいた頃担当した学年の野球部の生徒たちが何人も新高から甲子園に行っているのだ。そんな思い入れもあり、久しぶりの新高出場は嬉しい。
 映画を見た後、イオンの喫茶に入り、「試合結果どうやったかね~」と私。さっそくようこ姫さんが左のテーブルの男性二人連れに、「スミマセン、新湊、どうでした?」「新湊なら…」と方角を教えてくれるらしいジェスチャ。「ああ、いいです、野球ですよ。」すると、右隣りで静かに読書中の青年が顔を上げ、「勝ちましたよ、4対1。」「わぁ、ありがとう。よかったね~。」でした。

 その夜テレビで経過を見た。↓ 6回表、この後各チーム1点ずつ得点し同点。
      

  ↓ 8回表で新湊が2点追加。 
      

 ↓ 9回表、新湊4点目を入れる。
      

 試合終了。
      

 主将の袴谷くんの喜びの言葉。
      

 「ヨイヤサ ヨイヤサ」で盛り上げた青いハタキの応援団。3塁側が青一色だったそうだ。この大声援に相手チームはかなり圧倒されたことだろう。(トップ)
 この中に入ってとまでは思わないが、次の試合はリアルタイムで応援したいもの。15日、8時開始。東洋大姫路(兵庫代表)と対戦する。息子の帰省とにらみあわせてお盆の墓参りの時間をセットしよう。  


夏野菜~いろいろ試してみました

2011-08-11 | 食物

 上のソーメンカボチャをご存知だろうか。先日のようこ姫さんのブログにもアップされたが、私もお裾分けをいただいた。もう茹でてあるものをだ。この名前は、初めて聞いたし、また見たのも初めてだ。
 言われた通り、種を除いた後こわごわ割りばしでくじり出してみると、ソーメン状の瓜がどんどん出てくるのが何とも言えず面白い。もう十分楽しんだ、と言うわけにもいかない。いろいろなレシピを聞いたが、結局自分の知っているものになった(昔、母がカタウリの短冊切りで作ってくれたあんかけだ)。
           

 * ソーメンカボチャ: ジャガイモ、干しシイタケを醤油と砂糖で煮て、片栗粉でとろみを つける。カタウリの柔らかくとろっとした食感ではなく、ソーメンカボチャはしゃきしゃきしているが、美味しかった。酢物やサラダも夏らしくいいかもしれない。

 * 冷凍胡瓜:胡瓜をうすく切り冷凍する。ラップを何段にもして、小出しにして使えるように。
     

 必要な分だけタッパーに入れ、酢やあなんたんの醤油、らっきょう酢などにつける。凍ったのが融けると同時に味がしみる。色は黒っぽくなるがしゃきしゃき感は残り、グチャグチャにはならないので美味しく食べられます。(たくさん胡瓜をもらった時)

 上の二つは、ようこ姫さん伝授のものです。次は、新聞から。新聞にも、「夏野菜を蒸す」、「夏野菜を無駄なく使う保存法」などの記事が載る。

 * 塩ナス(塩をふる):ナスを1cm厚さの輪切りにし、ペーパータオルを敷いた容器に入れ、塩をまぶす。冷蔵庫で1週間ほど保存できる。ニンニクと炒めたり、カラシ和えにする。私は、ピーマン、玉ねぎと炒め、いただき物の味噌味で食べた。

 他に、塩胡瓜、酢ナス、酢油キャベツ、カブを丸ごと味噌に漬ける・・・など簡単にできるものが載っていた。
 昔は、母や近所や友人からの口伝えだった、保存料理が今は新聞記事になる。

 ここまででアップする予定で予約を入れた。午後出かける直前、玄関で「こんにちは~」と元気な声。いつも春先に利賀から野菜を売りに来られるおばさんだ。暑いのに手押し車を曳いて。籠にはきれいな茗荷とつる豆。1パック150円。先日の姫さんの茗荷採りのブログを思い出し、即買った。茗荷は使い残りを冷凍しよう。
                  


婚約発表です!

2011-08-10 | 日記・つぶやき

 昨年暮れ、突然イギリスの見知らぬ男性からクリスマスカードが届き驚いたのが始まりだった。しばらく帰国していない娘が心配で、渡英する予定にしていたが、その時お会いしたい、とカードにあり、自己紹介、家族紹介の文面が続いていた。
 4月、息子と二人でイギリス、ブリストルを訪ね、彼にあちこちを案内してもらった。9月に夫や義母の法事をするから、娘に帰るように言うと、彼も一緒に来ると言う。
 旅行から帰りしばらくすると、彼から、娘との結婚を許可してほしいとのカードが届き、娘のカードも添えてあった。
 7月に、二人で彼のお母さんの故郷、アイルランドを訪ねて大西洋の見える半島から婚約したとのカードが届いた。エンゲージリングももらったと。↓は、そのカード。
                

 次に、8/1付けの”タイムズ”に「婚約のお知らせ」を出したとの知らせ。↓は、その記事のコピーです。彼の名前は、マーク・セフトンと言います。

Engagement Announcement

MARK SEFTON & MACHIKO MIYAKOSHI
 
The engagement is announced between Mark, son of the late Peter and Eileen Sefton, of Tagoat, Co.Wexford, Eire, and Machiko, daughter of the late Mr Miyakoshi, and Ritsuko, Mrs Miyakoshi, of Takaoka, Toyama, Japan.

Published in The Times on August 1, 2011

  2、3日後に、ブリストルから我が家へ生花の花束が届いた。カサブランカや墨田の花火、バラ、カスミ草…。さっそく床の間に飾り、今はドライフラワーになっている。  
     

 9月の法事の後、富山”ララシャンス”で、内輪の親戚と友人を招き婚約披露のささやかな会を持つことにしている。何度かの打ち合わせには、娘と一緒に私が行かねばならず、てんてこ舞いの毎日を送っている。↓は、急に前撮りをすることになり、着物合わせに行った時のものです。