Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

前進座「五重塔」

2010-07-30 | 映画・テレビ・演劇・芸能
 7/29(木)、楽しみにしていた前進座の「五重塔」を観劇した。 かなり前に、中村梅の助の”のっそり十兵衛”で観た記憶があるので、記念誌を調べたら、21年前である。 文化ホールだったか、市民会館だったか。  
 今回は、嵐圭史の”のっそり十兵衛”に、藤川矢乃輔の”川越源太”である。 6月に、藤川矢乃輔さんのお話の会で、見どころや苦労話を聞いたので、ますます楽しみが増していた。
 
・原作/幸田露伴
 ・脚色/津上忠
 ・演出/鈴木龍男
 ・出演/嵐圭史、藤川矢之輔、他
 
  〈あらすじ〉 寛政年間のこと…明和の大火で焼失した谷中感応寺は、名うての棟梁、川越源太により本堂、書院とも見事に再建され、残る五重塔も源太に申し渡されていた。 源太が絵図面を持って、感応寺へ行くと、同じ頃、どうしても朗円上人に会いたい、と言う男がやって来た。
 源太の世話になっている、渡り大工の十兵衛だった。 腕はよいが、世渡り下手で”のっそり”と仇名される十兵衛は、夜通し寝ずに五重塔の雛形を作り、自分に造らせてほしいと、上人に訴える。 真柱(塔の中心の柱)を鎖で宙吊りにし、重心のバランスをとることにより、どんな大風、地震にも耐える、と言う新工夫に上人は目を見張る。

 「建てる塔はただ一つ。 この決着は二人の相談に任せよう。」と上人は、兄弟二人が譲り合い、助け合って川を渡る説話を語り、二人を諭す。 悩んだ末、源太が折れて、「自分が脇にまわるから二人でやろう」と申し入れるが、十兵衛はそれさえ断る。 結局、十兵衛を棟梁とし、源太は材木の手配や大工達の統率など陰で力を貸し、塔は完成。 ところが、落慶式の前日に嵐が塔を襲う・・・。 
 
 嵐の中、真柱の台座で出会う、源太と十兵衛。 両人とも懐には刀を隠している。 十兵衛にとっては、命がけの仕事だった。 翌日、晴れ渡った桜満開の日の落慶式で一同が喜びあうなか、上人が二人を呼び、「江都の住人十兵衛これを造り、川越源太これを成す」と墨も鮮やかに銘を記す。

 ここで幕が下りてカーテンコールとなる。
 藤川矢乃輔さんは、先日の穏やかな優しい顔とは大違い、男っ気のある気風のいい棟梁姿。 嵐圭史さんは、穴のあくほど見つめても(実際には、後ろの席で顔はよく見えなかった)、ご本人とは思えぬ変わりよう。 いかにも’のっそり’で野暮ったい。 ただ、一瞬、どうしても塔を建てたいと意地を見せる時だけは、違った。 
 私にとっては、嵐さんは、昨年は「親鸞」で、まだお若い時には、「子午線の祀り」の平知盛で、印象深い俳優さんだ。 姿、声、演技と3拍子そろった前進座の重鎮である。 

 舞台が美しいのは前進座の特徴だ。 完成間近の仕事場。 かんな削りも大工さんから習うとか。 薄い削りくずがひらひらと舞っていた。

                     

 さて、久しぶりに会った、同じサークルのNaさんが、終演後のロビーで、「幸田露伴の原作をもう1度読んでみたい。 前進座らしい筋が一本通っている(表現は違っていたかも)舞台だったね」と言われた。 とっさに意味が飲み込めず、トンチンカンナ応答をしたが、家に帰り気付いた。 落慶式で、皆が、喜びあうなか、十兵衛が言う。
 「こうやりてえ、こうすればできるんだと、ひとりでじたばたしても、決してできるもんじゃねえ。 こう言う仕事は、みんなの力が合わさって、はじめてし遂げられるんだと言うことが、わかってまいりました。」 

 ”十兵衛の塔造りにかける情熱と斬新なアイディア、周りの人たちのチームワークに気配りする源太の陰のリーダーシップ、それに共感して手足となって働く人々がいて見事な塔が建つ。”と、どこかの演劇鑑賞会の人がNHKの「プロジェクトX」のようだ、と感想を述べておられたが、その通りだと思った。

♪雨よふれ♪

2010-07-29 | 音楽
 毎日暑い。 晴れマークが何日続いているのだろう。 昨日、名古屋の友人から暑中見舞いのはがきが届いた。 金魚鉢の図柄に達筆なペン字で。
 「連日の猛暑に、畑に行くのもままならず、一日中クーラーの部屋で夏籠り(?)をしております」とある。
 
 今朝は、神戸の友人からPCに暑中見舞いが届いた。 
 「夏本番ですね。…暑いときの 外仕事はつらいので、夕方の 蚊が多い時に外仕事をやっています。つくづく、こんなに広い土地は いらないと、思います。(自然に囲まれた生活は ありがたいとも 思うのですが)」と書いてあった。

 私も、日中は自然の風で、と、狭い家ながら少しでも涼しい場所を求めて部屋を移動して過ごしているが、昨日、今日はとうとうエアコンを使った。 暑くて草むしりにも出られず、暇なので千葉の友人にケータイメールをした。 彼女は、扇風機が壊れ買い換えたので、配達を待っているとのこと。 エアコンの弱い風と扇風機の弱い風を併用するそうだ。 

 日本中が暑い。 夕方、遠くで雷が鳴り、パラパラと雨音がして、何日ぶりかの雨になり嬉しかった。 思わず、先日のMiTUコンサートで歌った♪雨よふれ♪を思い出した。 アカペラで音がとりにくく苦労した曲だ。 が、林望さんの詩が面白い。


♪ 雨よふれ ♪

 雨よふれ 田畑に               雨よふれ のどかに
 屋根に 木々に                糸のように           
 煙る野原に 花の丘に            草の緑に珠を置いて

 蛙は歌う ケロッ ケロッ ケロッ
 池の水面に ぽちゃ ぽちゃ ぽちゃ
 夕立来るぞ ざざ ざざ ざざ
 みんなかくれろ

 雨よふれ 愉快に               ぱらぱら しとしと
 声を 立てて                  ざざざざ ぴちゃぴちゃ
 ささやくように 笑うように           雨音 いいな

 しとしとしとしと しとしとしとと 梅雨の雨
 さわさわさわさわ さわさわさわわ 小糠雨
 ぽつぽつぽつぽつ ぽつぽつぽぽぽ にわか雨
 ざんざざざざんざ ざざんざざざざ 通り雨

 遠くの空からカミナリ来るぞ
 ごろごろ ピカピカ 光ってきたぞ
 雨雲むらむら 降り出すぞ
 ほら 裏山カラスも鳴きやんだ
 あたりは真っ暗 雨風吹くぞ 雨宿り

 濡れるぞ急いで 隠れろ逃げろ
 土砂降り止んだら 走って帰ろ
 もうすぐ晴れるぞ 夕焼けだ
 それ 竹やぶ雀も鳴きだした
 黒雲晴れ間に お日さま出たぞ 雨上がり

 雨よふれ 日照りに              雨よふれ いますぐ
 燃える 午後に                 ただひととき
 割れた大地に 水を注げ           夕べさやかに やがて上がれ

 ほら土砂降りだ ざざん ざざん ざざん
 すこしやんだよ ささ ささ ささ
 もうすぐ上がる ぱらぱらぱら
 空は明るむ

 雨よふれ 野にふれ
 いまだけふれ
 濡れた尾花を 風よ揺らせ
 ささささ ぱらぱら
 しぶしぶ さわさわ
 夕焼け 出たよ

 
 ぱらぱら、しとしと、などの擬声語の連続が面白く、雨の降る様子が目に見えるようだ。だが、歌詞がよく似ていて間違いやすく、同じページに何度も戻る、歌い手泣かせの楽譜だった。
 熱中症で死亡する人が多いと聞く。 水分補給を怠りなく、と言われる。 生協で「立山のおいしい水」を買い、ルイポス茶も沸かし冷やしている。 先日は、Anさんからお手製の濃縮紫蘇ジュースをいただいた。 そろそろなくなる頃、今度はじょうはな座で会った演劇鑑賞会のSaさんからも紫蘇ジュースをいただいた。 ありがたいことだ。
 これらを飲んで、この猛暑を乗り切らねば!

「観能の夕べ・鵜飼」~笛吹川の鵜飼

2010-07-28 | 能楽

 もともと「能」に興味があったわけではない。 歌舞伎はたまに観るが、能はサッパリだった。 どちらかと言えば、ミュージカル派だった(オペラもどうも、で)。
 リタイア後、打楽器が面白そう、と能楽の太鼓を習い始め、同時に謡も習い、能を観る機会も増え、観るにつれて面白くなった。 食わず嫌い、とはよく言ったものだ。 

 今年は、特に多くなりそう、と前にも書いたが、6月に、富山で「三山」と「鵜飼」、7月に、金沢で「金札」と「蝉丸」、ウイングウイングで「盛久」、そして先日、再度「鵜飼」を観た。

 7/24(土)、能楽美術館を出たのは4時過ぎ。 この辺は食べ物屋さんが少ないが、裏通りにはないか、と探す。 上品なおじいさんが、近くの者だと(能の間狂言みたいだが)案内してくださるが、あいにく休み。 他にもいくつかあるが休み。 結局、軽食喫茶に入り、ピザのサンドと紅茶で夕食をすませた。 

 さて、「鵜飼」である。 前回は、あらすじを知っていてもよくわからなかったので、謡の本を買い、ネットでも少し調べて行った。
 これは、長良川の鵜飼ではなく、甲斐の国(山梨県)、石和(いさわ)川(今は笛吹川)の「徒歩鵜(かちう)」のことと言う(トップ写真は、その見物風景)。

 〈あらすじ〉 安房の国(千葉県)の行脚僧(日蓮らしい)が、連れの僧と石和に着き、宿を借りようとしますが、禁制で借りられず御堂に泊まります。 そこへ、松明をかざす年老いた鵜使い(前シテ)が登場。 自分は殺生禁断の場所で鵜を使い、見つかり、簀巻きにして川底へ沈められた、と告白し、懺悔します。

 鵜使いは僧の勧めで、懺悔のため鵜使いの業を披露(「鵜の段」として有名)。 連れの僧は、以前この鵜使いに接待を受けた、と語り、〈中入り〉後、二人の僧は、川の小石一つ一つに法華経の経文を書き、波間に沈めて弔いをします。 そこへ、地獄の閻魔王(後シテ・前シテと同じ人が演ずる)が赤頭(あかがしら)をつけて登場し、僧を接待した功徳と法華経の助けにより、罪深い鵜使いを極楽へ送る、と告げて舞を舞います。

 
能は、常に撮影禁止なので、ネットでも滅多に写真は載らないが、喜多流の栗谷明生氏の「鵜飼」がスライドショーでアップされ、演能についての感想が載っていて興味深かった。(http://www.digibook.net/d/32d5ab5ba118be5528fc72c002a0a256/?viewerMode=fullWindow) 石和の徒歩鵜では、鵜舟を使わないはずだが、謡本には鵜舟とあるので、舞の所作に疑問を感じながら、舞った、とある。 右手でかがり火、左手の扇で鵜のようす、魚の動きを表すそうだ。 「鵜の段」では、闇夜に松明を振り、鵜を操って思うさま魚を獲る面白さと、月の出を悲しみ、暗黒の冥途に帰る寂しいさまを舞うそうだ。

 なお、石和の歩道には、下のような「徒歩鵜」のさまが埋め込まれているとのこと。

     

 お役は、シテ:高橋 右任、 ワキ:平木 豊男、 ワキツレ:北島 公之
      間:炭 光太郎  の皆さんでした。
 太鼓が、初めて見る型で珍しかった。 次回のお稽古日に、先生にお聞きしよう。


みんなで歌いまショー・2

2010-07-27 | 合唱

 時々紹介する、高岡市民会館ホールサポーターの会「パープル」の”みんなで歌いまショー・2”が開かれた。 128回目。 ”みんなで歌いまショー”は2回目だそうだ。
 市民会館ロビーを開放して、市民の皆さんに楽しい時間を過ごしてもらおうと、発足したボランティアグループ「パープル」の企画である。 生バンドに合わせて合唱しよう、と言うわけだ。 その生バンドが、パープルのメンバーの編成と聞き、驚いた。
 ピアノ、フルート、アコーディオン、三味線、大正琴、たぶんエレキギターもあったのでは? なんと芸達者なメンバーだこと。 鍋谷会長の挨拶も慣れたもの。 

 7/25(日)午後、150名の参加だそうだ。 でも前回は階段席も一杯だったそうで、今日は、熱中症を心配して出かけるのを止めた人もあったのでは?と言うことだった。 七夕飾りが何本も作られ、賑やかな会場づくり。 歌集には21曲の歌詞が書かれ、全曲歌ったから、皆さん元気だ。 

   

 曲によっては、手拍子、二人組で向き合って手を合わせる、突然2階からハンドベル、というように工夫されている。 小豆の入ったお手製のマラカスをたくさん配り、皆で合奏する。
          
 
           

 進行の方、指揮者(何人かで交代)の方、とても上手だ。 下は、MiTuアルトのメンバーでもある、Fuさん。 
         

  私達の目の前に年配の女性とお孫さんのようなカップルが歌っておられ、若い方がよく世話をしておられた。 年配の女性は、ちょっと外れた音だが大きな声でしっかり歌っておられる。 帰る時、気付いたのだが、どこかのホームから、7、8名、職員の人達と一緒に参加されたらしい。

 この会は、高岡市の音楽活動としてすっかり定着したな~と改めて実感した。

 この日、歌った歌:
 青い山脈、バラが咲いた、浜辺の歌、うみ、椰子の実、アルプス1万尺、静かな湖畔、ドレミの歌、森へ行きましょう、夏の思い出。
                    〈休憩〉
 知床旅情、川の流れのように、瀬戸の花嫁、人生いろいろ、真っ赤な太陽、手のひらを太陽に、明日があるさ、上を向いて歩こう、こきりこ節、七夕さま、今日の日はさようなら。

 以上でした。


「鏡花と能楽」~「歌行燈」100年記念~

2010-07-26 | 能楽
 石川県立能楽堂で、毎夏7,8月の土曜日に「観能の夕べ」が開かれる。 狂言が1番、能が1番だけでチケットは1,000円とお安い。 かと言って、金沢までなかなか行けず、せいぜいで年1度である。
 今年は、7/24(土)の「棒縛り」と「鵜飼」に決めた。 と言うのは、昼間、「能楽美術館」で、泉鏡花の「歌行燈」の講座があり、同時に、その小説に関連のある能「海人」の仕舞があるとチラシ(トップ写真)にあったからだ。 Kaさん、Saさん、Anさんと4人でJRで行くことにする。

 この日も暑かった。 出かける前に、遅まきながら今満開の我が家の玄関のカサブランカと、隣の七夕をパチリ。
                  

 このようなメンバーで金沢へ能を見に行くのは、もう何度目か。 大門から乗る方に席をとっておいてもらい、4人がけするので話がはずむ。 金沢止まりなのが幸いで、そうでもないと話に夢中で乗り越すかもしれない。 広阪までシャトルバス(100円)。 能楽美術館はシニア割引で200円。 3階の研修室はもう満員。 ここで子どもたちの能楽教室も開かれるらしい。
 
            

                         
                                               
 泉鏡花は、明治から昭和にかけての小説家で、金沢の出身。 「婦系図」や「高野聖」の名前しか知らなかったが、数年前、ウイングウイングの講座で、米田憲三先生の「高岡が舞台の文学」 で「義血侠血」を読んだ。 片原町に碑がある「滝の白糸」の話だ。 その後、いくつか短編を読む中で、「歌行燈」が強く印象に残った。
 その「歌行燈」の発表から今年が100年目だそうだ。 この小説は、お伊勢参りの起点である、三重県桑名が舞台。 話が入り組み、ちょっとわかりにくく、ミステリアス、まして文語体で引用も多く、華麗な文体だ。 私もそうだったが、今度読んだSaさんは2度読んだがはっきりしない所があったそうだ。 だが、大変魅力的な話で、何度も映画化されている。

 〈あらすじ〉 恩地喜多八は能のシテ方宗家の甥であったが、謡師匠宗山と腕比べを行い自殺に追い込んだために伯父に勘当される。 宗山には娘お三重がいたが、親の死により芸者となっていた。 肺を病み門付けをしてい喜多八は偶々お三重と会うが、お三重が三味線も歌もできない無芸の芸者で笑い物になっていると知り、二度と能をしないとの禁令を破って舞と謡を教える。 
 偶然、桑名で喜多八の伯父がお三重の舞を見て驚く。 それは
『海人』の「玉の段」だったが、伯父の源三郎は、思わず『教えも教えた、さて、習いも習うたの。』と呟く。 勘当した甥の手を、そこに見たからだ。 深夜に響くと謡、舞と海音の描写で話は終わる。

 クライマックスの「仕舞の場面で、話はお仕舞になる」と、講師の先生が笑わせておられたが、この「玉の段」(海人)が、壮絶な場面なのだ。 

 藤原淡海との間に生まれた我が子、藤原房前(子方)を世継ぎにするため、母親である海女が海に潜り、竜宮から宝珠を奪還する。 宝珠を取り戻した後、追手を振り切るために自分の乳の下を掻き切って珠を押しこめ、持ち帰り息絶える、と言う場面の舞だ。

 上の写真の鏡板の前で、松田若子さんの舞、渡邊茂人さんの謡で演じられた。 剣で乳の下を掻き切る場面も、とてもリアルな所作で驚いた。 2年前、能「海人」を、松田若子さんのシテ(海人)と小学生の息子さんの子方(房前)で、演じられたのを懐かしく思い出した。 母子の対面を能の単純なしぐさで表すと、なおさら切なく感じられた。

 講座の中で面白かったこと:
   * 女性の仕舞はいつ頃からあったか?
   * 歌も踊りもできない無芸の芸者が、3日間で仕舞を覚えられるか?
   * 登場する能楽師達のモデルは?
   * 当時、能楽界の破門事件について             等々である。 
            
           

 鏡花の母方が能楽師の家であり、祖父、伯父、従兄が能楽師であるため、「能楽もの」と言われる作品が16もあるそうだ。 その中には、「金沢もの」と言われる作品もいくつかあるようだ。 機会があれば読んでみたい。

「夏の雲は忘れない」~じょうはな座

2010-07-23 | 映画・テレビ・演劇・芸能
 5月、城端の春の曳山祭りに行った時、「じょうはな座」に寄った。 元・城端町役場(私の子どもの頃は小学校)の前広場に、5年前この劇場が建ったのだ。 
 その時、受付に、トップ写真のチラシが置いてあり、数枚もらって来た。 以前は音訳ボランティアをしておられた案山子さんと、お芝居の好きなYaさんを誘い、じょうはな座に電話し、チケットを求めた。

 26年前、「地人会」が「この子たちの夏」と言う朗読劇を始め、広島と長崎の原爆の悲惨さを女優達の朗読で伝える活動が、全国各地を巡回した。 必ず、その地の子どもや若者達と一緒に朗読する。 何年か前、富山か高岡で見た記憶がある。 富山女子高の生徒たちが参加していた。
 3年前に「地人会」が解散したため、女優さん達16名が、自分たちだけで新たに「夏の会」を結成し、舞台制作の仕事に取り組み始めた。 「被爆で親や家族を失った子どもたちの手記を中心に台本を作り直し、『夏の雲は忘れない』として再スタートし、上演交渉、チラシ作り、弁当の確保、マスコミ対応、あらゆることを自分たちの手でやることになった」と、渡辺美佐子さんが新聞紙上で語っておられる。 

 富山県内での公演は、富山市、城端町、大沢野町の3会場である。 7/21(水)夕方、高岡を出発、年に何度も行く城端なのに、運転しながらお喋りに夢中になり、何度も道を間違える始末。
 「じょうはな座」のすぐ近くの食堂へ食事に入ると、高岡演劇鑑賞会の会長さんや事務局の方達、砺波の音訳ボランティアの方達など顔見知りの人々と出会う。 南砺市だけでなく、県内各地から観客が集まっているようだ。 
                     開演前の「じょうはな座」

                   

                          開演前の舞台上のスクリーン
                 

                 舞台のようす(南砺市のHPから)・・当日の舞台ではない。
                 

 この日の出演者は、大森暁美、寺田路恵、中村たつ、山口果林、山田昌、渡辺美佐子のみなさん。  
 地元から、南砺福野高校の男女の高校生6人が加わった。 たくさんの子どもたちの手記や詩の他に、栗原貞子さんの「生ましめんかな」、峠三吉さんの詩、童話「一本のくすの木」、ナジム・ヒクメットの詩「ヒロシマで死んだ女の子」なども読まれた。

 印象に残ったのは、元アメリカ従軍カメラマンのジョー・オダネル著「トランクの中の日本」。 彼は、原爆投下後の広島の街を歩きまわり、その惨状をくまなく撮ったそうだ。 その後、この戦争、自分の撮った写真に疑問を覚え、ネガをトランクの中に仕舞ったまま見ないでおこうと決心した。 ある日、思い直してトランクを開け、ネガを焼いて、自分の撮った写真に衝撃を受ける。

 「焼き場の少年」と題した写真。 痩せた少年の背なかにはぐったりとした弟がくくりつけられていた。 そして、”
少年は 気をつけの姿勢で じっと前を見続けた”。 写真は、ここには載せないが、写真は言葉に表さない少年の気持ちをすべて語っており、涙を誘った。

 終演後、ロビーで交流会が開かれ、高校生や、観客からの感想が次々発表されていた。 
「あの夏を語り継ぎ、伝え続けてほしい。」  この会では、交流会がとても大切なのだ。 下は交流会のようすです。 立って話しているのは、山口果林さん。 高校生の前の白髪のお二人は、中村たつさんと山田昌さん。


           

 今日も、暑い日だ。 青い空に白い雲が浮かんでいる。 夏の雲は忘れない。 8月になると、富山大空襲、広島、長崎と慰霊の日が続きます。

MiTU・第5回コンサート終わる

2010-07-22 | 合唱
 猛暑の真っ最中、MiTUコンサートは無事終了。 仕上がりについては、残念なことが多々あるものの、安堵の気持ちと高揚感で打ち上げパーティは盛り上がった。 
 翌日からもう次のミサ曲の練習が始まり、コンサートのCDも作成され、希望者に配布されると言う手回しのよさ。 事務局長さんに脱帽である。 

 「合唱団MiTU」が結成されたのは6年前、毎年定期演奏会を開いており、今年は5回目となる。 高岡の混声合唱団では、人数では最強だ。 団員47名。 特に男声の15名は、人数も歌声も誇れる。
 今年は、演奏会が7月にずれ込み、練習期間もいつもよりは長かった。 前回も書いたが、パレストリーナはアカペラで、パートが追っかけっこをする曲、音程と拍をとるのが難しく、最後まで手こずった。 リハーサルでまだ合わず落ち込んだ。 アルトが、前々日にパート練習したのもそのためである。 練習するにつれ、今まで自信のなかった人も大きな声が出るようになり、なお合わなくなるのでは?と言うのが私の勝手な推測である。
           
 
 今年嬉しかったことをいくつか・・・。

 私個人の試みとしては、今年はメガネなしで歌い通した。 いつもはミサ曲は歌詞も♪も小さいので老眼鏡をかける。 以前、Saさんに「みんなメガネをかけるからあの曲が難しいとわかる。」と言われた。 楽譜にしがみついていると言う証拠だ。
 きっかけは、伊豆旅行の後メガネを紛失したこと。 新調しないうちにだんだん暗記できた。 かなり顔を上げて歌ったつもり(写真を見るとそうでもなくガッカリだが)。

 発足当初から一緒に通っているTeさんは難病をかかえておられる。 第1回の時は横に椅子を用意するほどだった。 昨年は止めようかと言って、客席側に回られた。 その後リハビリに励まれ、今年は元気そのもの、共通の友人たちが「Teさん、元気になられたね~」と感心していた。
 昨年入られたTaさん、昨年は都合で出演できなかった。 今年は出たいと、「歌は得意でない」と言いつつ、熱心に練習に参加され、打ち上げで初参加の一言、一緒に歌えて嬉しそうだった。
 ミサ曲のソロを務めたFuくん。 最年少の団員だ。 さぞ緊張されただろう。 先生が本番直前まで指導され、無事責任を果たされた。 私達も、万一彼の音がずれても自分たちの音を保てるように頑張った。 打ち上げで「良い経験をさせてもらいました」と、やはり嬉しそうだった。 

 特に嬉しかったこと。 ピアニストの般若葉月さん、昨年の演奏会の後結婚され、9月に出産の予定である。 もしかして、演奏会の頃体調を崩したら、と代役を立てる話もあったようだ。 でも、当日までの練習時間延長にも最後まで付き合ってくださり、あの「3つの民謡」の美しい伴奏を弾き切ってくださった。 9月、10月はお休みされる。
 打ち上げでは、ソプラノの方が、無事に出産されることを願い、「濱千鳥」の歌を贈られ全員で心を込めて合唱。

                

 暑い中を、たくさんの方達に聴きに来ていただきありがとうございました。 せめて一杯の冷茶をと言う案が出たのに対応が遅れ、果たせませんでした。 あしからず。

 毎年、欠かさず聴いてくださる方々からは、「年々上手くなってるよ」、「昨年よりうんと上手だったよ」と。
 合唱愛好者の方からは「1年間であれだけの曲を14曲も練習するとは大した努力」、女声合唱をしている方からは「混声合唱の迫力はすごい」「男声が素晴らしかった」、城端で歌っている友人からも「羨ましいわ~」と。
 いつものお茶仲間、ボランティア仲間、の他に、今年は「いわせのコーラス」からもピアノのSa先生をはじめ何人かに来ていただき嬉しかった。
 
 音楽専攻の団員は数人、他は、ただ歌が好き、学校で合唱をやったくらいのおじ(い)ちゃん、おば(あ)ちゃんの集まり。 代表のSaさんの挨拶通り「若い人もたくさん(イヤ、少し)おられます」で、森川先生の言われることも飲み込めず、またすぐ忘れ、申し訳なく思っている。
 感動的だった「富山に伝わる3つの民謡」は、岩河三郎さんの作曲の素晴らしさだろう。 歌いこむうちに歌っている者が感動し、それが聴く人にも伝わるのだろう。 私個人としては、小さい頃から聴いている「むぎや」に一番思い入れがあり、思い切り歌った。

定置網 網元の濱元家

2010-07-19 | 自然・海山草花
 17日(土)に会食した「ラ・セリオール」のオーナーの濱元さんは定置網の網元。 奥さんがチェロを演奏されるそうで、私達の音訳グループ「あかね」のKaさんのピアノともう一人ヴァイオリンの方と3人で時々合奏を楽しんでおられるようだ。 おかげで今日の研修会が開かれた。 ラ・セリオールから500mほど離れた家が濱元家。 そこでも、「和食処」’網元の家でランチ’として和定食を出しておられる。  

 玄関を入ると、上がり框に定置網の模型が置いてある(トップ写真)。 そこで、ご主人の濱元さんから、じっくりと、鰤が獲れるまでの仕組みを聞いた。 
 以前NHKTVでも紹介されたが、 魚がエサを求めて、あるいは産卵のために毎年、どの時季に、どの場所を選んで泳いでくるのか、魚の習性を知り、潮の流れを読んで網を仕掛けて待つ、受け身の漁だそうだ。 氷見では、江戸時代以前からこの方法で漁をしていた。

 網の構造: 魚群の移動をさえぎって誘導する垣網と、その魚群が入る身網(袋網)から成る。つまり、いかに魚が入りやすく、出にくくするかがこの漁の基本だそうだ。 


 
・垣網/魚を囲い網に誘導します。
 2・角戸網/魚が最初に入りこむところで、回遊する溜り場、すなわち運動場。
 3・登り網/一旦身網へ導かれた魚が、容易に網外へ出ないための網。
 4・身網/魚をとり上げる網。

 身ぶり手ぶりで面白く話してくださり、ついつい質問が飛び出す。 その後、明治時代の造りの家の中を見学。 まず、全部の障子戸、板戸が簾戸に入れ替えてあることに驚かされる。 6月に近所の人たちに手伝ってもらい、一斉に入れ替えるそうだ。 とても涼しげだ。 

                 

 座敷の欄間は彫刻と絹絵の「鰤」。 愛嬌のある顔がかわいい。

                            

 広い庭もよく手入れされ、杉苔、銀杯草が美しい。 居間のボタンを押すと、泉水に滝の水が流れ出すのにびっくり。
                            


 他にも、濱元家伝来の品々を紹介してもらう。 最後に富山県の漁業について、タイやマレーシアへ定置網法教えに行っていること、漁師さんは約60名働いており、平均年齢が40歳代など、以前とれたミンククジラのことなど、話は尽きない。 旭山動物園の園長さんが訪ねて来られ、意気投合したそうだ。 美味しいランチを食べ、学習もして大変良い研修会だった。

 この日は、夜、平米公民館で、アルトのパート練習をした。 さあ、いよいよコンサートだ。

ひみ〈海と湯と宿〉 La Seriole ラ・セリオール

2010-07-18 | 食物
 17(土)は、音訳ボランティア「あかね」の会食と研修の日。 梅雨明けの暑い一日だった。 メンバー10名全員が参加できる日が、この日だった。 場所は、氷見市泊、「ラ・セリオール」、姿の「ひみのはな」へ行く時は必ず前を通るが入ったことのない宿だ。

 氷見市には、ホテルや民宿がたくさんあり、海を見ながらの温泉と海の幸の料理で人気だ。 中には、こんな横文字の宿もある。 このフランス語は「鰤」のこと。 英語だと”yellow tail"でしっくり来ないのでフランス語にした、とオーナーの言葉。

   

              

           

 ランチは800円から。 この日は、2,000円の料理。 トビウオの昆布〆、トビウオのマリネ、蕪とイカの煮つけ、エビフライ、揚げだし豆腐など。

 海は静かだが、立山連峰は見えない。 薄青く見える建物が蜃気楼じゃないかと、チョッとした騒ぎになり、尋ねたら新湊方面の煙突とのこと。 ここからは蜃気楼は見えないはず。 近くには二上山も見えた。 食事後、近くの網元さんの家を訪ね、定置網の話を聞く。 また次回に。

♪ありがとう♪ 〈ゲゲゲの女房・主題歌〉

2010-07-16 | 映画・テレビ・演劇・芸能

 先日のルビーの会の時だ。  7人のメンバーが向き合って座るので、こちらでは能の話、あちらでは料理の話と、話題がわかれることもある。 どうかすると、対角線同士が話すので、真ん中で話が交差ししたりしてこの上なく賑やか(いつものことだが)。 参院選の翌日だったにも係わらず、政治の話が一切出なかったのは、さすがお茶の作法をわきまえた人ばかりだ。

 朝ドラの「ゲゲゲの女房」の話が出て、ゲタ姫さんが「あの歌もいいね~」と言われる。 途端に、「でもあの歌詞、聞き取りにくいね~」と言ったら、Kaさんも「そう、そう」と言われる。
 最近、気になりだして、毎日耳を澄ますが、どうしても最初の部分が聞きとれないのだ。 皆さんはどうですか。 ♪ ありがとう。 手伝いたくって、あなたを見つめるけど ♪ と聞こえるが、少し変な感じ。 さらに、
 ♪ 貧しい朝に ♪ 耳を澄ませてもこう聞こえる。 ♪ 貧しい餌に ♪ と聞こえたりもする。 まさか !!
 
 ♪ 苦笑いして ♪ は、ようやく聞き取れた。 そのうち、画面に字幕が出るかな、と思ったが、ネットで調べたらわかった。

 『ありがとう』   いきものがかり〈作詞・作曲 水野良樹(いきものがかり・リーダー)〉

  「ありがとう」って伝えたくて
  まぶしい朝に苦笑いしてさ あなたが窓を開ける
    舞い込んだ未来が 始まりを教えて
    いま 輝いているんだ

   「ありがとう」って伝えたくて あなたを見つめるけど
   信じたこの道を確かめていくのに
   いま ゆっくりと歩いて行こう

 元の詩は、もっと長く、内容の深い、いい詩だ。 下のURLで、ご覧ください。
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND92968/index.html

 曲は、Youtubeで聞けます。
http://www.youtube.com/watch?v=_QbS-cHLDdk

 私の子どもの頃は、紙芝居、貸本屋の時代だ。 貸本屋は小中学校時代まであり、「少女の友」や「平凡」などの雑誌や少女小説などを借りた。 漫画もあったと思う。 みち子さんのようなおばさんがおられた。 そのうち閉店となり、町で止めるように言われた、などと聞いた記憶がある。 全国的な風潮だったのだろうか。

 昭和40年代は、子育ての頃。 夫が、赤塚不二夫の「天才バカボン」や、水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」が好きで、息子と一緒にテレビを見て笑っていたものだ。

      
                      
 ♪ ゲッ ゲッ ゲゲゲのゲ ♪ は、水木氏自身の作詞で、いずみたくの作曲、熊倉一雄が歌っている。 
 ♪ 楽しいな 楽しいな お化けにゃ 学校も 試験も なんにもない ♪
 ♪ みんなで 歌おう ゲゲゲのゲ ♪ 

 ♪ これでいいのだ これでいいのだ ボンボン バカボン バカボンボン 
   天才一家だ バカボンボン ♪ 

 両方ともテーマソングは覚えているが、夕食準備の時間帯でもあり、アニメはほとんど見ていない。
ただ、水木氏の少年時代を、彼のエッセーを元にして描いた、子ども向けTVドラマ「のんのんばあとオレ」を見てから、少しずつ水木ワールドのファンになり、いつか境港(昔、隠岐の島へ行った時立ち寄ったが)を訪ねたいと思っている。

 「ゲゲゲの女房」、この後どんな展開になるのだろう?


ルビーの会とオマケの誕生会

2010-07-14 | 食物
 前にも書いたが、遠方の同級生がブログを読んで、「毎日楽しそう、美味しい物食べて・・・」と感想を言われる。 そんなことしか書いていないからで、先日の税金騒ぎは大変だったのだ。 5日間連絡の取れなかった息子に、電話口で大声を出してしまった。 彼は、目下会社の移転中。 自社ビルから貸しビルへ移るそうで、てんてこ舞いのようす。 おまけに、上海万博の出張まで押しつけられた、と不満タラタラ。 今日、出発したはずだ。

 7月は、「ルビーの会」(お茶教室の自称7月生まれの会)の誕生会とオマケの誕生会が続き、梅雨のジメジメ気分もお金の要るイライラも吹き飛ばしてくれている。 ランチは安上がりで手軽だ。 が、飲めないのが玉にきず。

 12日(月)は小杉「わはく」で「ルビーの会」。 会席料理、2100円。 夏らしい季節料理だったが、お喋りに夢中でロクな写真が撮れなかった。 恥ずかしいが載せます。 今、NHK教育TVで”デジカメでブログ用写真を撮ろう”講座をやっているのを、昨夜初めて見た。 真面目に見てもっと上手くならないと! 姫ちゃんの写真との差に唖然とする。

 左から、前菜、 すだれを開けたところ、 右端は、揚げ茄子を生ハムで包んだ料理。 それぞれ、夏らしい器、飾りつけになっている。
              
 
 左から、冬瓜とエビの煮物、 お造り、 赤魚の揚げだし。
               

 これにお澄まし、漬物、ご飯、デザートです。

 翌々日の14日(水)、高岡市上北島の「迎賓館ヴィクトリア」へ。 ブログの”My Birthday”を読んだSaさんからお誘いがあり、誕生会は何度でも、と案山子さんと3人で、今度は洋食ランチを。 ここは結婚式場なので土日は貸切が多く、事前に電話をするといい(平日はほぼ空いている)。
 正面には、セント・マリー教会の十字架が見える。 10数年前、この目立つ建物が建った頃、何だろう?と思いながら前を通ったものだ。 中庭、前庭の緑の木々、花壇がよく手入れされており、美しい。 この日は、5グループほどの客だったが、店内はとても広く、静かで、ゆっくりと話ができる。 

              

 ランチは、前菜、スープ、メインディッシュ(肉か魚)、パン、デザート、飲み物で2,000円。 パン、デザート、飲み物はお代わりができます。 (この他に、カボチャの冷スープ)
 
         

 8/9~8/30まで、ヴィクトリアグループ50周年記念の特別特典があるそうだ。 5名以上のグループ、または50歳以上のお客(充分資格あり)は、すべてのランチコースが半額。 スペシャルランチ:3500円が1,750円、 ステーキランチ:3,000円が1,500円、上の写真のヴィクトリアランチ:2,000円が1,000円となります。

 食べ物の写真ばかりで、恐縮です。 帰りに、向かいの文苑堂に寄り、謡の本のコーナーを見学。 うんと奥の隅にあった。 昨年、金沢・うつのみや書店のそのコーナーは覗いたら、アイウエオ順に立ててあったが、文苑堂ではケースに入っていた(トップ写真)。 
 お稽古以外で本がほしい時は、自分で買えると言うことだ(そんなことは滅多にないだろうが)。

「みゃあらくもん玉手箱」(高岡駅前・七本杉)

2010-07-13 | イベント
 茶々姫先生のお茶教室に、7月生まれが、先生を含め4人いる。 それで7月には、その他の月に生まれた人も(つまり全員)お互いに誕生日を祝い合おうと、自分達で誕生会を開くのが年中行事になった。
 今年は、小杉の「わはく」で。 新年会もここだったのでお馴染みの場所だ。 7人集まり、会席料理をワイワイと賑やかにいただいた。(季節の料理の写真を撮ったが次回に)

 その後、4人で洋装店へ寄り、最後に高岡駅前のギャラリー「七本杉」へ行った。 先週の「日韓併合の記念写真展」の時、Aさんが今週の「みゃあらくもん玉手箱・2」の案内をもらって来たそうだ。 「わはく」でのランチの席で、案内はがきを見て驚いた。 知っている名前が何人もある(トップ写真)。
 主催者の、酒肆(しゅし)「真酒亭(まさけてい)」(富山市桜町)亭主村田さんは、大昔の知人、と言うか、彼が坊主頭のカワイイ中学生の頃に出会った人で、再会が楽しみだった。 私が高岡へ来て、間もない頃だ。 とてもユニークな印象深い少年だった。 その後、ときどき新聞で名前を見かけ、「やっぱり面白いことを始めているのだな」と、思い出していた。

 脱サラして、今は、富山で居酒屋を経営し、そこへ集う個性豊かなクリエイター達のグループ展を開いたのが、この「玉手箱」だと言う。 自分自身も、友人の画家達と絵本や童話を書き出版しているそうだ。 「イワナの銀平海へ行く」と言う絵本に記憶のある方もおられよう。
 
 「みゃあらくもん」と言うのは、富山弁です。「身が楽者」が変化した言葉で、仕事には精を出さず、自らの楽しみにうつつをぬかす人を指して言います。軽蔑の言葉ですが、その奥底には、そんな人をうらやむ心もひそんでいます。
  http://www1.odn.ne.jp/masaketei/sake.htm

 と、「真酒亭」のHPに書いてあるが、オリジナル銘酒の名前でもあり、。「富山錦」という米を、3反だけ栽培し、富山市岩瀬の「桝田酒造」にて醸造した、大吟醸造りの純米酒だそうだ。 720mlで2,200円。
                       

 さて、展示品は、酒器、焼物、木工、金工、漆工、ガラス、とんぼ玉、布芸、木版画、イラスト、写真、木彫り・・・等々、多種多様と言うか、多士済済の皆さんである。 蜻蛉玉小暮工房の先生も。 一緒に行った人たちの知り合いの方も。 ご夫婦も何組か。

   左:布のコースターとテーブルセンター、 中央:布の盃袋、 右:帆布の酒袋 
                      
  
               蜻蛉玉        焼物のネックレス
                  

   左:手前は木工のオルゴール、壁は木版画  右:焼物と「イワナの銀平」の絵本
                               

 写真は全部ではなく、作品は他にもたくさんあります。 焼き物は西脇焼、珠洲焼、古府焼、備前焼など、メモって来なかったのではっきりしない。 
 展示期間は、7/18(日)まで。 午前10時~午後6時(最終日は4時)。 近くへ来られたらお寄りください。     

「能楽座」公演・能「盛久」

2010-07-11 | 能楽
 ウイングウイングでお能が演じられるのは2度目ではないだろうか。 数年前に「東北」を観た。 その時も高岡市の主催だったが、今回もそうで、金沢能楽会と高岡能楽会の協力となっている。 チケット、A席4,000円は少々高いが、近くで観られるのは有難いので、発売初日に求めていた。

 10日(土)午後、自転車で出かける。 4階ホールに、屋根こそないが、鏡板や橋懸かりを設けた能舞台がしつらえて(トップ写真)あり、いつもの舞台とは違う雰囲気を醸し出している。 客席も、男性の姿がかなり多い。 蒼山会の方たちにも何人かお会いした。 MiTUのバスのTaさんにも。 この方も合唱と謡と両方をやっておられる。

 「能楽座」は流派を超えた東西一流の能楽師により結成された会だそうで、この日の演目は:
      * 舞囃子「菊慈童」観世流・・・観世銕之丞
      * 狂言「清水」和泉流・・・野村 萬
      * 能「盛久」・・・近藤乾乃助        
と言うそうそうたる方々である。

 「菊慈童」(宝生流では「枕慈童」)は中国の古いお話。
帝の枕を誤って跨いだ罪で追放された少年が、枕の経文と菊の露の霊泉のおかげで不老不死の体になり、7百年も生きている。
 「楽(がく)」と呼ばれる大陸風のゆっくりとした長い舞が面白かった。 これは「太鼓あり」なので、太鼓と舞の両方を見るのに忙しい。

 「清水」は、太郎冠者が清水を汲みに行くのが嫌さに、鬼が出たと偽って逃げ帰る話。 「捕って咬もう~」と鬼に扮して言う台詞と所作が面白い。 「万蔵」を継がれた、萬さんの次男さんの芸を初めて見た。

 さて、能「盛久」の主人公、盛久(シテ)は平家の侍。 一の谷の合戦で捕らわれ、鎌倉に護送される。 護衛の土屋三郎(ワキ)に頼み、日頃から信仰のあった清水観音に寄り、参詣後、京都から鎌倉へ幾日かの旅を続ける(名文で綴る道行)。 鎌倉で幽閉された盛久は、毎日読経をして過ごすが、流転の身を嘆き死を願う(独言)。 
 いよいよ処刑の日が来て、御経と念珠を持ち由比ヶ浜へ引かれて行く。 心静かに念仏を唱えて最期の刀を待っていると、太刀取が太刀を振り上げた途端に御経から発する光に目がくらみ、太刀を落とし、太刀は二つに折れる。 (絵とポスターでご想像ください) ここまでが、〈前場〉。

               
 
                  

 〈後場〉 このことを聞いた頼朝は、盛久を呼び自分の見た夢と盛久が前夜見た夢が同じであることを確かめ、夢の一致に奇特を思い、盛久を助命し盃を与える。 そして、舞の達人と呼ばれた盛久の舞を所望する。 盛久は、梨子打烏帽子、白鉢巻き、掛直垂を着て、小刀をさし、扇を持って(舞台の上で後見に着せてもらう…物着)、頼朝を寿ぎ、我が身の喜びも添えて舞を舞う(男舞)。 舞い終えると、長居は恐れありと暇を告げ、都へ帰って行く。
 
 これだけ場面展開が多い曲なのに、主にシテ(盛久)とワキ(土屋)の二人の謡や動きと地謡で話が進む。 しかも、現在物なので、直面(ひためん…面を使わず素顔のまま)なのだ。 また、後場の頼朝邸では頼朝は出て来ない。 シテとワキ、地謡が創り上げていく。 ドラマチックな見どころが多い能だが、演者の演技力がものを言う難しい曲だと思った。 私は、1度お稽古をしたので本を持って行ったが、初めて見る場合はわかりにくいかも知れない。 強い信仰心を持った盛久の思いは伝わってきたが。

 ウイングウイングの1Fロビーで、今年も「平和チャリティ色紙展」が開かれており、観能の前に寄った。 ちなみに観能後図書館に寄ったら、大門のKaさんが本を借りに来ておられ、ジャカッセでお茶を飲んでお喋りと言うオマケがつき、楽しかった。

            

              

 県内の一流の画家の方達の作品である。

幻のニッコウキスゲ&カーブスあれこれ

2010-07-09 | 健康
 「白木峰」と言う名も知らず、どこにあるかも知らない頃から、何度も「白木峰へニッコウキスゲを見に行こう」と誘われ、その都度、天候やドライバーの都合で中止。 なぜか縁がなかった。 5,6年前、県自遊塾「山野草の会」で連れて行ってもらったが、晩秋のこととて頂上は寒く、お弁当を食べるのもそこそこに下山した。 今年こそはニッコウキスゲが見られる、と張り切っていたのに! 
 今朝早く、おにぎりも作りも終わった頃、連絡電話で中止の知らせが入った。 午後天候が崩れるらしいとのこと、とても残念。

 昨日、法務局や県税事務所をまわり、まだ結論を出していない税金の問い合わせのため、あちこちに電話をし、その後、気分転換に「カーブス」へ行った。
 昨年8月入会後、週に3日のペースで通ったおかげで、少しは変化が見られる。
 * 今年の特定審査で「メタボ」解消
 * 体重が2,3kg減少
 * 膝痛、肩痛は完治はまだだが、山歩きができる(白木峰を目指せるほどに)。

 さて、そんなカーブスの今日の様子です・・・ 
 まず、川柳大賞発表(トップ写真)。 お題は「脂肪」。 各地区の大賞から、更に全国1位を決めるため投票中です。 あなたの一票は? 私は「エプロン」の下の「正」に一本棒を引いて来た。 

  * 「いかがです」 聞かれて 出られぬ 試着室
  * 「肉売り場」 500グラムの 重み知る
  * 夫婦道 苦楽も脂肪も 分け合って
  * 結婚し 3食昼寝 脂肪つき
  * エプロンを 化粧まわしと 呼ぶ夫
  * 森ガール めざしたはずが 沼ガール
  * あれ悲し 胸の脂肪が 天下り
  * このお腹 メガネなしでも 3D

           

 次に、「あずきつまみコーナー」。 小さなあずき粒を塗り箸で皿から皿へ。 30秒で15個全部移せる? まだ達成者なし。 私は、3個。 練習すれば成果は上がるかも。 写真は若いスタッフのサキちゃん。 おお、上手くつまめたね!

                 

 こんなコーナーもあります。 「輪投げ」。 ゴムホースをつないだ輪をペットボトルに投げかける。 写真は、私の成績。 2個入りました。 

                   

 
 「スポンジバスケット」。 ピンクと青のかごにスポンジを投げ入れる。 チョッと重めの赤だけはいりました。 ネットのは軽くて飛んで行く。

                   

 目下、「ストレッチ体操教室」実施中。 体力診断つきで、1回100円です。

               

3度目の”samasama”

2010-07-07 | 食物
 数年前、自宅の土地の名義を変更したことが原因で贈与税がかかると言う、大事態になったことがある。 事前に私なりに慎重にあちこちに問い合わせてからした事だったが、素人の浅はかさ、 余計なことだったのだ。 こちらの事情、税務署の対応などいろいろあり、ようやく差し戻す手続きが終了したのは昨年のことだ。 ホッと安堵し、胸をなで下ろしていたのに・・・。

 昨日夕方、今度は県税務課から突然の電話。 「不動産取得税」と言う県税についてだ。 まったく寝耳に水のことで、ちょうど出かける予定でもあり、今朝もう1度詳しく説明を聞いた。 目下、知り合いの税理士さんに訊ねたり、高岡税務署に問い合わせたりしているところだ。 ほんとに税金については、一般市民のわからないことばかりだ。 

 頭が混乱して、午後の「いわせのコーラス」は欠席しようと思ったが、こんな時こそ声を出して、みんなの顔を見て来よう、と出かけた。
 なんと、半年前に脳梗塞で倒れられた指揮のHa先生が、復帰され元気な姿を見せられた。 左手がまだご不自由のようで、声も以前に比べると小さいが、リハビリに励まれ、ここまで回復されたのだ。 奥様が運転手兼付き添いで来ておられた。 先生の朗々とした歌声が聞かれる日を楽しみに、我々も頑張らないと!

 その後、アルトのYaさん、Yoさんと、またまたsamasamaへ寄った。 今日は私達も入れ、4グループ、カウンター席以外は満席。
 オーダーしたのは、Yoさんと私は「ベトナム風サンドイッチ」と「菊花茶」、Yaさんは、新メニューの「ハト麦アイス」。 サンドイッチは、白いパンが大きく柔らかく厚めで、中の具はレタスを敷いてレバーペーストと大根とにんじんのお酢和えを混ぜたもの。 運ばれたまま写真を撮ったが、縦に並べ替えるべきだった。 ボリュームがあり、ベタベタせずサッパリしている。 Yoさんも満足そう。 彼女は初めてだ。 ハト麦アイスは、コレまた独特の味で美味しい。(新聞紙の上に置いてあり滑稽だが、この日は写真を撮る気はなく急にカメラを出し準備不足)
 夏限定のイブニングサービス中。 夕方食事すると生ビールが無料。 ドライバー付きの人、近所の人には歓迎だろう。

                    

 ウイングウイングに寄り、3FでMiTUのスタジオの利用費を支払う。 折しもウイングウイング前広場では、O氏の街頭演説の真っ最中。 さすが、たくさんの人が取り巻いているが、先日公示前に見かけた富山駅前には及ばない。 高岡は、どうして何にでも盛り上がりが欠けるのだろう。