Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

夕焼け

2010-10-31 | ボランティア
 10/29(金)、音訳ボランティアの日。 中山登山の疲れが残っているのか、その後も毎日予定が詰まっているからか(元気な頃に計画しているので)、この日も朝だるいな~と思いながら「ふれあいセンター」へ出かけた。

 「市民と市政」11月号の録音の他に、「あかね」の20周年記念誌の校正やレイアウト、イラスト選びで時間がかかり、本来の仕事は午後になった。 でも、半日で、分担を決め、読み合わせ、録音、ダビングをすますことができ、みんなでホッとした。 そして、20年の実績だ、などと自画自賛しながら「ふれあいセンター」を出た。 
 印刷、製本をお願いする「志貴野苑」(身体障害者授産施設)の方との打ち合わせも、この日に終わった。 これはひとえに、原稿をパソコンに入力し、レイアウト、イラストまでを予め自宅で作りプリントアウトしてくださるOさんのおかげである。

 仕上がった録音テープ40数個を郵便局へ持って行く当番の私は、Oさんと一緒に車に乗ろうとして、「わァ、きれいな夕焼け!」と言う声に空を見上げた。 Oさんはもうカメラを向けておられる。 彼女は、パソコンの先生でもあるが、自称(他称か?)”富士の病”と言われるほど富士山撮影に数時間も粘るカメラマンでもあるのだ。 私もあやかりたいと、空にカメラを向けた。 ただパチパチ撮っただけですが、ご覧ください。 鳥の群れもねらったが、上手く撮れず、1枚だけ。

 10/29(金)、午後5時半頃。 「高岡ふれあい福祉センター」駐車場にて。
            

            

「てっぱん」ダンス

2010-10-30 | 映画・テレビ・演劇・芸能
 前の朝ドラ「ゲゲゲの女房」のオープニングについてブログに書いたことがある。 とても良い歌詞だが、「いきものががり」のボーカルの発音が聞き取れず、最初「まぶしい朝」が「貧しい餌」に聞こえた、などと失礼なことを書いたが、心温まる歌だったし、ドラマも欠かさなかった。

 今回の「てっぱん」のオープニングには歌詞がない。 だがとても良いメロディ、リズムがあり哀愁があり…。 尾道の民謡かと思っていた、踊りも民謡踊りのアレンジかと。 

 丸いお好み焼きのイラストの中で、いろいろな人たちが踊っているのをつないでいく撮り方も面白い。 さらに同じ振付が、踊る人により異なるのが面白い。 着物姿の女性はしなやかに、高校生は活発に、椅子に座ったおじさんも手だけで、バッグをさげた旅行中のおばさんは楽しげに…。 私が好きなのは、野球のユニフォームを着た小学生の表情、黒い大きな前掛け姿のおばさんの腰のふり、だ。

 そのうち、A紙のTV欄に取り上げられた。 民謡ではなかった。 曲は、バイオリニスト・葉加瀬太郎の作曲で「ひまわり」。 太陽に向かって真っ直ぐ大きく咲くヒロインを表現しているそうだ。 ダンスは近藤良平の振付。 しかもあのダンスは毎日誰かが変わっているそうだ。 コレは驚いた。 その後毎日よく見ると、たしかにどこか、誰かが代わり、しばらくするとまた戻ったりしている。
 しかも、イラストのお好み焼き(ひまわり?)の下についている葉っぱも一緒に踊っているのだ。 あまりの面白さに、オープニングからテレビの前に座り、時には手を動かし、覚えようかな~などと思っていた。

 ところが、ようこ姫さんによると、同窓会の余興にあの踊りをすることになった、とのこと。 あれだけ見て覚えるのは難しいかも、とネットを調べたら、近藤良平さん自ら踊っている動画が見つかった。 何でも、ダンスを一般より募集し、良いのを採用して使うらしい。 お好み焼きの調理過程をダンスに取り入れてあるそうで、まともに踊るとなかなか難しそうだ。 
 下のサイトを開き、ぜひ1度ご覧ください。 自然に体が動いて来ますよ。 

http://www9.nhk.or.jp/teppan/dance/index.html

金沢・にし茶屋街

2010-10-29 | 旅行
 「杉の井」を出て犀川大橋へ戻り、左へ折れると野町広小路へ出る。 交差点で右折ししばらく歩くと、もうにし茶屋街だ。 ひがし茶屋街、主計(かずえ)町茶屋街と並び、金沢三茶屋街のの一つ。 12代藩主前田斉広が妓楼を地域を限定して集めた。 ひがし茶屋街と同じく1820年に設立されたそうだが、ここは通りも1本で短く規模が小さい。 そのせいか人通りも少なく落ち着いた雰囲気だ。 金沢芸妓の伝統を今も伝えているとのことだ。
          

 「金沢市にし茶屋資料館」へ入る。 入館料は無料。 ボランティアガイドの「まいどさん」の説明を聞いた。
          

 紅色の壁の座敷。 説明によると: 芸妓たちは、踊りはもちろん三味線、太鼓、笛のお稽古を10歳くらいから始めた。 彼女たちは「たあぼ」と呼ばれ、使い走りなどをしながら行儀作法や芸を仕込まれた。 お稽古場へは近くの小学校の先生が授業をしに来て、そこで勉強もした。 
                   

 すぐ向かいに、有名な「甘納豆かわむら」の店があり、客の出入りが絶えない。
           

 折しも、若い着物デザイナーの創作の着物を着たモデルさんの撮影が行われており、こっそり横から撮らせてもらった。(トップ写真は若いカメラマンの2人)
          

 「料亭 華の宿」では、コーヒー500円で、中を見せてくれる。
          

 ご主人が賑やかな人で、コーヒーを運びながらお茶屋のこと、茶屋街のことを説明してくださる。 
 左から、坪庭、群青色の壁に四季の花の屏風、金屏風、太鼓と三味線。 襖はまだ簀子(すのこ)で3日後に入れ替えるそうだ。
     

 下は、「駒寄せ」。 人馬の侵入を防ぐための柵。 竹製で京都の物を真似たそうだ。 
              

 Kaさんがお店の人に聞いたら、「馬がおしっこかけたりしないように」と仰ったそうだが、それも合っているのだろう。
 見学はわりと早く終わり、お能にはまだ早かったので、途中案山子さんの買い物に大和に寄った。       

犀川散策と「杉の井」

2010-10-28 | 旅行

 雨宝院から犀川大橋のたもとの広い道路を横断し、犀川に沿って料亭「杉の井」まで歩く。

 今回のツアーは、タクシーもふんだんに使うし、ランチも張り込んだ。 「るるぶ」を見ながら、にし茶屋街近くで紹介されているグルメの写真から選んだのだ。 「杉の井」、聞いたことのある名前、2700円なら、と電話をした。 レディースコースにすると名物のくず切りが割安になる、と言う。 上手に勧められます。 割安に惹かれランクを上げる。 その後、席料500円だと言われる。 もう、破れかぶれで決める。 さらに消費税、サービス料も要るような口ぶり。 ウへェ~、4000円? コレはすべて、私が電話し、横のようこ姫さんと相談して決めた。 何かその場の勢いだった。 

 さて、犀川の川沿いに上流に向かって歩く。 川のすぐ傍に「犀星のみち」があるが、その上の道を歩いた。 犀星は、犀川の西で生まれたからと、最初のペンネームを「犀西」としたそうだ。 犀川は懐かしい川だったのだろう。
 しばらく歩くと、「杉の井」の玄関が見えた。(トップ写真)
           
           玄関前の庭には、バラの花が浮かべてある。
           

                       中庭
                 

  床の間の活け花。 みずひき、ホトトギス、りんどう、フジバカマ、もう一つは?
                     

 ご膳が運ばれる。 いろいろ説明があったが・・・。 治部煮の鶏肉はつくねだった。 
            
 
         食後、くず切りが運ばれる。 椀には「杉の井マーク」。
           

 話をしながら、ゆっくり食べて、満腹。 レディースコース3000円。 席料500円。 消費税込みで、一人3700円だった。 予想より少し安く、嬉しくなる。

 同じ道を犀川大橋へ戻る。 途中、教会・ステンドグラス美術館があり(屋根が欠けてしまったが十字架がついている)、塀には、白い花のような飾りがずらりと付けられ、その中の一つがハロウイーンのカボチャの顔をしていて可愛らしい。
   

 この通りの裏側の通りが寺町になる。 忍者寺を始めお寺がたくさんあるはずだ。 この日は、寺町は行かずにし茶屋街へ行くコースだ。


金沢おとめ系ツアー(その2)「室生犀星記念館」

2010-10-26 | 旅行
 10/23(土)、石川県立能楽堂で、平米の「能楽お囃子の会」の大先輩、山本さんが能「鶴亀」のシテを舞われると知り、4人で観能に出かけた。 大門のKaさん、案山子さん、ようこ姫さんとである。 今回は犀川のほとりを散策し、「杉の井」で昼食、にし茶屋街を回ろうと話し合った。 仕上げは能楽堂だ。

 まず、「室生犀星記念館」へ。 浅野川ほとりの「泉鏡花記念館」、「徳田秋声記念館」は以前何度か訪ねている。 犀星は初めてだ。 駅からバスで広小路まで、の予定だったが回数が少ないので結局タクシーで直行し、玄関前に横付けしてもらった。(トップ写真)

 平成14年(2002年)に室生犀星生誕の地に開館された記念館。 金沢三文豪のひとりとされる室生犀星の小説や自伝エッセイ、詩などが展示されている。 1階吹き抜けの壁には、犀星の作品150点の表紙が飾られ、金沢の原風景を杏の木やたくさんの動物たちで再現してある。
               

         読売文学賞を受賞し、映画化もされた「杏っ子」。
          

 文化庁芸術大賞やモンテカルロ・テレビ祭(モナコ)のテレビ映画部門最優秀賞を受賞した「火の魚」。
          

 ここは、父、小畠吉種の大きな屋敷で、犀星は女中を母として生まれたが、まもなく犀川大橋のたもとにある雨宝院にもらわれる。 野町尋常小学校で義務教育4年を終え、高等小学校へ進むが中途退学し、地方裁判所の給仕として働く。 そこには俳句や詩作をする先輩がいて、犀星も文学に目覚め早くから句や詩が新聞に載ったりして認められようになる。
 詩人を志し、20歳で上京。 東京と金沢を行ったり来たりする放浪生活を送る。 やがて白秋に認められ、朔太郎や暮鳥と一緒に詩の雑誌を作る。 その後、小説、随筆も書き、家庭も大事にし、また猫を愛する作家だったそうだ。 73歳で死去。 金沢野田山墓地に埋葬されている。

          「ふるさとは遠きにありて思ふもの
          そして悲しくうたふもの
          よしや
          うらぶれて異土の乞食(かたい)となるとても
          帰るところにあるまじや
          ひとり都のゆふぐれに 
          ふるさとおもひ涙ぐむ
          そのこころもて
          遠きみやこにかへらばや
          遠きみやこにかへらばや」   (抒情小曲集)  

 2階には、「軽井沢で過ごした日々」の特別展示があった。 また、上の詩の本人自らの朗読も聞ける。

         近くにある「雨宝院」。 高野山真言宗のお寺。
                

     雨宝院で過ごした頃のことが、書かれた「性に目覚める頃」
             

             近くを流れる犀川の風景。
           
  

音楽劇「射水の海」~《海はいつでも見守っている》

2010-10-25 | 音楽
 10/24(日)、〈射水市誕生5周年記念〉を祝う音楽劇を聴きに行った。 3年前からの企画だそうなので、2年目からもう取り組んだということだ。 元気な町だな~と改めて思う。 高周波文化ホール(新湊中央文化会館)大ホールは超満員、熱気がムンムンしている。 

 私達、合唱団MiTUのメンバーが6名出演された。 最初は10名以上練習に通っておられたが、練習回数が増え出席できなくなり、断念した人も多い。 さすがに、素晴らしい出来栄えだった。 合唱団もソリストも、もちろんオケも。 
 
 指揮:宮丸 勝、  演出:近江 養、  台本:大谷美智浩、  作曲:梶 俊男

 「海」をテーマにしたオリジナルオペラ である。
 射水の海の浜辺、主人公の潮海義人(しおみよしひと)は、都会の生活を追われ故郷の海の岸壁にやってくる。 そこは、かつて両親と過ごした思い出のある海。   
          ♪ この故郷の海で 僕の人生が リセットできるなら ♪  と歌う。
            

 放生津の城、鎌倉末期の戦乱の中に迷い込んだ義人は、捕えられそうになるが、放生津城城主名越時有に助けられる。 が、名越一族は戦いに敗れ、奈呉の浦の海に消える。 両側はコロス(合唱)、ソプラノ、アルト、テノール、バス、と並ぶ。
                

 江戸時代、放生津の魚市場の漁師たちの姿。 活気ある魚市場。 だが、問屋の横暴が漁師たちを苦しめていた。 
     ♪ えいやれ えいやれ えいやれや  加賀の前田の殿様に お送り申す 御用鰤 
      上は金沢登り魚 中は高岡魚問屋  残りの魚は振り売り勝手 放生津者の才覚次第 ♪
と、振りをつけて合唱が歌う。  だが、6軒問屋の悪徳商法に困り、奉行所に直訴する。 そのうちの二人が捕えられ処刑される。 「漁民義人塚」として今も残る。 「時の旅人」3人のヤオが時代の流れを語り、主人公をも導く。
                           

                   休憩(15分間)

 「偉人達の夜」と言う舞台で、伊能忠敬と石黒信由が登場、無窮の天を語り、歌う。
 そして
時代は天平。 越中国司、大伴家持が登場する。 日照り続きの雨乞い、八幡神への祈り、宇佐八幡宮の謂われなどが語られる。 そして、子どもたちの歌う「黄金歌」。 
 
                

 この後、家持と義人の問答歌があり、義人は、次第に自分の人生を見つめ直して行く。 
      ♪ 海はいつでも 受け止めてくれる 海はいつでも抱きしめてくれる   
        海はいつでも そこにある 海はいつでも 見守っている・・・
        僕は誰の奴隷でもない 僕の人生は 誰にでも 渡しはしない ♪
 エピローグ。 現代の海、穏やかな波の音。 射水の海が広がっている…。
                 

 上はフィナーレ。 真ん中は指揮者の宮丸さん。 プログラムの扉に、演出の近江さんが次のように書いておられる。
 「…稽古の現場で何ヶ月も、仕事や勉強や他の活動と調整しながらいつも明るく我慢して音楽稽古から立ち稽古まで欠かさず出席されていた合唱出演者、ソリストの皆さん。 皆さんの粘り強い努力と創造力には心から感謝するばかりです。…」
 まさにその通りだ。 大変な努力だっただろう。 そして射水市の人達(特に新湊の)にとってこの成功はこの上ない喜びだろう。

 3時間半に及ぶ長丁場、欠かせぬ史実が盛りだくさんで後半は冗漫に延びた感があった。 それと家持の描き方が今一つわかりにくいように思えたが…。
 熱演ご苦労様でした。 また、最後まで読んでいただきありがとうございました。                 

「不思議の国のアリス」~劇団「喜び」公演

2010-10-24 | 映画・テレビ・演劇・芸能
  不思議の国の 

 ” 不思議の国のアリス~~聞いたことあるけど、そんなに詳しく知らないなぁ、と思う方。 ぜひいらしてください。 かれんちゃんのアリスと茶山千恵子の語りで、あなたを不思議な国へご案内します。 不思議の国なんて、と思っていても、もしかしたら、その国は、あなたの心の小宇宙かもしれません。 きっと観た後のあなたは、永遠の少年や少女の心に戻っていることでしょう。 どうぞお楽しみに! ”

 以上、チラシからの抜粋です。 アリスになるかれんちゃんは、小学校4年生。 2月頃から練習が始まり、セリフを覚えるのが大変だったようです。 

 私の友人のYaさんは、かれんちゃんのお祖母ちゃん。 彼女は、「華蓮の初体験で、一生懸命頑張っていますが、皆さんの足をひっぱらないか、心配しています。」と、気をもんでおられます。
 下は、アリスのかれんちゃんと、語り、白ウサギ役の茶山さん。
            

              
 
         11/6(土)、昼2時~ / 夜6時半~ の2回公演。
         高岡駅地下街 もみの木ハウス跡地
         入場料 前売り 1,500円  当日売り 1,700円
         連絡先 おやつの店ブライアローズ  0766-26-3434

 茶山さんは、駅地下のおやつの店「ブライアローズ」のケーキ屋さんです。
 高岡駅へあまり足を運ばれない方も、ぜひ一度、「不思議の国」を訪ねにいらっしゃいませんか。

画廊「七本杉」~竹田貞郎作品展

2010-10-22 | イベント
 10/22(金)、ふれあい福祉センターで、音訳ボランティア「グループあかね」の20周年記念誌の編集会議が開かれた。 過去10年間の「市民と市政」の音訳テープにつけた、「始めのことば」と「あかねからのメッセージ」を話し合いながら選ぶ。 その年、その季節の、自然の移り変わりや、ニュース、出来事が思い出される。 選ぶ傍らから、Oさんがパソコンに打ち込んで行かれ、その早技に驚いた。

 帰りに、Kaさん、Haさんと「七本杉」に寄った。 竹田貞郎先生の作品展の案内をいただいていたのだ。 いつもの絵画、彫刻の他に「写真」の項目があり、興味があった。
              
 人影も写っているが、「シランの花」である。 光と影が美しい。
                 
                 
 「火星探検」。 庄川の石ころを貼りつけ、その上に中国の和紙を貼った作品。 色は和紙そのものの色で、着色したのではない。 濃淡も和紙の色。 火星のイメージだろうか?
         
                      
 「宇宙生成」。 「火星探検」は大きい作品だが、これは小さい額。 お得意の金属の部品らしき物で構成されている。 形、模様、大きさもさまざまな金属は、広大な宇宙を思わせる。

 次に、私の好きな色紙の数々。 柿、ゆず、りんご、花もいろいろと。 お菓子との組み合わせが面白く、そんな作品を紹介します。 左は、「柿ととこなつ」、右は、「ゆずと涅槃団子」。        
         

 下は、「柿と越の雪」。 「越の雪」は新潟の銘菓だそうだ。
             

 下は、「鬼ゆずと富有柿」。 鬼ゆずはいただき物だそうだ。
             

 最後に、「デリシャスととこなつ」。 これは軸になっている。 リンゴは珍しいな、と思った。色紙は、軸にしても、額に入れてもいい。 1枚ほしいな、と思っている。
                     

 展覧会は、10/28(木)までです。           

「自然治癒力をグンと高めるライフスタイル」

2010-10-20 | 
 9月初めだったか、首の付け根がいつもより痛く(だるく)、疲れがたまったかな、と思っていた頃、背中の指圧をしてくださった友人から借りたのがこの本。

 「自然治癒力をグンと高めるライフスタイル」 山本なつ著 出版芸術社
 《国内外に数多くの愛好者をもつ健康法の実践健康ガイド!!》とのこと。

 自然に逆らわない消費: なるべくその土地で生産されたもの食べること。 今のことばで言えば「地産地消」だ。 なぜ地元でとれた魚や野菜を食べるのがよいか。 「それが自然の理に合っているから。」 遠い外国から輸入されたものばかりが並ぶ食卓は、やはり自然ではない気がします。 と書いてある。
            

 「身土不二」という言葉をご存知ですか?: もともとは仏教用語で、肉体(身)と環境(土)は切り離すことのできない深い関係(不二)にあると言うことを表す。 「身土不二」という考え方からみても、自分が生まれた土地、住んでいる土地でとれた新鮮な食物を食べるということは、体にとっても大変よいことだ。
 この言葉は、リタイア直後、二年間通った小矢部園芸高校の先生がよく言っておられた。
            

 そして、加藤さんという方が工夫した「加藤だし」の作り方が、図解入りで載っている。 利尻だし昆布とかつお厚削りで作り、ストックしておくらしい。 フゥ~ン、試してみようか、と思っていたら、巻末に、自然食品の「グリーンマーケット」が高岡駅南にもある、と書いてある。 近いし、一度覗いてみよう。 そう言えば、高岡ふれあい福祉センターの「ボランティア広場」で出店があったかもしれない。

オータムコンサート~絵本コロアルカディア合唱団

2010-10-18 | 合唱
 以前、高岡市民会館のサロンコンサートで紹介した混声合唱団である。 私達MiTUの仲間が4人所属しておられる。 チケットをいただいたので、近所のコーラス仲間(別のコーラスグループで歌っておられる)と3人で出かけた。
 10/17(日)、中山登山の翌日だが、大島絵本館は近いし、良いお天気だし…。 道端のあちこちにコスモスの群れが揺れている。 夢の平もさぞきれいだろうな~。

 久しぶりの絵本館。 絵本コンクールの展示中だ。 たくさん応募があるのに感心する。 手にとって読めるように展示してある。 小学生の作はさすがにかわいいらしい。 ほとんど手書きだが、なかにはパソコンで文字を打ったのもある。 小学生はパソコンが得意なのだろう。
            
 
 「おてんきぞうさん」:お天気により象の色が変わる話。 色が鮮やか、象の表情が面白い。
            

 「いもむし」:芋虫の丸い形を紙や布を貼りつけて表している。 他に飛び出す絵本もあった。
            

 我が子が小さい頃の絵本もあるね~とSiさんと絵本を眺めた。 娘が成人してから、一緒にここを訪ねたことがある。
                       

 さて、コンサート開始。 団長さんのユーモアあふれるトークで始まった。 男声8人、女声12人のメンバーで、20代から90代と聞き、驚く。 また、団員の中に芸達者が多く、第2ステージでは個人芸で活躍される。

 第1部:さだまさしの曲。~よき青春時代を綴る~とのサブタイトルだが、私などは、 「北の国から」(歌詞がなく、♪ああ~♪で始まるあの曲)のように、子どもと一緒にテレビドラマを見た頃を思い出す、子育て時代の曲だ。 
            

 第2部:クラシックアラカルト ピアノ連弾 ♪美しき青きドナウ♪ 
            
                 6人による♪メリーウイドウワルツ♪  
           
               ピアノとクラリネットソロ♪シシリエンヌ♪
           
               指揮者森清さんのテナーソロ
            

 第3部:川にちなんだ名曲シリーズ
           

 「花」、「アムール川のさざ波」、「モルダウ」、「川の流れのように」を美しいハーモニーで歌われた。 どれもみんな知っている曲で、中学生の合唱コンクールで聞いたり、カラオケで歌ったりの曲は楽しいものだ。 帰りに、駅南ココスでお茶をして帰宅。

 山の疲れはすっきりとれたかな。 でも、今日は友だちの勧めでホームドクターに診てもらいに行こうと思っている。              

中山(剱岳の展望台)

2010-10-17 | 自然・海山草花
 昨年から入会した高岡ハイキングクラブ。 そこで、よく話題に上る「中山」1255m、目の前に剣が見えると言う。 昨年の千石城山に味をしめ、今度も剣が見られれば、と早くから参加したいと思っていた。 だが、低山とは言え、かなりハードな登りと聞きずっと迷いつつ、カーブスへ真面目に通い、準備だけはしていた。

 それが、10/16(土)。 前夜から準備をし、朝食もいつもよりしっかり食べ、靴も登山靴をはいた。 太閤山薬勝寺池駐車場へも早めに着いた。 15名の参加で、3台の車に分乗し、上市町馬場島へ。 剱岳へは3つの登山道があるそうで、馬場島は早月尾根ルートの登り口。 立派な馬場島山荘やキャンプ場がある。 下は登り口を示す碑と、50年前の立命館大生6名の遭難を悼む碑。 ”仰 剱岳”と書かれている。 晴れていれば、ここからもう剱岳は見えるはず。 今日は、頂上も無理かな~。
               

 駐車場の手前に中山への登山道がある。 はっきり見えないが、左下のマルから黒太線を上る。 右下のマルが頂上。 遊歩道なんてとんでもない。 この上りが厳しかった。 帰りは黒太線を更に進み(下り)立山川の右岸、灰色線を降りるコースだ。 標高差585m。  
          

 息は弾むものの、ゆっくりペースなので途中までは花の名前など耳にしながら登った(自分では喋る元気なない)。 ひたすら下を見て木道の段を上る、根っこや大きな石をよけながら。 切れ目なしの上りだ。 そのうち、吐きそうになり、2,3回吐いた。 いろんな人から声をかけ、励ましてもらい、靴ひもまで結び直してもらった。 必死の登りだったので、途中の五本杉ノ平の立山杉の巨木も眺めただけ、道端の可憐な花々の写真も撮れずじまい。

 トップは、途中もらった「ユキザサ」の実を頂上で撮ったもの。 ツルリンドゥ」、「ヤマタチバナ」の実も赤い。 それぞれ大きさもも形も違う赤い実が、時々目を楽しませてくれる。 
 他に、黄色の「アキノキリンソウ」、紫の「アキギリ」、「亀葉引起」(カメバヒキオコシ:シソ科の植物で,葉が苦く起死回生の力がある)など、名前を復唱しながら(どうせすぐ忘れるが)の山道だった。

 ゆっくり歩いてもらったので、3時間かかり頂上へ。
           

 2年前は、マッチ箱まで見晴らせたそうなのだが・・・。
          

 今年は、すっかり雲に覆われて・・・。
          

 背中の汗が冷え、寒くなる。 体調が気になり、おにぎりも1個だけにして、もらったリンゴや無花果を少し口に入れた。 こんな時、食べればいいのか食べない方がいいのか、わからない。
 帰りは東小糸谷から降りる。 行きの登山道より緩いと聞いたが、コレがまたなかなか険しい下りで、距離も長い。 だが、途中見晴らしがよく、沢渡りもあり、足はガクガクだが休まず降りた。 笑う足に、「怒って~」と言ってるTaさん。 水音が聞こえ、林道が近いとわかるといっぺんに元気回復。 沢は3度渡った。

          
           
          

 長い長い下りは、1時間半。 往復4時間半、予定より1時間20分オーバーした。 林道を出て立山川の河原へ出た。 周囲の山々、広い川を眺め、ようやく下界へ戻った気分。  
          

             

 帰りは上市町のアルプスの湯でひと風呂浴びて(急にお腹がすき脱衣場で残りのおにぎりやら柿を食べ)、薬勝寺池駐車場にて解散。 いつもより1時間も遅れ、皆さんには迷惑をかけ申し訳ない気持でした。 そろそろ限界を感じながら、来年に向けて期待も・・・・。 かくして今年最後のハイキングクラブは終わりました。 

 会長のK先生が、「立山は信仰の山、剣は修行の山」と言っておられたが、私には「中山」が修行の山のようだった。

族譜とはこんな物~交流会~そして上甲まち子さん

2010-10-14 | 映画・テレビ・演劇・芸能
 青木力弥さんの学習会に始まり、何度もブログで紹介した青年劇場の「族譜」を、10/8(金)に観劇した。 話の内容は、今までに紹介ずみなので、お芝居を観ての新しい発見と感想、交流会の様子を書きます。

 まず、実際の族譜とは? もちろんお芝居上の小道具ではあるが、薜(へい・朝鮮読みでソル)家の700年間の族譜。 舞台に大きな木箱が運ばれ、中に何冊も詰められた書き物。 1箱で150年分、土蔵の中に似た木箱が4個あると言うのだ。
 当然、秀吉の朝鮮侵略戦争(文禄・慶長の役)のこと、江戸時代の朝鮮通信使のことも書かれており、一族の○○が~した、と文章で記されているわけだ。 京都の「耳塚」のことも語られた。 一族の歴史と言うより、国の歴史だ。 日本の家系図とは違う。 

 主人公の元ヤンパンのソル・ジニョン(青木力弥さん)が創氏改名に応ずるまで、あの手この手で追い詰める日本の朝鮮総督府。 娘の許婚に無実の罪を着せ、苦しめる、孫たちの学校では改名しない子どもに登校を禁じる、その陰険なやり方がいかにも昔の日本風で、情けない。(原作ではもっとリアルに描かれているようだ)

 改名の届けを出した後、井戸に身を投げたソル・ジニョンは、族譜の最後のページに、こう記した。
 「昭和十六年九月二十九日。 日本政府、創氏改名を強要シタルニ依リ、ココニ於テ断絶。 当主鎮英、之ヲ愧ジ子孫ニ詫ビテ、族譜ト共ニ自ラノ命ヲ絶テリ。」
 そして、彼の心情の理解者だった日本人官吏谷六郎に、族譜を京城帝大に寄贈してほしい、と依頼した、とある。 

 さて、ソル氏の死後、贖罪の気持ちで戦地へ出征する、谷六郎。 演じた吉村さんの交流会の笑顔(左)。 ソル氏の娘、許婚も父も奪われた玉順役の佐藤さん(右)。 
          

 下は、面憎い、谷の上司平田課長を演じた船津さん(「銃口」では青年教師役)と、この演劇には出ていないが、「シャッター通り(高岡のこと?」に出演中の若手女優さん。
          

 ホテル アルファ・ワンでの交流会にはたくさんの役者さんが参加され和やかなムードだった。 青木さんと葛西さん(許婚役)はすぐ近くにおられ写真を撮り損ねた。

 許婚金田北満の母親役、上甲まち子さん(トップ写真)のお父さんが当時の朝鮮の小学校の先生だったそうだ。 国民学校で日本語を教えているうち、次第に日本の朝鮮植民地支配に疑問を持つようになったそうだ。クリスチャンで、平等観、人道主義の考え方を持っていたことも理由のようだ。 そして、1930年12月に治安維持法違反で逮捕され、京城(ソウル)の西大門刑務所に収監された。
 そんな父親について共著で出されたのが、下の本である。 それとは知らず、ロビーにあったのを見過ごしたので、事務局の方に借りようと思っている。
                 

 上甲さん、青木さん、無名塾の仲代さん、皆さん、70代の俳優さん達。 その熱き心に大いに感銘を受けました。 若い頃、青木さんは、移動の時トラックの運転もされたそうです(無事故がご自慢のよう)。 このようなお芝居を演じ続ける「青年劇場」にエールを送ります。

   

少し聞こえなくなった人のために

2010-10-13 | ボランティア
 先日、高岡市社会福祉大会での手話通訳のことを書いた。 演劇鑑賞会の幹事でもあるMiさんのことだ。 「族譜」の仕事をしながら、手話通訳のことをいろいろ聞いた。

 例会の日、終演後駐車場まで歩いている途中、彼女に呼び止められた。 そして、この可愛らしいメモ帖(トップ写真)をいただいたのだ。 会話していて、ちょっと聞き取れない言葉をお互いに書き合って使う。 私の演劇サークルの友人が続けて二人もセリフが聞きとれなくなり退会された。 前の座席に変わっても、ところどころ聞こえず話の筋がわからないと言われた。 テレビみたいに、字幕が出るといいね~と、私が彼女に話したのだ。

 さっそく、先週の土曜日、茶々姫さんにプレゼントした。 彼女は、まだこのようなメモ帖は必要ないのだが、かなり聞こえなくなってきた、と自分では仰る。 補聴器も持っておられる。

 実際に使ってもらった。 手帳を開き、付いている水性のソフトペンで文字を書く。 ちょうどテレビでは「里山探検」の番組の最中で、彼女の好きなカメラマンが登場していた。
             

 立派な文字だ。 これを、やはり付いている葉っぱの形のフェルトでサッと一刷きするときれいに消える。 お互いに交換し合いながら会話すると言うわけだ。
              

 今年8月に埼玉で開かれた「全国手話通訳問題研究集会」で紹介されたようだ。 身体障害者授産施設「ふれあいの里・どんぐり」と「地域活動センター春里どんぐりの家」の電話番号が書いてある。 ろう重複障害の仲間たちの手作りの品のようだ。 知らない所で、さまざまな人達が、誰かのために、お互いのために、活動していることが、改めてわかった。
                  
 


 「ろう重複障害」とは、聴覚障害に加え、視覚障害,知的障害などの障害を重ね持った障害のことをさします。 『三重苦の聖女』と呼ばれたヘレン・ケラーのことをご存知の方も多いと思います。

 かつては、そういう人たちは満足な教育を受ける場もなく、また職業に就くことも困難でした。 しかし、最近はユニバーサルデザイン社会化に伴い、徐々に道が開けてきています。

 ところが、その中にあって、聴覚障害と知的障害の重複障害者たちは現在も就労が困難な状況にあります。そのための施設は全国でも数えるほどしかありません。山本おさむ氏の漫画で有名になった『どんぐりの家』もその一つです。 (以上ネットから)


「炎の人」~能登演劇堂

2010-10-12 | 映画・テレビ・演劇・芸能
 天気予報は雨だったのに秋晴れとなり、集合場所の読売会館前へは自転車で行けた。 10/10(日)、演劇鑑賞会から能登中島(今は七尾市)の能登演劇堂での、無名塾「炎の人」を観に行く日だった。
 8日に「族譜」(次回アップします)を観た直後で、観劇続きである。 40名募集のところ、キャンセル待ちが多く、結局60名弱となり、マイカーで行く人もいたらしい。 バスは全補助席を使う満席だった。

 この演劇堂(トップ写真)へは、数年前、JRで、Saさんと若尾文子主演の演劇を観に来たことがある。 15年前に開館したが、それより更に10年前、仲代達矢主宰の「無名塾」がこの地で合宿を始め、以後、無名塾と能登七尾の交流が続いている。 5年前の「ドライビング・ミスデージ」(奈良岡朋子との共演)で、舞台の正面奥の外舞台から赤のポルシェが出てきたり、昨年の「マクベス」で同じく外舞台に馬が登場したことは有名だ。 「炎の人」で外舞台は開くのだろうか。 向日葵畑が外舞台一面に見える? 

 演劇は4時半開演。 それまでに隣のレストラン「なかしま亭」で早めの夕食をとる。
              
 
 店内には、仲代さんの新聞記事、演劇の街・中島の旗、「炎の人」のポスターなど。
                
           

 仲代さんは、ゴッホになりきるため7キロの減量をしたそうだ。 「何と言っても自画像があるから」とのこと。 なるほど、あごが細く、自画像によく似ていらっしゃる。
 
 ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ「没後120年展」が、東京国立新美術館で開催中だが、1853年にオランダで生まれ、1890年37歳で自ら命を断つ。 その短い生涯の中で1900枚の作品を残したそうだ。 生前に売れたのは1枚だけ、と言われる。

 さて、お芝居の一幕目、若きゴッホが炭鉱で熱心に伝道している姿を描く。 暗く貧しい部屋。 坑夫達の力になろうとするが、絶望。 神の存在に疑問を感じる。 弟テオの援助でブリュッセル美術学校を出てパリへ。
 パリの画塾。 ルーベンス、モリゾ、シニャック、ゴーギャン・・・などと交わり、影響を受け、また議論を戦わす。 弱くて頑固な、孤高と言われるにふさわしいゴッホ。 ゴッホってこんな人だったんだな~と熱い思いが湧いた。 多くの画家や日本の浮世絵の影響を受け、模倣と言われ反論する…。
 そしてアルルへ。 明るい色調の「アルルの寝室」、「アルルの刎ね橋」、もちろん「ひまわり」も、何枚かの絵が舞台に並んだ。 下は、いつもテオの手紙を届けてくれる「郵便配達夫ルーラン」(今年、世田谷美術館で展示された絵)。 舞台では、このルーランと絵を持って舞台正面奥へ立ち去る場面で、正面が開いた。 アルルの明るい風景を思わせるライトアップされた森。 サッと場内に外気が入り、枯れ草の匂いが。 虫の音も聞こえる。
                   

 楽しみにしていたゴーギャンとの共同生活が破たんし、耳を切る場面で終幕だった。 後、オーベールで狂気の中に入退院を繰り返し、自殺を図るまでの晩年はナレーションだ。 今までの登場人物(無名塾の若手の俳優さん)達が次々メッセージを送る。 ”テオ以外の誰もがなぜゴッホを理解できなかったか”と。

 作は三好十郎、演出は鵜山仁である。 かなり前に、高岡で、滝沢修の民芸の舞台を観たのだが、ゴーギャンとのやりとりの場面を覚えている程度。
 また10年ほど前、まめさん、つもさん(このツアーにも来ておられた)と、アムステルダム、”ゴッホ美術館”で、日本語音声ガイドを耳に人混みをかき分けながら数多くの絵を観た。 晩年の「烏の群れ飛ぶ麦畑」が強く印象に残っている。 どんな思いで描いたのだろう、と思いながら見たものだ。

 下は、ロビーの展示。 無名塾のポスターや、「マクベス」の写真や衣装。 
          

           

 そして、ここにもパテシェ辻口氏のケーキが売られていました。
                
 

津軽三味線”疾風(はやて)”コンサート

2010-10-10 | 音楽
 10/2(土)、金沢市石川県文教会館にて、津軽三味線「疾風」コンサートへ。 ひがし茶屋街からタクシーで乗りつけた。

 ロビーは混雑しており、ポスターや花束が・・・。 ポスターの向かって左が永村幸治さん。 前中央はリーダーの小山内薫さん(青森出身)。 右と後中央が柴田雅人、柴田愛さん兄妹(仙台出身)。 4人とも20代か30代を出たばかりと言う若さだ。 (トップ写真は「疾風」のHPより永村さん。 このページ1番下にURLを載せたので覗いてみてください。 三味線の音色が聞こえます。)
                           

  6時開演。 コンサートにつきもののプログラムはない。 たぶん即興の演奏が多いのかも。 それぞれの出身地の民謡の演奏もあったが、その他はたぶん全部オリジナル曲。 幸治くん作曲と言うのもいくつかあった。 それぞれ若者風のタイトルはついていたが忘れている。 ともかく力強く、迫力があり、かと言えば、か細く弦をはじく音の連続。 拍手をすれば音がかき消されそうで、聴き入ってしまう・・・。 エールをどう送ればいいのか、迷ってしまう。 右手でバチ、左手で爪弾きと、同時に演奏する曲もある。

 演奏の間にトークがあり、それぞれの地方の方言の話、日ごろ地方で練習や活動をしているが、4人集まってリハーサルをする練習の厳しさ、呼吸の合わせ方の話から、チームワークの良さ、切磋琢磨している様子が聞きとれる。 
 全身で演奏する姿は、若さと言うか、情熱と言うか、一途さと言うか…、ジンと伝わる来るものがあり、隣席のKaさんなど涙を出しておられた。
 
 幸治くんは、9歳の時、三味線の弾き手の袴姿に憧れ、三味線を習い始めた。 12歳の時、津軽三味線の演奏を聴き、その迫力と技と音色に心打たれて津軽三味線を習い始めた。 その後数々の大会で活躍テレビラジオにも多く出演しているそうだ。 ようこ姫さんの言葉によれば、親類として会う時は、優しい礼儀正しい好青年とのことだ。
  ロビーでご両親に挨拶をして帰路についた。 帰りの車は、少しお喋りを控えるつもりだったが、相も変わらずの賑やかさだった。 1日楽しい小旅行で、みな満足。
    

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