Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

富山県宝生会・80周年記念・春季能楽大会

2015-06-30 | 能楽

 6/28(日)、3つの行事が重なっていた。親戚の行事とMiTUの10周年コンサートと富山宝生会の80周年記念能楽大会である。例年ならコンサートが優先だ。が、今年は10周年と言うことで練習日が追加、追加で多くなり、そのほとんどが日曜日。謡やお囃子のお浚い会や発表会と何度も重なり、出席できない。練習不足が続くとついて行けず、5月初めにコンサートは断念した。親戚の方も都合で変更になり、結局は、富山能楽堂での午前中の素謡「高砂」の地謡に出ることになって、「龍尚会」の後慌てて練習した。シテのHIさんとツレのKAさんはご年配の方だが、朗々とした声の立派な謡だった。↓は、能楽堂入り口。あいにく小雨の日。            

 ↓ 蒼山会の素謡「高砂」。             

 午後の第二部は、能「半蔀(はしとみ)」、狂言「長光(ながみつ)」、と能「石橋(しゃっきょう)」である。「石橋」の子獅子を宗家の和英(かずふさ)師が務められると言うので満席になった。             

 私たち「高砂」のメンバーが楽屋に座って次の出番の待機をしていたちょうどその時、宗家が到着され(東京から?金沢から?)足早に控室に入られた。同時に、牡丹の花、花台、半蔀、立花などの作り物も運ばれた模様で、控室入り口に置かれていた。            

  まず、能「半蔀」。「立花」の小書きがあるので、舞台正面に花が置かれています。(↓は、ネットの写真より)。これは「序の舞」を含む優美で幽玄的なお能。出典は言わずと知れた「源氏物語」の「夕顔の巻」。
 《前場》 都北の雲林院に住まいする僧(ワキ)が、夏の修行を終え仏に供えた花の供養をしていると、白い花が微笑むようにどこからともなく一人の里女(前シテ)が現れ、花を捧げます。僧が名を尋ねると、ただ夕顔の花と答えるだけで名を明かさず、五条辺りに住む者とのみ言って消え失せます。(中入り) 

 
 《後場》 舞台左手に、瓢箪と夕顔の蔓がからみついた半蔀屋が運ばれます。草葉に覆われた蔀戸を押し上げ、一人の女性(後シテ・夕顔)が現れます。夕顔の花の歌が縁で源氏と契りを結んだ楽しい恋の思い出を語りながら舞を舞います。このクセ舞と、続く序の舞が見どころです。大坪先生は燭光能では、夕顔の娘にあたる「玉葛」を舞われましたが美しい女性の舞がピタリと決まります。面は「増」、装束の白が夕顔を思わせます。

                     

 シテ:大坪喜美雄  ワキ:平木豊男  間狂言:荒井亮吉 
 大皷:飯島六之佐  小鼓:住駒俊介  笛:瀬賀尚義  (太鼓なし)
 地謡:衣斐正宜 他

 次に、仕舞3曲と狂言「長光」。「長光」は、田舎者から刀を騙し取るすっぱの話。この田舎者がなかなかの利口者、途中で気づき逆にすっぱをやっつけます。逃げて行くすっぱの上着を脱がせると、下に太刀が何本もぶら下がっていて大笑いとなります。
 シテ(すっぱ):鍋島憲  アド(遠国の者):清水宗治  アド(目代):能村祐丞

 最後に能「石橋(しゃっきょう)」。これも「連獅子」の小書きがある特殊演出。普通は赤頭(あかがしら)をつけた獅子(シテ)が一頭ですが小書きがつくと白頭(しろがしら・親獅子)と赤頭(仔獅子)の親子2頭が出て、白はどっしりと赤は敏捷に対照的な動きで相舞を舞います。最大の見どころです。

 《前場》 寂照法師(ワキ)が、唐土や天竺に渡り巡礼しながら文殊菩薩の住処とされる清涼山にやって来ます。有名な石橋のほとりに着き渡ろうとすると、一人の尉(ツレ)に咎められます。尉は、石橋の謂れを話し、普通の人間の渡れる橋ではないのでしばらく奇瑞(きずい・目出度いことの前兆)を待つがよい、と教えて立ちさります。

 《後場》 舞台正面に一畳台が3つ、紅、白、桃色の牡丹の花が3本運ばれます。「乱序」の囃子と共に、まず赤頭の仔獅子が、やんちゃな幼児のように軽妙な舞で現れ、続いてどっしりと構えた白頭の親獅子が現れ、2頭は牡丹と戯れたり、台の上に飛び乗ったり、橋掛りまで行きつ戻りつしながら、華麗に楽しげに舞います。仔獅子は台の上に両足を揃えてポンと飛び乗ったり跳び下りたり…。正面しか見えないのにとヒヤヒヤします。まさに獅子舞で、祝賀能に出す演目だそうです。また、お囃子が素晴らしい。速いリズムで、3つの打楽器がピタッピタッと決まります。タタン、ピーッと言うような普通聞かれないリズムが何度もありました。特に太鼓の徳田先生がかけ声も打つ音も大きく強く、全身全霊で打っておられました。

 白頭:佐野由於  赤頭:宝生和英  ツレ:金森秀祥  ワキ:苗加登久治
 大鼓:飯島六之佐  小鼓:住駒幸英  太鼓:徳田宗久  笛:寺井宏明
 地謡:前田晴啓 他。
 笛は、瀬賀先生のお師匠さんの息子さんだそうで、先生が後見につかれました。↓は、KI新聞のHPより。  

 帰りは、KAさんを送り、その後「柿の匠」で、なはさん、姫ちゃんご夫婦、SUさんと5人で夕食。興奮冷めやらず感想を話し合いました。↓は、白海老丼と氷見うどん。

             

 ↓は、翌日のKI新聞記事です。          


音訳ボランティア「あかね」の日

2015-06-25 | ボランティア

 毎月のことだが、月末は忙しい。6月は24(水),25日(木)が「あかね」の日。26日(金)が夫の月命日でお寺のお参り。27日(土)はお茶教室で、28日(日)は富山へ、29日(月)は城端へ行く予定だ。
 「今日行く」 所と 「今日用」 がひしめいている。

 この日の出席者は、7名+唯一の男性、Yクンの8名。夕方、欠席だったOさんが大事な書類を持って顔を出してくださった。
 とても暑い日。クーラーを入れてもらったが節電のため4時には切られ、そのせいもあってか、皆さん、いつもより読み間違えが多く(もちろん私も)、時間がかかった。下読みの段階でも、「介護保険制度」の記事で盛り上がり、「プレミアム商品券」でも「とてもお得、申し込んだ、当たらないかも?」等々賑やか。「介護保険料早見表」で「はい」、「いいえ」と進みながら、自分の年金がどれなのか誰も正確には知らないことに気づき唖然。

 ↓は、NAさんが持って来てくださったお手製のパン。ふわふわの出来立てを切り分けてもらう。                 

  ↓は、若いママさんのKAさん持参の糠漬け。真中の大きいのはズッキーニ。甘くて美味しい。                  

  KAさんちの坊やYクンは、愛敬者で可愛い。誰にでもニコッと笑顔。抱っこが大好きで、どのオバアチャンの腕の中でも大人しい。私もほんのしばらく抱いたが、その重いこと。ハアハァ息切れがして、もうダメ。7ヶ月ってこんなに重かったかしら。KAさんは片手で抱いて、別の片手で仕事を…、母は強しです。

 2日目は、5名でダビングとCD作り。終わって皆さんランチに。私は、福岡の「フェルベール」へ。粗品進呈の封筒が来ていたから出かける。城端とお隣さんへのお土産などを買って来た。↓は、粗品の「健康卵」。賞味期限までは生で食べられる。久しぶりに玉子ご飯を食べよう。


森田流笛の会「龍尚会」能楽発表会

2015-06-23 | 能楽

 6/21(日)、高岡市青年の家能舞台にて、瀬賀尚義先生のお笛の会「龍尚会」能楽発表会があった。私たち平米公民館組は毎年太鼓で出させてもらう。昨年は、合唱団MiTUコンサートと重なり欠席したので2年ぶりだ。              
 出番は、居囃子「右近」、連調連管が2番、素謡「石橋(しゃっきょう)」の地謡だった。「右近」は、先日の芙蓉会の舞囃子で打ち、ほぼ成功だったので安心感があった。まして、久しぶりにようこ姫さんの笛、同窓のTAさんの小鼓と共演なのでむしろ楽しみにしていた。早い出番にも係わらず、なはさん、みきこさん、風子さんが聴きに来てくださり張り切っていたのだが…。「そうは問屋が卸さない」でした…。

 ↓ まず、連調連管「舞働」。 

 ↓ 次に、居囃子(舞ドメ)「右近」。始まった途端、いつもと謡が違い慌てた。どこがどうなったのかわからないが合わないのだ。後で、TAさんもテープと全然違っていた、と。彼女もテープで練習しているのね。慌てるので間違ってしまう。どうやら「中の舞」で立ち直り、姫さんの笛もよく聞こえた。だが最後でまたまた???。置き撥を打とうとしたらもう終わっていた。どうして?               

 ↓ いくつか居囃子が続き、連調連管「早笛・舞働」。

 その後、素謡、舞囃子が続く中、昼食を取り、見所で番組をめくる当番仕事。
 ↓は、舞囃子「七騎落」。             

 ↓は、舞囃子「草紙洗」。しばらく休んでおられた笛のKIさんが洋服のまま出ておられた。間に合ったのだ、よかったね。こんなところがお浚い会の良い所だ。完璧な舞台を発表すると言うより、舞台で練習する…。だって、舞台で初めて合わせるのだもの。「芙蓉会」のように何度か申し合わせ(リハーサル)をする場合もあるが、普通は舞台で初顔合わせとなる。              

 ↓ 連調連管「下がり羽一段」。             

 この後、先生方の舞囃子があったが、私は義弟、義妹達と出かける予定があり、失礼した。この日をもって、1年の前半の太鼓のお浚い会は終了。後は、28日の素謡、8月の「薪能」の素謡、9月の仕舞の地謡、と続くが、11月までは、太鼓は普通のお稽古となり少しリラックスだ。(なはさんの写真をたくさんお借りしました。ありがとうございました。)


映画「海街diary」

2015-06-18 | 映画・テレビ・演劇・芸能

 急な事情で、6/13(土)の茶々姫教室がお休みになった。折しも「海街diary」の封切り日。初日に映画を観るのも楽しいかも、とプランに入れておいた。が、草むしりに手間取り行きそびれ。翌、日曜日の昼に変更した(一人で行く日はコレが自由でいい)。ところが、イオンって日曜日はこんなに混むの?と驚くばかり。駐車スペースがないのだ。結局、「ムサシ」に回り花苗を買って一旦帰宅。一休みして、夕方から始まる最後の上映時間に再度出かけた(ま、近いからね~)。

 公開前からの話題作。マンガ大賞受賞の吉田秋生の漫画が原作。「そして父になる」の是枝監督の作品。今年のカンヌ映画祭コンペティション部門出品作などなど。
 チラシの、トップに書かれた紹介文は…
 父が死んで、鎌倉の家に、腹違いの妹がやってきたーー。海の見える街を舞台に、四姉妹が絆を紡いでいく。深く心に響く、家族の物語。   

 簡単に言えば、↑のような物語。見終わった印象は、なんか「若者たち」の女性版? 父を許せぬ、親代わりでしっかり者の長女・幸に綾瀬はるか、自由奔放な次女・佳乃に長澤まさみ、マイペースの三女・千佳に夏帆、母親の違う四女・すずに広瀬すずが扮する。
 かと思えば、「東京物語」の家族や尾道の雰囲気もあり…。是枝監督は、小津安次郎の作品をかなり意識して撮ったと、後で知り納得。小津作品の空気がなんとなく感じられる。
 また、カンヌ映画祭で最年少男優賞をとった柳樂くんが主演した映画「誰も知らない」(これも是枝監督)と同様に、親に捨てられ兄弟姉妹が助け合って生きて行く物語、とも言える。

 あらすじの詳細は割愛します。ご覧になって、会話や景色を楽しんでください。    

                   

 写真のサイズがバラバラで見にくいが、雰囲気だけでもと取り集めました。他に、大竹しのぶ、樹木希林、風吹ジュン、りりー・フランキー、堤真一などなど…が助演。音楽(菅野よう子)もとてもきれいです。


お知らせ & イギリスだより

2015-06-17 | 日記・つぶやき

 《お知らせその1》
 6/21(日)、高岡能楽堂で、お笛の会「龍尚会」(瀬賀尚義先生の会)のお浚い会があります。11時開始です。平米組は、連調連管の「舞働」と「早笛」、素謡「石橋(しゃっきょう)」の地謡に出演します。その他に「居囃子」(舞留メとも言い、舞のないお囃子)でようこ姫さん、同窓生のTAさんと一緒に「右近」の太鼓を打ちます。他に先生方の舞囃子もたくさんあります。お囃子を楽しみたい方はぜひどうぞ。       

 《お知らせその2》
 6/28(日)、富山能楽堂で、富山県宝生会の80周年記念能楽大会が開かれます。午前は会員の素謡、午後から、能2番と狂言1番が演じられます。 

 ↓ 午後2:20より能「半蔀(はしとみ)」シテは、大坪喜美雄先生です。

 ↓ 狂言「長光」と能「石橋」。「石橋」の獅子は、佐野由於と家元の宝生和英、ツレは金森秀祥の各先生方です。チケットは3000円です。

 《イギリスだより》
 ↓ マークから届いたスケッチのカード。ニースの古い港だそうです。4月に中村印房さんで作ってもらったお気に入りの赤いハンコがよくマッチしています。        

 


演劇 「春、忍び難きを」

2015-06-15 | 映画・テレビ・演劇・芸能

 ↓のポスターを見てください。雪の剱岳と紅葉の五箇山の風景のようにも見えますが、信州松本のお話です。原作者の斎藤憐(さいとうれん)さんは岡山の出身で、自分の体験を書かれたとか。   

 タイトル「春、忍び難きを」の文字は活字体ですが、緑色の「」、青色の「」び、赤色の「」きはまさにテーマを象徴していると思いました。
 出演者の上に横文字で書かれているのは…

 戦後70年を迎える今、
もう一度この作品を通して日本のあり様を考えてみたい。
 社会の変化におびえるあの時代の男たち、
 そんな男たちをしり目に、女たちは黙々と農作業に従事していた。
 紀伊国屋・鶴屋南北ダブル受賞の斎藤憐が、最高のスタッフ・キャストで
 新劇の真髄に迫るーーー。

 昭和20年、敗戦の年の12月。この年は、半世紀に1度の大凶作だった。信州、松本近郊の里山辺の丘陵地にある庄屋・望月多聞はこの地の村長であり、名士だったが…。
 敗戦、食糧難などの事情で望月家の子どもたちやその家族が帰郷して来る。家督を次男に譲り朝鮮で林業を営んでいた長男一家、復員して来た3男たちである。だが、後継ぎである次男はまだ帰らず、消息不明だ。
 やがて、農地改革、選挙法改正(女性参政権)、公職追放令がの波が地方にも押し寄せてきた。多聞や長女の夫で大学教授の葛西はおびえる毎日だ。地主と小作人の立場が逆転し、字が書けない多聞の妻は投票するためにカタカナを習う。 

 ちょうど、私が6歳の頃の出来事。知識としてはは知っていたが…、日本中の農家がこの大変革に遭遇したのである。また、「松代大本営」が最初は松本にと言う案があったと言うことも初めて知った。そんな中で黙々と農作業に精を出して働く女たち。多聞の妻サヨ、出戻りの多聞の姉トメ、次男の嫁、よし江…話している間も手を休めない。田植え、草取り、稲刈りくらいしか知らない私だが、野菜の種まきや収穫、季節ごとの作業を、天気を見ながら進めて行く姿が淡々と描かれる。満蒙開拓団の引揚者が美ヶ原を開拓する苦労も話される。苦しい生活ながらも、会話は明るい。

 隣席のSUさんご夫婦は農家の方、食い入るように観ておられた。私も、GHQやら熊谷組やらが出てくる会話は難しくて飛ばして聞いていたが、眠くなるどころか引き込まれて最後まで観た。
 さすがに「俳優座」、力まぬ淡々とした演技が観客を引き込むのだ。終われば大きな拍手。全員に花束が贈られた。なはさん達は担当サークルだったそうで、交流会にも参加されたようだ。

 ↑ の女優さん達は、サヨ(川口敦子)、トメ(美苗)、よし江(井上薫)さん達5名。
 男優さん達は、多聞(小笠原良知)、葛西先生(森一)、長男(加藤佳男)、三男(脇田康弘)、村役場の兵事係(河原崎次郎)など8名の皆さんでした。
 


紫陽花 & お菓子いろいろ 

2015-06-13 | 自然・海山草花

  北陸も入梅か?と思えば、また晴れ間。嬉しいような落ち着かないようなお天気が続いています。九州を旅している友人達は豪雨に合って困っているのでは?と心配になります。

 我が家の紫陽花も開花しはじめて、前庭がいっぺんに賑やかになりました。さて、古い写真もありますが、まずお茶のお菓子を紹介します。
 ↓ 青もみじだったな。

  ↓ 見た通り、お馴染みの「鮎」です。この季節、必ず登場します。顔がユーモラス。

  ↓ 紫陽花。3人分を寄せ集め、葉っぱは本物です。

  ↓ ピンクの蛇の目傘が可愛らしい。紫陽花は本物です。

  ↓ 葛もちが涼しげですね。

  ↓ 氷見、井上菓子舗の「鰤大敷」を皆でいただきました。最中の皮と餡が別になっているのです。食べる直前に皮に包むので香ばしいです。皮の模様が大敷網。風子さんの姪御さんの考案とか。お菓子は、素材、味だけでなくアイディアやデザインが大切と言うことがよくわかります(朝ドラでまれが工夫していますね)

  ↓ この日は名水点て。茶々姫先生が佐野の水を汲んで来てくださいました。

  ↓ 赤い紫陽花。玄関のすぐ傍に咲いています。だいぶ増えました。

  ↓ 墨田の花火。まだ咲きかけです。

  ↓ 墨田の花火の蕾。

  ↓ これも今からです。よく見かける種類ですが名前は知りません。

  ↓ アマチャです。フェンス側です。今年はたくさん開花しています。


ランチいろいろ

2015-06-11 | 食物

  「芙蓉会」が終わり、残るは21日(日)の「龍尚会」(お笛の会)だけとなったので、気分は少しのんびりです。ここ4日間、毎日少しずつ庭の草取りを日課にしています。長い間の手抜きのため、ドクダミ花壇になっていました。1時間弱、無理をせず、疲れたら止める、をモットーに始めると意外に続くものですね。今日は、平米のお稽古の日だから除草デーはお休みしました。

 さて、4月以来のランチを紹介します。
 《4/22 わはく》 ここは久しぶりでした。年数回の「あしつきの会」の皆さんと。      

    

       

  《5/20 駅南ココス》 燭光能を観た後で、ようこ姫さんと。↓は、クレープハーフサイズ。        

  ↓ 包み焼ハンバーグ。ナイフで切ってもらいました。          

 

             

 《4/22 紅虎餃子茶寮 》 映画「稲塚権次郎物語」を観た後で。映画の半券で杏仁豆腐のサービスがあります。           

 《6/5 Paris》 写友会写真展の後、ようこ姫さん、風子さんと。私は2度目。↓は、2種類のトースト。ボリュームたっぷりです。           

             

 最近は、一人で外出の時は午後家を出ることが多い。誰かと会う時はランチを一緒にするのも楽しみになった。


第七回 高岡芙蓉会謡曲大会

2015-06-09 | 能楽

 今年、第7回発表会を迎えた「高岡 芙蓉会」(呉西地区女性の謡曲の会)が、5/30(土)に無事終了した。例年4月末に行われているが、能楽堂のリニューアル記念に「能衣装の着付」イベントが計画され、そのせいか5月末にずれ込んだのである。今年も5回出番があり、おまけに木戸係も当たり、息継ぐひまもない緊張の連続だった。

 平米公民館で謡と太鼓を習い始めて10数年、一番緊張するのが「舞囃子」だ。笛、小鼓、大皷、太鼓と、謡、さらに舞とのアンサンブルで、私が打てるのは、舞働、早笛、中の舞、早舞。今年は「右近」(中の舞)、何度か打っているのに「申し合わせ」で間違ってばかり。前日も散々で「もう止めよう」と思っていた。        

 オープニングは「鶴亀」の連吟。無本である。私は地謡。(K新聞の記事をようこ姫さんがアップ、お借りしました) 所々ムニャムニャ言っていたのだが、口が開いていてホッ。         
 その後、素謡「東北」のシテ。特訓を受けた成果はあったかな?出番のない時は木戸の開け閉め。
 昼食後、「総会」。その後、能衣装の着付けとなる。着付けをされるのは金森先生。補助に広島、山崎、大澤先生。なんと4人がかりだ。モデルのFUさんは、下衣装と鬘の下につける黒い帽子を被って登場。着膨れしている(そうは見えません)のは、衣装を汗で汚さないように綿が入っているそうだ。FUさんの緊張を和らげるように金森先生は終始にこやか。

 まず、髪の毛。 髪がすれないよう、整うように押えながら、黒い紐で止める。「ハイ、と言うまで締めますよ」の言葉に会場は笑いに包まれた。           

            

 ↓ こんなに素適に仕上がりました。さすが仕舞を習っておられる方、姿勢、指先の美しさ、申し分ありませんね。そして、いよいよ着物。その前に下着の裾上げをされる。動きやすいようにするためだろう。

                        

 ↓ 下前裾が上がるように着つけ、余分になったものは、腰紐に巻き込み、すっきりさせる。上前を重ね、腰紐をしっかり止める。 きつくするので 「お〆いたします」 と言うそうだ。衣装の着付けは、若い20代の人の仕事。 
「長い間、着付けをしたことがないので、思い出しながらします」 とは、金森先生の弁。襟を整えるのが難しそう。

               

 ↓ 糸で縫いつけます。 

  いよいよ面(おもて)をつけます。 面には長い紐が付いています。 目のところだけ小さな穴があり、シテはその穴からしか外が見えません。「能では、面をつけるとどんな醜男でも綺麗になれる。 その力を借りて、舞います。 だから、手に取ったとき、面を見て 『力をお借しください』 といただいてから着けます」と金森先生。

 

 ↓ さて、「熊野(ゆや)」の仕舞です。熊野は平宗盛の愛妾。故郷の母の病状が思わしくなく、帰郷を願い出ますが許してもらえず、花見の宴にお供します…。 

      

  ↓ 終わりました。先生方もホッとしたお顔。

 そのすぐ後の素謡「融」。蒼山会のメンバー。シテはTOさん、ワキがKUさん。

  連調連管「竹生島」は、小鼓が4名、太鼓が4名、笛が8名、謡が9名。ピシッと揃い(たぶん)、評判がよかったようです。私の舞囃子「右近」も上田先生の後見のおかげで今までで最高の出来栄えと自画自賛。中の舞の後の謡の部分が息が合って、とても打ちやすかった。最後に、大皷と合わせるところもポンと決まった(たぶん)。直らいの席で、金森先生に「謡いやすかったですよ」と、褒めてもらった。こんなことは初めて。

 6/7(日)、古城公園内「古城亭」で反省会。久しぶりの公園は木々の緑が美しい。

 

             

 写真の半分以上はようこ姫さんにお借りしました。ありがとうございました。そして、FUさん、お役目ご苦労さまでした。見させていただきありがとうございました。


第12回 伏木写友会 写真展・6/5(金)~7(日)

2015-06-07 | イベント

 6月の第1週末、とだけインプットされていた「写友会 写真展」。姫さんのブログに改めて紹介があり、初日に出かけることにしていた。私は何の予定もない日、姫さんは当番の日、と言うわけで約束したのに、アレコレ用事をしていて遅れ、催促電話がかかった、「風子さんが来ておられ、待ってもらっている」と。

 毎年、必ず見に行く写真展。時には夕方、誰もいないホールで写真だけ撮って来たこともあったっけ。今年は、一枚一枚丁寧に解説してもらった。会場は、高岡文化ホール 2階展示ホールだ。(珍しくカメラを忘れ、姫さんの写真をお借りしました)        

 今年は、お亡くなりになったお二方の遺作展も併催されている。この方は、マイ美容師さんの友人でもある。知らせてあげましょう。                

 ↓は、搬入時の写真だそうだ。一人ひとりが写真に対する思いを語り合われたそうだ。だから、私たちも姫さんから、詳しい説明を聞けたのだろう。              

 ↓ の5点の真中3点が姫さんの作品。左から「秋、華やぎ」、「桜コーヒーはいかが?」、「花すだれのむこうにも・・・」。金剛輪寺の紅葉、伏木「よへさ」の枝垂れ桜が映っているコーヒーカップ、信州高山村の枝垂れ桜…、一度見ている写真、同じ場所に私も一緒にいた写真もあり、興味深い。会員同士で意見交換もされるようだ。やはりただ眺めて来るより、話を聞くのは楽しいものだ。 タイトルも素適ですね。        

 ↓の2点は、最近伏木港に寄港した「ダイヤモンドプリンセス号」。            

             

 寄港後、大勢の船客が、高岡市内や県内各地の観光地へツアーに出かけられるとのこと。風子さんは市内観光のボランティアガイドをされる。もちろん英語で。そのための研修も受けられるのだろう。
 「あかね」の友人は、万葉衣装の着付けボランティアに行くと話しておられた。大型客船の寄港は、伏木にとっても、高岡市、富山県にとっても財産になる、と思った。
 この後、3人で「Paris」でティータイム。それはいずれまた。写真展は今日、7日(日)まで。44点展示してあります。


能「岩船」と燭光能「玉葛」

2015-06-05 | 能楽

  5月に高岡で観たお能を2曲、紹介します。こんなに頻繁に高岡でお能が観られるようになりホントに嬉しいことです。

 5/17(日)、東京から帰った直後の日曜日に高岡能楽堂で、高岡能楽会主催の「第72回定例能楽大会」が行われた。私は練習不足のため午前の素謡は欠席したが、第二部「鑑賞能」を観に行った。その中から若手能楽師さんの舞台を紹介します。(高岡能楽会HPより)

 ↓は、金森良充師の仕舞「融」。月をモチーフにした世阿弥の名曲。光源氏のモデルとも言われる源融が荒涼とした六条河原の院に現れ、かつての源氏の栄華を再現します。     
 ↓ 金井賢師の舞囃子「忠度」。清盛の末弟、忠度は歌人でもあり藤原俊成に師事していたが、『千載集』に選ばれながら、朝敵故に“詠み人知らず”とされたことを嘆きます。また、一の谷の合戦で岡部六弥太と組み、討たれてしまう様子を詳しく語ります。 

 ↓ 能「岩船」。 祝賀の雰囲気に満ちた、めでたく爽やかな能。高麗、唐土の宝を集める、という設定が特徴的で、古い時代の海外交易、国際交流の様子が窺われます。左橋掛りに勅使(ワキ:平木豊男)が登場します。

 ↓ 「唐人姿でありながら大和言葉を話す童子」(前シテ:金森隆晋)が宝珠を持って現れ、「君に捧げる」と勅使に渡します。

 ↓ 童子は一旦姿を消し、中入り後龍神となって現れ、「宝の御舟を守護する龍神である」と告げて「引けや引けや」と囃子ます。 
 当時の住吉の浦の海外貿易港としての異国情緒や、天の岩船が漕ぎ寄せる様子、積み込んできた天の宝を想像しながら観ると楽しみも広がります。何度か太鼓を打っていますが、その調子の良いリズムに乗るとウキウキします。が、合わないと散々と言う曲です。

 ↓は、「高岡能楽会」のHP。たまに開いてみるとお知らせや舞台写真が載っています。  

 http://nougakukai.sensyuuraku.com/

 5/20(水)、例年のように、高岡 瑞龍寺にて「利長忌」の法要が営まれ、燭光能「玉葛」の半能(後場だけ)が奉納された。
 ↓ 大坪喜美雄師のシテ玉葛。玉葛は「源氏物語」の夕顔の娘。母亡き後筑紫の国に住んでいたが逃れて奈良 長谷寺までやって来る。後場では、玉葛の霊が恋に悩む乱れ心、妄執にかられて苦悩するありさまを謡い舞います。(写真はT新聞から) 

 今年は法堂の扉を閉め、観光客からは観られないようになっていたせいか、観客は少なめだった。上の写真は明るいが、実際には蝋燭の灯りだけかと思われるほど薄暗い法堂の中での能。まさに幽玄の世界だった。


「リゾート・ヴィラ雨晴」 & 氷見あちこち

2015-06-03 | 日記・つぶやき

 5/27(水)、SAさんと「リゾートヴィラ雨晴」へTEさんを訪ねた。TEさんは、元職場の大先輩、私と同じ町内にお住まいだが、数年前からこの介護つき有料老人ホームで暮らしておられる。島尾海岸の近くで、部屋の窓からは刻々と変化する富山湾の海が眺められる。

 ↓の絵をご記憶の方もあるだろう。昨年訪ねた時に壁に貼ってあった「日本の童謡とその風景」。たくさんの童謡の楽譜に絵を添えてあり、一緒に歌って来たものだ。

 以前はこのホーム内に中華料理店がありそこで食事したのだが、今はない。TEさんを訪ねる前にまずランチだが、浜井フードセンター前の「おやもと」は定休日、次に氷見海浜公園の「ヴォルカノ」へ行くと、貸し切り。ついてないね~、と前庭の花壇で一休み。↓は、サルビアとニチニチソウだったかな? 

 ↓ 紫がきれい、何の花?と近づくと紫蘭、手前はマリーゴールド。夏花壇用のごく普通の花たちなのにデザインがいいのか、手入れがいいのか、松の緑に映えてとてもきれい。 

 「5分くらいで番屋街ですよ」と言われ、海岸の道を走る。実は私は一度も行ったことがないのだ。先に「魚々座(ととざ)」に着いた。4月にオープンしたばかりとか。が、ここも水曜日はお休み。覗くと、大きな定置網や船が見える。食事もできるらしい。魚の図書館もあるようだ。入り口のポスターだけ見て素戻りする客が他にも何人か…。 

 ↓ 入り口までの床面に何か描いてある。魚を定置網に追い込む「垣網」(左に垂れている)のようだ。

 ↓ さて、「番屋街」に到着だ。

 ↓ 入るとすぐ、「井上菓子舗」のお店。あ、先日なはさんが寄って来られたのはここね。以前、風子さんもクリスマスの様子を紹介してくださった…。壁の振袖は、奥さまがお里からもらって来られたものでお母様の形見とか(なはさんのブログより)。左の「鰤大敷」の最中が名物だそうだ。

  ↓ 包み紙が白く見えるが、本当は紺碧の海の色。茶々姫教室へ持って行くつもり。

 ↓ ちょっとしか買わないのにいくつかオマケをつけてくださった。ハッキリ撮れた「虻島」と「阿尾」。残りは私のお腹に。

  「どこか食事するお店のお薦めは?」と聞くと、お隣の「三喜」を紹介してくださった。 昼時とて、少し待ってカウンターに案内される。 ↓ は「おまかせ膳」。キトキトの刺し身にかぶす汁が美味しい。  

 そして、雨晴へ戻った。↓は、「リゾートヴィラ雨晴」の全景。TEさんの部屋の壁に貼ってあったものです。
 最初、部屋のドアを開け、「ァ、部屋を間違えた?」とウロウロしていると、「誰か?」とドアを開けて顔を見せてくださった。髪型が変わっていて私が見間違えたのだ。とてもお元気。動作がスムーズになっておられた。

 ↓は、海の向こうの立山連峰。 

 ↓ こんな面白い絵も。浦島太郎かな?棟方志功の絵のようにも見える。

 「移動図書館が来ましたよ」との案内があり、階下へ降りて行かれた。借りて来られた本は?中国と韓国のなんとか…と言う難しそうな本に混じって、紙芝居があった。嬉しそうに、紙芝居をケースから出しておられる。目下、紙芝居を制作中とか。職員さんに頼まれて、もういくつか描いておられる様子。パーキンソン病はすっかり治ったように見えた。手の震えもなく、歩くのも歩行器なしだ。訪ねるごとに回復しておられ驚く。息子さんが、ぜひ東京の新居に、と言われるので、今度新幹線に乗って行くのだと嬉しそうにしておられた。

 この日は、夜米島さん宅で芙蓉会と龍尚会のための申し合わせのある日。早めにおいとまして階上のお風呂へ。時間が早いからかSAさんと私の2人だけ。海を眺めゆっくり手足を伸ばして来た。


「藤香会」 & 「ゆず庵」

2015-06-02 | 映画・テレビ・演劇・芸能

 義妹の友人が、定年退職後フラメンコと日舞を習い始めたと言う。5年目くらいかな? 私も当時そうだったな~、アレもコレもと、気の向くまま試していたものだ。
 彼女は今も続けておられるようで、日舞「藤香会」の発表会のチケットをもらったそうで、私にもお誘いがあった。5/24(日)、予定も入っていないので義妹と高岡文化ホールへ。そう言えば、4年前友人のSEさんの舞踊を観に行ったことがあった。

 文化ホールは満席。舞台も美しく、衣装も豪華、長唄や清元の三味線の音色がべんべんと響き、踊りの所作の優美なこと。うっとりする。数枚だけ撮らせてもらった。

 ↓は、TAさんの「春の調」。

        

 ↓は、「水仙丹前」。           

            

 ↓は、SEさんの「楠公」。中老と侍女の踊りで、最初は楠正成と正行の桜井の別れの場面、後半は鉢巻をしめて、湊川の戦の激しい踊りになります。 皆さん、姿がきれいですね。平生からきれいなポーズでいるように気をつけなくちゃ。だんだん前かがみになっている私は、いたく反省。           

                 

 午前中だけ見て、駅南「ゆず庵」でランチの予定。最近できた新しい店。寿司・しゃぶしゃぶの店だが、昼時は1300円~1500円くらいのランチがあるそうだ(義妹が1度入った時のこと)。が、入ってから気がついた。この日は日曜日。                 

 ↓ 「食べ放題メニュー」は2000円。昼からこんなたくさん食べられない2人。単品メニューから盛り合わせ寿司を選び、デザートをつけてお終いにしました。                   


映画「NORIN TEN ~ ”農の神”と呼ばれた男「稲塚権次郎物語」

2015-06-01 | 映画・テレビ・演劇・芸能

 5/30(土)、「高岡芙蓉会」の謡曲大会が無事終わった。3月に2回、5月に2回、今年になってから早4回も私の出番がある会があり、中でも蒼山会と芙蓉会は舞囃子で太鼓を打つのでとても緊張する。今年は両方とも同じ曲で「右近」、今までも何度か打っているのに、前日の「申し合わせ」(リハーサル)が散々だったので、そろそろ潮時だな~と一晩落ち込んでいた。皆さんに励まされ、どうやら恙なく終わり、もう少し続けてみようと言う気になっているから現金なものだ。

 翌日曜日の昨日は、1日中ぼんやり過ごし充分に休養した。延び延びになっていた電話をかけたり、メールをしたり…。
 さて、5/22(金)に見てきた映画を紹介します。今、県内で先行上映中の「NORIN TEN ~ 稲塚権次郎物語」だ。高岡では、6/7(日)までと聞いている。全国公開は今秋らしい。↓は、城端町「じょうはな座」での特別試写会の様子。監督や出演者のトークがあったらしい(トップ写真)。      

 ♪誰かさんと 誰かさんが 麦畑 チュッチュッチュッチュッ している いいじゃないか 僕には恋人ないけれど いつかは誰かさんと 麦畑♪ (なかにし礼作詩)  原曲の歌詞は、ロバート・バーンズの「ライ麦畑で」。ライ麦も小麦も、昔は背丈が高くこっそり隠れることができた。背が低く倒れにくい、高収量品種の「小麦農林10号」の遺伝子が育種されるまでは…。この遺伝子の普及により世界、特にアジアの発展途上国の小麦の収量が目覚ましく増えたそうだ。それが、80年前(1935年)のことだった。

 「農林10号」の生みの親、稲塚権次郎(1897~1988)さんは、南砺市(旧東砺波郡蓑谷村西明)の農家の長男として誕生。福野農学校から、東京帝国大学 農科大学農学実科に入学、育種学を学んだ人。同郷の偉人として名前だけはなんとなく聞いていた。数年前に福野高校の同窓会が開かれた時、「巌淨閣」(明治期に建てられた古い校舎)を訪ね、「権次郎さんのコーナー」で、彼の功績が展示されているのを見たが、よくわからなかったものだ。この映画で、その人柄や研究に捧げた人生を改めて知ることができた。
 育種80年を記念し映画化の話が進んでいる、仲代達矢さんが主演するなどのニュースがチラチラと耳に入って来た。同級生が何人かエキストラ出演する、同級生の娘さんで書家の方がタイトル文字を揮毫などのニュースも…。 県内上映も短期間と聞き、忙しい最中にようこ姫さんを誘って観に行った。 ↓は、ポスター。

 映画が始まると、真っ赤なポロシャツの権次郎さん(仲代達矢)がオートバイに乗って、田圃道を走っている姿が現れる。後からトラックが来てもどこ吹く風。写生中の小学生達が「権次郎さ~ん」と呼びかけ、手を振っている。道で転倒することもあっただろう。故郷の城端へ帰ってからの晩年は変わり者で通っていたとも聞く。が、村人達には親しまれていた様子だ。長い間、地元を離れ育種に没頭し、北京にまで渡り、戦後は金沢に赴任、最後に奥さんと二人、城端へ戻った後は、親や妻を愛し、故郷を大切に思って生きられたことが伺われた。

 権次郎さんは、福野農学校で学び、ダーウインの「種の起源」と運命的な出会いをします。貧農の家で進学を断念しますが、本家の援助のおかげで東京帝大へ進みます。昭和の初め、国を挙げて食料増産が叫ばれる中、「美味しくてたくさん採れる米と麦」の育種をめざし研究を続けます。青年時代を「無名塾」の俳優の松崎謙二さん、母親に藤田弓子さん、妻イトに野村真美さん、同僚に益岡徹さんなどが出演しておられます。

 大学卒業後、秋田で「陸羽132号」などの米の改良に係わります。この品種が「こしひかり」の元となったそうです。もっと米をと望んだにもかかわらず、8年後には岩手で小麦の育種に携わることになります。国の方針なのですね。ここで、「農林10号」を育種します。イトさんとの出会いもあり、故郷で結婚式を挙げます。
 大戦前の、1938年中国・華北産業科学研究所に赴任。権次郎さんは単身で、と言いますがイトさんはついて行きます。そして、戦争、終戦…。すぐ戻る同僚もいる中で、彼と他数人が残留組になるのです。友人との別れの場面が泣けました。二人とも謡曲を習っていたのでしょう。「俊寛」を謡いながら涙ながらに舞うのです。戦後の中国での生活の中で、イトさんは心を患い廃人同様になって帰国します。その後、金沢に赴任、定年を迎えて城端の実家に戻るのです。母こうさんと妻イトさんと3人で暮らし、イトさんの髪を梳いたり、洗い物をしたり、優しく看病します。母と妻を見送り、1988(昭和63)年、92歳で城端で亡くなられました。

 伝記ものでドキュメンタリータッチの映画だが、私にとっては故郷の人、感動する場面がたくさんあった。エキストラで出演した同級生達はどこ?と、目を凝らしていたがわからずじまい。残念。

 ↓は、図書館で借りた原作となった本です。作者の千田篤さんは富山の方。友人のasaちゃんのお父さんが町医者として実名で登場(名前だけですが)しておられる。  

 ↓は、本の中の写真からいくつか紹介します。大学の卒業写真。 

 ↓ 克明にとられた実家時代のノート。「まっさん」のノートもこんなでしたね。 

 ↓ 実験中の権次郎さん。 

 ↓ 東北の大凶作を救った陸羽132号など。 

 ↓ 岩手時代。 

 ↓ 盛岡の写真館での記念撮影。 

 ↓ 金沢で開かれた「日本育種学会」のパーティで。ノーベル賞を受賞したボーローグ博士と対面。博士は「農林10号」の遺伝子を受け継ぐ小麦を誕生させた。 

 ↓ 生家近くに建てられた胸像の前で。

 県外の友人達も読むと思うので、長くなりましたが細かく紹介しました。