6/28(日)、3つの行事が重なっていた。親戚の行事とMiTUの10周年コンサートと富山宝生会の80周年記念能楽大会である。例年ならコンサートが優先だ。が、今年は10周年と言うことで練習日が追加、追加で多くなり、そのほとんどが日曜日。謡やお囃子のお浚い会や発表会と何度も重なり、出席できない。練習不足が続くとついて行けず、5月初めにコンサートは断念した。親戚の方も都合で変更になり、結局は、富山能楽堂での午前中の素謡「高砂」の地謡に出ることになって、「龍尚会」の後慌てて練習した。シテのHIさんとツレのKAさんはご年配の方だが、朗々とした声の立派な謡だった。↓は、能楽堂入り口。あいにく小雨の日。
↓ 蒼山会の素謡「高砂」。
午後の第二部は、能「半蔀(はしとみ)」、狂言「長光(ながみつ)」、と能「石橋(しゃっきょう)」である。「石橋」の子獅子を宗家の和英(かずふさ)師が務められると言うので満席になった。
私たち「高砂」のメンバーが楽屋に座って次の出番の待機をしていたちょうどその時、宗家が到着され(東京から?金沢から?)足早に控室に入られた。同時に、牡丹の花、花台、半蔀、立花などの作り物も運ばれた模様で、控室入り口に置かれていた。
まず、能「半蔀」。「立花」の小書きがあるので、舞台正面に花が置かれています。(↓は、ネットの写真より)。これは「序の舞」を含む優美で幽玄的なお能。出典は言わずと知れた「源氏物語」の「夕顔の巻」。
《前場》 都北の雲林院に住まいする僧(ワキ)が、夏の修行を終え仏に供えた花の供養をしていると、白い花が微笑むようにどこからともなく一人の里女(前シテ)が現れ、花を捧げます。僧が名を尋ねると、ただ夕顔の花と答えるだけで名を明かさず、五条辺りに住む者とのみ言って消え失せます。(中入り)
《後場》 舞台左手に、瓢箪と夕顔の蔓がからみついた半蔀屋が運ばれます。草葉に覆われた蔀戸を押し上げ、一人の女性(後シテ・夕顔)が現れます。夕顔の花の歌が縁で源氏と契りを結んだ楽しい恋の思い出を語りながら舞を舞います。このクセ舞と、続く序の舞が見どころです。大坪先生は燭光能では、夕顔の娘にあたる「玉葛」を舞われましたが美しい女性の舞がピタリと決まります。面は「増」、装束の白が夕顔を思わせます。
シテ:大坪喜美雄 ワキ:平木豊男 間狂言:荒井亮吉
大皷:飯島六之佐 小鼓:住駒俊介 笛:瀬賀尚義 (太鼓なし)
地謡:衣斐正宜 他
次に、仕舞3曲と狂言「長光」。「長光」は、田舎者から刀を騙し取るすっぱの話。この田舎者がなかなかの利口者、途中で気づき逆にすっぱをやっつけます。逃げて行くすっぱの上着を脱がせると、下に太刀が何本もぶら下がっていて大笑いとなります。
シテ(すっぱ):鍋島憲 アド(遠国の者):清水宗治 アド(目代):能村祐丞
最後に能「石橋(しゃっきょう)」。これも「連獅子」の小書きがある特殊演出。普通は赤頭(あかがしら)をつけた獅子(シテ)が一頭ですが小書きがつくと白頭(しろがしら・親獅子)と赤頭(仔獅子)の親子2頭が出て、白はどっしりと赤は敏捷に対照的な動きで相舞を舞います。最大の見どころです。
《前場》 寂照法師(ワキ)が、唐土や天竺に渡り巡礼しながら文殊菩薩の住処とされる清涼山にやって来ます。有名な石橋のほとりに着き渡ろうとすると、一人の尉(ツレ)に咎められます。尉は、石橋の謂れを話し、普通の人間の渡れる橋ではないのでしばらく奇瑞(きずい・目出度いことの前兆)を待つがよい、と教えて立ちさります。
《後場》 舞台正面に一畳台が3つ、紅、白、桃色の牡丹の花が3本運ばれます。「乱序」の囃子と共に、まず赤頭の仔獅子が、やんちゃな幼児のように軽妙な舞で現れ、続いてどっしりと構えた白頭の親獅子が現れ、2頭は牡丹と戯れたり、台の上に飛び乗ったり、橋掛りまで行きつ戻りつしながら、華麗に楽しげに舞います。仔獅子は台の上に両足を揃えてポンと飛び乗ったり跳び下りたり…。正面しか見えないのにとヒヤヒヤします。まさに獅子舞で、祝賀能に出す演目だそうです。また、お囃子が素晴らしい。速いリズムで、3つの打楽器がピタッピタッと決まります。タタン、ピーッと言うような普通聞かれないリズムが何度もありました。特に太鼓の徳田先生がかけ声も打つ音も大きく強く、全身全霊で打っておられました。
白頭:佐野由於 赤頭:宝生和英 ツレ:金森秀祥 ワキ:苗加登久治
大鼓:飯島六之佐 小鼓:住駒幸英 太鼓:徳田宗久 笛:寺井宏明
地謡:前田晴啓 他。
笛は、瀬賀先生のお師匠さんの息子さんだそうで、先生が後見につかれました。↓は、KI新聞のHPより。
帰りは、KAさんを送り、その後「柿の匠」で、なはさん、姫ちゃんご夫婦、SUさんと5人で夕食。興奮冷めやらず感想を話し合いました。↓は、白海老丼と氷見うどん。
↓は、翌日のKI新聞記事です。