Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

安田城跡(やすだじょうせき)のスイレン

2011-06-30 | 富山

 何人かのブログで、安田城跡の睡蓮が紹介されてからかなり経ったが、6/29(水)富山への用事の帰りに立ち寄った。思いのほか用事が長引き、城跡に着いたのは夕方4時を過ぎていた。この日も日中の気温は32℃、風こそあるが夕方もまだまだ暑かった。

 広い外濠には、青々とした葉っぱだけ。所々に蕾は見えるが一つも開いていない。やはり終わったのか!と、がっかりして帰ろうとしたら、娘が資料館に入ろうと言う。昼食を食べ損ね、ローソンでおにぎりとお茶を買ったので、資料館の中で食べることにする。入場料は無料。受付にも館内にも人影はない。ベンチで腹ごしらえをしてから、資料館内の展示や発掘された土器を眺める。

 「安田城跡」…ここでは”じょうせき”と読むようだ。増山城跡は”ますやまじょうあと”だった。昭和56年に国指定史跡となっている。その後整備され、資料館もスマートな立派な建物だ。

 富山へ行く途中、必ず通る道だがここまで来たのは初めてだ。呉羽丘陵の麓、井田川左岸の扇状地にあった戦国時代の平城だ。本丸、二の丸、右郭の3つの郭があり、井田川から水を引き入れた堀が巡っている。土塁跡も確認され、保存状態がよく、全体像がわかる平城は珍しいそうだ。
 大河ドラマでは、ちょうど秀吉の天下統一が描かれているが、秀吉が越中の佐々成政を攻めた際に、本陣とした白鳥城の支城だったそうだ。

 資料を見ていると、係の方が事務室から出て来られ、「どこから来られましたか?」「高岡から」「ほう~、よく来られました」と言うわけで、市外の人は少ないらしい。2階へ上がると、城跡、土塁跡が見渡せる。そう広くないから歩くのも楽だが、この暑さ、それは次回に回した。(トップ写真の草むらの向こうに、郭跡や土塁展示館がある)。

 さて、お目当てのスイレンだが、暑いので午前で花が閉じるのだそうだ。今は、赤、白の他に黄色も咲いているとか。9月まで見られるが、7月末頃まで見頃。8月下旬には、「安田城 月見の宴」が開かれるそうだ。
    

        

 写真は何枚撮っても、↑ のように葉っぱばかり。白い蕾がいくつか見えるだろうか。次回は午前中に訪れ、きれいな花にお目にかかりたいものだ。 


「らっこの会」と寺内町~音訳ボランティア・「グループあかね」

2011-06-29 | ボランティア

  6/27(月)は、音訳ボランティア「グループあかね」で、高岡市公報「市民と市政」7月号を録音する日だった。出席者は9名。

 まず、「らっこの会」の文科省表彰の話題で盛り上がった。 

 絵本好きな子 集まって 高岡らっこの会 読み聞かせ2011/6/26 北陸中日新聞より)
  文科省の表彰と発足10周年記念~

 「高岡市の絵本読み聞かせ団体「高岡らっこの会」は25日、未就学児を対象にした読み聞かせ会「絵本大好き!みんな集まれ!」を、同市博労本町の市ふれあい福祉センターで開いた。
 
らっこの会は県内の元保育士や主婦ら43人で構成。市保健センターで月3回、3カ月健診を迎えた乳児と保護者を対象に読み聞かせなどの活動を行っている。今年で発足十周年を迎え文部科学省の「子どもの読書活動優秀実践団体」に選ばれたのを機に今回の会を企画した。

 読み聞かせ会には、乳幼児と保護者ら約150人が参加。らっこの会の読み手が「まるくておいしいよ」や「しろくまちゃんのほっとけーき」などの絵本を大型スクリーンに映し出し、優しい声色で情感たっぷりに読み上げた。子どもたちは観客席から身を乗り出すように見入ったり、満面の笑みを浮かべたりして楽しんでいた。…」
    
 

 他紙にも掲載されていたので、読まれた方もあるだろう。「グループあかね」のメンバーが3名らっこの会でも活躍しておられ、Tuさんは両方の会長さんだ。設立当時の話、乳児が食い入るような眼をし、耳を澄ます様子など聞かせてもらった。

 さて、「市民と市政」7月号には、読み方のわからない漢字がいくつかあった。まず、「博物館・土曜おもしろ講座」の”納富介次郎”さんの名前の読み方、次に、「中国語サロン」の”淡淡涗涗”、これは、”たんたんしゅおしゅお”と仮名をつけてあるが、四声のイントネーションがわからない。
 担当のIさんが、市役所広報課に質問の電話を入れられた。ピアニストの”小原孝”さんの読み方は、音楽通のKaさんが”おばらたかし”と知っておられた。

 もう一つ、「高岡の歴史まちづくり計画」のページに、”勝興寺と寺内町”との記事があった。これは、固有名詞ではないので辞書に出ているはず。ところが、その日は電子辞書を忘れて行った。事務所で「国語辞典」を借りたが出ていない。おそらく、”じないちょう”か”じないまち”だろう、と言うことで、担当者が読まれた。

 帰宅後調べた電子辞書の「広辞苑」によれば:

 * 寺内町:じないちょう…中世後期、真宗寺院などを中心にして塀などで防御した町。じないまち。

 同じく電子辞書のマイぺディア百科事典」によれば:

 * 寺内町:じないまち…室町~戦国時代。浄土真宗や日蓮宗寺院の境内を中心に形成された門前町。・・・真宗勢力が強い畿内・北陸に成立し、宗教的な城塞都市でもあった。蓮如が布教の根拠時とした越前吉崎、越中井波や城端、石山本願寺・・・富田林が有名。

 とあり、城端生まれの私としては、なぜかうれしくなった。

 ちょうど、前日の土日に、娘の体調を心配して、息子がわざわざ千葉から1泊で来てくれ、メロンやサクランボをお土産にくれた。それを、この日のあかねの日に持参して、昼食後の果物に皆で分け合って食べた。    


イギリスからの便り

2011-06-28 | 日記・つぶやき

 イギリスの友人から、娘のところへメールや電話、小包がときどき届く。
 ↓ は花の写真。イギリスは、6月が一番花の美しい季節だそうだ。ただし、花の名前がわからない…。
      

      

 ↓ は、夕刊の記事。本当にこんな光景が?と思うのだが…。”トカゲにさえもハートがある”と見出しがついている。(トップ写真) いずれにせよ、何とも可愛いトカゲ達。
            
            

 19歳のウクライナの青年が撮った写真だそうだ。”冷血動物の爬虫類にも温かい心がある”…小さな花束を持って何か植物の上にいる雄の所へ、雌がよじ登って行き、2匹のトカゲはハート型に向き合った。ところが、雌が足を滑らせ、途端に雄はジャンプして手を握った…と言う。               

 撮影したアレクセイくんの言葉:「彼らがお互いにこんなに情熱的で助け合う動物とは思わなかった。感嘆すべきことだ。」
 どこまでが本当かわからないが、夕刊1面に載るには十分興味深い写真だ。折しも、今朝のA紙のコラム欄は、「爬虫類のイメージを擬態語で表せば、ヌルリ、ゾクリ、ヒヤリだろうか。蛇にせよ蜥蜴にせよ、てらてら光って冷たそうだ。…」で始る内容で、どこの国も同じイメージを持つのだとチョッとおかしかった。
 


”ローズ・エ・ロメオ”で卒業パーティ

2011-06-26 | 食物

 タイトルを見て主賓に怒られそうだが、回りだけで盛り上がったパーティだったかもしれない。「茶々姫教室」の生徒たちが全員リタイア組となってから8,9年経つ。定年まで勤めた人もおれば、定年前に家庭の事情や身体の都合で辞めた人もいる。定年後も非常勤で働いた人もおれば、家族のために家事についた人もいる。全9名の中で、定年退職後も勤務を続けた最後の人が、ようこ姫さんだ。今年、3月をもって目出度く退職された。それぞれ家庭の事情が異なるとは言え、なかなかできないことだ。ほんとに、「ご苦労さま」とねぎらいたい気持から、ご苦労さん会、即ち”卒業パーティ”を企画した。

 6/25(土)、イタリア料理店”ローズ・エ・ロメオ”(射水市安吉tel:0766-52-0979でと、決めた。参加者は7名。はじめの言葉も、主賓の言葉も抜きで、「卒業おめでとう。長い間ご苦労さま、カンパ~イ!」と水で乾杯をして(皆、ドライバーなので)、それぞれ好き好きのものを注文し、あ~の、こ~のと好き好きに喋り、食べる会で、いつもの茶々姫教室と同じ。

 ただ、このお店は、友人のまめさんの長女さんがシェフのご主人と経営しておられるお店、以前、高岡市中川にあった頃はよく寄ったが、大門に移られてからは2度くらいしか来ておらず、Naちゃんに久しぶりに会い懐かしかった。(トップは店内)

 シェフお薦めの”野菜たっぷりランチ”。サラダにつく生ハムをテーブルの傍で切ってくださる。パルメザンチーズで知られる、北イタリアパルマの骨付き生ハムだ。
     

 ↓ は、サラダ。ガラスの器は、シェフ自らが呉羽のガラス工房で作ったお手製とのこと。
     

 メインは、リゾットとスパゲッティから選べるが、↓ は、私が選んだスープスパゲッティ。
      

 ピッツアランチを選んだ人は:
      

 ロメオランチ(ジャガイモのニョッキ入り)を選んだ人は:
      

 自家製のパンにはオリーブオイルをつけて食べる。
        

 最後に、全員にヤングコーンをつけてくださった。皮だけとってひげも全部食べます。塩とオリーブの粒(と聞いたが、種をつぶした物だろうか?)がついている。
    

 最後に、デザートと飲み物。
        

 デザートはサービスだったようで感謝していただいた。その後、2階のブティック”私は薔薇”へ、目の保養に。
    

 私は黒いパンツを、茶々姫さんは上品なポーチを、ようこ姫さんはデンドロビュームの造花を割安で、それぞれ買いました。
    

 もう一つ最後に、ようこ姫さんお手製のKawさんのバッグが仕上がり、この日に手渡しされたので、1枚パチリ。七夕の笹を思わせる爽やかな色合いです。
        

 帰りに、大門の「象の仔」でもう一休みをし、それぞれ別れました。


久しぶりの「まんよう荘」

2011-06-24 | 日記・つぶやき

 6/24(金)、熊谷市では40℃近くまで気温が上昇したとか。高岡も暑い日になった。
 MiTUのコンサートの次の週からもう、来年の曲、モーツアルトの「雀のミサ曲」の練習が始まり、一息つく暇もない。だれからともなくアルトの慰労会の話が持ち上がったらしく、Takさんのお世話で、この日「まんよう荘」でお風呂&食事会があった。

 高岡市長江、小矢部川の川沿いにある。昔、何度か行ったが久しぶりだった。部屋の窓から小矢部川の土手が見え、二上山の全容も見渡せる。お風呂は温泉。土手を歩く人から浴場が見えるからか、お風呂の窓に目隠しがあり、風景を遮っているのが残念だ。
    

 定食は簡単なものだが、私達には十分だ。10時~3時まで部屋を借りて1550円(金曜日が特価らしい)。
    
 山好きが多いので、山の話、料理の話など。病気の話はない。今日は意外と音楽の話もあまり出なかった。
 先日の牛岳登山の時、二本杉で見つけたモリアオガエルの卵の落ちてカラカラになったのを、Hoさんが可哀そうに思って家に持ち帰り、川の水を鉢に入れ浸しておいたところ、昨日の朝、30匹ほどのオタマジャクシが孵ったそうだ。その話でまず盛り上がった。

 MiTuの新しいミサ曲の楽譜や音とりCD、テープレコーダーの準備もしてあったが、この日は練習はなし。その代わり、Tabさんが貴重なフルートを持参され、「タイスの瞑想曲」を吹いてくださった。
         

 テレビの前に無造作に楽譜を立て掛け、立て膝での演奏に、皆で聴きほれた。そんな隠し芸があるとは!「まだどんな芸を隠しているの?全部見せて」の声に「あとはビールを飲むこと」だそうだ。ようこ姫さんから能管の難しさをよく聞くので、フルートも同じなのだろう、と思いながら聴いていた。


アルフォンス・ミュシャ展(生誕150年記念)

2011-06-22 | イベント

 アルフォンス・ミュシャ~名前を聞いたような、絵を見たことがあるような、その程度の認識で出かけた展覧会。金沢まで車で行くのは、最近では2度目。少し、緊張して、でも娘が隣に座っている安心感もあり、車で行くことにした。

 「21世紀美術館」と「しいのき迎賓館」の2か所での展示だった。ミュシャ生誕150年を記念するこの展覧会は、昨年4月からスタート、ここ金沢会場が最終だそうだ。

 ミュシャは、1860年オーストリア帝国の南モラヴィア地方(現在はチェコ)で生まれ、ウイーンやミュンヘンで絵を学び、28歳でパリに移ります。1895年に舞台女優サラ・ベルナールの芝居のポスターを制作し人気を博します。その後、彼女のポスターの他、本の表紙の装丁、挿絵、ビスケット缶の絵、巻煙草の巻紙などに、花や草に囲まれた女性を描きました。

 下は、それらの作品の絵葉書です。
        

 次に、クリアファイルとチケット入れです。
     

 見たことがあるわ~と思われた方もあるのでは? 私は、竹久夢二、蕗谷虹児、中原淳一などの絵を思い出していた。

 ミュシャは、19世紀末に世界的に流行した「アール・ヌーヴォー様式」の代表的存在だそうだ。人気絶頂のさなか、1910年に故国に戻り、1939年に没するまで、スラブ民族の歴史を題材にした壮大なスケールの作品を数多く制作している。お土産ショップには、その作品の商品はなかったが。

 帰り道に、またまた、道の駅「メルヘンおやべ」に立ち寄って野菜などを買った。下は、布の「シシャモ」。
       


油圧式エレベーター・「金沢21世紀美術館」

2011-06-21 | 日記・つぶやき

 MiTUのKaさんから、アルフォンソ・ミュシャ展のチケットを2枚いただいたので、6/20(月)午後、金沢まで出かけた。会期が23日まで。行く予定でせっかく求めたのに行けなくなったとのこと。20日がちょうど空いていたので娘と二人で行くことにしたのだ。

 金沢までは車で。あちこちの駐車場を回ってみたが、結局「21世紀美術館」の駐車場に入った。ここは、初めてで駐車場の入り口も知らなかった。市役所側に入り口があり、車を止めると美術館地下1階の入り口に入る。
 月曜日のこととて美術館は休館日。1階ギャラリーAの「ミュシャ展」だけが開いており、人影は少ない。

 入り口を入ると広いフロアがあり、迂回するような長い階段があるが、エレベーターもエスカレーターも見あたらない。ど真ん中にエレベーターらしき物はあるが、総ガラス張りの箱のよう、上を見てもぶら下げるロープがない。不思議だな~と思っていたが、やはりこれがエレベーターだった。中に入ると「コレは、油圧式エレベーターです。」と説明アナウンスがあった。1階に上がり、「ミュシャ展」を見た後でエレベーターの写真を撮った。

 下の写真は、1階から地下1階へ降りるところです。
 エレベーターが地下にいます。Aさんが、1階でボタンを押すと、地下のエレベーターが上がってきます。
          

 1階にいたAさんが中に入り、中のボタンを押します。エレベーターは地下へ降りて行きます。地下1階にも次の人が待っています。
          

 地下1階へ到着。Aさんは降りて、次の人が乗りました。
               

 面白いので、娘が階段から写真を撮ってくれたのだが、youtubeに動画がいくつも載っていた。誰でも考えることは同じのようだ。下に短いのをコピーしました。

   http://www.youtube.com/watch?v=XIhmikHtRu0&feature=related

 


「龍尚会」‘11

2011-06-20 | 能楽

 6/19(日)は「龍尚会」能楽発表会の日だった。昨年も紹介したが、笛方職分の瀬賀尚義先生の笛の会の年1度の発表会である。昨年までは3月だったが、今年から6月に入れ替わった。

 私にとっては、2月以降毎月1,2回はあった発表会の前半の最後で、この後しばらくこのような会はない。しかも、去年に引き続き、出番は4回もあるが「連調連管」だけ、しかも中の舞はないので、よほど気楽だった。

 久しぶりにお会いする方や、何十年ぶりに会った昔の知人がおられて嬉しい一日となった。何枚か写真で紹介する。
 ↓は、左が居囃子(いばやし:舞のつかないもの)「右近」のようこ姫さん。昨年の舞働きに続き、今年は中の舞。長いので最後まで息が続くか心配しておられたが、見事に
吹き切られた。
 右は、これも居囃子「竹生島」。小鼓が、風子さんの友人のTaさん。一年ぶりにお会いした。
             

 ↓は、舞囃子「船弁慶」の車伸代先生。平知盛の亡霊が、義経や弁慶の一行の前に現れる場面だ。
   

 ↓は、連管「下がり羽一段」。昨年は、連調連管だったが、今年は、太鼓は上田先生だけ。笛は総出演のようだ。後方に子どもの姿がちらっと見えるが、小学生と中学生の少年が二人笛方で頑張っており、K新聞の写真は、その写真だった。
   

 嬉しかったことの一つ。ようこ姫さんの「右近」が終わり、次の連調連管の出番を待っていると一人の男性が傍に座り、「もしかして・・・ではないですか」と尋ねられる。「はい、そうですが」と答えると、「私は・・・」と自己紹介された。40年以上前の知人だった。そう言えば、笑顔に中学生の頃の面影が残っている。若い頃習っていた太鼓を、今年1月から13年ぶりに再開したのだそうだ。「右近」の太鼓方が彼だった。力強い、立派な太鼓だな~と思いながら聞いていたが、さすが若い頃に身につけた技は違うと感心する。

 しばし、当時の話に花が咲き、出番を忘れるほどだった。今年は、家に用事があり直らいの会は失礼して帰ったが、他にも何人かお話したい方がおられたのだが残念だった。


ツバメの巣

2011-06-19 | 日記・つぶやき

 6/18(土)、梅雨入りした途端に雨が降った。いつもの「茶々姫教室」は、先生の都合でお休み。急に帰省すると言っていた息子も、会社の仕事で来られなくなり、一日ぽっかりと灯が空いた。
 雨の合間を見て、庭の草むしり。夕方、娘と近所のスーパーへ。スーパーへもよく行くようになった。入口のカート置き場に赤いコーンが2つ並んで立っており、「ツバメが巣をつくっています」と書いてある
。(トップ写真)

 見上げると、天井のライトの上に巣がかかっていて、ツバメの尾っぽが覗いている。卵をあたためているらしい。シャッターチャンスは難しい。カメラを持って二人でうろうろと上を見上げているので、他のお客さん達も足を止めていた。
      

         

 どうやら、人慣れしたツバメのようだ。子ツバメが生まれた頃、また買い物に来なくちゃならないようだ。


深緑の「牛岳」山頂へ

2011-06-18 | 自然・海山草花

 6/17(金)は、月一回のハイキングの日。天気予報が雨マーク、前夜にかなり検討されたようだが実行された。午前中こそ曇り空だったが、午後は快晴、絶好の山歩き日和だった。
 牛岳は、以前はよくスキーに出かけたものだ。最近は、「牛岳温泉センター」へ日帰り湯に。今回は、頂上を目指す登山だ。小牧ダム側からの登山口もあるが、私達はもちろん、牛岳温泉スキー場側から登る。

 8:00 薬勝寺池公園Pに集合~パノラマ展望台~二本杉~牛嶽神社~3角点(頂上・987m)
12:00 牛嶽神社にて昼食。 同じコースで下山し、牛岳温泉健康センターで入浴し小杉へ戻る。 

 参加者は、14名。3台の車に分乗して出発。温泉健康センター、キャンプ場、スキー場などを経て「パノラマ展望台」へ。↓は、左の建物が展望台。天気がいいと、立山連峰が一望できるそうだ。残念ながら午前中は曇り空で視界は悪かった。
     

 くねくねと山道を車で上り、「二本杉」へ。ここで車を止め、山道に入る。降りた途端、Hoさんの「あ、モリアオガエルの巣がある」の声で、みんな、杉の木の下の水たまりのような池の傍へ集まる。白い綿菓子のような巣がいくつも木の枝にぶら下がっていた。近くで、グヮッ、グヮッと親蛙が鳴いている。
     

                 

 ブナ林の中の山道を1時間あまり登る。そうきつくはないが、長い道のりだ。牛岳山頂には、鳥居、狛犬が建てられ、牛嶽大明神の御影石の祠がある。東北大震災の後、祈願に登頂した人もあったらしい。
            
     

 そこに、荷物を置き更に15分歩き、二等三角点へ。
    
       

 祠の周りで昼食。少し見晴らしがよくなった。砺波ロイヤルホテルまで見えた。(↓の写真には見えません。)
      

 近くのブナの木にヤマガラの大きな巣がある。親鳥が餌を運び、すぐ飛び立った。戻ってくるかとカメラを向けたが、皆の目をと声を気にしてかしばらく戻って来なかった。
       

 歩きながら、教えてもらった草や木や花。ひとつ聞けばひとつ忘れ、写真も撮れず、だが、思い出しながら書いてみる。エンレイソウ、アリドオシ、笹ゆり、つくばね草、クロモジ、オオカメノキ…。花がなく葉だけのものは覚えにくい。
 ↓は、ヤマボウシとナナカマド。
       

       

 汗びっしょりになったが、今回は気分が悪くもならず順調な登山だった。健康温泉センターまで降りて入浴。Taさんのお付き合いで、久しぶりのソフトクリームを食べた。
 予定より早めに
小杉薬勝寺池公園Pに到着。7月は、「白木峰」、8月は「伊吹山」との確認があり解散した。良い登山だった。
 ↓は、駐車場周りの桜の木のサクランボ。
         

 

 


富山環水公園

2011-06-16 | 富山

 6/16(木)、午前中、用事があって富山へ出かけた。午後は平米公民館のお囃子と謡のお稽古日。ちょっと慌ただしい日程だった。

 訪ねた事務所の駐車場の天井から骨だけの傘が2本逆さにぶら下がっている。おや、何のため?と思いよく見ると、ツバメの巣があるではないか。折しも親ツバメが飛んで来て子ツバメに餌をやっている。ちょっと粘ったが、上の写真しか撮れなかった。黒い頭が2つ見えるだけだ。近頃ではツバメは珍しい。骨だけの傘はカラス対策だそうだ。

 そこでの用事が予定より早く済んだので、駅北口へ回った。噂に聞く、「富山環水公園」を見たかったからだ。 

 「富山県富岩運河環水公園(ふがんうんが かんすいこうえん)」は、とやま都市MIRAI計画のシンボルゾーンとして水辺空間の豊かさを大切にしながら整備される面積9.7haの親水文化公園です。富山の自然と富岩運河の歴史を活かしたこの空間は、地域の文化や未来を見つめ、創造するオアシスとなります。

 と、紹介文に書かれているが、水に親しむ場として旧舟だまりを利用した水辺があり、両岸には遊歩道や芝生のスロープを配置し、憩いと親水の公園となっている。
 もともと、「富岩運河」は、
海まで続く長さ5.1kmの運河。昔、富山市街で大きく蛇行して流れていた神通川は、よく洪水に見舞われたそうだ。そこで蛇行部分をまっすぐな川に変える工事をした。その1部が運河として残り、途中の中島閘門(こうもん)まで、散策路が整備された。周辺に多くの緑地や桜並木が残っている。また、市街地では松川として残っている。

     

     

 水際に建つレストランは、”ラシャンス”。2階は予約制だが、1階は手ごろなランチが食べられると聞いていた。二人なら席もあるだろうと、行ってみた。ところが店の前で待つ客が7,8名。40~45分の待ち時間と聞き諦めた。やはり、噂に聞く通りの繁盛ぶりだ。
      

 同じ系列で経営している結婚式場をちょっと覗き、高岡へ戻った。太鼓のお稽古にかろうじてセーフだった。いつかまた行ってみたい。


娘のパソコン

2011-06-15 | 日記・つぶやき

 最近は、自分の予定のない日はほとんど娘と行動を共にしている。彼女の車がないからもある。病院や電気屋、スーパー、郵便局等々である。
 今朝の新聞に、古城公園本丸跡の発掘調査が始まった、との記事があったので用事の途中で覗いてみた。本丸広場の回りを一周したがどこかわからなかった。利長公像の後の遊園地に数台トラックが止まっており、そこかと尋ねたが違っていた。どの辺りなのだろう?公園は緑が美しく、散歩やウオーキングの人が数人歩いているだけでとても静かだった。(トップは射水神社近くの外濠)

 さて、昨日娘のパソコンのことを書いた。彼女が持って来たのは東芝製の機械だ。↓は、キーボード。アルファベットの配列は世界共通だろうが、当然ながら「ひらがな」の文字がなくすっきりしている。
      
  

 ↓は、上のパソコンについているアダプターとケーブル。アダプターは100~240ボルトまで使えるのだが、接続の凹部分は穴が3つ(ヨーロッパ仕様)だ。コンセントにつなぐケーブルもプラグはイギリスの3F(突出部が3個)で、アダプターに接続する凸部分も3個だ。
      

 日本では、↓ の左のケーブルのように、プラグもアダプターの接続部分も2個なので、使えない。
      

 そこで、私のパソコンを買った石○○さんに電話で相談した。すぐに、↓ のケーブルを持って来てくださった。左のケーブルを見てください。プラグは日本の物で、アダプター接続部分は凸部が3個ある。DELLの製品だそうで、ヤマダやジョーシンにはないらしい。これで一件落着。娘と私は別々のパソコンを使えるようになり、メデタシメデタシだった。
      

 ところが、昨日のhikedaさんのアドバイスによると、プラグ部分だけ変換器を使う方法があったのだ。これならヤマダ電機にも売っていて、もっと安上がりだったのだ。気づかなかった。日本から外国へ行く時の準備はわかるのだが、外国製品を日本で使うのは娘にとっても初めてのことで、ちょっと戸惑いがあった。ひとつ勉強しました。


イオンでショッピング

2011-06-14 | 日記・つぶやき

 13日(月)、週明けである。週末は私の用事で動けなかったので、この日から娘との生活の活動が開始された。午前は、病院の予約などあちこちへ電話。午後は、市役所へ行き、久しぶりに転入手続きをすませる。高岡市民にならないと、国民健康保険証を使えないからだ。

 昨夜は、電気屋を2軒回ったが、イギリスで使っていたパソコンを日本で使うためのアダプターは日本にはない、とわかった。向こうで買って来なければならなかったのだが、急に帰国したので、準備する余裕がなかったのだ。しばらく私のパソコンを共用することになる。

 用事ばかりでは疲れるので、イオンへ回り買い物をした。まず、ダイソーへ、次に「織部」へ、そして”T&G(だったか?)”など小物の店を数軒回る。イオンホールでイベントを見て、スターバックスでコーヒーを飲み一休みと言うコースになった。日ごろ、私が覗かないような店で、娘が買った品々。左は、ラベンダー香りのファブリックウオーター、大きなヘアクリップ、ヘアバンド。右は、魚の写真立て(ネームプレートにもなる)、水に浮かぶフグと金魚、ガラスや鏡に貼るGel Gems(商品名かも?)       
          

        

 フグと金魚は、家でガラスの深皿にボウルに水を入れ、浮かべました。
      

 私が買った、またまたウサギとベンチ。
        

 2階のイオンホールでは、「近江彩発見 江 衣装展」が開催中。(トップ写真) 江・浅井三姉妹博覧会」(長浜にて)の宣伝のようだ。大河ドラマでの衣装や、江にまつわる歴史がパネルで紹介されている。
     

          

 5年ぶりの娘とのショッピングだった。


お茶菓子「枇杷の実」

2011-06-12 | 日記・つぶやき

 6/11(土)、高岡文化ホールで、「写友会写真展」を見た後、茶々姫教室へ出かける。ご近所にお花好きのお宅が多く、車庫に車を入れて茶々姫さん宅まで歩く間、畑の花、庭の花、玄関横の花など、それぞれの家がそれぞれの花で彩られていて、道を歩くのも楽しい。
 ↓ は、車庫の横の畑のポピー。
      

 ↓ は、角の家の前庭の花壇。
      

 ↓ は、茶々姫さん宅の塀のつた。秋には真っ赤に色づく。
      

 先週は、ようこ姫さんに6人分の薄茶を一人で点ててもらったので、この日はその他のメンバーでお点前に励んだ。

 主菓子は、「枇杷の実」。本物より美しい。
      

  一旦帰宅後、7時半からのお通夜に行った。Kaさんの遺影は、朱色のジャケットに、にこやかな笑みを浮かべ嬉しそうに見えた。実母と弟さんを遺しておられる。お店を切り盛りし働きづめだったことだろう。でも、喪主は息子さん、娘さんもおられ頼もしく思えた。
 お経は、「遺経」だそうで曹洞宗だろうか?導師さんは故人の従兄弟だと言われ、「コワいお姉さん」で信念を持つ人だったと偲ばれ、その後お説教をされた。私には、太鼓を習い始めた頃の先輩で優しい方だった。まだ、75歳。
 ご冥福をお祈りします。
 


第八回伏木写友会展

2011-06-11 | 日記・つぶやき

 6/10(金)昼過ぎ、娘から「今、成田だけど…」と電話があり、すっかりその日の予定が狂った。高岡文化ホールで、「写友会写真展」を見て、「ヴォーチェ・フォンターナ」のコンサートを聴く予定だったのだ。すべてとり止め、夕方高岡駅まで出迎えに行った。

 そして11日(土)朝、新聞のお悔やみ欄を見て驚いた。かつて平米公民館で一緒に太鼓を習っていた方が亡くなっておられた。昨夏の「蒼山会」を観に来てくださったのに…。
 午前中、娘の話を聞き、午後は「写友会」とお茶教室、夜はお通夜と言うスケジュールになった。

 さて、我が家の玄関のハコネウツギ。2度目の登場だが、以前タニウツギと紹介したら、白から赤に変わるのは、「ハコネウツギ」とKaさんが図鑑を持って来てくださった。訂正します。そろそろ散りがけです。
        

 高岡文化ホールは、行事の多い日で高岡高校の駐車場もほぼ満車。校庭の「ヤマボウシ」。見事な大木だが、ちょっとボケてしまった。
        

 文化ホールのロビーには、「草月流華道展」の生け花の大作が並ぶ。
   
  

 2階が「写友会」写真展だ。ちょうど、ようこ姫さんもおられ解説してもらう。偶然Anさんとも会った。
 ↓ は、ようこ姫さんの「桜・ファンタジー」。池に浮かぶ花筏と、池に映る色鮮やかな建物。それを逆さにしたのがこの写真。セザンヌの絵のように仕上がった。
    

 ↓ も、ようこ姫さんの「大内宿・点描」。これは、細かい人物などが木々の隙間からはっきり見えるのだが、私の写真はボケてしまった。
    

 ↓ は、気多神社の「にらみ獅子」。実物を見たかったが、朝早くて断念した。
        

 ↓ は、「トキメキの羽ばたき」。黒部のトキは元気らしい。
   

 伏木のカッチャの写真はたくさんあったが、↓ は、その中の「カッチャの勇者たち」。
   

 その他、瑞龍寺ライトアップ、燭光能の猩々の舞、朝焼けの富士、かたかごの花、井波の神主さん、等々、楽しい写真がいっぱいある。美だけを求める芸術写真より、人々の生活が滲み出ている光景を撮ったものが多く、パンフに書かれていた言葉そのものだと思った。

 ”前述の震災の報道写真を目にし、記録写真の大切さと、人々の心にその真相と感動をいかに伝え、訴えるかが必要だと強く感じた・・・。” (パンフより

 「伏木写友会展」は、明日、12日(日)まで、高岡文化ホール2階です。