Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

のとじま水族館

2013-06-30 | 旅行

 6/21(金)、和倉温泉「虹と海」で宿泊した翌日は、ミニ観光バス「華の香号」(1500円)に乗った。客は、私たち4人と千葉から来られたご夫婦。羽田から能登空港まで空の旅、和倉連泊で能登巡りのようだった。

 午前中は、のとじま水族館かガラス美術館。もちろん水族館だ。かなり前に来たきりなので楽しみ。(トップ写真)
 入るとすぐ、「ジンベエザメ館・青の世界」。この回遊水槽には、オトベエ、モモベエの2匹のオスのじんべいざめの他、エイ、ブリ、ジマアジなど約45種の魚たちが泳いでいる。前のジンベエザメ、サザベイが大きくなりすぎ水槽で飼えなくなる前にと、能登沖で捕獲した2匹のジンベエザメと入れ替えたのだそうだ。ようやく海の生け簀に運び、自然の海の生活に馴らす訓練をしているうちに台風で網が絡まり泳げなくなったサザベイは死んでしまった、と言う悲しい出来事が昨年あったらしい。↓は、オトベエ?モモベエ?時間の経つのも忘れて見ていた。
           

 夏には、この「青の世界」の水槽前で親子の宿泊体験学習を行うらしい。↓は、温泉でも飼える珍しい魚、ガラ・ルファ。ドクターフィッシュとも言われる。トルコでは足浴する人の足や手の角質を食べ、皮膚病に効くと言われているそうだ。歯がないので痛くない。水槽に手を入れるとすぐに寄ってきてモゴモゴやっている。チョッとこをばゆい、とSAさん。         
 アシカ・イルカショーが始った。アシカとお兄さんの交流が可愛い。立ったり、寝そべったり、輪投げを受けたり。

           

            

 次は、イルカショー。イルカは6頭はいたか?動きが早く次々と演技するので数もわからないほど。シャッターチャンスは遅れるわ、高く跳びすぎカメラからはみ出るわ、で、↓のように…。         

              

           

 次は、ペンギンのお散歩時間。マゼランペンギンです。歩くだけで人気者。大人も子供も一緒にぞろぞろついて行きます。

 能登食祭市場で、各自昼食を食べる。昨夜も朝もバイキングでお腹いっぱい。ラーメンにした。お土産は、またまた「雪吊り」の苺バージョンと梅屋の「生麩まんじゅう」。        

        

 「雪吊り」の苺バージョンって?↓のようでした。包装をとると、赤い雪?赤い縄?         

  午後は雨が降り出し、一本杉通りはバスの中から、「のと蘭の国」へ。和倉へは戻らず、七尾駅から「はくたか」に乗ることにして、コーヒータイムとなった。


和倉温泉「虹と海」

2013-06-28 | 旅行

 何か行事が終わり一息つくと、「温泉へでも行きたいね~」と漏らすことがある。それを覚えていた友人から和倉温泉のお誘いメールが入った。「虹と海」、加賀屋グループの旅館で今人気、一泊12,000円と言う。二人で日を決め、あちこちに電話し、空いている人を募集した。城端と小矢部園芸がらみの友人4人で行くことになった。JR「和倉温泉」まで、一日一本直通の「はくたか」が走っており便利だ。高岡からでは往復でもジパングが使えず、乗車券だけ富山から買うことにした。日程は、6/20、21日。

 和倉温泉は何年ぶりだろう。子どもの小さい頃はよくカンポに来た。職場からも行事の後の慰安旅行で何度か来ている。が、最近はまったく縁がなかった。
 「虹と海」は、3年前まで「ホテルたな嘉」だったそうだ。加賀屋が買い取り、バイキングスタイルの値段を押さえたホテルに改装したのだそうだ。↓は、マークと玄関。

                  

 フロントやロビーも、上の白と黒のモノトーンのイメージ。湯快リゾートのように、フロント横で作務衣を選ぶ。アラピアのよりはカッコいいが、嫌な人は500円で浴衣、帯、草履を借りる。         

 部屋は海に面してゆったり。最初から布団を敷いてはありません。夕食はバイキング。6時を選んだのでまだ静かだ。部屋ごとに区切られ、お刺身や前菜が出ている。

 バイキングの種類は豊富。野菜や海の幸をふんだんに取り入れたメニューだ。我々の年代向きの各種煮物があり、嬉しい。里芋の煮ころがし、いかげそ大根、海老と野菜のマリネ、揚げ茄子の煮びたし、鮎の甘露煮・・・。てんぷらとステーキを目の前で作ってくれる。ステーキが人気。↓は、オリジナル鍋。自分で材料を選び、出汁をかけ、鍋にする。具はより取り見取り。出汁も何種類もあり、キムチ鍋も作れる。             

              

 ↓は、マイ鍋。       

 朝食は、海の見えるロビーで。       

 能登産牛乳、温野菜が珍しい。金時草、ほうれん草、加賀太キュウリ、などなど、たっぷりの野菜を、大鍋の熱湯でゆがき、ドレッシングをかける。        

        

  ↓は、スープとハム類のコーナー。       

 売店には、辻口博啓さんのお菓子「雪吊り」が。部屋のお茶菓子もそうだった。近くに、「辻口博啓 ル ミュゼ ドゥ アッシュ(美術館)」があり、ちょっと覗きたかったが、観光バスで能登島へ行く予定なので諦める。


打撲傷 & 紫陽花 & スーパー満月

2013-06-26 | 日記・つぶやき

 今年に入り、同年輩の友人が2,3人転倒してけがをした。全治3か月で2か月入院した友人もおれば、何の異常もなくその日のうちに退院した人もいる。もちろん、原因も怪我の個所も違うが、戸外での転倒だった。
 子供の頃から目の悪い私、年をとるといっそう慎重になり、ふだんから手さぐり、足探りで歩くのであまり転ばない。転んでもしばらく痛みがある程度ですぐ治った。

 ところが今度は違った。6/7(金)のことだ。紛失していた運転免許証が出て来た日。嬉しくてルンルン気分で、配布物を配っていた。最後の一軒、同じ町内のYOさん宅の玄関へ足取りも軽く駆け寄った、はずだった。段が2段ほどあったか。思い切り前のめりに転んだ。手も膝も大丈夫だが、腿をかなり打ったようだ。痛いが、もちろん歩ける。
 その後2週間、湿布薬を貼るくらいで普通どおりの生活。正座は痛むが、16日の龍尚会では何度も正座で太鼓を打った。内出血も薄くなり、痛みもかなり薄らいだ頃、友だちと一泊旅行に出かけた。

 6/20(木)のことだ。和倉温泉まで直通の「はくたか」に乗り、4人掛けで話をしながら2時間あまり腰かけていた。膝の上に一泊旅行用のバッグを載せて。そう重いバッグではない。ところが、終着駅で立とうとしたら、右膝上腿がしびれたように痛む。足を引きずらないと歩けない痛みだ。こんなことは初めてだ。もう治りかけていたのに…。              

 旅行から帰った翌日、いつもの内科医へ薬をもらいに行き、その話をした。筋肉が切れたのかもしれない、まだ腫れているようだし、ともかく整形外科に行くようにと言われた。

 6/24(月)、半日覚悟で厚生連へ行く。9時過ぎに出かけたせいもあり屋上駐車場まで昇る。厚生連は今工事中。病棟を広げるのか駐車場を造るのか、大工事だ(トップ写真は屋上駐車場から)。両膝のレントゲン写真を何枚も撮り、変形性膝関節症についてはコメントがあったが、打撲については、湿布薬と痛み止めを出しましょう(必要なら)、とだけ。痛みがとれるまで時間がかかります、とだけ。ホッとしたような、まだ不安なような。後遺症が残らないか、正座できないとか。そうなればリハビリかな~。などと考えながら昼頃帰宅すると、我が家の前庭の紫陽花が今盛りと咲いている。↓は、ガクアジサイ、あまちゃ、墨田の花火。
  

     

  

 その夜、なはさんからの電話で「スーパー満月」を見に外へ出る。保育園の工事のため園庭へ入れない。大通りまで出ると、コンビニ前の街灯の上に月が見えるが雲がかかっていた。少し粘ったが、↓のような写真しか撮れなかった。一旦家に入りもう一度出るつもりだったが、テレビを見始めるともうダメ。

                  

 私の怪我の話など、長々と書きすみません。読んでくださりありがとうございました。


運転免許証 えとせとら

2013-06-25 | 日記・つぶやき

 2月、雪の降る日に、早々と運転免許更新の高齢者講習を受けに行った。その後、3,4,5月と行事や娘夫婦の訪問で気忙しく過ごし、ある日ふと運転免許証が愛車の定位置にないことに気づいた。4月末か、5月初めのことだ。その間、車検を受けたり、何回か旅行をしたり…。でも、免許証を動かすのは車検の時だけ。あれは、2月末だったが、確認したはず。などと思い起こしながら車のシートの隙間、ポケット、マットの下、ありとあらゆる隙間を探すがない。

 市役所かどこかで提示するためバッグへしまったかも?と当時使っていたバッグを引っくり返すがない。どこからも拾ったと言う知らせもなく、私の身の回りにあるに違いない。どこに居るの?答えてよ。ケータイなら返事をくれるのにな~。ま、事故さえ起こさねば問題ない、としばらくは私だけの胸のうちに。もちろん高岡の運転免許センターには電話をした。富山まで行かないとダメ、と言われた。

 そのうち、ポロッポロッと友人に漏らすようになる。高岡警察署の交通安全協会で始末書を書くと再発行してくれる、と言う人がいて電話をしたがそれもダメ。仕方がない、と覚悟を決め、久しぶりに富山へ行く日を決め、場所も再確認した。

 何かの用事でようこ姫さんに電話をし、富山へ行く話をする。「確かめていないのは車検を頼んだ自動車工場だけ。でも、まさか。あの時確かめた記憶があるし…」 「念のため聞いてみられよ。」とのやりとりがあり、翌日電話をした。社長さん、「あの時の代車、何色だった? ああ、それならちょうどここにある。ちょっと待ってください。」
 「白いレース編みのような袋に入っている。免許証とお守りくらいしか入っていないからぺちゃんこの薄いもの」と説明すると、しばらくして、「ありましたよ!」 「ありましたか。ああ、よかった!」 私が代車のどこかに置き忘れた物が、その車の車検証の間に挟まれていたようだ。2/26日のことだ。3か月以上気づかずにいた。くわばら くわばら。↓は、免許証を入れていたケース。

 ↓は、免許証とお守り、着物の袖の形をした楊枝入れ。

 さっそく、高岡の運転免許センターで更新をした。高齢者だけの時間帯らしく、5,6人来ておられたか、気がかりだった視力も呆気なくパスしてすぐに終わった。7月に新しい免許証を取りに行き、それまでは今のを使う。カバーだけピンクに変えた。3年間運転できるわけだが、これが最後になるかもと思う。      

 一件落着。メデタシ、メデタシ、のはずだったのに、とんだオマケがついてしまった。(これはまたいつか・トップは前庭の紫陽花です)


「龍尚会」おさらい会 ’13

2013-06-24 | 能楽
 
「龍尚会」おさらい会 ’12
 昨年も6月第3日曜日は「龍尚会」のお浚い会だった。「龍尚会」とは、能笛の瀬賀尚義先生の会である。高岡市には、加賀宝生の流れをくむ宝生流のお謡の会はたくさんあるが、お囃子の会は数少...
 

 gooグログ事務局から、ときどき「1年前のあなたのブログ」と言うのが送られて来る。↑は、昨年の龍尚会。改めて読んでみると、「変わり映えしないが日記のつもりで書きます」と書いている。しかも、昨年初めて、ようこ姫さんと、居囃子「胡蝶」を共演していることも思い出した。

 ↓は、今年の番組表(6/16日 日曜日)。ようこ姫さんと私は続けての出番である。連調連管も一緒に出ているので、お互いの写真は写せなかった。なはさん、姫ちゃんの写真をお借りして紹介します。「七騎落」(男舞)の笛が姫ちゃん、「胡蝶」(中の舞)の太鼓が私である。両方とも居囃子なので舞がない。              

              

  

 ↓は、TAさん(風子さんと私との同窓の友人)の小鼓。毎年、「龍尚会」でだけお会いする。舞囃子「弦上」(早舞)。            

 
 ↓は、米島さんの笛、知香枝さんの舞で「唐船」(楽)。龍尚会はお笛の会、お囃子の会なので、番組の後ろになると、神舞、序の舞、神楽、楽…と長く難しい囃子が続く。              

 
 ↓は、連調連管「早笛・働」。笛の方たちの練習のため、番組のあちこちに組み込まれる。                             

 
 ↓は、同じく連調連管で「下がり羽」。龍尚会と徳龍会の方たち。太鼓でYAさんが出ておられる。YAさんは、居囃子で「竹生島」(働)、舞囃子で「海人」(早舞)も打たれた。              

 
 ↓は、高岡青年の家 3階にある「高岡能楽堂」。舞台は立派だが、見所(けんしょ)は折りたたみ椅子を出し入れする。富山や金沢のような独立した能楽堂がほしい、と言うのが、高岡能楽会の念願である。                

 今回も、大門から電車を乗り継ぎ、なはさんが見に来てくださった。そしてまた戸出から、なはさんの友人、私の先輩、YAさんの先生のHA子さんが見に来てくださった。お二人とも楽しんでくださったようで嬉しい。私は後半は出番がないので、お話しする時間もあると思っていたが、熱心な同僚にテープ録音を頼まれたりしてゆっくり話す暇もなく失礼してしまった。

 翌日、疲れて寝坊、新聞も取りに行かずぼっとしていたら、よっしーちゃんからメールが入った。「KI新聞に写真が載っていますよ」と。見ると、「龍尚会」の記事に連調連管の写真が写っている。小さな写真に大勢が。でも、姫ちゃんも私もハッキリわかるのだ。こんなマメンコみたい写真からよくもまあ、見つけてくださったこと。
 2年前にも、「伸謡会」の紹介記事に舞囃子「岩船」が掲載され、私の太鼓も写っていた。新聞社に電話をしたら800円で送ります、と言われ送ってもらった。いつまで続けられるかと思いながら、大事にしている。


「海岸通り」が取り持つ縁(その2)

2013-06-21 | 日記・つぶやき

 ↑は、伏木 アコースティック・カフェ「海岸通り」のステージの飾りである。いつの頃からか、ピアノの上にバルーンアートのデコレーションが置かれるようになった。そのうち、ようこ姫さんから「バルーン・アートの講習会を開きます」とお誘いがあった。MiTUコンサートの直後で気が抜けたような頃だったし、そんな細かい作業は私には無理と思い参加しなかった。が、姫ちゃん、風子さん、なはさんのブログに続けて作品がアップされ、あまりの可愛らしさにビックリ、作業も面白そう。講師の先生も私の知っている方らしい。

 6/19(水)午後、不安と期待で「海岸通り」へ向かった。もうすでに皆さん集まっておられる。講師の先生と助手の方、生徒は新たに私が加わり4名だ。そして先生は、なんとまあ、娘が以前能管を習っていた時に大変お世話になった方だった。最後にわかったのだが、助手の方のお兄さんが、なんとまあ、私と同じ町内の方だった。あまりの偶然に、「え~?え~?」を連発していた。

 この日作るのはデコレーションケーキ。1回目は「プードル」や「勇者の剣」を作り、すでに基本をマスターしている3名。私は何もかも初めてでかなり苦労をした。

 向こうのテーブルの上には、1人ずつの材料がセットされている。手前は先生のお手本ケーキ。             

 ↓は、先生のお手本。左から、チョコレート、いちご、クリーム。私は「いちごケーキ」を選んだ。

              

 まず、長いピンクの風船に空気を入れる。           

 ↓のように、先を12,3cm残す。           

 ↓のように、縛るのが難しい。最初はこの縛る作業にずいぶん手こずった。            

 6本作ります。手前は空気入れ。向こうのは、姫ちゃんのチョコレート色。             

 次に、ピンクの風船で土台を作る。空気を先の方へ押し出すようにしながら風船を捩じって丸い玉を作り、もう1本は7cmほどの長さで捩じり、2つを捩じってくっつけ、6角形の土台を作る。         

           

 器用な風子さんは、もうとっくに仕上がっている。       

 それを繰り返しながら、だんだんに重ねて、3段重ねにする。

         

 玉の大きさも大小さまざま、辺の長さも長短さまざま、その度やり直そうとすると、「大丈夫、そのままでいいですよ。後で修正できますから」と先生。きちんと揃えなくとも「だいたい」でいいのが嬉しい。風船は自由自在に形を変えられるからかな?

 先を寄せ集めると、↓のようになる。        

 次に白いクリームで飾りを作る。         

 赤い風船で苺を作り、回りとトップに飾りつけて出来上がりだ。↓は私のケーキ。        

 頭に飾ると帽子になるよ。よく似合っている姫ちゃんです。       

 小品を飛ばして、大作作りに挑戦だったので汗をかきながら作業に集中した。1人でだと、とっくに投げ出していたかも。一つで精一杯だったので、なはさんに「勇者の剣」を一本もらった。今は両方とも和室の床の間に飾ってある。そのうち、近所の美容院さんの店に飾ってもらおうかと思っている。 3回目は、ひまわりだそうだ。

 またまた「海岸通り」で、二人のお知り合いとの偶然の嬉しい出会いがあり、心ウキウキだった。次回も楽しみだ。


「海岸通り」が取り持つ縁(その1)

2013-06-20 | 日記・つぶやき

 伏木国分浜のアコースティック・カフェ「海岸通り」。ようこ姫さんに誘われて初めてマンスリーコンサートに行った時、風子さんと一緒に来ておられたのが’みきこさん’だ。そもそも風子さんと私は、数年前の「高岡市民学遊塾・ブログ講座」の生徒、先生はようこ姫さんだったので、ブログが取り持つ縁とも言える。
 その後、みきこさんは私のブログを訪ねてくださり、ときどきコメントを入れてくださる。若々しいユニークなコメントを読み、笑いだすこともしばしばだ。私らシニアとはセンスが違うのが面白い。

 先月のMiTUコンサートの時、指揮者森川先生のお嬢さんが「グローリア」でアルトソロを歌われるとブログに紹介したのを読み、当日コンサートを聴きに来てくださった。開場前のしばらくの間、有紀さんとも話ができたようだった。と言うのは、彼女が高岡へ来られて間もなく「市民音楽祭」があり、参加した時にまだ大学生だった有紀さんといっしょに歌ったと言うのだ。とても懐かしそうだった。

 その後、野村のブティック(居酒屋ではありません)「丸清」で、”マーク・セフトン作品展”を行った時、近いからとご主人と見に来てくださった。展示中は私も時々丸清さんに寄っていたので、ある夕方、みきこさんとデートすることになった。
 その時初めて、みきこさんの姓名を漢字で教えてもらった。ブログ上の友だちってハンドルネームだけのお付き合いだから、本格的な友人になったと言うことになる。不思議な縁だな、と改めて思う。

 みきこさんは、17年前の「音楽祭」の思い出の品を見せてくださった。歌った曲は、モーツアルトの「戴冠ミサ曲」。そのモデルCD、練習中のカセットテープ、コンサート当日の写真などなど。皆さん、お若い。そして興奮冷めやらぬ表情。良い思い出でとして大切に持っておられるのだろう。しばらくお借りして、MiTUの練習日に森川先生にもお見せした(勝手にアップをごめんなさい)。       

 私が昨年、ブログに「東北の果物シリーズ切手」のことを書いたら、みきこさんが北海道のメロンの切手をいつかお裾分けします、とコメントに書いてくださった。それを覚えておられ、持って来てくださった。私好みのトランペットとホルンのカードと一緒に。メロンに乗っかってシャボン玉を吹いている小人さん(トップ写真)。    

 昨年のブログ見つかりました。8月でした。覗いてみてください。

http://blog.goo.ne.jp/67kiyoh/e/b1feea4d23d87fbe6fdaffc318a21656#comment-list


「海岸通り」マンスリーコンサート(6/8)

2013-06-18 | 音楽

 6/8(土)は久しぶりに「海岸通り」マンスリーコンサートに行く日。まず茶々姫教室でお茶のお稽古。4人で交代にお薄を2~3服ずつ点てる。茶々姫先生宅はいつも茶花が絶えないが、車庫の傍の畑にはポピーと撫子が咲いていた。          

          

 この日のコンサートは、「男だけのフォーク&ニューミュージック」と題して、出演はWooさんとボンクラーズ。

 ウーさんこと上野さんは還暦ライブが終わったところとのこと。吉田拓郎(春を待つ手紙)、河島英五(酒と泪と男と女・時代遅れ)の歌で始った。歌手の名前は知っていても歌はまったく知らない。たしかに男の世界と言う感じ。
 ♪わたしは 今日まで 生きてみました♪がリフレインされる「今日までそして明日から」や、集団就職で上野駅に着いた娘たちに、♪家を出る前の晩は赤飯など食べて♪と語りかける「制服」など、ウーさんの思い入れのある歌が歌われた。学生運動の世代(我々よりちょっと若い)なんだな~と思う。
 「真夜中のギター」や「上を向いて歩こう」など、”みんなで歌おう”コーナーがあり楽しい。(トップは、店長とウーさん)
           

 次に登場したボンクラーズは4人グループ。”盆と暮れしかやらない”が名前の由来。左からバンドマスターのクニちゃん、ヴォーカルのガキちゃん、ベースギターのマユッちゃん、リードギターのドガちゃん。(間違っていたらゴメンナサイ) 

  1972年ケンとメリーの「愛と風のように」に始って、伊勢正三、オフコース、山下達郎、スマップ、小田和正・・・かろうじて歌手の名前を知っているが歌は知らない歌ばかりだった。フォークは知らないわけじゃないが、男だけの選曲となるとこんなに違うものかと驚くほどだ。時々↓のような楽器が涼やかな音色を響かせる。

 さて、話は変わるが、初めて「海岸通り」へ来た時風子さんの友人のみきこさんとお会いした。そのことを次回に書きます。


城端の合唱仲間

2013-06-17 | 合唱

 6/10(月)、先日のMiTUコンサートの時、リボンにするC反の布地を城端の友人TOちゃんからもらった。残った反物を「お盆のお墓参りの時にでも返して」と言っておられたが、急に自分たちのコンサートに使うかもわからないので早目に、と電話があり、じゃ、どこかでランチでもと話が決まった。

 彼女の家は床屋さん。ちょうど月曜日はお休み。ご主人は店の前で、アサガオやふうせんかずら、ホウセンカなどの苗を植え替え中。夏に向けて玄関を飾る花たちだ。緑のカーテンになるのかも。私も朝顔を何本かもらって来た。

 前にもちょっと書いたが、Toちゃんは小学校の頃から歌が上手。音楽の時間の花形だった。今も「なんと混声合唱団・椿」で歌っておられる。
 私たちの小学校時代は、戦後音楽教育が盛んになった頃だったのか、各校に熱心な音楽の先生がおられ合唱コンクールで競い合っていたものだ。今ちょうど、ケーブルテレビで、新番組「たかおか元気活動人=ゲンカツ!」を放映しており(毎日7:30、16:00、20:30の3度)、私たちの合唱団MiTUが紹介されている(練習風景や先生の言葉など)。その中で、ソプラノのKAさんが小学校時代の音楽の先生の影響で合唱が好きになった、と話しておられるが私も同じ。砺波地区の小学校出身者で、今も合唱を続けている人がけっこう多い。

 城端別院前の「かねしま」でランチを食べた。鰻にするかてんぷらにするか迷い、てんぷらご膳になった。手作り豆腐が美味しい。豆腐をつける出し汁碗に蛍光灯が写り、こんな写真に。          

 玄関には、うなぎと鮎が泳いでいた。

                            

  食事後お墓に寄った。墓参の準備はして来なかったが、掃除だけでも、と思った。案の定、コンクリートの敷石の間からつる性の雑草が伸び放題になっている。いつものように3つ回ったが、訪ねる回数が減る一方なので大叔父さんの家の墓を見つけるのに一苦労した。日差しが暑く足場も悪いので一汗かいた。水場からバケツに水を汲み、お墓に水だけかけた。

 親類には寄らず、裏道を通り町を抜けた。↓は、実家があった西新田町のはずれ。山田川に立派な橋がかけられ「御坊下橋(ごぼしたばし)」とある。川向かいの石垣は西新田の宮。              

 ↓は、川向かいの坂の上。別院の裏になるから別院建物だろう。                    

 トップは、「なんと混声合唱団・椿 サマーコンサート」の案内。7/14(日)16:00、場所は「いのくち椿館」。チケットをもらって来たので、MiTUの仲間と聴きに行こうと思う。


伏木写友会・写真展

2013-06-15 | イベント

 6/9(日)、高岡文化ホール2階で開かれていた「伏木写友会・写真展」を見に行った。第10回写真展の最終日だった。日曜日とて、文化ホールは行事が多く、「文化の森」の駐車場さえ満車で、元県営プールの空き地に止めた。

 すれ違った少女たちの服装から、バレーかダンスの発表会かと思ったら、ピアノコンペティションが開かれていたらしい。↓は、出番が終わってリラックスした様子の姉妹の姿。        

 いつもの写真展の他に、「10年のあゆみ展」も開かれていた。10年と言えば一区切り、発足時のいきさつ、歴代の役員名や活動状況などの書かれたパンフが配られた。
 伏木の町おこし事業への参加、伏木五十二景トランプ、二上山の撮影、伏木中学生とのワクワクミュージアム、勝興寺修復完成式撮影、「たかおか市議会だより」表紙写真担当・・・さまざまな形で地域活動に参加しておられることがよくわかった。

 私たちの合唱団MiTUも後二年で10周年を迎える。地域に貢献しているとは言えない合唱団だが、どんな形で10年目を迎えればいいのか、と考えてしまう。

 さて、最終日の日曜日なので、とても賑やか。説明を聞きながらあちこちで話が弾んでいるようだった。           

 ↓は、ようこ姫さんの作品(左の3点)。           

 すべてブログで1度は見ているが、大きな作品を見たかった。だが、ここで再現するのは難しい。後ろの作品が写ったり、撮影者の私や蛍光灯など、イヤになるほどよけいなものが入りこむのだ。↓は、「木漏れ日に咲く」石楠花。           

 ↓は、「冴え月に競う」。冬に行った「御殿場・時乃栖イルミネーション」の噴水ショー。私も一緒に粘って写真を撮ったので、一瞬をとらえる苦労がよくわかる。本当の写真はもっと鮮明なのだが、上手く撮れなかった。          

 ↓は、冬の撮影会、雪のかまくらの中の灯。題して「それぞれの祈り」。            

 ↓のような作品もあった。左は、一瞬をとらえた「ゲット(はやぶさ)」。右は、「早春のふるさと」。芽吹いたばかりの緑が鮮やか。

                     

 写真を撮るのは本当に難しく、他にも撮ったが失敗ばかり。しばらくようこ姫さんと話していると、高橋市長さんが見えたようなので慌てて退散した。芳名帳だけは横に並ばせてもらった。みきこさんも午後行こうかな、とコメント欄に書いてあったので会えるかな、と思ったが残念、すれ違いだったようだ。


演劇「モリー先生との火曜日」

2013-06-13 | 映画・テレビ・演劇・芸能

 6/12(水)、高岡文化ホールへ、加藤健一事務所「モリー先生との火曜日」を観に行った。加藤健一のお芝居は、「煙が目にしみる」、「木の皿」、「詩人の恋」を高岡で観ている。受賞歴の多い役者さんで、おばあちゃん役やピアノの演奏やダンスや、新しいお芝居を演ずるたびに何かに挑戦される。”カトケンワールド”と言う安心感もあり、何の予備知識もなく観に行った、息子さんとの二人芝居と言う以外は…。

 暑い日だった。特に用事もない日で、かなり早目に文化ホールに着いた。受付の机の準備だけしてあり、まだ人影はない。死を迎えた老人とは思えぬ車椅子の元気な加藤健一のポスター。       

 すぐに「和庵」に入り、早目の夕食をゆっくりとる。前回の岡本友高コンサートの時、SAさんと慌ててオムライスをかきこんだ。カウンター席に座り、文化ホールの前庭に目をやる。ポチポチとお客が来る。暑いので、日傘の人、扇子を額にかざす人、頭に日よけのタオルを巻いている人…。夕暮れ近いがまだ日が高く、地面に長い影を作っている。                                   

 海老フライ・ビフテキつきオムレツ・・・と言う長い名前の定食を注文した。上の膳には、蒸し野菜(胡麻だれつき)、茶碗蒸し、うどんがついている。           

 その下は、↓のような豪華版の膳だった。もうお腹いっぱいだ。眠くならなければいいが。        

 『モリー先生との火曜日』(原題:Tuesdays with Morrie)は、アメリカのジャーナリストのミッチ・アルボムによって書かれたノンフィクションだ。一緒に観劇したNAさんは、原作も読み、映画も見たそうだ。学生向けの注釈つき原作本もあるらしい。
 難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)に侵されたモリー・シュワルツ教授が、死を前にして、かつての教え子であるミッチに贈った「最後の授業」を記録したもので、1997年にアメリカで出版されベスト・セラーとなった。

 モリー先生が自分の命をかけて、死ぬ際までテープに録音した’講義’は本当の意味で’言葉の持つ力’がある。死を目の前にした言葉なのに、「生き方」を教えてくれるモリー先生。こうやって生きれば楽しく有意義に人生は送れるよ・・・と。

 スポーツライターとして第一線で活躍し、先生のことなぞすっかり忘れていたミッチが、わずかな余命を懸命に生きる先生の姿に打たれ、多忙なスケジュールを割いて火曜日ごとに飛行機で通って来る。先生の病気はだんだん進み、自分の手足や顔も思うように動かせなくなる。最初ミッチが訪ねた頃は、ミッチのピアノに合わせ、好きなタンゴやワルツが踊れたのに。動かなくなっていく肉体、反対に輝き続ける精神、モリー先生がミッチに優しく語りかける言葉は涙を誘う。「どう死ぬかを学べば、どう生きるかが自ずと見えてくる」と。
 先生の話を聴き、先生のお世話をしているうちに素直な気持ちになって行くミッチ、お互いに親子のような気持になっていく過程が素適である。本当の親子と思うから尚更かも。

 息子の義宗さんは、舞台の上でグランドピアノを弾き、身のこなしも軽やか、長身でかっこいい。本格的な舞台は初めてのようだ。カーテンコールでは、お父上の愛情いっぱいの所作がほほ笑ましかった。
 終演後のロビーでは、もう一台のピアノを弾きながら観客を送ってくださった。次々と写真を撮る人が後を絶たず、NAさん、YAさんと私も、ちゃっかりその中に紛れて撮り合いっこをした。
           

                            


ハイキングクラブの解散会

2013-06-12 | 日記・つぶやき
 
城端・縄が池&高落場山
 5/25(金)夜、ハワイより帰宅、すぐ合唱のリハーサルに駆けつけ、27日(日)はMiTUのコンサート本番。29日に、ハイキングクラブより縄が池に行く案内が来ていた。体調次第と直前...
 

  ↑の、去年のハイキングクラブの記事を読んで、何と元気だったことかと我ながら驚いている。体力の衰えは気力の減退につながると今更ながら自覚した。昨年はハワイでダイアモンドヘッド登山をし、帰国後駅からすぐウイングでのMiTUコンサートのリハーサル。翌翌日に高落場山に登っているのだ。かなりへばっているが。

 思えば、伊吹山登山に始った「ハイキングクラブ」。くまさんやまめさんに誘われて、私が入会したのは平成21年度から。噂に聞くお花畑を一目見たくて「花の山・伊吹山」に登った。4年間の中、伊吹山と牛岳に2度ずつ、片貝の洞杉、千石城山、小佐波御前山、美女平、中山、増山城跡、白木峰、二上山、薬勝寺池、高落場山、有峰湖畔と15回参加している。

 会場は小杉「わはく」で、20名が参加し、名残を惜しんでの解散式だった。まず、SA先生が、ハイキングクラブと言う同好会を発足させた頃の話を感慨深げに話され、次に代表のKO先生が、三浦雄一郎さんと同じ80歳であること、後1年で10年だったこと、会の世話をする後継者がいくて廃部せざるをえなくなったことを、残念そうに語られた。ご自身は、県のナチュラリストとしてまだ山の案内はするのでいつか一緒になることもあるだろう、とも仰った。ちょうど「富山百名山」が選定され、それも話題になった。皆、山の好きな人たち。初年度からの会員も多く、料理をいただきながら、1人ずつ思い出話とお世話になったお礼を述べた。 

 「わはく」の料理は久しぶり。 

           

                      

  

 ↓は、SAさんのお土産の「氷見産枝豆」をいただいた。枝豆の入ったお菓子です。「すはま」みたいな味。かわいいですね。  

 最初に、記念撮影をして会が終わるまでに焼いて配ってくださった。そして「坊がつる讃歌」と言うのを歌った(私の知らない歌だった)。お世話下さったANさん、SUさんありがとう。
 年8,9回ずつもの登山を計画し、引率してくださったKO先生、長い間ありがとうございました。
 


我が家の回りでトン・テン・カン!

2013-06-11 | 日記・つぶやき

 我が家の回りの家々がどんどん変わり、景色が変わったことを以前書いた。大きな古い屋敷がアパートに建て替えられたのだ。また、両隣が空き家になったこともいつか書いた。さらに、いつも園児たちの遊ぶ姿や鼓笛隊の練習を眺めていた隣の保育園の増築工事が始ったことも、たぶん書いたはずだ。

 先週、6/3(月)からは、左隣の家の解体作業が始まり、保育園の工事と相まってトンカン、トンカン、ギー、ガー、ドーンと、地響きやら騒音やら、それは賑やかだった。
 狭い道を隔てた左隣りの家は、6,7年前ご主人が亡くなられてから空き家になり、市内におられる長男さんが、マメマメと掃除やら落ち葉掃きに来ておられ、時々言葉を交わしていた。先月、東京に住んでおられる次男さんが訪ねて来られ、向こうに家もあるし、ぜったいに戻ることはないので土地を売ろうと思う、更地にしないと売れないので解体します、と挨拶して行かれた。私がこの家に来た頃は小学生だったKIちゃんである。

 柿の木や泰山木など、まだまだ他にも緑の木々が繁り、大谷石の塀に囲まれた家だった。1日目は家の中の物、2日目は家屋、3日目は木々やお風呂場、と言うふうに日ごとに解体が進むのを、近所が出て眺めていた。(後は保育園の増築工事)    

 シャベルカーでつまんではポイと、トラックに投げ込み、トラックが一杯になると廃棄場へ。    

 

 そして、6日目、トップ写真のように整地され、何もなくなった。我が家はこの道路の左だが、いっぺんに庭が明るくなり、草ボウボウが目立つようになってしまった。

 ↓は、増築中の保育園。ここは私のキッチンの目の前。もう窓から空は見られない。         

 


瑞龍寺「燭光能」 ’13~「来殿」

2013-06-09 | 能楽

 熱海での同窓会から帰った翌日、5/20(月)は利長忌。今年、瑞龍寺では利長公400年大遠忌法要が行われ、午前中は裏千家前家元の千玄室鵬雲斎大宗匠による献茶式があったようだ。午後は、例年通り「燭光能」が奉納された。

 今年の演目は、「来殿」(トップは謡本)。この曲は、宝生流だけのもので、多流派では、「雷電」となる。と言うのは、宝生流では「雷電」の後半を書き直し改作したのである。
 「雷電」の後半は、無実の罪で左遷され、無念のうちに配所で亡くなった菅原道真が、雷神となって荒れ狂うが、道真の師である比叡山の座主の法力に屈服し、帝から官を贈られ、感謝のうちに終わる。
 だが、
宝生流は前田家が保護者であり、前田家は、菅原道真の子孫を称していたため、荒れ狂う雷神=道真を、貴人=天満大神と変えたと言うわけだ。曲名も「来殿」と変更した。しかし、2年前から復曲し、家元自らがシテを務められた「雷電」がNHKテレビで放映された。↓は、昨秋テレビで見た能「雷電」の私のブログです。

http://blog.goo.ne.jp/67kiyoh/e/b822ce8551762d45b6fa13cc74bba3a8

 改めて、あらすじを書くと: 

 〈あらすじ〉 比叡山の僧、法性坊は菅原道真の師であった。天下のため護摩供養をしていると道真の霊があらわれ「自分は冤罪で左遷され死にいたったので、雷となって内裏に行き恨みをはらそうと思う」と述べる。そして「朝廷は悪霊退散のために法性坊を招くだろうが、もし呼ばれても参り給うな」と願う。法性坊は「比叡山は天皇の祈願所であるため、三度勅使が来たら断れない」と答える。それを聞いた道真の霊は、本尊の前に供えてあったざくろを噛み砕き、寺の戸に吐きかけると扉は燃えあがった。法性坊が法力で消し止めると、道真の霊は走り去る。(ここまでが前場)
 後場は内裏で雷となった道真の霊が暴れまわり、法性坊の法力と対決する。最後は朝廷から「天神」の神号をおくられ、礼を述べて黒雲に乗り立ち去る。

 ↓は、後シテの雷神(道真の霊)。(ネットから) 燭光能の天神と比べてください。

 さて、瑞龍寺燭光能「来殿」は、中入り後の後場のみ(写真はすべてようこ姫さんよりお借りしました)。

 ↓、まず法性坊僧正(ワキ)が登場。            

 ↓、出羽の囃子で、道真の霊・天満天神(後シテ)が登場。♪その時虚空に管弦聞こえ…♪ でシテは御代を寿ぎ、早舞を舞います。  

 「中将」の面をつけた道真の霊は、お正月の天神様そのもの。「早舞」を優雅に舞います。       

 謡の本ではほんの2ページ半ほど。あっと言う間に終わり呆気ないほど。薄暗い法堂での、仏さまの前での奉納能としては、天満天神の舞はふさわしいかもしれない。が、能楽堂では雷神が師の法性坊と対決し屈する後場の方が見ごたえがあるだろう。

 今年は全席が椅子席、法堂の回りの戸はすべて取り払われ外光が漏れ入るので、例年より広々として明るく、よく見えた。            

 シテ:大坪喜美雄   ワキ:苗加登久治   後見:山崎健
 大皷:野尻哲雄  小鼓:住駒幸英  太鼓:徳田宗久  笛:瀬賀尚義  
 地謡:金森秀祥 他   の皆さんでした。
     


熱海での同窓会~つづき~

2013-06-07 | 旅行

 5/18,19(土・日)と、熱海ニューフジヤホテルでの「東京卯辰会」に参加した。。急な用事で欠席した人がいて、参加者は14名。夕食後部屋に戻ってからさらに話が弾んだ。小杉のNUさんが懐かしい写真を持って来て、話はまた盛り上がる。トップは、城端神明社。城端中1年D組のクラス(私のクラス)写真だ。昭和27年(1952年)に新中(新制中学)に入学した。

 ↓は、修学旅行。左は二条城、男女別に撮ったらしい。5クラス分の男子だ。右は二見が浦(伊勢神宮と二見が浦は、当時修学旅行の定番だった。NUさんのクラス写真だ(古い写真をまた撮っているので見にくいが)。 

                    

 ↓は、東大寺と二見が浦のスタンプ。NUさんは、真面目にもスタンプ帳2冊にぎっしりスタンプを押し、大事に持っておられた。「婦多三が浦」の文字が見える。高山線に乗って行った、とか、米持参だったとか、皆、よく覚えていること。

                  

  ↓は、今も現役のお菓子屋さん、TAさんの心のこもった手作りチョコ。いつも自作のお菓子を持って来てくださる。     

  翌朝、熱海に詳しいMOさんのお世話で、駅前通りのお食事処でランチ。昼近いので観光客や地元の客でごった返している。奥に「五月みどりの店」があるけど?     

 ↓は、昨夜のホテルと似たようなホテルの広告。 

  ↓が、和食処「こばやし」。店の前は行列だ。私たちは予約済みで二階席へ。     

  店の左が、干物の売り場になっている。「熱海ブランド認定商品」とお墨付きだ。

                   

 ↓は、刺し身、さざえのてんぷら、エビと葛切り、まだ他にもあったが写真がない。 

              

 店を出て、駅までぶらぶら歩く。熱海の海岸ではないが、「金色夜叉」は欠かせません。すばやく見つけて、顔を出すMAさんとHIさん。蹴飛ばす右足を出す穴があり、やり直し。       

            

  しばらく行くと、猿回しのお兄ちゃん。猿くん、もったいつけてか、小さな平均台をなかなか跳んでくれない。ようやく跳んで「やったァ~。」 横の小道具を見ると、まだまだ芸ができそう…。              

  とうとう熱海駅に着き、東西に分かれる。東京方面に帰る10名、名古屋へ出て「しらさぎ」で帰る4名。若い頃は、どこかでもう一泊計画するのだが、4人ともトンボ帰り。もうそんな元気はない、と言うか、翌日透析を受ける人、病気の家族が心配な人、翌日から予定の入っている人…、4人とも、やりくり算段してよく行けました。そして無事に帰宅、よかったです。