Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

新宿で同級会

2013-01-31 | 食物

 1/27(日)、新宿小田急ハルク8階「楼外楼(ろうがいろう)飯店」での新年会に久しぶりに参加した。城端小中の同級会で関東地区の人だちの集まりだ。「東京卯辰会」と言い、長年KUさんがお世話をしておられる。彼は、ずっと骨の難病を患っておられるが、にもかかわらず、まるでそれが生き甲斐でもあるかのようによく世話をされる。昨年は入退院を繰り返し、今回は新年会と言うよりも、「退院お祝い会」だった。

 集まったのは、男性10名、女性4名。東京都内から6名、後は千葉、川越、横浜、日立から。いつも金沢から参加のKAさんが体調が悪く不参加で、遠方からは私だけだった。

 退院祝いと言うので、お店の好意のシャンパンのサービスがあり、鯛のお料理がテーブルに一皿追加された。 

  話に夢中で、お料理の写真は↑の鯛だけ。珍しい品もいろいろあったのに。ともかく味がいい。さすが有名中華店だ。

 リハビリはダメ、散歩もダメ、と禁止されている(転倒するとすぐ骨折するから)と言いながら、犬がせがむから、毎日散歩しているとニコニコ話す、KUさん。脊椎の骨をボルトで止めてあり、動くと金属が削られるとか、怖い話を楽しそうに話しておられる。そして、5月に熱海で集まろうと、はやパンフを回しておられた。きっと、背中が痛むのだろうが、そんなことはどこ吹く風という顔である。町田から杖をついて一人で来たそうだ。↓は、右がKUさん、首のサポーターが痛々しい。左は、「城端望見」のOさん、まだ現役の日立社員である。新人教育の先生だそうだ。なぜか、小学生の仲良しみたいに手をつないでポーズ、思わずカメラを向けた。 

 Oさんが持って来られたのが、↓の「京都渡月橋の水力発電所」の写真。桂川 一ノ井堰に、渡月橋の照明電源用に、5.5kwの小さな小さな水力発電所が建っているそうだ。左は渡月橋、右手前の白い建物が発電所。ここで作り出した電力は、渡月橋のランカンの足元に設けられた灯の点灯に利用されている。

 サイフォンタービンを使用しているらしい。ダムを併設した大規模な施設ではなく、川にある堰の小さな落差を利用して発電する。大きな土木工事が必要なく、川の流れを利用して発電できるため、地球温暖化を抑制する新たな自然エネルギーの活用方法として注目されているそうだ。         

 取材不足で上手く説明できませんが、いつか京都を訪ねたら一度見たいと思います。それと、記念撮影の集合写真の時、私のカメラを出すのを忘れたので、いずれ折を見てアップします。


「大江戸線」は深い?

2013-01-29 | 旅行

 今日、29日は晴れましたね。25,6日の吹雪が夢のようです。三寒四温と言うのでしょうか、こうして春を迎えるのですね。それにしても今度の旅行で、改めて「表日本」、「裏日本」と言う言葉を思い出しました。表裏は差別だと言うわけで、今は、「太平洋側」、「日本海側」と言いますが、あれだけ天気が違うと、やはり表と裏という表現がぴったりです。

 さて、同窓会の翌日会う予定の友人に電話をした時のこと。「どこに泊まるの?」と聞かれ、「地下鉄の青山一丁目。銀座線と半蔵門線と大江戸線が通っているから、今度は大江戸線に乗ってみようと思って」と言った。「え~? 大江戸線は深~いよ!」との答え。最初、江戸の歴史が深い?なんて思ったが、地下が深い。ウ~ンともぐる、階段が多い、と言うわけだ。「でも、大丈夫。ベビーカーや車椅子の人のためのエスカレーターやエレベーターが必ずあるから。それを探せばいいよ。」

 27日(日)は晴れた。赤坂会館から地下鉄「青山一丁目」駅まで、10分ほど歩く。途中にドイツ大使館、カナダ大使館がある。山茶花が咲く高橋是清翁記念公園を通り抜ける。トップ写真は、高橋是清翁記念公園。(以前の私のブログにアップしたのが見当たらず、これはネットから)  
 そして、地下鉄大江戸線で新宿西口まで行った。地下1階へは階段だが、エレベーターで地下5階まで一気にもぐる。こんなに地下深く、さぞ大変な工事だったことだろう。↓は、B4(赤字)のエレベーター。地上ゆき、銀座線・半蔵門線乗り換えコンコースゆき、と書かれている。      

 「都庁前駅」で乗り換え、「新宿西口駅」へ。以前新宿駅の中でウロウロ迷子になったので、わざわざ地下鉄を乗り換えて西口まで行こうと考えたのだが、考えが甘かった。平面の路線図ではすぐ隣の駅なのに、実際にはまたエレベーターに乗り階を上ったり下りたりしなければならない。
 西口の目の前、「ハルク」8階の中華レストランに着いたのは、40分前。もちろん一番乗りだった。↓は、「楼外楼飯店」入り口。
      

 14名の出席だそうで、貴賓室に丸テーブルが2つ用意されていた。誰が来るのかな~。だいたいいつものメンバーだろうが、都合の悪い人もあるだろうし、とお茶をいただきながら待つ。       

  


冬の旅はたいへんです

2013-01-28 | 旅行

 千葉でお正月を過ごし、高岡へ帰ったら大雪だった。が、その後雪も融け暖かい日が続いた頃、東京卯辰会から「1/27日に新年会をします」との案内が届いた。小中学校の関東地区の同窓会からだ。私は、リタイア後は時々、春の箱根や夏の都内での集まりにに参加していた。が、謡の会の行事が多くなるにつれ、ご無沙汰が続くようになった。そのうち、長年この会の幹事役を務めておられたKUさんが、昨年は入退院を繰り返しておられ、一時は車椅子生活を余儀なくされるとの話も聞こえてきた。そのKUさんが、今は杖をついて犬の散歩ができるようになったから、参加されるとの知らせである。すぐに「出席します」と返事した。

 27日正午新宿となれば、前日に行かなきゃならない。26日はお寺の日、しかも「家祈祷」と言う特別のお参りの日だった。が、23日に変更を頼んだ。その準備、友だちとカンポの宿へ行く約束もあり、「公民館フェスタ」が近いので髪染めもしたい、オマケにアルトの練習も入って大忙しの1週間を過ごし、26日(土)寒い朝、「はくたか」が動くか心配しながら、雪降る中タクシーで駅へ向かった。

 改札口には、「はくたか」4本の運休の張り紙が…。私が乗る予定の7号も運休だ。仕方なく、みどりの窓口で、2本後の11号の指定席に変えてもらい、一旦帰宅。がっくりショックで取り止めようとさえ思ったが、あちこちへ言い訳の電話するのも嫌で行くことにする。昼近くに乗った「はくたか」は、直江津までは順調に動いた。ところが、である。直江津を過ぎる頃からノロノロ運転。       

 犀潟駅付近では、強風のためストップした。木が大きく揺れ出した。       

       

 結局30分近くの遅れ。当然、越後湯沢からの上越新幹線には間にあわない。場内放送が何度もあり、結局次の新幹線電車の○号~○号の1階席の空席に座るよう指示があり、皆どうやら座ってホッと一息だった。

 思わず、50年ほど前の年末に、「白山」の列車内で1晩夜を明かしたことが頭をよぎった。新潟の豪雪地帯は、新幹線が通ろうと今も変わらない。新潟と群馬の間を、いくつもいくつも長いトンネル(どんな山々を抜けているのだろう?何と言うトンネルかしら?)を抜け、明るい山容がパッと目に飛び込んだ時、車内から「わァ、きれい!」と声が上がった。トンネルを抜けると、そこは春だった、を実感する。

 上野駅に着いた時はぐったりと疲れ果てていた。もう4時を過ぎている。博物館か美術館に寄る予定はもちろん中止。駅構内で一休みしようと、以前入った喧しいけれどなぜか落ち着く「ハードロック・カフェ」に入る。若者の店だ。外国人客も多い。      

 壁には、どこかのロックグループのジャケットとカセットテープがいくつも展示してある。       

 ホットサンドを注文したら↓のようなビッグサイズが来た。アメリカンサイズだそうだ。       

 笑顔の可愛い元気なウエイトレスさんに勧められ、特別の飲み物、ジーマゴールドも注文する。      

      

 食べきれない、と言うと、お持ち帰り用に紙ケースに入れフォークもつけて袋に入れてくれた。明日の朝食はキャンセルしよう。
 地下鉄銀座線で「青山一丁目」へ。「富山県赤坂会館」にて連泊する予定。明日は正午まで新宿へ行けばいい。ゆっくりと休みましょう。
 


「マリーマリー」での出版記念 祝賀パーティ

2013-01-24 | 食物

 1/19(土)に、句集「胸に火照りし」を出版された釣谷さんの祝賀会食会を、呉羽山山頂「カフェテラス マリーマリー」で開いた。1週間前の「海岸通り」のライブの席で、日や場所を相談した。「マリーマリー」は、年暮れにようこ姫さんが行ってお気に入りになった店。即決だった。誰も場所を知らないので、大門サンコー駐車場に集合とする。都合の悪い人もあり、7名の参加。

 久しぶりの呉羽山、雪もようの日なので周りの山や田は真っ白(トップは店の前)。1階はカフェと衣類小物などのお店になっている。2階は予約席だ。2階に上がってわァっと歓声が上がった。広いスペースには私たちだけのテーブル。すでに前菜などが美しく並べられていた。予約したのは「創作懐石膳」。4人と3人に分けて、↓のように絵画を描くように。   

 正面は床の間のように、生け花と軸。右の窓にはさながら水墨画のような冬景色。左の女性は、店長(たぶん)のOさん。   

 ワアワア言いながら席に着くところだが、ここでようこ姫さん、「司会は私におまかせください」と。そう言えば、彼女は先ほどから何やら大きな紙袋を持っておられる。ようやく気付く私。まず、出て来たのが金屏風。その後、続々と取り出された品を見て、皆大笑いと感嘆の声。「知事」、「市長」、「出版社社長」、「同人誌代表」などなど、一人一役の名札をつける。私は、「日銀頭取」、当のご本人は「どうでも委員」だそうだ。(これを書きながらまたまた笑いがこみあげて来た)「記念祝賀会」の横幕も用意してある、達筆な文字で。↓は、記念撮影です。  

 席に着くと、まず知事代理の茶々姫さんからお祝いの言葉、市長代理、出版社代理と、それぞれ代理が祝辞を述べる。「手短に」と声がかかる。そのたびに笑い。釣谷さんの挨拶、乾杯で祝宴となった。↓は、赤いリボンで結んであった献立表。         

 写真を撮った品だけですが、↓は、サーモンキッシュ。         

 ↓は、いちじくワイン煮。ヒイラギの葉の横に白く砂のように見えるのは砂糖。         

 ↓は、干しいわしマリネ(昔は干いわし(ひいわし)と言っていたものだ)。干し柿なます、紫芋巾着、大豆ひたし豆などは全体の飾り付けで見てください。         

 ↓は、豆腐の塩麹漬け。         

 この後、お刺身、焚き合わせと順に持って来られる。
 ↓は、焚き合わせ(治部煮風)。
          

 ↓は、蒸しもの(山芋蒸し)と焼もの(鰤の照り焼き)。            

 ↓は、揚げもの(海老あられ揚げ、エリンギ、オクラ)。            

 最後に、しのぎ(黒米)、白木くらげの汁もの、漬け物。↓は、大根、白菜、牛蒡の漬物。      

 デザートはりんごケーキでした。食事が終わると、句集を開いて勉強会です。皆それぞれ、思いのまま、わからない言葉や漢字を質問し、釣谷先生の解説、講義を受けます。好きな句を紹介する人もいます。ご覧ください、鉛筆を片手に、この熱心なこと。      

 マリーマリーのお店で用意したベスト風上着をプレゼントしました。エキゾチックで上品な品です。ピンクのセーターによくお似合いです。      

 かくして、楽しい祝賀パーティは終わりました。お腹も心も頭も、満足度150%でした。句集の勉強会は、この後も続く予定です。

 万里摩理  マリーマリー (まりーまりー)
  住所: 富山市北代8−1(呉羽山公園内) 
 ☆ 
TEL: 076-433-3744
   定休日 月曜日       


句集 「胸に火照(ほて)りし」

2013-01-21 | 

 茶々姫教室のお茶のお稽古に、月曜組に3名、土曜組に5名の弟子が通っている。月曜組のTUさんが昨年末に、句集を出版された。20年前にお茶のお稽古を始めたと同じ頃から句作を始められたそうだ。その後、同人誌「河」に入会され、新聞にも秀句として選ばれたり、大会で受賞されるようになった。化学の先生として高校で教鞭をとられたTUさん、ずっと文学に憧れていた、と「あとがき」に書いておられる。5年ほど前から出版社「文学の森」から「句集を出されませんか」と勧められていたそうだ。そして、昨年ようやく選句に取りかかり、刊行の運びとなった。

 タイトルの「胸に火照りし」のイメージにピッタリの赤の背表紙、赤の帯が華やかだ。             

  「底紅や 胸に火照りし もののあり」 から、タイトルをつけたそうだ。底紅とは、芯の赤い槿のこと。夏になると、我が家の庭にも咲く花だ。あの花を見てほとばしる情熱を歌われたのだろう。

 1ページに、2句ずつ、とても読みやすい。だが、読めない漢字、知らない言葉がたくさんあり、すぐに意味がわかり、思いを想像できる句は実はそう多くない。            

 そんな句の中から、私にもわかった句、気になった句、好きな句をいくつか紹介します。

 100歳近いお年で亡くなられたお母さん、お孫さんやご主人など家族を歌った句。

  * 羅(うすもの)を 着てゆく母や 太子講
 * 雉子(きじ)鳴くや 母の耳また 遠くなる
 * 少年の掌に かなぶんの うごかざる
 * 粥膳の 夫(つま)に小春日 とどきけり

 ご主人が謡を習っておられるので、お能に係わる句もあります。

 * 新涼の 笛一管の ひびきかな
 * 法堂(はっとう)に 藤の精なる 燭光能
 * 観能の 火照りのさめず 時雨道

 お茶席での一句。

 * 「相生(あいおい)」の 茶杓あつかふ 雛の前

 季節の移りかわりや社会の出来事などに係わる句。

 * 積む雪の ひごと凹める 木の息吹
 * わが庭の ひかりまとひて 初雀
 * 春うごく 神楽太鼓の 一打より
 * 田水張り をんなの一揆を 思ひをり
 * 原爆忌 真水でくすり 飲みにけり

 こんな句もあります。どう言う意味でしょうか?

 * 携帯電話(けいたい)を 使ってをりぬ 夜の案山子

 句集が出来るまでのTUさんのご苦労など、↓のなはさんのブログに詳しいので読んでみてください。 

http://miwakawa78.at.webry.info/201301/article_6.html

 さて、お茶教室で、ささやかな祝賀パーティを開くことになった。その日のことは次回に書きます。ようこ姫さん演出のサプライズに私たちも驚きました。


「伏木海岸通り」 ~NEW YEAR マンスリー コンサート~

2013-01-18 | 音楽
 1/12(土)、伏木アコースティックカフェ「海岸通り」で、新年初のマンスリーコンサートがあった。ニューイヤーと言うことで、チケットがいつもより安く1000円。夜だし、寒いし、と迷ったが、皆さん出席と聞き出かけた。行きなれた伏木なのに、暗いので勝手が違い、十間道路へ左折しないで伏木駅前に直進してしまった。遠回りして、まさに”海岸通り”を走ることになった。夜の海は暗い。国分までの道がけっこう長く、暗い通りは怖かった。
 
 開演寸前に到着。いつもの最前列のテーブルに、姫ちゃん、茶々姫さん、なはさんが座っておられた。
 今日の出演は、KIYOさん と CRY×2(クライクライ)の女性デュオ。↓は、「海岸通り」のHPです。詳しく紹介されているのでご覧ください。(私の写真は、不鮮明ですので)
  http://fushikikaigandouri.blog.fc2.com/
 
 まず、CRY×2 のメンバー、リコさんのオリジナル曲、”Like a Star”と”とりの歌”。やさしい歌声だ。皆さんそれぞれオリジナル曲を持っておられるのがすごいです。店内の飾りつけも見てください。         
 次に、CRY×2 のもう1人のメンバーチエさん(モリちゃん?)とデグチくんで、チャップリンの”SMILE”ともう一曲。「スマイル」は映画「モダンタイムス」で歌われたそうだ。そう言えば、聞いたことがあるな。         
 
 次は、中島みゆきが大好きで、彼女の歌を一生懸命に練習していると言う、KIY0さん。中島みゆきを彷彿とさせる熱唱です。まず、オリジナル曲で「贈りもの」。しっとりとした歌。そして、「ごきげんいかが」、「ホームにて」、「シュガー」など。知っている歌は一つもなかったが(私が知っているのはテレビでよく聴く歌くらい)、雰囲気は十分伝わった。涼しげな、爽やかな様子なのに、暑い暑いとお水を飲みながらの熱演でした。         
 
 店長と一緒に、「永遠の嘘をついてくれ」。           
 最後に、CRY×2 のデュオ。リコさんのギター、チエさんはピアニカやタンバリンを入れながらトークも担当。「昭和の歌を歌います」と言っても、彼女たちの昭和は限りなく平成に近い。私たちの昭和は戦後ですが。          

 この日の歌の中で、私がよく知っていて好きだった歌が、サイモン&ガーファンクルの「スカロボ・フェア」と、ボブ・ディランの「風に吹かれて」。スカロボとはイギリスの町の名。フェアは市。歌の中に、パセリ、セージ、ローズマリー、タイムが繰り返し出て来るのが面白い。
 「風に吹かれて」は、チエさんが上手に説明されたが、1960年代、アメリカの公民権運動の頃よく歌われた。
 「どれだけの砲弾を発射すれば、武器を永久に廃絶する気になるのか」「為政者たちは、いつになったら人々に自由を与えるのか」「一人一人にいくつの耳をつければ、他人の泣き声が聞こえるようになるのだろうか」「人はどれだけの死人を見れば、これは死に過ぎだと気づくのか」というような問いかけがところどころに入り、「答えは風に吹かれている」という繰り返しが続く。この曖昧な自由な歌詞のためか、従来のフォークファンだけでなく、社会に不満を持つ人々に広く受け入れられることになったのだろう。このような歌を、若い人たちが心を込めて歌うのが素敵だな、と感激した。
 ↓に、歌詞はコピーしました。

” Blowin' In The Wind” 

How many roads must a man walk down
Before you call him a man?
Yes, 'n' how many seas must a white dove sail
Before she sleeps in the sand?
Yes, 'n' how many times must the cannon balls fly
Before they're forever banned?
The answer, my friend, is blowin' in the wind,
The answer is blowin' in the wind.

訳はいろいろだ。↓は1例。 

どれだけ多くの道を歩めば
人は人として認められるの?
どれだけ多くの海の上を飛べば
白い鳩は砂浜の上で休めるの?
どれだけ多くの鉄砲玉が飛んだら
それらが禁止されるの?

友よ、答えは風の中に舞っている
答えは風の中に舞っている

 最後に余談だが、東京駅で写真を撮った時、うっかりカメラのRECのボタンを押したらしく、 動画と音声が入っていた。このコンサートでも皆さんの歌をずっと録音してみた。けっこう上手く撮れた(録れた)のだが、残念ながら、ブログにアップはできなかった。


最近のいただき物

2013-01-16 | 日記・つぶやき

 12月末から、いただいた物の中からちょっと珍しい品を紹介します。まず、娘夫婦からのプレゼントをいくつか。南仏、Molinard(モリナール)の品です。↓は、入浴剤。今は、SUさんからいただいた柚子があるので、この品はまだ使っていません。洗面所に置いてあるだけで芳香が漂います。        

 ↓は、同じモリナールのバッグ掛けフック。携帯用です。見た目、何なのか首を傾げます。        

  箱から出して金具を伸ばすと、      

 ↓のように、使います。            

 謡のお稽古バッグをかけてみました。そう言えば、あかねのKAさんが持っておられた品と同じかも。       

 もう一つ、↓は、小さなボールペン。楊枝くらいの長さです。太さはあるので、書きやすいでしょう。      

  次は、先日東京で、同級生のAちゃんと会った時のいただき物です。彼女は以前編み物教室に通っておられました。今は多忙ですが、籍だけ置いていてたまに寄るようです。「でも、私が編んだんじゃないよ。最初から編んであるの」と何度も言われました。伸ばすと、↓のように長い、2mほどかな?             

 巻くと↓のように。色はいろいろなグラデーション。          

 端から、ストッキングをはく時に(最近、はきませんね~)するように、手繰って行きます。幅は自由に、好きなように。頭にかぶり、バンダナ風に、耳も隠して防寒用に。           

 ↓のように、首に巻くととても暖かい。私は、ふだんは襟巻に、顔を洗う時は、そのまま上へ上げて髪留めに使っています。            

 青いのもきれいです。             


ミュージカル映画 「レ・ミゼラブル」

2013-01-13 | 映画・テレビ・演劇・芸能

 子どもの頃に、「ああ 無情」を読んだ。ジャン・ヴァルジャンの話だ。フランスの文豪、ヴィクトル・ユーゴーの原作。”銀の燭台”として独立した読み物もあった。そして”コゼット”。預けられた宿屋で下女として働いており、森へ水汲みに行かされた帰りに、迎えに来たジャン・ヴァルジャンと会い、養女になる。彼はマドレーヌと名を変え市長になっている。街中で重い荷馬車の下敷きになっている老人を、荷馬車を肩で持ち上げ助け出す。これを見たジャベール警部は…。この辺までの話は知っていた。そう、マリウスという青年が現れることも…。

 が、十数年前、帝劇でミュージカル「レ・ミゼラブル」を見て、こんな話だったのかと、スケールの大きさに驚いた。今はキャストさえ覚えていないが、舞台中央にバリケードが築かれ、その前で若者たちが歌う革命の場面に圧倒されたものだ。
 いつの頃からか、ミュージカルが好きになり、帝劇では、「エリザベート」、「モーツアルト」、「レベッカ」、「マリー・アントワネット」、日生で「コーラスライン」、五反田で「キャッツ」、京都で「オペラ座の怪人」…、数えだすとずいぶん多く見ているな、と今更ながら思う。
 「ケイル」での新年会の後、YAさんに「レ・ミゼラブル」見に行かない?と誘ったら、すぐさまOK。小2のお孫さんが、見ている間泣き通しだったそうだ。次男さん家族4人で見に行かれた時のことだ。YAさん曰く、「字幕だし、どれほどわかったのかね~。」 でも、小さな子供にも、心は伝わるのですね。  

 1/11(金)、10:20上映。2時間50分。休憩なし。↓は、高岡イオン映画館前。19日より上映予定の「東京家族」のポスターが貼ってある。    

  見ている間中、涙がじわじわと…、私もYAさんのお孫さんと同じだった。やはりこれは音楽の力だろう。普通のミュージカル映画と違い、この映画では俳優が演じながら歌ったそうだ。普通は歌は事前に吹き込み、演技の時は口パクだそうだ。したがって俳優はその場に身を置き、役を演じながら歌うから自然な感情が表現できる。
 また、舞台でのミュージカルは、ソロは聞かせどころ。あまり動きはなく、歌を聴かせる。終わると当然拍手が沸くし、ブラボーの声も上がる。映画ではそれはない。ソロはたくさんあるが、物語の中で歌う。会話もあれば、独白もある。心の声もある。実際、セリフはほとんどなかった。すべて歌だった。しかも、メロディが
美しい歌と言うよりは心に響くナンバーばかり。

 まず、ツーロン監獄での「囚人の歌」で始まる。過酷な労働、ジャベール警部の監視の中。”Look down .目を合わせるな” 力強い合唱だ。
 司教に、銀の燭台もお持ちなさい、と言われた後のジャン・ヴァルジャンの心の叫び「独白」。コゼットの母、ファンティーヌがコゼットに仕送りするため売春婦に落ちぶれ、悲しみの中で歌う「夢破れて・I Dreamed a Dream 」。水を汲みに行くコゼットが歌う「雲の上のお城・Castle on a Cloud」も可愛らしい。↓は、宿屋のテナルディ夫婦からコゼットを引き取るジャン・ヴァルジャン。
              

  歌詞はすべて英語、(フランス革命をFrench Revolutionと言うのが滑稽なほど)ゆっくり歌うし、字幕が出るからわかりやすい。時代はフランス革命の後、王政復古があり、市民革命が起こる1800年代。学生達が中心となり市民も交え、バリケードを築いて蜂起する。「7月革命」だ。その中に青年マリウスがいる。コゼットが預けられていた宿屋のテナルディ一家もいて、娘のエポニーヌはマリウスに心を寄せている。だが、マリウスはコゼットを一目見て恋してしまう。(↓は、バリケード             

 ここで歌われる歌が、「民衆の歌・Do You Hear the People Sing?」、「カフェソング赤と黒・Red and Black」、「ワン デイ モア・One Day More」。
 エポニーヌが、マリウスの手紙をジャン・ヴァルジャンに届けた後、切々と歌う、「オン マイ オウン・On My Own」。この歌が素晴らしかった。銃に撃たれたエポニーヌがマリウスの腕の中で歌う、「恵みの雨・Little Fall of Rain」。なはさんがこの歌の歌詞についてブログに書いておられたので、耳を澄ませて聴いた。
 ♪・・・And rain will make the flower grow.   そして雨は花を育てるの…♪と歌い、息をひきとる。

 他にも、ジャン・ヴァルジャンの心の葛藤を歌う、”Who Am I ?”など、印象に残る歌がたくさんあった。市民革命は失敗し、学生たちは全滅する。傷ついたマリウスを担ぎ、地下水道を逃げるじゃん・ヴァルジャン。ずっと自分の過去を隠し、コゼットを生きがいに生きて来たジャンは、彼女をマリウスに託し姿を消す…。

 さて、このバリケードの傍にいた白い象が気になった。YAさんも、アレ、今はないよね。調べたら、「バスチーユの象」と言うそうだ。ナポレオンが作った。彼は青銅で作りたかったが石膏になったそうだ。ちょうどその時代に建っていてユーゴーの原作にも出て来る。

 映画の後は、シネマでグルメ。5%引きの「カプリチョーザ」で、レディスランチを食べた。ガーデンサラダ、YAさんはピッツア、私は茄子とほうれんそうのスパゲッティ、デザートとコーヒー。  

    

  音楽が好きな人にはお薦めです。合唱、ソロ、デュエット、重唱、かけ合い…歌の面白さを楽しめます。ダンスはありません。

 キャスト:ジャン・ヴァルジャン:ヒュー・ジャックマン、ジャベール:ラッセル・クロウ
       ファンティーヌ:アン・ハサウエイ、コゼット:アマンダ・サイフリッド
       マリウス・ポンメルシー:エディ・レッドメイン
       エポニーヌ:サマンサ・バークス
 監督:トム・フーパー
 イギリス映画
 


写真集 「南砺」

2013-01-11 | 

  お正月に東京へ行った時、同級生のAちゃんと東京駅で遊んだことを書いた。その時彼女が、小さな新聞記事の切り抜きを見せてくれ、「こんな本知ってる?」と聞かれた。なんでも、姪御さん(お姉さんの娘さん)から、「おばちゃん、大きな本屋で探してみて」と頼まれたとか。彼女は4姉妹のうち3人までが東京におられ、お姉さん宅にもよく行っておられる。姪御さんは、母の実家があった城端が大好き、城端の写真が入っていれば買いたい様子。でも、五箇山だけかもしれないし、タイトルだけではわからない。昨年12月に発行されたばかりだ。若い人は情報が早い。

 それが、「南砺」と言う写真集だった。帰宅後、さっそく高岡市立図書館の本を検索すると、1冊あることがわかったのですぐ予約した。しばらくすると、「どうぞ」のメールが届いた。

 写真集 「南砺」。広川泰士撮影。平凡社。↓は、表紙。折り重なる山々。どの辺だろうか?  

  トップ写真は、裏表紙。城端の春の曳山祭りだ。
 ↓は、目次。場所や町での分類ではなく、”はじめに、眺める、祈る、集う、はぐくむ、いただく、南砺人、おわりに” のサブタイトルで、自然、寺社、祭り、工芸品、食事などをテーマに撮影しておられる。撮影者は県外の方。南砺市からの依頼で撮影に訪れた、とある。  

  ↓も、城端町、春の曳山祭り。宵山(飾り山)と、蔵回廊を曳かれる山車。
  さらに↓は、庵屋台の下から見える袴姿の足元と、提灯山のUターン。  

    

 ↓は、福光の干し柿、城端向野のエドヒガン桜。南砺の人々、農家の人、機織りの人。

                      

                     

 城端町中心の紹介になったが、砺波の散居村、井波彫刻、福野の夜高、五箇山の合掌造りなど、風景だけでなく人々の生活が映し出され、興味深い本だ。南砺出身者でなくても、好きになる写真集です。印刷所が、「牧印刷」。同級生のHOさんの実家なのも懐かしい。 


三度「ケイル」へ ~ 「いわせのコーラス」新年会

2013-01-10 | 合唱

 1/9(水)、野村「ケイル」にて「いわせのコーラス」の新年会が開かれ、連日の新年会となった。良く晴れた暖かい冬の午後。12時半集合のランチの会である。広い1階を貸し切り、他のお客は2階や、奥のテーブルへ。店内は一堂に見渡せ、窓からは日が差し込み明るい。
 指揮者のMr.HAと会長のTUさんの挨拶の後、料理が運ばれた。昨日の今日のこととて思わず比べてしまうが…。

 ↓は、スモークサーモンをかぶらに挟んだかぶら寿司風。上には湯むきのトマト。これがとても美味しかった。(細長い白の皿に4切れずつ盛り付けてありました…)       

 ↓は、酢もの風のサラダ。たこや白身の魚、エビが入っている。       

 ↓は、魚介入りスパゲッティ。       

 それぞれ薄味で美味しい。↓は、ピッツア。(これはチョッとカリカリしすぎ       

 写真はここまで。他にまだ2品はあっただろう。総じて、ジャカッセより味がいい。
最後に、デザート。       

 最後に、TUさんの提案で皆で「いわせのに」を歌った。2階席の方も耳を傾けておられた。

 Mr.HAは、いつも挨拶で、脳梗塞後のリハビリの話をされるが、今は、毎日欠かさず、言語治療士の方に来てもらい、言葉の訓練をしておられると言う。同じ言葉を続けて20回繰り返す、「いわせの、いわせの・・・」と言うように。それでこれだけ話せるようになった、と仰った。声量も大きくなった。私も、「あかね」の音訳の時とちったり、会話のさ中も上手く言葉が続かないことが最近よくあるが、見習って音読や繰り返し練習をやらないといけないな、と思った。

 TUさんは、昨年の新年会で歌われた「立山連峰」の歌を、今様風に歌い、プリントも持って来てくださった。私が、ほしいと思っていたプリントだ。
 トップ写真(コピーが不鮮明でもうしわけありませんが)は、立山連峰の山々の形と、山の名前、高さが書いてある。♪ 薬師岳 鍬崎山、数河の頭(ずっこ) 越中沢岳、鳶山・・・ ♪と続く。最後は ♪ 毛勝山 立山連峰 あらあらかしこ ♪ で終わる。

 TUさんは、昔、小杉の須山ユキエ先生の「源氏物語」の講座を受けていたそうだが、その時も、♪ 源氏54帖 桐壺・・・♪ と最後まで歌ってから講義に入られたのが印象的だった、と話しておられる。この「立山連峰」の歌も、その時に習ったそうだ。プリントには、須山ユキヱさんの略歴と ”今様について”の紹介がある。         

         

 今様歌謡集「梁塵秘抄」は、後白河法皇の編。昨年の大河ドラマでは、松田翔太が演じた。毎回、流れた↓のテーマ曲は、メロディーがあるからこそ美しさが感じられる。 

 ♪ 遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけむ 遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそゆるがるれ ♪

 帰りに、光が丘に寄り、TEさんを訪ねた。食堂でテレビを見ておられたが、最初はボーっとした感じ。いろいろ尋ねると、「どうやったかな、もう忘れた」と言われる。しばらく話すうち、だんだん今までの生気ある表情が戻って来た。不思議なものだ。外からの刺激が大事なのだろう。


アルトのつどい & MiTU初稽古

2013-01-09 | 合唱

 千葉で、のんびりと息子と二人の正月を過ごし、帰宅した途端に大雪に見舞われた。除雪する気力もなく4日は降りしきる雪を眺めて過ごした。見るに見かねたお向いさんが我が家の除雪をしてくださった。感謝の気持ちでいっぱいです。これに甘えて人頼みにならないようにしなくちゃ。義妹が年始に訪ねて来たり、年賀状の追加を書いたりでバタバタ過ごし、1/7(月)から、ふだんの生活に戻って活動開始だった。

 それが、アルトのつどいである。8日(火)から、MiTUの練習が始まる。いつもより早く、6時から1時間練習をして、新年会となる。今年は、ウイングウイング1階、「ジャカッセ」。例年、新年会は合唱で締めくくるが、アルトだけで女声コーラスを、との声が盛り上がった。曲は、「若者たち」と「エーデルワイス」。女声2部合唱で歌おう、と、パートリーダーのTAさんの提案である。楽譜も用意され、即席で2部は無理だろうからリハーサルを、TAさん宅でしましょうと話はとんとん拍子に進んだ。12月最後の練習日に伝達する。

 さて、当日集まった面々は、お正月のこととて都合のつかない人もあり、9名。幸い雪も融け、TAさん宅前のJA駐車場も広々と開いていた。皆、新年会気分。家にあったお菓子を持ち寄る。ティータイム(トップ写真)には、TAさんお手製のリンゴのブランディー煮が振る舞われた。ティータイムが長くなりそうになると、TAさんの一声「さア、始めよう」で、練習再開。皆さん、熱心。       

 ↓は、楽譜。      

 低音部が不安だが、何度か合わせてどうやらハーモニーになりそう。「若者たち」は力強く、「エーデルワイス」は優美に歌いましょうと、TAさんのアドバイス。 

 「エーデルワイス」は、言わずと知れたミュージカル「サウンド オブ ミュージック」の中の歌。オスカー・ハマーシュタイン 2世作詞、リチャード・ロジャース作曲の創作曲だ。やはり、英語の歌詞がしっくりする。短いし、繰り返しも多く、易しい英語。「ねェ、2題目を英語で歌えないかな」と言ってみた。即座に、FUMさんが「私、英語大好き」と。じゃ、楽譜の下にカタカナをつけよう、とすぐ決まる。

 「ミーの下に エーヴ、次のミーの下に、リー。次の小節のミーは モー、ファは ニング・・・」と言うふうに、ワイワイガヤガヤ言いながら、カタカナをつける。もちろん綴りを書く人も。そして5,6回続けて歌い、ほぼ完成。低音部もつけてみて、まあいいでしょう。後、コンサートの歌で難しい個所を練習してお開きになった。
 翌日、リハーサルに参加できなかった人のために英語の歌詞プリントを作った。大きい文字で、太字を使って、カットを入れて。
       

 これで、FuJさんが表紙のカラーコピー紙を準備してくださり、伴奏なしのアカペラで。さあ、上手く行きますかどうか。

 ↓は、当日の「ジャカッセ」(ウイングウイング1階)。     

 貸し切りだが、もともとは喫茶店、角家なのでフロアも直角になっている。全体を見渡せないと言うのが難点。でも、アルトが歌い、ソプラノが歌い、歌声喫茶のように皆で歌う。事務局長のIさんが、再来年の10回コンサートに向けて力をつけましょうとの挨拶があり、乾杯。先生からは、そのための第一歩が今年のコンサートだと、励ましの言葉。     

 料理の写真は撮り忘れ。↓は、ピッツアとスパゲッティを揚げた”スパボー”。 

      


本 「白磁の人」

2013-01-07 | 

 年末からお正月まで2回汽車の旅をした。車内で読んだ本がこの文庫本である。以前くまさんの紹介で映画を見た。そのブログを読み、せめて本でも と、なはさんが求められたのをお借りした。文庫本は、汽車の旅には欠かせない。

 「白磁の人」 江宮隆之著  河出文庫 

 裏表紙の紹介文には:
 「韓関係史上になお影を落とすあの時代に、朝鮮にこよなく愛され、かの地の土となった伝説の人、浅川巧。素朴な白い焼き物のように人々を慰め育んだ愛の生涯を描いて、深い感動をよぶ名作」 と書かれている。

 「白磁のように素朴で温かい人」、彼はそう呼ばれた。白磁は、朝鮮ではキムチを盛る鉢や茶碗のように、日常使われ親しまれている器だった。↓は、左が 表紙絵の白磁の壺。浮彫がかすかに見えるが純白である。↓は、ネットから。蓮の模様が描かれている。

    

 昨年、著者江宮氏の脚本、吉沢悠主演で映画化された。映画のストーリーや感想を、↓の私のブログを載せたので、今回は本で詳しくわかったことだけ書くことにします。
 
http://blog.goo.ne.jp/67kiyoh/e/dbe4eee8cb552ea2485b5e9a32a1be61

 映画では、浅川巧 その人について、人柄やエピソード描いていた。だから、家族や上司、彼の下で働く朝鮮人の仲間などとの関係がドラマティックに詳しく描かれた。映画は物語だから当然だ。

 本では、「民芸」運動を興した柳宗悦(やなぎむねよし)や、後に文部大臣になった安部能成(あべよししげ)との係わりが述べられている。

 柳宗悦は、「この人はね、浅川巧さんといってね。僕が若いころ、一番尊敬し、一番信頼していた人なのだよ。この人がいなかったら今の私の仕事は半分もなし得なかっただろうな」と言っている。
 また、安部能成の「人間の価値」と言う随筆が、旧制中学用国語教科書に載っているそうだ。この中で、「…巧さんが朝鮮に渡って総督府の山林部に勤められるようになったのは、大正3年5月、巧さんが24歳の時であった。それから後18年の歳月は、巧さんを深く朝鮮と結びつけて永久に離れられぬものにしてしまった。しかもこの18年の勤労を以ってして、巧さんは、死ぬ前、判任官の技手に過ぎなかった。精励恪勤にして有能類稀な巧さんのような人に対する待遇として、誰がこれを十分だといおう。しかし巧さんの如きは、いかに微禄でも、卑官でも、その人によってその職を尊くする力のある人である。巧さんがこの地位にあって、その人間力の尊さと強さとを存分に発揮しえたということは、人間の価値の商品化される現代において如何に心強いことであったろう。私は巧さんの為にも、世の為にも、寧ろこの事を喜びたい。…」
 上は、1934年から1945年までの旧制中学で使われた教科書。難しい漢字、言葉でいっぱいだ。だが、内容は、現在にも通ずる真実である。

 浅川伯教(のりたか)、巧の兄弟が生まれ育ったのが、八ヶ岳の麓、山梨県甲村(現 北杜市高根町)だそうだ。現在は、その地に「浅川兄弟資料館」があるそうだ。一度訪れてみたいものだ。

 もう一つ、映画では大きく扱われた「3・1抗日運動」については、本ではそう大きく扱っていない。当然わかっていることだからだろう。   


東京駅でデート

2013-01-05 | 旅行

 12/30~1/3まで、千葉の息子宅で過ごした。曇りの日が多く気温も低かった。私は、少し掃除をしただけでテレビ三昧。「紅白」も、「実業団駅伝」も、もちろん「箱根駅伝」も、そうそうあの長~い「相棒」も見た。
 息子は、今年は障子や襖貼りではなく、会社の仕事をコツコツやっていた。実験した製品の計算書、説明書、設計図などらしい。パソコンの作業が上手く行かない、とか仕上がった、とか言いながら。時々、ピアノを弾いて気分転換をする。3件の仕事が完成し、会社のパソコンへ送る。4日、出勤すると「おお、○○くん、正月休みによく頑張ったね」となるそうだ。へぇ?誰が言うの?部長?取引会社?と聞くと、自分で自分に言うんだって。

 歩いて5分の所に、「房の駅」と言う地場産品を売る店とコンビニができて、便利になった。千葉は、漁師町、海産物が多い。落花生、おこげ、などのお菓子、地元の野菜を売っている。↓は、紅いも。お土産はすべてここで買い、自分の荷物も合わせて宅配便で送ることにする。    

 3日(木)、東京駅で友だちと会う予定だ。Aちゃんは、自宅は市原だが、船橋と杉並の二人の娘さん宅へ交互に手伝いに行き、いつも多忙な人。2年前は深大寺へ付き合ってくださった。東京駅まで息子に送ってもらい、東京駅構内「銀の鈴」で待ち合わせ。ここは昔からの待ち合わせ場所だ。↓は、天井から下がった大きな「銀の鈴」。        

 寒いし、どこへも行かず東京駅だけ見物する約束だ。まず、丸の内口へ出る。昨年10月に駅舎が改装復原された。50年ほど前東京で勤務していた頃、都庁や近くのビルへよくお使いに来たが、駅舎なんぞ気にも止めなかった。どう変わったのだろう?まず、↓は正面。      

 大勢の見物人で賑わっている。     

 タクシー乗り場などがあった所が、広場になっている。     

 全景が写真に入らないので、道路を渡りビル側まで行く。やっと全景が入った。    

 右側のドームに入ると、八角形の天井があり、干支の絵が描かれている。    

 ↓は、蛇。

 ドームの2階にはレストランやカフェがあり、ホテルに続くらしい。駅の模型も飾ってあった。  

 この後、駅構内の「さがみや」でランチ。充分粘ってから、さらに無料待合所で喋った。当日とった座席指定券が、5時台の「とき」しかなかったのでその時間まで付き合ってくださった。この待合所、回りに自販機やコーヒーショップがあり、読書をしている人、お弁当を食べている人など、まさにお金のかからぬ、気兼ねのいらぬ、時間待ちの場所だ。あっと言う間に4時半。2時間以上も喋っていたことになる。  

 指定券をとってよかった。ほぼ満席だった。どの辺から雪になったのだろう?越後湯沢は真っ白。車内は暑いほどだったが、高岡駅は寒かった。駅南口のイルミネーションは雪の中で神秘的。二本の樹の間に利長公がおられるはず。  

 当然自転車を置いて、タクシーに乗る。我が家までは690円。玄関前は雪の山。あら雪を踏んで玄関ドアに辿り着く。5日間空けた家は氷の室のよう。暖房を強くしてもなかなか効かなかった。翌日は1日中雪。ゴミ当番もお向いさんが代わってくださったので、外出もせず、除雪する元気もなく、1日窓の外の雪を眺めていた。郵便屋さんが年賀状を配達に来て、まだ帰っておられないのかと思いました、と言われた。夜になって一人通る幅だけ道を開けようと外へ出た。お向いさんが、車の前など開けておいてくださり大助かりだった。
 あまりの寒さに、千葉へ逆戻りしたい気分だった。


千葉でのお正月

2013-01-04 | 日記・つぶやき

 2年ぶりに千葉でお正月を過ごした。年暮れの雑用が多く、出発の日がなかなか決まらなかった。それでも29日にJTBへ行ったら、30日の座席指定がとれたので、朝8:44の「はくたか」で出発。さいわいよく晴れ高岡駅までは自転車で。

 12:20に東京駅に着く。年末だからかすごい混雑ぶり、どこがどこだかサッパリわからない。息子が駅まで迎えに来てくれたが、駐車場が満員で入れないと言う。ケータイで連絡しながら、八重洲北口のバスターミナル付近でようやく落ち合えた。首都高速で千葉へ向かう。

 晴れてはいるが風は冷たい。車を降り家に入って驚いた。居間の大きなテーブルが片隅に移動し、その場所にド~ンと居座った新しい住人(housemate?)がトップ写真である。いつの間に?8月頃とか。ヤマハの中古セールで買ったそうだ。今までのキーボードも横にいる。忙しい、忙しいと言いながら、そんな暇が?休日、家にいる時だけ弾くそうだ。

 以前と違って、片付いているので(我が家よりよほど)、掃き掃除、拭き掃除、玄関ドアなどだけすませる。庭は季節がら枯れ草や枯れ葉がそのままなので、翌日チョキチョキ切って袋詰めをする。秋にたくさん咲いたと言うつわぶきが少し残っていた。ミニトマトやトウガラシの実り損ないや虫に食われたのも…。トウガラシは食べられそう、と摘む。とても日当たりの良い庭で、近所の猫が日向ぼっこに来ていた。

   

   

 31日は、ガスレンジを少し磨く、あまり料理をしないのだろう、汚れていない。毎朝、6時半頃家を出るそうだ。20分ほど歩きである。以前は近くの駅まで車だったが、駐車場がなくなった。満員電車で2時間。帰りはほとんどタクシーらしい。本人いわく、「毎日がサラリーマン我慢大会や」そうだ。
 と言うわけで、年末はピアノを弾いたり、正月明けのための会社の仕事をPCに向かいいろいろやっていた。私も、たまっていた手紙や報告書を書いたり、食事の準備をしたりで、静かに過ごした。