Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

高岡万葉まつり・プレイベント

2009-09-30 | 高岡
 9/28(月)は月1度の「音訳ボランティアあかね」の日。 
いつも早く来られる方が1人欠席と聞いたので、少し早めに出かけた。
 会長のTさんもいつも早い。おや、声が嗄れている。顔は元気そう
だが。聞くと、なんと、昨夜「家持下向の旅」の小松~津幡間から帰って
きたばかりだそうで、さすがに疲れたようす。

 北日本新聞や富山新聞には毎日報道されていたようだが、すっかり
忘れていた。参加者を募集しておられたのだ。私たち、グループあかね
から2,3人参加された。

 今年の「万葉まつり」は10/2(金)、3(土)、4(日)の3日間高岡古城
公園で開催される。それに合わせて、大友家持の「下向の旅」の再現
イベントが行われた。
 9/20(日)奈良平城京朱雀門前を出発し、10/2(金)に高岡古城公園
に到着予定だ。その間、毎日30~50kmの距離を万葉衣装に幟旗を
持って徒歩で旅をする。いくつかのグループが何人もで交代しながら
歩いたそうだ。

 奈良~大津~琵琶湖の西を通り~今津~敦賀~味真野~小松~
津幡~小矢部~高岡まで。風の強い浜辺を歩いたり、連休中は子供
たちも参加したり、各地で交流しながら旅を楽しんだとのこと。

 ゆったりと奈良のいにしえ人の気持にタイムスリップしたことだろう。
写真は新聞記事とパンフより。左は、朱雀門を出発直後。右は金沢へ
到着したところのようだ。

     

           奈良から高岡までの旅の道のり。
              

 お土産に「鮎パイ」をいただいた。今年の「万葉まつり」には、あかね
のメンバーは、3日に体育館前で受け付けのボランティアを、同じ日の
夕方に水上ステージで「いわせのコーラス」が「いわせのに~」の歌を
朗唱する予定です。
       


展覧会シーズン

2009-09-29 | 日記・つぶやき
 まさに芸術の秋。友人から写真展、絵画展などの案内をいただく。
お互いに趣味の会なので、1年ないし半年の成果発表は見てあげた
いし、来てもほしい。でも、すぐ最終日になってしまう。

 9/27(日)、高岡文化ホールへ茶々姫さんの写真展を見に行った。
暖かい秋の日曜日、高岡文化ホールは行事が多く駐車場には「満車」
の案内。美術館後ろの「文化の森パーキング」へ。すぐ下のグランドで
近くの高校野球部が声をかけ合い練習中。すべてが秋の風景だ。
 美術館の中庭を通り抜けると、ここにも金屋の緑地公園のように
噴水が落ちている。これは何の建物だろう?いつもは、夜の公演に
行くことが多く、ここはあまり通らないのだ。

  

 文化ホール前の道の桜の木々が紅葉し始め、道路わきのキバナコ
スモスが揺れている。
 能町公民館の生涯学習教室の写真展だが、プロ級の立派な写真が
展示されていた。先生と会員11名の「組み写真」と「私の一枚」、
さらに「四人展」も同時開催されていた。

            
 
 下は、先生の「組み写真・湖彩」と茶々姫さんの「私の一枚・静寂」。

                    

 抽象絵画を思わせる色彩と構図で自然を撮った写真が多かった。
もちろん、祭りの少女やロンドンの衛兵などもあるが。
 「四人展」の中のMr.Kの「奇樹」の組み写真に、大きな石を抱えた
「洞杉」の豪快な幹の根元が映し出されていた。写真の写真は難しく
紹介できないのが残念だ。

金屋町散策(続き)~鳳鳴橋とプチギャラリ~

2009-09-28 | 高岡
 金屋町のボランティア・ガイドの般若さんは、もちろん金屋町の住人だ。
最初に「金屋弁で喋りますからよろしく」と挨拶されたように、気さくな語り
口で説明し、工房やお店に寄る時も、奥へ向かって(どの家も奥行きが
長い)、「○○さん、な~ん出て来んでもいいよ。ダイドコしとって」と声を
かけ、我が家のように説明される。

 鳳鳴橋の袂まで来た時のこと。
金屋町の近くを流れる千保川に架かる「鳳鳴橋」は、高岡の地名の由来と
なった詩経の一節「鳳凰鳴矣于彼高岡(鳳凰鳴けり彼の高き岡に)」
から名付けられた(昭和10年頃)。鳳鳴橋の中央の川上側に雄の、川下
側に雌の鳳凰像が2体ある。これは昭和59年に、富永直樹作で作られた
ブロンズ像だ。雌雄の区別は、細く伸びた脚の下部の蹴爪の違いらしい。
 当時、金ぴかに光っており(私もよく覚えているが)、「こんな派手な物
を作って」と言われ、金屋の人達は恥ずかしい思いをしたそうだ。最近は
くすんで鈍い光になり「ちょうど良い」と思っているのに、観光客に「手入
れがよくないようですね」と言われ困った、と般若さん。

 また、宇治の平等院へ行った時、平等院の鳳凰が雌雄の区別がないと
聞き、「高岡はあるのに、なぜ?」と質問したら「ここは『平等』院だから」
と答えられた、とか。この話は、ちょっとマユツバかも。

 さて、下は、鋳物工房「利三郎」併設のプチギャラリー「ゆずら」の「衣展」
のポスター。インドシルクを染めたベスト、パンツ、コート、ブラウス、スカ
ーフなどが展示即売されていた。段染、部分染、柿渋染などの色が面白
く、皆で羽織ったり手に取ったり。「やはり女性は美しい物が・・・」と言い
ながら、求めたい人もいたようだが短時間では断念。10/4(日)まで開い
ている。見るだけでも楽しいですよ。

             

 また、10/24,25(土・日)は「金屋町 楽市 in さまのこ」の
イベントがあります。
 「鳳鳴橋」についてパンフも何もないので、Googleで検索をしていたら、
2ページ目に「折りおりの記」が現れビックリ。昨年9月に、姫ちゃん
が鳳鳴橋を取り上げられたのは覚えていたが、改めて読み、詳しい記述
に感心した。

金屋町散策

2009-09-27 | 高岡
 9/26(土)、学生時代の支部同窓会が高岡であった。2,3年に一度は
出席しており、市内だし出たいと思ったが、ちょうどお寺のお参りの日。
しかも祥月命日だ。結局欠席の返事を出していた。
 間際にになって遠方の方が来られるとわかり、午後からだけでもと、
幹事さんに急きょ電話をし、午後の金屋町巡りだけ参加させてもらった。
午前は勝興寺見学、会食は「角久」さんだった。

 1609年、前田利長が高岡城を築城し高岡の町を開いたとき、町の繁栄
を図るため、金屋町に鋳物工場を造ったのが高岡銅器産業の始まりだ。
千本格子の街並みが残り、地域の祭りとして御印祭が行われる。

 まずボランティアガイドの般若さんの案内で「鋳物資料館」へ。有料
だが隣の無料の展示だけ見る。
入り口に「踏みたたら」の見本があるが大きくて撮れなかったので、
説明の紙を見てください。板人(いたど)は天井から吊り下げた縄に
つかまり体を安定させて、踏み板の上でシーソーのように調子をとり、
溶鉱炉へ強い風を送り込む作業をした。
 作業は、夜8時頃から翌朝6時頃まで4、5人で交互に踏み続ける
重労働だった。その時の作業歌が「やがえ節」。
          
 利長公の鯰兜に似せて作った鋳型。その他、手回しふいご、ニシン鍋
や梵鐘などが展示してある。
           

 通りを歩くと、石畳のあちこちに銅版が嵌め込んであり、側溝の
蓋も銅。

              

 通りに面した工房や商店の前には、こんな品も。鉄瓶が花活けに。
ランニングシャツに短パンの少年のラジオ体操姿。
   

 高岡駅にも「おりん」があるが、これはお土産用のミニチュア。
良い音が響く。
           

 千保川沿いの緑地公園へ。千本格子をイメージした噴水が日を浴び
て光っており、傍に「久遠の絆」の像が立っている。職人さんと西条
小の児童の合作だそうだ。下にたくさんの児童の作品が思い思いの姿
で飾られている。 
     
               

 鳳鳴橋の袂には、上流側に、与謝野寛、晶子の歌碑がある。
下流側に、金屋町公民館。銅葺きの尖がり屋根は、これも利長公の
鯰兜とか。
                         

 余談だが、その日集った同窓生の中で4人が、謡、仕舞、お囃子に
係わっていて、不思議な縁を感じた。もちろん還暦後始めたのは、私
だけだが。
 以前、やまびこバスで回った金屋町だが、さらに魅力的な町並みに
変っていた。 

画廊「七本杉」~色野の会

2009-09-24 | イベント
 秋分の日、二上山へお墓参りに行った後、高岡駅前末広通りの画廊
「七本杉」に寄った。友人のSaさんが所属する「色野(しきの)の会」の
展覧会が連休中に開かれていた。

 彼女は以前も油絵を描いていたが、しばらく止めていたのでこの会で
は初めての展覧会になる。太田先生という高岡工芸高校の先生の会だ
そうだ。13名の会員が1~3点出品しておられる。大きい2点の他は、
小品がほとんど。競い合わない柔らかい雰囲気の中で展示されている。
居心地の良いスペースで、ゆったりした気分で鑑賞できる。

 下は、「七本杉」の正面(日興証券となり)と、入り口のインパチェンス
の花。
  

 Saさんの作品は「紅いピエロ」(下の写真の中央)と「憩」(写真は失敗
したが大胆なタッチの裸婦)の2点。「紅いピエロ」がいいな、と思った。
深紅の色合いがきれいだし、顔が縦に並ぶ構図が面白い。真ん中の
写真の右2点は先生の作品で”Layer"と「華」。



        
                  
                    

 画廊のオーナーの戸口さんの説明を聞いたり感想を言ったりした
後、8月に展示された「伏木港中国人強制連行資料展」の話になった。
資料展を紹介する新聞記事を見たけど来れなかったこと、米田先生の
「高岡が舞台の文学」講座で岩倉さんの「煙草」を読んだ後、中国人
連行について知り、伏木港まで「日中友好の碑」の写真を撮りに行った
ことを話すと、戦時中の伏木港について詳しく話してくださった。
自分でまとめられた資料もくださった。

 その間、フリーで入ってくる親子連れ、友人同士、お知り合いなど
お客が絶えない。通りから中がよく見えるので入り易いのだろう。

 次は何の展覧会かな?また、ふらっと寄りたいものだ。

彼岸花

2009-09-23 | 自然・海山草花
 姫ちゃんをはじめ友人のブログに、彼岸花の写真がアップされて
いるので、私も彼岸花探しの旅に…と言うのはオーバーだが、お墓
参りに出かけた。
 20日、午前午後夕方と、富山まで往復した疲れで、連休の中2日は
家でボンヤリ過ごした。最終日の23日は秋分の日、ちょうどお彼岸の
中日だ。庭に咲く秋草をたっぷりと切って二上山へ出かける。朝は、
小雨が落ちたがだんだん晴れ、柔らかな日差しも出てきた。結局息子
は帰らなかったので1人で。

 二上山は子ども連れや、杖をついだおばあちゃんの手助けをしな
がら車を降りるご夫婦などでそこそこ賑やか。シルバーウイーク
最終日のせいか、お盆と違い県内ナンバーばかり。
 庭の花を供える。秋色いっぱいの草花。枯れた紫陽花、シュウメイ
ギク、ホトトギス、ムクゲ、水引、野路菊、それに金木犀の枝も。
7種類。こんな花はどのお墓にも供えてない。一日花も多く、すぐ
しおれるだろう。でもご先祖様はお喜びだろうと、自己満足をして
お参りした。
 
        

 城光寺球場から秋季高校野球大会の歓声が聞こえてくる。どこと
どこの学校の対戦だろう?

 さて、帰り道に「ポリテクセンター」の前の街路樹の傍に彼岸花を
一株(トップの写真)見つけた。行きは気づかなかった。
 ♪ 赤い花なら 曼珠沙華(まんじゅしゃげ) ♪ 子どもの頃よく
聞いた歌。どんな花だろうと思ったものだ。別名「はみずはなみず
(葉見ず花見ず)」とも言うらしいが、左の写真には色づいた小さな
葉っぱがついている。
  
                 

 しばらく進むと、小矢部川の土手の近くのお宅の畑にも咲いていた。
お墓参りの帰りに二株の彼岸花と出会えて晴れ晴れとした気持。
末広通りの「七本杉」画廊へ寄って来た。(明日に続く)

        

能楽をまなぼう「こども教室」~2009~

2009-09-22 | 能楽
 昨年の今頃もアップしたが、今年も、9/20(日)に高岡文化ホー
ルで、宝生、観世、和泉流三派合同能楽鑑賞大会が開かれた。
 たまたま、富山教文会館での自遊塾「歌と文化で学ぶ韓国」の
講座と重なり、諦めていたがどうしても観たくなり、両方掛け持ち
をした。

「こども教室」は今年でたぶん5年目。まず、太鼓4名、笛4名、謡
7名による連調連管(お囃子とお謡いのアンサンブル)「竹生島
(ちくぶしま)」だ。それぞれ、上田先生、瀬賀先生、山崎先生が
後見につかれる。去年よりさらに上達し、一糸乱れぬ息の合った
演奏が最後まで続いた。公民館まつりで同じ「竹生島」をやるの
で、太鼓の子たちに自然と眼が向く。誰かの手がちょっと狂った
かに見えるがすぐ皆とリズムが合っているのにはオドロイタ。
 子どもはすごいわ。負けずに頑張らないと。入退場の時、先生方
が手を貸さんばかりに声をかけておられるのがほほ笑ましい。

        

 その後、お謡いの7人が1人ずつ仕舞を披露した。ずっと続けて
いる子もいて、長い難しい曲を落ち着いた舞いぶりで足踏みも堂
に入っている。
 11時半頃富山へ向かう。講座の終わる時間の少し早めに出て、
文化ホールへ戻ったが、やはり能は前半が終わっており、ちょうど
「中入り」からだった。「鞍馬天狗」の後シテが大天狗になって
現れ、薙刀を持った牛若丸に中国の故事を語り、兵法の秘伝を授
け、名残を惜しみながら去る場面。大天狗と牛若丸の心のふれあ
いにしんみりする。この牛若丸が山崎先生のお孫さんだ。澄んだ
きれいな声で気持がこもっている。地謡に合わせ、天狗とからむ
仕草も自然だ。
 前半の鞍馬山の花見の場面で、お謡いの子たちが平家の稚児
になって出演したらしい。皆、ずっと能楽が好きで、お稽古を続け、
高岡の能楽を引き継いで行ってほしいものだ。

運動会本番!

2009-09-21 | イベント
 秋晴れの爽やかな日が続いている。19日(土)はいよいよ隣の
保育園の運動会。朝から賑やかだ。園長先生のごあいさつに始ま
り次々と競技や遊戯が続いているらしい声が聞こえる。

 そのうち鼓笛隊の音が聞こえたので外へ出てみる。暑い日ざしの
中に風が涼しく、万国旗がはためいている。赤いチョッキの子供た
ちはもう半円を描いて整列していた。
 若いパパ、ママの他に近所の人も見物に。最近、外へあまり出ら
れなくなった隣の班の方と久しぶりに話す。
 子供たちはとても上手になっていた。ドンドコドン、タタンタタンと
リズムもそろい、拍手喝さいだった。もしかして、開町パレードにも
出たのかな。

         
               

 その後、ちょっと出かけ、昼過ぎ道沿いの草を刈っていたら、
先生方が帰られる時間、次々出て来られる。
 「ごくろうさま、良いお天気でよかったですね。みんな上手に
なって…」
 「喧しかったでしょう?終わってホッとしました。」
そうでしょうとも。一つの行事が終わるまで大変な苦労ですね。

こまつ座の「兄おとうと」~吉野作造の生涯

2009-09-19 | 映画・テレビ・演劇・芸能
 「高岡演劇鑑賞会」に入っているので年6回は観劇のチャンスが
あるが、8、9月には4回観ることになった。三越劇場とSCOT公演
が臨時に入ったからだ。9/16(水)の「兄おとうと」が4回目だった。
 演劇と言ってもいろいろである。役者の好みもあれば、テーマも
異なる。私はそれぞれを楽しむタイプ。

 とは言うものの、「兄おとうと」は素晴らしかった。こまつ座と言え
ば、井上ひさしが主催する一座だ。脚本は勿論すべて井上ひさしが
執筆する。
 吉野作造の名前を知っていても彼が何をし、何を説いた人かと言う
と知らない人がほとんどだろう。井上氏もその1人だったが、同じ仙台
一高出身だからもあってか、突然芝居にしたくなり彼の論文や日記を
片っ端から読み、更に10歳下の弟信次の自伝や随筆も読んだそうだ。
兄弟の奥さんが姉妹だと言うのは事実だが、他は井上氏の楽しい創作
であろう。

 幕開け、まず次の歌で始まる。題して「ふしぎな兄弟」、歌うのは
姉(剣幸)と妹(高橋礼恵)。(この歌は「ティティナ」のメロディで)

 ときは明治と大正、昭和
 三つの御代の長いおはなし
 寒さきびしい小さな町に
 生まれ合わせた兄とおとうと

 兄とおとうと どちらも秀才
 兄とおとうと どちらも秀才

 兄作造は東大教授
 デモクラシーを唱えた学者
 おとうと信次 えらい役人
 二度も大臣を つとめあげた

 デモクラシー えらい役人 
 デモクラシー えらい役人  (まだまだ続く…)

 この歌の通り、会えば議論になり衝突する兄弟。国家とは国民あって
のものと唱え実践する兄、国家あっての国民だと信じる弟。右翼から脅
される兄。それを奥さんたちが愛と機転で見事に支え解決していく。
笑っているうちに、下のパンフの剣幸さん(富山県出身)の言葉のように、
憲法について考えさせられていた。
 「3度のごはん きちんと食べて 火の用心 元気で 行きよう きっと
ね」の歌は、まさに社会権ではないか。

 <大正末期40代の吉野作造氏  <玉乃夫人を演ずる剣幸さん>
    演ずるは辻萬長さん>
             

 この2夫婦の役者の他に、男女二人の脇役さんがそれぞれ5役を演じ
分けるのが見事。お手伝さん、右翼の青年、説教強盗夫婦などなど。
6人とも歌って踊って、役者さんってこんなに歌が上手いのかと驚い
た。そしてその歌の伴奏や音楽は、舞台脇で演奏するピアニストの
生演奏と来ればたまらない。

 終演後、運営サークルの特権で初日だけ「バックステージツアー」
に参加できる。舞台裏探検だ。写真は撮れなかったのでパンフから。
下は回り舞台(この正方形の床の下は円形の回り舞台でモーターで
動かす)と舞台装置。翌日約20名のスタッフの方がこの大舞台を解体
されるのを手伝った。大仕事だった。
 右は、舞台の袖に置いてある小道具。その下は、説教強盗の納豆。 

                                                
                      
 長くなったが、最後に「へそくりソング」の歌詞を載せるので
ドボルザークの「ユモレスク」のメロディで歌ってみてください。
調子が良いですよ。

 へそくり始めて あれこれやりくり かれこれ十何年
 一日十銭 ときには一円 地道にためる
 おかずをへらして おやつを抜かして かれこれ十何年
 一日十銭 ときには一円 せっせとためる
 
 へそくりは身だしなみ 女の才覚
 へそくりは強い助っ人 まさかのときの助太刀(まだまだ続く) 

高岡開町400年記念行事~カッチャ

2009-09-18 | 高岡
 ちょうど1年前の9/13の「総登城まつり」の後、開町を祝う
「第九」や「大石曳き」などの行事を時々紹介してきたが、いよ
いよ、9/12,13に「開町まつり」が盛大に催された。

 加賀宝生を伝える「高岡能楽会」としては、12日、市民会館の
セレモニーで半能「高砂」、本丸広場の楽市で「チビッコの仕舞と
太鼓」、関野神社の奉納謡曲大会で舞囃子「鶴亀」がそれぞれ
演じられ、東京、金沢、福井から先生方が来られ、高岡の先生方
もてんてこ舞いだった。我々公民館組も関野神社で素謡と連調
連管を奉納した。

 疲れ果てて、その夜は早寝をしてしまい、せっかくフィリピンへ
行った仲間から「渡辺はま子のモンテンルパ」(正確なタイトル
は?)のTVドラマを必ず見るように連絡電話が回っていたのに
眠り込んでしまった。(どなたか録画をした方がおられたら貸して
ください。)
 13日の入城パレードはテレビ鑑賞と決め、ゆっくり解説を聞き
ながら、利長公と永姫をはじめ、奴、槍隊、鉄砲隊などの行進を
見ていた。義妹から電話があり、伏木のケンカ山の「カッチャ」を
見たことがないので、一緒に見に行こうと誘われた。
 私自身は、数年前近所のSiさんが伏木の出身なので「ぜひ見せ
たい」と言われ連れて行ってもらったが、疲れも回復したので夕方
から出かけた。

 場所は高岡駅前、ウイングウイングと市営駐車場の前の広い
通りだ。伏木の山車が城光寺橋を渡ったのは初めてとのこと。
トレーラーに載せて2基運ばれて来たらしい。
 昼のパレードもそうだが、夜のカッチャを見る人も、高岡にこれ
だけ多くの人が集ったのはいつ以来?と言うほどの人出だ。よう
やく市営駐車場入り口に場所をとる。駐車場へ入れば見られるが
警備員がおられダメ、と聞いていたのに後で聞いたら、たくさんの
人がそこから見ていたそうな。

7時、開会宣言後ごあいさつ、まず伏木の女声コーラスと踊り、次
に消防団のまといの披露。ここまではまったく見えない。まといの
先がチラチラ動くのが見えるだけ。
 「若とび組」のはしご乗りがかろうじて見える程度。新潟、富山、
石川の各県の競演で見事な演技だった。3本のはしごに次々と
1人ずつ登り演技を披露される。はしごそのものが動くので写真は
全部下のように。

       

 いよいよカッチャの始まり。左は、提灯に灯りのついた仲町の
山車。
 右は、両町内総代のかわりに、高橋市長と前市長の橘氏が、
「後何回?」と指で示しながら回数を決めるパフォーマンス。
  

 以前伏木祭で見た時は、目の前で棒がぶつかり合い迫力が
あっがが今回は提灯が揺れるだけ。ただ、道幅は広いし、2基の
山車が遠くから勢いよく近づくので壮観だった。

 帰り道に、義妹は「400年に1度のまつりを見られよかった(彼女
は昼のパレードも北銀前の最高席に陣取り見物した)、50年後は
いないから。」と満足そう。彼女は、生粋の高岡っ子だし、やはり
若い。50年後なんて、私の思いもつかぬことだ。

洞杉(どうすぎ)どうけ?

2009-09-16 | 自然・海山草花
 上のポスターは「魚津埋没林博物館」内に貼ってあったものである。
9/11(金)、8月の伊吹山に続き、ハイキングクラブから片貝川上流の
洞杉の見学に行った。前回と同じく薬勝寺池駐車場に18名が集合。
4台の車に分乗し魚津へ向かう。魚津駅から片貝川に沿って上流へ
19km。途中、車の腹を擦るような悪道もあった。

 途中、まめさんが「ほら、子どもが小さい頃合宿したあけび分校は
この辺やよ。懐かしいね~」と言われ、私も気づきました。当時、廃校に
なったあけび分校(たぶん山女にあった)が安く借りられ、同僚の母親
同士で各自子どもを連れて自炊合宿をしたのだ。何年か続いたように
思う。

 まず、「蛇石」に立ち寄る。昔、巨岩を抱いた龍に猟師が金と銀の
弾を撃ち込んだら大雷鳴と共に石に巻きついて死に絶えた、と言う
伝説があり、「雨乞いの石」として、北電と地元民で年2回、近くの祠
で祭礼を行っているそうだ。
        

 「洞杉」は、片貝川南又谷一帯に生育している天然生のタテヤマスギの
古木、巨木のことで、幹の内部が空洞になっているものが多いことから
愛称として呼ばれているようだ。樹齢500年以上の樹が120数本、大型の
転石や露岩の多い急傾斜地に生育している。

 河原へ降りて「蛇石」を見た後、上がって最初に見た洞杉。左の写真
の空洞の下の部分に石を抱いているのが、右の写真で見えるだろうか。
石が挟まったように見えるのは、石の上から新しい芽が出て成長して
いるからだ。


 ここで驚いていたら、この後、もっと大きい石を抱いている樹や、
根曲がり、主幹のない株立ち、合体など不思議な形の巨木がたくさん
あった。地上から何メートルも上で数本の株が立ち上がっていたり、
岩の上に生育しているのは、どんな過程を経てきたのだろう、と興味
が湧いた。
      
              
                                                                                           
                 

 遊歩道が新しく整備され、様々な形の杉林を眺めながら山の中に
入れる。所々にすれ違い場所が広く作られていた。 
                                 
           

 帰る途中で「沌滝(どんたき)」まで登ったが、ここはちょっと
山道だった。

 魚津へ戻り、「埋没林博物館」に寄った。子どもが小さい頃家族で
来て以来だが、立派な建物が建っていた。下は、屋上からの風景。

          

 膝の調子は完璧ではないが、少しずつ山歩きができて嬉しい。

「大仏」様と「九条」の心を語ろう

2009-09-14 | イベント

 9月9日9時9分、全国一斉「9条を守れ」運動が展開されたようだ。
 「憲法999(スリーナイン)」と呼ぶそうだ。高岡では、「憲法9条を変えるな・平和を守れ」の願いをこめ、二上山の「平和の鐘」を撞いたそうだ。「憲法9条ファンクラブ@高岡」「戦争イヤわいね9条の会たかおか」、「南条9条の会」の主催とのこと。

 その日の夜、大仏様の前で「9条の心」を語るお話があると聞き、自転車で出かけた。講師は彼谷(かや)環さん。富山国際大の講師である。
 彼女は、我が家の娘や息子と一緒にN中で吹奏楽をしておられ、名前だけはよく聞いていた。同じ吹奏楽部員だった妹さんは、今MiTUの団員だ。

 大学で、日本国憲法と国際法を担当しておられる彼谷さんの話に興味があったし、娘にも知らせたいと思い、楽しみにしていたのだ。
 ちょっと遅れて着いたので、もう話は始まっていた。ライトアップされた大仏様は、かつて与謝野晶子が、鎌倉の大仏よりも美男と言ったというのも頷ける美しい姿。その前にボンボリやローソクが立てられ、折りたたみ椅子に座った人々がじっと聴き入っておられる。夕涼みの人や観光客も立ち止まって聴いておられる。

 若々しく、明確な語り口で、大学の講義のようなわかり易いお話だった。とかくこの内容の話はイデオロギーが先立ち、政党がらみの話になり易いものだ。
 「暗いからレジメは家で読んでください・・」の彼女の言葉どおり、今、レジメに沿って紹介する。

 タイトル:「大仏様の前で平和を考える」
 テーマ:① 民主主義の視点から~衆議院選挙の結果と選挙制度の仕組み
     ② 暮らしの視点から~働く人々の権利
     ③ 平和の視点から~オバマ大統領のプラハ宣言「核兵器のない世界」

 「小選挙区比例代表並立制」による「過剰代表と過小代表」「議員譲渡」の問題は、新聞でも報じられたが、議席数と得票数は一致していないという認識が大切。議員譲渡も、聞くとほんとにオカシナ制度だ。

 規制緩和の背後にあるものとして、派遣社員の問題、自殺の増加など、憲法が保障する「社会権」をもっとしっかり勉強しないといけない。

 今年の8/6の広島の様子を話され、「核密約」の歴史的事実や新潟での「国連軍縮会議」のニュースなどただ聞き過ごしている出来事にもっと関心を持つべきだとも思った。

 久しぶりに触れる憲法の話はとても新鮮だった。若い人のパワーに元気をもらった。
 出席者は約40名、後部席の立ち寄り組を入れると50名近い聴衆だったようだ。秋の夜の戸外での集りはとても良い企画だと思った。最後にもう一度、大仏様を拝んでさよならをした。  


SCOT公演「酒神 ディオニュソス」

2009-09-12 | 映画・テレビ・演劇・芸能
 9/8(火)高岡文化ホールで劇団SCOT公演を観た。今は南砺
市である旧利賀村へ、早稲田小劇場の鈴木忠志氏が移り住み
演劇活動を始めたのは1976年だそうだ。Suzuki Company of Toga
(SCOT)がスタートした。野外劇場や利賀山房での国際演劇祭を
経て、しばらく静岡で仕事をしておられたが、2008年に再開され
た。その年、「山野草の会」から夜「カチカチ山」を観に行き、途中
の雷雨の中で演技者も観客も雨に打たれながら観ていたものだ。
花火が打ちあがる豪華なステージだった。

 それ以前にも、車椅子の「リア王」など、利賀まで出かけて何度
か観劇したものだ。それが、文化ホールで観られる。しかも、文化
ホール主催の行事の割引券を持っていたので、発売直後Saさん
にチケットを買ってもらった。全席座席指定。

 トップの写真は、会場前のホール。いつもの演劇鑑賞会の観客
層とはどことなく雰囲気が違うような気がした。
 「鈴木忠志の軌跡」と題して、舞台写真のパネルが展示してあ
る。前述の舞台もいくつかあったが、当日の公演の写真が一番
多い。舞台写真は撮れないから、とパネルにカメラを向けたが、
夜だし、ガラスの額だしすべて失敗作だった。

         

 下は、ポスター。「ディオニュソス」は、バッコスともバッカスとも
呼ばれるが、ギリシャ神話の「酒の神」の別称である。彼は自分の
宗教を広めるため、ギリシャのテーバイの町へやって来る。だが、
王ペンテウスの反抗に合い、ペンテウスの母親を始め街の女達を
山に集め彼の教えに狂信させる。ペンテウスはテーバイの市民
全部がその教えに従うことを恐れ、ディオニュソスを捕らえようと
するが、逆に魔力に魅せられ、山中の女達を見に出かけ、母親
アガウエと信女達に殺される。
 紅白の斬新な衣装の女性はアガウエ。獅子を捕まえたと狂喜し
ていて、息子(左手に首を持っている)を殺したと知らされ、嘆き
恐れおののいている場面。その後彼女は放浪の旅に出る。

             

 1時間40分の短い演劇。鈴木氏の演出はディオニュソスを1人の
神とせず、5人の僧侶がその代理で登場する。そしてコロスと言う
合唱のようなセリフで話す。1人で話すよりさらに迫力がある。
 長い紅白の布の衣装をを引きずり手繰りながら踊る信女たちの
踊りは直線のような動き、管と打楽器だけの音楽は、能楽と雅楽
のよう。そして真言宗のお経のような部分も、ヴァイオリンとピアノ
も。最後はシンセサイザーの電子音。

 宗教戦争とは、神の名における人間の戦争、集団の生存をめぐ
る争いであると言う読み方がされている。今、世界のあちこちで
続く戦争がすべて当てはまる、と思った。

 ソ連崩壊直前のモスクワ、湾岸戦争直後のNY、その他各国、
各地で上演され、9・11テロ事件直後にもアメリカで上演され大きな
反響を呼んだらしい。

運動会せまる!

2009-09-10 | 日記・つぶやき
 爽やかな秋晴れの下、運動会が間近なようだ。隣の保育園では
毎朝9時半から10時頃になると、園庭へ出て運動会練習が始ま
る。本番は来週の土曜日らしい。日ごとに上手になって行く。最初
の頃は、先生方の大声ばかりが聞こえていた。

 最近、園庭の周りの樹木が伸びてきて、キッチンの窓からは
ほとんど見えない。いつも声だけ聞いている。先日、居間や和室
に移動して窓を開けて見ると、木立の隙間からチラチラと動きが
見える。もちろん元気な掛け声やお返事の声も。CDの音楽や楽器
の音などなど。とうとうカメラを持ち出して、コッソリ隠し撮りをした。
やはり難しく、豆粒みたいな写真だがご勘弁を。

 一日目は「玉いれ」の練習。カゴに入った玉の数え方、勝った
チームの「万歳」も練習だ。もちろん両方とも。
 写真は、ムクゲの影でよく見えないが、先生に合わせて数えて
いるところ。左の端に白いカゴだけ見える。
             
 
 翌日は「鼓笛隊」。大太鼓、小太鼓、ボンボンなどを揃えて練習
する。なかなか合わせるのが難しそう。”ワン ツー スリー フォ
ー”の掛け声で合わせるのだが。昨日はなかなか上手だった。

 下は、整列。「太鼓の気をつけぇ」と教えておられた。太鼓を構え
るのだろう。                                                

 次は行進の始まり~。                                                                  

 トップの写真は、ボンボンが加わったところ。年中さんかな。
 
 今日は、大きなしましまの旗を持つマーチ(なんと言う演技だ
ろう?)の練習だった。毎日日替わりで楽しいです。  

夏の贈り物(いろいろ)

2009-09-09 | 日記・つぶやき
 夏休みの間にいろいろな頂き物をした。嬉しい品ばかりだが、その
中からいくつか紹介します。

 (その1)くまさんに傘のバッグを作ってもらった。お気に入りの模様
で愛用していた傘だ。以前にもスーパー用バッグとプログラム用バッ
グをもらったので、今度は「A4の大きさにして」とお願いした。
 最初、カーブス用にしようかと思ったが、A4のパンフなどを入れて
セカンドバッグで持ち歩いている。

 (その2)姫ちゃんにりんごジャムをもらった。彼女は氷見の友人、
Mさん宅のりんごを大量にもらったので、初めてジャムを作ったそうだ。
私は、ジャムの中ではりんごが一番好き。毎朝、パンにつけたりヨーグ
ルトに入れたり・・・。かなり減った頃の写真です。
       (その1)                (その2)
             

 (その3)近所のSiさんが娘さんとプラハとウイーンへ旅行された。
書道や小物作りで時々紹介する友人である。娘さんが「もう最後かな」
と言いながら計画してくれたそうだ。娘さんは高校の社会科の先生で
教材作りも兼ねた旅のようだ。ウイーンの老舗のチョコをもらった。
小さな箱に2段ぎっしりと詰まっている。

 (その4)友人のSaさんの長男さんがお盆に帰省、一緒に松本まで
ドライブをして来たそうだ。松本城に初めて登ったとのこと。松本美術
館のお土産の小さなガラスのふくろう。楊子と比べてください。
         (その3)                (その4)
  

 (その5)合唱団MiTUのアルトの仲間で、わが息子とN中で同級生
のKさんはパルプ会社にお勤め。近年、日本中で放置竹林が増えて
おり、竹林が増えすぎると生態系が崩れ、里山の荒廃につながる。
横浜も、孟宗竹が多くそれを使うことで里山を保全し、環境にやさし
い施設ができるのではと考え、開港150年を記念する「横浜みなと
みらい博」で「竹の海原」と言う施設を作ったそうだ。

 「竹の海原」は、屋根など竹ピンをつかって接合されていて、イベン
ト会場としてだけでなく、竹関連技術(竹入り紙も)の展示にも使わ
れたようだ。イベント終了後は、使用後の竹を「竹入りの紙」として
リサイクルされる。彼女の会社は、その紙を作っているわけだ。
 いただいたのはA5版のノート。裏表紙に、「国産竹100%使用」と
書いてある。竹の有効利用を模索し、10年以上の試行錯誤の末、
開発した、とある。そんな会社もあると知り驚いた。中の紙は薄茶色。
               (その5)