Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

「滋分(自分)エステ」~深谷温泉

2010-05-31 | 日記・つぶやき
 先日、金沢深谷温泉~能舞台のある宿「石屋」を紹介したが、今日は温泉の滋養分のお話。 深谷温泉を紹介したら、「昔から湯治湯だった」とか、「痔によく効くと有名だった」などと、言う声が友だちから聞かれた。

 宿泊した翌朝も琥珀色のとろりとした湯に浸かり、帰る準備をしながら洗面具を見ると、なんと、タオル、歯ブラシの他に、こんなセットが小さなビニール袋に入っているではないか。
             

 何だろう?と開けてみると、こんな紙が入っている。 道理で、朝のお風呂で顔に白いパックをした人を見かけた。 昨夜からわかっていれば、夜パックして寝たのに…、後の祭りだ。 でも、「元湯は大浴場の源泉口にてお汲みくださいませ。」とある。 そう言えば、浴槽の縁に「源泉口」があった。 飲めるかな、と近づいたので覚えている。 ビンがついているから、汲んで帰って、家で「エステ」をすればいい、と、Siさんが私の分も、汲みに行ってくださった。 せっかくだもん、試してみなくちゃ。
                                    
                          
 左の白い小さなハート型の物は2個あり、2回使えるらしい。 粉かと思ったら、源泉を垂らすと大きなフェイスマスクに広がります。 家で、2夜連続でパックをしました。 さて、効果のほどは?

 ちなみに、深谷温泉の泉質は、ナトリウムー炭酸水素塩泉、効能は、痔、慢性皮膚病、冷え性、神経痛に効くそうだ。 もちろん、美肌にも。 
               

小左波御前(おざなみごぜん)山~富山市大沢野町

2010-05-30 | 自然・海山草花
 5/28(金)所属しているハイキングクラブから、大沢野町の小左波御前山(754m)に登った。 呉東(ごとう=富山県東部)の地名はよく知らないので、何と読むのか、どんな山なのか、どの程度急な山道なのか、心配しながら集合場所へ行く。 リーダーのKoさんは電話で、昨年の千石城山よりちょっと急かな、と言われた。 頑張ってみようと参加を決めたのだ。

 前日までの雨も上がり、朝は日も差した。 いつものように薬勝寺池公園駐車場に集合。 いつもより少なく14名の参加。 3台の車に分乗し、八尾経由で大沢野へ。 途中、「塩の千本桜」を見ながら走る。 春は見事だろう。

 猿倉山(345m)の手前の展望レストランでトイレ休憩。 数年前はここから、御前山(559m)へ登ったそうだ。 今回は御前山までは車で行く。 御前山の駐車スペースに車を止め、リュックを背負って登山道へ入る。 ここから200m登る。 今日は杖を持って来たので登りやすい。 灌木の背が低いので、明るく、気持ちの良い登山道が続く。 途中、タニウツギが満開でピンクの花がきれいだ。  
               
 
 道端の草花を見つけ、花の名前を教えてくれる人、ススダケ採りに余念がない人、私のように歩くだけで精一杯の者は少ない。 私も、ススダケを見つけられるようになり細いのを採りはじめた。 いつか城端で食べたように2,3本焼いて食べてみようと思ったのがきっかけだ。 毎年お盆の墓参りで城端の親類から茹でたススダケのビン詰をいただくが、生のまま焼いてみたかった。 2,3本のつもりがけっこう見つけられるようになる。 Hoさんの分ももらったので、たくさんの収穫となった。
 
 途中、「獅子ヶ鼻」に出る。 ここは30~40mもの巨岩が突き出し、獅子が深い谷を見下ろしているように見える。 岩の下は絶壁。 キャアキャア言いながら、手前の岩から富山平野を眺めていると、誰かが「あ、あそこにカモシカが。 こっちを見てるよ」と、向かいの崖上に立つカモシカを指さす。 ほんとにジッと動かず、こちらを見ているようだ。 カメラのズームの限界で小さくしか撮れず、ボヤケルが拡大してみた。

             

 頂上の手前の登りはかなりきつく、息がハアハア苦しく、立ち止まり、立ったまま休む。 でも、ペースが遅かったからか、曇り空で暑くなく歩きやすい天気のおかげか、ススダケのせいか、思ったより軽く登れて一安心。 
 頂上には、小さな祠と2等三角点がある。 昼食を食べてから、記念撮影。 山菜採りの男性にシャッターを切ってもらった。 山によっては入山料を取る山もあり、山菜採りにも厳しく巡回の人に「全部山へ返しなさい」と言われたりするらしい。 その男性も巡視係かと思ったら、山菜採りの専門家だった。 竹藪の中へ入りゴソゴソ音が聞こえると思ったら、戻って来て袋に入れ、また竹藪へ。

             

 頂上の標識によれば、「小左波御前山」の名前の由来は、「立山に比べ幼い子供の如き山の意味から、”幼なみ山”が”小左波”に転じた」とある。 立山の前にあるから「御前山」だそうだ。

 福沢へも下れるが、車があるので元の道を降りる。 こんな急な山道だったがやね~、と言いながら慎重に降りる。 花は、左から、「ハンショウヅル」、「ヤマボウシ」、「センボンヤリ」。   
         

 予定よりずっと早く頂上に着いたので、「みんな健脚やね」とKoさんに褒められながら、時間があるからと、「風の城」に寄った。 猿倉山城跡に建てられた、ヨーロッパの城を連想させる白い建物。 ”神通おろし”と呼ばれる強い風を利用した風力発電(今も稼働している?)で夜はライトアップもしている。 ふるさと創生1億円で造ったとのこと。 屋上からの眺めが素晴らしい。 
 写真は、左から、風の城、砺波の散居村のような水田風景、神通川に並行する国道41号線とJR高山線。 3両編成の電車が走っているのが、真ん中ほどに見えるだろうか。
 
             

 山を登りながらのカメラ操作は難しく、途中で設定が変わったらしく、ピンぼけ写真が多かった。 クリックして拡大しても、はっきり写っていないが、これで精一杯だった。 だが、膝痛もなく、たいして疲れも残らず、昨年から始めた小登山を今のところ楽しんでいる。

アジアンCafe Sama Sama(サマサマ)

2010-05-28 | 食物
 先月オープンしたばかりの"アジアンCafe Sama sama"に、野村公民館・いわせのコーラスの帰りに寄った。 ここは、野村小学校前の通りで、「ライジングサンのむら」の1F、以前も喫茶店のあった場所である。 白鳥城跡の帰り、Yaさんご夫妻にサービス券をもらった。 その日も、Mrs.Yaと二人で行ったら、なんとMr.Yaがコーヒーを飲みながら辞書(何語の辞書だったか?)を開いてお勉強中。 「あら、あんたも来とったが?」と言う感じ。 ご近所だから我が家同然なのかな?

 Sama sama は、インドネシア語で「どういたしまして」。 ここは、やはりインドネシア料理で行こう、と「ミーゴレン」と茉莉茶(ジャスミンティー)を注文する。 バリ風やきそばだ。 ほんとは「ナシゴレン(バリ風やきめし)」を食べたかったが、まだ3時過ぎ、昼食後たいして時間も経っていない。 Yaさんは「チヂミ」とSama sama珈琲を注文された。 

 私が、Noちゃん、姫ちゃんと初めて個人旅行で外国へ行ったのが、インドネシア、バリ島のウブド。 懐かしい思い出がいっぱいだ。 

       ジャスミンティーの花、       花をポットに移しお湯を注ぐ。
                        

 蓋をして、1,2分待つ。3人分のカップに注ぐ。ドライフルーツのおつまみ。
                    
 ドライフルーツは、白くて丸いのがイチジク、緑の種はカボチャ、赤いのはクコ、真ん中の黄色はマンゴー。
 下は、ミーゴレン。 半熟の目玉焼きにそばを絡めて食べる。 カウンターにはヴェトナムのバッグが並んでいた。 テーブル席とカウンター席がある。
               
                

 ミーゴレン、ナシゴレン、マルタバテロール(インドねし風お好み焼き)は800円。 チヂミは600円。 ドリンク類は400円。 ビール600円。 定休日は月曜です。 朝9時から11時まで、モーニングサービスですべての飲み物に自家製パンのトースト、卵、サラダが無料サービスだそうです。

金沢・深谷(ふかだに)温泉 ~能舞台のある宿「石屋」

2010-05-27 | 能楽
 5/24(日)は、謡曲の会「一河会」の第20回記念大会の日だった。 今は高岡能楽会の中心の先生方が、20年前、4,50代の若手の頃に創立された「謡の会」だそうだ。 昨年から、金沢の深谷温泉で、と言う案を聞いており、楽しみにしていた。 私は、素謡「国栖(くず)」のワキと連調連管の「中の舞」だけなので、気楽で温泉行きの気分だった。

 その日は、朝から小雨。 日帰り組はバスで、泊まり組は先生の車で、高岡を8時半に出発。 到着後、すぐに着物と袴に着替えて、10時開始。 山の中の宿とて、どこへ行くにも階段が多く、東京の地下鉄並みだ。 百年の歴史を刻むと言う野外能舞台を、中庭越しに大広間から観る造りになっている。 かがり火を焚いて例年薪能も行われるらしい。 昨年の「サライ」に紹介されたそうで、部屋に1冊置いてあった(トップ写真)。
    「正面玄関」       「能舞台・素謡」     「能舞台・舞囃子」…立ち方は米島さんで「高砂」   
             
 
 山崎先生は最初から、「雨だけなら大丈夫、風は吹き込むので無理」と言っておられた。大広間にも鏡板付きの能舞台があるのだ。 午後になり地謡の席に雨が吹き込んだが(上右写真:床が雨に濡れている)、最後まで野外の舞台で行われた。 
 しとしと降る五月雨の中で、緑がひときわ映え、ときどき聞こえる鶯の鳴声も風情がある。 いつものように昼食時間をとらず、それぞれ芝寿しをいただき、22番終えて宴会に入った。 50名以上か、大広間にぎっしり。 蓮蒸し、治部煮、古代米の酢飯を蒸したものなど、金沢の郷土料理が美味しい。

 女性の宿泊は2人だったので角のいい部屋に入れてもらう。

  部屋から庭へ出られる。     食堂前の花嫁暖簾         山菜たっぷりの朝食 
                 
  
 天保年間に建てられた蔵があり、そこも客室になったいる。                    
  「天平蔵」の入り口   手前は居間とキッチン奥は洗面所、2階に寝室  お風呂への廊下
   
              

 廊下や食堂のショウウインドウにはいろんなお宝が…徳川家から前田家へ嫁した息女の嫁入り道具の蒔絵の御膳、湯涌温泉白雲楼の家具、九谷焼の壺等々である。 なんでも鑑定団に出た品もあるらしい。
 お風呂は、天平年間に行基さんが発見された秘湯だそうで琥珀色のとろりとした薬湯だ。 宿泊客には、お顔のパックができるマスクのサービスがある(次に紹介します)。

 さて、お値段のほどは? Siさんは在所の自治会の慰安旅行の候補に、私はいつか友だちと、の思いでフロントで根掘り葉掘り聞き、料金表ももらって来た。
 宿泊は、最低15,000円から、日帰り昼食は6,400円から、夕食は7,500円から。 

 さすが、金沢の奥座敷。 贅沢な温泉があるものだと感心する。

「雅楽千三百年のクラシック」~王朝の芸能へのお誘い~

2010-05-26 | 音楽
 5/22(土)、高岡市ボランティア連絡協議会の総会が、ふれあい福祉センターで開かれた。 総会後、上のタイトルによる上野慶夫さん(洋遊会会長)の記念講演があった。
 
 高岡市福岡町の洋遊会による雅楽の舞台は、今まで2度観たことがある。 最初は、福岡Uホールにて。 上野さんのお姉さんが私たちの学校の同窓生なので、年1度の同窓会に組み入れてくださった。 2度目は、高岡市民会館で、日中友好の催しの中でである。

 この日は、カメラを持参せずに出かけたので、映像は各HPなどから。 とても面白かったので、私が理解できた範囲で、特に興味深い内容だけ紹介します。
 タイトルは、上野さんの著書のタイトルと同じだそうだ。 とてもわかりやすい話だった。
              

 701年に作られた「大宝律令」に雅楽の名前が出てくるそうだ。 したがって、奈良、平安時代から”1300年伝わるクラシック音楽”と言うわけだ。
 雅楽 … 貴族、公家、寺社の音楽 … 奈良、平安時代以来
 能楽 … 武士の音楽       … 室町時代以来
 三味線音楽・歌舞伎…町人、市民の音楽…江戸時代以来
 
 さらに、「雅楽」を1枚絵とするな)ら、「能」は文学性があり絵本、絵巻物に、「歌舞伎」はもっと具体的でわかりやすいアニメに相当する、との説に、なるほど、と思った。

 雅楽には、外来音楽をもとに創造した、唐楽、高麗(こま)楽、天竺楽…と、日本古来の音楽である、御神楽、五節(ごせち)舞…などがある。 東大寺の「大仏開眼供養」の時は、インドとヴェトナムの僧が教えたそうだ。
 「源氏物語」には雅楽が50曲も出てくるそうで、雅楽の伝承に大いに貢献しているとか。

 楽器の話も面白かった。 《弦楽器》…筝、琵琶。  《打楽器》…三の鼓、鞨鼓(かっこ)、鉦鼓、太鼓。
 《管楽器》…横笛(おうてき):龍笛(上)、高麗笛(中)、神楽笛(下)と篳篥(ひちりき)(右端)。   
   
       
                      笙(しょう) 
                       

 次は、篳篥の唱歌(しょが)です。 曲は「越殿楽(えてんらく)」…私たちの知っている漢字と違うようです。 まずこれを口で何度も言って覚える。 強弱のしるしもついているので、指使い、息の吹き込み方で音色を変えるのでしょう。 実際に吹いて聴かせてくださった。 
   チラロル  タアラア  チラハ  テリタアラア 

 能管の覚え方とよく似ているのではないでしょうか。 三味線も”チリトテチン”と覚えるようだし、私の太鼓も、”ツハア ツヤア ツハアントッタン”と覚えます。 昔の楽器はこうして覚え、伝わったのでしょう。

 ちなみに、福岡の雅楽の会は、1861年に創立され、明治天皇行幸時に演奏し、菊のご紋章を公許された。 大正年間に「洋遊会」と改称し、宮内省との交流が始まったそうです。                      

伊豆の旅~2008Cルソンの会(2)

2010-05-24 | 旅行
 5/12(水)の下田のホテルでの夜、全員一室に集まり、メンバーのMaさんのミニ講演と話し合い。 Maさんは昨年フィリピンの遺骨収集団に参加された。 また、今年1月C班の11人が当時のガイドの秀子さんの案内で、フィリピンのコレヒドール島、ビナツボ山、モンパルナスを訪問された。 その時のようすを写真や現地の新聞、地図を見せながら語ってくださった。 その後、感想や近況を話す雰囲気は、現職の頃の研修会みたい、でも終始和やかで、楽しいひとときだった。  
 話し合いでは、遺児もだんだん高齢化していく中での遺族会のあり方(権利の主張や選挙への係わりだけになっているのではとの疑問)、この交流会も単なる懇親だけでなくテーマを持てば?などの意見が出て、みんなの真剣な思いが伝わり感激した。 私など、千鳥ヶ淵では桜のトンネルだけ眺めて、戦没者墓苑にお参りにも行かない。

 さて、翌朝、下田のホテルを出発。 昨日は、貸切マイクロバスだったが、今日は路線バスを利用するので、下田駅まで歩く。 駅で、お茶のペットボトルの買い出し。 前日は飲み物は自己負担でチョッとのどが渇いたので、一本ずつ支給することにした。  さすが静岡のお茶、”お~いお茶”「季節限定 今だけ 摘みたてお茶」 とある。 バスは、伊豆西海岸を走り、我々は「堂ヶ島」で下車した。 堂ヶ島船巡りの予定が、欠航で断念。 波が高く、目玉の「天窓洞(てんそうどう)」の中の運行が無理だから、とのこと。仕方なく徒歩で島を巡ることに即座に変更。 みんなやはり若い。 
 この辺りは、白凝灰岩が多く海水の浸蝕で地下にトンネルが多い。 天井が抜けたトンネルの中を舟がぬけるらしい。 また、ちょうど干潮時で、トンボロ(陸繋砂州=りくけいさす)ができて3つの島を歩いて渡れる。 写真、左から:
「季節限定お茶」  展望台からの海の眺め   トンボロ   「天窓洞」

           

 島巡りをしないで、荷物の番をしてくれた人と合流し、ソフトクリームかところてんのどちらかが振る舞われた。 久しぶりにところてんを食べた。 美味しい。 ここの名物だそうだ。 歯触りがシッコリして、昨夜のバイキングのとは全然違う。

 次のバスで、土肥(とい)まで乗車。 ここから、カーフェリーで清水港へ。 駿河湾から見える富士山を期待したが、頭のてっぺんが雲の合間から見えただけで残念だった。 富士をバックに記念撮影。 そして来年の開催予定地、熊本のMaさんへ静岡のTaさんから旗の伝達式。 みんなイベントが好きだ。 
 そう言えば、バスの中で、全員にサクランボの絵葉書が回ってきた。 愛媛のSさんの作品だ。 裏には、 ”2008 ルソンの会 熊本で会いましょう。 Ma

                    

 JR清水駅にて、西へ行く人、東へ行く人、それぞれ別れを惜しみました。

イギリスのアフターヌーン・ティー

2010-05-22 | 食物
 高岡大和7階にある「高岡国際交流センター」では、常時の語学講座やトーキングサロンの他にいろいろなイベントを催している。 リタイア後の興味から、ポルトガル語講座や日本語教育講座などに参加したがすべて途中で断念、席があるだけで、年会費も払ったり払わなかったり…。
 ブログ友達の風子さんが、イギリスの文化講座に出席しておられ、面白そうと思いつつ、すべて英語の講義はとうてい無理と諦めていた。 ところが、今度は「料理教室」だと言う。 誘われて、じゃあ、と、ようこ姫さんと一緒に申し込んだ。 高岡御車祭の帰りのことだ。

 題して、「第3回 異文化理解講座 世界をつまみぐい」《イギリスのアフターヌーン・ティー》、場所はお馴染み平米公民館の調理室、講師は国際交流員のジョナサン・ぺリーさん。 「市民と市政」の録音の際、私が担当して読んだページだ。 申し込みの際、係の女性が「スコーンとショートブレッドとサンドイッチを作ります」。 サンドイッチはわかるけど、スコーンもショートブレッドも聞いたことはあるがイメージがわかない。
 さて、5/17(月)午後。 生徒は20数名の女性と若い男性が1人、講師のジョンはもちろん男性、スタッフの女性が2,3人。 調理室は満員だった。(トップ写真) ジョンはテキパキとみんなを2つのグループに分け(風子さんは別のグループ、ようこ姫さんと私は同じグループ)、すでに準備してある食材とレシピを配り、「さあ、始めてください」と指示。 ともかくレシピを見てやりながら質問して、と言うわけだ。 アグリピアの農産加工教室とはかなり違う。 
 
 グループ内で、スコーンを作る人とショートブレッドを作る人に分かれ、終わった人からサンドイッチにとりかかる、と言うようになんとなく手順が決まった。
 私たち、ショートブレッドの組は:

 ① バター250グラムと砂糖110グラムをボウルに入れて、へらでかき混ぜる。 固いバターをくずすのが大変。 順番に次々と体験したが、若い男性の力でかなり進んだ。 すり鉢で胡麻を摺るように縁を押さえないとボウルが動く。 だんだん柔らかくなり、黄色が白色に変わるまで。 なかなか白くならず、根気のいる仕事だ。 
 途中、ジョンがお手本を見せてくれた。 最後はボウルを左手で抱え、右手で混ぜる。  

                    

 ② 更に、小麦粉360グラムを加え、混ぜて生地を作る。 それをまな板の上に載せ、麺棒で1センチの厚さまで伸ばす。 これは、そば打ちとよく似ている。 あまり細かい指示はないので、見よう見まねでワイワイ進めていた。 

 ③ 細長い四角に切り、フォークで模様をつけ、天板に載せる。 砂糖をまぶして、190度に温めてあったオーブンで15~20分焼く。
 下は、左が スコーン、右が ショートブレッド。  
                    

 白パンと黒パンでキュウリとスモークサーモンのサンドイッチを作り、出来上がり。 紅茶を添えてアフターヌーンティーの時間だ。
 スコーンは温かいうちに二つに割り、ジャムと生クリームを塗って食べる。 この日のジャムはブルベリーとラズベリーだった。 アフターヌーンティーには欠かせない菓子だそうだ。

 ジョンは、来日2,3年目とか。 とても日本語が上手。 日本語の人には日本語で、英語の人には英語で答えて感心する。 なぜ、イギリスではアフタヌーンティーを楽しむのか、紅茶の入れ方などで話が弾んだ。
          

 ようこ姫さんの疑問に応えて、私も帰宅後電子辞書で調べてみたら;

 * スコーン(scones):《英》柔らかく平らで丸いパンケーキ 《米》パサパサで甘みがなく楕円形の薄焼きパン。

 * ショートブレッド(shortbread):バターをたっぷり使い、サクサクしたビスケット。
 ショートブレッドは、形は、乾パン(保存、携帯用の小さく固いパン)を大きくしたものと似ているが、柔らかく甘みもあるのでやはりビスケットだ。

 皆さん、けっこう食欲が進み、お持ち帰りは少量だった(そば打ちの時のように大きいタッパーを持って行ったのに)。 

「巨木と北陸の風土」~泉治夫氏講演

2010-05-21 | 自然・海山草花
  5/20(木)、ニューオータニ4Fの大広間で、泉治夫さんの「巨木と北陸の風土」と題する講演があった。 
 この日は、例年、瑞龍寺の法堂で「利長忌」の法要と「燭光能」が行われるので日が空いている限り必ず観能している。 今年は、「右近」の半能と聞き、ちょうど太鼓の中の舞で「右近」のお稽古をしたところ、楽しみにしていた。 ところが、旧職場の退職会員にお便りを配布する係をしているが、その会の総会と重なった。 今年は支部長のNaさんが長年の役職を退かれる。 同じ校下なので何かとお世話になり、やはり出席してご挨拶したい、泉さんの講演も聴きたいし、と参加を申し込んだ。

 泉さんは、元高校の先生で、今は富山県ナチュラリスト協会の顧問を務めておられる。 まめさんの同級生だそうで、以前「高岡古城公園の植物観察会」に誘われて参加したことがある。 今日の「巨木」の話はさらに興味深い。 パワーポイントを使って、にこやかな口調で、北陸の巨木の数々を紹介された。 下は、タイトル画面の映像で、ボヤケているが、氷見長坂の大いぬぐす(タブの木)。 万葉植物だそうだ。    
        
            
                    
 パンフ「巨木が語りかけるもの」よりの抜粋:

”「大きい」ことに人は素朴な畏敬の念を抱く。 樹木の場合、「大きい」ことは直接「古さ」の実感となる。 その「古さ」は、過去を遡って眺める無機質の古さではない。 このように大きく生長してきたものが、今もなお命をつないでいるという驚きである。 地表に盛り上がった逞しい根。 荒々しい樹皮と伸び上がる太い枝。 それとは対照的な若葉の茂り。 どうしてあんなに高くまで水を吸い上げ、葉の一枚一枚にまで声明を与え続けることができるのだろう。”

 昨年、魚津市の「片貝の洞杉」を眺めた時、まさにこんな感動を覚えたものだ。 泉さんは、5年前に共著で「とやま巨木探訪」を桂書房から出版し、写真展を数会場で開催したそうだ。 それを機に、「巨木探訪の旅の会」が生まれ、先日18回目は、七尾市飯川大ケヤキを見に行ったそうだ。

 話の中からいくつか紹介します。 きっと行ってみたくなりますよ。

 ① 小学校の庭にある巨木: 砺波市五鹿屋(ごかや)小の杉(小さい小学校なので全校児童が木の下に入れる)。 黒部市三日市小跡の百年杉。 氷見市薮田小跡のすずかけの木。(すずかけはプラタナスのことで、プラトン=大きい奴が由来だそうだ。) こんな逸話が挿入され面白い。

 ② 神宿る木: 魚津市「黒沢の大杉」。 南砺市福野の安吾寺(あんごじ)の「願かけ杉」(藁で覆った隙間から五寸釘が見える…おお、怖~)

 ③ 寺社に多い銀杏の巨木: 氷見市上日寺(じょうにちじ)の大イチョウ。 高岡市伏木勝興寺の「実ならずのイチョウ」。 実をつけると子どもが木に上り大けがをしたり、喧嘩したりした。 住職が「実をつけるな」と木を叱ったら、翌年から実をつけなくなった(勝興寺の7不思議の一つ)。 でも、この木は雄の木で実がならないのは当たり前、と笑わせておられた。

 ④ 歴史と伝説: 有頼(ありより)柳(黒部市)、駒つなぎの桜(氷見市)、宮島峡の俊寛桜(小矢部市)、弓の清水(しょうず)の大杉(高岡市)、巴塚の松(南砺市福光)、謙信手植えの松(黒部市生地)。

 ⑤ 雪国の自然と巨木: 立山美女平の仙洞杉、馬場島の大王杉、上市中村の大杉。 下は、
 杉沢の沢スギ(入善町)…HPより と 片貝の洞杉(魚津市)…昨年の私の写真  
 
               

 ⑥ 対馬暖流と巨木: 氷見朝日神社の照葉樹林、氷見虻ヶ島(あぶが島)のタブの木(つまま)、高岡桜馬場のクスノキ。

 ⑦ 桜の謎: 南砺市城端の向野のエドヒガン、宇奈月のエドヒガン、岐阜県の荘川桜、高岡古城公園のコシノヒガンサクラ。

 ⑧ 能登の銘木: アテの木(あすなろ)…輪島塗の生地、火打谷の菊桜(石川県志賀町)
円光寺のノトキリシマ(珠洲市大谷)…HPより。

            


 最後に、⑨ 失われた巨木 として、高岡北般若の毘沙門杉、高岡御旅屋の七本杉、南砺市城端善徳寺のとがの木(もみの木)が紹介された。

 最後まで飽きさせない巨木紹介で、近くにある木などチョッと見に行きたいと思った。
泉さんも執筆されている「二上山を歩く」(二上山総合調査研究会発行・500円)を求めた。 子どもたちの小さい頃よく家族で出かけた山だ。 娘や息子にいつか見せてやりたい。

 その後の総会も含め予定時間が遅れたのと、私の思い違いで「燭光能」は1時開始だったので、瑞龍寺に駆けつけた頃は「右近」はすでに半分ほど終わっていた。 「中の舞」の途中で、席も後ろだから、囃子方も地謡もワキの姿も見えず、シテの舞姿がチラチラと見えるだけ。 せめてもと、お囃子の音色に聴き入った。 


            

伊豆の旅~2008Cルソンの会(1)

2010-05-20 | 旅行
一昨年出かけた「フィリピン慰霊巡拝の旅」の交流会が、今年も早くから計画され、私も名前だけの幹事と言うことで、5/11(火)~13(木)の伊豆旅行に参加した。 静岡、山梨、長野のメンバーがお世話してくださり、北陸は私一人なので当日の仕事だけでもと幹事に加えてもらった(結局は何もできなかったが)のだ。

 11日朝、「しらさぎ」で米原回りで初日の宿泊地、熱海へ。 みんなは静岡駅で集合し、護国神社に参拝後熱海のホテルへ。
 一人で熱海駅に降りると、目の前に足湯がある。 今まで何度も来たが気付かなかった。 「家康の湯」と書いてある。 家康が熱海に7日間逗留したのを記念して作ったそうだ。 元湯100%。 間欠泉(トップ写真)も自噴泉同様のリアリティーを出したそうだ。 老いも若きも、みんなニコニコと話しながら浸かっている。 さっそく私も仲間に入った。  
           

 この交流会は我々C班の会だが、他の班も2人加わり、総勢17名。 北陸の温泉の「湯快リゾート」とよく似た「伊東園ホテルグループ」の、一泊6,800円、カラオケ無料、飲み放題、「新緑の温泉旅」と言う幹事長のTaさんのお勧めプランで、「ウオミサキホテル」で宿泊した。 
 懇親会(宴会)の後、カラオケルームで翌日の予習を兼ね、「城ケ崎ブルース」や「天城越え」を歌い、日ごろの練習を披露してもらった。

 さて、2日目のコースは:
 ☆ 「城が崎(じょうがさき)海岸」 …天城山、大室山の噴火によってできた溶岩流の台地が荒波に削られてできたリアス式の海岸。 写真は、スリル満点の「海の吊り橋」(租谷〈いや〉の蔓橋ほどではない)を渡る。 向こうに「門脇灯台」が見える。

                      

 ☆ 別荘「宮島亭」 …C班会長のMiさんの別荘。 Miさんのお母さんが私たちを迎えてくださった。 昭和19年21歳の時に彼が生まれたそうだから、今87歳くらいだろうか、きれいな元気なお母さんで大勢で訪ねた私たちを見てとても喜んでくださった。 定年まで市役所に勤められ、NHKが「戦後50年の体験談」を募集した時に応募されたしっかりした方である。
 広い敷地の周りには、フィリピン戦のブロックアートが並べられ人目を引く。 これはMiさんの作。 最近は息子さんが嫌がるので、鳥や動物のものだけにしているとか。

 ☆ 湯ヶ島「あまご茶屋」であまご蕎麦を食べる。 あまご(天魚)はサケ科の魚ビワマスの幼魚だそうだ。 

                      

 ☆ 浄蓮の滝 …滝つぼまでの上り下りがかなりきつかった。 ここでお土産の「ワサビ漬け」を買った。
  「伊豆の踊子」の像 …踊り子の像は天城峠のあちこちに5個はあるらしい。


                                             


 ☆ 愛逢(あいあい)岬 …奥石廊崎(おくいろうさき)展望台から眺めた海。 伊豆半島南端の石廊崎灯台へ上る予定だったが時間不足で諦める。
 ☆ ポピー  …強風の中で健気に咲いている。

              


 2泊目は、下田港の傍の「下田伊東園ホテルハナミサキ」。 ペリーロードや、吉田松陰の像があるらしいが、今回は行けない。 「黒船祭り」が近いので、街中は日米の旗がひらめき賑わいを見せていた。 下は、遊覧船の黒船「サスケハナ号」。    
          

 小さい写真はサムネイルなので拡大してください。 ただし、gooブログではあまり大きくならないようです。 

「ボストン美術館展」と「レベッカ」

2010-05-17 | 映画・テレビ・演劇・芸能
 5/11(火)から2泊3日の旅、今年も「2008Cルソンの会」の交流会に参加した。 今年は、静岡が開催県で熱海、伊豆を回ったが(これについては後ほど紹介します)、帰りに東京で一泊し、帝劇ミュージカル「レベッカ」の観劇と、森美術館で「ボストン美術館展」を見る計画を立てた。
 その後、息子の出張がわかり延泊を後悔したが、両方のチケットは購入済み、友達とも打ち合わせ済みなので計画通り行動することにした。
 13日(木)、清水駅で解散、三島へ出て「こだま」に乗る。 一旦、宿に寄り大きな荷物を置き、休憩してから帝劇へ。 

 「レベッカ」の原作は、イギリスの女流作家、ダフネ・デュ・モーリアによるラブサスペンス、私はかなり以前にミステリーを読むように読んだものだ。 それを、「エリザベート」や「モーツアルト」のミヒャエル・クンツェ(脚本・作詞)、シルヴェスター・リーヴァイ(作曲)のコンビがミュージカルにした。
 
 アメリカ人のヴァン・ホッパー夫人(寿ひずる)の付き人としてモンテカルロのホテルにやってきた「わたし」(大塚ちひろ)は、そこでイギリスの大金持ちであるマキシム(山口祐一郎)と出会う。 マキシムは1年前にヨット事故で前妻レベッカを亡くしていた。「わたし」はマキシムの後妻として、イギリス、コーンウオールにある彼の大邸宅、マンダレイへ行く決意をする。 多くの使用人がいる邸宅の女主人として、控えめながらやっていこうとする「わたし」だが、かつてのレベッカづきの家政婦頭、ダンヴァース夫人(シルビア・グラブと涼風真世のWキャスト…この日は真世さん)になかなか受け入れてもらえない。「わたし」は次第に、レベッカの見えない影に精神的に追いつめられていく……、と言うちょっと怖いストーリー。

 ソロがとても多く美しい。 いろいろな組み合わせのデュエットは聞かせどころ。 コーラスと群舞がストーリーを進める、と言うやり方。 音楽好きの人にはたまらないだろう。 
 暗い海のようす、大きな波の音、最後に邸宅が燃え上がる炎、舞台もダイナミックだ。 いつものことだが、部活動らしい中学生のグループが観に来ていた。
 終演後、カーテンコールが何度もあり、最後はスタンディング・オベーションだった。 早く予約をして良い席だったのでオペラグラスは不要。 代わりに1500円でパンフを買った。 (トップ写真はチラシより)

 さて、翌日は、4月に巣鴨へ一緒に行った友人2人と六本木で待ち合わせた。 場所は、森アーツセンターギャラリー(六本木ヒルズ森タワー52階)だが、森ビル(オフイスビル)の左横から入ることを知らなかった。 事前に直接行って調べてくださったAちゃんのおかげで、無事に3人ともことなく会えた。 
 彼女が、受付の人に「皆さん、どこで待ち合わせをされますか?」と聞いたら、「あの”くも”の前で」との答え。 よく見たら、白い「雲」ではなく、大きな黒い「蜘蛛」だった。 「じゃ、今度来るなら蜘蛛の前にしよう」と。
 写真は、左が森美術館専用の入り口。 ここから3階へ上がり、森ビルへ連絡路で渡り、52階までエレベーターで上る。 右は、森ビル横の、大きな蜘蛛のオブジェ。

                              

 私が「息子が高岡へ来ているので早い電車に乗りたい」と予め言っていたので、美術展の後、展望台へ行くのも止め、Nちゃんの意見で美術館内のレストランへ入る。 展望台並みに都内のようす、遠く筑波山まで見晴らせた。 
                    

 2000円のランチと700円のコーヒーで、お喋りにゆっくり時間を過ごし、東京駅まで送ってもらう。 おかげで予定より早い「とき」に乗れた。 Nちゃん、Aちゃん、ありがとう。 

演劇鑑賞会総会~中西和久さんのお話~

2010-05-16 | 映画・テレビ・演劇・芸能
 連休を遊びまくり、その後11日から3泊4日の旅行に出た。 出発の2日前、息子から電話があり金沢で展示会あるので出張で来ると言う。 それは前から聞いていたが、「残念ながら私は留守」と伝えてあった。 ところが、その後高岡の工事へ回るので、車を貸してほしいそうだ。 じゃあ、1日目は不在だけど、2日目は帰る日だから泊まれば?と言うわけで、留守番代わりに清水町で泊まってもらうことにした。
 そして、15日朝、富山空港まで息子を送る。 この日は、午後、博労公民館で「高岡演劇鑑賞会・総会」が開かれるので出席、記念講演も聴いた後お茶に行く予定だ。

 42回目の総会。 昨年、1年遅れで「創立40周年記念式とパーティ」があった。 長い年月続いている会だが、最近は会員が減り、今年は2,3回は、市民会館の一日公演となる。 演劇の好きな人、ぜひ入会して演劇を鑑賞しませんか。 昨年のラインナップは、「初雷」「三屋清左衛門残日録」「ハーヴィからの贈り物」「兄おとうと」「静かな落日」「冬のライオン」の6本。
 今年は、「新・裸の大将放浪記」「令嬢ジュリー」「五重塔」「族譜」「中西和久のエノケン」「出番を待ちながら」の6本である。

 さて、この日の講演は、「エノケン」の主役、中西和久さん。 演題は「エノケン考」。 名前は聞いたことがあるような、ないような。 俳優であり、劇団「京楽座」の主宰者だそうだ。
 
 小柄で、にこやかな表情、組み立て式の三味線を持って登場された。 ケースから出して三味線を組み立てられた。
         

 「エノケン」は、ジェームス・三木の作・演出。 ジェームスさんから、三味線とトランペットとトロンボーンを舞台上で演奏するように要求され、練習したとのこと。 本物のエノケンさんは、そんな楽器も鳴らせ、歌も踊りもこなした人だったのだろう。 組み立てが終わると、いよいよ話の始まり、始まり。

 最初、小沢昭一の劇団「芸能座」の演出部に入団した。 初舞台は井上ひさしの「浅草キヨシ伝」、川端康成役で、それ以後役者となる。
 「しみじみ日本乃木大将」で少年役、そして、「国語事件殺人辞典」、「イーハトーボの劇列車」、「吾輩は漱石である」など井上作品に次々と出演しておられる。 
 11月公演の「エノケン」で、中西さんは喜劇王・榎本健一に扮し、当時のジャズソング、「ダイアナ」「私の青空」などのヒット曲を歌い、生演奏、タップダンスを披露するらしい。 音楽劇のエンタテインメント。 楽しそうだ。

 一方、来年「しのだづま考」で再度来高されるが、これは、ふじたあさや作の「説経節3部作」の一つで、信太の森の葛の葉狐と安倍の保名の物語。 他に、「山椒大夫」「をぐり考(小栗判官の話)」があり、よく知られている「山椒大夫」の厨子王が佐渡島へ母を訪ねて行く場面を、三味線を弾きながら語ってくださった。
                    

 ♪ 安寿こいしや ホウヤレホー 厨子王こいしや ホウヤレホー
   どこにどうしていることか 会いたいわいな 会いたいわ ♪  の場面である。

 説経節とは、中世末から近世に行われた語り物の一つ。 仏教の説経から始まり、ささらを使い、大道芸や門付芸として発達した。 やがて胡弓や三味線を採り入れ、操り人形芝居と提携して興行化したが、義太夫節に圧倒されて衰退したそうだ。

城端(じょうはな)曳山祭

2010-05-15 | イベント
  遅ればせながら「城端曳山祭」を紹介します。 昨年同様、ようこ姫さんと出かけ、ほぼ同じスポットを回ったので、内容もほぼ同じで恐縮ですが。
 彼女の同級生で日本舞踊の先生、Geさんも同行と聞き、今年も出かけることにした。たまたま「城端ラプソディー」(新聞記事)を読んだ後で、心中ひそかに”また行きたいな”との思いがくすぶっていたのだろう。そんな私の思いは、城端に生まれ育った者にとって当然だが、ようこ姫さんが同級生を誘ってまで、また城端へ行きたい、と言ってくださると嬉しくなる。 彼女も、祭に魅せられた一人? と言うわけで、今年もいろいろ新しい発見があった。

 5/5(祝)は、「合唱団MiTU」の会計監査の日だった。 駅南ココスに、代表のSaさん、事務局長Iさん、監査のTaさんと会計の私が集まり、領収書などのチェックと会費の相談をし、雑談も含め約2時間、ドリンクバーだけで済ませた後、佐野で2人と落ち合った。

 町へ着いたのが、2時過ぎ。 西新田の駐車場はすでに満員。 町営グランド駐車場へ入る。 狭い町だからそこから歩いても5,6分だ。 「じょうはな座」でトイレをすませ、今年度のパンフをもらい、行動開始。
 ちょうど、宗林寺から「坡場(はば)の坂」を降りて大工町の狭い道を、今年の2番山、出丸町の唐子山「布袋」さんが出てくるところだ。 写真は左から:
  * 屋根をたたみ、両側の人が民家の壁を支えながら、進んでくる。 
  * 上手く通り抜けた!! 
  * 奥へ入ると、4番山、東上町の鶴舞山「寿老人」が待機中だ。 山車の横についている鷲の飾り物を町の世話役の人が大事そうに持っておられる。 
  * 通り抜けて飾りをつけた山車。

                

 次に、曳山会館の前。 観客用の椅子が並べられ(無料)、最前列に市長や招待客。 ボランティアガイド「機の声」のメンバーが、和服姿でプロアナウンサー並みの解説で山車や御神像を紹介、からくり人形の披露、庵唄の演奏がある。
 270年の伝統を誇る優雅な祭は、絢爛豪華な彫りと塗りを施した6基の山車(上には御神像)、それぞれの山車に庵屋台が付き、街中を練り歩く。 庵屋台は、京都祇園の一力茶屋などを模した精巧なもので、中に町内の若連中が入り、笛、三味線にのせて江戸端唄の流れをくむ城端独特の「庵唄」を唄う。 毎年1月頃から町内ごとに練習を積む。 左から:
  * 寿老人の脇人形「綾織り人形」が扇子と毬を持ち、手と顔を動かしながら舞う。
  * 同じく東上町の庵唄、「我がもの」。 ♪我がものと思えば、軽(かろ)き傘の雪… ♪ と渋く唄う。
  * 大工町の庵屋台。 在原業平の別荘を模したもの。 前後の庵を風流な橋で結び、周りに鴛鴦(おしどり)と杜若(かきつばた)を配し、池畔に面した公家屋形の趣をかもし出している。
                    

 ここで、和服や小物のお店を見ながら街中散策をし、早めの夕食。 いよいよ出丸坂のUターンを見に行く。去年は、出丸町の同級生の家の庵唄所望に同席させてもらい、正座して庵唄を聴いた。 街中でも何人も紋付袴姿の同級生に会ったが、今年は不思議に一人も会わなかった。
 城端は坂の町だ。 急な坂がいくつもある。 出丸坂は緩いスロープだが、ここでUターンするのが曳き手の腕のみせどころ。
 左から、手前の車に重力をかけるため、曳き手が飛び上がっている。 向こうの車は持ち上げるのだ。 ぎゅーっとターン。 180度回転して坂を上っていく大工町の千枚分銅山の後ろ姿。
                     

 次は、西上町の竹田山「恵比須」さんの曳き手衆。 ターンする時の力強い姿、上手く回転しホッとした表情など見てください。
                   

 Uターンした山車から順に提灯をつけ、夕食。 町の北端の新町まで練り、城端庁舎横でもう一度Uターンをして「帰り山」となる。 夜10時、提灯山行列の引き返しは圧巻とのことだが、最近これは見たことがない。
               

 私たちはここまで見て、帰途についた。
写真はサムネイルになっているので、クリックして拡大して見てください。        
   

「市展」最終日

2010-05-09 | イベント
 5/4(火)、GW中の唯一の休息日だった。 ずっと行きそびれていた「高岡市民美術展」の最終日だった。 ようこ姫さんをはじめ、友達、知人がたくさん入選しておられるので、ぜひ見ておきたいと思っていた。

 最終日だからか、人はまばら。 日本画からゆっくり見て回る。 専門家の他に、リタイア後に趣味ではじめられた方たちの力作も多く、みなさん頑張っておられるな~と感心して鑑賞する。
 何人か若い40代の知人の名前を、写真、彫刻、書などの作品の中に見つけた。 中には審査員や招待の人も。 若いのに好きな道をまい進しているのだな、とまたまた感じ入る。

 今年は、青井記念館での展示がなく、審査員も招待も入選も一堂に見られるのがいいと思った。 書道の部屋では、表現だけでなく、何を書くかも作者にとっては思案のしどころだろうが、李白の詩や、漢字一文字の他に、童謡やアンジェラ・アキの詩がある。
 最後の部屋で、知人のOさんの「八面玲瓏」を見つけた。 疲れたから一休み、と前の椅子に座り、「良い言葉だな。 どんな意味だったかな?」と眺めているうちに、一枚撮らせてもらおうとバッグからカメラを出し、パチリ。 すかさず隣室の監視員から「撮影禁止なので、撮りたい方は名前を」とバインダーを差し出された。 え~?誰もいないと思ったのに。 いたずらを見つけられた子供みたいに恐縮する。 隠しカメラが設置してあるのかも。 バインダーの用紙には、どの作品を誰が撮ったか、名前と関係を書く欄があった。 「本人」や「親類」などと書いてある。 なかなか面倒なのだな。                            
             

 手元の電子辞書「広辞苑」によると、次のように書いてあった。

   八面玲瓏:① どの方面から見ても、美しく透き通っていること。
          ② 心中に少しのくもりもなく、わだかまりのないさま。

となみチューリップフェア

2010-05-08 | 自然・海山草花
 今年のGWは、次々とお誘いを受けて連日外出し、疲労がたまらないかと心配なほどだった。 29日味真野へ行き、1日は高岡祭り、2日は白鳥城址、3日がとなみチューリップフェア、5日に城端祭りにまで行って来た。

 高岡祭りの後お茶に行き、そこで急にチューリップフェアに行くことに決まった。 ようこ姫さんが娘さんから入場券をプレゼントされ、一緒にと誘われたのだ。 歩こう会の翌日で、3日間外出が続くことになった。
 フェア中にチューリップ公園を訪れたのは何年ぶりだろうか。 夏日を思わせる晴天で、老若男女のたくさんの人出だった。 孫、子ども連れの家族、友だち同士、夫婦連れなどそれぞれが花の中で楽しい一日を過ごしている。 まず、ゲートから入る。 目の前に「チューリップタワー」(トップ写真)。

                       

 まだ開花していない部分があり、「大花壇」のデザインは未完成だ。 今週末(8日、9日)あたり満開で、美しい模様が浮き出るかも。 しかもフェアの後だから無料とのこと。
                    

 上の大花壇は地植えだが、下の左はプランター植え。 びっしり咲き誇っている。 右は「水上花壇」。 ひょうたん池に、赤と黄色のチューリップのかたまりが浮かんでいる。 これは砺波で開発した水栽培だそうだ。 土を使わないそうだ。 姫ちゃんの説明はとても詳しい。 
                  

 いつもは公開していない旧中嶋家へ入ったり、五連の水車を見たり、四季彩舘に入ったり、子ども歌舞伎のからくり人形を見たり、美術館で濱田庄司の陶芸展を見たり、くまなく精力的に回った。 もちろん、飲食コーナーでコロッケと白えびラーメンを食べて一休み。 私は缶ビールも。
 まだまだ無料で入れる所があると、彼女は残念そう。 だが、2人とも疲れはててくたくたで諦める。

 私なら素通りする個所も彼女は立ち止まる。 たとえば、新品種、白の八重咲きチューリップ(今の名は’砺波育成116号’)のネーミング募集だ。 彼女は「王妃」と、私は「ホワイトプリンセス」。 さあ、どっちが採用されるか? 
 次に、球根の注文。 カタログを見て申し込む。 9月頃とりに来ることにした。 下のような八重の品種のシリーズに決めた。 今年は庭仕事に少しは精を出そう。 息子にも送り、砺波のチューリップを千葉で咲かせてもらおう。 などなどで、楽しみが2倍、3倍になった。
                     

 今回は、gooブログではベータバージョンが紹介されたので、使ってみた。 写真もサムネイルなのでクリックして見てください。 

「西富山駅」と「仮富山駅」

2010-05-06 | 健康
 「歩こう会」の朝、久しぶりにおにぎりやお茶の準備をしていると、Yaさんから電話があった。 「私ら、大門から乗るからネ」「私って?」 旦那さんも参加されるのかな? それとも誰か友だち? 疑問は呉羽駅で判明した。 やはりご主人だった。 県内の中国人やブラジル人に日本語を教えたり、相談相手になったりしておられる。 座学が多いから、時には歩かないと…と言うことらしい。

 先日の姫ちゃんのブログに、「歴女」のことが書いてあったが、男性も歴史がお好きのようで、今回男性の参加が多かったのは、「白鳥城址」に魅かれてのことではないかと、勝手に推測してする。
 木曽義仲の乳兄弟で四天王の一人、今井四郎兼平(「平家物語」の木曽最期の巻で有名)が築城した、とか、その400年後佐々成政を攻めた秀吉が陣をかまえた、とか、話題に事欠かない城跡なので、歩きながらそんな話をしているのは男性群だ。

 さて、我々5キロ組は「西富山駅」に着いた。 今まで乗り降りしたこともなく、これからもないだろう、と思われる無人駅。 しばらく待っていた待合室の天井の隅に、ツバメの巣があり、2羽顔を覗かせている。 お!カメラと思った瞬間、スイ、スイと2羽とも駅舎から外の青空へ飛び立った。 (トップは富山~越中八尾間を走る高山線の電車)
 1輌編成のこの電車に乗った。 1輌の車内にトイレがついていて驚いた。
 
             

 よく富山へ来られるMr.Yaが、「富山駅で乗り換えだから、お茶でも飲みましょう。今仮駅舎ですよ。」と仰るので降りることにする。 新幹線駅工事が始まっており、4/19日から今までの駅は閉鎖され、改札口や切符売り場があった場所が、下のように、何もなくてがらんどう。 売店など、香具師のように呼び込みをしている。

             

 仮駅舎は、今までの駅の向かって左にこんなふうに建っている。 なんとなく狭く借り物みたい。 4年間これが続くのか? 県庁所在地の駅なのに。 金沢駅みたいな新駅が建築されるのだろう。

             

 高岡も新幹線工事が始まっているらしい。 いずれ偵察に行きたいものだ。
  Marieの中の喫茶店で、久しぶりにMr.Yaの楽しい話を聞いた。 野村に”samasama”(「どういたしまして」の意味)と言うインドネシア料理の店がオープンしたとのこと。 ナシゴレン、ミーゴレンが食べられるらしい。 これはぜひ行かないと。