Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

家祈祷(やぎとう) ’16

2016-01-23 | 日記・つぶやき
 
はしたのかさ~小3の算数
  孫のいない私が小3の算数に興味を持つなんて不思議?と思われる方もおられることでしょうが、皆さんは、「はしたのかさ」ってわかりますか? 1/17(土)午前は、野村児...
 

 ↑は、昨年の今ごろの私のブログです。ブログへのアクセスで、お店やお食事処の他に、最近多いのが「はしたのかさ」です(小学生のお母さんかしら?この季節に小数や分数を習うのでしょう。)。冬の初めには「男結び」、正月が近付くと「家祈祷」にもアクセスが多くなります。私自身は日記代わりに書いているので、昨年はどんなお供えをしたかな?床の軸は天神様か、鬼柚子の色紙か、または別のものか?などと参考にしています。

 家祈祷は、日蓮宗や法華宗などのしきたりで、年の初めの家のお祓いです。土地や家を浄め、家族の健康や安全を祈るご祈祷です。夫の命日が26日なのですが、25日まで天神様の軸をかけているので、準備が慌ただしいと思い、22日にお願いしました。ちょうど、フィリピン訪問が25日からに決まり、この変更は正解でした。が、今年は急な大雪で、駐車場の確保が気がかりでした。旅行前に腰を痛めても困るので、人一人通れる通路だけ除雪し、家の前に車を止めてもらいました。

 準備するのは、洗い米、塩、お神酒と、仏様のご膳です。紅白の重ね餅はなくてもいいことになり助かっています。お花、茶菓…大げさな準備は要らないのですが、玄関や部屋の掃除もふくめ、やはり気がかりになる行事です。ほとんど前日に準備しますが、ご飯やお茶、部屋の暖房は朝しなければなりません。新雪が降ればなおさらのこと。
 幸い、昨夜は降らなかったですね。でも、長靴スタイルで8時半過ぎに来られました。仏壇の前で袈裟をかけられます。               

 家祈祷ではとても速いお経を唱えられます。息切れが心配になるほど、速く、力強く、そして声が揃います。お札をもらい、塩、米、酒は家の外回りの四隅に撒きます(雪が融けてから)。葬儀が入ったからといつもより早めに帰られました。私の旅行の無事も祈りましたよ、とのことでした。無事に終了し、ホッとしました。午後は美容院へ髪染めに行きます。 


映画「母と暮せば」

2016-01-22 | 映画・テレビ・演劇・芸能

 あの物凄い大雪の日(高岡では19日)、朝早くからイオンへ映画を見に行った。年暮れに「海難」の試写会を観た後、観たい映画がいくつもあり、ポスターを数枚(姫さんの分も)持って来ていた。「母と暮せば」、「杉原千畝」、「人生の約束」、「さらばあぶない刑事」などなど。が、風邪を引くわ、千葉で正月を迎えるわ、フィリピンの準備が始まるわ、でなかなか行けない。そのうち、前評判が高く、日本アカデミー賞を11個取ったと言う「母と暮せば」が1日1回の上映になってしまった。早目に観ておきたいと、お茶のお稽古の後、姫さんと決めたのが19日(火)と言うわけだ。
 9:40に1度だけの上映になっている(公開より一か月以上過ぎてはいるが)ので、9時半集合にしたのだが、イオンの入り口が9時半オープンなのだ。それより早く来た人は外で待たねばならない。あまりの寒さに客はブウブウ。内玄関までは入れたが、それでも店内には入れない。皆映画を見に来た人達。きっと「人生の約束」だろう、と隣の人に尋ねたら「母と暮せば」だそう。しかも、2度目だとか。思わず「そんなにいいですか?」と聞く。

 ↓ 店内で姫さんと合流。チケット売り場は行列。       

  ポスターには、「終戦70年・…。山田洋次監督が作家・井上ひさしさんに捧げて長崎を舞台に描く『母と暮せば』が、ついに映画化…」と書かれている。企画が井上ひさしさんの娘さんの麻矢さん、脚本が山田監督と平松恵美子さんだそうだ。
 長崎医科大で講義を受けている最中に、伸子(吉永小百合)の息子、浩二(二宮和也)は被爆、一瞬で体は消えた。持ち物すら、何も残っていない息子の死を母は信じられない。3年後、ようやく諦めかけた母のもとへ、浩二が亡霊になって現れる。「母さんは諦めが悪いからなかなか出て来られなかったんだよ」と息子は言う。↓は、ポスターより。      

  ↓ この蓄音器で、浩二が恋人の町子とよく聴いたメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲が何度も流れる。  

 最後は、母、伸子も息子に手を引かれ、あの世へ逝くのだが、その間の日々の出来事…。
 伸子が、助産婦をしながら一人暮らしをしている暮らしぶり。生き延びるためには、時には闇物資を買わねばならない。それを売りに来るおじさんを加藤健一が演じ、お見事と言う外ない。町子は、小学校の先生になっており、傘のない子が雨の日に登校できない時は家まで迎えに行く。母を亡くし、祖父と弟妹と暮す女の子に付き添い、父の戦死を確かめに復員局へ出かける。私の母もこんな風に公報を受け取ったのだろう、としみじみと当時を思い出した。

 そう言えば、NHKが撮影時の様子を何度か取材し、ドキュメンタリー番組にしていた。原爆が投下された瞬間をどう表現するか? 悩みに悩んだ結果は映画でも一瞬だ。大学の階段教室で受講中の浩二が、ペンをインク壷に入れた途端にインク壷がグニャっと曲がり融ける…。また、被爆当時の長崎の街の話を、三輪明宏にインタビューをして、二宮くんと一緒に聴く…。その努力は報われているのだが…。

    

   ↑は、「父と暮せば」と「母と暮せば」のポスター。比べるつもりはないのだが、あまりにも「父と暮せば」が印象深く、やはり思い出してしまう。映画「父と暮せば」は黒部の「コラーレ」で、岩波文化ホールの総支配人(当時)の高野悦子さんと山田洋次監督の対談形式の講演と共に上映された。茶々姫さんと二人で、富山地鉄に乗り、ピクニック気分で出かけたものだ。
 広島を舞台に、原爆投下後一人で暮らす娘(宮沢りえ)のもとへ父(原田芳雄)が亡霊になって現れる。娘の前に若い考古学者(浅野忠信)が現れるのだが、娘は避けようとする。「私は幸せになってはいけんのじゃ」と頑なな娘を、父は「わしはお前の応援隊だ」と言い、前向きに生きるように説得する。エピソードも会話もユーモラスでほのぼのとしていた。

 こちらは母と息子で、息子が幽霊、あちらは父と娘で、父が幽霊…。母は老いて行き将来はない、娘はこれからの人生…おそらくその違いだろう。やはり見終わって明るい気持ちになりたいもの。井上ひさしには負けるな、と言うのが私の正直な感想だ。
 二宮君は、先日の「坊っちゃん」の方がずっと生き生きしていた。以前見た倉本聡の「優しい時間」も印象深かった。「嵐」のメンバーと言うより、先に役者として知ったからでしょう。

 見終わった後のランチ。久しぶりに中華。汁のある湯麺と、カリカリ焼きそばを注文し、取り分けて食べた。なかなかいい選択でした。  


「柿里」で新年会

2016-01-20 | 食物

 1/18(月)、音訳ボランティア「あかね」の新年会だった。昨年は月末に忙しいことが多く、ボランティアそのものはあまり参加できなかったのだが、幸いにも新年会当日は空いていたので、ちゃっかり出席を決めていた。

 ここは久しぶりだ。部屋に入ると、しつらえはもう、「節分」バージョン。床の壁には、おかめの注連縄。        

  ↓ 下には、枡に豆と柊。色紙は鬼。   

  ↓ 反対側には、小さな石庭。みな本物でした。   

  ↓ 金沢から来られたKAさんは、先月の注文品のバッグを6個も。大黒様みたいに肩に担いで来たそうです。皆さん、それぞれ色とサイズを注文したんだって。12月末は風邪で欠席したので、私のはありません。他人の物をすぐ欲しがる性分で、追加注文で作ってもらうようお願いしました。   

  ↓ 会長さんのTUさんのお土産です。「志乃原」と「大野屋」の新種のお菓子だそうです。志乃原のは’secoとmoco’、ゼリー菓子でした。大野屋のはラムネ菓子。包装紙もきれいなら、中味も興味あり、で9名全員でジャンケンポンをしました。  

  ↓ 私がゲットした「御車山」。国吉りんご使用のラムネ味のお菓子。すべてクルンに売っています。県外の知り合いへのお土産に持って行ってあげましょう。 

  会員10名のところ、一人欠席で9名参加でした。でも、YUさんが可愛い息子さんを連れて来られ人気の的でした。ドナルドダックのつなぎです。            

  いよいよお料理が運ばれます。2段重ねです。↓ 上段には、ご飯と赤だし味噌の汁、香の物(蕗の薹味噌、赤カブ・・すくなカボチャかも?との話も出ましたが)。 

 ↓ 下段は、鰤大根、刺し身、胡麻豆腐、玉子焼き、柊いわし、いなりずし、エビ…。柊いわしの謂れは知りませんでした。写真がボケていますが、メザシの頭に柊が刺してあります。

  

 デザートに「柚子シャーベット」とお抹茶が出ました。お菓子は、バレンタインのハート最中。中にはあんこ入りチョコが入っています。   

 ↓ お薄のお茶碗は筒茶碗でした。

   

 ↓は、YUさんジュニア。お母さんがいろいろ離乳食やお茶を持参されましたが、食欲旺盛で、上のご馳走をかなり食べたのでは?お母さんのご飯が無くなるほどでしたから。木製のスプーンとフォークを自分で使って上手に口に運ぶのです。柚子シャーベットもお気に入りで、私が口に入れてあげると、自分で掬って…。オバアチャン気分を味わわせてもらいました。

 ↑は、KAさんが撮ってくださいました。ピンクのスタイがかわいいですね。


パスポートが切れている!

2016-01-18 | 旅行

 千葉で新年を迎え、3日に帰宅した。予想通り、ツアー会社からの封筒が3度も配達されたらしく不在票が3通も入っていた。その日のうちに再配達を頼み、必要書類をチェックする。翌4日には止めておいた年賀状がドッと舞いこみ、返事を書かないといけない人も何人か…。夜になってようやくパスポートはどうだったかしら?と気づく始末。

 なんと、2013年で切れているではないか!ルソンの会から「ハワイ・真珠湾」へ行ったのが2012年。以後海外旅行とは縁がなかった。大慌てで高岡と富山の旅券センターに問い合わせる。高岡でなら、14日受け取り、富山なら12日受け取りだそうだ。ツアー会社へ12日までコピーを送らねばならない。いずれにしろ間に合わないので、すぐ電話した。コピーだけ遅れても良い、わざわざ富山まで行かなくてもいいですよ、との返事にホッとし、さっそく「高岡大和・7F」の旅券センターへ駆けつけた。フォトサービスで写真を撮ったら、スカーフがあごにかかっている、眼鏡が光っているやらで撮り直し。代金の1000円は郵便為替で戻るんだって。久しぶりのことですべてテンヤワンヤだった。5年か10年か?迷いに迷って10年にする。6年後に海外旅行するとすれば、82歳。行かないとは限らぬ。

 14日、受け取りに行く。右端が新しいパスポート。今のは、中央あたりに、ICチップが内蔵されている分厚いページがあるのですね。      

 ↑ の左端の大版のが、1989年(平成元年)、夫と”西欧スタンダード”と言うヨーロッパ5カ国を回る旅に出た時、初めて作ったパスポートで有効期限は5年。2冊目の途中、デンマーク・コペンハーゲンの最終日前日にパスポートを紛失した。あの時は、姫ちゃん、NOちゃんにずいぶん迷惑をかけた。泣く泣く1日延ばして一人で帰って来たものだ。今となればそれも懐かしい思い出。

 さて14日、パスポートのコピーを送った後、SAさんに渡す物、もらう物があり、商工ビルレストランでランチをした。以前とメニューが変わり日替わりランチもありお安くなっていた。見晴らしもよく、静かで落ち着いた雰囲気。スペシャルランチを注文したら、ぶ厚い自家製ハムにブルべりーソースかけ。  

 

  いよいよ出発1週間前となり、後は追悼文を書くこと、現地の子供たちへの学用品などを準備すること、旅行の荷物作りだ。天候が大雪に向かっているので、ちょっと憂鬱。冬のコートや冬靴をどうすればいいだろう。空港のコインロッカーに預ければいいのかな~。

 ↓は、1/10付けのKI新聞、県遺族会でコピーをもらった。両陛下は、10年前にはサイパンを、昨年はパラオ島を訪問され、太平洋戦争の激戦地を訪ねる慰霊の旅を続けておられる。次はフィリピン訪問に向け、美智子妃殿下がスロージョギングをしておられる、とのニュースに心打たれた。なんとお元気な!きっと2度と戦争が起きないようにとの強い願いを秘めておられる、と私ながらに思う。    

     

  お二人のお心を思うと、私も安穏としておられない、と思った。8年前の戦争遺児の巡拝で一緒だった愛媛のTOさんからも何度も電話をもらった。「私は行くことに決めたけんね。あなたはどうするの?」と。もう1人、千葉の友人のasaちゃんが娘さんやお孫さんの手伝いに毎日電車や地下鉄で通っておられるのを聞き、私もただただ膝痛や息切れやでしんどいと病人面していてもダメだ、と、締切ギリギリの年暮れに、風邪を押して富山の遺族会館へ申し込みに行ったのだ。いろいろな人たちに背中を押されて行く旅、無事に思いを果たして来たいと思っている。

 ↓も、KI新聞の記事だが、太平洋戦争で日米決戦の舞台となったフィリピンでは、フィリピン人の犠牲は110万人。民間人を巻き添えにした悲惨な戦場となった。日本の民間人も日本兵と一緒に逃げたと言う。私の舅は当時マニラ日本人学校の校長をしており、日本軍の指示で先生や生徒ともどもジャングルを逃げ回ったと、夫や義弟達に語ったと、私も聞いている。(深田佑介の直木賞受賞作、「炎熱商人」に実名で登場する) 学校跡にも行ってみたいが前回も時間がなかったし、今回もきっと無理だろう。学校は今もあるが、新しい学校として別の場所に建っているようだ。


金沢1月定例能~「翁」 & 「鞍馬天狗」

2016-01-15 | 能楽

 石川県立能楽堂の「1月定例能」が、1/11(祝)に行われた。例年月最初の日曜に開催されるが今年はちょっと遅く、そのためもしかしたら行けるかも?と、年暮れに何人かの友人に声だけかけていた。体調、お天気など冬の外出には覚悟がいる。

 出し物は、能「翁」、「鞍馬天狗」 と狂言「昆布柿」。この能2番がぜひもう一度観たいお能だった。「翁」は、私がお能に少し興味を持ち始めた頃、宝生流家元の宝生和英師が「宗家継承披露」としてシテを演じられたのを観た。平成21年、7年前である。弱冠23歳だったと記憶している。↓は、その時の私のブログ。なはさん、ANさんと、大枚はたいて観て以来家元のファンになったのだ。 ↓の番組を見て、三番叟が野村万蔵さんだったとは!ブログに舞の面白さが記されていた。   
        http://blog.goo.ne.jp/67kiyoh/d/20090908

 

 もう一つの能「鞍馬天狗」も、同じ平成21年9月に「三派能楽大会」で演じられている。山崎先生のお孫さんが子方で出られると聞き、富山の講習を途中で抜けて高岡文化ホールへ駆けつけたものだ。どうやら後場に間に合い、遮那王が大天狗に兵法を学ぶところから観た。↓は、当時の番組表。シテが佐野由於師、ワキが殿田謙吉師となっている。YUちゃんは今は高校生だ。

      

  さて当日、なはさん、SAさん、杉○さんと10時のあいの風鉄道に乗った。車内は満員。バラバラだが座れた。まず、金沢駅「駅の蔵」(茶々姫さんのお気に入り)で昼食。焼き魚膳を注文。

 シャトルバスで能楽堂へ。金沢は青空だった。受付に米島さん。

 能「翁」は、「能にして能にあらず」といわれ、まさに別格の一曲とのこと。神聖な儀式であり、演者は神となって天下泰平、国土安穏を祈祷する舞を舞います。舞台上部に注連縄を張って場を清め、鏡の間には祭壇を設け、使用面を納めた面箱、神酒(みき)などを供えて儀式を行ったりするそうです。この日は注連縄だけでしたが、それだけで厳かな初春の雰囲気。

  シテ(宝生和英)は、最初、面をつけず(直面=ヒタメン)登場し、座って深々と頭を擦り付けんばかりにお辞儀をし、着座する。露払いの千歳(センザイ)(佐野玄宜)が笛や3丁の小鼓の囃子で千年の寿ぎを舞う間に、シテは面をつける。そして荘重な翁舞を舞います。面をはずした翁と千歳が退場した後、囃子に大皷が加わり三番叟(能村祐丞)が揉の段、鈴の段を舞って終わります(トップ写真は中日新聞から三番叟の舞)。囃子方も地謡方も全員が烏帽子をつけてひな壇の人形のようでした。
 今回気になったのはお囃子でした。7年前より私の耳がよくなったのかも。小鼓がピタッと合わず、三番叟の鈴もなかなか合わないのです。舞いながら鈴を鳴らすのは確かに難しいのでしょう。前回の小鼓は住駒先生親子でした。舞台はその時その時と言うことでしょうね。

 シテ:宝生和英  面箱:炭光太郎  三番叟:能村祐丞  千歳:佐野玄宜
 大皷:飯嶋六之佐  小鼓:住駒幸英、住駒俊介、河原清
 地謡:渡邊荀之助 他

 ↓は、金剛流の能「翁」です。1時間以上と長いですが、流しながら部分的にでもご覧になってみてください。舞の動き、囃子の心地よい音色だけでも味わってみられたらいかがでしょうか。住駒俊介さんも出ておられます。

   https://www.youtube.com/watch?v=suLWtpL-QNU

 次に、狂言「昆布柿」があり、最後が能「鞍馬天狗」だった。前場で、花見稚児として子方が5名登場。皆、能楽師さん達のお子様たち。最年少は保育園児(?) 牛若丸は松田脩さん。松田若子師のご子息だ。しばらく拝見していないので成長ぶりが楽しみだった。この曲では、前場、後場とも、シテと渡り合う重要な役。
 鞍馬の奥、僧正が谷に住む大天狗(山伏)が遮那王(牛若)に兵法(ひょうほう)の大事を授ける話。前場の華やかな宴の場で2人は出会います。一人残った牛若は、大天狗に声をかけ2人は心を通わせます。(中入り) 後場では、秘術を会得した牛若が薙刀を手に華やかに登場。大天狗は、昔、黄石公が漢の張良に沓(くつ)を取らせ履かせて故事を語り、兵法の秘伝を授け、将来の守護を約束します。大天狗と牛若の心のふれあいが暖かく伝わって来ました。後場の大天狗は、小書きに「白頭(しろがしら)」と書いてあるように、面も「大べし見」でなく優しい面でした。

 シテ(山伏・大天狗):佐野由於  ワキ(東谷の僧):苗加登久治  ワキヅレ:平木豊男、北島公之
 牛若:松田脩  子方(花見稚児):渡邊真之介 他
 間狂言:荒井亮吉、中島恭介
 大皷:原岡一之  小鼓:住駒俊介  太鼓:麦谷暁夫  笛:片岡憲太郎
 地謡:島村明宏 他

 終演後、佐野由於先生が玄関に出て帰路に着く人たちに挨拶をしておられた。どなたかを見送っておられたのかも。私たちもちゃっかり笑顔を振りまいてお礼を言った。

 金沢駅で買い物や夕食をと言うプランだったので、タクシーに乗る。またまたタクシー運転手さんとお喋り。金沢駅前のファッションビル「フォーラス」が人気で、近辺の渋滞を「フォーラス渋滞」と言うとか。↓は、駅の百番街。

 

  夕食は、百番街「ぶどうの木・ルウとパスタ」で、 きのこと温野菜のビーフシチューのニョッキ。

  

 帰りの電車は、4人掛けでゆったりと。丸一日の小旅行でした。


初釜’16

2016-01-14 | 茶道

 年暮れに、茶々姫さんから「初釜の案内」をいただいた。月曜組と土曜組の初稽古の日に「初釜」をしますからどうぞ、と書いてある。それだけでワクワクした。↓は、昨年の初稽古の様子です。1/17日に弟子3人でお薄を点てて初稽古をしたことを書いています。

  http://blog.goo.ne.jp/67kiyoh/d/20150119

 1/9(土)、今年は新人さんのたくちゃん、以前よく来ておられたSAさん、月曜組のなはさんも参加され総勢8名の賑やかな初釜でした。
 お席入りの前にお茶をいただく。↓は、姫ちゃんが白山比め神社に初詣をした時の「まゆ玉」 と辻占。辻占を一人ずつ開きその度に歓声、大笑い。   

   

 いわく、「ことしはまたせぬ」、「思い切ろうか」、「命にかへても」、「返事まつ」、「七転び八起き」、「あきらめない」、「ほれてはならぬ」、「縁談あり」、以上8人全員の分です。

 さて、席入り。正客さんから順に、お床拝見、釜、水差しも拝見する。↓は、軸も水差しも弘之先生の作です。 

 

 ↓ 亭主の茶々姫先生の挨拶。受ける正客のたくちゃん。

 

 まず、なはさんがお濃茶を点ててくださいます。↓は、初釜に欠かせぬ「はなびら餅」。 

 

  

 ↑ 嶋台の重ね茶碗で、甘くてトロっとしたお濃茶をいただくのは何年振りだろう?

 次に「員茶(かずちゃ)」でお薄を点てる。これはゲームのように、札元(亭主)が引く花札と自分の持っている札が合っていればお点前をする、と言うもの。順に全員がお点前をする。↓は、お干菓子。縁起ものの「初なすび」のお菓子は、山形県鶴岡からのお取り寄せ。「めずらしや 山と出羽(いでわ)の 初なすび」は、芭蕉が奥の細道紀行で読んだ句だそうだ。

       

 ↓は、左が札元が持つ「大折据」(札入れ)。 右は、客に配られる札。裏に桜や松や梅などの絵が描かれている。

        

 最後に、お茶事。芝寿しの会席お弁当と、茶々姫先生手作りのお料理が出された。 

 

  

 ↓ 庭に日の差す暖かい日でした。

 最後に記念撮影を。いつも弘之先生に撮ってもらったね~と言いながら。カメラマン交代で2枚です。ホントに楽しい一日でした。茶々姫先生、なはさん、そして皆さんありがとう。(写真はほとんどようこ姫さんが撮ってくださいました)                   


今年初めての雪?

2016-01-13 | 富山

 日記の順から言えば、「初釜」と「金沢1月定例能」が先、しかもお正月らしい話題なのだが…。その前に、ちょっとビックリした雪の話を…。

 年暮れに「戦争遺児のフィリピン巡拝」の旅に申し込み、参加決定の通知が1/5日に届き、その後書類の準備や旅費の振り込み、パスポート申請にテンヤワンヤしている(今もまだ)。1/13(水)は県遺族会館で参加者の顔合わせと、打ち合わせがあり補助金もいただいた。今回は役員も含め富山県から5名の参加だそうだ。

 帰りに久しぶりに婦中の「カンポの湯」に寄ろうかと、準備をして行った。行きは呉羽経由の道で行ったのだが、昼前でもあり、とてもいい天気だった。帰りに古沢から黒河へ出ると、急に道路脇に雪が積もっているのに気づいてビックリ。カンポの湯へ行く途中、池多郵便局に寄り(ときどきこの郵便局を利用する)、思わず「この雪昨夜降ったのですか?」と聞いた。

 そうすると、局員さんもお客さんも声を揃えて「この一帯だけ降ったのですよ。一昨日の夜降ったらしく昨日(12日)朝起きたら10センチも積っていたのです…」 とのこと。池多一帯と言うか太閤山の回りと言うか…、だそうだ。新年になって初めての雪。
 ”雪のないお正月”なんて喜んでいたが、そろそろ降り出す前触れだろうか。外へ出て写真を撮っていると、先ほど話した人が出て来られ、この辺一面真っ白だった、と言われる。もう融けてしまって…と。            

           

 カンポの湯の坂道を上るとやはりまだたくさん雪が残っていた。が、ランチとセットのつもりだったのに、ランチのラストオーダーは1時半、「空腹でお風呂もまずかろう、また今度、今夜は家で柚子風呂に入ろう」と心の中で呟き、素戻りした。田尻池でも、と覗いてみたが、白鳥はお出かけ。でも、4,5台の車が止まっている。帰宅を待っているのかしら。

 私は、ココスでお腹を満たし、遺族会でもらって来た「両陛下が慰霊の旅に」の記事を眺め、ゆっくりと過ごして来た。↓は、 “鉄板ジュージュー・中華海鮮あんかけご飯 ランチ”。 新メニューかな?美味しかったですよ。ホタテ、あさり、エビなどが入っています。ご飯にかけて食べます。 


年末年始郵便事情 & イギリスだより

2016-01-09 | 日記・つぶやき

 昨年12月10日に、娘たちとMaryさんにクリスマスカードを送った。 いつまで経っても着かないと言う。先日、1/5日だったか、今日届いたとメールが来た。ずいぶんかかったな~と驚いた。

 かと思えば、逆に娘たちが年末にブリストルから送ったプレゼントが一昨日(7日)にもう届いた。私は謡の初稽古の日で留守にしており、不在票が入っていた。翌日郵便局まで取りに行ってもいいのだが、早く見たくて再配達を頼んだ。
 それが、↓の手袋。カシミヤで暖かそう。汚れないようにお洒落する日(そんな日ってあるかな?)だけ使わないと。        

 郵便事情と言えば、正月早々こんな話を聞いた。友人のasaちゃんの息子さん一家は沖縄に住んでおられる。年末にお嫁さんの実家から「お肉を送ったから召し上がれ」と電話があったそうだ。お孫さん達に食べさせようと待てど暮らせど届かない。郵便局に問い合わせて理由がわかった。千葉県市川市と市原市の両方に「若宮」と言う地名があるそうな。配達人が間違えて市川市に配達したらしい。家がなくて探したのだろうね。これはまたひどいミスだ。年末年始の郵便や配達業者は大変だね~。

 それに比べ、メール添付の写真は速い。↓とトップの写真は、マークの妹さんのプレゼントのクリスマスオーナメント。両方とも、東方の三博士がキリストの誕生を予言する場面(the Epiphany:公現祭~1/6日)。 

  ↓は、キリスト降誕祭の場面(the Nativity)。

  ↓ ブリストルの教会で太鼓の練習会があり、参加してみたそうだ。その時の娘たち。

 


謡曲の本をいただきました!

2016-01-07 | 能楽

 昨年9月に、友人であり先輩であるSAさんがお引越しをされた。老後の住処を考えてのことで急に話がまとまったらしい。その後、元の家の片づけに通っておられたのだが、年暮れ近い頃「謡の本をもらってくれない?」と頼まれた。お父様の遺品の中に、5曲1冊の謡の本が全巻揃っているのだそうだ。私もいつまでお稽古を続けるかわからないし、わが家も「断捨離」せんならんのに…と一旦断ったのだが・・・。

 次の「蒼山会」で、山崎先生独特のアイディアで ”リレー素謡” と言うのを2曲やることになり、その「烏帽子折」も「朝長」も新たに買わなければならない。芙蓉会でする「弱法師(よろぼし)」も持っていない。先生も「中味は同じだから充分間に合いますよ」と仰る。それでSAさんにこちらからお願いして、昨日取りに行って来た。(トップ写真は全巻。重なっているのがはっきりと見えないが、5曲一冊本が37冊もある。木の箱に入れてあったそうだ)

 ↓は、今日からお稽古が始まった「烏帽子折」、「弱法師」、「朝長」を含む3冊。汚れ具合にもよるが、オークションでは高価な値もつく品だそうだ。SAさんは亡きお父さんが大切にしておられた本を、資源回収に出すのはとても忍びがたいことだったと言われた。  

 ↓は、本の中味です。文字が大きく読みやすい反面、上段の説明や絵がないので、特徴のある節回しや謡い方の説明がない。これは慣れるしかないな、と思っている。       

 ↓は、最終頁。版元は今も「わんや書店」だ。昭和六年発行 昭和版再販と書いてある。         

  「烏帽子折」は、前段では牛若丸(子方)と源義朝の遺臣の烏帽子屋夫婦との出会いが描かれる。後段では、金売り吉次一行を襲う熊坂長範ら群盗と牛若丸との戦いが勇ましい。シテは前段では烏帽子屋の亭主となり、後段では大太刀を振るう熊坂に扮する。前後の軸となって活躍する牛若丸は大役で、子方卒業の曲ともされているそうだ。

 ↓は、ネットよりの写真。お能が見たくなってくる。            

                 


近江牛すき焼きと博多鶏の水炊き~千葉でのお正月’16

2016-01-05 | 食物

  千葉でお正月を過ごすのは何回目だろうか。お正月料理についてその都度ハプニングがあるのだが、最近は息子宅の冷蔵庫には野菜が皆無に近いので、我が家の残り物野菜を必ず持って行くことにしている。向こうで買えば、食べきれず残ってしまうからだ。玉ねぎ、人参、白葱、小松菜、ジャガイモ、サトイモ(キャベツも数枚はがして持って行けばよかった…)を衣類などと一緒に宅配便の箱に詰める。他に、かぶらずしや加工食品。クール便には甥が釣って来たイカ2杯を冷凍してあったのと昆布〆など。足りない野菜は「房の駅」で買えばいいし、なんと言っても2,3年前から冷凍のおせちが届くはず(息子が注文している)。

 今年のおせちは一重だった。その代わり、「博多鶏の水炊き・味美鶏」と「近江牛すき焼き・千成亭?」が届いていた。昨年は3重おせちが2個ダブルブッキングで、年末からおせちと格闘していたものだ。今年は1重にして、牛と鶏をつけたのだとか。

 まず、30日夜は、かぶら寿司と野菜と加賀包みの煮物。両方とも県生協の品なのだが息子が大変喜んでくれた。いつものかぶら寿司より美味しいと言う。鰤だから?いや、蕪が美味しいって。三和食品の製品で同じだと思うけど? ジャガイモや人参や小松菜の煮物など最近は食べたことがない、野菜がこんなに美味しいとは、と言っていた。
 翌31日夜は、博多鶏の水炊き「華味鳥」。 春菊、白ネギ、えのき、しめじ、焼豆腐、白菜を準備。カジキの昆布〆も。
 ↓ 鶏は、ぶつ切り、切り身、つくね、スープ2パック、ポン酢、ユズ胡椒つきだ。こたつの上に大きな土鍋を置いて、これはとても美味しかった。最後にお蕎麦を入れて早めの年越しそば。 

  元日朝は、おとそとお雑煮。おせち料理をいただく。午前中、千葉matsuさんが息子さんの車で成田不動に初詣をし、お札をいただいて来たと届けてくださった。息子宅に神棚はないので、我が家の神棚に挙げてある。成田山新勝寺はお寺なのだが、神棚に挙げていいのだそうだ。すごい人出だったとか。

 元日夜は、もう一度水炊きの残りと甥の釣ったイカと里芋の煮物など。
 2日夜は、近江牛のすき焼き。毎日ご馳走。平生、私一人だと絶対に食べない物ばかり! ↓大きな牛肉が5枚も。そして毎晩、サントリープレミアムモルツ。それこそお腹がビックリポンでしょう。息子も、こんな肉ばかり食べて体に悪い、と心配気味でした。

  3日、途中まで箱根駅伝を見て家を出た。この日も晴天。ゴールの大手町は混んでいるだろう、と八重洲口ではなく丸の内口へつけてくれた。そう言えば、昨年正月はasaちゃんと東京駅銀の鈴でお喋り、5月には渡○○さんとKITTEやブリジストン美術館へ行ったっけ。今回も、大丸にも入らないで駅周辺でウロウロしていた。

 ↓は、東京駅丸の内口前。また工事をしている。

  何の工事かと見ると、地下施設の新設工事だそうな。オリンピック目当てかしら。

  ↓ 日の丸の立つ駅中央口。

 12:56発の「はくたか」に乗り、新高岡が15:59着。城端線(140円)に乗り、市営駐車場のマイカー(無料)で帰宅した。風邪も治り、失敗や事故もなく旅は無事に終了。早目に帰って来たとは言うものの、次の旅の準備に向けて今日からテンヤワンヤである。 


千葉での年末

2016-01-03 | 日記・つぶやき

 今年の千葉は、年末もお正月も晴れ続きで気持のいい日々だった。いつものようにガスレンジ磨き(ココはあまり汚れていない)、居間、台所、和室2つ、廊下、玄関、トイレの掃除を、掃除機をかけたり、拭き掃除をしたり、障子のはがれた部分を張り替えたり…息子と分担しながら進める。
 玄関前のアプローチや前庭に、落ち葉や枯れ草が山になっていたがそこは目をつむることにした。その他に息子はパソコンを直し、会社の仕事もしていた。私も一気にやると疲れるのでときどきテレビ鑑賞。30日夕方、NHKBSで「のだめカンタービレ 最終楽章 前篇・後編」(映画)をやっていた。前にも、TVドラマだったか、映画だったかをテレビで見たことがある。が、今の朝ドラの「新次郎さん」が面白いので、千秋先輩の玉木宏はどうだったかな?と興味がわき、チャンネルを合わせた。パリやウイーンの街並、クラシック音楽がシンフォニーやピアノ協奏曲、ピアノソロとじゃんじゃんじゃん出て来る、楽器と奏者、漫画チックな話し運び…すべてが楽しい。息子いわく「漫画全部揃っているよ。」 ホントだ、↓のように20数巻並んでいた。(正月の間に半分ほど読んできた)            

   大掃除中に、足りない品を買いに行った息子は何やら気に入った物があったらしく、帰宅後掃除を中断して、針と糸を持ち出して夢中で仕事を始めた。かなり時間がかかり、仕上がったのが↓のポケット。 

 白の綿パンの後ポケットの口が破れてきたそうだ。ダイソーに花模様のパッチワークの布地を売っていて気に入ったらしい。初め冗談かと思ったが、丁寧に返し縫いをして縫いつけていた。家でだけはく綿パン?仕事中も?皆さんビックリするだろうね~。

 気候が暖かいからか、銀木犀が花をつけていた。  

 ↓は、シュウカイドウか? 

 南天も。

 トップは、木の芽。いつも冬来るので、何の木が忘れてしまった。


明けましておめでとうございます。

2016-01-01 | 日記・つぶやき

 千葉から新年のご挨拶を申し上げます。 本年もスローペースでブログを書きますので、どうぞよろしくお願いします。

 昨年は体調が絶好調とは言えないのに、スケジュールを詰めすぎて年末苦労をしましたので、今年は無理せず、ぼちぼちと行きたいと思っています。
 とは言え、今しかできないこと、特に楽しみなことはやりたいので、1月はフィリピン・マニラへ2度目の戦跡巡り(巡拝)に、3月はヴェトナム中部・フエ、ホイアン、ミーソンなどの旅に申し込もうと考えています。いずれもあくまで予定です。千葉へ来るのもやっとだったのでどうなるやらわかりません。

 それにしても新幹線は速くて便利ですね~。今回初めて高岡市営中央駐車場を利用しました。新幹線利用の場合は30日間無料となります。年末なので空いているかどうかわからないので、念のためなんと1時間前に家を出ました。駐車場はガラガラ。城端線に乗り新高岡駅まで、後は東京まで乗り換えなし。妙高高原辺りで雪景色でしたね。長野でどっと乗客が増え、小学生の兄弟を連れた外国人夫婦(スキー帰り?)がほほえましかったです。

 東京駅八重洲北口まで息子が迎えに来てくれました。4,5年前までは上野で降りて日暮里乗換えで京成線に乗ったものですが、今はその気力はありません。 最近は湾岸道路を車で飛ばすのでとても快適。 東京、千葉は快晴、青空が見え、気温は暖か・・・年末の大掃除もやりやすかったです。が、1日半しかないので、家の外は止め、中だけ全ての部屋をかなり徹底的にやりましたよ。ふうふう言いながらですが・・・。

 続きは高岡へ戻ってから書きますのでよろしく。