7/7(木)、2日目。仏ヶ浦の後は、4時20分に薬研温泉のホテルに着くはずだったが、お天気はよく日は高い、と言うことで明日の予定の「恐山」に行くことになった。明朝の出発が遅くなると言うので全員賛成。でも、夕方の恐山は怖いのでは?
↓は、「総門」前。時間が遅いので人影はまばら。恐山は、比叡山、高野山とともに日本三大霊場に数えられる。862年に慈覚大師により開山され、天台宗の修験道場として栄えた。一度廃寺となったが14世紀に曹洞宗円通寺により再興された。岩場の間から硫黄の臭いが立ち込めるさまは地獄に、湖を取り巻く白砂の浜は極楽に見立てられるそうだ。
↓ 総門前にある「六大地蔵」。
↓ 宿坊。1泊2食で12000円だそうだ。
↓ 「山門」。
↓ 7/20~24日の恐山大祭の時、この参道の横にイタコ(生霊や死霊の意中を語る巫女)が何人も出るのだそうだ。いつもではないそうだ。
↓ 「地蔵堂」。後は地蔵山、お寺は標高200mの位置。
↓ 「大平和観音」、他に震災慰霊塔や水子供養塔などがある。
↓ 「宇曽利湖(うそりこ)」、雲のかかった山が宇曽利山(標高879m)。
↓ 砂浜が極楽浜。日暮れ前なので小凄いイメージ。
↓ ケルンのようにたくさんの積み石が点々と…。広いのでどこが賽の河原か地獄谷かわからなかった…。
ゆっくりと回っていたら、他のグループの中に混じっていた。ちょっと慌て集合時間に間に合うかと焦ったので少し息切れがした。が、この日も温泉で疲れを癒し、美味しい夕食。明朝もゆっくりで無事に3日目を迎えられそうだ。
↓は、薬研温泉、「ホテルニュー薬研」。ガイドさんに言わせると'昔懐かしい一軒宿’。高原のホテルと言う感じだが、湯船はヒバの木造りで田舎風。
↓ マグロ、ホタテ、甘エビのお造り、イカソーメン、海の幸マリネ、イカスミ沢庵、レタスの茎などなど。もちろん、この日も生ビール。
↓ 壁に貼ってある「まさかり凧」。神楽の凧だそうだ。
翌日は、↓のフェリーでむつ湾を航海し、津軽半島へ。
11月~4月は休山だそうですよ。雪が深いのでしょうね。
順路に従い回るのですが、もっとゆっくりと説明を聞きながら拝みながら回るといいのでしょう。
私も立山の地獄谷のイメージしかなく、立派なお寺に驚きました。イタコのおばあさんが大祭の時だけと言うのは、友人から聞いていました。戦後、城端でもイタコを呼んで戦死した夫や父の口寄せを聞くと言うのでわが家に集まったのを覚えています。(少しだけ説明を追加しました)
宿坊も山門もどこも立派なお寺ですね。震災慰霊塔などもできているのですね。
テレビでイタ子コさんが死者の言葉を話すとか聞いていて、遠いところのように思って,行けそうにもないところと思っていました。
確かに現実離れした所(この世ではないような)のように見えます。修験者が修行為さるに相応しいしいところですね。
とても行けそうにないところを見せて頂きました。
ホテル、素敵ですね。御馳走も美味しそう!美しい器も沢山並んでいますね。量も多くなさそうで食べやすいかも!
フェリーにも乗って,山あり海あり変化に富んだ旅行ですね。
茶々姫さんも姫ちゃんも行ったことがあるそうですよ。
今は、新幹線おおけげで行きやすくなったのかもしれませんね。参拝客や信者さんも多いようで、いろいろな供養塔が建てられていました。
バスの中で、ガイドさんが東北弁でイタコの口寄せを真似てくださり、半分もわからず大笑いでした。
ホテルもガイドさんいわく、「昔懐かしいホテル」で外見と違い、田舎風。ヒバの木のお風呂で温かみがありましたよ。
近所の方とよく旅行しておられましたね。
恐山だけでなく竜飛岬もいらっしゃったのですね。
茶々姫さんがプラン作りをしておられたのではなかったですか?
仏さんと浄土の池、印象的で覚えがあります。
だいぶ暗くなって着いたので、全貌を見ることができませんでした。
でも閉山間近の時間でちょっと焦りました。
一回りはしたけど、ガイドさんからずっと離れたので説明はさっぱり。パンフを見て書きました。