Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

音訳ボランティア「グループあかね」20周年

2010-09-29 | ボランティア
 9/27(月)は、「市民と市政」10月号の音訳テープ作りのため、「グループあかね」が集まる日だった。 CDラジカセテープレコーダーとテープデッキが新調され、何人かの会員は、17日に機械の使い方の練習会に集まり(私は、平米の集いと重なり欠席した)、この日は、その新しい器械での初めての録音日。 それと、「20周年記念誌」作りの打ち合わせの日だった。

 下は、新しいテープレコーダーとデッキによる録音風景。 小さく軽く便利になった。
            

 私が入会したのは、8,9年前、当時「10周年記念誌・マイクを囲んで」を見せてもらったものだ。 それからさらに10年、古い会員さん達は感慨深げだ。 この日は、記念誌に載せる写真を選び、メッセージ選びの分担を決めた。 Oさんが過去数年間の、毎月の「始めのことば」と「あかねからのメッセージ」を打ち出して印刷して来てくださり、それをもとに、季節のことばやその時期の出来事を伺わせるメッセージを選ぶことにた。 下は写真選び。 写真には、若々しい顔が並んでおり、当時の思い出に話が弾む。            
              
 
 テーブルの空きスペースには、秋の味覚が持ち寄られた。 自家製枝豆、坂下町朝市の栗、ホームベーカリーのレーズン入りパンなど。 話しながら口も動く。 発足時からの会員のKaさんが、足も声も弱って来たので、今日を最後に退会しよう、と持参されたケーキも、ちゃっかりいただきながら、退会は皆で引きとめた。 おかげで踏みとどまってくださった。
    

 月1度のこの活動は、「高岡ふれあい福祉センター」の陶芸室で行っているが、水道があり便利な反面、椅子が木の丸椅子なのが難点。 1日中座っているとお尻が痛くなる。 下は、Naさんが埼玉で、会員分10個買って来てくださった丸座布団。 裏に名前を書き、愛用している。 この日も、一日付き合ってもらった。 
                  
    
 最後に、10月号の「始めのことば」は私、「あかねからのメッセージ」はHaさんが当番だったが、それを、載せます。

 「始めのことば」:
  長く厳しかった残暑も、お彼岸を境にようやく終わり、爽やかな秋風が吹き始めました。 道端にはコスモスが揺れ、庭にはシロシキブが実をつけ、枝もたわわに柿が色づいてきました。 富士山も、はや初冠雪だそうですね。 お元気ですか。 「市民と市政」10月号をお届けします。 制作は、音訳ボランティア「グループあかね」です。

 「あかねからのメッセージ」: 
   10月1日は国勢調査の日です。1日現在で個人の出生年月など20項目を調べます。 政府にはこれをもとに 少子高齢化対策や地域活性化対策を打ち出してほしいものです。 季節の変わり目です。お体に気をつけてお過ごしください。

 下は、あかねのHPです。
           http://akane.takaoka.hometown.jp/   

青年劇場「族譜」~公演間近!

2010-09-27 | 映画・テレビ・演劇・芸能
 9/24(金)、高岡駅近くの、「高岡演劇鑑賞会」事務所で、「族譜」例会の第3回打ち合わせ会が開かれた。 「鑑賞会」は3名以上のサークルで成り立っているが、年に6回の例会の中1回を各運営サークルが担当する。 私達のサークル「和草(にこくさ)」を含め33サークルが、今例会を担当しており、シールやパンフ作り、席わりの仕事をしている。

 この日は、例会前の最後の打ち合わせで、当日係の分担と「会員数を増やすには」がテーマだった。 2ステージで年6回の例会を行うにはそれなりの会員数がいないと運営できない。 1例会ごとに都合で退会する人がいるので、前回をクリアすることが当面の目標になる。 今回は、テーマが固いからか、前回の1253名に、まだ22名不足だと言うので、皆頭を抱えているのだ。

 MiTUで一緒のSaさんも来ておられ、彼のサークルの同じMiTUのKiさんが85歳の恩師を誘ったら入会された、と言う話を聞いた。 先月、飛鳥のクルーズにも一緒に行ったお元気な方とのこと。 じゃ、私も、以前入っておられ、病気で退会されたTeさんに声をかけてみようと思った。 リハビリに励み、今は元気になっておられる。

 昨日夕方、チラシを持って訪ねた。 日本と韓国の歴史にとても関心を持っておられる。 また亡くなられたご主人が「労演」の創立に協力されたこともあり、短期間なら、と言ってくださりとても嬉しかった。 私のサークルでは、最近続けて耳の悪い方が2名退会されたので久しぶりの入会者だ。

 次は、「族譜」の青年劇場のHPよりの抜粋です。

 昭和15年、朝鮮・水原(スウォン)郡。
 日本政府による「創氏改名」政策の任にあたっている谷六郎は、改名を拒んでいる地主・薛鎮永(ソルヂニョン)の説得を命じられる。
 薛は、日本軍に二千石の米を献納する親日家であったが、改名に応じる様子はない。
 家を訪れた谷に、700年にわたって受け継がれてきたという"族譜"を見せ、自分は一族の当主として"姓"を変えることはできない、と語る…。

 ※「族譜」とは、韓国朝鮮で一族の代々の当主が、家系図とともに、それぞれの時代のできごとを書き残し子々孫々に伝えるもの。
 ※近年の研究成果により、実在したソル・ヂニョン氏は、日本の植民地支配に抵抗し続けた抗日運動家であったことが判明しています。この演劇作品はフィクションであり、登場する人物、団体、事件等は創作上の設定であることをご了承下さい。

http://www.seinengekijo.co.jp/s/zokuhu/zokuhu.html

 ジェームス・三木さんのメッセージや、俳優さんなどについて知りたい方は、上の青年劇場「族譜」のURLを開いてみてください。 
 ウイングウイングで行われた、主役の青木力弥さんの話でも紹介したが、韓国文化の魅力満載のステージに仕上がっているようだ。

 次は、初演時の舞台写真から:
            

 高岡公演は、10月7日(木) 夜6時半
         10月8日(金) 昼2時
         会場は、高岡文化ホールです。

 この演劇に興味のある方、他のお芝居も観てみようかと思われる方は「高岡演劇鑑賞会」☏0766-21-0027へご連絡ください。 入会金2,500円と10月分会費2,500円、合わせてわずか5,000円で観られます。

第24回 高岡「関野神社」奉納謡曲大会

2010-09-25 | 能楽
 9/23(木)、秋分の日、関野神社の奉納謡曲大会が行われた。 例年、9/10の高岡秋まつりに行われ、昨年は、開町400年に合わせて9/12だった。 まだ残暑が厳しい頃で、暑い暑いと言いながら、着物を着ていたものだ。

 今年は、朝から雨。 風も冷たい。 参道が濡れていて、境内の木々の緑が鮮やかだ。 下は本堂から高の宮通りを撮ったもの。 トップはHPから。
      

 高岡関野神社(別名高の宮)は、1610年利長公の高岡城、築城の際に城の鎮守となり、明治時代に利長公の霊を分祀したそうである。 本殿には、梅鉢紋の垂れ幕が美しい。 正面に奥の神殿が見え、ここも緑がきれいだ。
 いつものように。素謡、連吟、仕舞、連調連管など。 今年は、記念の年ではないので舞囃子はない。 詩吟、剣詩舞もある。             
             

                    

 参道から、まともに風が吹きつけ、寒くてふるえていた。 途中、「百日のお宮参り」の赤ちゃんのお祓いがとり行われ、謡はしばし中断した。 午後になると、ジャランジャランと鐘を鳴らす、子ども連れの家族のお参りもあった。 やはり「お彼岸の中日」祭日だからだろう。
 おさい銭箱の横には、「ゲゲゲの女房」にあやかったこんなお御籤も売られている。
                  

 私ら公民館組は、素謡「胡蝶」と「藤」でそれぞれ地謡やお役、連調連管で「中の舞」、「頼政」の地謡、と大忙しだった。 ワキを務めた「藤」のお話を~:

 「藤」は、氷見が舞台の謡である。 都から出て来た僧が、北国を回り、善光寺へ参ろうとして、氷見の里にさしかかる。 そこに、今を盛りと咲き誇る藤の花があった。 立ち寄って眺めていると里女が現れ、藤を詠んだ古い歌についた問答する。 僧が「御身はいかなる人か」と問えば、「藤の精」であると、言い残し姿を消す。 そして僧の夢の中で、藤の精は舞を舞う。

 
そんなお話で、お能では、面、装束、舞を楽しむ。 「序の舞」が美しいが、退屈なあらすじで眠くなりがち。 お能を見ているので、素謡でも場面を想像しながら、かなり練習して、謡いこんだつもりだった。 だが、本番は怖い。 詞(ことば)とト書きの部分の節回しを間違え、後ろから地頭の山崎先生の声が聞こえ、上手く途中から変えられたが残念だった。
 太鼓は、今回はミスなく、上出来(?)。 何度もやっている「中の舞」だからだが。 これで、どうやら、8月、9月の行事は終了した。 後は11月の「芸術祭」の太鼓だけだ。
 

ご出産おめでとうございます。

2010-09-24 | 日記・つぶやき
 ご出産おめでとうございます。
 私達の合唱団”MiTU”のピアニスト、般若先生に赤ちゃんが生まれました。 
 22日(水)、団員3名でお祝いに行ってきました。 生後14日目、葉音ちゃんはすやすやとおネンネの時間。 沐浴後、たっぷりミルクを飲んで眠りについたところだそうで、周りのお喋りも、愛犬の吠える声も、どこ吹く風で、安らかな、可愛らしい顔でおネンネでした。
 ピンクのうぶ着にミフイーちゃんのタオル、枕元の動物たちに見守られながら…。 柔らかな指先に触れると、指をチョッと開いたり、時々足をウーンと伸ばしたり、見ていて飽きません。 
                 

 ママさんが、「ホラ、いいとこ見せてね」と頬をつつかれても、切れ長な目がうっすら開きかかりまた閉じる…。 私も含め孫のいない者が二人、もう一人は外孫さんがおられます。 順番に抱かせてもらいました。 私など、姪甥の子供たちも、生後何日で抱いたことがなく、我が子以来で、ほんとにコワゴワです。
 
 長居を詫びながらお暇しました。 先生は、家でもピアノを教えておられますが、11月からMiTUに復帰されます。 その頃には、大きな瞳の笑顔の写真を見せてくださることでしょう。

「色野の会」絵画展’10~画廊「七本杉」

2010-09-22 | イベント
 昨年の今頃も紹介したが、今年も、高岡駅前・画廊「七本杉」で、「色野(しきの)の会」絵画展が開かれている。 9/18(土)~24(土)。 高岡工芸高校の太田広信先生の会で、今年で20年目だそうだ。 最初からの生徒もおられるようだが、友人のSaさんが2年前から入会し、制作に励んでおられる。

 先生も含め、15名の方が、1~3点の作品を出しておられ、壁面びっしりの展示である。
               

 高岡文化ホールで描いているそうで、その日によりテーマがあるらしく、チューリップを持ち寄ったり、読書姿の女性、ハンチングをかぶった少女、裸婦などをモデルに、スケッチをするそうだ。 観る者にとっては、同じ対象を描いた何人かの作品を同時に観られて面白かった。

 裸婦の場合、15分ずつ、休憩を入れて3つのポーズをしてくれるそうで、その間にスケッチし、色付けや表情、指や足先の細かい部分はすべて後で想像で描くそうだ。
 人間の体は美しいが、自然でなければその美しさは感じられない。 誰もがよく知っているからこそ、形、バランス、色などの不自然さは、観て快くないからちょっと首をかしげたくなる場合がある。 人物画の難しさだろう。 不自然さを生かしたピカソの絵もあるが・・・。

 今回は、Saさんの絵を中心に紹介します。 まず、1番好きだった、チューリップ。
                    

 葉っぱ、花とも、自然に、自由にのびのびと曲線を描いていて、良いな、と思った。 先生は葉の流れと、鉢を褒めてくださったそうだ。 鉢は全くの想像。

 次に、ハンチングの少女。 タイトルは「初夏」。 一緒に行ったAnさんは、「全体に、前より柔らかい感じの絵になったね。」と言われた。 私は、表情と肩、胸、それに洋服の色の陰影など生き生きした人物になっていると思った。
               

 最後に、1番苦労し、時間をかけたと言う「裸婦」。 顔の表情はいらないとの先生のアドバイスだそうだ。 手の指の関節など何度も修正して描いたとのこと。 写真でははっきりしないが、実物はもっと量感が表れている。
               

 そして、先生の絵を1点。 タイトルは”Layer"。 昨年もこのタイトルだった。 どんな意味でつけられるのだろう。
                     

 水曜日だったので、末広通りは人影もまばら。 開いているお店も少ない。 オーナーの戸口さんと、たまたま当番だったSaさん、一緒のAnさん、Yaさんとしばらく話す間に、何人かお客さんが入られた。
 戸口さんの話では、画廊は1日わずか2,000円の借り賃だそうだ。 絵や作品が売れれば1点いくらだが、まったく儲けなしで、発表の場、町の活性化のためのボランティアみたいなもんで、手出しが多いような話だった。 

 画廊を後にして、久しぶりに、samasamaへ行き、お茶をしてきた。

9/18(土)づけ「数独」

2010-09-21 | 日記・つぶやき
 A紙土曜日be版の楽しみに”beパズル”がある。 中でも「数独」は好きなもののひとつ。 ただ、私が解けるのは★4個までで、5個はお手上げ状態、いつも敬遠していた。 先月末、ようこ姫さんのブログに★5解決の記事が載り、それを頼りに、新聞の解き方ヒントも参考にして粘り、3日間かけて完成した時は嬉しかった。 以後★5の問題を心待ちにしていたが、なかった…。

 18日(土)、久しぶりに★5の問題が載った。 最近、土曜の午前は電話もかからないので、一通り新聞を読んだ後、少し頭の体操を、と取りかかったが、途中で二進も三進も進まなくなり、中止。 午後、お茶教室に行き、帰宅後、翌日の謡の暗記、袴のはき方の復習…などなどの合間に、また新聞を引っ張り出して午前中やってみたのは全て消し、やり直してみた。 途中で進まなくなった時は、それまでの答えが違っている、と言う、ようこ姫さんの言葉を思い出しながら。 そうこうしているうちに完成した。 たった1日で、バンザ~イ!!と嬉しくなる。

 翌19日(日)は一日中行事、もう新聞は片づけ、来週の答えを待つつもりだった。 解けただけで満足だったから。

 20日(月)夕方、MiTUのAさんから、メールが届き、次回の練習日に音とりのCDの注文をとってほしい、との依頼だった。 
 Aさんは、いつも新しい曲の各パートの音とりCDを作ってくださる。 どんなソフト(?)を使われるのか、私にはわからないが、各曲の各パートの楽譜を音源に変えるのだから、大変な作業だろうと、思う。 ピアノやキーボードのない者、あってもスラスラ弾けない者にとって、CDやカセットテープでの練習は欠かせない。 音を確かめながら練習でき、予習できるからだ。 アルトの面々は、「CDはまだかな」と心ひそかに待ちわびているのだ。

 メールの最後に、「数独」の答えが書いてあった。 片づけた新聞を広げてみたら、私の答えと同じ! 自信がついたので、遅まきながら載せます。 ボールペンで書きこんでいたので、問題は罫紙に改めて作りました(トップ写真)。 答えは、サムネイルで載せますので、拡大して見てください。 もう解いていた方は確かめを、新聞が違う方はお遊びにどうぞ。
                  

能楽をまなぼう「こども教室」

2010-09-20 | 能楽
 昨年のブログにも書いたが、今年も「三派能楽鑑賞大会」が、9/19(日)に、高岡文化ホールで開かれた。 宝生流、観世流、和泉流の3派合同能楽大会で、今年で24回目。
 毎年、最後のお能(今年の出し物は「山姥」)を観るのを楽しみにしているのだが、T中の同窓会と重なり観られなかった。 しかも、午前中は、素謡「胡蝶」の地に出ることになった。 この会での、蒼山会はいつも「無本」である。 暗記しなければならないのだ。 

 「胡蝶」は、春夏秋といろいろな花と戯れる蝶が、梅の花だけは、まだ生れぬ先に咲くので縁がない、と嘆き悲しむ。 そして、旅の僧の夢の中で、梅花に戯れ胡蝶の舞を舞う、と言う詩のような美しい曲である。 だが、覚えるのはやはり大変。 シテとワキ役が当たったSiさんとSuさんはとても緊張しておられた。  私も、地謡は大勢なので気楽とは言いながら、やはり1週間ほど毎日真剣に暗記に専念した。

 さて、同窓会は午後なので、せめて「こども教室」の子供たちの上達ぶりを観たいと客席に回った。 先生に撮影の許可をもらい、何枚か撮らせてもらう。 笛3名、太鼓3名、謡6名の、連調連管「鞍馬天狗」と「早笛」である。
 謡の山崎先生、笛の瀬賀先生、太鼓の上田先生が、5年ほど前から始められた「こども教室」の面々である。 毎年募集されるので、初めての子ども、継続している子どもが混じっているらしい。 「鞍馬天狗」も長いし、早笛も難しい手があるはずなのに、みんなとても上手で、掛け声も出ていて圧倒されそうだった。
                

                

                

 この後、仕舞も6番あったが、午後の行事に向けて帰宅した。 能、狂言については友だちの話を聞くしかない。

 砺波ロイヤルで開かれた同窓会。 ♪ だあれがせいとか せんせいか ♪とは幹事長のIさんのセリフだが、55歳の人達の集まりで、外見はあまり変わらなくなった。 5年ごとに開いている学年で、今年で8回目。 もう孫が5人、夫婦で二人暮らし、転職した、脱サラして自分で仕事を始めた、介護の仕事に復職した・・・など、さまざまな人生が語られた。 ちょうど、お盆の時に30歳の人達の同窓会に出席したが、この時は、結婚、子育て、仕事の苦労や頑張ってます、などと、初々しくまだ人生のスタートの雰囲気が感じられた。 それぞれが5年に1度の同窓会を続けており、5年後にも元気でいたらまた会いたいね、と言い合って別れたが…。
                       

「ふれあいの集い」

2010-09-18 | イベント
 名前は変わるが、「ふれあいの集い」は平米校下の「敬老の日」行事である。 平米公民館で、今年は9/17(金)に開かれた。 ここの「能楽お囃子の会」で、謡と太鼓を習っているので、やはり出番がある。 先生方3人も含め、総勢10名で、連調連管の「土蜘」を披露した。 

 8月の「薪能」で演じられたお能の曲だ。 独り武者が、土蜘蛛を退治せんと ♪ 組みかかりければ、蜘蛛の精霊 千條(ちすじ)の糸を繰りためて 投げかけ投げかけ白糸の 手足にまとはり五躰をつづめて♪ のところで、地謡の米島さんが白い紙の蜘蛛の糸をパッと投げられた(写真のないのが残念)。 最前列で見ていた、前の出番の中央保育園の園児たちから、「わァーッ!」と歓声が上がった。 私の太鼓の上にも白く細い糸が降りかかる。 それをものともせず打っていると、なぜか興奮気味になるから不思議。

 他に、民踊、手品、大正琴、剣詩舞…など。 平米小学生の合唱、校下の保育園児の遊戯と音遊、介護についての寸劇があるのが、ここの特徴だ。 
 寸劇を紹介したかったが、用事があり見られなかった。 下は、大正琴演奏と剣詩舞。
               

               

 剣詩舞のTaさんは、以前詩吟をやっていた時の知り合い、今年の4月からここで教室を開いたのだそうだ。 観客の中にも、私の町内の方がおられ、デー・サービスに通っているホームがここの校下なので、招待があるのだそうだ。 他にも何人か珍しい方達とお会いできた。
 出演者にも、「長寿万歳」のガーゼ手ぬぐい(トップ写真)とシャトレーゼの蒸し饅頭が配られた。

 私の校下の「敬老のつどい」は、20日(月)、高岡市社会福祉会館で開かれる。 プログラムは: 
 災害に備えて 炊き出し演習(うどん調理・試食(チャリティ)
 アマチュア・ボランティア劇団「微笑美会(ほほえみの会)」による歌、踊り
 
など。 

 これも面白そうだ。 ここでは、私は招待される側。 だが、まだ遠慮しておくつもり。 15日には早々と、町内から「諸江屋の和菓子」、校下の社会福祉協議会から「衣類に貼るカイロ」のお祝い品が、班の理事の方や、福祉活動員の方から各家庭へ届けられた。 
                

 70歳以上が対象らしい。 社会福祉協議会からは「高齢者のみなさんへ」と丁寧な招待状つきだった。 聞くところによれば、この年齢は自治体により異なるようだ。 

本「母~オモニ」

2010-09-17 | 

 姜尚中(カン・サンジュン)さんについてそんなに知っているわけではない。 テレビの「日曜美術館」の案内役、なんかの討論会のコメンテータ、A紙の論壇などで、それぞれ数回見て顔を知っている程度だ。
 本は、ヒマジンさんに紹介されて、「悩む力」を読んだ。 姜さんは、
「本書では、誰にでも具わっている『悩む力』にこそ、生きる意味への意志が宿っていることを、文豪・夏目漱石と社会学者・マックス・ウエーバーを手がかりに考えてみたい」と書いておられた。 だが、私には、それ以上に、姜さん自身の生い立ち、お母さんへの思いの部分が、強く印象に残った。

 そして、新聞の読書欄で、この「母・オモニ」を知り、市立図書館に予約した。 いつものように忘れた頃に、本が届いた。
 
 
姜尚中:1950年生まれ。 早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。 東京大学大学院情報学環教授。 専攻は、政治学・政治思想史。 と巻末に書いてある。

 これは、姜さんの初の小説だそうだ。 ヒロインは、5年前に80歳で逝った母(オモニ)…。 著者は、「在日1世」の苦難を書き残し、一人の女性としてよみがえらせたかった」そうである。

 母、禹順南(ウ・スンナム)(日本名 永野春子)は、韓国、釜山の西方、鎮海(チゲ)市の生まれ。 そこは桜の名所で、韓国併合後は軍港都市として栄えた。 そして、市内の一角、慶和洞は朝鮮人の強制移住先だった。 1男4女の長女で、両親の寵愛を受け、習俗や祭儀のやり方、先祖を敬う気持ちを教えられたが、女に教育は不要と、学校へは通えなかった。
 「字ば知らんと ほんなこつ哀れなもんたい。 なあ~もわからんけん、人から馬鹿にされ、損ばするだけたい。 オモニが字ば知っとったら、大きな会社の社長さんになっとったばい。 せめて、小学校でも出てればよかったのにね。」と、いつも嘆いていた。

 16歳で、日本で働いていた父、姜大禹(カン・デウ)と結婚し、日本へ渡る。 東京で暮らすが、まもなく戦争が始まり、言葉もわからぬまま物資不足の中で苦労を重ね、東京大空襲。 終戦後、夫の弟を頼り熊本へ。
 朝鮮戦争で朝鮮半島は38度線で南北に分断された。そして、日本と国交が回復したのは、南の大韓民国であった。植民地時代に日本に渡って来た朝鮮人が母国の土を踏むには韓国籍をとるしかなかった。 在日朝鮮人たちは、チョーセンと呼ばれる差別から逃れるために、民族名を隠し、日本名を名乗った。 永野鉄男が姜尚中の日本名である。
 
 戦争で溢れる廃材を転売しようと思いついた廃品回収の仕事が、ようやく軌道に乗り、有限会社永野商店になり、3男の永野鉄男は東京に出て大学に行く。
 在日朝鮮人はどのようにして日本に定住するようになったのか、そして、どんな暮らしをしてきたのか。 これは、一つの在日家族の物語かもしれないが、日本が朝鮮半島を植民地にしたことが、彼らに、そして日本人にどんな問題を引き起こしたのかが、よくわかる。

 事実とフィクションが混じっているのだろうが、熊本の朝鮮人地区が舞台なので、話は熊本弁で進み、熊本弁の一言、一言の言葉が胸を打つ。
 姜さんのドイツ留学中と、オモニが亡くなる数年前に、字が書けないから、とテープに録音した「声のたより」が2本残されており、息子に語りかけるその熊本弁に母の思いが込められている。
 
 「母の記憶をたどることが、文字を知っている私に、文字を知らない母から託された遺言のように思えてならない。」 との言葉通り、「在日」から逃れ、オモニを避けた時期もあった姜さんの母への思いに溢れている。 また、「姜尚中」を名乗る決意をする場面にも、心を打たれた。

 会話が多く、読みやすい文体。 集英社発行。 296ページ。 1260円。


「敬老のつどい」

2010-09-16 | イベント
 昔は、9月15日が「敬老の日」だった。 今はどう言う設定になったか、今年は20日(月)。 でも、東部老人福祉センターの「敬老のつどい」は9/15。 野村公民館で練習している「いわせのコーラス」は、毎年その日のつどいで、合唱を披露する。

 大広間にたくさん集まっておられ、廊下ホールには、日ごろの教室の作品が展示してあり、布で作った花や人形、絵手紙、陶器などなど。 美しい作品がずらっと並んでいる。
          

 私達の今年のプログラムは、「おさななじみ」、「大きな古時計」、「千の風」、「世界は二人のために」の四曲、アンコールとして「ふるさと」を全員で歌った。
 歌う直前に、新聞の切り抜きコピーが渡され、「急だけど、ここに書いてある歌を、♪もしもしカメよ♪の節で歌ってもらえないか」と言われた。 練習する暇もなく、初見で歌うことになった。
  K新聞をとっておられる方はご存知かもしれない。 名前は忘れたが、オリジナルで短歌や詩を作った方がおられ、紹介してあったそうだ。 その方が、♪もしもしカメよ♪のメロディに合わせて老人ホームなどで歌ってください、と記事の中で話しておられ、それを見たセンターの方か民生委員の方がコピーして、私達に頼まれたらしい。

 歌いやすく、内容も、同感、納得なので、紹介します。

 1、 年をとるってどんなこと   忘れっぽいと言うけれど
    いっぱいつまった知恵の箱   出すのにちょっと迷うだけ

 2、 年をとるってどんなこと   耳は遠いし眼もわるい
    あらゆるものをキャッチして   私を育てた疲れです

 3、 年をとるってどんなこと   腰が曲がると言うけれど
    お世話になった人々に   感謝感謝の姿です 

 ぜひ、声を出して歌ってみてください。 
 終わったのが正午過ぎ、久しぶりにゲタ姫さん、Yaさんとランチを、と言うプランだったが、水曜日のこととて、行けば「定休日」の看板で3軒振られ、市役所前の「ブリック」へ入った。 ここは、定休日は日曜と祭日、第4土曜だそうだ。

 ウイークリー・ランチメニューの「和風プレート」を注文した。 プレートに盛ってあり、給食のイメージ。 
      左上:寄せ豆腐  上中央:鮭のキャべじゃが蒸し  右上:ごぼうのから揚げ
      左下:ごはん    右下:小イカのサラダ
      ナスの味噌汁をつけて、780円。 プラス120円でコーヒーがつく。 これで十分満腹だった。 
             

 帰宅すると、町内の自治会、博労校下の社会福祉協議会から、敬老のお祝い品を持って来られた。 敬老したり、されたりで、なんか複雑。 続きはまた次回に。
 

PC教室~PCあれこれ

2010-09-15 | 日記・つぶやき
 最近、パソコンを買い替えた友人が二人。 新たにパソコンを始めようか、と迷っている友人、機械は持っているけど文書作りだけに使っていてそろそろインターネットを始めようという友人、周りにいろんな友人がいる。 

 最初、1か月ほど前にノートパソコンに買い替えたが、WINDOWS・のワードもエクセルもサッパリわからんと嘆いていたSaさんに、思いつきで、「あかね」のOさんに来てもらい勉強会をしよう、と声をかけた。 Oさんと連絡をとり、”13日(月)午後、我が家で”、と設定する。 
 次に、山中温泉行きで、車に乗せていただいたMiTUのKiさんに、勉強会の話をしたら、私も教えてほしい、と言われ、急きょ生徒が3人になった。 SaさんとKiさんは「歩こう会」でお知り合いだ。

 さて、お盆に息子が来て以来、お客のなかった我が家。 息子の寝具、蒼山会で着た絽の着物と袴が和室いっぱいに広げたまま。 片付けと掃除、隣の居間やトイレも掃除、そして前庭の草ぼうぼうの始末・・・など、久しぶりのお客はいいもので、家の中が少し片付き、前庭もちょっとはスッキリした。
 朝、玄関の花を生けかえ、パソコン4台置けるよう小さなテーブルを出し、切らしていたコーヒーを近くの「トワイス」に買いに行く。 さあ、準備OKだ。

 早めに来られた先生のOさんに、私は買い換えた「筆王」ソフトに前の住所録を入れる方法を聞き、セットアップをしてもらった。
 Saさんは、所属しいる英会話教室の会員名簿と会計帳簿の作り方、Kiさんは元の職場の方との集まりの返信はがきを作成、プリンタ持参で来られ、バッチリ印刷まで完了された。

 ここで、お二人のお土産(先生へのお礼の気持ちも込め)を紹介します。
Saさんからは、近所にオープンしたお店のナン。 焼きたてのアツアツだ。 すぐにもちぎって食べたいほど。 翌日、カレーを作っていただいた。
               

 Kiさんからは、新鮮なイチジク。 近くの実家でお兄さんが栽培しておられるそうだ。 朝、お兄さんと摘んで来られ、しばらく熟させてから食べると美味しい、と。 先日、山中へ行った時に、よく冷やし食べやすく切ったのをいただき、アッと言う間に無くなるほど美味しかったのだ。 それをこんなにたくさん、畑のが全部なくなったのではないかしら。
              
 
 時々「あかね」のブログでも登場していただくOさん、あちこちから質問攻めになりながら、どんな質問にも面倒がらずに、繰り返し答えられ、Kiさんの新機種のプリンタも何度も何度も試しながら印刷までこぎつけてくださり、二人とも感謝感激だった。 もちろん私も。
 前にも書いたが、Oさんは小学校でパソコンを教えておられ、パワーポイントを使って説明した後、子どもたちの質問を受けるそうだ。 「先生、先生」と四方から洋服を引っ張られる。 教えることが大好き、とのこと。 

 お家へ帰られてから、楽しかった、ありがとう、とメールが届いた。 教えてもらい、喜ばれて恐縮する。 
 メールには、こんな写真が。 さて、何でしょう? エジプトかインドネシアか、それとも南米?と思いきや、千里浜ドライブで見つけた砂の像だそうだ。 こんな細かい細工、どうして固めるのだろう。
                 
             
                  

               

鶴仙渓(かくせんけい)と芭蕉祭(ばしょうさい)

2010-09-14 | 旅行
 
 「あやとり橋」、これは、1991年、草月流家元の勅使河原宏氏のデザインで造られた。 赤紫色、長さ80m、S字型の橋。 下から見ると、ジェットコースターみたいだ。 「あやとり」は日本の遊びの名に由来するが、近くの道明ヶ淵に棲んでいたと言う龍の天翔ける姿にも見えるとのこと。 いろいろな角度からカメラを向けると、素晴らしい映像美が生まれること請け合いだ。
                  

 
 橋のたもとに「芭蕉祭」の看板があり、「振る舞い抹茶(無料)」と書いてある。 これは頂戴しないと、と意見が一致し川床へ降りた。 旅館の「女将の会」のおかみさん達でお点前をしておられる。 一服ずついただいていたら、地方のケーブルTVのスタッフにカメラを向けられインタビューを受けてしまった。 地方だけにしか映らないから、とか言われて…。 
                

              

 私も、女将さんにカメラに収まっていただく。 9/10~18の間、「芭蕉祭」の間、女将の会で抹茶席を設けるのだそうだ。 
                    

 芭蕉は、「奥の細道」の中で、山中温泉が名湯であると詠い、景色を愛でている。 8泊9日間も長期滞在しており、その期間を芭蕉祭とし、「全国俳句大会」など様々な催しが開かれるらしい。 芭蕉の他にも文人たちが訪れ、句を残していて、あちこちに句碑が建てられている。

 芭蕉の句は:
          やまなかや 菊はたおらじ 湯のにほい
         漁火に 河鹿や波の 下むせび
         今日よりは 書付消さん 笠の露
         湯の名残 今宵は肌の 寒からむ 

 
この抹茶席の少し上流の川床に席を設け、道場六三郎レシピの新スイーツがいただける。 棒茶付きで500円。 タダの抹茶をいただいた後なので、横目で見ながら、「鶴仙渓」の遊歩道を歩いた。
 芭蕉堂、芭蕉の館、山中座、総湯など、まだまだ名所はたくさんあり、今度ゆっくりしたいと思った。 むか~し、来た時のイメージとずいぶん違っていた。

 帰途、山代で、昨年も訪れた「魯山人寓居跡・いろは草庵」にも、立ち寄り、高岡へ。 

                       

 Kiさんの車の助手席に座り、カーナビの便利さにつくづく感心した。

湯快リゾート「山中温泉」

2010-09-13 | 旅行
 7月に、MiTUのコンサートが終わり、暑い夏が始まった。 お盆、薪能、蒼山会、と立て続けの忙しさだった。 コンサート後の懇親会で、初めての一泊旅行が提案され、楽しみにしていた。 アルトの何人かは、ハイキングクラブからの石動山(せきどうさん)を断念して参加を決めた。 金土だったせいもあり、男性8人、女性8人の参加だった。 もちろん先生も。 
 9/10(金)午後、何台かの車に分乗して、山中温泉、湯快リゾート「大黒せせらぎ亭」へ(トップ写真はホテル玄関)。 湯快リゾートは、昨年粟津温泉、今冬下呂温泉で経験ずみだが、ここは初めてだ。 メール会員の特別割引で、6,950円。 女性8人は、13,4人用の大部屋。 いつものように布団を敷いてあるが、空きスペースが広く、十分くつろげる。
 夕食はバイキング、その後カラオケサロン(歌の好きな人ばかりで次々とソロやら、デュエットやら)、部屋でまた、1時頃まで懇親会。

 朝食後、解散。 Ki車の4人で、こおろぎ橋へ行こうと言うプランが浮上した。 新婚旅行が山中温泉と言う者もおり(年代がわかります)…。  橋の手前の「岩不動」の横に芭蕉の句碑がある。
 かがり火に 河鹿や波の 下むせび    

 もちろん、すぐ読めたわけではない。 4人でああだこうだと言い合い、パンフを見てようやく解決した次第。 芭蕉は、山中温泉に9日間滞在し、何句も作っており、句碑が多いとのこと。 
 
 こおろぎ(蟋蟀)の名は、「行路危~行路が危なかった」から来ているとも、秋の夜長に鳴くこおろぎの名所だからとも、言われている。 総ヒノキ造りで、江戸時代からある橋、平成2年に架け替えられた。 下の流れは大聖寺川、奇岩が列をなし、橋の下は深い淵になっている。          
             

                             

                                 

 川に沿って「鶴仙渓(かくせんけい)」遊歩道が作られており、川の流れ、木々の緑を楽しみながら1・3キロの道を散策できる。      
                                          

  いいウオーキングコースだが、ちょうど正午近く、日差しは汗ばむほどだ。 車に戻り、温泉街を通り抜け、次の「あやとり橋」へ向かった。

「大仏」様と「9条の心」を語ろう~’10

2010-09-12 | イベント
 昨年の9月9日、娘の中学校時代の後輩が、この会でお話をされる、と言うので、夕涼みがてら聴きに行った。 ライトアップされた「高岡大仏」と行灯の光の中で、平和と九条の意味と大切さを考える雰囲気が気に入り、今年も出かけた。

 今年は、ニューヨークでのNPT国際行動に参加された福井礼子さんが、語り手だった。 NPTとは、Nuclear Non-Proliferation Treaty~核不拡散条約のこと。 と言われても詳しいことは知らなかった。 後で、調べてみると…

 「この条約は、核兵器廃絶を目的として、1963年に国連で採択され、1968年に62カ国により調印が行われ、1970年に発効した。 採択・発効後も加盟国は増加し、今は締結国は190か国である。 米国・ロシア・イギリス・中国・フランスの5カ国以外の国の核保有を禁じ、保有国は他国への譲渡禁止、核軍縮のための交渉を行う義務がある、とする内容だ。 そして、1995年以降は、5年ごとに再検討会議がある。」

 
今年は、5年ごとの再検討会議が5/3からニューヨークで開かれた。 それに向けて核兵器廃絶をアピールする国際活動が行われ、福井さんはその行動に参加されたのだ。 5月頃には、そのニュースは読んでいるのだが、それっきりで、富山県から誰が参加されたかなど、まったく知らなかった。 魚津からニューヨークまで出かけられた方が福井さんだったのだ。  
 白の涼しげなスーツを着こなし、第一印象は、さすが活動家と言うイメージだが、口を開くと富山弁(魚津弁?)で、近所のおばちゃん(失礼)のよう。 最初、ニューヨーク、タイムズ・スクエアから国連ハマーショルド広場までの手書き地図を広げ、世界から集まった1万人のパレードの様子、国連前でNPT議長と国連軍縮代表に日本からの署名を提出した時の興奮、等々を気さくな言葉で語られた。

              

 そして、ニューヨークへの出発までの地域や家族の事情も。 氷見出身の方で、お母さんが弟さん夫婦と氷見におられる。 話の初めに・・・。
 今日の話の前に、氷見の義妹さんたちに「練習するから聞いてね」とお願いし話してみた。 結果は「難しくて、なぁ~んわからん。」だった。 お母さんが、「毎日目先の生活に忙しくて、平和だ、と言うことさえ考えない毎日だから・・・」と言われた。 そして、戦争当時は、毎日戦争のことばかり、どうなるのだろう、と思わない日はなかった、と。
 平和ボケ、と言われるように、毎日周りの小さなことにクヨクヨしたり、喜んだり、で満足して暮らしているのは私も同じ。 この機会にNPTについて少しでもわかっただけ、進歩としよう。
               

 両脇に、「輝け九条」の幟がはためき、いくつもの「平和な未来」の行灯が足元を照らしていた。 最後に、地域での署名活動のことで、私としてはちょっとショックな話があり、触れておく。

 福井さんは、魚津から4,047筆の署名を届けられたそうだが、最初3,000名が目標だった。
後200名までこぎ着けた時、中学生に頼もう、と思いついた。 家が学校のすぐ前と言うこともあり、10日間と日を決め、毎朝登校時に自宅前を通る中学生達に呼びかけたそうだ。 「核廃絶の署名をニューヨーク国連へ届けます。 署名をお願いします。」と手紙を書き、署名用紙と、福井礼子宛の封筒を手渡した。 
 そしたら、福井礼子って誰だ、住所もない、と学校からクレームがつき、自宅前に投函用のポストまで作った。 登校指導の若い先生が、
3・1ビキニデーに参加した時の第五福竜丸のポスターを見て、「このマグロの写真、何ですか」と聞くので説明したりもした。 しかし、10日後1通の署名用紙も届かなかったそうだ。 さもありなん、今でもやはり!と言うのが、私の正直な感想。 学校内でどんな会話が交わされたか、わからないが、何か想像がつく。 福井さんは、ただ、「先生方がほんの一押ししてくださったら…」と仰っただけ(講演後)だったが。 もし、生徒が先生に相談したら、せめて、「自分で考えて決めなさい」とか、「自分の自由な意志で」とアドバイスして、NPTの説明くらいすればいいのに。 


漢字「戻」は、大? 犬?

2010-09-09 | 日記・つぶやき

 カーブス1年目にも係わらず、6,7,8月は行事が何かと多く、猛暑のせいもあり、サボりがち。 そのためか、解消したはずのメタボの悩みは早くも元へ戻ってしまった。
 カーブスのスタッフは皆さん達筆ぞろい。 キャンペーンや機械の説明、メンバーからのお便りなどが、壁にマジックであるいは毛筆で、書かれている。

 1か月ほど前、筋トレのマシンを使う時の呼吸法の説明が、紙に書かれ、マシンの横に張り出された。 たとえば、「押しながら吐く」、「引きながら吸う」などである。 
 そして「戻る」と言う漢字が話題になった。 「戸」の中が「大」「犬」かだ。 スタッフのTeさんに聞かれて、私は空中に字を書いてみて、「’点’をつけるよ」と即答した。 ところが、彼女も、「点」をつけて書いたら間違いだったと言うのだ。 「はつけていたよ。 今もどちらでもいいんじゃない?」といい加減な私。

 帰宅後、電子辞書の「広辞苑」で調べて驚いた。 ’点’はない。 「大」である。 元々は「中にを閉じ込める」と言う意味だったらしいのだが。 でもいつから?

 先日、お茶教室の始業式の日、皆に聞いてみた。 全員が「犬」組だった。 でも、小学生の孫と同居のKaさんは、今は「大」だと知っておられた。 いつ頃、改定されたのだろう? お茶教室の生徒は全員が終戦前の生まれ。 昭和20年代が小学生だ。 
 漢字はどんどん変わっているので、年齢がわかりイヤと言う方もおられようが、皆さんが習った頃はいかがでしたか? (写真は後で載せます。)