Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

ニースの娘夫婦

2015-12-29 | 日記・つぶやき

 12/29(火)、思いの外暖かい日で助かる。今日しなければならないことを書きだし、リストを作る。床の間の正月飾り、玄関飾り、花、息子宅への荷物作り、クロネコへ、手荷物作り、JR券を取りに行く、配布物の残りを完了させる…などなど。
 予想外に時間をとったのがJR券の受け取り。いつもはJTBで買うが、パソコンで「えきネット」で買えるからラクチンと思っていた。ところが駅の「みどりの窓口」で発券してもらわなければならない。それも簡単と思っていた。ところが、年暮れ。たくさんの乗降客の送迎の車で新高岡駅周辺は満員なのだ。駐車場はもちろん、通路も満員。高岡駅のみどりの窓口へ行けばよかったかも。サンコーや100満ボルトで用事をしてまた行くなどして、何度か行きやっと北口駐車場が「空」マークで入れた。

 明日から1/3(日)までお休みします。今日は娘夫婦が送ってくれたニースの写真を紹介します。2人は今はブリストル。クリスマスもブリストルでした。

 ↓は、大聖堂。コンサートを聴きに行ったそうです。        

 ↓ 大聖堂の中。

          

 ↓ ここは?公園かな?右端は娘。           

 ↓は、拡大したらボケましたが、マークが公園で遊んでいる?ペタンク?

              

     

   

 ↓は、ニースで描いた絵の数々です。左がインクで「過去と未来」 右は「港の生活」

 

 ↓ 左が水彩で「港の家々」  右は油彩で「古いイタリアの街」。

   

    

 では、皆さま、よいお年をお迎えください。


本「くらら咲くころに」

2015-12-28 | 

 山のように貯まった仕事に優先順位をつけ、後2日間を高岡で過ごし、30日に千葉へ発とうと思っています。ジパングは使えなくて、飛行機が安いそうだからチケット代は同額? 空港までマイカーか、新高岡駅までタクシーか?などと悩んでいたら、息子いわく「そんなことで悩まんでもラクな方にしられ。」
 美容院へ髪染めに行き、その話をしたら美容師さんいわく「ジパング止めようと思う。使いたい時は使えんし、団体にも使えんし。ネットでJR券を割引で買えるらしいよ。」 フ~ン、良いこと聞いたと、昨夜調べたら「えきネット」に登録すると10%引きだそうな。カード引き落とし。さっそく申し込んだ。 さぁ、これで行きも帰りも決まりだ。千葉の友人によれば、千葉も寒いと言う。息子宅でも最低限の掃除だけして、のんびり料理をして、静かに過ごし帰って来よう、と思っている。

 さて、だいぶ前に読んだ本の紹介をします。この本は、かなり前になはさんからお借りしました。

 「くらら咲くころに」~童謡詩人 多胡羊歯 魂への旅」  向井嘉之著  梧桐書院

 くらら(苦参)とは、マメ科クララ属の多年草です。↓ 右はウイッキの写真から。

     

 童謡詩人、多胡羊歯(たごようし)さん(1900~1972)は、氷見市胡桃(くるみ)の出身である。富山師範学校を卒業し小学校の先生になるが、鈴木三重吉の「赤い鳥」と出会い、北原白秋を知り童謡を書き始める。

 ↓は、初めて「赤い鳥」に入選した「きんぽうげ」の詩。

 背戸の小路のきんぽうげは、
 小路へ店を出していた。
 つくつくつのを出していた、
 角に 金平糖、つけていた、
 つけて坊やに売っていた、
 坊やはそれを 買わなんだ。

 ↓は、推奨に選ばれた「祭人(まつりど)」の詩。

 障子の破れ(やれ)から
 ちらっと見たら、
 父さんとお客さんと
 お話してた。
 父さんみたいに
 蒲髭はやし、
 何か言ひ言ひ
 あはヽと笑ろた。
 祭のはやしは
 遠のいていくし、
 出るのが恥づかし
 こっそり見てた。

 両方とも大正時代の作である。
 この後、日本は戦争に入り、多胡は国策同調詩を書くことになる。

 必達が来る、お上から。「○日までに飛行機 ○台送れ」と… で始まる「必達」。

 もう一つの国策同調詩「かなかな」。

 かなかなが啼いている、かなかなが、
 夕やけの森の梢の
 あちらで啼いている、
 こちらで啼いている。

 押釦、押して信号、
 「決勝」 「決勝」 「決勝」 「決勝」と啼いている。

 敵が間近に
 「来た!」 「来た!」 「来た!」 「来た!」と啼いている。

 同胞の血を
 「流した」 「流した」 「流した」 「流した」 と啼いている。

 これでよいのか、
 「よいのか?」 「よいのか?」 「よいのか?」 「よいのか?」 と啼いている。

 かなかなが啼いている、かなかなが、
 夕やけの森の梢の、
 どこでも啼いてる、
 火がつくように啼いている、。

 氷見の山間の小学校で、国策にそって少国民教育の先頭に立っていた多胡の心は押しつぶされるようだった。
 ↓は、昭和21年5月の詩「うたの神さま」。 戦前の教育から戦後教育へ教師としての価値観の転換を迫られた多胡の戸惑いが伝わる。

 思うこと 言っては いけません、
 馬車馬 みたいに 働けと。

 見たこと 言っても いけません、
 脇見を せずに 働けと。

 聞いたこと 言っては いけません、
 耳をふさいで働けと。

 手枷、足枷、轡はめ、
 ただまっしぐらに働いた。

 ほんとうを知らせず、知りもせず、
 ただ黙々と働いた。

 嘘つくことだけ、うまくなり、
 うたの神さま遠のいた。
 ---戦争なんか、まっぴらだ、
 思ひだすさへ、まっぴらだ。

 彼は氷見市内の小学校の校長だったが、あるできごとをきっかけに職を退くこととなる。が、昭和30年代に再び童謡復活の日がやってきて、意欲的に詩作に励んだようだ。

 昭和39年の、あの有名の胡桃地区の地滑り。家は全壊し、「死の村」とまで報道された。詩作の原点だった故郷を失うことはさぞつらいことだったろう。その後、新築した家で家族と暮し、72歳で亡くなっている。
 昭和57年、氷見市朝日本町の上日寺境内に、多胡羊歯を偲び、「くらら咲くころ」の詩碑が建てられたそうだ。

 詩、そのものの紹介が一番と思い、いくつか抜粋した。詩も短歌も俳句も、すべて門外漢なので、自分の好みで取り上げた。短い言葉の持つ、大きな力に今更ながら驚いている。


圧倒された「王女メディア」

2015-12-26 | 映画・テレビ・演劇・芸能

 12日(土)金沢でお能を見た後、暖かい日だったので金沢城公園の「玉泉院丸庭園」のライトアップを見がてら広坂辺りをぶらついた。駅百番街の「不室屋」で夕食をとりいい気分で帰って来たのだが…。今から思うと、これが引き金?翌日ちょっと背中がすかすかするなと思いつつ、洗髪したかったので入浴した。これが決めて。14日(月)風邪かな?と思いながら買い物に、15日(火)予約の眼科へなどなど…用事が続き、18日(金)にようやく病院へ行った。その後せっせと薬を飲んでいるが、咳が止まらず体力を消耗する。

 自然治癒はもう私には無理、と悟ったのはいつだったか? それをすっかり忘れていた… 。24日(木)のボランティア「あかね」も、平米公民館のお稽古納めも休むことになり、気分は憂鬱。 でも、昨日25日(金)は、下関小のふれあい活動(配布物の仕分け)に行って来た。 そこで会ったSAさんから、「その後どう? ブログずっとお休みだし…」と心配そうに聞かれた。あかねのOさんからは、市長さんを迎えて「市民と市政 1月号」の録音をすませたことと、新年会の予定を知らせる電話が入った。 皆さんにご心配いただき、ありがとうございます。

 書きさしになっていた演劇「王女メディア」を紹介します。

 幹の会+リリックプロデュース、主演の平幹二郎さんは37年前に初演しているそうだ。現在82歳。トップのポスターに「一世一代 ふたたび」とあるのは、再演を熱望する声に後押しされ、一世一代の舞台が蘇ったと言うことである。当日、運営サークルだった私たち義妹、SUさんは「変更受付」の係だったが、砺波の人はもちろん、白山市、金沢市からの観客が多かったのは、地方でこの名優の名演が見られる幸運を逃したくないと言う思いからだろう。

 会員の中に、富山大芸術文化学部準教授の深谷先生がおられ、事前学習会が持たれた。私は出席できなかったが、レジメをもらい説明を聞いた。ギリシャ悲劇の三大詩人の一人、エウリピデスの作品。女性を主人公にした作品が多く、感情表現をするための長ゼリフが多いそうだ。

 ギリシャ悲劇の特徴として、① コロスと言う合唱隊が、物語の解説、進行を務める。群読のように声をそろえる。 ② 韻をふんだ音楽的なセリフ。 ③ 木や紙などの仮面をつける。男優が女性役も務める。日本の歌舞伎と似ている。 ④ 1万人から1万5千人が入る大きな劇場で演じた。
 劇場が大きく表情が見えないため仮面をつけたそうだが、高岡文化ホール800人ホール、しかも私たちの席は前から2番目。が、義妹もSIちゃんもオペラグラス持参で熱心に鑑賞していた。もう圧倒されっぱなしで、終わるとため息。

 ストーリーは複雑だが、簡単に言えば「男の浮気と女の復讐」、今だに、週刊誌を賑わすような話である。女が我が子を殺すまでの心の葛藤をどう演ずるか、観る者がどう解釈するか、そこが見せ所。
 ↓は、メディア(左)、乳母(奥)、コロス(町の女たち・右)、舞台の最初。(公式サイトに舞台写真がいくつもアップされていたのでお借りしました。)

  かつて…黒海沿岸の国コルキスの王女メディアは、ギリシアのイオルコスからやって来たイアーソンと恋に落ちた。イアーソンが金羊毛を手に入れるため、力を貸したメディアは父も故郷もすてて、共にイオルコスへと向かった。そしてイアーソンから王位を奪った領主を殺害し、コリントスへと逃れてきた。(この辺りまで乳母の語りで進む)

 けれども今…イアーソンは保身のため、コリントスの国王クレオンの娘を妻に迎えることを決めてしまった。クレオンはメディアとその二人の息子に国外退去を命令する。不実をなじるメディアに、イアーソンは子どもたちの将来のためを思って新しい縁組を承知したと言い張り、挙げ句の果てに「おまえは悪女だ」と言い募る。

 『さあ、まっすぐに怖ろしいことへつき進もう・・・女と生まれた身ではないか。善いことにかけてはまったくの力なし、けれども、悪いことにかけてなら、何をやらせてもこの上ない上手と言われる、女と生まれたこの身ではないか』 自らの運命を嘆き、呪い、そしてメディアは、復讐を決意する。その復讐とは、国王と娘を毒を盛って殺し、二人の我が子をも手にかけるというものだった。

『この私をかよわい女、いくじのない女だと、誰に思わせておくものか──』 

 ↑ イアソンは、山口馬木也。

 

 

  息子たちは人形なのだが、黒子のような人形遣いの2人が分身のよう。子への愛情、ただ夫と子のために尽くして来たのにと嘆き、怒るメディアの姿は、古代ギリシャも今も変わらない。哀れでありながら激しく、恐ろしい女との印象も残る。平幹二郎自身はインタビューで、こう語っていた。
 「これまでも、この作品でエウリピデスが何を訴えたいか、ずっと考えながら演じてきた。メディアがあまりにも激しすぎるので、いつも答えがないんです。だけど、今年ふと、世界情勢を見渡して、エウリピデスが言いたかったかどうかは分からないけれど、僕は『赦し』がテーマじゃないかと感じた。どこの国との関係でもそうですけど、人間はどこかで何かを赦さないと、こういう悲劇を生んでしまう」

 ↓は、立川会場での、舞台の動画と、カーテンコールの様子です。上手く出ますかどうか?カーテンコールの最後、平さんの笑顔が素敵ですよ。

 https://www.youtube.com/watch?v=2uZbaRztbq4&feature=player_embedded#t=0

 https://www.youtube.com/watch?v=U6KapTdlh80&feature=player_embedded#t=0

 圧倒されっぱなしで、最終シーンの龍に乗って立ち去る場面が記憶にないほどでした。また、我々女性は古今東西変わらぬと思われる彼女の苦悩を理解できるとして、観客の男性諸君はどんな感想を持たれたかいつか聞いてみたいもの。

 


加賀宝生 × 京金剛~夢の競演~

2015-12-21 | 能楽

 師走も残すところ10日ばかり、年末年始の準備も頭のどこかにちらつく頃となりました。クリスマスカードも早めに発送し、後は年賀状、最低限度の大掃除、そして正月飾りをすませて…千葉でお正月をと思っています。その正月飾りに欠かせない床の間の「天神様」。今日はその道真様のお能についてお話しします。

 菅原道真は平安前期の貴族で学者、私達には、「学問の神様」として親しまれています(宇多天皇に仕え、文章博士、蔵人頭、参議などを歴任したそうです)。が、藤原時平の讒言により大宰府に左遷され、同地で死亡。死後都ではさまざまな天変地異が起こったため、北野天満宮に祀られ、天満神として崇められることになりました。

 この物語を基にして作られたお能が「雷電」です。つまり、道真の怨霊が雷神になって宮中を暴れ回る、と言う筋立てです。が、宝生流では、大後援者である、加賀前田家が道真の子孫であると称していることから、話の後半を改作した「来殿」と言う能を演ずるようになり、「雷電」を廃曲としました。すなわち、道真の怨霊が、神号の授与を喜び、舞を舞うという穏やかなストーリーです。2,3年前の、高岡・瑞龍寺燭光能でも、「来殿」が奉納されています。

 一方、金剛流では、観世、喜多、金春流と同じように、「雷電」を演じますが、ある時宝生の「来殿」と同じ筋立ての「妻戸(つまど)」を正式演目にして、「雷電」を廃曲にした時期がありました(今は両方を演じるそうです)。 

 さて、↑のポスターは、12/12(土)、金沢・石川県立能楽堂で行われた「加賀宝生 × 京金剛 ~夢の競演~」のものです。 
 ”ともに二十代の若い才能あふれる能楽師が、いま手を携え、能の未来を切り拓こうとしている。
宝生流二十世宗家 宝生和英、金剛流二十七世若宗家 金剛龍謹が石川県立能楽堂でタッグを組む「合同演能会」が開催されます。”

 とPRされていますが、この日の催しは、金剛と宝生がわざと演目を取り替えて演ずるような面白みのある舞台でした。若きホープだからこそできる試みで、私たちはそれを充分に堪能させてもらいまし。

 〈能のあらすじ〉 比叡山の僧、法性坊は菅原道真の師であった。天下のため護摩供養をしていると道真の霊があらわれ「自分は冤罪で左遷され死にいたったので、雷となって内裏に行き恨みをはらそうと思う」と述べる。そして「朝廷は悪霊退散のために法性坊を招くだろうが、もし呼ばれても参り給うな」と願う。法性坊は「比叡山は天皇の祈願所であるため、三度勅使が来たら断れない」と答える。それを聞いた道真の霊は、本尊の前に供えてあったざくろを噛み砕き、寺の戸に吐きかけると扉は燃えあがった。法性坊が法力で消し止めると、道真の霊は走り去る。(ここまでが前段)

 (妻戸):後段は通夜して待つ僧正の前に、天満天神となった道真の神霊が現れ、神号授与の君恩を喜び舞い、北野に降臨して天長地久の世を守ることを誓う。
 (
雷電):後段は内裏で雷となった道真の霊が暴れまわり、法性坊の法力と対決する。最後は朝廷から「天神」の神号をおくられ、礼を述べて黒雲に乗り立ち去る。

 ストーリーの違い、演者の違い(シテ方、ワキ方、囃子方、地方)を自然に比較しながら、楽しく観能しました。「謡・宝生、舞・金剛」と言われるそうです。「妻戸」の後段、あの長い早舞がとても美しく優雅で、眠気どころか食い入るように見つめました。お囃子も緩急、音色とも飽きさせません。
 一方、「雷電」の後段は、後見により作り物の台が2台運ばれます。その台を紫宸殿、弘徽殿などの宮中の建物に見立て、飛びまわりながら暴れる雷と法性坊との対決が繰り広げられます。台から飛び降り、跳び上がるシテの軽快さ、敏捷な動きが見せどころです。
 ↓は、2,3年前に家元が復曲され、TVで紹介された家元(和英師)とワキ(森常好師)による「雷電」の映像です。    

 休憩後、二人のホープの「アフタートーク」がありました。 この企画を上演するまでのいきさつ、苦労、今日の緊張感など。特に龍謹さんは”アウェイ”での公演は緊張されたようです。また各流派の歴史、お二人の育ちなども。金剛流若宗家の龍謹さんはお父様から指導を受けておられます。宝生流宗家の和英さんは、「父には教えてもらえなかったが、その代わり4人の師からそれぞれの指導を受け、引き出しが多くなると言うか、一つひとつを自分の芸に生かせるように励んでいる(違っていたらすみません)」と仰っていました。金沢での「雷電」は初めて。まして金剛流の演能も初めて。お若い二人(和英さんが少し年上だそうです)の前向きの試みを応援したいもの、と観客一同は思ったことでした。 

 ↓は、瑞龍寺燭光能の「雷電」の私のブログです。

http://blog.goo.ne.jp/67kiyoh/e/fdf43a7453d2af87bbdcd3deffe4663c


金沢・玉泉院丸庭園ライトアップ

2015-12-17 | 旅行

 12/12(土)、金沢へお能を見に行った。「加賀宝生 X 京金剛~夢の競演~」と言うめったに見られない公演なので楽しみにしていた。(このことは後で書きます)

 午後2時開演、お能が2番あるだけで狂言も舞囃子もないので、アフタートークがあっても5時には終わるだろう、もしお天気がよければ金沢城公園のライトアップを見られるのではないか?と考えていた。

 休憩が入るので、宝生流宗家と金剛流若宗家のアフタートークが終わったのは5時半だった。が、幸いにも気温が暖かく晴れた夕方だ。広坂まで降りるのは、下りは得意な私には大したことはなく、なはさん、SAさんはもちろん平気。広坂から「いもり堀」沿いの道を歩き、「いもり坂口」から庭園に入る。

 「玉泉院」は前田利家の奥方の名前だそうだが、3代藩主の利常が作庭した庭園を、今年4月に復元、完成したそうだ。入場無料(お茶室は有料)。
 昼の庭も知らないのに夜の庭を見ようと言うのだから無謀だが、子ども連れ、若者、老夫婦など次々と見学客は後を絶たない。私の腕では、雰囲気さえもわからないだろうが、一応紹介します。

 ↓は、全景。奥は城壁か? 手前に橋が見える。

 ↓は、右奥が三十間長屋かな~。

 

 実際にはもっと美しく、色もさまざまに変わる。「琴や尺八の調べと多彩な光が織りなす幻想的な音と光の演出」なのだが、これで精一杯でした。金沢城公園内の三御門や兼六園内もライトアップされているそうだ。

 この後、タクシーで駅まで。不室屋カフェで夕食を食べる。百番街2階は夜は居酒屋メニューになっており、値段がアップ。不室屋の「麩と湯葉のあんかけどんぶり」に麩のお吸い物。

 高岡駅に着くと、駅南口のイルミネーションも前から見ればずいぶんにぎやかになっていた。            

     

 いつものように楽しい金沢への小旅行だった。2つのお能は予想以上に素晴らしく、興味ある試みに拍手を送りたい。


’スタイ’とは「よだれかけ」?

2015-12-16 | 日記・つぶやき

 娘夫婦とメール交換をする時、娘の場合は、私が日本語で出しても向こうからは英語で来る。娘婿のマークの場合は両方とも英語だ。どうしても辞書を頼ることになる。

 ときどき、” I hope this finds you well.” と言う出だしにぶつかる。「お元気のことと思います」と言う意味かな~と思いつつ、学校では教えない文だな~とも思っていた。 

 話は変わり、最近赤ちゃんのよだれかけを買うことになった。こう言う品は、もう長年買ったことがない。まず、友人にどこに売っているか尋ねた。こんな時平米公民館で聞くのが一番。お稽古の後事務室に寄り聞いてみた。イオン、大和、西松屋…それぞれの特長、値段までかなり詳しくわかり、まずイオンへ行く。

 直営店のベビー用品売り場。ある、ある。ところが、どう見ても「よだれかけ」なのに、「ベビースタイ」と表示されている。 え? baby's tie (赤ちゃん用ネクタイ)? まさか! 値段と種類を確かめて、この日は、専門店の割引券を持っていたので専門店のフロアへ移動した。
 日頃覗いたこともない子ども衣料品の店。赤ちゃん用品も並んでいるんだな。トイザラスも覗き、結局「ブランシェット」と言う店で買うことにした。(写真はこの店の品ではありません)

  

 「よだれかけ」を、最近のママさんたちは「スタイ」と呼ぶそうだ。お孫さんをお持ちの方はご存知なのでしょうね。
 ウイッキによると、ベビー用品輸入販売のグランドール社が、1992年にスゥエーデンのベビービョルン社製プラスチックエプロンを販売したそうだ。その時、「スタイ」と名付けたのが初出であるという。これが大ヒット商品となったため、この語が普及し赤ちゃん用よだれかけの総称として定着した。ただし「スタイ」の由来については同社でも確かなところはわからないと言う。

 なお「よだれかけ」はスウェーデン語で haklapp、英語では bib と言う。また sty は英語で目にできる腫れ物の「ものもらい」のことを指すそうですよ。「よだれかけ」ほどわかりやすいネーミングはないと思うのですがね。イメージ悪いですかね。


「能楽お囃子の会」へ新人さん

2015-12-15 | 能楽

  ↓ のブログを探すのに一苦労した。こんな昔のこととは思わなかった。月日の経つのは速いものである。2009年2月のことだから、ほぼ7年前の「能楽体験講座」のことである。高岡市の企画で開かれた。30名募集のところ40名以上の希望者があったそうだ。

  http://blog.goo.ne.jp/67kiyoh/e/6a5ee3cb192b081b0a13a3aa29fd6ed7

 今、「蒼山会」で謡を続けておられる戸○さんもその一人。その時、お囃子の教室に参加したのが野○さん。彼女は薬剤師さんで、私が真生会病院で白内障の手術をした時お世話になった。今年、還暦の会に招かれて久しぶりに顔を合わせたら、退職して近くのドラッグストアで働いているそうだ。「じゃあ、そろそろ始められるね。」と言うわけで、12/3(木)に初めて平米公民館のお稽古に参加された。

 ↓は、7年前の体験講座の「大皷教室」(青年の家で)。 野○さんの姿も見える。 

  さて、3日のお稽古の合間に、翌日、富山龍谷高校(元・藤園女子高校)で開かれる「県民ふれあい公演」の申し合わせをされた。地謡のTA先生は魚津から来られたが、後は全員高岡の先生方です。加賀宝生の流れは高岡にしっかりと根付いているので、高岡ではすぐ舞囃子ができると言うことですね。 

 演目は「船弁慶」。普通の舞囃子は、地謡の前に立ち方が座っていて、立って舞い始める。が、この日の「船弁慶」は、平知盛の幽霊が橋掛りから現れるのだ。先生によると、「高校生に見せるのだから少しでもお能の形に近づけよう」との工夫だそうだ。
 なるほどこうすれば、波の上に壇ノ浦で滅亡した平家一門の亡霊が姿を現し、総大将の平知盛の怨霊が義経を海底に沈めようと、薙刀を振りかざして襲いかかる様子が目に見えるようだ。弁慶が数珠をもみ、必死に祈祷する姿まで想像できる。誰かワキ座に座っておれば?とバカなことを考えた。山崎先生の舞も真に迫る。こう言う特別演出なので、申し合わせ(リハーサル)をされたのだろう。

 

 ↓は、「県民ふれあい公演」の紹介記事です。詩舞もあったようです。

     http://www.tiatf.or.jp/pdf/133.pdf


つれづれな日々37~りんごとサツマイモの重ね煮・久しぶりのお茶教室・いわせてもらお

2015-12-14 | 日記・つぶやき

 雪の立山連峰の美しい冬晴れの日が続いたと思ったのに、雨、そしてまた晴れ、かと思えば雨模様。こうして冬至が近付いてきますね。今年は暖冬と言う声もありますが…。

 さて、日々の生活の中でのちょっと気にかかる小さな出来事。そんな記事を”つれづれな日々”として書いています。今日は37回目です。

 《りんごとサツマイモの重ね煮とキャベツのマヨネーズ炒め》
 先日、りんごジャムを作ったらコンフォートになった、と書きましたら、茶々姫さんが「りんごとサツマイモのバター重ねも美味しいよ」と言われ、お茶のお稽古日に出してくださいました。「ちょっと鍋を離れたら焦げてしまって…」とのことでしたが、ホコホコと美味しかったです。蒸し煮だそうです。私は無精者なので、レンジでやってみました。小さく切り過ぎたか、上手く重ならなくてくずれました。が、バターの味が染みて、サッパリとして、サラダ感覚で食べました。 

 ↓は、つもさんのブログからのメニューです。FarmersKEIKOさんの「農家の台所~野菜たっぷり簡単おばんざ~い」と言う本があるそうです。つもさんがとても美味しかったと書いておられたので、無断で試してみました。
 フライパンにマヨネーズを入れ、千切りのキャベツを炒めるだけです。炒め過ぎたか、千切りが細かすぎたか、ちょっとベッチャリしました。が、シャキシャキ感があり、漬物のような感じです。もう少し荒く切り、ハムなど混ぜるといいかも。

  《久しぶりのお茶教室》
 12/5(土)、久しぶりにお茶教室に全員集合、とまでは行かなかったが、忙しかった人、休養をとっていた人、なんとあっ君も含めて6人集まりました(先生も入れて)。あっ君が大人になっていてビックリです。↓は、姫さんのアレンジのお茶菓子。

 《いわせてもらお》
 12/5(土)のA紙be版「いわせてもらお」です。姫さんに代わって紹介しようとキープしてありました。1週間以上遅れましたが…。

 *卵かけご飯:
  卵かけご飯が食べたかった夫(35)。「この卵、新しい?」と聞くので、「少し前に買ったから、私と同じ鮮度かも」と返したら、「じゃあ、生では食べられないな」と言われた。(そのうち煮ても焼いても食えなくなる妻・37歳)

 *席譲り:
  満員バスの中、主人(72)と座席に座っていたら、お年寄りが乗って来られた。当然のことと思って席を譲った。すると、そばの青年がさっと立って、私に「どうぞ」。隣の主人は笑いを必死でこらえていた。(自分の年を悟った日・69歳)

 *掃除機:
  友人宅でおしゃべりをしていたら、障子の外の廊下で掃除機の音が。1回なら仕方ないが、2度、3度と行き来するのでデリカシーのない家人だなと思ったら、タイマーで動くルンバ掃除機だった。(わが家にルンバはない・66歳)

 *最高の肉:
  近所に住む高校生の孫娘(17)とわが家で夕食。豚肉と羊肉の焼き肉を食べた。「ほら、マトンだよ」と焼けた肉をすすめると、「これ、豚肉の最高のところ?」と聞く。「はあ?」。彼女は「だって『真豚』って言ったから」。(勝手に漢字変換しないでね・71歳)


「農園カフェ・農工房 長者」へ

2015-12-13 | 食物

 12/7(月)、砺波市大門(おおかど)の「農家レストラン大門」で、伝承料理のランチをいただいた後、「四季彩館」にでも寄ろうかと思っていたら、Miさんが「戸出から西の方へ行くと長者なんとか言うカフェがあるよ」と言われる。その一言で、「じゃ、寄ってみよう」となった。帰る途中だし、お天気はよし、時間はまだある。

 もう一度立山連峰を眺め、156号線を北上する。             

 戸出「狼」の交差点を左折、小矢部方面に向かう。Miさんの記憶だけが頼り。横越を過ぎ、江波(よなみ)を過ぎ、通り過ぎてから「あれじゃない?」と気づいたのが「農園カフェ 農工房 長者」の表示だ。住所は、砺波市高波。
 ここも、築140年の古民家だそうだ。↓ 神棚と襖のある部屋。            

             

          

  ↓ 豆乳スムージーとお団子2本で800円。お腹は一杯なのでスムージーだけ注文する。600円です。

 ↓ 左は、長者パフェカレンダー。いちご、桃、イチジク、ぶどうのカレンダーです。右は団子の値段。

   

  ↓ ブルーベリーのスムージー。

 お団子はテイクアウトもできる。ランチもあるそうなので、次回はお昼時に来よう。


農家レストラン大門(おおかど)

2015-12-12 | 食物

 「農家レストラン大門」の名は、最初、マイ美容師さんのSIさんから聞いた。次になはさんがKI新聞の「天地人」に載ってたよ、と新聞の切り抜きを見せてくださった。来年の「あしつきの会」に決めていたのだが、急にMiTUの友人と久しぶりにランチをすることになり、この店に決まったのだ。情報は同じ時期に飛び交うものらしい。

 12/7(月)、冬の晴れ間の中日だった。156号線山王町交差点で東へ折れ、県花卉球根農業協同組合の建物を右に見ながら大ケヤキの木を目当てに進むと、「農家レストラン」の表示がある。
 ↓ 砺波平野から見る立山連峰。剱岳が青く見える。手前の畑はチューリップ畑だろうか? 

 ↓ 明治23年建築の散居村jの古民家、アズマダチの農家である。雪吊りも終わって…(トップ写真)と思ったら~。ちょうど今、作業中だった。

 ↓ 玄関。  

 ↓ 「オエ」に当たる部屋。神棚があり、大きな柱、梁が使われるワクノウチの造りだ。     

 ↓ 座敷の欄間は筬欄間(おさらんま)。   

 ↓ 床の間の横の障子が美しい。   

 ↓ 今日の野菜。すくなカボチャも。  

 ↓ 花嫁暖簾には、くぐる花嫁の後ろ姿が。 

 ランチメニューは3種類。すべてチューリップの新品種の名がついているとか。「恋茜」、「白雪姫」、「黄小町」。真中の「白雪姫」を注文する。
 まず、大門(おおかど)そうめん。                

 ↓ 左から、具入り丸揚げ、根菜いとこ煮。

           

 ↓ 左から、天ぷら、白和え。

         

 ↓ 葛きり、ゆべす、すくなカボチャの漬物、よごし。

   

 昔からこの地方では、報恩講(ほんこさま)などで出すお斉(とき)=精進料理である。薄味の美味しい料理が朱塗りの椀に盛られて出される。この日は、そう混んでいなくてゆっくり話をしながらいただいた。
 水・木曜日がお休みなのでご注意を。
 実は、この後もう一軒回ったので次回に紹介します。 


鶴瓶の家族に乾杯・射水編~松原酒店

2015-12-11 | 富山

  かなり前の「能楽お囃子の会」のお稽古日、Maさんが「ウチへ鶴瓶さんと江口さんが訪ねてきたよ」と言われ、「え?あの古いチラシを見に?」と聞いたものです。「鶴瓶の家族に乾杯」の番組で偶然立ち寄られたとか。11/30(月)に放送と聞き、楽しみにしていました。「いろいろ話したけどカットされているかも」と、と言うことでした。早くから録画予約をして、ゆっくり見ました。

 1年前に、新湊祭りを背景にした映画の撮影があったそうです。江口洋介が漁師に扮して出演し、それから1年、懐かしい新湊へ鶴瓶の番組のゲストとして再び訪れた、と言うわけです。

 テレビでは、小野文恵アナが射水市新湊を紹介します。左から 海、 漁港、下は、シロエビ、紅ズワイガニ。 

                  

                

 さて、江口さんはバスから降りる時、ちょっとこけて降りなおしをしていました。 ↓、内川の橋を渡りながら、船を見つけ、「定置網漁をする役でした。」 と懐かしげ。   

 ↓ 町のあちこちに映画のポスターが貼ってあります。町総あげの出演だったとか。主役の竹野内豊さん。     

 放生津八幡社にお参りの後、’いつでも買える’ 古いたばこ自販機を見つけました。錆びたコイン入れに100円玉を試しに入れる鶴瓶さん。たばこもお金も戻って来ません。「その店、空き家ですよ。大家さんもいない。」と、現れたのが、酒屋の松原さんと魚屋の片口さん。「お宅もやってないんですか?」 「やってますよ。」

  

 ↓が、Maさんこと、松原さんのご主人。鶴瓶さんとのかけあいが、漫才みたいに軽妙です。

 ↓ 江口さんが、「酒屋も見たくないですか?」と鶴瓶さんを誘って…。

 ↓ 松原酒店の玄関口。由緒ある酒店らしい店構えです。

 ↓ 奥さん登場です。「あっ 江口さんも!」 この方が、謡、仕舞、太鼓、大皷を見事にこなしておられる私の大先輩(年は下ですが)松原さん。

  ↓ 店に飾ってある、江戸時代のチラシです。7月頃かKi新聞に大きく掲載されましたが、京都の骨董市で見つけたものを上市のお寺の住職が保管しておられたようです。名前の「次吉郎」で、新湊の松原酒店とわかったとか。屋号も書いてありますね。

 「○にかがうちの屋号なんですね。よっぽど裕福な家しか…」  

  

  次に、東町の山蔵に案内してもらいます。これは100年前の曳山だそうです。

  一年に一度の曳山なのに、「今年は、映画のおかげで8回ほど出しましたけど。夜中3千人くらい集まってもらって…。飯食わして あとは一杯も飲ませなきゃ。」と笑う松原さん。

 ↓ 祝儀をもらうとこのパンフを、と東町の曳山のパンフを見せてもらい、「さっきの100年前の凝ったチラシを見ると、このチラシはちょっとアレですわな。」と鶴瓶さん。「これは、10年前に私がパソコンで作ったやつだ」と松原さん。大笑いでした。

  最後に祭の映像です。 

  

 この他に専念寺の傘松、そのお寺の住職さん一家、小杉高校柔道部などなど…楽しい番組でした。松原家にはあちこちの知人から電話がたくさんかかったそうです。


元気な同級生たち

2015-12-10 | 日記・つぶやき

 私ら喜寿組(昭和14、15年生まれ)の卯辰会の元気な男性たちを紹介します。どこへ行っても女性ばかり、とシニア仲間ではよく言われますが、そうでもありません。私の同級生の中にはまだまだ現役の人も大勢おられます。お菓子作り、果物作り、物作り…など、また病気を克服して楽しみを見つけている人もいます。

 以前、同級生のご主人の陶芸の作品を紹介しました。今回は同級生男性たちの近況を。
 昨夏、ジーパンスタイルで私たちを成田神社や海蛍に案内してくれた千葉matsuさんは、検診で病気が発覚。一時は大変な落ち込みようでした(そのように見えました)。1年間の治療のおかげでかなり良くなったようで、息子さんの車で外出できるようになったそうです。↓は、浅草ビューホテルから見たスカイツリーと浅草観音の写真の1枚です。曇り日だったようですがとても鮮明に写っています。今年は同級会の忘年会にも出席できるようです。よかったですね。           

 ↓は、11/15(日)の北国新聞の社会面、金沢マラソン当日の記事です。二人合わせて150歳の西野さん夫婦は、同級生のKAさん夫婦の友人です。当日マラソンランナーたちがKAさん宅の前の道路を走ると言うので自宅前に大きな垂れ幕を張り、応援席を作ったそうです。

 ↓は、11/16(月)マラソンの翌日の北国新聞社会面。(トップは一面) サブタイトルの「応援文化生み出す」の文がいいですね。 

  ↓は、新聞と一緒に送られて来た、KAさん宅前の写真です。テーブルと椅子が並んでいます。私設応援団はここで声援を送ったのでしょう。

  ↓は、記念撮影かな?           

  ↓は、リタイア後も絵画や物作りに余念がないSEさんの作品です。以前、薔薇の花に蝶や蜻蛉が止まっている花瓶の置物を作っていた男性です。最初はお孫さんのためだったそうですが、材料集めや彩色など工夫しながらの手仕事が楽しみなようです。今秋はお孫さん達をトロッコ電車で、黒部・欅平まで連れて行き、黒薙へ戻り温泉に一泊したとか。(彼は温泉研究家でもあります) もう暗くなった黒薙の山道を懐中電灯で照らしながら歩いたそうです。コレはお正月に玄関か床の間に飾るといいですね。            

  水彩画も日々工夫を重ね、↓のように、丸い小さな輪を連ねて描く方法に挑戦中です。越後駒ケ岳。           

 ↓は、奥只見。          

  最後に、O先生の手作り財布です。O先生は女性ですが、戦後城端小に数年間勤めておられました。二クラスだったので隣のクラスの担任で、私は習っていませんが、今は横浜に住み東京卯辰会にときどき顔を見せられるので何度かお会いしました。10年ほど前、さまざまな手作りバッグを作っておられたので、A4サイズの入る手提げ袋(今は謡本用)と旅行用のスーツケースの上に乗せられるショルダーバッグを作ってもらいました。バドミントンのラケットケースなど形に合わせたバッグを器用に作っておられたものです。
 下の財布は、薄くて軽い。お札も、金種別コインも、カードもかなり入りとても重宝です。実は娘夫婦から濃いピンクの素適な革製の財布をプレゼントされたのだけど、慣れないからか固くて出し入れしにくく困っていました。しばらくはこれを使いましょう。            


みたび「嵐山」へ~② 嵯峨野トロッコ電車

2015-12-09 | 旅行

 11/24(火)日帰りの「秋彩の嵯峨野トロッコ列車・もみじ色の嵐山」の旅に出かけた。嵐山で竹林の小径から出るとちょうどお昼時。集合の2時半までには昼を食べなければいけない。入りたい店は行列、待てそうな店は好みが合わない。歩くうちに集合の駅から離れ…。が、執念で見つかったのがこのお店。店の名前は忘れたが2階でゆっくりと食事できたのが嬉しかった。京野菜の紙ナプキンと楊枝入れがきれい。

               

 食事は2談重ねのお弁当形式。         

 嵯峨嵐山駅に集合し、乗車券をもらう。いくつ目の何と言う駅で降りるか、何度も繰り返される。無事に、全員馬堀駅で降車、徒歩でトロッコ亀岡駅へ。↓ は、駅のホームの信楽焼の狸たち。

   トロッコ亀岡駅からトロッコ嵯峨駅までトロッコ列車に乗る。保津川下りの船と並んだと思ったら、すぐ通り過ぎるので↓の写真しか撮れなかった。左にぼやけているのが船です。      

  急流あり、静かな流れあり、トンネルあり、橋があり…。元気な車掌さんの歌やパフォーマンスのサービスありで飽きさせないが、逆にあっという間なので、黒部のトロッコ列車を想像していた私にはビックリすることばかり。紅葉はまだ早いようだった。         

      

   京都駅でお土産を買ったり、夕食をとったり。↓は、駅のクリスマスツリー。  

  ↓ 「たまごキッチン・モレット」と言う店で夕食。「湯葉と九条葱の豆乳オムライス」と言う長い名のオムライス。     

  その後、駅のオープンカフェでコヒータイム。新湊のFUさんは、その日お姉さんと一緒の旅だったのに急に都合が悪くなり、一人になり新高岡駅で私たちのグループに加わった人(TUさんのもう一つのボランティアグループの仲間)。 先日来の新湊の話題(両陛下の新湊訪問、鶴瓶さんの番組、新湊祭りが舞台の映画「人生の約束」)で大いに盛り上がった。もう1人のHOさんは、野村のいわせのコーラスの方。北陸発のツアーはこのように知り合いに会えるのも楽しい。

 ↓ 京都タワーの見える広場で集合し、サンダーバードに乗りました。   

 新高岡駅着が、22:32。確かに日帰りの旅ですね。またまたOさんのご主人のお迎えで、我が家まで送ってもらいました。まったく人任せの旅で、ミステリーツアーみたいにハプニング続きの楽しい旅でした。皆さんありがとう。  


みたび「嵐山」へ~①人力車

2015-12-08 | 旅行

 9月に、謡の会「蒼山会」の謡蹟巡りで京都嵐山「渡月亭」に宿泊した。9月末に、娘夫婦の付き添いで私の「金婚式」の旅と称して、嵐山「花のいえ」に泊まった。
 そして、11月末に三度嵐山へ旅することになった。音訳ボランティアグループ「あかね」のメンバーで、嵯峨野のトロッコ電車に乗ると言う。日帰り旅行と言うのがいいい。トロッコも乗ったことがないし…。が、皆さん、私よりずっと若い。ついて行けるかな~。ま、嵐山ならどこかに座って待っていればいいか(貴船神社でも鳥居の傍で待っていた)。と言うわけで仲間に入れてもらうことした。総勢6名(当日新高岡駅ホームで一人参加の知り合いが2人加わり、8名の団体となった。かくして「秋彩の嵯峨野トロッコ列車・もみじの嵐山」の旅が始まった。

 11/24(火)、新高岡駅から早い出発で、Oさんのご主人に駅まで送っていただき嬉しかった。車内で添乗員さんに会い、説明を聞き資料をもらう。なんと、嵐山で5時間自由行動(昼食も含め)とは!9月に行った時の地図や資料を持って来ればよかったな。話し合いの末、渡月橋を見て、大河内山荘へ行くことにほぼ決定。京都駅からJR嵯峨野線で各自電車に乗る。添乗員さんはだっこちゃんの旗を高く掲げ、40数名を集めては乗車券を配ったり、時間の指示をしたり…大変ですね~、と思わず声をかける。

 駅前でひとまず解散。「渡月橋」へ行きたい人は添乗員さんと一緒に裏道を歩く。連休明けの日だが相変わらず賑やか。3ヶ月で3度目の渡月橋。懐かしいな~。商店街を逆戻りすると、前回WiFiを探して尋ねた交番のすぐ隣の土産売り場(たぶん元美空ひばり館)の「西利」の傍に、こんなポスターが(↓)あるではないか。「おつなぎやす あらしやま) Free」。でも嵐電ホームの方が静かでよかったかも。

  天竜寺をちょっと覗き、竹林への道に入る。それはすごい人出だ。人込みだけで疲れる。歩くペースもけっこう速い。大河内山荘までは無理だな、と思った。2度行っているし。どこかで待っているわ、と言うと、Iさんが「じゃ、人力車に乗らない?私も乗ってみたいから」と言ってくださった。交通整理の人に聞くと、渡月橋が出発点だけど、野宮神社が中継点だからそこで頼めばいい、とのこと。野宮神社前で1台お願いする。大河内山荘まで二人で4千円。

 ↓は、賑わう野宮神社。「縁結び・進学祈願」の神さまだからかとても賑わっていた。ここも以前「蒼山会」で訪れている。「源氏物語」で光源氏が六条御息所に会いに来た神社とされている。御息所は娘が伊勢神宮の斎宮として下向するので、娘に付き添い野宮で身を潔めていた…。

 ↓は、「黒木の鳥居」。木肌をつけたままの鳥居。

  野宮の前で、Iさん、人力車の手配係の人と話しながら20分ほど待っただろうか、若いイケメン車夫さんが来てくださった。インドネシアのベチャ、ベトナムのシクロ(両方とも自転車タクシー)に乗ったことはあるが、日本で人力車は初めてではないかな?Iさんは、何度か経験があり「楽しいよ!」と仰る。高い所から眺める景色は一味違うそうだ。
 車夫さんは「椎葉と言います」とまず自己紹介。その上手な説明を聞きながら回りをキョロキョロ。会話も楽しい。景色も最高。12月にライトアップされることは知っていたが…

  ↓ のように竹林の中が一部開かれ観光コースになっているとは!「竹林の散策路」と言います。1ヶ月ほど前に開かれたばかりだそう、「お客さん、ラッキーでしたね。」 ホント。人力車は優先で、ぐるっと回って写真を撮ってくださった。

 

 竹林を抜けて大河内山荘までの道は、人力車でいっぱいだった。女性の車夫さんもおられた。住宅街も通るので、住民は毎日煩いだろうな、と同情する。落柿舎前も通る。そう言えば昔、家族で二尊院、滝口寺、祇王寺、化野念仏寺など回ったっけ。

 

  ↓ 誰かと待ち合わせの母子。可愛らしくてパチリ。

 トロッコ嵐山駅前で降りる。アンケート票や次回優待券などもらった。椎葉さん、ありがとう。一緒に写真を撮るのを忘れ悔やまれる(後でネットに’えびす屋’人力車の紹介ページを見つけ、彼の写真がトップにありビックリ)。大河内山荘の入り口付近に焼きいも屋さんの車が。誰も思うことは同じ。ホッと一息でお腹が空いた。大河内山荘でお抹茶をいただいて来た6人と合流し、ぶらぶらと大通りに戻る。

  ↓ 何のはなびらだったかしら?

 ↓ 落柿舎の向かい側辺りにある「土佐四天王」の像。四条河原の土佐藩邸の傍にあったのを移したとか。

  ↓ カフェかな?道路沿いの木に人形が…。

 

 

 お食事処を探しながら歩くがどこも満員。大通りに出てまたまた探す。(つづく)

 最後に、えびす屋人力車のHPと、椎葉くんからのメッセージです。

 http://ebisuya.com/branch/arashiyama/

               椎葉 賢也:   恐縮ながら登場させて頂きました。 「しいば けんや」と申します! 12月は嵯峨野、嵐山の情緒ある自然に光が灯される時期です。 写真では絶対に伝わらないものがあります! リビングに飾る写真を撮りましょう! ずっと忘れない景色を心に刻みましょう! ※早朝の肌寒い空気が澄んだ時間帯がオススメです。


試写会「海難 1890」

2015-12-06 | 映画・テレビ・演劇・芸能

 いつもなら「試写会の券が当たったけど行かない?」と声をかけてくれるNOちゃんと姫ちゃん。たまには私が申し込もうと、ネットで申し込めるのを幸いに、K新聞の特別試写会に申し込んだら見事当選、2名行ける。姫ちゃんは都合が悪く、SAさんに聞いたら「行くよ」の返事。それが、11/30(月)夜。マークの絵の搬出の日だったが思いの外早く終わったのでイオンで夕食、その後映画に。内野聖陽が出ること、紀伊大島沖で遭難したトルコの軍艦の乗組員を村人が命がけで助けた歴史だと言うこと、日本トルコの合作映画であることだけ事前にわかっていた。

 10年くらい前になるだろうかトルコへ旅行した時、とても日本語の上手な若いトルコ人男性ガイドさんが、「トルコがなぜ親日派の国か」を初日のバスの中で話してくれたのが忘れられない。一つは、昔トルコの船が日本で遭難、日本人に助けてもらった(学校で習うそうだ)、もう一つは日露戦争で宿敵(?)ロシアをやっつけてくれた、ことだと言う。いずれも私が初めて聞くことで、なんか不思議な気持ちだった。
 前者については、3年前阪急ツアーで「南紀巡り」の旅をした時、大島に寄り、立派なトルコ記念館と慰霊碑、トルコ共和国初代大統領のケマル・アタチュルクの銅像を見て来た。↓は、その時のブログです。

http://blog.goo.ne.jp/67kiyoh/e/706dbe8c6e558755b1756f2b29981ec5

 さて、↓の特別試写会のポスターにあるように、「日本人の知らない奇跡の実話」(テヘラン邦人救出劇)を後半に加え、実に見ごたえのある映画に仕上がっていた。 

  ♪ ここは串本 向かいは大島 中を取り持つ巡航船 ♪ の歌を聞いたことがある方もおられよう。 1890年(明治23年)、その紀伊大島樫野に、貧しい者から治療代をもらわず親身に診察する医師・田村(内野聖陽)と助手のハル(忽那汐里)が暮らしていた。(写真はネットより)

 その年の9月、日本への親善使節団としての使命を終えて帰路の途中だったトルコのエルトゥールル号が台風に遭遇する。暴風雨の中、乗組員全員で必死で船を守ろうとするが、大島沖で沈没し、暗礁に乗りあげ爆発する。500名以上の乗組員の死体と船の残骸が岸壁に漂着する。村民は総出で救出活動を行い、69名を救助する。漁を休み、村民一丸となり怪我の治療に当たる。一命をとりとめたものの生き残った罪悪感に苦しんでいた海軍大尉は、漂着物をきれいに磨き遺族に返そうとする村民の真心に打たれる。元気を取り戻したトルコ人たちは、村人達に見送られながら迎えの船で遠いトルコへと帰国して行く。           

 ここまでが前半。トルコはオスマントルコの時代、軍艦を仕立て明治天皇へ使節団を送るまでのいきさつや、もうすぐ子どもが生まれる妻を残して出発する乗組員の家族をも描き、日本側だけの話ではないのが合作の成果だろう。船の中での様子も丁寧に描かれている。座礁するまでの遭難の様子はどうして撮ったのだろう?CGを使っているとは言え、真に迫る光景である。

 この後、95年後の後半があるのだ。明治の遭難事件はさすがの私も知っていたが、1985年(昭和60年)イラン・イラク戦争の時、空爆が続くイラン・テヘランではサダム・フセインが48時間後にはイラン上空を飛ぶすべての飛行機を無差別攻撃すると宣言する。日本大使野村が日本政府に救援機を要請するが迅速な対応が難しく、しだいに日本人だけが取り残されてしまう。日本人学校の教師、春海(忽那汐里:二役)が野村にトルコに救援機を頼むように進言する。トルコのオザル首相はそれを承認するが、テヘラン国際空港は救援機を待つトルコ人で溢れていた…。           

 この救出劇は、当時のニュースで報道されたのかもしれないが、私はまったく知らなかった。一緒に映画を見たSAさんも「フィクションでは?」と呟くほど。昭和60年と言えば~、仕事で忙しい毎日だったのだろう。

 「エルトゥールル号海難事故」と「テヘラン邦人救出劇」を「日本トルコ友好125周年」を記念して制作された映画です。国は人で成り立っている、と痛感します。12/5(土)に封切られました。

 ↓ 来年1月封切りの「人生の約束」のポスター。映画館前に大きく掲げられている。新湊で撮影され、祭の山車が登場するらしい。これについては、11/30(月)の「鶴瓶の家族に乾杯」の松原酒店と共に紹介します。