日々の生活の中でのちょっと気になる小さな出来事。いくつかたまったそんな記事を、”つれづれな日々”として書いています。今日は32回目です。
《松原酒店~100年前のちらし》
8/20(木)、平米公民館のお囃子と謡のお稽古日。太鼓の上田先生が来られた途端に、その日のK紙の朝刊に「MAさんの酒店の江戸時代の広告チラシが見つかった」と言う記事が載っているとの話題で盛り上がった。MAさんによると、7月頃に新聞社の取材があったそうだ。「お店に飾ってあるからまた見に来てね」とのこと。↓は、その記事です。トップ写真は、K紙のwebから。
「射水市八幡町(新湊)で江戸時代末期から営業している「松原酒店」に、約100年前に同店が発行した引(ひき)札(ふだ)(ちらし)が“帰って”きた。朝日町の住職が、40年ほど前に京都で入手したものを同店に提供した。八幡町一帯は1930(昭和5)年9月の大火で焼け野原となり、同店の創業時からの資料なども焼失してしまっただけに、6代目店主の松原水緒さん(68)は「ご先祖様が不思議な縁を結んでくれた」と喜んでいる。」…記事より。
松原酒店は、新潟と能登を結ぶ街道沿いで創業し、「かさや」の屋号でわらじや菅笠などを販売していたそうだ。放生津八幡宮の傍なので多くの人が訪れた。造り酒屋も営み、明治から昭和にかけて大いに栄えた。
朝日町清水寺の住職さんが、40年前に京都の古美術商から3枚の引き札(ちらし)を購入し、保管していたが、持ち主に返した方が価値がある、と考え快く譲ったと言う。引き札には能楽の場面やえびす様の縁起の良い絵が描かれているそうだ。引き札に名前のある次吉郎は3代目、MAさんは6代目だそうだ。家には代々能楽お囃子の楽器が伝わっており、彼女はお若い頃から謡曲、仕舞、太鼓、大皷などなどを習っておられ、どれも超一流。私の太鼓と謡の大々先輩です。
今は額装し店頭に飾ってあるそうで、いつか拝見したいものだ。
《プレゼントつきはがき》
高岡市の公報「市民と市政」7月号に、”一人一客新高岡駅に呼びましょう!”運動ということで、4枚のはがきが挟まれ、配布された。 ↓ はそのうちの2枚。県外の人に限る、郵便の消印があること、新高岡駅で降車し観光センターでプレゼントと引き換える、期限は9月末まで、と言うもの。お役所らしく条件がいっぱいついている。が、私には思い当たる人が何人か…一人四客ガンバレそうだ。8月末に高岡へ来られる東京の友達、9月末に我が家へ来る娘夫婦。ひとまず3名に送った。プレゼントは、トートバッグとおしゃぶり昆布だそうだ。この組み合わせも面白い。
8/28日、昼頃新高岡駅に到着した友人と駅の観光センターへ行くと、なんとトートバッグは品切れ、代わりにバンダナか、扇子か、ボールペンのどれかだって。なんかガッカリ。金額的にはどうかわからないが私としてはトートバッグが気に入っていた。友人は喜んでおられたが、なんか看板に偽りあり、の感じ。こんな所が高岡の’今 一歩!’だと思う。娘たちが来る頃はどうかしら?
《黒の絽の着物》
9/6(日)、高岡市民会館で「青少年わかば公演」があり、「能楽講座」を受けている子どもたちの仕舞の地謡を担当することになり、黒の絽の着物を着ることになった。私も含め何人かは、自分の箪笥に黒の絽があるのか単衣があるのか、わかっていない。出さないで触っただけで「絽だった」と言ったけど、後で広げたら「単衣だった」と言う人もいた。私の世代は、夏と合の喪服は嫁入り道具に欠かせない時代。母親が必ず持たせてくれたものなのです。
夏に不幸はなかったからか、洋服で済ませたか、私の絽の着物は仕付け系がまだかかっていた。母を思い出しながら衣紋掛けに掛けている。一生に一度手を通せてよかった、よかった。