Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

つれづれな日々32~松原酒店-100年前のちらし・プレゼントつきはがき・黒の絽の着物

2015-08-31 | 日記・つぶやき

 日々の生活の中でのちょっと気になる小さな出来事。いくつかたまったそんな記事を、”つれづれな日々”として書いています。今日は32回目です。

 《松原酒店~100年前のちらし》
 8/20(木)、平米公民館のお囃子と謡のお稽古日。太鼓の上田先生が来られた途端に、その日のK紙の朝刊に「MAさんの酒店の江戸時代の広告チラシが見つかった」と言う記事が載っているとの話題で盛り上がった。MAさんによると、7月頃に新聞社の取材があったそうだ。「お店に飾ってあるからまた見に来てね」とのこと。↓は、その記事です。トップ写真は、K紙のwebから。          

 「射水市八幡町(新湊)で江戸時代末期から営業している「松原酒店」に、約100年前に同店が発行した引(ひき)札(ふだ)(ちらし)が“帰って”きた。朝日町の住職が、40年ほど前に京都で入手したものを同店に提供した。八幡町一帯は1930(昭和5)年9月の大火で焼け野原となり、同店の創業時からの資料なども焼失してしまっただけに、6代目店主の松原水緒さん(68)は「ご先祖様が不思議な縁を結んでくれた」と喜んでいる。」…記事より。

 松原酒店は、新潟と能登を結ぶ街道沿いで創業し、「かさや」の屋号でわらじや菅笠などを販売していたそうだ。放生津八幡宮の傍なので多くの人が訪れた。造り酒屋も営み、明治から昭和にかけて大いに栄えた。
 朝日町清水寺の住職さんが、40年前に京都の古美術商から3枚の引き札(ちらし)を購入し、保管していたが、持ち主に返した方が価値がある、と考え快く譲ったと言う。引き札には能楽の場面やえびす様の縁起の良い絵が描かれているそうだ。引き札に名前のある次吉郎は3代目、MAさんは6代目だそうだ。家には代々能楽お囃子の楽器が伝わっており、彼女はお若い頃から謡曲、仕舞、太鼓、大皷などなどを習っておられ、どれも超一流。私の太鼓と謡の大々先輩です。
 今は額装し店頭に飾ってあるそうで、いつか拝見したいものだ。

 《プレゼントつきはがき》
 高岡市の公報「市民と市政」7月号に、”一人一客新高岡駅に呼びましょう!”運動ということで、4枚のはがきが挟まれ、配布された。 ↓ はそのうちの2枚。県外の人に限る、郵便の消印があること、新高岡駅で降車し観光センターでプレゼントと引き換える、期限は9月末まで、と言うもの。お役所らしく条件がいっぱいついている。が、私には思い当たる人が何人か…一人四客ガンバレそうだ。8月末に高岡へ来られる東京の友達、9月末に我が家へ来る娘夫婦。ひとまず3名に送った。プレゼントは、トートバッグとおしゃぶり昆布だそうだ。この組み合わせも面白い。

      

 8/28日、昼頃新高岡駅に到着した友人と駅の観光センターへ行くと、なんとトートバッグは品切れ、代わりにバンダナか、扇子か、ボールペンのどれかだって。なんかガッカリ。金額的にはどうかわからないが私としてはトートバッグが気に入っていた。友人は喜んでおられたが、なんか看板に偽りあり、の感じ。こんな所が高岡の’今 一歩!’だと思う。娘たちが来る頃はどうかしら?

 《黒の絽の着物》
 9/6(日)、高岡市民会館で「青少年わかば公演」があり、「能楽講座」を受けている子どもたちの仕舞の地謡を担当することになり、黒の絽の着物を着ることになった。私も含め何人かは、自分の箪笥に黒の絽があるのか単衣があるのか、わかっていない。出さないで触っただけで「絽だった」と言ったけど、後で広げたら「単衣だった」と言う人もいた。私の世代は、夏と合の喪服は嫁入り道具に欠かせない時代。母親が必ず持たせてくれたものなのです。
 夏に不幸はなかったからか、洋服で済ませたか、私の絽の着物は仕付け系がまだかかっていた。母を思い出しながら衣紋掛けに掛けている。一生に一度手を通せてよかった、よかった。   


高岡薪能 ’15

2015-08-29 | 能楽

  ↓は昨年の私のブログだが、「薪能」開始直前の雨で急きょ法堂に駆け込み、「羽衣」の演能があったことを書いている。

 
瑞龍寺法堂での「薪能」
  8/24(日)、国宝高岡山瑞龍寺で「高岡薪能」が催された。午後1時、第一部の高岡能楽会会員による素謡が法堂で始まる。私たち蒼山会は「三笑」で、わりと遅い出番だ...
 

 今年も、午後1時開始の、第1部会員素謡の部は法堂で行われた。↓は、「誓願寺」。この前に、私たち蒼山会の「楊貴妃」の素謡があった。  

 ↓ 法堂 中央奥の内陣に利長公のお位牌が安置されている。5月の燭光能は、ここでお位牌に向かい奉納される。  

 ↓ 4時過ぎの境内。舞台、本部テント、シート、椅子席は設えてあるが、座布団は一旦敷いた後片づけられた。空は雲に覆われ、ときときポツリポツリと雨粒が落ちたり止んだり…。スタッフの人たちは手持無沙汰な様子だ。

 ↓ どうやら晴れ上がり、シートの上に座布団も敷かれた。私やTOさんは一番前の席に陣取り、友人や義妹たちの席を椅子席で確保した。提灯には灯がともり、篝火の足元には消火器とバケツが置かれ、火入れの儀を待つばかり。

  5:45、能楽会理事長の上田先生の「開会宣言」があった。先生は満面の笑みで晴れやかな顔。2年間雨に降られ、今年こそはの思いがかないメデタシメデタシ。 次に、高橋高岡市長の挨拶。  

  ↓ いつものように、金井先生の能「鉄輪(かなわ)」の詳しく丁寧な解説。このお話のおかげでお能がとてもわかりやすい。まず、「絶好の薪能日和になりました」と第一声、続けてストーリーを語られ、「先妻が新妻を打ち据えるドロドロした昼ドラかサスペンスドラマのようなお話です」と笑わせられる。  

  いよいよ第2部が始り、舞囃子「養老」、狂言「鬼瓦」、仕舞「清経」、「井筒」と進む。「養老」の太鼓は神舞でちょうど今練習しているところ。あの速さについていけるか手を動かしながら金井先生のキビキビした舞を見る。「井筒」も大坪先生のしっとりした舞を見て米島さんのお能を思い出していた。隣で一緒だったKAさんは金森先生の会の方、以前「井筒」の舞をされたが難しくてよく叱られた、と言われた。業平を慕う心情を表すように言われたそうだ。

 ↓ 7時前に「火入れの儀」が行われる。舞台周辺に4個の篝火台が置かれ、ガス火ではあるが本物の火であり富山のような電気の灯りではない。国宝の山門のすぐ前での篝火であるからヒヤヒヤものだ。夕暮れの風に揺らめく炎は風情がある。  

  ↓は、K新聞webから。能「鉄輪」の後場。シテの女はすでに怨霊になり、生成(なまなり)と言う面をつけ手には打ち杖を持っている。右の作り物の棚は、陰陽師 安部晴明がこしらえた祈祷棚。四隅にご幣を立て、注連をはり、棚の上には烏帽子と髢(かもじ)が置かれている。シテの右に座っているのが安部晴明(ワキ)。 

  話はわかりやすく、夫に見捨てられ嫉妬に燃えた女が、貴船神社に丑の刻参り(人を呪い殺すための呪術)を始めた。社人が女を呼びとめ、蝋燭を立てた五徳を逆さにして冠り、顔に丹を塗り着物も赤くして怒りの気持ちを持てば、鬼になれるとのご神託を伝える。一方、夫は最近夢見が悪いと、陰陽師の安部晴明に祈祷を頼む。晴明は、女の恨みで男の命も今宵限りと言い、夫と新妻の人形を作って祈る。生霊になった女は、新妻の髢を手に巻き付けて激しく打ち、夫の命も取ろうとするが、神々が出現して女を追い立てる。だんだんに通力も失い、本意を達せず逃げ去って行く。

 「葵上」にも六条御息所が生霊となって現れ葵上を打つ場面があるが、高貴な方なので品がある。「鉄輪」の女は感情を露骨に表し凄みがあり、何度も杖をふるう。リアリティに富んだ作品と解説にあるが、そこはやはりお能、見る側が想像力を掻き立てるしかない。むしろ哀れさが感じられた。

 女(シテ):金森秀祥  安部晴明(ワキ):北島公之   男(ワキヅレ):苗加登久治
 間狂言:荒井亮吉
 大皷:飯島六之佐  小鼓:住駒幸英  太鼓:徳田宗久  笛:瀬賀尚義
 地謡:大坪喜美雄 他

 昼の素謡の時は、ミンミンゼミの鳴き声が聞こえる瑞龍寺。暮れれば夜風が涼しく、篝火が明るい。2度ほど城端線の電車の音が聞こえ…、ああ、これが薪能だったよ~、と久しぶりに広々と見渡せる境内の舞台を楽しんだ。法堂の中だと人の頭の隙間から見るしかない。
 KAさんとは、以前「たかおか学遊塾」の「平家物語と謡曲の世界」を一緒に受講した仲間。平家物語、源氏物語、伊勢物語と順に十年近く続いた講座だった。講師はYA先生。毎回、たくさんの資料を二部構成で作り、配布され、独特の観点から解説された。最後は皆で朗読したりもした。おかげでずいぶんお能が好きになったものだ。合い間にそんな思い出話もしながら一緒に観能し、楽しかった。
 嵩張り重い、たくさんの資料を先日半分以上処分したが、「鉄輪」はまだ残っていた。もう一度読み返してみようと思う。

 


「わかば公演」お知らせ & たくちゃんの油絵会員展

2015-08-25 | イベント

 9/6(日)、高岡市民会館で「青少年わかば公演」が開催される。”つなげよう、伝統芸能のココロ” をテーマに、第4回たのしい子どもおどりの会が、日本舞踊や能楽を習う子どもたちの日頃の練習成果を披露する場として、また、子どもたちが伝統芸能を鑑賞する機会として始まった(と書いてあった)。                

 高岡市生涯学習センターの「能楽講座」では、謡曲、仕舞、笛、太鼓を子どもたちが習っている。講師は、山崎先生、瀬賀先生、上田先生の3名で、私たち平米公民館の「能楽お囃子の会」の先生方だ。例年は、9月の「三派能楽大会」で成果を披露するが、今年は「三派」が11月に変更。それで9月に日舞と合同公演をすることになったようだ。

 私も、仕舞の地謡を一部担当することになり、8/22(土)、高岡市青少年の家「能舞台」の練習に参加した。「鶴亀」、「猩々」、「高砂」の3曲である。そう長くはないが暗記しなければならない。無本で声を出すのは気持がいい。↓は、連調連管「竹生島」のお稽古。謡と仕舞、笛と仕舞など二つ習っている子もいる。

  その後、文化ホールへ回った。富山県洋画連盟の高岡地区会員展が開かれていると、ようこ姫さんのブログに紹介されていたのだ。館内に入ると、エレベーターの前に茶々姫さんのスマートな後ろ姿が見えるではないか。大きな声で「○○さ~ん」と呼ぶ。なんとなはさんが3階で鑑賞中とか。
 3階、ギャラリーへ行くとちょうどたくちゃんとなはさんとがお話し中で挨拶を交わす。この部屋は小品ばかり。知っている方の作品も多く、懐かしい。受付の方に断り、カメラを向ける。
 ↓ 左は市丸先生の「バラ」。昔同じ職場にいて、私も黄色のバラを持っている。「私も持っていますよ」と近寄って来られたのが、受付におられた藤巻節子さん。中央は、氷見長徳さんの「凱旋門広場」。「珍しい、散居村じゃないですね」 私の勝手な呟きに相槌を打ち解説してくださる。右は、中山法遂さんの「風景」。「ここ、立山じゃないかな?」 「獅子が鼻へ行く道…、称名川…?」 などと好き好きに話していた。

             

  そこへ、たくちゃんが再登場。↓は、工さんの「トルヒーヨの城(スペイン)」。スペインへは奥さんと旅行されたそうだ。トルヒーヨはマドリッドの近く、ペルーを征服したピサロの出身地。ペルーに同じ名前の都市があり、最初の植民地都市だとか。工さんのこの色遣いが私は好きなのだが、以前どこかの山の風景で見た記憶があり、強く印象に残っている。広々としてヨーロッパ風だ。後でどんな城かしら?と検索してみた。

 ↓ こんな城が見つかったが違うかもしれない。でも、雰囲気がよく似ている。   

 ↓は、ずっと私の質問に付き合ってくださった藤巻節子さんの「祭 Ⅲ」、版画です。山車の屋根の部分に赤色が使ってあり、2版だそう。タペストリーにもなるし、暖簾にもなるし、いつもこのサイズで作られるそうだ。

 ちょうど今、高岡市「坂下小路」で藤巻さんの「版画作品展」が開かれているそうだ(9/15まで)。おわら風の盆をテーマにした優しい風合いの作品。ほかにも手ぬぐいやはがき、手ぬぐい3本を利用して制作した暖簾などを販売しているそうです。

 この他は、ようこ姫さんのブログから写真を拝借しました。

 ↓ 左が、越谷なつみさんの「景」。右は、後谷達門さんの「郷の祭」。 

 ↓ 左は、佐藤カオル子さんの「夢時間」。右は、橘多紀子さんの「いつかきた道」。

     

 ↓ 2階ホールには、大きい作品が展示されていた。

 ↓ 中央が、たくちゃんの「カーテンの前に」。

 ↓ 大島絵本館のカフェギャラリーのパステル画展。8/31(月)までです。南貴子さんはよっしーちゃんや私の知り合いです。近くへ行かれる方は寄ってあげてください。


お盆の墓参

2015-08-24 | 日記・つぶやき
 
息子と墓参
 今年はお盆に土日がわずか重なった。メールや電話で、しつこく息子に帰省をうながしどうやら「お盆に帰る」約束を取り付けた。どうせ金曜まで勤務だろう、まさかドタキャンじゃないだろうな、...
 

  ↑ は、昨年のブログ。昨夏はお盆に息子が帰省して墓参りの途中で鮎やに寄ったのだ。読んでみてようやく気付いた。今年も、まともに15,16日が土日と重なったのに私のプッシュが足りなかったか、直前まで確実な返事がなく結局「出勤する」となってしまった。仕方がないので、15日午後、城端、二上山の両方の墓参にまわった。

 まず、1軒目の分家に寄り玄関でおばちゃんと話す。もう90歳と言いながらも前回よりお元気。歩き方など私よりよほどシャンシャンしておられ安心。その後、城端共同墓地で4つの墓にお参りした。

 ↓ 墓地の近くのお寺のサルスベリ。(ボケ写真だが実物はボリュームがあり、色も鮮やか)        

         

 墓地へ行く前に、城端別院善徳寺の斜め前にある「中安美代志堂」に寄る。「こんにちは~。中安さ~ん」と奥へ声をかける。7月の喜寿の旅(北海道)で、私が映画「あん」の話をしたら、「ウチのアンコも北海道の小豆を使って…。おこわは他所とは違う方法で…」と話がはずんだ。そう言えば古希の時だったか、お祝いに振る舞われたのが美味しかった。そんないきさつがあり、今年は必ず買いに寄るからね、と言っていた。息子がいないとなれば私の自由行動。しばらく話して、あんころを2ケース買い、売り切れていたおこわは「冷凍したのがあるから持ってって」ともらって来た。

 写真は撮り忘れたので、次回に撮って来ます。↓は、「城端の小路(じょうはなのしょうじ)」の写真から。 ↓のURLを開くと「きよべ」さん制作の小路の写真と地図が見られます。

 http://www.craft-ran.com/shouji/index.html

 ↓ 左は蔵回廊。右は蔵回廊の右下を右折し、西上からぼたもち坂へ出る道。ちょうどこのY字路の交わる所にお店があります。

        

 ↓ は、善徳寺の右にある茶所(ちゃじょ)。右端は善徳寺の山門。子どもの頃この茶所で日曜学校が開かれ仏教の歌など習った。 
  この茶所の向かい側に「中安美代志堂」さんがある。 

 ↓ 左は、曳山会館通りから茶所の前へ続く小路。右の小路も茶所の前へ出る。奥に見える店舗が「中安美代志堂」。角家です。

          

 城端を訪ねられたらぜひお立ち寄りください。
 この後、お墓参り、もう一軒の分家にお邪魔し、高岡へ戻り夕暮れの二上山墓地にお参りし帰宅した。あんころは仏壇にお供えし、友達と一緒にいただきました。

 しばらく経ったある日、小矢部のY子ちゃんから小包が届いた。中はブルべりー。「メルヘンの里 百姓天国」との表示が…。お礼の電話をすると、Y子ちゃんの家で作っておられるそうだ。冷凍しておいてもいいよ、とのこと。       

 ↓ こんなきれいな粒です。「どんな食べ方がお薦め?」と聞くと、「そのままが一番。ヨーグルトと一緒でもいいし」 そう言えば、朝ドラでも、まれが「能登の食材を使っています」と高価なフレンチケーキをお客さんに薦めると「このまま食べるのが一番美味しいのにね~」との言葉が返ってきていたっけ。      

 北海道旅行の後日談です。


瑞龍寺ライトアップ~夜・初めての一脚

2015-08-23 | 高岡

 今日、8/23(日)は「高岡薪能」でした。天気予報では、降水確率0%、夜になるとともに晴れなのに、午後から夕方にかけ小さな雨粒が時々落ち、ホントにヤキモキしました。が、風に揺らめく薪の火(ガスですが本物)に照らされながらの舞台は3年ぶりで、「ああ、薪能ってこれだったァ~」と感慨もひとしお。仕舞、舞囃子、狂言、能をたっぷりと堪能しました。

 では、遡って8・8日(土)の瑞龍寺ライトアップの「夜編」をご覧ください。初めてようこ姫さんに一脚を借り、使い方を教わり、使ってみました。

 まず、「柿の匠」の夕食から始ります。↓は、7/31の富山薪能の帰りに柿の匠へ行った時、姫ちゃんが書いたアンケートの「あさりの酒蒸し」が当選した葉書、「ご来店感謝賞」です。これを持って「柿の匠」へ。     

  

 これと、天ぷらとそれぞれが冷うどんをとって、ゆっくり休みました。午後すぐに家を出て絵本館も行っているので私はかなりお疲れ。瑞龍寺はそろそろ見物客も帰路につく頃、静かになっています。
 ↓は、再び、仁王像。           

 ↓は、仏殿。           

              

 ↓ 一脚を使っているので、ブレが少なく、水平線も保たれています。

            

 ↓も、そうです。最後まで熱心に監視しておられるお二人のポーズだけが変わっています。              

            

           

           

 ↓ 最後に山門をふり返り…もう一枚。薪能は、左の玉砂利の上に舞台が設けられました。   

 ↓ 参道の両側の灯篭です。          


瑞龍寺ライトアップ~日暮れ

2015-08-21 | 高岡

 いよいよ「高岡薪能」が近づいた。今年も瑞龍寺境内で開催される(雨天の場合は高岡市民会館に変更、当日8/23(日)の北日本新聞朝刊社会面に掲載されます)。

 8/8(土)、大島絵本館の行事に参加した後、瑞龍寺の「夏・夜の祈り・大福市」へ出かけた。しばらく行っていないので少し興味あり。ようこ姫さんの誘いにすぐ乗っかった。
 まだ時間が早いがココスは満員だろうと、駅南モスバーガーに入る。駅南の住人のSAさんの紹介で私は2,3度入っている。ドライブスルーの店だが、店内も意外と落ち着けるのでお気に入り。  

 ↓ 私は、バーガー(スープ付き)を注文し軽く食事、姫ちゃんはポテトチップスとなんか飲み物。右のナンプレは、姫ちゃんの愛読書(?)。A紙の★5より少し難しいと言うことで、中から2種類選び撮影、翌日挑戦した。かなり苦戦したが正解。↓の表紙もOKですよ。

        

 充分に休憩した後、瑞龍寺総門へ。総門前に大福市が開かれており覗く。姫ちゃんが大仏焼きを買い、私はお相伴。総門をくぐると広い境内。山門に向かう参拝客の行列が続く。観光客も多いようだ。山門の両側は回廊。
 ↓の参道の右か左側か(今年はどちらか?)の砂利の上に薪能の舞台が設営される。23日もこんな晴れた日でありますように。 

 

  ↓ 山門の両側の仁王像は修理中で目玉がくり抜かれている。          

  ↓ 山門をくぐると正面が仏殿。まだ明るいのだが、芝生の上や石灯籠に灯りがともる。風で消えかかる蝋燭の火を係の人が根気強く灯して回っている。

   

   

  仏殿の左右に、浴室と東司(とうす・トイレ)と復元するらしい。今は↓のように、回廊の隅に祀られている。左が、不浄な場所を清める仏様「烏瑟沙摩明王(うすさまみょうおう」、右は、東司の模型の「七間淨頭」、右は屋根を外したところ。      

  

  日暮れとともにライトアップが始まった。↓は、仏殿。

 ↓は、山門。

  夜とともに人出も多くなったので、いったん夕食に戻る。この日の予定は「柿の匠」。
 ↓ きれいに掃き清められた玉砂利の上にも波のようなライトアップ。 


いのちの絵本~”おおしま絵本会議 2015”

2015-08-19 | イベント

  8/8(土)二つの行事に誘われた。前日ようこ姫さんから電話があり、瑞龍寺のライトアップの券をもらったから行かない?と誘われた。町内の納涼祭だが、今年は予定が未定だったので食券を買っていない。「OK.行くよ」と返事をし、しばらく経つと「同じ日にもう一つ行事があるのだけど…」とまた電話があった。それが、「おおしま絵本会議」だ。何でも笛ちゃんが都合が悪くなり、席を空けたくないからと言うことらしい。そう言えば昨秋、西舘さんと青木新門さんの「子守唄ファンタジー」を聴きに行った時も笛ちゃんに会ったっけ。家族の方が絵本館の職員さんだったかも。

 ↓ ポスターにある副題の”いのちの絵本”、”戦後70年 平和について語り合おう” を見て、私がイメージするのは「かわいそうなぞう」「ごんぎつね」だが…、実際読まれたり紹介されたりしたのは、ほとんど知らない絵本だった。
 3名の出演者のうち、紺野美紗子さんは皆さんご存知の俳優さん。テレビ、映画、舞台の他に最近は「朗読座」を主宰しておられる。
 村上信夫さんは、元NHKのアナウンサー。私がリタイア後にパート勤務をしていた頃、毎朝通勤の車の中で「きょうも元気でわくわくラジオ」を楽しみに聞いていたものだ。歯切れの良い爽やかな声の方。
 和合亮一さんは詩人。合唱曲の作詩、講演、朗読活動をしておられる。高校の先生と紹介されたが、今もかどうかはわからない。

  全部で12,3冊の絵本を紹介、そのうち何冊かを朗読された。戦争や平和についてこんなにたくさんの絵本が生まれているとは!驚きだった。

 まず、8月2日未明の富山大空襲の絵本:「ほむら色の空」と「りんごちゃんの8月1日」
 紺野さんが朗読された「ミサコの被爆ピアノ」(松谷みよ子・木内達郎)
 和合さん自作の絵本「走るってなに?」(和合亮一・きむらゆういち) 
 「ぼくのこえがきこえますか」(田島征三)
 「あかり」(林木林・岡田千晶)
 「Life」 (くすのきしげのり・松本春野)
 「新・戦争のつくりかた」 (りぼん・ぷろじぇくと)
 「せんそうしない」 (谷川俊太郎・江頭路子)  などなど。

 ↓は、一昨年の「沖縄慰霊の日」の追悼式で、与那国島の小学1年生、安里有生くんが読んだ詩「へいわってすてきだね」に長谷川義史さんが絵を描いた絵本。URLを開くと、安里くんが朗読している様子がyoutubeで見られます。ようこ姫さんが見つけられたのをお借りしました。当時新聞やテレビで大きく扱われたので記憶にある方もおありでしょうが…。

 へいわってなにかな。 ぼくは、かんがえたよ。 ねこがわらう。 おなかがいっぱい。 やぎがのんびりあるいてる。 ちょうめいそうがたくさんはえ、よなぐにうまが、ヒヒーンとなく。 へいわっていいね。 へいわってうれしいね。 みんなのこころから、へいわがうまれるんだね。 ああ、ぼくは、へいわなときにうまれてよかったよ。 これからも、ずっとへいわがつづくように、ぼくも、ぼくのぼくのできることからがんばるよ。(一部です)

 と、可愛らしい声で、でもしっかりと読んでいます。(最初に詩が載っていて、最後に動画があります)

 http://trend-izumi.com/post-2278/

    

 ↑ の右は、あまんきみこ作・二俣英五郎絵の「きつねのおきゃくさま」。和合さんが朗読されたのだが、朗読の素晴らしさもあって胸がキュンとなるような深い感動を覚えた。
 ↓は、和合さんの朗読のようには行かないが(私が読むのと同じかな)、聞いてみてください。言葉の繰り返し、きつねの心が変わって行くさま、そして最後は泣ける絵本です。

 https://www.youtube.com/watch?v=pBwvHPjOJS0

 ↓ 2時間に及ぶ、トークと朗読が終わり、ご挨拶。

 終演後のロビー。絵本の販売、自作の絵本にサインされる和合さん。村上さんや紺野さんと語り合う人々で賑わっていた。

 

 ↓ いつもの原画コーナーでは、加古里子さんの紹介。

 ↓ そのコーナーの前にはなにやら可愛らしい展示が。

  ↓ カフェギャラリーでは、陶芸展がオープン。

  ↓ ロマンティックなランプシェード。

 今ごろは、きっとパステル画展です。私の知り合いなので案内はがきをもらって来たのに、見つかりません。そのうちに…


夏の弥陀ヶ原~湿原

2015-08-17 | 自然・海山草花

 先日テレビ録画した「日本百名山・至仏山」を見ていたら、尾瀬の湿原が出てきた。「アヤメ平」や「尾瀬ヶ原」である。標高約2000mだそうだから、弥陀ヶ原の1930mと同じくらい、やはり「ラムサール条約」に登録されている。「ラムサール条約」は湿原を保存するために、イランの都市ラムサールで制定されたそうだ。富山県では、2011年に、”立山弥陀ヶ原・大日平”が登録された。 
 ↓の地図の右下、赤丸が弥陀ヶ原バス停近く。白線はバス道路、黄褐色で囲まれた部分が保護区域だ。    

 7/20(月)、伏木写友会から弥陀ヶ原へ行った。バスを降りて看板を眺めていた時、かつての同僚のIさんに会ってビックリ。Iさんはナチュラリストの資格を取り、休日はボランティアをしておられるらしい。嬉しいことにつきっきりで案内してくださった。          
 ↓ 遊歩道へ入る前に、雪渓がある。滑らないように慎重に歩く。

 ↓ 弥陀ヶ原湿原の地糖と一面のワタスゲ。地糖と言えば、「白木峰」の地糖もきれいだった。      

 ↓ 地糖の向こうには、大日岳、奥大日岳。この山から流れ出る水が称名滝となる。

 ↓ ニッコウキスゲの群生。これも、白木峰を思い出させる。  

  ↓ 木道がよく整備されており、歩きやすい。が、私にはチョッとの高低差もキツカッタ。これじゃ、やはり尾瀬は歩けないな~。ずっと渡○○さんと行きたいね、と言っていたのだが。

  ↓ 地糖のことを立山では「餓鬼田」とか「餓鬼の田んぼ」と言う。地獄の餓鬼が飢えをしのぐため田んぼに田植えをするのだけど、ここの植物は稲ではないから、いつまでも食料にありつけない。つらいつらい地獄の田んぼに似ているのが餓鬼の田だそうだ。

  ↓ 「山のあなたの空遠く…」 物思いにふける素適な女性は?

  ↓ 奥大日岳。

  ↓ 大日岳。弥陀ヶ原からは、立山連峰は残念ながら見えません。 

 ↓ の石。木道のあちこちの休憩所に敷いてあるのだが、どこかで(例えばクロ四の工事でとか、建物を作った時)余ったものを利用しているそうだ。山へ重いもの運ぶのは大変だから、上手く利用されるのですね。これは、Iさんの説明をなはさんがよく覚えておられ教えてもらった。その時は興味深く聞いたのに…、すっかり忘れている私でした。

  弥陀ヶ原ホテルのロビーで、高価で美味しい「雲上コーヒー」を飲み、帰路に着いた。      


夏の弥陀ヶ原~花

2015-08-16 | 自然・海山草花

 しばらくお盆休みをしていました。城端の実家(家はありませんが)の墓参りと分家訪問、二上山の我が家の墓参を半日ですませました。我ながらスムーズに回れ、ご苦労さま、と言いたい。

 さて、1か月前の「弥陀ヶ原散策」から始めましょう。散策と言っても、私にはかなりきつい行程でした…。
 富山県民なら、誰でも2度や3度は立山登山をしているはず。私も職場から、家族と、また友人と一緒に何度か雄山山頂に登っています。雄山に登れなくなると、一の越から浄土山へ登ったり、室堂平付近なら玉殿湧水、立山カルデラ展望台、みくりが池一周、獅子が鼻、美女平のぶな林散策など…本当にさまざまな楽しみ方ができるのが立山ですね。

 一昨年久しぶりに、MiTuの山好き仲間と秋の「黒4ダム」まで出かけた。他の人が展望台へ登っている間、私は途中のバケットを展示してある地点までが精いっぱいで、そこで一休み。室堂へ戻ってからもみくりが池一周を諦め、一人ベンチで山々を眺めていた。
 昨秋はSAさんと、やはりアルペンルートを「大観峰」まで。室堂へ戻り、SAさんの後から一人ゆっくりとみくりが池まで下りた。これだけでもよくやった!という感がしたものだ。残念ながら、1年ごとに膝痛と息切れがひどくなっている。
 ↓は、昨秋の立山、中に一昨年のも張り付けてあります。
 http://blog.goo.ne.jp/67kiyoh/d/20141013

 さて、今年は7月に立山に誘われた。写友会の撮影旅行とのこと。チャーターしたバスで室堂まで行くそうだ。いつもは立山駅まで車か電車で、そこからはケーブル、美女平からは高原バス…と乗り継ぐので(この半額券をもらうのだが)一気に行けるとはラクチンだ。しかもどこででも乗り降りができる?(ここら辺が私の早とちりで甘かった)と言うので山を眺めながらお風呂にでも入ろうと私なりの楽しいプランを練っていた。天狗平の「立山高原ホテル」(最近行かないが昔はよく泊まった)の割引入浴券が何枚かあるはずだった。が、そうは問屋が卸さない。弥陀ヶ原から高原バスで天狗平へ行くとして、帰りに「天狗で拾ってもらえますか?」と聞くとダメだと言われる。団体さんだから個人行動は面倒なのだろう。かと言って往復バス賃を出すのももったいないので入浴プランは断念。

 偶然出会ったナチュラリストのIさんの説明を聞きながら、木道を散策した。大した高低差もない遊歩道なのだが、昨年よりさらに体力が落ちているようで、かなり苦しかった。が、夏の立山は何年ぶりだろう?久しぶりに立山の花々に出合えたのが嬉しかった。

 ↓ チングルマ。           

  ↓ ニッコウキスゲ。ゼンテイカとも。  

  ↓ ワレモコウ。 
 ↓ イワカガミ。            

 ↓ 花ウド。             

 ↓ ハクサンボウフウ。      

 ↓ テガタチドリ(上から見ている)。             

 ↓ チングルマのワタゲ。  

 ↓ モミジカラマツ。           

 ↓ タテヤマリンドウ。なかなかピントが合わなかった。可憐な花だ。            

 ↓ 左がアキノキリンソウ 右がオタカラコウ だと思うが同じかも。同じような花の写真が何枚かあり区別がつかない。(トップはアキノキリンソウ)

  

 ↓ タニウツギ。

 ↓ ネバリノギラン。

  ↓ がわからない。最後のとっておきと言って、Iさんが見つけてくださった花なのだが。上から見ているのでなおさらわからないのかも。ウツボグサかも?どなたか教えてください。上の花の名前も違っていたら教えてください。ようこ姫さんのと自分のを比べながら名前を探したのですが。メモしなかったのは失敗でした。 

 明日は、ガキのタンボを紹介します。これぞ弥陀ヶ原と言う風景です。


ひまわり農園の迷路 & 高岡薪能 ’15 お知らせ

2015-08-11 | 能楽

  8/8(土)、射水市大島絵本館で「おおしま絵本会議 2015」が開かれ、ようこ姫さんに誘われて出かけた。絵本館の裏口から入ると、手前にひまわり畑があり、迷路になっている。道端に数台車が止まっており、子どもたちが迷路で遊んでいた。丈の低い品種なのか、大人だと上から眺められるので迷路にはならない。向こうを歩く日傘の女性は一人でお散歩かと思ったら、幼児と手をつないでおられた。小学生だと、↑の写真の”スタート” から”ゴール”まで近道をして一瞬の間だ。「ハイ、ゴール」なんて言いながら「7回め!」などと言って遊んでいた。           

            

 この後、絵本館の「カフェギャラリー」の陶芸展を眺め、「絵本会議」の朗読を聴いた。(これはまたいずれ)

 そろそろお盆だが、8/23(日)には「高岡薪能」が開催される。今年は、狂言が「鬼瓦」、能は「鉄輪(かなわ)」です。会場は、高岡山「瑞龍寺境内」ですが、雨天の場合は「高岡市民会館」に変更します。会場の変更案内は、当日の「北日本新聞」朝刊、社会欄に掲載されるのでご注意ください。ここ2年ほど、突然の雨で、境内から法堂へ急に移動したが、今年はぜひ晴れた境内で夜風に吹かれながら観能したいものだ。先日のライトアップを見ながら、切にそう思った。

 ↓は、表紙の「鉄輪」。夫に見捨てられた女が、鉄輪にろうそくをつけて怒る気持ちを持てば鬼になれる、との神託を受ける。陰陽師の阿部清明が夫と新妻の身代わりの人形を作り祈ると、鬼となった先妻が現れ、恨みを述べて新妻を打ち、男の命を取ろうとするが…。

 このシテ役を、金森先生、ワキの阿部清明を北島公之さんが演じられます。「薪能開始」は、17:45。「火入れの儀」は 19:00頃です。

 私は、午後の一部の素謡「楊貴妃」の地謡で出ますが、出演者は3000円券を買い券を2枚をもらいます。自分の出番が終わると、都合で帰る人もあり余分な券を私が預かりました。今年は多めにあるので観たい方はぜひ仰ってください。一人でも多くに観ていただきたく思います。昨年何人かから機会があれば観たいと聞きながら、どなたか忘れましたので、この場で紹介しました。


つれづれな日々31~デントヘルス・英雄たちの選択・「感情から老化していく人いつまでも感情が若い人」

2015-08-10 | 日記・つぶやき

  日々の生活の中でのちょっと気になる小さな出来事。いくつかたまったそんな記事を、”つれづれな日々”として書いています。今日は31回目です。

 《デントヘルス》
 数年前に歯槽膿漏がひどくなって以来、真面目に「お口のケア」に通院している。今は2ケ月に1度だ。が、ときどき歯磨きを怠ったり疲労がたまり体調が悪いと、てきめんに歯痛に見舞われる。先日もそうだった。痛みもつらいが、物が美味しく食べられないのに困る。歯が浮いたようになりうまく噛み合わないのだ。
 ちょうどそんな時、義妹からご機嫌伺いの電話がかかり、思わずその話をした。すぐ勧められたのが、↓ の塗り薬。彼女は歯磨きの後必ず塗っておくそうだ。歯磨き用の液体のもあるがコレはチューブ入り。「くすりのアオキ」に行き、一番小さいのを買った。 効果抜群。痛みは少々残るが歯茎がしまって来た。若い頃は薬屋さんの薬をよく使ったのに、今は病院通いばかり。チョッと見直しを…。 

 《NHK BS「英雄たちの選択」》
 私の好きな歴史学者、磯田道史さん(「武士の家計簿」の著者)の歴史検証番組。面白い人物や時代をとり上げている時、ときどき見る。先月、「加賀百万石 三代前田利常・究極のサバイバル術」を途中から見て興味津津。再放送を録画して最初から見直した。

 「加賀百万石の前田家は、江戸時代を通じて、なぜナンバー2であり続けたのか?名君といわれる三代前田利常が、幕府の前田家謀反の疑いを晴らした究極のサバイバル術に迫る。」と言うもの。
 実は、取り潰しの危機をかいくぐり、前田家を盤石のものにしたのは前田利常である、と言う。彼こそ名君といわれる人物だった。巧みな外交術で、幕府からの前田家謀反の疑いを晴らし、一方、“武士の家計簿”の原点である、そろばんに強い経済官僚を駆使して、画期的な藩政改革を成し遂げた。加賀百万石の繁栄をもたらした利常は、”武”から”文”への戦略で、御細工所で美術工芸品を作らせ、職人たちには能楽を義務付けた。有名な「金沢では空から謡が降って来る」(植木職人が謡をうなりながら仕事をした)と言われる所以である。

 番組の最後頃に映されたのが↓の能舞台。お囃子に瀬賀先生のお顔も見えますね。シテは島村先生、演目は「三輪」だそうです。この番組のために特別に収録したそうですよ。さすがNHK、私はてっきり定例能の映像を利用したのかと思っていましたが。

 

  《本「感情から老化していく人 いつまでも感情が若い人」》
 いつの頃からか、私の回りで、同年輩の人(男女を問わず)で幼児のように怒りだしたり、パワハラのように相手をなじったりする人が何人か目につくようになった。ちょうどそんな頃、誰かgooのブログでこの本の目次を紹介しておられた。腹を立てている自分も老化か?と気になり、買ってみた。 

 ↑ 左は、若い人向け(と言うか一般向け)、右が私ら向け。
 表紙に、そのしぐさ・言動が「老化のサイン」です!とある。「老化といえば、記憶力の衰えが最初にくると思われがちだ。しかし、記憶力よりも、体力よりも、もっとも先に衰えてくるのが感情なのである。年をとるごとに脳の前頭葉が縮んでくるため、感情の抑制がききにくくなり、ものごとを深く考えなくなる。前頭葉の委縮によって感情が衰えるから、老け込んでしまうのだ。感情の老化は、早ければ四〇代からはじまる。」との説明も書いてある。

 赤い帯封には、次のチェック表がついている。試してみてください。
 □ 物が捨てられない
 □ 無駄な買い物をしない
 □ 負けても平気になる
 □ ベスト盤CDを買う
 □ 「肉食は不健康」と思う
 □ 昼食はいつも同じ店

 ちなみに、私はちょうど半分チェックがつきました~。帯封の裏側には、「感情の老化を防げば、知力、体力の老化も防ぐことができる。」とあります。
 目次は省略しますが、最後の第五章のタイトルは、驚くなかれ「日本は”前頭葉”衰退社会!?”

 読んでみたい人は私までお申し込みください。


”季節のたより”~福島の桃・暑中見舞状と切手・主菓子いろいろ

2015-08-08 | 日記・つぶやき

  8/8日、ようやく「立秋」です。暦の上だけでも「秋」の文字を待っていました。東京では猛暑日が8日間も続いたとか。こちらも雨が降らないのがつらく、草木も人も干上がりそうです。昨夜、今朝なぞ少し風がそよいでいる気配がします…。

 《福島の桃》
 先日、よっしーちゃんが「今年もこの季節になりました」と、福島の桃を持って来てくださいました。ご主人が福島勤務、東日本大震災後は毎年「復興支援の桃」を持って帰省されるそうです。「今年は宅配便だった」そうでお裾分けをいただきました。すぐ写真を撮ればよかったのですが、友人と一緒に食べたので撮り忘れ。↓は、ネットの通販の写真でいただいたのとは関係ありませんが、たくさんの農家の桃、瑞々しく美味しそうな桃がアップされています。        

  《暑中見舞い状と切手》
 今年も、何人かから暑中お見舞いをいただきました。ほとんど「かもメール」です。私も、小矢部園芸のつどいの写真や、来年のクラス会の予告案内を、暑中見舞いに添えて送りました。手持ちの切手が足りなくなり郵便局本局へまとめ買いに行きました。
 ↓は、上から、「うさぎ」の2円切手、「ふみの日」と「野菜とくだもの」の52円切手、「とき」の10円切手、「にほんじか」の20円切手です。2円の「うさぎ」の他は、「とき」も「にほんじか」もデザインが変わっていました。「前の切手が残っていて、まだ端数の切手がいるのですよ。」と言うと、「はい、そんな人がたくさん来られます」と若い職員さん。        

  ↓は、いつもパステル画を送ってくださる親戚の方(地色がピンクに変色してしまいました)。5年に1度の「刺繍展」に出品したそうで、その写真も同封してありました。長く続けておられ、なかなか精巧な作品です。相模原市にお住まいなので町田のホールで開かれたようです。      

   

  《お茶教室の主菓子》
 6月頃からの主菓子の写真が残っていました。↓は、ほおずき。葉っぱの演出はようこ姫さんです。

  ↓は、「簾(すだれ)」。クロモジと葉っぱの演出はようこ姫さん。 

  ↓は、昨日茶々姫さんが用事で来訪された時にお土産にといただいたもの。「秋空」と命名したい。金箔を散らした美しい夜空。主菓子は3種とも、高岡市さわだ屋さんのもの。 

 


多文化こども勉教室

2015-08-07 | ボランティア

 8月1日(土)のこと。いつものことだが多忙な月末が過ぎて8月に入った。毎日相変わらず暑い。
 8月1日は、米ちゃんのとこの「納涼祭」だけが頭にあった。お茶は夏休みだし、土曜の午前はのんびりと、と朝、手元のカレンダーを見て驚いた。土曜午前の欄に、「野村 サポーター」とあるではないか。エ~ッ!である。最近、ホントにこの手のミスがぐっと増えた。

 リーダーのKUさんのケータイに電話をしたら、もう1人のサポーターがお休みなので遅れてもいいから来てほしいとのこと。30分遅れで野村児童センターに到着。いつものAくんの他に、中国人の親子が初めて来ておられる。息子さんは3月に中国の中学校を卒業したばかり。日本の高校に入りたいが、まず国語の勉強からと言うわけで小学校の国語の教科書を使って勉強中だった。Mr.山○なら中国語はお手のものだが、英語が媒介にもならぬようでKUさんも四苦八苦。でも、2時間休憩なしで勉強しておられた。

 私はいつものように小4のAくんの漢字勉強を見てあげる。その後、自主勉強の算数をして早めに切り上げ。彼は、将来建築家になるのが夢でカプラの積み木遊びが大好きだ。が、この日は、その部屋では遊べないので「隣の部屋へ行ってもいい?」と聞く。私もついて行く。
  双子の赤ちゃんを連れた若いママさんが赤ちゃんを遊ばせておられた。後で聞けば、最近他県から市内のマンションに越してきたが、自治会に入っていないからか「市民と市政」が配達されないと言う。「七夕まつり」の詳細がわからない、とセンターの職員さんに聞いておられた。私の町内の班でも、マンション経営の業者にゴミ処理も任されているので、自治会に入らず、未だに住人の名前すら知らない人たちの家が何軒もある。近くに住みながら、誰が住んでいるかもわからないとは変な話だな~といつも思うのだが。

 その点、子どもたちは仲良くなるのが早い。夏休みだからだろう、地元の小学生が3名遊びに来ていた。3年、5年、6年(だったか?)の少年たちだ。Aくんに「どこの国?」と尋ねている。「バングラディッシュ。」 「へえ~、日本の国旗と色違いだよね?}と6年生の子。「ウン、そう。」 あら、そうなの?知らなかった。 ↓が、バングラディッシュの国旗です。♪ 白地に赤く ♪ が 「緑地に赤く」なのです。(ネットから) 私も勉強させてもらっています。

  4人はすっかり仲良しになり、Aくんが取り出したブロックで自動車の共同作品を作り上げたらしい。元の部屋に戻って記録を書いていた私を「できたから 見て」と呼びに来てくれた。一枚パチリ。子どもたちが仲良くなって行く過程が面白い。

 そのうち、各自ドミノを作り、それをつなげて倒そうと取り組み始めた。が、帰る時間が来て途中で倒してしまったが。Aくんは、いつものオマケの時間がいっそう楽しいものになっただろう。勉強にも励みがつくことだろう。


米島モーターズの「納涼祭」

2015-08-05 | イベント

  8/1(土)、早いもので1年の折り返し点も、我が誕生日もとっくに過ぎて、本格的な夏休みに入った。夏生まれの私としては、夏はそう苦手ではなかったはずなのに…。年齢のせいか、異常気候なのか、毎日死にそうな思いで過ごしている。お茶教室も夏休みと言う、8月最初の土曜日のこと。朝から大失敗をした(そのことはまたいずれ)。

 さて、高岡市赤祖父の「米島モータース」から、”おかげさまで45周年”納涼祭のご案内 をいただいた。45周年と言うことは二十歳そこそこで創業されたと言うことだ。あれだけ大きくされたと言うことは並大抵のご苦労ではなかろう。花火大会、大抽選会、各種催し物…に惹かれSAさんを誘って出かけた。あの広~い駐車場が会場になり、来場者の駐車場は総合庁舎のを借りる。もちろん徒歩の人もおられよう。↓ テントは赤祖父町内会。生ビール、焼きそば、イカ焼き、焼き鳥、鮎、かき氷、スイカ、ジュース…どのテントの前も行列だ。

  ↓ 途中で米ちゃん社長さんのご挨拶。いつもの原稿を持ってのパフォーマンス。

  山崎先生は金沢の「観能の夕」の日、瀬賀先生ご夫妻、上田先生ご夫妻、龍尚会や平米公民館のメンバーもあちこちに席をとり、食べたり飲んだり喋ったり。

  大坪先生も来ておられると言うので、ご挨拶に行くと同じテーブルの可愛い女性から声をかけられた。おやまあ、KIちゃん!元気?懐かしいね~。「○○、いくつになったが?」これは、私への質問です。アハハ。彼女は、吉久で「おでん屋」さんを開いているそう。店の名前は「一歩」。いつか行かなくちゃね。とても嬉しかった。↓の左は、ビンゴゲームで風船をもらった人のもの。バルーンアートのミッキーマウス。 

      

 ↓ 最後は、花火大会でした。これは写すのが難しい。この程度しか撮れなかったです。

       

  ↓ 最後に私の大当たり。抽選会の2等を当てました。マークが来る時までとっておきましょう。 

                                

   帰りに京田のモスバーガーに寄り、甘いスイーツ「ハウピアトール」を食べ11時まで粘りました。夏は夜更かしばかり(写真撮ったのに消してしまい、メニュー表から)。            


7月の「あかね」 & ドリア・リーボ

2015-08-04 | ボランティア

 いつものように多忙な月末。さらに新たな予定を入れるもんだから体が根をあげている。オマケにこの暑さだ。
 7/29,30日は「あかね」の音訳ボランティアの日。朝からだるい。そのうえ電話が何本かかかった。かなり遅れて「ふれあい福祉センター」へ行くと、なんと4人しかおられない。私を入れて5人だ。お里帰りの人、ご自身やご家族が病気の人、旅行の人などなどである。

 私はと言えば、体調もあまりよくなく、オマケに一つショックな出来事があり、外へ出たくない気分だったのだが…。皆の顔を見て、話をし、「市民と市政」の8月号を読みながら「ああやこうや」と言っているうちにどうやら元気を取り戻した。
 が、5人で20ページはなかなか大変。暑いこともあり、録音は必ずしもスムーズに進まず、いつもの読む練習も試読して時間を計測する過程もおろそかになり、1日目のカセットテープ作成作業が2日目に持ち越されることになった。

 2日目、私はまたもや遅刻。昨日、時間オーバーしていた(60分テープに収めるので)記事を削るに削って、ようやく完成。いざ、ダビングしようとすると、ダビング器械が1台不良。ついてない時は何もかもついてないものだ。
 いつもだと11時頃に終わるのが1時過ぎになり、皆お腹がペコペコ。初めての店というわけで(私は2度目)、「ドリア・リーボ」へ繰り出した。お昼時をちょっと過ぎていたからか駐車場も店内も余裕たっぷり。ホッと一息ついたこともあり、ゆっくりおしゃべりを楽しんだ。↓は、その日のランチ。上が夏野菜、下がアボカドだったかな、日が経ったら忘れてしまった。1番↓はデザート。 

 

 

 今回の反省。時間が足りなくても、記事を読む時間の計測や、残り時間の見通しなどを正確にする。勘にたよったり、後で帳尻を合わせようと言うのは、結局は余計に時間を費やすことになる。肝に銘じました。