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7/6(水)、読売旅行の「下北・津軽の旅」に義妹と参加した。大宮駅で、北陸新幹線から東北新幹線に乗り換え、八戸駅で下車。ここから「秋北(しゅうほく)バス」で青森県を回る。
まず訪ねたのが「八戸博物館」と「史跡根城(ねじょう)」。パンフには、日本100名城の一つ、中世城郭とある。
↓は、博物館前の騎馬像。南部師行(なんぶもろゆき)とあった。誰だろう?1334年(建武元年)、甲斐の国(山梨県南部町・身延町)の武士南部師行が国代としてこの地に赴き、北奥羽の支配拠点として根城を築いた。その後遠野へ領地替えになるまで300年間、ただの1度も落城することのなかった名城だそうだ。
市内には多くの遺跡があるそうで、縄文時代の生活道具なども展示されていた。↓は、「おしらさま」。この地方の家の神さま。
↓は、菱形刺し子。津軽地方の刺し子は「こぎん」と呼ばれ刺し方が違うそうだ。
博物館の横に、「史跡根城の広場」があり、昭和53年から発掘調査が始り、数少ない中世の平城として復元された。↓は、根城跡の説明図。小雨の降る広い敷地をボランティアガイドさんが丁寧に説明しながら案内してくださった。ガイドさんが苦笑いして曰く、「秘境の旅で来られたのですね」と。ここで初めて、このツアーの正式名が「下北・津軽 みちのくさいはて秘境周遊の旅」と知った次第。八戸は人口23万、青森県2番目の都市である。
↓は、本丸跡に復元された「主殿(しゅでん)」。当主が来客を迎えたり、儀式を行った場所。
↓ 下馬屋。馬(模型)もいました。南部馬は、体が大きく強健とのこと。
八戸近辺には、一戸、二戸…と戸(へ)の付く町が多く、不思議に思い博物館の人に尋ねた。馬の牧場のことと言う。一から九まであり、四戸はない。
バスの中で、ガイドさんが詳しく説明してくださった。
「この地方の特産品は馬で,貢馬(くめ)といって年貢として納められていたそうです。「戸」は,この馬の管理,貢馬のための行政組織だったようです。広大な地域を官営牧場とし,九つの区画して運営していました。」
このガイドさん(佐々木ゆかりさん)が素晴らしいガイドさんで、説明の細かい数字もすべて暗記しておられ、驚くばかり。南北朝時代、南部氏が治めていた八戸の様子が、少しわかった気がしてきた。
さて、泊りは野辺地町馬門観光ホテル。生ビールとホタテ料理を楽しんだ。
↓は、ホテルロビーの「野辺地祇園祭」の山車。
↓は、ロビーでのピアノコンサート。リクエストもあり、私は「星めぐりの歌」を弾いてもらった。
史跡・根城とは聞いたこともない名前のお城ですね。南部師行という人の名も。300年も落城しなかったとは、凄いことに思えます。
「おしらすさま」は聞いたことがありますが、華やかな衣装を着けておられますね。
「こぎん刺し」も言葉は聞いてことがありますが、複雑で難しそうな刺繍ですね。
復元された建物は素朴で如何にも昔のものという感じです。馬の模型,立派です。「戸」にはそのような意味があるのですか,夫の従弟の息子が「八戸大学」に行っていました。それで一戸とか二戸とかがあることを知りました。
土地の人は郷土を愛していられるのが分かります。こんな話を聞きますと、ガイドではなくても古城公園のことなどなにも知らないことを反省します。
「星めぐりの歌」良かったですね!このピアニストの方、スマートで小姫様を連想しました。
最近は出かけることも増えたとはよかったですね。
ホントに体と相談しながらですね。私も、今度の旅行でまた少しだけ自信を取り戻しました。
恐山で息切れがしましたが、それは体力と言うより、集合時間に間に合わないかと言う焦りの気持からでした。
気持の余裕がとても大事ですね。
根城なんて初めて聞く名前ですね。読み方も知らなかったですから。
それもそのはず、南北朝時代の越中は?と後で調べてみました。守山城、増山城、庄の城、中田城、井口城…とあるのですよ。魚津の松倉城は有名ですね。
高岡城は100名城の一つですが江戸時代の城ですものね。ご主人の従弟さんの息子さんが八戸におられたのですね青森県では2番目の都市、高岡と人口も似ているようです。
これまた、調べて書いたのですね。
こぎん刺繍、昔、やったことがあります。
繰り返しのようですが、横に1列通して縫うので、覚えきれないので、目がちょろちゅろになります
ここまでくると、変わったものがありますね
八戸なんて名前しか知らない所で、こんな所が観光地?と最初は思いましたよ。博物館に入っても説明はないし…。で、質問攻め。
他所へ行くと、その頃富山はどうだった?と思ってしまいます。こぎん刺繍は経験済みですか。やはり違いますね。