Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

音訳ボランティア「グループ・あかね」~お土産&ご当地キャラ

2015-02-28 | ボランティア

 2015年もはや2ヶ月が過ぎ、明日からもう3月。いつものように月末は忙しく、病院やお寺のお詣りやら、と予定が詰まっている。が、どうにか、音訳ボランティアの一日目だけは出席できた。月1度のボランティアなので1回欠席するとしばらくご無沙汰となる。

 この日は、「市民と市政 3月号」の録音の日。北陸新幹線関連の記事と4月の新年度の記事が重なり、いつもよりページ数が多かった。1ページめくる毎に、皆さん興味津津で記事に目を通す。新高岡駅構内図、駅周辺図、シャトルバスの時間、駐車場の位置などにチェックが入った。

 「城端線と氷見線の”走るギャラリー”って乗ってみたいね」
 「”ネマルカフェ”って椅子席なのかね? ネマルって座ることやろ?」
 「城端線駅と新高岡駅の間はどのくらい歩くがやろね。屋根はあるのかな?」 「東京の地下鉄みたいに長~くあるくがじゃない?」 と言う具合で、最後まで目を通して分担を決めるのにずいぶん時間がかかった。
 おまけに確定申告の話も出て、盛り上がり充分。

 ちょっと一休みをして、お土産をつまむ。↓は、2月中旬富士山と東京へ撮影旅行に行かれたなはさん達からもらった「富士山七変化」。富士五個が目的だったけど富士山にはまったくお目にかかれず、富士山のお土産を何種類も買って来たそうだ。白砂糖、うこん、胡麻マヨ、紫いも、抹茶、辛子、キラキラざらめ…の七種類。            

 * 天より舞い降りた雪の衣まとう富士山 ~ 白砂糖
 * 夕暮れのグラデーションにとけゆく富士山 ~ 紫いも
 * 青葉がいきいき躍動する緑の富士山 ~ 抹茶
 などの説明を読みながら、楽しんで味わった。             

 KAさんが持って来られたのは、”KANAYA"。「洋風落雁」とあり、上品なお味。金屋町の街並と石畳の写真が入っている。金沢の「YUKIZURI” みたいな銘菓になるといい。     

 KAさんいわく、「賞味期限が2月末だからまだ大丈夫だよね。(その日は25日だった)。」 「もちろん大丈夫」
そして箱の裏を見て、「エ~ッ?」  ↓を見てください。       

 賞味期限は永遠に来ません。 大笑いでした。

 いよいよ読み合わせです。トップ写真の表紙をご覧ください。W7系の正面の青色が鮮やかだ。ページ下の新幹線列車の屋根に、利長くんを先頭に県内のご当地キャラがずらりと並ぶ。
 いわく、「 北陸新幹線開業!ぼくたちといっしょに富山県を盛り上げよう!」 
 さあ、ここでまた話が盛り上がり、読み合わせはストップしてしまった。どのキャラがどの町かわかるか? と、「あてっこ」が始まった。皆さんよく知っておられる。でも、誰もわからないのもあり、なかちゃんがやおら、i-Padを取り出して正解発表となった。こんな時i-Padは便利だね。 「裏表紙に名前を書いとけばいいのに…」 「クイズにして賞品を出すとか…」 などなどワイワイガヤガヤ。 皆さんはわかりますか。トライしてみてください。 

 正解は、上の左から:

 利長くん(高岡市)、 きときと君(富山県)、 ミラたん(魚津市)、 キットちゃん(氷見市)、 キラリン(滑川市)、 ウオー太郎(黒部市)、 チューりくん(砺波市)

 下の左から:

 リップくん(砺波市)、 メルギューくん(小矢部市) メルモモちゃん(小矢部市)、 NANTOくん(南砺市)、 ムズムズくん(射水市)、 つるぎくん(上市町)、 らいじい(立山町)、 ジャンボール三世(入善町)、 ひすい太郎(朝日町)。

 「利長くんが、1番上品で可愛くて、頼もしいよね~」が全員一致の意見でした。


「マタイ受難曲」~バッハアンサンブル富山

2015-02-26 | 合唱

 2/22(日)、富山 オーバードホールにて、「バッハアンサンブル富山」の設立10周年記念演奏会が開かれ、J.S.バッハの「マタイ受難曲」が歌われた。一昨年、富山県民会館で「ヨハネ受難曲」を聴いた後、すでに2年後の10周年記念には「マタイ受難曲」をと言う声を聞いていたので、2年越し、もしかしたらもっと前からの悲願だったのかもしれない。素人が合唱をやっていて、「第九」やヘンデルの「メサイア」、モーツアルトの「レクイエム」を歌うことはあっても、バッハの「マタイ受難曲」」を歌える機会はなかなかないのではないか?もちろん聴く機会も、である。私自身、一昨年の「ヨハネ」も今回の「マタイ」も初めてであった。

 ↓は、「ヨハネ受難曲」を聴いた時の感動を書いた私のブログ。
 
  http://blog.goo.ne.jp/67kiyoh/d/20130222

 ↓は、今年のポスター。

  開演前に、国立音大招聘教授の磯山雅氏の解説があると聞き、期待していた。が、プログラムに詳しく解説されており、また字幕を写しだす作業にかなり神経を使われたようで、短いものだった。
 が、凝縮して仰ったのは、キリスト教を超えて聴く音楽であること、自分たちの罪を見直そう、自分自身を見直そう、と言うメッセージを歌っていること、特に最後の30分は死んだイエスへの感謝を表現している、と言うことだったと思う。

 この曲は、タイトルが表しているように新約聖書の4福音書の一つ「マタイ書」の26,27章の受難の場面を、合唱、ソロ、デュエット、児童合唱、管弦楽で演奏する。「ヨハネ受難曲」が2時間なのに対し、「マタイ」は3時間に及ぶ大曲だ。(↓は、指揮者の津田先生のブログから、リハーサル風景)

 第1部は、イエスによる「受難の予告」により始まり、マグダラのマリアによる「香油注ぎ」のエピソードが展開する。そして「ユダの裏切り」、「最後の晩餐」へと続き、イエスは捕縛される。イエスを賛美する大きな合唱曲で第1部を閉じる。

 第2部では、ローマ総督ピラトによる裁判が始まり、大祭司や役人、兵士たちの審問が続く。弟子ペテロは、「イエスの弟子だろう?」との問いに3度否認する。すると予告どおり鶏が鳴き、ペテロは涙にくれる。ピラトはイエスの罪を見いだせず恩赦で釈放しようとするが、ユダヤ人たちは強盗で人殺しのバラバを釈放せよと叫ぶ。そこでピラトはイエスを鞭で打たせ、祭司長や役人の「十字架につけろ」の叫びが高まる中判決を下し、イエスはユダヤ人たちに引き渡される。そして、イエスは自ら十字架を背負いゴルゴダに向かう。この後、十字架上の処刑、イエスの死と続き、埋葬で終わる。
 すると神殿の幕が裂け、地震が起こる。恐れたローマ兵たちは、「本当にこの方は神の子だったのだ」と述懐する。遺体は埋葬され、墓には封印が施される。最終合唱曲が流れるうち、全曲が閉じられる。

 ↓ リハーサルの様子。           

 通して、福音史家(東副光晴さん:ヨハネの時と同じで合唱団指揮者)が語りの部分を、イエス(佐々木直樹さん)のセリフはソロで歌われる。他に、ソプラノ、アルト、テノール、バスのソリストが何人かおられ、アリア、女中、ピラト、ペテロ、ユダ、大祭司のなどのソロを歌われる。
 後に字幕が出るが、役割がわからないこともあり、何度もプログラムを見なければならず、音をたてないように気を配った。「ヨハネ」の時は、聖書を読んで行けばよかったと後悔したので今回は26、27章は読んで行った。

 「Passion=受難」そのものは重苦しくつらい。ソロがその悲しみを歌う場面では涙が出そうになる。特にテノール、ソプラノのソロに心が揺さぶられる思いだった。フルートやオーボエ、チェロのソロに合わせて歌うアリアが美しかった。バスソロの上野正人さんは、いくつもの役を歌われ出番も多く、大変だったろう。
 合唱団には、MiTUの仲間、元MiTUの方、知り合いのKAさんなどもおられ、今回は前の席だったので、皆さんが明るい顔で楽しげに思いを込めて歌っておられる姿が手に取るように伺われ、素晴らしく羨ましいの一言だった。 
 何度か知っているメロディが歌われたが、讃美歌136番が使われていると後で知った。

 ↓は、翌日のK新聞記事。           

 指揮:津田雄二郎
 管弦楽:富山室内合奏団
 児童合唱:とやま香音ジュニア・コーラス
 合唱:バッハアンサンブル 富山


50年目の新婚旅行~こころ旅(島根県 美保神社)

2015-02-22 | 日記・つぶやき

 昨年、平成26年10月、元職場の厚生会主催の金婚祝賀会が開かれ、その様子が「厚生会だより」に紹介された。何組かのご夫婦の喜びの声も掲載された。題して「二人で大切にしてきたこと」。その欄に友人のようこ姫さんご夫妻の言葉もあった。いわく、「互いの足らざるを補い、良さを大切にしつつ、”縛りのゆるい二人三脚”を歩み続けて50年。これからも周囲に感謝の気持を忘れず、健康に過ごせることを願っています。」

 お二人をよく知っている私は、”いい言葉だな~、まさにそのとおりの生き方をしておられる”と、感心しつつも私とは関係がない、という思いでいた。
 ところが、それから間もない10/14、NHK BS「こころ旅」の島根県の旅で、胸をつかれるお手紙とそれを読む火野正平さんの姿に接し、思わず涙した。↓は、「こころ旅」のHPから。 

放送日:平成26年10月14日 373日目 島根県松江市美保関町

岡山県の木村宮子さんの”こころの風景” ↓の「手紙を読む」をクリックすると手紙の全文が読めます。

美保神社

手紙を読む

この日のこころの風景は、お手紙をくれた木村宮子さんが新婚旅行で訪れた美保神社。10年ごとにまた来ようと約束した夫が10年もせず病に倒れ、死別。その約束から、もうすぐ50年になるといいます。台風通過後の風の中、鳥取県境港市の弥生緑地を出発。島根県に行くには境水道大橋を渡らなければならないのですが、怖がる正平さんはバスで島根入り。小さな漁村や雲間から差す陽の光を見ながら海辺の道を美保神社へ。神社の横にある青石畳通りで昔を偲び、いよいよ境内へ。正平さんは、木村さんの代わりにお参りを始めます。

この日のブログ

 美保神社は、由緒ある神社だそうだ。宮子さんが農家へ嫁いだのが昭和40年(1965年)、新婚旅行で訪れた美保神社へ10年ごとに来よう、と約束してくれた夫は10年もたたないうちに病死。以後1度も訪ねていない。来年(2015年)は50年目。息子夫婦は「行ってお詣りをしていらっしゃい」と言ってくれるが、行けそうもない。「正平さん代わりに訪ねてください」と言うのがお手紙の内容だ。昭和40年と言えば私と同じ、年齢もよく似ている。
 正平さんは、10年目、20年目…と4回分お参りして、「5回目は宮子さん、自分で 来な」と言う。この言葉にハッとした。そうだ、50年目に新婚旅行の場所を訪れることができるのも幸せなことかも。昨秋、娘夫婦が来た時、その話をしたら、「お母さん、一緒に行こうよ、マークも一緒に」 京都が大好きな2人はがぜん乗り気になり、4月に来日する計画まで立てる始末。先日、電話で「結婚記念日はいつ?」と聞くから、結婚式と届を出した日は違うと思うけど、2月22日だったかな?」と答えた。

 そして送られて来たのが、↓のカード。
  ” With our warmest wishes and fondest thoughts for you. For your  'special’ Wedding 50th Anniversary." とある。 ードがこんなに嬉しいものだとは! 今までで初めての経験だった。 


本番まであと1カ月! 平米公民館「能楽お囃子の会」は頑張っています

2015-02-20 | 能楽

 「蒼山会」の発表会まで後1ヶ月。平米公民館のお稽古は月3度なので、残すところ4回となり熱が入って来た。2/1(日)に合唱練習の後片づけの時に足を怪我し、どうなることかと思ったが正座ができるまでになりホッとしている。が、まだ毎回ミスをするし、謡の暗記もこれからだ。

 ↓は、図書室での太鼓のお稽古風景。先生は上田先生、笛は米島先生、右手前は謡の山崎先生。 

 ↓ お稽古は、SIさんの「胡蝶」。            

 ↓ 場所を変えて和室で舞囃子「鞍馬天狗」のお稽古。立ち方のMAさんは、今度が初めての舞囃子。仕舞は謡だけに合わせるが、舞囃子はお囃子とも合わせなければならない。MAさんは公民館組でないのだが、公民館のお稽古日にもう3度も通っておられる熱心さだ。笛は瀬賀先生、太鼓はMAtuさん。仕舞の指導と謡は山崎先生。   

 ↓ 笛方と太鼓方の間に、小鼓方、大皷方が入られる。   

 ↓ この日は、5/5(祝)に東京の宝生能楽堂で行われる、大坪十喜雄師の追善能の番組表を見せてもらった。           

 ↓ 米島先生の能「頼政」。仕舞や謡に高岡からもたくさんの方が出演される。            


本「70歳死亡法案 可決」 読前感騒ぎ

2015-02-19 | 

 水曜日朝、ほぼ毎週千葉のAちゃんから電話がかかる。都内の長女さん宅に滞在し、船橋の次女さん宅へお手伝いに通う彼女は、火曜夜だけ千葉の自宅に戻るのだ。間に、ケータイのeメールで話すこともあるが、けっこう話題がつきない。

 弟さんを亡くされたが、残る4姉妹が仲良く交流しておられるのが私には羨ましい。小さい頃は、自称「若草物語」、Aちゃんは次女なので、ジョーだと嬉しそうだったものだ。
 彼女にとって、6歳上のお姉さん(私は学生時代に、中野のお姉さん宅に下宿していた)は母親代わりのようだったらしい。そのお姉さんが数年前にご主人を亡くされ、今は友人達の洋服や着物のリフォーム注文を引きうけたりして忙しく元気に暮らしておられる。

 2/18(水)のことである。いつもの電話でAちゃんいわく、「○○ちゃん、A新聞とっとるやろ?昨日の新聞の2面見て。”天声人語”の裏あたり」(彼女は今でも城端弁。たぶん私と話す時)
 回収袋から取り出して新聞をめくる私。本の紹介欄である。たまたまその日はそのページを見た。小林聡美の「お散歩」と言う本の紹介に興味があったのだ。が、その隣に、同じ幻冬舎出版の↓の本の紹介があったのには気づかなかった。      

 お姉さんは、この本のタイトルに憤慨し、「けしからん」とあちこちへ電話をかけまくり、妹たちにもかかって来たというわけだ。紹介文を読むと架空の話らしいが?
 ちょうどその日は、茶々姫さん宅でなはさんとも会う予定。お姉さんは戌歳の早生まれ。お二人は酉年。きっと同学年。いつもお元気な先輩方を、ほんの少し若い我々は尊敬し、見習っている。茶々姫さんもA紙をとっておられるので、広げて皆で喧々囂々。とまでは行かないが「どんな本やろ?読んでみたい気もするし、読みたくもない気も…」 私なぞは、え?安倍政権が?またまたわけのわからんことを好き勝手に、が第一印象だった。現代姥捨て山みたいな本かしら?

 高岡市立図書館に予約しようとしたがなかった。ネットではけっこう読後感が載っている。なんでも、家族について考える内容だとか。今放映中の「流星ワゴン」(重松清原作)も家族を取り上げているが最近こんな本が多いようだ。読みもしない本の読後感ならぬ、読前感の一コマでした。

 この記事を途中まで書いて下書き保存したのに、ウッカリアップしてしまい、さっそくコメントをいただき慌てて書き足しました。


スイセイミュージカル「楽園」

2015-02-18 | 映画・テレビ・演劇・芸能

 2/10(火)、前日から降り続けた雪は少し小止みになったが、かなり積もった。高岡文化ホールの駐車場の雪はどうだろうな~と思いながら早めに家を出た。係の人も劇団の人も高岡公演の2日間は大変だったことでしょう。画廊「七本杉」のTOさんも、前日朝から搬入の仕事だったそうだ。

 この日は、劇団スイセイミュージカル「楽園」の公演、2日目。↓は、文化ホールの前庭。             

  ↓ 入り口のポスター。 外は雪景色だが、ここは常夏の国、ハワイ。              

 ↓ チラシの裏です、結成20年目のスイセイミュージカルのオリジナル作品で、「国産ミュージカルの最高傑作」と謳われています。何度も現地への取材を重ねて完成しました。          

  ↓ Wキャストもあるので、当日の出演者の名前が掲示されています。 

  ↓ 開演前に7,8名の団員によるフラダンスがロビーで披露され、ムードが盛り上がります。           

  《ストーリー》 時は現代。大学でハワイ史の講師をしている佐々木亜矢子は、来春出版する本の取材のためハワイへやって来ます。取材とともに、亜矢子にはハワイでどうしても知りたいことがありました。それは、子どもの頃からよく見る夢についてでした…。
 ある日亜矢子は、ハレイワにある老人施設を訪ねます。そこで出会ったのは、日系2世の女性、治子。治子は亜矢子に懇願され、重い口を開き、70年前にそこで起こった悲しい出来事を語りはじめます。

 時は遡り、1941年ハレイワ。日系2世の星司は、生まれ育ったハレイワの街で家族と共に平穏な毎日を過ごしています。ある晩、森に出かけた星司は、ハワイアンの美しい女性、レイラーニに出会い、恋に落ちます。が、刻々と戦争の暗い影が忍び寄って来ます。三国同盟が結ばれ、日本がアメリカと戦争をするらしい、と言う新聞のニュースに日系人たちの不安は募ります。戦争になれば日系移民はどうなる?2世たちはアメリカ国籍を持っている…、米軍に入隊し日本人と闘うことに…。
 そして突然の真珠湾攻撃です。舞台では閃光と爆撃音だけ。が、アメリカ艦隊だけでなく、ハワイの住民たちも日系人家族も死ぬのですね。その後の二人の恋人たちと家族の運命は悲しいものでした。ハワイアンも日系人も、その他の住民たちも戦争に巻き込まれます。老人施設で、兄や父母、レイラーニとその家族の悲しい物語を語った治子は、星司の妹だったのです。
 星司とレイラーニの清らかな恋は、ちょうど「ロメオとジュリエット」や、能「女郎花(おみなめし)」のように二人の死で終わります。二人ともハレイワの海へ身を投げて…。

 歴史の教科書では、「12月8日は真珠湾攻撃」とだけ習う。7年前に「アリゾナ記念館」を訪ねた時は、今も海底に沈む戦艦アリゾナの姿を眺め複雑な思いをした、と以前も書いた。一緒に観劇したSEさんは、ご主人との旅行で「ミズリー記念館」も訪ねたそうだ。私たちは、真珠湾に浮かぶミズーリー号は眺めただけで中には入らなかった。いつの戦争も、どこの戦争も同じだが、ああ、ここでもたくさんの住民たちが命を落としたのだ、と改めて思いを深くした。

 歌(ソロもデュエット)もダンスも素晴らしかったが、音響が大きすぎるように思った。後の席だったので顔が見えないね、と言っていたら、前席のMiTUの友達がオペラブラスを貸してくださった。

 ↓は、劇団のブログから。左は、楽屋に飾られた手作りひな人形。右は、花束を持つ星野真衣さんと金子昌代さん(たぶん)。いずれも高岡会場での写真です。

                

 


お稽古と練習

2015-02-16 | 日記・つぶやき

 毎年この季節になると、春夏の能楽と合唱の発表会に向けての記事を書いている。今年は、3月と5月に謡と太鼓、6月に合唱の大きな発表会を控えており、練習はだんだん熱を帯びて来た。

 特に3月の「蒼山会」能楽大会では、「高岡市青年の家・能舞台」のリニューアルオープン記念の演能、「葵上」が行われる。自分のお稽古もさることながら、目下お能のPRにあい勤めている。「青年の家」には30以上のサークルがあり、友人のSAさんは「英会話サークル」のお世話を、SIさんのヴィオリラの先生は「青年の家」でも指導しておられる。が、3階のホールに「能舞台」があることを知らない人、「何の工事だろう?」と思っている人がとても多いそうだ。

 高岡でお能を観る機会はなかなかない。年に2,3度くらい、しかもチケットは高価。今回は入場無料だ。と言うわけで、友人、知人から「番組表」をほしいという希望が殺到している。SAさんにもサークルの希望者にかなり配ってもらった。3/22(日)午前から昼過ぎまで会員のお浚い会、午後4時から能「葵上」です。番組表をご希望の方は仰ってください。(いずれ、平米公民館での舞囃子のお稽古をアップします)

 続けて、↓は、2/15(日)午後、ウイングウイング4F スタジオ405号室での合唱の練習風景。

 「合唱団MiTu」のコンサートは6月末だが、今年は10回記念なので特別ステージを団外の指揮者にお願いした。その指揮者が、杉原先生。能楽でご活躍の瀬賀、江幡、車先生の1番上のお姉さま。前にも書いたが、とてもお元気で指導が細かく丁寧。「アルトの中で何人か”日を~”の”日”を早く出る方がおられますよ。」とか、「ソプラノさん、1本にしてください。いくつもの声が聞こえますよ」など。男声ももちろんビシビシとチェックを受ける。よほど耳がいいのでしょうね。
 他パートの指導をしておられる合間に、わからない個所をコソコソ相談しているのも全部聞こえているのだろうな~。もちろんコレには何も仰いませんが、自然に雑談はなくなって来ました。            

 この日は、衣装の見本も披露された。杉原先生指揮の「ほほえみ」のステージで着るブラウス。役員の方たちがいくつか選び、女声パートの皆の意見を聞かれた。歌と共に衣装もお楽しみに。


「ルビーの会」新年会に向けて

2015-02-15 | 日記・つぶやき

 2/14(土)、お茶教室はひな祭りのしつらえ。茶々姫先生は、いろいろは雛飾りでお茶の準備をしてくださった。↓は、立ち雛のお軸。                    

 ↓ 桃の花と菱餅。              

 ↓ 内裏さまとお雛様の主菓子です。                

 ↓ お茶碗もお雛様。                 

                  

 ↓ 息子さんご夫婦のプレゼントの赤いお茶杓には、久仁子さんが俳句と銘「ほのぼの」をプレゼント。                    

 この日は、KAさんも風邪でお休みで、生徒はようこ姫さんと私の2人だけ。来週の「ルビーの会」の新年会(初釜を兼ねて)の準備について話しあう。
 何度かアップしたが、くまさん宅の「美女の会」には、「隠さない芸大会」というのがあり、三味線、フルート、ハーモニカ、フラダンス、時には私たちの謡、笛、太鼓などを披露する。「ルビーの会」でも、詩吟、俳句、謡、笛、太鼓などのお稽古をしているメンバーもいるが、いっそのこと寸劇にしようと、話がまとまった。原案はようこ姫さん、シナリオはなはさん、と言うわけで、言いだしてから1週間も経たぬ間に、「平成桃太郎」のシナリオが完成。この日は、3人で、配役、小物、コスプレ、演出を思案(と言うか、演じながら笑いながらアイディアを出し)あった。さて、本番はどうなりますやら。ぶっつけ本番も何だから、お稽古日も設定するという念の入れよう。いずれアップするのでお楽しみに。


詩が開いたこころの扉~高岡市更生保護女性会60周年記念

2015-02-13 | イベント

 音訳ボランティア「あかね」の会員は、全員が高岡市更生保護女性会の会員であり、年会費を納めている。が、どんな会なのか、今まで詳しくは知らなかった。行事のたびに都合がつかず参加しなかったからだ。今年は、60周年記念と言うこともあり、日も空いていたので参加した。

 2/8(日)、高岡市ウイングウイング4Fホールで開かれた。記念式典の後、祝演と言うことで、伏木小学生による「舞 かたかごの花」。 もののふの 八十娘子らが 汲みまがふ 寺井の上の かたかごの花” にメロディをつけ、可憐な花を思わせる指の動き、身のこなしで可愛らしい舞踊を披露してくれた。          

                   

 次に、福岡町の源多良太鼓の披露。まず子供太鼓。         

           

  続けて、若い女性達の見事な撥さばき。           

              

 さあ、いよいよ記念講演である。

 講師: 寮 美千子さん。 絵本、童話、詩、小説と幅広く活躍しておられる。
 演題: 詩が開いた心の扉「空が青いから白をえらんだのです~奈良少年刑務所詩集より」              

  ↓ 奈良少年刑務所の正門。明治の5大監獄のひとつ。そう言えば、以前犬山市の「博物館明治村」に、金沢監獄の正門などの建物があり不思議に思ったが、山下啓次郎氏(ジャズピアニスト山下洋輔さんの祖父)設計の5大監獄の一つだそうだ。

 奈良監獄は「少年刑務所」になり、今も使われている。17歳~26歳の少年達(個人犯罪の子たち)が600名ほど入所しているそうだ。そこで毎年「矯正展」が開かれるが、それを見学に行った寮美千子さんは、「社会性涵養プログラム」の講師を頼まれた。月1度、半年を1期とするプログラムの15期目を務めているそうだ。他には美術やコミュニケーションの授業があるようだ。
 まず、入所者の中でも問題児と言われるような少年達(うまく自己表現ができない)10名を対象に講座を進めてほしいと要望された。気が弱い、威張りかえって俺様オーラを出している、感情が表れない、暗い、チック症状、一人で喋っている…など。「俺はダメだ」と言う自己否定感を持っている子たち。

 ① 寮さんは、自作の絵本「どんぐりたいかい」を使用。まず、彼女が声を出して読む、少年たちにも声を出して読んでもらう、二人ずつ組んで読む、全員でそろえて読む(「そうだ、そうだ、その通り!」など声がそろうように)、コスプレグッズをつけて読む(アイヌの話ではヒゲをつける)…そうすることで、協調性が生まれ、お互いに安心感が持て、芝居をする一体感を感じるようになった。
 「絵本にこんな効果があるとは!」と寮さん自身が驚いたほどだった。           

 ② 次に、詩を書いてもらったそうだ。「何も書くことがなかったら『色』について書いて来て」と言った。自分の詩を読み、仲間の感想を聞く。質問に言葉でうまく答えられない子は黒板に絵を描いた。ほとんど声を出さない子だったそうだ。そして生まれた詩集が、トップ写真の「空が青いから白をえらんだのです」だ。
 ↓ その詩集を読んでおられる寮さん。 

 彼女は、「ビギナーズ ラック」かもしれないと驚きながらも、結論を話された。
 * 仲間が受け容れてくれることが、少年たちを変えた。1人の師から学べないことを仲間から学んだ。人の輪の中で、人は育つ。私は、その場を与えただけ。

 犯罪を犯す少年たちが育った環境は、極度の貧困、親からの虐待、無視、学校や社会でのいじめ、発達障害など、さまざまな問題をはらんでいる。犯罪だけを見て懲罰を与えても解決にならない。
 これは、国と国との場合も同じ。排除したり、報復を行うのでなく、なぜそんなテロ集団が生まれたか、をよく考え話し合うことが大切。と、現政府の姿勢を批判された。


ダウンコートを着て税務署へ

2015-02-12 | 日記・つぶやき

 またまた雪でしたね。
 2/9(月)、朝起きて驚きました。すでに20cmか30cm積っていましたね。そして1日中絶え間なく降り通し、夕方には4,50cmになったのでは? 昔は毎日こんな具合だったな~と思いながら、窓の外の雪を眺めていると、そこへANさんから電話。配布物のことと確定申告のことだった。さらに「玄関の雪がすごいよ」と。玄関はまだ閉めたままだったが、その言葉で玄関へ出て驚いた。新雪がどっかりと積っている。新聞休刊日なので、足跡もない。

 この日は家で確定申告の作成準備をする予定だった。が、ANさんの言葉で思い直し、聞きたいこともあるし、と言うわけで税務署まで出かけることにした。こんな雪の日は税務署の駐車場も空いていることだろう。降りしきる雪の中で除雪する気も起こらず、自分一人通れるだけのスペースを踏み固めてから車を出す。税務署は駐車場も、中もガラガラ。こんな空いているのなら、源泉徴収票や領収書を持って来てここでパソコンに打ち込めば良かった、と後悔。

 が、予定通りに提出書類一式と、説明書などANさんの分ももらって帰宅した。最近は、署内でパソコンで打ち込んで提出した人には、書類は送って来なくなったのだ。一昨年控除の対象になった医療費も、昨年分は少ないので記入は簡単だ。自宅のパソコンで「国税庁HP」から作成し、プリントアウトして、税務署の郵便受けに投げ込んで来るつもりでいる。

 ところで、先日60%オフで買ったコート、来年冬に着るつもりだったのだが…。この雪でさっそく必要になった。その後も、観劇や合唱練習、毎日着用している。とても温かい。


連日の通院・歯科

2015-02-11 | 健康

 15年ほど前だったか、「毎日病院通いをしている」と言う友人がいた。その頃は、月に1度近所の内科で降圧剤をもらいに通院するだけだった私。ところが歯科医が加わり、眼科が加わり、最近は近くの整形外科にも通っている。3ヶ月に1度と言うのもあれば、2週間に1度というのもあるが、これがけっこう忙しい。先週は連日通院となった。

 2/5(木)は歯科医へ。
 ここ数年ずっと、2ヶ月に1度、歯石を取りに通院している。最近、どの歯も落ち着いているので前歯のことを先生に相談した。そもそもこのHA歯科医は娘の紹介なのだが、4,5年前に前歯の隙間が気になって通い始めた。見た目よりも歯槽膿漏の治療をするように勧められて以来、真面目にケアに通っている。その間、上の左右奥歯を抜いたが。

 私の左前歯は、昭和40年代に抜いて差し歯にして、隙間ができて金を詰めたのだ(よく覚えていないが)。それがいつかとれて、2mmばかり空いている。若い頃は気にならなかったのに、数年前から写真を見るたびイヤな気分になっていた。お歯黒に見えるのだ。以後、集合写真などの時口を閉じるようにしていた。

 1月に、差し歯を抜き、型をとり、仮の歯を入れてもらった。隙間も仮りに埋めてくださった。「神経は残っていないので痛くないですからね。」と言われるが、あのキ~ンと言う音を聞くだけで体がこわばる。「ゆっくり鼻で吸って鼻で吐いてくださいね。」とも言われた。だんだん緊張が解けたが、とても長く感じられた。
 が、ひとまず終了。これで思い切り大口で笑えるぞ。そして半月間、誰も何も言わない。本人が気にしているほど、誰も他人の顔なんてしげしげと見ないのだろう。

 さて、6日は本歯を入れる日。上手く行ったようだ。2週間後隙間を埋めるそうだ。今は隙間だけ仮りなので、上の部分がチョッと欠けているが、↓のようになりました。見苦しい写真で恐縮です。              

 前にも書いたが、「2080運動」…80歳になるまで20本の歯を残そうという運動…がある。私の歯が何本残っているのか、今度先生に聞いてみよう。27本はあると思うのですが。


連日の通院・整形外科

2015-02-09 | 健康

 15年ほど前だったか、「毎日病院通いをしている」と言う友人がいた。その頃は、月に1度近所の内科で降圧剤をもらいに通院するだけだった私。ところが歯科医が加わり、眼科が加わり、最近は近くの整形外科にも通っている。3ヶ月に1度と言うのもあれば、2週間に1度というのもあるが、これがけっこう忙しい。先週は連日通院となった。

 2/4(水)は整形外科へ。、
 昨夏、木津小の近くに整形外科医院がオープン、向かいの奥さんが通院していると聞き、私も覗いてみた。右膝の軟骨がかなり擦り減っている(前からそうだったが)と言われ、ヒアルロン酸の注射に通い始めた。
 おまけに、2/1(日)、またまた新たに怪我をしてしまった。その日は、午前は友人の姑さんの葬儀、午後は合唱の特別練習と言う慌ただしい日だった。合唱は、博労公民館のホールで。3時間の練習が終わり椅子やテーブルを片づけていて…。アルトのMIさんとテーブルの両端を持って、天板を垂直に直していたがうまく行かず、バタンと倒れ、1度目はMIさんの脛に、2度目は私の足の甲に勢いよく落ちた。たぶんテーブルは壊れていたのだろう。二人ともその場では我慢。帰宅後腫れて痛くて…、またまた打撲傷だ。翌日も靴も履けない。ちょうど、4日が注射の予約日だったので先生に診てもらう。「日をおかずにすぐ来ないと!」と叱られ、レントゲン撮影。幸いに、骨折もヒビもなく、湿布薬をもらった。

 注射が終わり、「何ともなくてよかったね。でも気をつけてくださいよ」と先生。「はい、若い人に任せておけばいいものを、チャベチャベと手を出したもんですから」と、私が答えて看護師さんともども大笑い。ときどき、関西弁が混じる先生、「チャべチャベ」って通じたのかしら? 「いや、まだまだ元気な証拠です」とのフォロウがあり、嬉しくなる。

 「ちゃべ」 「おちゃべ」 「ちゃべな人」 「ちゃべちゃべと…」…お喋り、お喋りな人、余計なことをする、しゃしゃり出る、と言うような時に使うかな? いい意味にも、悪い意味にも使うように思いますがどうでしょう? 富山、石川の方言のようです。最近私もよく使うようになりました。

 この話をお茶のお稽古の後にしたら、「チャベコラ(コッコ)と…」とも言うよ、とさらなるバージョンが…。これはKAさんとようこ姫さんの話なので、大門、伏木地区の方言? 茶々姫さんと私は知らないので、砺波地区では使わなかった? 皆さんの地方ではどうでしょう?

  ↓ 「膝の痛い人へ」のパンフです。私は、長年の変形性膝関節症ですが、知らないこともあり目からウロコでした。「あかね」に持って行ったら、ほしい、ほしい、と言う方が何人も。             

                


松樹千年翠(しょうじゅ せんねんのみどり)

2015-02-08 | 富山

 2/7(土)はちょっと寝坊をした。午後は、お茶の日。その前に、「ヤマダ電機」か「ジョーシン」を久しぶりに覗くかな~と思っているところへようこ姫さんから電話。ランチのお誘いだ。何でも「大阪王将」で”半額チケットバック”をやってるからどう?と言うわけだ。今からゆっくりと朝食、新聞を読み、beパズルをして…とくつろぎ気分だったから、第一声は「え~?」。お店の場所は熊野町だそうな。今日行く予定の茶々姫さん宅にも近いし、ジョーシンもすぐ傍。「じゃ、1時過ぎてもよければ…」と、デートの約束。beパズルの数独★5が意外と簡単で早めに準備ができた。

 ↓ 「大阪王将」の入り口。以前、姫さんのブログで見た店。ココは、高岡では早い頃にできたファミレスがあった角で、当時よく入った。その後何度も名前が変わり…、最近の私のランチは駅南の店が多く、この辺はめったに来ない。  

  ↓ キャッシュバックならぬ”チケットバック”とはコレだナ。期間限定で2/6(金)~2/11(水)だ。    

  ↓ 注文した五目あんかけラーメン、730円。焼き餃子1皿(6個・220円)を半分ずつ。〆て一人840円。400円分のチケットをもらった。3月末まで使えます。お味はとても美味しいですよ。    

  満腹、満腹で茶々姫さん宅へ。ご近所の庭には椿の蕾が、一つ二つと今にも開きそう。               

  ↓ 茶々姫さん宅の床にも、赤の詫び助(たぶん)と土佐みずき。土佐みずきの白い蕾もふくらみ始めている。 

 お軸は、呉山先生(茶々姫さんのご主人)の書。「松樹千年の翠(しょうじゅせんねんのみどり)」        

  先週の「松無古今色」と同様に禅語だそうだ。呉山先生は、禅語の軸を多く遺されている。 

 「春は花、夏は新緑、秋は紅葉と感覚的な美しさに押されて、松の翠が人の目をひくことは少ないが、寒風吹きすさぶ蕭条の候ともなれば、今まで目立たなかった松の翠の万古不易の美しさが、改めて見直されることになる。うつろいやすい世の中の、うつろうもののみに目を奪われて、常住不変の真理を見失うようなことがあってはならない。」との解説があった。

 この日も筒茶碗でお点前をする。きれいに点ちました。               


ドリア・カフェ 「ドリア・リーボ」

2015-02-06 | 食物

 2/5(木)よく晴れた日、平米公民館のお稽古は月1度のお休み。歯医者の帰りに駅南方面でいくつか用事をすませた。まず、「100満ボルト」へ電気温水器のチェックに。が、ここは冷蔵庫やエアコンまで、温水器は扱っていないようだ。

 次にイオンまで足を延ばし、チョコを買いに。ギリギリに買いに行くと、売り切れが多いので少し早めに行った。平米公民館の「能楽お囃子の会」の先生方を始め男性軍へ女性全員から。

 ↓は、特設コーナー「ゴジバ」(ベルギーのチョコ)の売り場。相変わらず高価な品ばかり。一昨年だったか、初めてイオンで「ゴジバ」が売りだされた時、小さいのを買って息子に送った。昨年年暮れ、息子宅へ行きテーブルの上を片付けていると封も切らないゴジバの包が出てきた。もちろん手紙も読んでない。もったいないけど捨てました。張り合いのない子です。        

        

 次に、半月ほど前に目をつけていたダウンのコートの店を覗いてみる。当時50%オフの品が60%オフになっている。同じ品が残っており、店員さんも同じ人。これも縁かと思い、買うことにした。

 ちょうど昼過ぎ。昼食は、帰り道の「ドリア・リーボ」に決めていた。「トワイス」の姉妹店だ。「100満ボルト」の隣だよ、とよっしーちゃんから情報をもらっていた。SAさんからも散歩の途中に見つけたよ、とメールが入っていた。行ってみると駐車場が満員。1時ちょっと前で帰る人もボチボチでどうやら車を止める。↓は、店の前。              

 ↓ 入り口の「週替わりランチのメニュー」。スープ、デザート付きで、S, M, L サイズを選べます。         

 ↓は、営業時間。定休日は水曜です。            

 中に入ると、けっこう満員。相席している人も。「混んでますね。一人だけどいいですか」と私。「どうぞ、こちらへ」と4人テーブルに案内され嬉しかった。この日はゆっくりしたい気分だったので…。

 ↓ 店内。入り口付近。奥行きの長い店なので、手前にまだまだテーブルがある。              

 私は、「エビと彩り野菜のドリア」Mサイズ(1030円)、スープとサラダセット(300円)を注文。             

 ↓ エビ、揚げ茄子、ブロッコリー、トマトがたっぷり入っています。S サイズでもよかったかも。                 

 もちろん、隣のテーブルの話し声は聞こえるけど、待っている間読書もできるほど落ち着いた店でした。ちなみに ”rivo” は、「革命」と言う意味だそうな。「ドリアの革命ってこと?」と聞いたら、「そうです」と、レジの女性がにっこり。


湯煙の中を快走中

2015-02-05 | 富山

 高岡市公報「市民と市政 2月号」の表紙が銭湯の湯船の写真だったと、先日紹介した。「まちの銭湯に 今日も いいお湯、沸いてます」との見出しがついている。表紙をめくると、4ページにわたって”銭湯特集”だ。

 それによると、「日本一の銭湯好き、富山県」だそうだ。富山県の銭湯登録件数(人口10万人当たり)が全国1位(9.19件)だそうだ。ちなみに2位が京都府、3位が石川県。しかも高岡市は県平均をさらに上回っている。

 富山県は持ち家率も全国1と言うから、内湯があっても銭湯に行く人が多いのだろう。そして、東京で銭湯を経営する人の出身が富山、石川など北陸地方の人が多いとか。

 ↓の、新聞記事(K新聞)を見てください。ようこ姫さんのブログからお借りしましたが、東京近郊に住む友人達にも見てもらいたくて、アップしました。銭湯の壁絵の定番はもちろん富士山。だが、ここのお風呂では、なんと立山連峰に富山湾、しかもそこをW7系の北陸新幹線が走っている。「ここは、氷見線の雨晴では?」と野暮なことを言わず楽しんでください。

 昭和25年創業の「千代田湯」(豊島区)では、昨夏、銭湯画家の中島峰夫さんらが男湯、女湯の両方に描いたそうだ。客の反応は上々で、「あれは何?」と、番台に尋ねてく人も多い、と記事にある。現在、「ニコニコ湯」(足立区)、「北町浴場」(練馬区)、「東京浴場」(品川区)に描かれているそうだ。

 湯船に浸かって眺めてみたくなりますね。