Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

伊豆・伊東~源泉かけ流しの温泉

2016-04-29 | 旅行

 城端小中の関東地区の同窓会が、KUさんのお世話で数十年続いていた。いつも箱根・強羅の「せせらぎ荘」だったようだ。私はリタイア後、スケジュールが合えば弟や息子宅訪問も兼ねて参加していた。「せせらぎ荘」が閉鎖され、KUさんの体調が思わしくないこともあり、最近はSEさんがお世話役をしてくださる。彼は温泉マニア。本を読んだり、出かけたり、泉質がどうの、効能は?と詳しい。昨年から、伊豆の温泉へ皆を連れて行きたい、とプランを練っておられたが、なかなか10人集まらない。KUさんの体調とバスの中でお喋りできるようにと、横浜から送迎バスを利用しようと言うのがSEさんのプラン。が、10人以上じゃないと出してくれない。結局、1,2度はご破算になった。

 急に 「11名揃った。やるよ。」と電話があり、「大丈夫?来られる?」と確認の電話があった。私が抜けるとAsaちゃんが女性一人になるのだ。いつもなら都内でもう一泊、どこかに寄るのだが一泊だけ、が、帰りは自由席にして切符を買った。
 4/22(金)朝、タクシーで新高岡駅へ。「かがやき」に乗れる時間だったが、予定通り「はくたか」に乗る。3列並びの席の窓側。高崎まで一人だった。「集金旅行」のコピーを読んだり、トロトロ眠ったり…。
 10:40過ぎに東京駅着。中央口の新幹線改札口が待合場所。東京駅はややこしくて何度も失敗しているので、迷わず駅員さんに聞いた。「一度ホームへ上がって…」 「やっぱり! 出なくてよかった」 改札を出ると遠回りになるのだろう。

 新幹線改札口傍の待合広場。すぐにAsaちゃんとShinちゃんの顔を見つけた。次々集まり9名、残る2名は戸塚駅で、全員集合となるそうだ。戸塚駅でもいろいろあったが、どうやら送迎バスに乗車した。SEさん達が調達してくれたお弁当をバスの中で食べる。

 ↓ 着いた所が「藤よし」の門。30年前にひと山を買い、その山を切り開いて開業した宿だそうだ。長野県の築130年の古民家を移築し、2tトラック200台分の岩石を運んだとか。          

  ↓ 門を入ると道脇に大きなミカンの木。    

   

 ↓ 門の左上に、本館と言うか、受付と厨房、お食事処がある。          

 ↓ 階段を上がると入り口。右は目下改装中らしい。      

  ↓ 宿舎へ向かう坂。つつじがきれい。    

  ↓ 山全体にいくつもの建物があり、1軒ごとのお風呂があるらしい。          

  ↓ 予約制の「なごみの湯」の側面かな?   

  ↓ 「なごみの湯」の入り口。「空いています」、「入浴中」の札を掛けかえる。          

 ↓ 中に入ると。

 

  女性2人は「女神の湯」と言う岩風呂に入った。相模湾を眺める露天風呂もよかったそうだ。↓は、夕食。魚料理が格別美味い。朝食がまた美味しかった。


つれづれな日々40~「集金旅行」の囲む会・在英の友人と娘夫婦・6時間のピアノ練習

2016-04-26 | 日記・つぶやき

 日々の生活の中でのちょっと気にかかる小さな出来事。そんな記事を”つれづれな日々”として書いています。今日は40回目です。

 《「集金旅行」の囲む会》
 「集金旅行」とは井伏鱒二の小説。佐田啓二、岡田茉莉子主演で映画になっている。今度は「劇団民藝」のお芝居になった。吉永仁郎さんの脚本である。主演は、西川明さんと樫山文枝さん。伊藤孝雄、小杉勇二さんもまじえ、7月に高岡演劇鑑賞会で公演される。事前学習会として「吉永仁郎さんを囲む会」があると聞き、ウイングウイングへ出かけた。5階の研修室は満員。

  井伏鱒二と言えば、「黒い雨」、「山椒魚」が教科書にも載っていたものだ。吉永さんいわく、「集金旅行はあまり知られていない作品なので、思い切り脚色した。」 原作の最初に登場する、アパートの主人の息子(子ども)の代わりに太宰治が登場すると言う。もっとも太宰治は井伏鱒二を頼って荻窪へ引っ越して来たと言うから、でたらめなことではない。2人は師弟関係だったと言う。そして荻窪の近くに、私の学校があったのでなんとなく懐かしい。

 《あらすじ》 荻窪のアパートの主人がぽっくり亡くなった。遺されたのは多額の借金。大家はアパートを壊すと言う。が、ここが気に入っている居住者たちは、ここに住み続けるため借金を返済しようと企てる。部屋代を踏み倒して夜逃げした不届き者達の郷里を巡り借金を取り立てようとする。それが集金旅行。出かけるのはヤブセマスオ氏。同行するのはコマツラン子さん。コマツさんは各地にいる昔の不実な恋人達から慰謝料を取り立てようと思った。かくして目的は違う集金人二人の珍道中が始まる…。

 映画だと、旅する各地の風景を映像で映し出せるが、お芝居はそうは行かない。そこで活躍するのが方言。中国地方、九州地方の方言が聞けるらしい。2人のほのぼのとした掛け合いも面白いそうだ。さて、結末はどうなるのだろう?原作(中編)のコピーを事務所でもらい、週末の伊豆への旅行中に新幹線の中で読んだ。唖然とする結末だが、お芝居ではどうなるのかしら…。 

  《在英の友人と娘夫婦》
 
昨年北陸新幹線が開通したのをきっかけに金沢で大学のクラス会をとのプランが浮上し、呉羽のYoさんと高岡の私が幹事役を仰せつかった。クラスメートの中にイギリス在住のEさんがおられ、娘が結婚すると決めた時、ちょうど新宿でのクラス会に参加された彼女に相談した。その後、Eさんは日本のお母さんをも、イギリスのご主人をも亡くされ、今はシートンで一人暮らしをしておられる。イギリス国籍をとり、もう日本に帰ることはないだろう、と言っておられる。クラス会の案内をメールで送った時、娘夫婦のことにも触れたら、ぜひ会いたいと言ってくださった。

 「善は急げ」のマークのこと、すぐさま約束をとりつけ、ブリストルからシートンまで2時間余のドライブを楽しんだらしい。折しも日曜日で、Eさんの教会の礼拝に出席して教会の仕事のお手伝いもしたようだ。家で筍ごはんや五目ずしのご馳走もいただき、今抱えている悩みをいっぱい聞いてもらい、とても嬉しかったと電話があった。   

            

 《6時間のピアノ練習》 
 
元の職場仲間の集いが、大門「さかなやさん」で開かれた。当時の思い出話や近況話で盛り上がったが、一番感心したことをひとつ紹介します。音楽の教員だったOさん、最近の日課は毎日ピアノを弾くこと。なんと、1日6時間弾くそうだ。楽しく歌いながら弾くのかな?と思い、「どんな曲?」と尋ねると、「モーツアルト」だと言われる。ずっと前から、いつか弾けるようになりたいと思っていた難曲だそうだ。間違ったら最初からやり直す。なかなか前へ進めない、と仰る。これは厳しい課題だな~。私が謡や太鼓のお稽古をする時、よく似た練習法をとるのだが前へ進めたためしがない。そんなことをしていたら日が暮れる。逆に後退してしまうのだが…。

 やはり芸術家だね。すごい集中力だ。私は”楽しくお稽古をモットーに。間違えてもクヨクヨしない”と決めたばかり。でも、Oさんにとっては、きっとそれが楽しみなのだろう。


第八回芙蓉会謡曲大会を終えて

2016-04-24 | 能楽

 今年の「芙蓉会能楽大会」は、4/17(日)、あの突風の吹いた日だった。早くから、なはさんが観に来られると言っておられたので、朝すぐにメールを入れた。「悪天候だから無理されないように」 と。ところが、折り返しのメールによれば、「あいの風鉄道」は運休、大門からタクシーに乗るとのこと。 申し訳なくて涙が出そう…。

 今年の私の出番は舞囃子の太鼓がなく、係仕事も外してもらい、気分的にはとても楽なので、リラックスして見所で皆さんの舞台を見るつもりだった。写真も一切撮らなかったので、すべてなはさんの写真をお借りしました。     

 「高岡芙蓉会」は、呉西地区の女性だけの謡曲の会。年に1度の合同発表会だ。↓は、蒼山会の「弱法師(よろぼし)」。        

 ↓も蒼山会の「花筐(はながたみ)。12月に入会されたばかりのNOさんがツレの役で出られた。都合で出られなくなった方のピンチヒッターだが、猛稽古をしてとても上手。すぐさま上達されるだろう。

 ↓は、連調連管で「竹生島」。昨年は小鼓も加わり舞台狭しと並んだのだが、今年は小鼓が6名になり、独立して「鼓連調」を演奏された。       

  ↓は、砺波で習っておられるOさんの素謡。私は聴けなかったのだが、なはさんが鑑賞、とても上手だったそうだ。自分たちと違う会のお稽古の成果を見られて、とても刺激になる。私はと言えば、フィリピンの旅以後1ヶ月半ほど、声は出ない、息切れはする、膝痛がひどい…などが続き、ここまで回復しただけでも良しとせねば、と思っている。太鼓のかけ声が出ず、素謡も声が嗄れ、本調子ではない。が、無理せず、楽しみながら続けて行きたい。

 着替えの部屋で、小鼓のYAさんと話した。「いつから小鼓を?」と尋ねると、舞台には出ない、楽しみのために始めたのだが、とのこと。この日が小鼓では初舞台だった、そうだ。気楽に続けようと思う、と仰った。なるほど、私もその気持ちでもう少し続けるかな? 直らいの席で、先生にお礼を言い、連調連管だけで気楽に打てました、皆がそろって打っていてとても気持ち良かった、と話すと、間違えないようにとか、合わせようとか、とストレスをためず、楽しんでください、と仰った。3月、4月の大きな会が終わり、5月に2度、6月に2度とまだ続くのだが、ゆっくり、マイペースで参加したい。


映画「家族はつらいよ」

2016-04-23 | 映画・テレビ・演劇・芸能

  3月末の「あかね」のボランティアの日、「『家族はつらいよ』が面白かったよ」とNAさん。しばらくして、平米の謡のお稽古日、TOさんが「『家族はつらいよ』を見て来たよ。面白かった」と言われる。もう終わりそうだし、諦めかけていたが…。やはり見ることにする。
 4/12(火)、真生会眼科の定期検診の帰りにイオンに寄った。山田洋次監督の「東京家族」と同じメンバーの家族構成だ。次男の職業がピアノ調律師、その恋人の職業が看護師と言うのが前作と違うが、↓の8人の登場人物はまったく同じだ。 

 《あらすじ》
 
長男・幸之助(西村雅彦)の一家や、次男・庄太(妻夫木聡)と世代で同居をする平田家。主の周造(橋爪功)は、妻・富子(吉行和子)が、趣味の創作サークル(小説を書く)の仲間たちから誕生日にバラのプレゼントをもらって来たのを見て、自分も贈り物をしたいから何か欲しいものはないかと、尋ねます。すると富子は、机の引き出しからやおら離婚届を取り出し、「コレにサインを」と言うのです。思わぬ事態にぼうぜんとする周造。そんな中、金井家に嫁いだ長女・成子(中嶋朋子)が浪費癖のある夫・泰蔵(林家正蔵)と別れたいと泣きついて来ます。追い掛けてきた成子の夫の言い訳を聞いていらついた周造は、思わず自分も離婚の危機にあることをぶちまけてしまいます。

 平田家はテンヤワンヤの大騒ぎとなり、泰蔵は周造の女性問題が原因だと、探偵に探らせまでします。いよいよ「家族会議」を開くことになった日、庄太は恋人(蒼井優)を皆に紹介しようと連れて来て、8人全員が顔を合わせることになります。
 離婚の理由は?と尋ねられ、富子は、「もう、お父さんが嫌になったのよ。大きな音でうがいをするし、何度言っても脱いだ靴下やパンツは裏返しだし、昔は男らしいなって思ってたけどもう、嫌いなの・・」 

 
すったもんだの家族会議は、泰蔵が取り出した一枚の写真で思わぬ方向へ。 周造が、近所の飲み屋のかよ(風吹ジュン)の手を握っている写真を突きつけられて、ショックで倒れてしまったのです。皆、周造がこのまま死んでしまうのではないかと大騒ぎで救急車を呼んだのでした。周造の運命は?…・…
 そして最後の場面は…
 「お前がどうしてもと言うならコレを」 と、離婚届に判を押して渡しました。 「今まで世話になったな、ありがとう」
 
やがて富子の足元には細かくちぎった薄い紙が散乱し、「あなた、やっぱり死ぬまでご一緒しますわ」

 なはさんは、「日本の男性に対する警告、戒めだよね」と言われた。私は、それもあるけど、庄太の恋人が、「自分の両親も離婚した、その時、母と自分がひっそり家を出た、家族皆で大騒ぎして家族会議を開き、話合うなんて羨ましい」と言った言葉が印象に残った。今の、家族の崩壊を嘆いていると言うのが最初の感想だった。
 しばらくして義妹からメールが来た。彼女は、最近結婚40周年記念の旅行に出かけたばかり。その時に何かトラブルがあったらしく、旅行後すぐに映画を見て最後の場面で涙が流れたと言う。それぞれ年齢や立ち場により受け止め方が違うのは当たり前だが、男性のみなさんの感想を聞きたいものだ。

 ところで、富子はほんとうに夫が嫌になり、離婚したかったのだろうか。小説のネタにするため経験してみたかった? それとも一人で自由に生きてみたかった?   


2度目の「農家レストラン大門(おおかど)」

2016-04-21 | 食物

  昨秋、合唱仲間のSAさん、MIさんと出かけた「農家レストラン 大門」。今回は、昔 中田に勤めていた仲間と一緒にランチに出かけた。年に2,3回のランチ、次回の日と場所を決めて解散と言うルールがうまく機能し、ここ数年続いている。名付けて「あしつきの会」。

 ↓が「農家レストラン大門」の正面。SAさん達と来たのは雪吊り作業の頃だった。立山連峰が見渡せきれいだったがこの日は曇り空で見えなかった。

  ↓は、組子入り筬欄間(おさらんま)。筬とは織物の経糸と横糸を整える織機の一部。私の実家の隣が筬やさんだった。

 ↓ 床の間には五月人形。説明の方が「さつき人形」と言われたのに違和感があった。旧暦の「皐月」は季節感を出すために使われたのだろうが、ここはやはり「ごがつにんぎょう」の方が自然。右の写真は朱塗りのご膳やお椀。 

                

 食事の場所は、仕切りが取り払われ広く感じる。バスツアーの客がどっと入って来られ、なるほどと思った。1年前のオープンだが、大変なにぎわいのようだ。
 ↓、まず、名物の「大門そうめん」。

 ↓ 「丸山(まるやま)」。運んで来られた方が私たちに、「お近くの方ですか?」と聞かれ、丸山の説明をされた。見たことのある方と思ったら、女将の境さんだったようだ。私たち砺波地方の者には懐かしい報恩講(いわゆるホンコサマ)に欠かせぬ懐かしい料理だ。柔らかく甘くどい味がしみている。
 これは、水気を絞った豆腐に、筍、しいたけ、山菜、他いろんな野菜を詰めて成型し油で揚げたものであり、一般にはがんもどきと呼ばれている。砺波地方に流れる庄川の中上流区域では「まるやま」と呼びます。

 ↓ いとこ煮。「いとこ煮」は、小豆、南瓜、ごぼう、里芋、大根、豆腐など、堅いものから順に煮て行く料理で「追い追い煮る」の意味から、「追い追い」と「甥々」とかけた洒落で「いとこ煮」と呼ばれるようになったと言うのが定説らしい。私はずっと、小豆と南瓜か里芋が、親子ならぬ従兄弟だとか、なんとか聞いていたものだが。

 ↓ ゆべし。

 ↓ 舞茸、こごみ、コシアブラの天ぷら。

 ↓ 白和え。

 ↓ 大根菜のよごし。

 食事の後、家の裏にある「なまこ壁」を見せていただいた。射水市の竹内源蔵さんと言う方の制作で、形と言い厚さと言い、名人の作とのことです。   

          

 ↓は、「農家レストラン大門」のHPです。
 http://www.n-r-ookado.co.jp/

  ↓は、HPにアップされた女将さん。

          
  境嘉代子(女将)さん   
     
   富山県砺波市で地元の食文化を研究し、郷土料理を広める活動をしています。
市役所や地区の公民館など、さまざまなところで研修や試食会を開いています。
 

 これには後日談がありまして…。千葉に住む友人のAsaちゃんのお姉さん(中野に住んでおられ、私が学生時代に下宿をさせてもらっていた)が最近、毎年「城端曳き山祭」見に来ておられるそうです。今年も計画しておられるようで、その時に「まるやま」を買って帰り、家で料理して食べたいとのことです。どこで求められるか、女将さんに聞かなければなりません。


あっ君~お茶教室の進級初日

2016-04-20 | 茶道

 桜だよりの後は、新学期の話題をどうぞ。あっ君はようこ姫さんの外孫ちゃんです。何歳の頃からだったか、茶々姫さん宅のお茶教室でお点前のお稽古をするようになり、たま~に来るだけなのによく覚えてお点前はとても上手になりました。今日初めて飲むお稽古もするとか…。

 あっ君の袱紗は青色。お祖母ちゃんのようこ姫さんは、まずテーブルの上で、↓のように袱紗を畳み…(写真を撮る暇がなかったので、私の袱紗で再現します)。         
 そして、「こう 持って」とお手本を見せ、お点前た始ります。どれが誰の手かわかりますか?

 ↓ 真剣な面持ちで…。3,4服点てたのでは?

  さて次は、まずお菓子をいただきます。

  ↓ お菓子を頂戴してから、まず一服目。

                

   ↓  この複雑な顔。苦かったかな? 美味しかった? でももう一飲み。  

        

 美味しかったようです。

 いつものようにたくさんのお菓子から2種類を。主菓子は、「幸村の家紋 六文銭の付いた兜」。栗のお菓子は、私の義妹が結婚40周年記念(ルビー婚式と言うらしい)に松代、川中島へ旅行したお土産です。

 ↓ この日、新湊の中川餅店で姫ちゃんが買ってきてくださった「いがら」。かしわ餅もありました。

 16日は、角の春の祭礼の日でもあり、茶々姫先生は赤飯のおにぎりとお煮しめをふるまってくださいました。


「あっとゆう」のモカちゃん~宇奈月の帰りに

2016-04-19 | 旅行

  4/6日、宇奈月、朝日町の帰りにコーヒーを飲み逸れた面々は、射水市小杉の「あっとゆう・at you」に寄った。私は久しぶり。犬のモカちゃんが元気にお出迎え。見れば、外回りがリニューアルされている。

 ↓は、正面入り口。

  自然木の門には↓のお知らせが貼ってある。看板犬モカちゃんの紹介です。

 ↓ 入ると左側に、「ミニ・ドッグラン」のスペースが設けられた。犬の遊び場だ。愛犬同伴のお客には嬉しいことだろう。ストーブ用の薪がきれいに積んである。 

 ↓ ”Doggy Box" って何? dog f00d入れ? それとも?

  ↓ 前にも紹介したが、入ってすぐ左のテーブル席。他に大テーブル席や和室があります。

 ↓ 薪ストーブ。まだまだ寒い日があるので、使用中です。

 ↓ 新しく「犬の洋服コーナー」が新設されいる。すべてママさんの手作りの品。

  そして驚いたことに、モカちゃんの特技を披露してもらった。鼻の上に乗っているのはお煎餅。載せて「待て」と言うと、そのままじっとしていて、「よし」と言うと、上へ飛ばしてペロッと舌で食べてしまう。すごい早業で写真には撮れません。要望に応え何度も何度も実演してくれるモカちゃん。

 初めて訪ねたSAさんも、殊のほか犬好きと見え話しかけたり撫でたりして楽しんでおられた。モカちゃんも疲れたかごろりと一休みです。また今度来るね。コーヒーが美味しく、ホットなママさんとだけでなく、モカちゃんとのひとときが楽しい店です。


朝日町舟川べりの桜

2016-04-18 | 自然・海山草花

 テンプレートは、から「百合の花」に変わりましたが、もう一度桜の紹介です。

 4/6(水)、ホテル「溪仙」で一泊後宇奈月の町を散策、その後朝日町まであの有名な舟川べりの桜見物に行くことになっていた。お天気は上々、時間もたっぷり。
 ここは数年前から有名になったお花見スポット。新聞に登場したり、誰彼からとなく話を聞くので一度行ってみたいと思っていた。が、なんと言っても富山県の端、県境の町なのでなかなかチャンスがなかった。ようこ姫さんの提案で楽しみにしていた。

 ↓ それがここ。たくさんの見物客、カメラマンだった。       

       

 ↓ 例年なら、桜とチューリップの間に(たぶん土手の下)に黄色の菜の花の帯ができるのだ。「今年は桜が早かった」と地元の方は何度も言っておられた。予想外れがとても残念そう。初めての者には、充分満足の風景である。

 

 8号線を戻りがてらコーヒー屋を探すがなかなか見つからない。「モーツアルト」に期待してホテルのコーヒーも飲まず、朝から飲みはぐれてしまった。でも、お腹は空くので「ガスト」に入った。

 ↓は、それぞれが注文した、日替わりランチ、ドリア、サラダ、右は新メニューの? 自分の食べた物を忘れました。コレって○○症の始り?

         


4月の宇奈月温泉

2016-04-16 | 旅行

 元の職場の厚生施設が宇奈月温泉にあり、年に1度割引券をもらう。4月は年度の変わり目でお客が少ないからか、「4月限定プラン」と言う格安プランがあると聞き申し込んだ。それが犬山から帰った翌々日。犬山にいる頃に茶々姫さんの都合が悪くなり、急きょ2,3人に電話をする。SAさんが快く「空いてるよ」と言われ、4人の参加が決まった。ドライバーはようこ姫さん。時間が自由で助かります。もちろんなはさんも一緒で4人のメンバーで、1:30頃大門を出発した。

 いつもはホテルの送迎バスを利用するので直行だが、車であちこちに寄れるのが嬉しい。麦酒館にも寄った。以前、県政バスで「橋巡り」や「水巡り」のバス旅に参加した頃、よく立ち寄ったものだ。ちょっと買い物と一休み。
 ↓は、「愛本橋」。昔は「愛本刎橋」と言って「日本三奇橋」の一つだったとか。かつて、河道が移動する暴れ川であった黒部川下流部を避けて敷かれたそうだ。加賀藩5代藩主・前田綱紀が架橋を命じたとされる、とウイッキに書いてあった。両岸は岩山で、上流部を覗くともっとも川幅が狭く、洪水時には大量の土石と水が集中する。そのため橋脚は一年も持たずに流されるために、川の両岸から大木を突き出す構造であったそうだ。
 現在の橋は、1969年の豪雨で流失したために架け替えられた12代目。たしか、麦酒館の横に元の刎橋の模型があったような・・・?黒部市では観光資源とするために旧愛本橋(刎橋)の復元を検討しているそうだ。      

  ↓ 途中の雪山と満開の桜。       

  いよいよホテル到着。夕食は部屋食を頼んであった。食事前にSAさんが入浴。食前酒は紀州の梅酒。真中は付け出し(3種盛り)。右は季節のお造り4種盛り。左は、白魚柳川鍋。      

 ↓ 左は鰆の蕗味噌焼。右は蒸し物、キャベツ角煮饅頭、べっ甲飴。     

    

  ↓ 揚げ物。たたみ鰯磯辺揚げ、レンコンはさみ揚げ、蕗スティック、山独活。  
 他に、紅ズワイガニの酢物、ごはん、汁、漬物、デザートは、苺プリン。

 翌朝、お土産屋を覗きながら「モーツアルト」でコーヒーを、とのプランだったのに水曜日で定休日。土産店もしまっている店が多い。↓は、坂井菓子舗さん。店主さん自ら、銘菓「湯の花ころも」の説明、宇奈月の名前の由来、ローマ字の’UNAZUKI'には抵抗がある、などなど。

 

  ↓は? 何を建設中? 聞けば「総湯」だとのこと。4月末にオープンのこと。

 ↓ 「湯めどころ宇奈月」との名前が読める。そう言えば、宇奈月には総湯はナカッタナ。

  ↓ 地鉄宇奈月駅前。広場に足湯がある。右奥に、黒部峡谷鉄道(トロッコ電車)への道路がある。4月20日から部分開通し、5/1日からは全線開通の予定。

 さて、この後朝日町舟川べりの桜を見に行く予定。


初めての「撮影会」

2016-04-14 | 自然・海山草花

 「伏木写友会」の撮影旅行に誘われ、私も名カメラマンの方々に混じって参加しました。「犬山祭」見物がお目当てだったので、初日で目的達成とばかりに帰りの高山はそぞろ歩きだけ。

 ところがバスは飛騨川を北上しながら、撮影スポットであちこち停車するのです。皆さん、いそいそカメラを抱えて下車されます。「中山七里」や高山線の電車が狙い目。
 そう言えば、数年前に城端小の同窓会が神戸の方のお世話で有馬温泉で開かれました。城端からバスを仕立てて出かけたのですが、私たち、金沢、小杉、小矢部、高岡組は電車で行きました。中の一人が、「高山線の沿線の景色を見よう」と提案し、富山から乗ったものです。ま、ほとんど喋っていて景色を眺める暇はなかったのですが。その点、バスの撮影旅行は確実です。場所はどこなのか、ハッキリわかりませんが…、あちこちで止まり、撮影しました。

 ↓ この廃屋が良い被写体なんだそうです。この日、久しぶりに大きなカメラを持参された茶々姫さんの弁です。横版のも撮りましたが、山の稜線のはっきりした縦版を載せます。          

 ↓ 何気ないカフェ。「湧水珈琲」の文字が読めます。        

 ↓ 桜と峡谷。        

        

 ↓ 高山線の電車を待ちます。          

          

 待つことしばし。通過はあっという間でした。かろうじて頭と尻尾だけ。           

           

 この後、高山市ではカメラのバッテリーが切れ、夕食の「高山豆腐・國八」も写せませんでした。撮影会の初体験でした。


犬山祭り~提灯山

2016-04-12 | イベント

 「犬山祭」が、今年は4/2、3日にありました。「伏木写友会」の撮影旅行に誘われ、私も名カメラマンの方々に混じって参加しました。写真より見物が目的なのでロクな写真はありませんが、今日は夜の部を紹介します。

 名鉄犬山駅前で、提灯山7輌が集合。7時に灯をともした提灯山を見てから、電車で各務原のホテルに行くことになっていました。夕食をすませて電車に乗ることになっています。時間はたっぷり、お喋りしながら待つ間に、いろいろなグループや地元の方とお話ししました。

 ↓ 7時ちょうど、提灯に灯がともります。一つ一つのローソクに着火マンで灯をつけるのです。

 ↓ その間に子ども達が写真を撮ってもらっています。元気な子、もう疲れた子。         

  

  ↓ 子どもの写真を撮って戻って来ると、アメリカの舞台監督という人(真中の男性)達と姫さんの記念撮影。彼は82歳で活躍中とのこと。          

 ↓ すべての提灯に灯がともりました。きれいですね~。        

 お腹がすいたので夕食に。懐かしい昭和食堂へ入りました。オロナイン軟膏のこの方の名前が誰も思い出せません。そうそう、浪花千栄子さんでした。        

 いろいろ注文して4人でシェアして食べました。生ビールが美味しかった。↓の他に、キュウリ、チャーハンなど。

                    

                   


 ここまで書いたら、無性に城端の曳山祭りが懐かしく思われ、ネットにたくさんアップされている映像を集めてみました。便乗して紹介させてください。犬山に比べれば、小さな城端町の祭ですが、こことはまた違う趣があります。毎年、5/4日(宵祭)、5日(本祭)に開催されます。山車は6基で人形山です。町内によってはからくり人形も乗せています。          

         

 山車と山車の間に、庵屋台が並ぶのは、山車と庵屋台でセットだからです。屋台の中では各町内の若連中達がお囃子と端歌を演奏します。

 ↓ 狭い小路を通る時は、屋根を畳みます。      

  ↓ 夜の提灯山です。  


犬山祭り~車山

2016-04-10 | イベント

 「犬山祭」は、今年は4/2、3日にありました。「伏木写友会」の撮影旅行に誘われ、私も名カメラマンの方々に混じって参加しました。写真より見物が目的なのでロクな写真はありませんが、紹介します。
 お城や明治村は何度か行ったのですが、祭もお花見も初体験です。14名の参加、そのうち4名がようこ姫さん(彼女だけが会員)のグループです。私の足に合わせて歩いてもらいとても助かりました。自分でも驚くほど息切れもせず、よく歩きました。

 車山を見に歩いていて目に止まったお宅。玄関です。前庭にさまざまな徳利が草花の間に並べてあります。「奥飛騨」、「登別」、「川越」…。ご主人は温泉好きでお酒好きのよう。

      

 ↓は、街中で最初に出くわした車山。からくりの披露が終わり町へ繰り出したところでしょうか。ここで迷子になってしまいました。 
  神社前の広場でからくりの披露があります。全町の車山は13輌あります。我が故郷、城端町の曳き山の倍以上です。しかもすべての山車にからくり人形が乗せてあり、6輌と7輌に分かれて演技をします。自分たちの町内の番になると青い幕が取り外されます。三層になっているので高くそびえて見えます。  

 50本の綱で動かすそうで、アナウンスがよく聞こえなかったけど、物語を演じているようです。  

  

 ↓ 後ろへ回ると、一番下の段で子ども達が太鼓を打っていました。

 ↓ 近くで物産展が開かれており、富山県から立山の宣伝に来ておられました。

 さて、参道を駅に向かい歩きながら喫茶店を探すと、こんなお休み処がありました。

          

 ↓ 中に入ると、三味線と篠笛(かな?)のコラボが…。無料のお茶をいただき、お菓子を買って一休み。

 ↓ 名鉄犬山駅前では、提灯山が勢揃い(7輌)。提灯に灯をともす前の休憩時間(夕食も)です。提灯が飴玉みたいに可愛らしくきれいですね。

 ↓ 折りたたみ椅子がたくさん並べてあるので座っていたら、招待客用だそうで退去を命じられました。市長さんの挨拶があるらしい。そのうち、こんな人が。利長さんの兜に似ているかな?近寄って聞くと、加藤清正公でした。加藤清正の祖父が犬山の生まれ、清正は尾張中村の出です。当のご本人は甲冑組合の会長さん。毎年招待されるのだそうです。この坊やたちは、お孫さんではなく(まだお若い)、どうもファンのようでした。

 この後提灯にローソクが灯されます。もう少しお付き合いください。


犬山祭り~桜

2016-04-08 | 自然・海山草花

 「犬山祭り」は、寛永12年(1635)に始まった針綱神社の祭礼で、4月の第1土日曜に行われます。この祭りは国の重要無形民俗文化財に指定されていま す。愛知県の有形民俗文化財に指定されている3層の車山13輌が城下町に繰り出し、笛や太鼓に合わせてからくり人形を披露します。夜は、各車山に365個 もの提灯がともされ、満開の桜並木の城下町を練り歩くさまは、豪華絢爛、まるで錦絵を見るようです。」

 ↑ の写真と説明は、犬山市のHPから拝借しましたが、このお祭りが今年は4/2、3日にありました。「伏木写友会」の撮影旅行で行くと言うのでようこ姫さんに誘われたのは、冬まだ寒い頃。一旦断ったのですが、人数が少ないと言うので「どう?」と再度誘われました。朝の出発が遅かったのと、犬山城や明治村には行ったけど、桜と車山は知らないので、「じゃ、一度見物するか」と腰をあげました。いつものお茶の仲間、茶々姫さん、なはさんも一緒です。

 4/2(土)、伏木を出発、ひるがのSA、関SA、各務原ICを経て犬山に到着。まずからくり見物です。針綱神社前の広場まで川辺の桜や、どこかのお宅の洒落た庭を見ながらゆっくり歩きます。街中に入り、最初の車山に出合った角で私だけが迷子になりました。ケータイで連絡を取り合ったのだけど、神社がいくつもあることを知らず…。

 針綱神社、猿田彦神社を目の前にしながら犬山神社の鳥居の傍でウロウロしていてなかなか皆と会えませんでした。広場をはさんですぐ傍なのに、からくり見物の人波で見通しが悪くて…。
 ↓は、猿田彦神社、針綱神社のソメイヨシノです。
 

  車山のからくりも充分に見物し、参道を駅方面に歩きました。駅前で夜の提灯山を見物するのです。その間にお店を覗き、休憩もし、途中の「円明寺」の枝垂れ桜を見に寄りました。満開は過ぎ、若緑の葉が出始めていますが、それはそれで風情があり、なかなか見事でした。

  街中のお寺なのでもう日が陰り逆光なのですが、夕日に光る花がきれいでした。

 

 

 

 

 次に、からくり山車と提灯山を紹介します。


瑞龍寺道

2016-04-06 | 高岡

 高岡市の公報「市民と市政」には、毎号、”さあ、新高岡駅から”と言うシリーズものの高岡紹介記事が掲載されている。3月号では、「新高岡駅から桜の瑞龍寺道を歩こう」と言うサブタイトルで、瑞龍寺道の写真と記事が紹介された。

 ↓が、写真と地図、そして紹介記事である。             

             

 記事:
 「
新高岡駅から瑞龍寺に向かう「瑞龍寺道」という通りがあります。平成26年に整備が完了した約900mの道。カラー舗装された通り沿いには、高岡開町時に引かれた庄方用水が豊かな水量を湛えて流れ、桜並木や、伝統的な母屋・蔵が立ち並び、趣のある景観をなしています。

 瑞龍寺道の北半分は、井波道(二塚道)という古くからある道と重なっています。井波道は、江戸時代の絵図にも記載されており、瑞泉寺の門前までつながっていました。江戸時代の人たちも、同じ場所を歩いて、瑞龍寺と瑞泉寺を行き来していたのかもしれませんね。

 井波道との合流地点に位置する日枝社も隠れた見所です。前田利長公が、富山からわざわざこの場所に移転させたという由緒のある神社。この場所は、高岡城跡(古城公園)から見ると、ちょうど南西=裏鬼門の方向に位置します。高岡城を守らせる風水上の意味があったようです。

 歴史と自然を感じることのできる瑞龍寺道。来月には桜が見ごろを迎えることでしょう。皆さんも、一度、歩いてみませんか。」

 音訳ボランティア「あかね」でこの記事を録音した時、この道を知っている者は誰一人いなかった。名前すら知らない道。どこのことだろうね?とお互いに顔を見合わせていたものだ。
 その後1ヶ月経ち、Oさんからメールが届いた。「京田のサンコー店の裏あたりの道ですよ」とある。4/5(火)の昼、宇奈月へ出かける前の30分ほどの空き時間に京田へ行ってみた。サンコーの駐車場に車を止め、ほんの少し西へ歩くと小さな用水があり、用水に沿って北に向かうと、↑の写真とよく似た風景に出くわした。カラー舗装された道路はかなり広い。いつか瑞龍寺まで歩いてみたい。            

 ↓は、庄方用水。 高岡開町時に引かれたと言うから400年以上経っている。野村、能町などの十七カ村を灌漑している十七ヶ用水から瑞龍寺前で分岐したのが、庄方用水です。瑞龍寺から高岡関野神社高台の下を通り、片原町、坂下町、大坪町へ流れています。一方、平米町で分岐したものは、縄手町から千保川に注いでいます。庄方用水は、高岡城の外濠として、城の守りの役目を果たしていたと言われているそうだ。            

 この瑞龍寺道から井波道を通り、井波の瑞泉寺まで続いているそうだ。人々はこれらの道をたどり2つのお寺を行き来していたのだろうか。
 この日は午後宇奈月へ行く予定で、待ち合わせの時間に遅れないよう写真を撮っただけで家に戻った。


おとぎの森の桜

2016-04-02 | 自然・海山草花

 毎日暖かい日が続き、心身ともに元気になってくるとスケジュールがどんどん埋まって来た。見たい映画もなかなか見に行けない。3月末から4月上旬までぎっしりだ。そして、外に出ることが多くなるとともに息切れが気になり始めた。ゆっくり歩くと大丈夫だが、ちょっと気が急くと呼吸がはやくなる。

 4/1(金)、月1度の診察の日に先生に話すと、「じゃ3ヶ月経ったから検査して変化をみましょう」と言うことで、血液検査とレントゲン、心電図の検査をしてもらった。結果、心肥大も脈拍も3か月前より改善していてちょっと嬉しくなる。そう言えば、2,3日前に税務署から還付金の案内が届いた。確定申告はどうやらパスしたらしい。これも嬉しいことだ。

 それだけで気が晴れ(単純だが)、アオキで薬をもらった後「おとぎの森公園」へ回った。夕方だが日差しはまだ暖かい。ここに桜の木はあったかしら? 見渡すと、ある、ある。国道側(ショウワノート側)の3,4本が花をつけていた。       

        

       

 ↓ 子ども達はジェットコースターで歓声を上げ、高校生はバドミントンに興じ、散歩の親子や夫婦連れ、ベンチで語らう人も…。思い思いの楽しみ方ができるのがこの公演の良いところ。