Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

”日本の童謡は優しい。”~合唱団MiTU第7回コンサート

2012-05-30 | 合唱

 5/27(日)、ウイングウイング高岡4Fホールにて、私たち「合唱団MiTU」の第7回コンサートが開かれた。いつもながら仕上がらないままに当日を迎え、まして私は直前の1週間をハワイ旅行に当てており、合唱から遠ざかっていたのでとても不安だった。帰国の飛行機が20分ほど早まったおかげで、リムジンバスに早く乗れ更に1便早い冨山行きに間にあったのは幸いだった。25日のリハーサルに後半だけでも参加できたのである。中1日で練習しよう、と思っていたが、そう簡単に行くものではなく、ミサは通して2度、後の曲は苦手な個所だけ練習した。

 さすが7回目ともなると、チケットが早くさばけ、割り当ての10枚の他に35枚追加してもらったほどだった。1週間前の「第九」での宣伝も効果があったようだ。先生はもちろん、団員も多数「第九」に出演していたから。

 おかげで、「400人ホールを埋めよう」の悲願が初めて達成され、430名近くの方が聴きに来てくださり、立ち見席が出た。(トップ写真は、受付の行列。なはさん撮影の写真をお借りしました。以下すべて)        

 第1部:混声合唱曲「やさしい魚」(川崎洋 作詩、新実徳英 作曲)  この曲が一番難しかったのです。特に、二曲目の ♪ジョギングの歌♪ と 四曲目の ♪ 鳥 ♪。    

 第2部:童謡メドレー「いつの日か」(源田俊一郎 編曲) 子供の服装で、子供の気持ちで歌いました。♪ 証城寺の狸囃子 ♪では木魚とおりんの音が入ります。♪ どんぐりころころ ♪ では、泣きじゃくる声が入ります。「ポコポン ポンポコポコポン」の腹鼓や「コロコロリン コロコロリン」の擬音語が、なかなか合わず難しかったです。      

 第3部:ミサ・ブレヴィス ハ長調「雀ミサ」(モーツアルト 作曲) これは何と言っても4人のソリストが素晴らしかったです。ボリュームのある美しい声に圧倒され、自分のパートの合唱を忘れるほどでした。         

 ソリストの中で、アルトの林(旧姓:越前)典子さんが南星中でバレーボールをやっていた越前さんとわかりビックリ。(同じ名前の別人とずっと思っていたのです)共演できて本当に嬉しかった。彼女は今、子育て真っ最中。楽屋でも赤ちゃんを抱いて母乳をあげておられました。

 終演後、ロビーで友人や知人の励ましの言葉や感想を聞くのも嬉しいもの。義妹も駆けつけてくれていました。
 近くの「ポアル」での打ち上げパーティでは、先生の講評、ソリスト、初出演者の挨拶、その他の感想が話され、合唱する喜び、家族の支えの披露、もっと上手くなり美しいハーモニーを楽しもう…と、皆前向きに次の曲への想いを語り合え、嬉しいことでした。
          

 第7回合唱団MiTuコンサート:
     指揮 森川紀博、ピアノ 般若葉月
     ソリスト 長江真未、林典子、富松祐範、黒田雄一郎  でした。

 下に、ブログ仲間のなはさんのブログ、「きまぐれ草紙」を紹介します。MiTUを温かく支えてくださる応援者です。昨年77歳でブログを始められました。いつも優しい言葉に励まされています。(写真はなはさんのを借りたので同じで恐縮ですが)

 http://miwakawa78.at.webry.info/201205/article_10.html

 長くなりますが、もう一つ友人のTaさんからの絵手紙を紹介します。29日、縄が池・高落場山へのハイキングから帰ると届いていました。「きょうは とても楽しいひとときを過ごすことができました。パートⅡは服装も歌も楽しかったです。「月の沙漠」にジーンときました。帽子姿が若々しくてとてもよく似合っていましたよ。」と添えてありました。Taさん、ありがとう。     

 


ハワイの旅 ① ~ 別荘

2012-05-29 | 旅行

 4年前に、日本遺族会が主催する「戦争遺児慰霊の旅」に弟と二人で参加し、フィリピン、ルソン島を回った。総勢150数名の旅行団で、A班からF班に分かれ、それぞれの父親が戦死した(と思われる)地で手作りの慰霊祭を行う。私たちC班はルソン島北部を回った。1週間余りの旅を共にした仲間は絆を深め、帰国後も年に1度集まりを持つようになった。もちろん全員が集まるわけではない。私も昨年は行けなかった。

 1年目は愛知、2年目は静岡、3年目は九州、そして今年は大阪のHiさん(海外旅行のお世話をしておられる)が幹事さんで「ハワイ旅行」と決まった。5/20日以降の6日間のプランだ。5/20日は高岡市民合唱「第九コンサート」、27日はMiTUのコンサートだ。「第九」は諦めることにしたが、MiTuはそうは行かない。1年間練習してきた集大成だ。幹事さんに事情を話したら、5/20~5/25と言うプランが決まった。他の班の人、家族、知人なども誘ってください、とのことなので、3月末に保育園のパートを辞めたばかりの義妹も参加させてもらった。

 5/20日、甥の株主優待券(半額になる)で、富山空港からANAで羽田空港へ。新しくなった羽田は初めて。昼食を食べてから、成田空港行きのリムジンバス(3000円)に乗る。これも初めて。いつもはJRで上野へ、京成電車で成田行きだ。リムジンバスは初めてなので写真を撮った。トイレつきである。(↓は左と中央は羽田、右はリムジンバス)

                

 成田空港で、各地から集まった仲間と落ち合う。25名。Hiさんはすでにホノルルへ。夜8時出発。7時間後。同じ日の朝8時にホノルル着だ。空港には大きな車が2台迎えに来ていた。これに12人と13人に分かれて乗る。ハワイは人数制限はないらしい。ちなみに速度制限もない(?)。    

 宿泊は、ホノルル市内のホテル組と別荘組に分かれる。私たちは別荘組だ。大阪堺市のお金持ちの方の別荘だそうで、Hiさんのお世話で借りることになったらしい。
 小
高い丘(と言うより山)の上の白い建物だ。↓は、「熱烈歓迎」の玄関。レイの下の小さな文字”2008ルソンC”は私たちの会の名前。脱ぎっぱなしの靴やサンダルが散らかっていて皆行儀が悪い。      

 玄関を入ると、大きなリビング。↓は右側でソファとテーブル。      

 ↓はリビングの左側。大きなテーブルの回りの床に座る。この部屋の左奥はダイニング。     

 ↓は、ダイニングルーム。右奥はキッチンにつながる。      

 ↓は、リビングとテラスの間の細長い廊下のようなスペース。手前と奥にテーブルがあり、椅子を出せば食卓になる。滞在中は手前のテーブルに朝食のメニューが並び、各自が好きな品をトレーに盛り付け、好きな場所で食べるバイキングスタイルだった。↓中央付近はバーになっている。     

 ↓は、奥が上に述べたリビング。右にキッチンがあり、右から手前に二人部屋、4人部屋などの個室が並ぶ。広いテラスがあり、初日の夜はここでハワイの人との交流会が開かれた。     

 ↓は、プール。     

 ↓は、傘をさして泳いでいる義妹。左奥はジャグジーで、40℃くらいの泡ぶろ。写真では男性が2,3人入っておられる。夜の暗がりの中私も水着を買って入った。部屋はシャワーだけなので、ジャグジーに入ると疲れがとれる。 

 ハワイの旅のリポート、ボチボチと始めます。気長に読んでくださいね。   


映画「戦火の馬」(War Horse)

2012-05-26 | 映画・テレビ・演劇・芸能

 5/20(日)から25(金)まで、4年前に戦争遺児の会からフィリピンルソン島へ慰霊の旅に出かけた時の仲間たちと一緒に、ハワイへ旅行しました。それについては、ボチボチとアップしますが、今日は、帰りの機内で見た映画を紹介します。成田からホノルルまで約8時間。行きは夜のフライトだったので大きな画面しかなかったが、帰りは個々の座席にテレビ画面がついていました。新しい映画(先日見たばかりの「マーガレット・サッチャー鉄の女」もあった。)や名画、アニメなどたくさんあり、どれを選ぶか迷うほどでした。 私は、メリルストリープの「プラダを着た悪魔」と「戦火の馬」の2本も見たので、さすがに目が疲れました。今日は、「戦火の馬」(スティーブン・スピルバーグ監督)を紹介します。今年のアカデミー賞候補作品でした。

 あらすじ〉 第一次世界大戦直前のイギリスの農村、少年アルバートの父親は馬の競り市で、美しいサラブレッドを高い値段で購入する。彼は前の戦で足を怪我し、農耕もままならない。荒れ地を耕す農耕馬を買うつもりだったのに、馬の素晴らしさに惹かれ借金をして買ってしまったのだ。だが自分で調教はできず、息子のアルバート(ジェレミー・アーヴァイン)がジョーイと名付けて可愛がり、苦労の末鋤を引いて畑を耕すまでに育て上げる。トップ写真は、友情で結ばれたアルバートとジョーイ。

 戦争が始まり、ジョーイは軍馬として騎馬隊に売られ、フランスの戦地に送られてしまう。↓は、軍馬を大事にする騎馬隊のイギリス人将校、彼の友人の黒い馬。    

 騎馬隊はドイツ軍の砲撃にほぼ絶滅。馬たちはドイツ軍の重い砲台を引くために働かされる。次々と死んでいく馬。だが、ドイツ軍の幼い兄弟の少年兵がジョーイと黒い馬に乗り脱走する。    

 兄弟は風車小屋に逃げるが、捕えられ射殺される。2頭の馬は、両親を失い祖父と暮らすフランスの少女に助けられる。       

 が、再びドイツ兵に見つかり、砲台を引く馬として過酷な日々を送る。とうとうずっと一緒だった黒い馬が倒れた時のジョーイの悲しそうな表情やしぐさは人間とまったく同じで涙を誘う。
 最後に、ジョーイが、敵対するイギリス軍とドイツ軍の両方の陣営を駆け抜け、向き合う両軍の中間地点の有刺鉄線に絡まれて倒れてしまう。
          

 ところが、なんと!両軍から一人ずつ兵士が出て行き、ジョーイの有刺鉄線を切り馬を助け出す場面のやり取りが感動的。志願し、入隊していたアルバートと再会する場面もさらに感動ものだ。

 もともと児童文学が原作で、舞台化もされているそうだ。激しい戦争の中で数奇な運命をたどる奇跡的な軍馬、ジョーイが主人公だ。馬の演技が素晴らしい。おそらく何頭もの馬が出演していることだろうが、どのように撮影したものか、CGは一切使っていないように見えるが。
 戦争物ではない、とスピルバーグ自身は言っているようだが、事実を描くだけで戦いの過酷さやむなしさも充分に伝わってくる。(写真はすべてネットから)


新緑の季節に

2012-05-24 | 自然・海山草花

 5/18(金)早朝、娘がまた高岡駅から関空へと向かった。5:04発のサンダーバードだ。9月以来、もう何度かこの電車を利用している。冬は薄暗い時間だったが、今の季節はもう夜が明けている。それでも眠い目をこすりながら大きな荷物を引っ張って行くのを改札口で見送った。
 帰宅後、寝なおしもできず安堵の気持ちで新聞を読んでいると、最初は「ありがとうメール」が届いたが、しばらくすると悲痛な声で電話がかかり、「電車が遅れているので、飛行機に乗れないかもしれない、KLMに電話してチェックインカウンターに連絡してほしい」と言う。すわ、一大事。もともと、間に合わない
可能性も考え前泊を勧められる時間帯なのだ。今まで大丈夫だったから安心していたのである。

 さあ、それからネットでKLM(オランダ航空)の電話番号を調べる。9時にならないと電話は通じない。9時を待って電話。そう簡単に「ハイ、わかりました」とは行かない。おそらく乗れないだろう。今日の便をキャンセル明日の便を予約する、どの方法が一番安いか調べる、近くのホテルを取る、などこちらの希望も聞きながらとても親切に対応してくださった。私から連絡があったことも伝えるから、時間的に間に合えば搭乗できるように計らう、とも言ってくださった。
 しばらくして、「待っていてもらいギリギリで間に合った、今から乗る」と、娘の短い電話を受け、ようやく肩の荷が降りた。今ごろは新緑の季節、自宅で疲れを癒しているだろう。

 今、街中の家々の庭先や玄関の花々が美しい。春と言うよりもう初夏である。トップは、私が月1で通院している医院の駐車場のモッコウバラ。↓、茶々姫さん宅の近くの家々の前庭。    

    

    

      

 ↓は、茶々姫さん宅の塀のツタ。つややかな緑が美しい。秋には真っ赤に色づく。    


「高岡演劇鑑賞会」と高岡駅

2012-05-22 | 高岡

 5/19(土)、ウイングウイング高岡で、「演劇鑑賞会」総会が開かれ、出席した。例年だと役者さんやプロデューサーの講演があるのだが、今年は総会だけ。と言うのは、会員数の減少で、1例会2回公演(昼と夜)を1回公演にしなければならない瀬戸際まで来たからだ。どうするか充分に審議しましょう、と言うわけだ。参加者も大変多かった。 

 現状説明される武沢代表の挨拶に続き、冨山と砺波の鑑賞会から激励のメッセージがあった。

 その中で、お二人ともまず、「高岡駅に降り、目の前のウイングウイングにたどり着くまでくねくね曲がり道を歩いて来た」と挨拶された。「これも、新しい駅に生まれ変わるまでの過程、それと同じように鑑賞会もしばらく苦労しても乗り越えて行ってください」と。

 翌日の準備もあり、前半で中座した。駐車場までの2階通路から駅を眺めると、いつぞやのサティさながらの廃墟。クレーン車が何台も入り、がれきの撤去作業中だった。      

 地上の道路を歩いたり、車で過ぎているだけでは、高い塀の中のこととてこの状況は見えない。
 新幹線駅どうように、この在来線駅の完成も楽しみに待つしかない。


本「わたしの渡世日記」第2巻

2012-05-20 | 

 最近、高峰秀子にはまっていると言われそうだが、斎藤明美さんの「高峰秀子の流儀」を読んだ後、高峰秀子自身の随筆を何冊か読んだら一層興味が湧いたので、再び「私の渡世日記」の続きを読み始めた。2巻を借りてみて、なんか1度読んだような記憶があり、もしかしたら前回は2巻まで進んだのかもしれない。同じ本を何度も読むのも良いもんだと、改めて思っている。

 2巻では、子役から少女役者に成長し人気絶頂の時代、戦中の軍隊慰問のことなどが書かれている。印象に残ったことをいくつか紹介します。

 乙羽信子、田中絹代、入江たか子などの先輩の女優さんの素顔、私生活での苦労をすぐ傍で間近に見ていた後輩として感じたことが書かれている。黒澤明との青春の思い出も語られている。
 が、この巻でもっとも強く印象づけられたことは、斎藤さんの本にあった「動じない、求めない、こだわらない」デコちゃんは、若い時はそうではなかったこと、だからこそ大女優になれたのだ、と言うことだ。

 小川正子原作の「小島の春」(ハンセン病患者の記録)が映画化され、その映画を見た時杉村春子の後ろ姿の演技に圧倒されたそうだ。ただセリフを覚えて喋るだけの役者で、演技なんて考えたこともなかった自分が恥ずかしく、初めて自分の映画を真剣に見たそうだ。モグモグと口にこもる自分のセリフに驚き、発声練習から勉強しようとしたら「東宝」は、奥田良三、長門美保と言う一流の声楽家を紹介してくれ、高い月謝を払い、厳しい指導を受けた。

 「息の全部が声になる。ろうそくの炎に向かい発声すると、少しでも息があると炎がゆらめく。息の全部が声になると炎は微動だにしない。」
 「息は、肺だけでなく背中の後ろにも蓄える。」

 戦後の軍隊慰問の時、広い倉庫の中で歌っても、後ろまで声が響くのはデコちゃんだけ、専門の歌手より声量があったそうだ。生徒がダメであればあるだけ、先生は超一流で厳しい方がよいそうだ。宮城道雄さんに打っ倒れそうになるまで、厳しく琴の演奏を習ったこともあるそうだ。

 山本嘉次郎監督には、ある日「沢庵は誰でも臭いと思うが、役者は普通の人以上にそれを感じなければならない。何にでも人以上に興味を持たなければならない」と突然言われた。学校へも行かず、子役からずっと人気女優になった人だが、回りの人の言葉を教えとして実に素直に謙虚に受け容れ、努力した人なのだ。

 特攻隊員達の前で、声が出ず半べそで歌ったこと、千葉館山でのロケの最中に警戒警報が出ると、砂の中に作った一人用の蛸壺のような防空壕に入り、出て撮影が開始されるとまた警報が出て…そのうち8/15日を迎えた、と言うところで2巻は終わっている。第3巻も読んでみようと思う。


ソリストと一緒に

2012-05-19 | 合唱

 今年も、MiTUコンサートが近づいて来ました。先週からソリスト4人が来られ、一緒に練習しています。右奥の3名がソリスト(この日はアルトの方が欠席)さん達です。一緒に、モーツアルトの「雀ミサ」を歌います。途中、雀が ♪ チュッ チュッ ♪ と鳴くようなバイオリンが入るのですが、私たちのは葉月先生のピアノです。

 演奏する3曲の中で、この曲が一番仕上がっているはずなのに、ソリストさん達のの声に圧倒されたか、後で送られて来た音声を聴くと、あまりにもひどいハーモニーでがっかりしました。後、2週間でどれだけ完成度を高められるかが課題です。(私自身は来週は欠席なので、この日が最後の練習。しっかり家庭学習しなくちゃ…)        

 

 ↓は、「合唱の家おおばのホームページ」に掲載された当日の演奏内容です。時間と興味のある方は、ぜひお越しください。

  5月27日(日)

 合唱団MiTU(ミィトゥ)第7回コンサート
 午後2時開演
 会場:高岡市生涯教育センター4階ホール(ウィングウィング高岡)
 主催:合唱団MiTU(がっしょうだんミィトゥ)
 後援:(財)高岡市民文化振興事業団、高岡市教育委員会、北日本新聞社、高岡ケーブルネットワーク(株)
 【曲目】
  1 川崎洋の詩による五つの混声合唱曲「やさしい魚」
    作詩 川崎洋  作曲 新実徳英
    1 感傷的な唄
    2 ジョギングの唄
    3 天使
    4 鳥が
    5 やさしい魚
  

  2 混声合唱のための童謡メドレー「いつの日か」
    編曲 源田俊一郎
    1 しゃぼん玉、2 揺籃のうた、3 叱られて、4 七つの子、
    5 夕焼小焼、
6 月の砂漠、7 証誠寺の狸囃子、
    8 汽車のうた、
9 みかんの花咲く丘、10 どんぐりころころ、
    11 里の秋、12 あの町この町、13 赤とんぼ

   

  3 ミサ・ブレヴィス ハ長調 雀ミサ K.220
    作曲 モーツァルト
     Kyrie、Gloria、Credo、Sanctus、Benedictus、Agnus Dei
    【指 揮】森川 紀博
    【ピアノ】般若 葉月
    【ソリスト】ソプラノ:長江 麻未
             ア ル ト :林(越前) 典子
             テノール:富松 祐範
             バ  ス :黒田 雄一郎
    【鑑賞券】500円(全席自由)


F家の牡丹園

2012-05-18 | 自然・海山草花

 昔、お世話になったF先生が先月末亡くなられたことを前に書いた。お通夜の席で、喪主の息子さんが母の思い出を語られた後、「今年も牡丹が咲くのを楽しみにしていました。母が植えた牡丹も咲きますので、連休明け頃に見に来てください」と挨拶された。

 そして連休明け、お嫁さんからAnさんに電話があったそうで、急きょ連絡を取り合い、都合のつく人4人で5/8(火)お伺いした。牡丹に会うだけの予定が、ぜひにと言われ、お仏壇、遺影、お骨にお線香をあげた後、庭に出た。↓は、前庭。1番古い牡丹とのこと。最初、この庭から始ったわけだ。    

 ↓は、中庭や後庭に続く道沿いの牡丹。  

 ↓は、中庭。F先生の寝室からよく見えるので、3月頃から車椅子に座りよく眺めておられたと、お嫁さんが涙ぐみながら話される。            

 例年だと、先生が植えられた牡丹が最後に開くのに、今年はどうしたことか一番に咲き出したとのこと。「早く見てほしくて、牡丹が頑張ったのかも…」とのAnさんの言葉に皆しんみりした。

 よく晴れた日で、この日が真っ盛りで最高の日和だった。藤、つつじ、大でまり、卯の花、おだまきなど一斉に咲いていて、百花繚乱の庭だった。白い牡丹が光を受けて映えいくつか撮ってみた。

               

            

                            

 ↓は、一つ一つの株に支柱が3,4本も立ててある。肥料もたくさん要るそうだ。お世話は大変だろうが、毎年こうして美しい花を咲かせ、道行く人々を楽しませてくれる牡丹たち。      

 株を育てるために、萎れ始めるとすぐに花の頭だけ切るそうだ。     

 息子さんは、切り花にはしないと言いながら、私たちめいめいに4,5本ずつ切り花をくださった。帰宅後、我が家の庭の、こでまり、アマドコロ、黄色の踊子草と一緒に生けました。           

 個人で、これだけの数の牡丹を丹精されるお宅は珍しいでしょう。この後も息子さんご夫婦で育てられることでしょう。
 来年も連休頃に満開だと思います。高岡市戸出伊勢領です。156号線「狼」交差点の北、かとう靴店の角を西へ曲がるとすぐです


母の日~「パソコンなんでも相談会」&「野雲会」

2012-05-16 | 日記・つぶやき

 今年の「母の日」は、ちょっと違った。今までは、娘はイギリスの母の日は3月第3日曜だからと、その日にメールと写真などを送ってくれた。会社人間の息子は、そんな日があることも知らないだろう。

 ところが、今年は、前日の12日にいつものお花屋さんが、マークと娘からの花束を届けてくれた。”With love on Mother's Day.”のメッセージカードつきだ。さっそく花瓶に生けて玄関に飾った。     

 さて、「母の日」当日は、青年の家の「パソコンなんでも相談会」に行くことにしていた(トップ写真)。茶々姫さん、なはさんと一緒だ。iPhoneやiPadの展示もあるとのこと。
 NAT主催のこの会は、私は6,7年前かに何度か参加し教えてもらったことがある。今は、月に2回、参加費はその都度200円だ。青年の家1階の玄関のすぐ前の部屋。入るともう何人か来てそれぞれ個別指導を受けておられる。
          

 茶々姫さんは、ブログが開くまでに時間がかかり過ぎる原因は? なはさんは、Gメールの受信と返信はできるが発信の仕方は? 私は、エクセルの表作りで列の幅や行の高さを変えるには? など簡単なことばかりだが、自分が今困っていることを質問し、教えてもらう。前のエクセルでできたことが2007では違うので、行や列の幅は目分量で変えていた。「乗り換えの本」を買えばわかることかもしれないが、直接教えてもらうのは楽しい。

 imaichiさんも展示の品を見て質問しておられた。約10名の参加者で、全員が70代だったとのこと。新たにパソコンを買って、1から習っている二人組の方もおられた。リーダーの小松さんによると、NATでは中高年層を対象にしたパソコン勉強会を別途企画中とのこと。いずれ「市民と市政」に掲載されるようだ。

 話は後先になるが、朝、青年の家の玄関に「野雲会」の大きな看板が出ていてまずびっくりした。「野雲会」は、大皷の野尻哲雄先生の会だ。玄関に入ると野尻先生の後ろ姿が見えたので挨拶をする。午後からだからどうぞ、と仰った。お囃子の会だから、笛も太鼓も小鼓の方たちが皆いらっしゃることだろう。あまりの偶然に嬉しくなり、午後の予定もあったがランチの後しばらく見させてもらった。

 ↓は、左から「三輪」、「羽衣」、「猩々」、「安宅」の居囃子。瀬賀先生、上田先生、山崎先生も地謡に出ておられた。高校の同級生が「三輪」の大皷を大きなかけ声で打ち、心の中で声援を送った。

     

 ↓は、「放下僧」の一調。松本先生と車先生。「放下僧」は節回しの面白い曲だが、両先生の息がぴったりと合い、さすがである。    

  


映画「わが母の記」

2012-05-15 | 映画・テレビ・演劇・芸能

 5/8(火)、深松家の牡丹鑑賞の後、イオンで映画を見た。

 「わが母の記」:脚本・監督は原田眞人、原作は井上靖の「わが母の記~花の下・雪の光・月の面~」
 出演は、役所広司、樹木希林、宮崎あおい、南果歩、キムラ緑子など
 
モントリオール世界映画祭審査員特別グランプリ受賞。

 井上靖と言えば、話題作「氷壁」を始め、「風林火山」、「天平の甍」、「敦煌」などの大作で知られる人気作家だったが、私にとっては、私自身の若い頃の作品「あすなろ物語」や「しろばんば」、「夏草冬濤」が印象深い。作家が家族と離れて過ごした少年時代、青年時代を描いた作品だ。 

 映画は、伊豆湯ヶ島の風景から始る。緑の木々やワサビ田の映像が絵のように美しく、バッハの曲らしい静かな音楽がよくマッチしている。
 小説家、伊上洪作(役所広司)は、死期の迫った父親を見舞いに湯ヶ島の家を訪ねる。子供の頃、洪作だけが家族と離れ、曽祖父の愛人だったお縫いばあさんに預けられ土蔵の中で育ったことから、彼は両親に捨てられたと言う想いをずっと抱いていた。
 父親が亡くなり、母(樹木希林)は妹(キムラ緑子)夫婦と暮らすことになる。が、義弟の怪我などで事情が変わり、母は東京世田谷の洪作の家にやって来る。妻、3人の娘、末の妹(南果歩)に助けられながら、彼は母と同居し、母と向き合うことになる。(トップ写真)

 老いて少しずつ壊れて行く母親を演ずる樹木希林が、可笑しくもあり悲しくもあり、何ともうまい。洪作が子供の頃、遊動円木に乗りながら書いた詩を母親は覚えており、ボロボロに古くなった紙をさすりながらその詩を呟く姿を見て、洪作は号泣する。この場面に涙が止まらなかった。母の本当の想いをこの時知ったのだろう。
 父親には反抗する末娘(宮崎あおい)が、お祖母ちゃんのよき理解者となり軽井沢の別荘に付き添い、一緒に暮らす。
    

  母親を背負う洪作の晴れやかな笑顔と母親の安心しきった表情、いい場面でした。        

 小津安二郎を思わせる淡々とした作品で、会場から笑いが起こる場面でも静かな隣のおじさんはスヤスヤ寝息を立てておられました。
 それにしても、人気作家の生活はなかなか贅沢で、軽井沢の別荘と言い、法要の後の会食と言い、ちょっと驚きました。


城端曳山祭り~余話

2012-05-14 | 富山

 5/5(土)、南砺市城端、「薪の音」でランチ後曳山祭り見物に行った。お茶教室の仲間7人である。夜の提灯山まで粘ろうと残った3人組は、曳山の行列と一緒に歩きながらいろいろな出会いを楽しんだ。(↓は、”坡場 〈はば〉の坂”、手前を下ると五箇山へ通ずる、右は醤油屋) 

 この坂の下は東新田町。この辺りには機業場が多い。(↓は、機業場の屋根)        

 町の大通りで、紋付袴姿の同級生に次々と出会った。
 大工町のHaさんは親の代からの床屋さん、新聞販売店の経営も。袴には解説委員のリボンがついている。曳山会館前の披露の時、各町内の解説委員が曳山や屋台の説明、庵唄の歌詞の解説をしていたが、町内によりばらばらだったので、最近は、観光ボランティアが原稿を読むようになった、とのこと。そう言えば、きれいな声でプロ並みの解説だった。
 すぐ後ろの曳山に、西上町のMoさんとNaさんが。Moさんはクリーニング屋さん、Naさんは老舗のお菓子屋さん。元と今の町内会長さんだ。資料のお礼やら同窓会の話をする。三人とも長男、家を継いで町に残った人たちだ。まだ現役で町を支えておられる。

 行列は、「所望」の家々の前で庵唄を披露するので、ゆっくり進む。Kaさんは、高岡の知り合いの人達と何人にも出会い、道での立ち話。ようこ姫さんは、提灯山を見ながら歩道の縁に座りこみ、隣のおばあちゃんと仲良くお喋り、「伏木祭り」の提灯山と”カッチャ”の説明に余念がない。時間はゆっくり流れ、歩みもゆっくりと、コーヒータイムや夕食タイムをとりながらあっと言う間に9時を過ぎた。(↓は、お祭りの着物を着て庵屋台の前でママに写真をとってもらう女の子)
             

 出丸坂のUターン見物の後、別院に向かって戻る途中のことです。広小路(城端にも小さな広小路がある)まで来て、「この細い小路の下に”桜坂”と言う急坂の階段があってね」と話していると、一人の女性が立ち止まり、Kaさんに話しかけられた。
 「城端の町は馬の背中みたいに坂の上にあり、両側に川が流れ東新田、西新田の町がある。」
 「曳山の上に昇るのは、大工さん建具やさん、身の軽い高所に慣れた人たちだ。父が大工だったので、子供の頃から祭りの前に準備しているのをよく見ていた。」
 「車の心棒に薄い檜の皮を巻くので”ぎゅうぎゅう”と言う音が出る。祭りの前に父が巻いているのをよく見ていたものだ。だからあの音が出る。町の人は”ぎゅう山”と呼んでいる。」
 「勢揃いした”帰り山”がそれぞれの町内へ帰るのを、一番山がご苦労さまでした、と見送る。あれを見ないと祭りが終わった気がしない。」などと、いろいろと面白く説明してくださり、私の知らないこともいっぱいあった。私の実家は西新田だったので、いわゆる曳き山のない町内(獅子舞がある)なので見物人と同じなのだ。

 「町の方ですね」と聞くと、「実家は出丸のOで、すぐ近くに住んでいる」と仰る。え~ッだった。「城端望見」を送ってくださったOさんのお姉さんなのだ。88歳で最近膝が痛くて、と仰るが元気そのもの、お顔もつやつやして笑顔が素適。元NTTにお勤めだったそうだ。
 ひとしきり、数年前にOさん宅で「所望」の席に座らせてもらい庵唄を聴いた思い出などを話した。Oさんのお義姉さんがOさんや私と同い年など話の種が尽きず、長い立ち話になった。夕食を済ませ、提灯山の出発を見に戻ったら、またまたお会いして話の続きになった。なんとまあ狭い町だこと。嬉しい、楽しい、出会いでした。

 駐車場に戻る途中、「桂湯」に寄る。昔からの銭湯だったがご主人のYaさん(やはり私と同級生)が亡くなられ、奥さんと娘さんで手作り小物の店を開いておられる。浴場をそのまま生かしたレイアウトが面白い店だ。            入浴料金「拾六園」から始っている。昭和30年代の料金表だった。


城端曳山祭り~夜の部

2012-05-13 | 富山

 5/5(土)の城端曳山祭りの続きです。この日は提灯山まで残る予定でいたので、曳山会館内で皆が休んでいる間に、奥の「蔵回廊」に久しぶりに入った。ここは旧野村家の大きな土蔵を美術館にしたもの。戦後疎開をしておられた村井辰夫さんの彫刻も展示されている。↓は、村井氏の写真、土蔵の入り口(女の子が何やら説明を読んでいる)、村井氏の彫刻。

                  

 その後、別院前の小物屋へ入ったり、香具師を覗いたりしてぶらついてから、出丸坂の折り返しを見に行く前に、早く帰宅する人と疲れた人4名が早目に帰ることになり、残留組はようこ姫さん、Kaさん、私の3名になった。荒町の小路など見ながら出丸坂に向かう。私が紋付袴の同級生に会ったり、Kaさんが高岡の知り合いに会ったり、姫さんは写真を撮りながら、つかず離れず、時には見失ってケータイで居場所を確認しながら、出丸で落ち合った。出丸は町の北の端でゆるい坂になっているが、坂の下辺りで全部の屋台と曳山が180度方向転換をする。このUターンも見どころの一つ。ぎゅーっと音をたてながら回転する曳山の姿は勇壮であり、手に汗握る全体が一丸になった技は、何度見ても飽きない。拍子木とかけ声で曳き手の心が一つになる。(トップ写真)回転した途端にすぐ坂を登ることになるので、前は引っ張り、後は押す。思わず「頑張れ~」と言いたくなる。     

 全部の曳山がUターンを終えると見物客もホッと一息。私たちは「安居(あんご)」の喫茶店に入りコーヒーで一休み。店を出た頃は、すでに提灯山になっていた。提灯をつけた後、皆さんは夕食の時間。屋台の中も曳山の上も誰もいない。        

 屋台にも可愛らしい提灯がついている。誰もいないのを幸いに記念撮影をしている人たちも。        

        7

 さあ、私たちも、「浪漫亭」に入り夕食をとった。お弁当「曳山ご膳」だ。午後7時、提灯山が出発する。        

       

 ↓は、大黒天。       

      

 提灯をつけた6基ずつの庵屋台と曳山は、昼と同じように「所望」の家の前に止まり庵唄を披露するのでゆっくりゆっくりと進む。囃子の音も庵唄の声も、ひときわ夜空に冴え渡る。そして最後に、町の南端の城端庁舎(昔の役場)辺りでUターンをしてそれぞれの町内に帰って行くことになる。この提灯山行列を「帰り山」と言い圧巻だそうだが、10時を過ぎるので諦めた。帰りに「じょうはな座」に寄ったら、映像での曳山紹介が映されていた。大きな画面で迫力のある映像で見ごたえがあった。(次回もう1度、曳山祭り余談を載せますのでお付き合いください 


城端曳山祭り~昼の部

2012-05-12 | 富山

 5/5(土)、「薪の音」でランチを終えたのが1時過ぎ。町のグランドに駐車し、大工町へ向かう。城端町は、東に池川、西に山田川が流れ、二つの川の間を高町と言い、馬の背のように坂の上にある。その6町内が曳山を持つ町内だ。各町に、傘鉾、曳山、御神像、庵屋台(いおりやたい)がある。

 大工町の通りに行くと、先頭の傘鉾が勢揃いしていた。(トップ写真) この後、一番山から順に、庵屋台、曳山の順で街を練り歩き、所望の家の前で庵屋台の中の若連中が笛、太鼓、三味線の囃子に合わせ庵唄(江戸端唄の流れを汲む)を唄う。

 ちょうど、三番山、東下町の「大黒天像」を安置する東耀山が、宗林寺町から大工町の細い通りを抜けて姿を現したところだった。両側の家にぶつからないように屋根がたたまれている。        

 広い通りに出たところで、90度向きを変える。かけ声と拍子木の音とともに、車の前の曳き手は飛びあがって体重をかける。         

 無事に向きを変えたところで、曳車の上ではたたんでいた屋根を降ろす。片足を宙に浮かせての作業だ。          

 首尾よく屋根は元通りに。天井は格天井(ごうてんじょう)の手法だ。          

 ↓は、曳山の壇の飾り彫刻。         

 ↓は、車は輻車(やぐるま)。        

 ↓は、四番山、出丸町の「布袋像」を安置する唐子山の屋根を降ろすところ。          

 ↓は、唐子山の飾り。           

 ↓は、五番山、西下町の庵屋台。数寄屋造り2階建て、主屋、離れ2棟の料亭を模している。        

 ↓は、西下町の法被、「龍神」。法被の模様も町により異なる。           

 さあ、残るは、最後の東上町の鶴舞山、御神像は「寿老人」。ここで、ハプニングが起こったらしく、歓声が上がっている。後で聞くと、例年一番山の町内が電線の高さなどを各町内に知らせる習わしだそうだが、何か手違いで曳山の屋根が引っ掛かったらしい。大工方の若者が屋根の上へ昇り外したらしい。私が見たのは、ちょうど降りて来るところ。電信柱を伝って無事に着地、思わず「猿みたい~!」と叫ぶ子どもの声、そして拍手。照れくさそうな若者。

                  

 その間、この町内の庵屋台は、前方で静かに待っている。       

 最後の町内の曳山が大通りに現れたところで、私たちは、曳山会館前に移動した。ここは特設会場で、全町内の庵唄の披露と曳山の歴史や作者など説明が行われる。有料席もあるが超満員で割り込む隙もない。望遠で、大黒天像の前の操り人形「ラッパを吹く人形」と「逆立ちかるわざ人形」を撮ってみた。見にくいが、左前の人形を見てください。左の人形がラッパを吹くと、右の人形が逆立ちを始めます。

         

 外は夏のような暑さ、曳山会館の奥の「蔵回廊」に久しぶりに入った。その後の、出丸町の折り返しや「提灯山」については次回に書きますので引き続き読んでください。(いい天気だったのに写真が鮮明でなくて残念ですが)


同郷の友より

2012-05-10 | 日記・つぶやき

 還暦が過ぎ、古希が過ぎ、その都度、同窓会やら旅行やらと出会う機会が増えるにつれ、今まで疎遠だった人も行き来のあった人も、ますます懐かしく、親しく感じるのが同級生である。まして、故郷を遠く離れ関東地方で暮らす同級生たちはとても仲がよく、小学校の半ばで東京へ転校した人(昭和20年代は疎開で田舎に移り住む人が多かった)も含め、30年ほど前から「東京卯辰会」を作り、年に2,3回同窓会を開いておられる。私も、退職後は時々、箱根強羅の春の会や、新宿での忘年会ランチに顔を出していた。

 その中の一人が日立市のOさん(震災時の自宅の前の泥川の写真が載った年賀状をブログで紹介した)。彼は、インターネットで南砺市のウェブページ「いこまいけ南砺」などからピックアップした写真を基に80ページにも及ぶアルバムを作り、東京卯辰会のメンバーに配ったそうだ。それを私も1冊いただいた。

 縄が池、曳山祭り、蔵回廊、むぎや祭り、善徳寺、じょうはな座、駅、桜、小路、坂、お寺…など、21の目次にわけ、それはたくさんの美しい写真と説明文が掲載されている。題して、「拝借アルバム 城端望見」トップ写真)お茶教室へ持って行くと、ようこ姫さん始め「私もほしい」と希望する人がおられ、厚かましくも追加をお願いした。その中に、曳山祭りの「提灯山」の写真があり、今年は絶対に粘って「提灯山」を見たいと思った。↓の写真でははっきり見えないが、提灯をつけてUターンする曳山の動きが、見ているだけでワクワクするほどよく撮れている。     

 さて、もう一人城端在住の同級生、Moさんに、「高岡から7人で祭り見物に行くよ」と電話をしたら、今年の資料などをたくさん送ってくださった。↓は、昨年発行の小冊子「城端の曳山」。     

 祭りの歴史、曳山や御神像を作った人々、6個の曳山と御神像などの説明が写真入りで掲載されている。↓は、西上町の「竹田山」、御神像は「恵比寿様」だ。        

 そして、いよいよ5日、7人で祭り見物となったわけである。


「薪の音(まきのおと)」でランチ

2012-05-09 | 食物

 4,5年前から、城端の「里山のオーベルジュ・薪の音」の名前をよく聞いた。私自身は城端生まれなのによく知らず、新しいホテルが建ったかくらいに思っていた。ところが、農家を改築した宿でレストランもあると言う。ただ大変高価なので、ファミレス大好きな私たちには手も足も出ない、とわかった。では、積立貯金をしよう、と誰かが言いだし、去年から、茶々姫教室の希望者でお稽古日に1000円の積み立てを始めた。せっかく行くなら、「城端曳山祭り」の日がよかろう、と2月頃に申し込んだ。

 5/5(土)、城端曳山祭り。4日の宵祭り(飾り山)の日は雨だったが、この日はよく晴れ、最高の祭り日和となった。2台の車に7名が分乗し、うきうき気分で高岡を出発した。祭りの日とて町の中は進入禁止、城端駅を背に直進し、突き当たり右折(左は城南橋、川の近くに向野のエドヒガン桜がある)、「野口」の交差点で左折ししばらく行くと、「薪の音」の目立たぬ看板が見える。7台分の駐車場がある。のどかな山里で、周りの水田には水が張られていたが田植えはまだだ。↓は、入り口。最後尾の黒い衣服の方が、たぶんご主人だ。(トップ写真は、庭のおおでまり)         

 ↓は、レストランの部屋。私たちは、10人くらい座れる部屋に通された。        

 相変わらずお喋りが弾み賑やかだが、お料理の説明だけはメモをとった。
 まず、「アミューズ」。口の楽しみ、くらいの意味で料理の最初に出される「つきだし」みたいもの。小松菜と山芋、トップはサザエ。
         

 次に、前菜。すりおろした人参、鯛の塩じめ、ホタルイカの燻製、アボガドなど。         

 次に、牛蒡のスープ。         

 ↓は、魚料理。しろえびの唐揚げ、車鯛をパイの皮で包んだもの、ホタテ、ソラマメなど。 

 ↓は、肉料理。ミディアムのビーフと筍となばな、四角いのはベーコンと玉ねぎのキッシュと黒コショウ。        

 ↓は、メモしなかったが、菜園で採れた野菜。        

 後は、ごはん、お澄まし(えのき、茗荷、三つ葉)、杓子菜のしょうゆ煮、デザート、コーヒーか紅茶。  

               

 すべて、薄味で食べやすく、美味しかった。事前に、曳山を見に行くのでとだいたいの時間を話していたので、時間に間に合うように次々にお料理を運んでくださった。帰り際に、皆好き好きにご主人と奥さんに質問攻め。ご夫婦とも城端の生まれと聞き、驚いた。宿泊すると高価だが、ランチは3,500円から、私たちは飲み物をとらなかったので5000円きっかり。

 農業、野菜作りもしておられるらしい。↓に、「館主が育てた野口のお米」とある。          

  薪の音: 〒939-1844  富山県南砺市野口140
        TEL 0763-62-3255   FAX 0763-62-3266