Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

公民館「キトキト情報」のブログ

2009-01-31 | 日記・つぶやき
 高岡市に公民館は全部でいくつあるのだろう。市立や地域
や、種類もいろいろ違うらしい。
 私は野村でコーラス、平米で能楽お囃子のお世話になって
いる。両方とも自分の校下でないのは、当時博労公民館は
まだなかったからだ。ちなみに私の弟は三鷹市に住んでいて
合唱活動をしているが、コミュニティ活動の文化部長だ、と
言っている。「何それ?」と聞いたら、公民館活動のことだった。
東京は呼び名まで違うようだ。

 高岡市の公民館にはすべてHPがあるが、ブログを書いている
所はないようで、先日の北日本新聞に平米のブログが大きく
紹介された。writerのとんこさんは私のブログにコメントを書いて
くださる2番目に若い読者である。

 先日の「鏡開き」の記事でも公民館の紹介したが、彼女独特の
語り口で楽しい記事だ。
 12月公民館にイルミネーションの飾りつけをしていると聞いた
時も、夜出かけられなかったが、ブログで校下の子供達が「崖の
上のポニョ」を歌った記事を読んだ。

 写真は公民館事務室のとんこさん。いつも笑顔の彼女だが
この日は特別に笑顔満開だ。
 シャッターチャンスを逃さないよう愛用のデジタルカメラをいつも
持ち歩いているとのこと。見習わなくちゃ。

歌集「晩年の義父を偲ぶ」

2009-01-30 | 日記・つぶやき
 先日、まめさんの絵手紙を紹介したが、彼女は平○公民館
の短歌教室の生徒であり、その友人のSさんも短歌を作られる。

 Sさんはリタイア後4,5年間公民館の仕事をしておられた。
忙しい農作業の傍ら、切り絵を小学生に教えたり、家では50鉢
もの菊を育て、お囃子教室や着付け教室のお世話も熱心にして
おられた。今私は「能楽お囃子教室」で一緒にお謡の稽古を
している。

 昨年11月初めお舅さんが103歳で亡くなられ、四十九日の法
要に向け、手作りの歌集を作り集まられた親類の方に配られ
た。初稽古の日に見せていただき、ゆっくり読ませていただい
た。
 5,60首あっただろうか。お義父さんに寄り添って暮らして
おられた様子がよくわかる。特に9月以降入退院を繰り返して
おられた頃の話を聞いたり、葬儀にも参列したので、一首読む
ごとに涙があふれた。

 いくつか紹介する。

 H17年:幾たびも暦の赤き○印を 
              確かめる義父デイサービス待つ

 H18年:百歳を迎えた義父は今日もまた
              稲刈る時期を確かめており

 H19年:退院の義父に好物の刺身膳
              よくかみしめてむせずに食す
 
 H20年:言いたくも言葉にならぬ訴えを
              義父はしきりに手をとりて言う
      かねてより覚悟せし日の訪れて
              胸の鼓動の高まり覚ゆ
      通夜を終えビール供えし夫見やり
              目細めたり義父の遺影は
      数々の功績残せし義父なるを
              弔辞が知らせ人驚かす 
      七年間使いしベッドを返納し
              義父の部屋には空間広がる    
      
 私自身は、父と義父は戦死や現職中の病死、母は60代で
倒れたので仕事の合間に病院通いはしたが、最期の半年は
弟夫婦の世話になった。義母も義妹夫婦の世話になり、親身
の看病は一度も経験していないのだ。ただただ、そのご苦労
と優しい気持に尊敬の念を抱かずにはおられない。 

ヘンデルの「メサイア」

2009-01-27 | 合唱
 高岡「第九」の1週間後、1/25(日)富山大学黒田講堂にて
バッハアンサンブルの「メサイア」の公演があった。
 これで新年の行事は最後にしよう、とチケットを買った。
我々の合唱団”MiTU”の仲間が2人、元仲間が1人、参加して
おられる。

 「メサイア」は学生時代に2年間歌った。ミッション系の学校
だったからクリスマスの頃の定番の行事で、年に1,2回。
どこで歌ったかもはっきりしない。合唱はもちろん、「田園交
響曲」や「復活」を表すトランペットソロが好きだった。

 数年前、砺波文化会館の○○年記念に「メサイア」公演をする
と知り、個人参加をした。合唱団中心で一般公募はなかったが
電話でお願いしたら、一人くらいどうでも良かったか、すぐ
どうぞと言われた。ただ、夜砺波まで通うのはつらかった。
 その後、富山市の教会の合同礼拝で毎年クリスマス日本語の
「メサイア」を歌うと聞いて2回聴きに行った。言わば、青春時代
の思い出に浸りたかったのかもしれない。

 さて、今回の公演はもちろん英語、しかも全53曲、2時間半の
演奏だ。ボイストレーナーがつき、合宿もして1年間取り組んだ
そうだ。バッハアンサンブル富山は60名の合唱団、富山室内
合奏団は16名だ。さすが洗練された美しい声で各パートが一つ
に聞こえる。アルトソロがカウンターテナーの男性ソリストと言う
のも珍しい。

 「メサイア」はキリストの降誕、受難、復活をテーマにした3部
からなるオラトリオで、歌詞は旧新訳聖書からの抜粋と言わ
れる。2部の最後に有名な「ハレルヤ・コーラス」があるが、ロン
ドンでの初演の時、臨席した国王ジョージ2世が感動のあまり
立ち上がったと言うエピソードがあり、その後ハレルヤ・コーラス
は立って聴くと言うしきたりがある。もちろん聴衆によって違うの
だがどうしよう、と気になることもある。
 この日は、指揮者が事前に「今日は立ちましょう」と提案され
た。しかも最初からでなく、おそらくジョージ2世は、”King of
Kings”の言葉で立っただろうから、そこで「合図をします」と
言うわけだ。王様の気分というのでなく、自分も一緒に演奏に
参加しているような雰囲気が楽しかった。

 黒田講堂は初めてだが、古くて寒いから温かく着込んでと、
言われたけど受付でホッカイロを渡されたり、そんな演出があっ
たりで温かい演奏会でした。
 

「源氏物語と能の世界」新年会

2009-01-25 | 能楽
 1/24(土)は前夜からの積雪が16cm、風は冷たく寒い一日
だった。今年最後の新年会は、高岡市学遊塾「源氏物語と能の
世界」、大仏様の向かいの「角久」さんだ。
 この学遊塾は、初年度からずっと「平家物語と謡曲の世界」で
続いていたが、昨年から「源氏物語」に変わった。私は4,5年前
から参加している。昨年も年6回講座のうち半分しか参加できな
かったが、図々しく新年会だけは出席した。

 先生に個人的な質問ができるのと、集まるメンバーの趣味、
仕事が多彩で話を聞いていると面白いのだ。
 今回は特に評判の「角久」さんのランチを一度食べてみたいと
思っていたのでいいチャンスだった。

 トップの写真は玄関の飾りつけ。
 正面に暖簾が下がり、両脇にも小物が一杯下がっている。
大奥さんが小物作りの教室を開いておられるそうだ。
        
      

 奥の部屋で会食した。
 活け花と天神様。
 

 木・金・土の限定ランチ。コーヒーつきで1200円。
個室の室料は3000円。普通は玄関横のテーブルで。

        

 いつもはここで、お世話係のTさん考案のクイズが出る。
その年に勉強した内容から出るのでサボった人は答えられ
ない。3択、4択だがなかなか難しいのだ。
 ドキドキしていたら今年は新趣向だった。大野やさんと
相談して「源氏物語」ゆかりのお菓子を特注で作ってもら
ったそうだ。6.5cm×10.5cmの小さな菓子箱である。
包装紙の上の文字はデザイン会社に勤める彼女のお手製。

 さて、クイズです。最初の3個のお菓子は「源氏物語」の
何の巻でしょう? ヒント:2つの巻です。これは易しい
ですね。


 次のお菓子は何の巻でしょう?ヒント:模様の「青海波」

        

 これはよく読んでないとわからないかも。
お菓子はまだ食べていません。

初日の出

2009-01-23 | ボランティア
 1/19(月)は音訳ボランティア「グループあかね」の新年会
だった。午前中はいつものふれあいセンターでパソコンの勉強
会、その後大野屋さんでランチと言うすこぶる粋な企画だった。

 グループのメンバーのOさんは、小学校でパソコンを教えて
おられるパソコンの先生だ。月1度の録音日に、それぞれが勝手
に質問していたのだが、一度まとめて時間をとりましょう、と
言う事になったのだ。

 お正月早々、Oさんから年賀状とは別に新年のメールが届い
た。メールに美しい初日の出の写真が挿絵のように貼り付けて
ある。わあ、きれい。ブログで紹介したい。
 ところが私は添付の写真を保存する方法しか知らない。以前
わざわざ添付で送り直してもらった事があった。
 この日はメールに写真を貼り付ける方法と、その写真を保存
する方法をしっかり教えてもらいました。

 遅ればせながら「初日の出」の写真を紹介します。
「 」内はOさんのコメントです。

 まず、トップの写真は:
 「朝霧高原からの初日の出です。凍える寒さの中一時間ほど
待って撮りました。」

 次の写真は:
 「大晦日の昨年最後の日の出です。」 



     次は:「ホテルのロビーからの富士山です。」

      
     
      最後は:「浅間大社からの富士山です。」

       

 写真に続けてこんな素適なコメントが・・・

 「憧れのお正月に富士の見えるホテルで! の夢が叶いまし
た。4日間ずっと真っ青な空で、私が女神なら富士山と青空を
持って帰って 日本の裏と表を逆にします。
 途中から徐々に雲が多くなり とうとう鉛色の空からちらちら
と雪が舞ってきました。」

まめさんの絵手紙

2009-01-22 | 日記・つぶやき
 先日の「第九」のカウントダウン・コンサートが、本番の10日
ほど前に市民会館ロビーで開かれた。昼だったので、その後
数人の友達と野村ココスでお茶を飲んだ。

 その時聴きに来てくださったまめさんは鳥取の住人。彼女と
知り合うまで大島にそんな地名があることも知らなかった。
リタイア後は会う機会がなくなり、クマさん宅の美女の会も
ここ数年欠席しているので、ほんとに久しぶりだった。

 数日後絵手紙が届いた。氷見の帰り十二町潟に寄った時に
拾った蓮の実だそうだ。彼女の友人が小物を作られるので
たくさん拾ったそうだ。彼女は画材としてさらさらと描かれた
のだろう。

 いつだったか、古洞の森を散策した時も、昼食後くまさんと
Tさんはオカリナで童謡を、まめさんは近くでスケッチブック
を広げ、私ともう一人は景色を眺めながら歌を担当した。

 絵心があるっていいな、と思うけど私にはできない。中学生
の頃は結構水彩画は好きだったけど。
 「あなたにどんな年賀状が届いてた?」と聞かれたのでここで
紹介します。1枚、1枚違う絵を描いて出しておられる。これも
真似ができない。

   十二町潟の蓮           年賀状
      

オール電化の落とし穴

2009-01-20 | 日記・つぶやき
 1/16(金)の出来事である。夜11時少し前、パソコンを
開いていた。突然パシャパシャという感じで電気が消えた。
真っ暗である。
 昔、よく停電があった頃すぐ近所を見たものだ。皆消えて
るとその辺り一帯が停電だった。最近は作業停電以外、ほと
んど停電しない。

 今回は、保育園の常夜灯も家の前の電信柱の電灯もついて
いる。我が家だけだ。懐中電灯やローソクの灯りをたよりに
ブレーカーを調べる。リフォーム後分電盤が増え、椅子を
持ってあっちへ行ったりこっちへ来たり。何度見てもブレー
カーは落ちていない。それでも上げたり下げたりしてみる。
 契約が「エルフナイト10プラス」なので10時以後は洗濯
機を回したり床暖房をつけたりするが、特にいつもと変わら
なかった。
 さあ、こうなるとオール電化は厳しい。熱源は何もないの
だ。床暖と蓄暖の残熱だけ。それもだんだん冷えていく。
どうしよう。

 たしか24時間対応フリーダイヤルの北電サービスがあった
はず。そう言えば、音訳グループの先輩が、ケータイ電話で
連絡し夜来てもらった話をしておられたな~と思い出したり
した。
 でも寒さは増すし、暗いし、もう動くのはイヤだ。明日に
しよう。深夜電力の温水器にお湯だけはたっぷりある、と
お風呂に入った。充分温まってから、湯たんぽを入れ、即
就寝。遠くで雷が聞こえる。もしかして雷のせい?

 一夜明けてすぐケータイから北電へ電話。事情を話し、
できれば電話で指示してほしい、と言うと、それは丁寧に
分電盤のチェックを指示される。またまた椅子に登ったり
降りたり、あっちこっちへ行ったり来たり。
 電話の声:「異常ないようですね。あちこち動いてもらって
すみませんでした。すぐ係りの者を向かわせますのでしばらく
お待ち下さい。30分から1時間以内に着きます」
 ホッとした。その間近所の人が来られてもチャイムが鳴ら
ない。電話はもちろんかけられないが、かかっていてもプルン
プルンとごく小さな音しか聞こえない。
 まあ、すべて電気に頼る生活をしているのだな~と再認識。

 結局、屋外のブレーカーが半分落ちていたのだ。原因は不明、
と言う事は「やっぱり雷のせいかもしれませんね」と、言われ
た。
 二人で来られ、外のブレーカーの点検や操作を教えて下さっ
た。「夜中でも来ますから」と。もちろん無料。
 電話嬢も含め、とても丁寧で親切な対応ではあった。初めて
の事でいい勉強になった。しかし、便利になったけど、使いこな
さないと住みにくい、というのも事実。呆けてはおられない。

 電信柱の横の細いポールが我が家専用。
          
 
 上が深夜電力用、下が昼用。こんな道端にあるのは
危ない気がするけど・・・。
          

 

18万人の「第九」コンサート

2009-01-19 | イベント
 昨年9月に結団式をしてから4ヶ月半、一時はどうなること
かと心配だった高岡での初めての「第九」が成功裏に幕を
閉じた。

 一般公募の合唱団約260名、毎回の練習に欠席者も少なく、
本当に熱心に練習に取り組んだ。初心者が多かっただけ、
危機感も強かったのかもしれない。最後は経験者の応援も
あったが、全体の合唱力も向上したと思う。もちろん、細か
いミスはたくさんあったが、ボリュームでごまかした、と
言うことだろう。(これは指揮者の本多先生の打ち上げでの話)

 打ち上げが終わり、帰宅すると電話を下さる友達や写真を
送って下さる方で嬉しかった。
 トップの写真はimaichiさんより。ソリストの姿がないのは、
演奏中撮影禁止なので、カーテンコールの拍手の時だから。
imaichiさん、ありがとうございました。

 花束贈呈の写真は近所のSさんより。ふれあいやエイムパル
でコーラスをやっている友人だ。
 ソリストはすべて県内、市内のアマチュア、またはセミプロの
方達である。
     

 打ち上げの写真は私のカメラで、スピーチをしておられる
場面だが暗くて上手く撮れなかった。
 市民会館ホールサポーター「パープル」の会長で、第九実行
委員会の会長でもある鍋谷さんは、いつもの笑顔ながら涙で言
葉が出ないほど。つられてもらい泣きをした。
 市民会館が1階も2階も満席でパイプ椅子まで出したのは、
開館以来初めてことだそうだ。

 ソリストの男性は二人とも中学校、高校の音楽の先生。授業
の合間に音楽室で練習、音楽室から職員室までの廊下で1曲が
終わる、という具合に時間を見つけて取り組んだ、苦労話を
された。
 初参加の方も何人かスピーチをされ、第九を一度歌ってみた
い一心で参加したがあまりに難しく、テレビの芸大の演奏を
ビデオ撮りし、毎日見ながら一緒に歌った、と話された。

 このように市民一人一人の熱意が一つになった演奏だった
から、皆さんから「感動したよ」との言葉がいただけたと思う。

 最後に、本多先生のことば:
何回か第九の指揮をしたが、これほど強い熱意が伝わって
きた合唱団は初めてです。これで後上手くなれば最高です。
この次はぜひ「500年記念」に一緒に演奏しましょう。

      

      

 終わった後はいつも安堵の気持と疲労感が残る。さあ、これ
で普通の生活に戻り、MiTUの練習に専念できるぞ。
 それなのになぜ参加するか? 時々大勢と歌いたくなるから。
歌の好きな仲間と出会えるから。昔の知り合いとも再会できる
から。 
 今回も、退職後最初にパートで勤務した職場の同僚とゆっくり
話ができたし、N中で担任した元吹奏楽部の生徒と言葉を交わ
せて嬉しかった。

 オーバーワークにならない程度で、いつかまた大きい合唱に
参加したいと思っている。
 聴きに来て下さった皆さん、ありがとうございました。

ハッピー・サプライズ

2009-01-17 | 日記・つぶやき
  12月初め、フィリピンから帰ったとたんに娘からジャン
ジャンとメールが入った。ほぼ毎日、日記のようなメールを
交換していたが、ケータイにまで入る。運転中であろうと、
買い物中であろうと、お構いなしだ。

 そのうち「今日の○○時に電話をして」などと入る。彼女
にしてみれば緊急に相談したい事があり、しかも手持ちの
お金では急場に足りなくなり援助を求めて来たのであるが、
受ける立場で言えば、まさにてんてこ舞いだ。数日間振り回さ
れているうちに、泣きたくなるやら、腹が立つやら・・・。
とまあ、そんなことがあったのだ。
 どうやら別の解決法があったか、今は落ち着いて時間待ち
らしい。

 落ち着いたらお騒がせのお礼に、と思ったのか、いつもの
「通り」を歩いていて見つけた、と毛糸の帽子と手袋、ネック
レスの贈り物が届いた。
 いかにも寒い国を思わせる品々だ。まだ棚に飾ってある。
いつ使おうかしら。
 思いがけない贈り物で嬉しかった。昔は「母の日」に「肩たた
き券」10回分などを贈ってくれた娘だ。

 今から思うと、私の慌てぶりは「振り込め詐欺」に合う人達と
大して変わらなかったような。子供の緊急な要求に応えようと
冷静さを欠くのである。親業は難しいものだ。 

鏡開き

2009-01-16 | イベント
 15日(木)、高岡は「真冬日」を記録したそうだ。

 この日、平○公民館の「鏡開き」だった。毎年曜日を変えて、
いろんな教室の方たちにぜんざいを振る舞うと言う温かい心配り
が嬉しい。事前に聞いていたので楽しみにして出かけた。

 もちろんお稽古はある。早めに行くと、図書室では、お謡の
「地拍子」のお稽古。向かいの大きな和室からは「お笛」の、
隣の小さな和室からは「太鼓」のお稽古が聞こえてくる。

 しばらく待つと私の番。今日から「羽衣」の序の舞だ。
いつも笛を吹いて下さる米ちゃん先生がお休みなので、お謡の
先生とSさんが謡と、笛の唱歌(しょが)を謡ってくださった。
 初めてで緊張し、先週できた序の舞で2回ミス。先生は「後は
経験を積むこと」と仰った。ここで、ちょうど2時半のぜんざい
タイム。
 1階の調理室へ。スタッフの方々が大きめのお餅を網で焼き、
小豆のぐつぐつ煮えている大鍋をかき回しておられる。

          

 朝から準備、午前中の教室の方達もたくさん食べて行かれた
そう。茄子に瓜、茗荷の漬物が美味しくて、お代わりをして
お餅を4個もいただきました。

           

 満腹のお腹で「三輪」の謡の稽古を続けましたよ。ちなみに
平米公民館のブログに詳しく載っているのでご覧ください。
 
 http://hiramai.exblog.jp/

 「鏡開き」とは、手元の電子辞書の百科事典によると:
 鏡おろしとも。鏡餅を下げ、雑煮や汁粉などにして皆で
食べること。もとは正月20日に行われたが、江戸時代に
11日改められた。武家では具足開き、商家では蔵開きなど
とも言って、正月が終わり仕事始めの日とされた。
 魂を丸い餅で表し、それを食べることにより新しい生命
力を得るという信仰につながるとされる。

 だそうだ。公民館はまさにそんな場を与えてくださり、
感謝、感謝のひとときでした。

オール電化ばやり

2009-01-15 | 日記・つぶやき
 この冬一番の冷え込みの朝、わが町内の不燃物ごみ収集の
日だった。朝の出勤がなくなり、道路の凍結も渋滞も気になら
なくなると、すっかり朝寝坊癖がついてしまった。
 2回ほど溜め込んだ不燃物と石油ストーブを出せねばなら
ない。道はツルツル、手がかじかむ。

 「ご苦労様、寒いですね」と言葉を交わしながら、ゴミ置き
場へ。なんと石油ストーブが5,6台出ていた。どこの家も同じ
だな~。
 我が家も子供が小さくて家族が多かった頃、オムツや洗濯物
干しを兼ねて、対流式や反射式など各種の石油ストーブをいく
つも使用していたものだ。次々と処分しその日に出したのは
最後の物だ。

 今回の台所リフォームで、長年使っていたガスも灯油も止め
た。いわゆるオール電化というヤツだ。元々深夜電力の温水器
を使っていたので、IHクッキングヒーターと蓄熱電気暖房器を
取り入れて冬場の電気料金が安くなるというシステムだ。

 使い始めてそろそろ1ヶ月。日中はとても暖かい。特に寒い夜
はエアコンも併用する。さて、電気料金はどうか?ガスと灯油が
ない分、安くなるのかな~。まだわからない。

 蓄熱暖房器の大きさは140cm×65cm。かなり大きく、スペ
ースをとるのが難点かもしれない。  

「ランラン川柳」(その1)

2009-01-14 | 日記・つぶやき
 ランラン川柳ってなんだろう?
A紙から、季刊の”NEXT-AGE”が時々届く。川柳の欄が面白い。

 第2回受賞作品発表、お題は「師走」または「自由課題」。
いくつか紹介しま~す。

  * ランラン大賞:
     続柄に粗母と書かれた祖母がいる  (54歳)

  * 師範賞:
     花の名を忘れるくせに聞く女      (76歳)
     抽選へ後一枚とムダに買い       (79歳)

  * 佳作:
     退院にまた来てよねと手を振られ   (73歳)
     年金にボーナス無いのと孫が聞く   (72歳)
     長生きをしてると知らす年賀状     (81歳)
     12月疲れて先生走れません      (72歳)
     色あせた畳と亭主取り替える      (66歳)

 以上でした。
 やっぱりランラン大賞が一番いいかな?

 次回のお題は「スタート」だそうですよ。

「老いては人生桜色」

2009-01-13 | 
 この表紙、まさにタイトルの通りの華やかさである。
桜の花のピンクが美しい。著者はウーマンリブの頃に女性解放
運動で活躍し、吉屋信子、三岸節子、淡谷のり子などの伝記を
書いている作家だそうだ。

12月の半ばだったか、クマさんのブログに次の記事が載った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 最近この種の本が好きです。著者は活動家、作家、1931年生。
 ・合唱と自分
 ・PC(メール)と自分
 ・句会と自分

 自分と接点があり面白く、為になりました。特にPCに出会った
のは70代に入ってから。

 ・高齢になると友人、知人のつながりも思うに任せれない。
 電話は出た頃に切れている。難聴になり聴きにくい。
まったくそうだ。わたしのまわりの友人にも、これからの友人
関係を保つためにもお勧め。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 これ以上の説明は不要である。しっかり者の友人があやしく
なって行かれ、自分にもその兆候が・・何か対策はないものか、
と思いながら読んだ。
 それはそれとして、私なりに本の中から気に入った言葉を抜粋
する。

 1、亡夫の言葉「長寿時代に生まれ合わせた幸せは、少年
  時代の夢を再び実らすことができる歳月が、定年後たっぷり
   あるということだ。」
 
 2、取り越し苦労から笑いのめしへ・・多少のミスやトラブルは
  「あっはっは」で、極力すませる。

 3、名前で呼び合う句会の感激・・老いも若きも、男も女も、
  社会的地位があろうとなかろうと、そんな差はいっさいお構い
  なく、○子、×男と丸裸の名前だけが通用するところである。

 4、昨今は、天下はれて、利益・不利益、正義・不正義では
  なく、自分にとって快か、不快かで諸事万端決めさせて
  いただく。

 こう並べると、何と身勝手な、と言われそうだが、もちろん
著者は立派な方で、交流のある立派な女性のことが一杯書いて
あるのです。

 寒くて外出せず、ひっきりなしに降る雪を窓から眺めながら
片付けものをしたり本を読んだりの日々を送っている。
ブログも本の話題が多くなった・・・。

ハリー・ポッターと死の秘宝(下)

2009-01-12 | 

 正月明けの市立図書館から「予約の本が3冊用意できました」とのメールが届いた。

 一冊目はクマさんお薦めの、吉武輝子さんの「老いては人生桜色」、二冊目はつもさんお薦めの「ガーデニング」の本だ。
 最後に児童図書コーナーで「ハリー・ポッターと死の秘宝(下)」を受け取った。上巻を読んだのが11月だから、ざっと2ヶ月間。もうあらすじを忘れちゃったよ、とは言わないが細かい部分はボンヤリしている。特に下巻の登場人物は、時々カバー裏の説明を見ないとはっきりしない。

 いつか映画をご覧になる方もおられると思うので詳しくは書かないが、最後の闘いの場面はホグワーツ魔法学校の構内だった。学校で闘い?と言う人もいるかもしれないが、それほど大切な場所だったに違いない。
 
 ハリーが「自分の任務は、両手をひろげて迎える『死』に向かって、静かに歩いていくことだ、それには別の種類の勇気が必要だ」と気づく場面があるが、これは誰にでも当てはまる。

 最後に今までの謎がすべて解かれ、19年後ハリーは両親と校長先生の名前をもらった3人の子供たちに囲まれる普通の父親だ。子供たちがホグワーツ魔法学校の新学期に向かうのを、9と3/4番線ホームで見送るところで「完」となる。
 「生きる」と言うことは「子孫に何かを伝える」と言うことか?

 今朝の新聞によると、ハリー・ポッターの著者、J.K.ローリングの新刊「吟遊詩人ビードルの物語」が、ロンドンの年末ベストセラーのトップだそうだ。


能楽お囃子の会・初稽古

2009-01-10 | 能楽
 正月も2週目となれば、お稽古始めが次々と続く。
 
 5日(月)は「第九」の初練習、と言うか間近に本番を控えて
いよいよカウントダウン開始だ。
 6日(火)は混声合唱「MiTU」の稽古始め。今年は美空ひばりの
3曲(東京キッド、川の流れのように、一本の鉛筆)が練習に加わ
ったので楽しい。皆、張り切っている。2時間の練習時間を半分で
切り上げ、あとは「錦州」で新年会だった。30名以上の参加で
賑やか。

 8日(木)は「能楽お囃子の会」の初稽古。
お菓子やらバラの花やらたくさんの差し入れ(お年始)があり、
帰りはみんなニコニコだった。
 Mr.Donutの大きなドーナツが2箱、大野屋のとこなつ、福光
の大きな干し柿、神戸のお土産、東京のお土産などなどである。
極めつけは米島モーターズさんからのバラの花。10人で10本
ずつ分けたから「100本のバラ」だ。いつもは来客用に玄関に
飾るのだが、今回は素通りする玄関じゃなく私が眺めるために
キッチンの窓辺に飾った。
          

 さて、初稽古の様子は:
 お笛の杉○さん:笛を吹いていると唇が乾き、音を出しにく
くて困ったそうです。管楽器はいつ唇をなめるの?先生が仰る
には吹かない時に唇を湿らすのだそうです。
 太鼓の私:長い「序の舞」の途中、掛け声をかけるのに唇が
乾き困り、時々ぺロッと舌なめずりをしていました。

 ちょうど1年前から「序の舞」を始め、まず「藤」、今は2曲目
の「葛城」。この日、初めて「100%のできだったね。」と
お褒めの言葉を。もちろん手付けの紙を見ながらなので全然
完璧ではなく、単にミスが無かったと言う意味なのだが嬉しい。
 それほど、日頃は「ありゃ、こりゃ」とミスっているのだ。
口がカラカラになるほど緊張しているのに、である。

 次回から「羽衣」の「序の舞」になるらしい。新しい曲を
始める時はワクワクする。謡も「三輪」が始まった。

 雪の舞う10日(土)はお茶の初稽古だった。喋りたがりやの
5人と茶々姫先生の6人で、今年も賑やかに稽古始めを終えた。