Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

与謝野町散策”ちりめん街道”

2013-10-31 | 旅行

  10/13(日)、「蒼山会」の謡蹟巡りの旅の二日目は、いつものように観光旅行だ。天橋立ホテルを出て与謝野町を散策する。ここは、丹後ちりめんで大正から昭和初期に栄えた町だそうだ。今もその面影を残すちょっとモダンな街並み。与謝野礼厳(鉄幹の父)や石川五右衛門の出身地とか。この街道を通って都へちりめんを運んだそうだ。

 ↓ 旧加悦(かえつと書いて’かや’と読みます)町の役場。中は、博物館のようになっている。

  ↓ ちりめん織りの着物やタペストリーが展示してある。

                  

  ↓ 井筒屋旅館。昭和8年建設の街道沿いの旅館。今も営業している。

  ↓ ちりめん織機の展示・実演所。この時間帯は無人だった。

  ↓ 旧尾藤家住宅。江戸時代末期に建築。元は武士、その後酒造業をしながら庄屋を務めた。11代は、生糸ちりめん問屋、加悦鉄道社長も務めた。ここは公開されている。     

  ↓ 左は黒紋付の羽織裏。 右は振袖の裾模様。

                 

  ↓ 左から、屋久杉の天井、自然竹を生かした欄間、恵方棚(正月飾り)を掛けて吊るす棒。
                  

  ↓ 旧伊藤医院診療所。大正6年頃、初の西洋医学の診療所として地域に貢献した。玄関上の漆喰のレリーフ。      

  ↓ かつて郵便局でもあった下村家。街道筋で最も古い建物。この建物で電信事業が行われ、生糸相場をいち早くキャッチしていた。

    

 ↓ 「機屋窓」と呼ばれる格子付きの窓。機屋が外から見えないよう、かつ、外の明かりを採り入れられるよう工夫されている。    

  ↓ 10/13(日)は、「ちりめん街道まるごとミュージアム」のイベント開催日。各家の前にそれぞれお店を出したり、クラシックカーの展示や着物ショーがあり、街道全体が賑わいを見せていた。着物姿の人も多く(トップも)、着物で訪れると○○がもらえるようだった。  

                 

  ↓ 普通の住宅の玄関にも、こんな暖簾が下がり、玄関の戸も少し開いている。街全体がイベントに参加している風情だ。

  八尾や井波の「坂の街アート」と似たようなイベントか?高岡・山町筋のイベントもこのように通り全体が参加すると盛り上がるかもしれない。


日本三景・天橋立の旅

2013-10-30 | 旅行

 10/12(土)、「蒼山会」の謡蹟巡りの旅の宿泊ホテルは「天橋立ホテル」。到着後すぐ近くの智恩寺や橋立の松並木まで散策する。ちょうど回旋橋が開いたところでしばらく見物する。↓ 90度に開いている。

 その間、大小さまざまな船が通った。

 再び閉じて・・・

 ↓ 松並木から戻ってきた観光客やお散歩の犬たち。

  
 ↓ ホテルの部屋には、絵の額の代わりに縮緬手染の額がかかっている。  

  翌朝、ホテル前の加越能バス。にこやかな山崎先生の頭上には、昨夜SUさんが心を込めて作られたバルーンアートの王冠が。他の先生方にもお花が贈られた。先生の両手には、小鼓や着物のケースがあり、準備のご苦労がしのばれる。

  ↓ は天橋立を北から見たところ。笠松公園で各自「また覗き」を試した後、記念撮影をした。

  ↓ 北から眺めた「一文字」の橋立。昨夜泊まった南からは「龍」になって見えるそうだ。

 ↓ 上りはケーブルカーだったが、帰りはリフトに乗った。眼下の橋立を眺めながら風に吹かれ気持ちよかった。

 


本邦初公開! 新作素謡劇「大江山」 《狂言初体験》

2013-10-28 | 旅行

   旅行や同窓会が続き、片づけやら疲れやらからしばらく記事を書かなかった。ブログを更新していないので健康の心配をしてくださる方がいる。遠くで読んでくれている娘もその一人。今日は頑張って書くことにする。

 私が所属している謡の会「蒼山会」では、主宰の山崎先生の企画で毎年謡蹟巡りの旅行をする。日帰りと一泊とが一年交代だ。今年は、一泊旅行で京都氷室神社、大江山、天橋立、ちりめん街道と回る旅だった。
 10/12(土)朝、6:40高岡駅南口に集合。31名の参加で出発した。例年のことだが、ツアーにはぜったいに入らない場所を訪ねるガイドさん泣かせのコースだ。バスの中でお弁当を食べ、京都府八木町氷所村の「氷室神社」を訪ねた。神社は山の裾野の静かな森に囲まれて建っており、能「氷室」の発祥地と言われている。ここで夏も氷を貯蔵し、御所にも献上していた。↓は、一昨年の金沢定例能「氷室」のブログです。「雪乞い」をする間狂言の歌が面白かった。
 

http://blog.goo.ne.jp/67kiyoh/e/3a32db23c69d3496935449a129427599

 バスがバックできない道なので、手前から歩いた。お天気もよくのどかな田舎道。向かいの森の中に神社がある。楽しいメンバーが多いので、歩きながらも笑いが絶えない。

                                     

  氷室神社は幡比佐(はたひさ)神社とも言い、鳥居には両方の名前が掲げてある。  

 鳥居をくぐると、古い拝殿があり、素謡「氷室」の奉納額が掲げられていた。もちろん本殿でお参りをしてきた。  

                                         

 次に「大江山」へ。と言っても山には登れないので、大江山町「あしぎぬ大雲の里」で素謡劇の発表会をすることになっていた。能「大江山」は、源頼光が酒吞童子を退治する話。これを、狂言のセリフも交え、新作素謡劇として脚本を書かれたのが山崎先生。本を見て謡を謡うので特に全体練習はしないが、それぞれ役が当たっているので各自が練習することになっていた。
 ↓は、’あしぎぬ大雲の里’「大雲記念館」。「あしぎぬ」とは、「悪しき絹」のこと、丹後ちりめんに対してこの地方で織った紬織を指すのだそうだ。その絹により財をなし商家「平野家」の建物が記念館になっている。2階建の広い家だ。目の前を流れる由良川の氾濫に備え高台に建てられている。      

                                         

 ↓は、お庭。

                                               

 ↓は、床の間。そのほか、茶室や座敷の天井、欄間、違い棚、屋根の角瓦など、贅を尽くした素材に包まれている。            

 ↓は、左が天袋の絵、右が襖の引き手(七宝焼)。

                                 

 ↓は、母屋の小屋組に使われているキングポトストラス(洋小屋)。西洋建築の先駆けだそうだ。             

 ↓は、座敷で行われた素謡劇。前場は女性中心、後場は男性中心に演ずる。左から強力、立ち衆、頼光、一人武者。右手前はナレーター。             

  ↓ 右に女が入る。3年前に酒吞童子に捕らわれ、毎日川で濯ぎをしている、と言う。頼光らは、童子に宿を頼んでくれと言う。          

   右に酒吞童子が入る。女は童子に、頼光らの宿を頼む。           

  ↓ この後、頼光らと酒吞童子の酒宴になり、童子は舞を舞う。仕舞。

 一同は酔いしれ、それぞれ部屋に帰り寝床につく。(中入り)
 
↓は、強力(SIちゃん)と女(私)の間狂言のやりとり。強力は、女に童子の部屋の鍵を頼光に渡すように頼む。そして、共に都に帰り夫婦になろうと、誘う。女は承諾し、二人は喜んで都に帰って行く。
           
 ↓から、後場になる。謡の最後の場面だ。頼光らが童子の部屋に攻め入り、切りつける。              

   ”鬼一口に喰はんとするを。刺し徹しさしとほし刀を力にえいやとかへし。いかれる鬼の首打ち落とし。大江の山をまた踏み分けて。都へとてこそ。帰りけれ。”                      

  ↓は、舞囃子「氷室」。シテは前田長孝さん。お囃子は、笛:瀬賀先生、小鼓:山崎先生、大皷:松本先生、太鼓:松原さん。地謡は米島社中です。        

        

 皆さん、見事に演じられ、バスガイドさんが、バスの中ではしゃいでいる人達と同じ人とは思えない、と感心しておられた。
 私は、初めての狂言、セリフだけとは言え、テープを聞き狂言調の口調を真似る練習をした。「かしこまって~~る」と、赤の部分を上げ調子に言うと狂言らしくなるが、コツがちょっとわかり、前日の練習に比べ格段の進歩と褒められた。


金箔のマイ箸 & 菅野家見学 

2013-10-24 | 高岡

 10/6(日)は、大学の富山県支部の同窓会があった。年に一度、支部長さんと役員の方のお世話で県内のどこかで集まっている。年齢はさまざま。昔、3,4歳だった娘を連れて呉東のどこかへ行った記憶がある。

 大越仏壇さんで作ったマイ箸が大野屋さんへ届いていた。↓は、お土産に買ったお香と食用金箔とお箸。金箔には、純金の他に銀と銅が含まれ、銀や銅の含有率が高いものは食用にはならないそうだ。また金箔押し箸は、頻繁に洗うと取れていくそうで実用的ではない。飾りとして使うしかないかも。     

  大野屋さんのランチ後解散したが、福光、小杉の友人と一緒に風子さんの案内で山町筋へ行った。土蔵造りの資料館、山町茶屋などがあるが、時間がないので菅野家にだけ入った。明治初頭に北海道との通商などで家業を広げ、財を築いた商家。高岡銀行を設立、高岡電灯を創立した。今もご家族が住んでおられる。
 この日は、万葉まつり、万葉集朗唱の最終日だったので、観光客も多く、玄関は靴でいっぱい。日伯協会(日本とブラジルの交流の会)の団体さんも来ておられた。説明は、菅野家のお嬢さん。ハキハキとわかりやすいお話だった。

 中の写真はあまり撮らなかったので、外観の写真をいくつか。↓は、観音開きの土戸。

 ↓は、左が、庇天井のランプ吊りの鏝絵(こてえ)。右は、鋳物の支柱の柱頭。アカンサスの葉のデザイン(よく見えないが)。   

  玄関には↓の看板がかかっていた。   

   ↓は、外塀の模様。TAさんが「あれ、源氏香ですね」と言われ、「そうです。”町屋散歩”のポスターにもなっていますよ。」と菅野さん。「源氏香」とは、何種類かの香りを組み合わせて、その香木の香りを嗅ぎ当てる遊びだそうだ。   

  ↓は、「町屋散歩」のポスター。源氏香の模様がデザインされている。
 
 ★ 土蔵造りの町並みで知られる高岡市の山町筋の住民らが「町屋散歩プロジェクト」と銘 打ち、にぎわい創出に向けた活動を始めている。中心商店街、重要伝統的建造物群保存地 区周辺をゆっくり散策してもらうためのアイテムや、立ち寄り場所づくりなどを企画する 。店主や商品などを紹介する地図製作にも取り組み、観光誘客や地域の再発見につなげる 。 ★

 ↑は、新聞の紹介記事。高岡の若者たちが頑張っている。山町筋をぶらぶら歩きしてみませんか。           

    


塗り箸の金箔押し体験 & 大野屋でランチ

2013-10-23 | 高岡

 9月は、謡や太鼓の会、目の手術、娘夫婦の滞在で慌ただしかった。10月は、同窓会が二つ、旅行が三つ、と今度は遊ぶのに大忙しとなった。

 10/6(日)は、大学の支部同窓会があった。今年は会場が高岡市内だったので、予定さえなければ出席しようと思っていた。福光の先輩、SAさんから、「年に一度だから会いましょう」と電話があった。後輩の風子さんも出席とのこと。大越仏壇での体験学習も面白そう。

 と言うわけで、当日朝、高岡駅南口に集合しバスで市内を回る。幹事は支部長さんのWさん。まず、福岡町の大越仏壇で塗り箸の金箔体験。お箸に金箔を押す体験学習。所要時間は20分 料金は一人500円。作業室に入ると、4人1組の大きいテーブルに材料がセットしてしてあった。     

 説明を聞きながら作業を進める。↓ まず、箔下液に箸をつける。        

 次にピンセットでカラー箔を付ける。箸の先だけつける人、まんべんなくつける人、それぞれ仕上がりが違い、自分好みの「マイ箸」が出来るというわけだ。↓は、風子さんの箸。先端にだけ模様をつけてある。          

 ↓ 金箔をピンセットで取り出し、上に箸を置き、端から巻いて行く。一万分の1ミリの厚さだそうだ。話しをしていて息がかかると、すぐ動くので。静かに息をひそめて作業をすること。

               

 ↓ まず、脱脂綿で金箔を押さえながら余分の金箔を落とす。コレはまた使い道があるようです。            

 この後は、大小さまざまな仏壇や仏像を見学。この工房では、仏壇を創ることを通して、「日本心・日本の美」を伝えることを目標にしているそうだ。説明される方は得度しておられるのでは、と思うほど詳しく話される。
 次に案内された回向堂は、吹き抜けので天井や四方に絵が描かれている。
↓は、天井の天界図。
           

 ↓は、西方の「地蔵菩薩と童子たち」。          

 お土産コーナーで買った品と、マイ箸は次回に紹介します。

 次の見学場所は、古城公園。万葉朗唱の最終日である。この日も暑いくらいのいい天気で公園は賑わっていた。ランチは大野屋さんで。椅子席にゆったり座り美味しい料理をいただきながらそれぞれの近況などを聴く。↓は、お庭と記念撮影。

               

 この後、風子さんの案内で、福光のSAさん、小杉のTAさんと一緒に山町筋の菅野家を見学した。いつも前を通りながら、中へ入るのは初めてだった。


秋の立山~その2

2013-10-21 | 自然・海山草花

 今朝(10/21)の新聞に、観光口コミサイトで「黒部ダム」が2年連続1位とのニュースが載っていた。「50年前のダム建設に、人間の底力を感じた」、「放水が圧巻」、「駅員の対応」、「バリアフリー対策」などの感想が寄せられたそうだ。久しぶりに訪れた私も、まったく同感だった。
 
10/14(月)、連休最終日、MiTUアルト4人で立山アルペンルートで黒四ダムまで行った。紅葉はほとんど終わっていたが晴天に恵まれ、数々のハプニングを乗り越えて秋の立山・黒部を楽しんできた。

 さて、↓の乗車券が無いことに、ダム展望台へ行く途中で気づいたことを昨日書いた。KIさん達がレストハウス横の警備(?)の人に聞いてくださった。そこには届いていない、黒部湖駅にも届いていない、でも帰る時駅の案内に寄るようにと親切に言われた。            

 私は9割諦めていた。せっかく半額で来たが、最初から全額払って来たと思えばいい。黒部平の紅葉がきれいと聞いていたから昼食はそこで食べることにしようと、駅へ戻った。駅で聞くと、なんとまあ、黒部平駅に届いていると言う。ロープウエイの中で落としたらしい。乗客か駅員が届けてくださったのだ。日本はやはり安全と言うべきか、山へ来る人は親切と言うべきか、本当にうれしかった。↓は、「黒部平公園」。手前の大きいベンチは団体客用撮影場所。雷鳥のぬいぐるみが置いてあり、赤いジャケットの女性が戯れている。    

  ↓ ここもほとんど紅葉は終わり、ナナカマドの実が赤い。ここでおにぎりを食べ、しばしお喋り。室堂でゆっくりしようとロープウエイに乗る。

      

  連休最終日の晴れた日で、人出は多いが、整理券が出たり臨時便が出ていたり、であまり混雑しない。少しは待つこともあるが大したことはない。杖をついた人や車椅子の人も来ておられる。すべて乗り物とは言うものの、駅のホームそのものが傾斜しているから、階段の上り下りは必須。しかもかなり急だ。すべての通路に手すりがあり、私も疲れがたまるにつれ、手すりにつかまらないと歩けなくなったのでとても助かった。杖と手すりでやっと上る人には、駅員さんが抱きかかえんばかりに手助けをしておられた。

  ↓は、室堂平。さすがにたくさんの人だ。草紅葉も終わり、足元はまっ茶色。   

 ↓ 雄山頂上と月。    

  ↓ 右は、雄山、大汝山、富士の折立。真中は、真砂岳。左は、剱と右手前が剱御前。室堂から剱はこれくらいしか見えない。3人の友人はみくりが池とみどりが池一周に。私は諦めて、ベンチに座ってお菓子を食べながら待っていた。 

             

 室堂駅でお土産を物色したり、試食コーナーで片っ端から立ち食いをしたり、待ち時間も苦にならない。最終便の前の臨時便に乗り、立山駅に着くと真っ暗だった。夕食を食べて帰ることにしていたが、帰りの道でまた迷い、小杉まで2時間もかかってしまった。遅くなったからか、月曜が定休日だったか、お目当ての店は閉まっている。

 結局、「丸亀製麺」に入る。私はイオンの店しか知らないので興味津津。こんな店は初めての人もいて、それなりに面白かった。
 秋晴れの一日、楽しく立山(登山ではないが)で過ごしました。来年は紅葉の時期を目がけて行きたいもの。
     


秋の立山~その1

2013-10-20 | 自然・海山草花

 毎年秋になると、MiTUのTAさんが立山黒部アルペンルートの半額券を持って来られる。昨年は行きそびれたので、今年こそはと思っていた。幸いアルトのメンバーと4人で行くことになり、第1~3候補日まで決めて、晴天を待った。
 紅葉は昨年より遅いと言ううわさだったが、室堂はもう終わった、今は七曲がきれい などと新聞の写真やテレビのニュース、すでに行った人から情報が入る。雨予報だった11日(金)をやり過ごし、連休最終日14日(月)に出かけた。立山駅までのドライバーはKIさん、集合は6時過ぎ、8時のケーブルカーを目指す。だが、わかっているようでわからない人間のナビと車のナビが一致せず、チョッとモタモタした。幸い、駐車場の穴場を聞いていたのですぐ駐車でき、どうやら8:20発に乗れた。美女平で、高原バスに乗り換えて、室堂まで。そこから立山の地下を貫通するトロリーバスで大観峰へ。↓は、トロリーバスのトンネル。

 大観峰から黒部平までロープウエイ、黒部平から黒部湖までケーブルカー。その間、約一時間半。↓は、黒部湖駅。私たちが下車した10時半頃、長野方面から室堂へ向かう人たちの行列。整然と並んでいる見事さに感心する。

 ここまで室堂はもちろん、期待の弥陀ヶ原でも紅葉は見られず、ちょっとがっかりしていた。↓ 黒部湖でようやく赤の紅葉が見られた。ダムの上は人でぎっしり。お天気がいいのでお散歩気分で散策している人たち。        

        

 

 ↓は、15日まで行われる観光用の放水。水の傍に小さな虹が見える。        

 ↓は、黒部湖。         

 ↓は、ダム建設のため殉職された作業員の方々を奉る慰霊碑。”尊きみはしらに捧ぐ”と刻まれている。        

 ダム展望台へは、階段、階段の連続。もう少しで新展望台だったが、足が前に進まず途中で待つことにした。そこには、↓のコンクリートバケットが設置してあった。大町側から毎日大量のコンクリートを運び、積み上げてダムを造ったのだ。私が高校生の頃、大町に住む友人と一緒に関電トロリーバスに乗った。彼女のお父さんが関電のエライ人だったので乗せてもらえたのだろう。トンネルが完成した頃だったのかもしれない。                

 ↓は、1本だけ残っているナナカマド。         

 さて、このバケットの前でTAさん達を待っている間、大変なことに気づき、慌てた。大事なアルペンルートのチケットが見当たらないのだ。ああ、どうしよう?(今日は、ここまでです)


つれづれな日々⑥~久しぶりの「暖」・万葉まつり・秋の草花木

2013-10-15 | 日記・つぶやき

 日々の生活の中でちょっと気になる小さな出来事がある。いくつかたまったそんな記事を、”つれづれな日々”として書くことにしました。今日は6回目です。

  《久しぶりの「暖」》
 
高岡広小路に「暖」と言う居酒屋風の食べ物やがある。以前はランチもしていて、茶々姫教室のメンバーのミーティングによく使っていた。一時、茶々姫さんのお茶教室が数か月休校になったことがあり、情報交換、物々交換に不便を来たし、生徒だけでときどきこの店に集まった。夜だけの営業になりまったく行かなくなっていた。
 ミュージカル「はだしのゲン」と半能「高砂」を観た日、夕食をこの店でとった。ようこ姫夫妻となはさん、私である。玄関は前と変わらなかった。迷路のような店内も懐かしい。

              

 姫ちゃんのご主人はビビンバを、姫ちゃんとなはさんは↓のミニお好み焼き(何か名前がついていたが?)、私は何を注文して何を食べたかとんと記憶がない。     

 ↓は、全員で一皿、海鮮サラダ。これでお酒があれば嬉しいのだが、車で来ているので我慢する。    

 《万葉まつり》
 
10/4,5,6の3日間、高岡古城公園を中心に「高岡万葉まつり」が開かれた。公園内、中の島の特設舞台では「万葉朗唱の会」、高岡大和では「工芸都市高岡クラフト展」、中心街では「高岡クラフト市場街」、池の端濠に約3000個のいのり星を放流する景観創造イベント「夕星(ゆうづつ)など、今年は他のイベントとのタイアップが多かった。
 私はいつものように、10/5(土)午前中に「朗唱の会」の受付ボランティアをした。この時間帯は小学生が多い。学校単位の参加だ。受付に座って撮った写真だけ紹介します。まず、それぞれ人待ち顔の皆さん。体育館前のこの辺りは集合場所になる。
            

 次に元気な小学生の皆さん。    

            

 ↓は、いかにも万葉時代の服装の子どもたち。女の子は、頭に髷を結って(つけて)いる。            

            

 県外からの一人参加も多く、旅行の途中で立ち寄り歌って行かれるのだろう。ギターを抱えた青年もいた。↓は、車椅子の方の参加である。           

 ↓ 12時になると18鐘のカリヨンのメロディが聞こえる。そろそろ交代だ。「あかね」の私達の仕事は、衣装代金の受け取り。数年前までは無料だったが、今はクリーニング代として一人200円いただく。子どもたちや特別の団体は例外だが。 
  
《秋の草・花・木》
 
5日(土)午後、茶々姫教室へ行く途中の家々の前で見つけた大きな金木犀。そう言えば我が家の金木犀も、空き家となった隣家のもいい香りを漂わせている。
         

 ↓ 茶々姫宅のガレージ傍のコスモスが風に揺れていた。こんな街中の庭のコスモスもいいものだ。案山子さんが一株もらって行かれた。上手く根付くといいね。          


秋たけなわ

2013-10-13 | 自然・海山草花

 先日来、秋の味覚を次々といただく。↓は、MiTUのTAさんからの栗。庭に何本か栗の木があるのだそうだ。生の栗をもらうなんて久しぶり。さて、何を作ろうか?ひとまず茹でて、栗ご飯にした。        

 ↓ よっしーちゃんからは大きなサツマイモをいただいた。これだけあれば、何でも作れるぞ。

  写真はないのだが、森のくまさんからスグリ菜他ピーマンやゴーヤ、つる豆などをいただく。スグリ菜は、茹でて少しずつ分け、輪ゴムで縛ってあり感謝。SAさんにもお裾分けをした。なはさんからはずいきの酢漬けをいただく。こんな調理してある常備菜もありがたい。一人暮らしでも、お弁当を作ってパート勤めをしていた頃は、少量でも料理を作っていたのに、最近は冷凍食品や生協のお惣菜が多くなった。こうして、いろいろいただくと、何か作らないと、と思うのだ。

 さて、↓は、同級生のSEさんから。以前蝶や蜻蛉の模型を作って送ってくれた人。先日、家族や友人と一緒に東京から城端「薪の音」へ来て、一泊したそうだ。オーナーとすっかり親しくなったとか。久しぶりにスケッチをした、と手紙に書いてあった。

  ↓は、北銀大門支店のポスター展。マークの絵を搬出に行った時に展示してあった。立山の紅葉はしばらくの間だ。

 明日、10/14(月)に黒四ダムまで行く予定だ。紅葉は弥陀ヶ原まで降りて来ているようだが、お天気はいいらしく楽しみだ。二日間、京都で謡蹟巡りをして来たところで、休みもせず出かけるわけだが、無理をしないで楽しんで来よう。


西光寺で半能「高砂」

2013-10-11 | 能楽

  9/28(土)、高岡文化ホールでミュージカル「はだしのゲン」を見た後、高岡市西光寺で催される半能「高砂」を見に行った。西光寺は成美小学校の近くの、浄土真宗のお寺。親鸞聖人七百五十回忌御遠忌法要の前夜祭として演じられるらしい。

 駐車場が心配だからまず車を止めてから夕食を、とお寺へ直行する。係りの人に成美小グランドへと案内された。5時から講演と聞き、食事は後回しにする。境内には紅白の萩が満開。     

  本堂への階段には紅白の幕が張られ、仮設のスロープが造られていた。     

  椅子席はもうかなり埋まっていた。5時、↓右の演台で講演が始った。講師の方は二人。まず、草野顕之師(大谷大学学長)の「親鸞と北陸」。以前、東京青山劇場で見た前進座の「法然と親鸞」を思い出しながら、親鸞の生涯と教えについて聴く。
 次に、東伏見慈晃師(天台宗青蓮院門跡門主)の「青蓮院と親鸞」。東伏見慈晃師は香淳皇太后(昭和天皇の后)の実弟の息子さんで、銀行マンから仏門に入られたそうだ。青蓮院の門主が皇族出身だと言う歴史を詳しく話され、親鸞が天台宗青蓮院で得度したこと、西光寺の住職さんが神戸大の教授である関係で知り合いであると言われた。
 歴史や仏教の話より、最後に話された「ボイジャー1号やオリンピック誘致のように、人の強い思いが事態を変え、歴史を変える、望みが達成され、平和につながる。原発阻止への思いももっと強く」と言うような言葉が印象に残った。
 

  きっかり2時間の講演の後、椅子が取り払われ、鏡板(檀家の方がこの日のために描かれた)が運ばれ、本堂は瞬く間に能舞台になった。   

  ↓ いよいよ「高砂」の後場(中入り後)が、”高砂や 此の浦船に帆をあげて 此の浦船に帆を上げて” とワキの待謡で後場が始まる。ワキと地頭を高橋右任(ゆたか)師。  

  出羽の囃子の後、後シテ(住吉大明神・金森秀祥師)が登場。神さまと思われぬ(?)美しい姿ですね。この立派な装束は金森家の物だと後で聞いた。

   ↓ シテの神舞。

  ↓のお囃子は、奥から、笛・瀬賀尚義 小鼓・住駒俊介 大皷・松本一郎 太鼓・上田博 の各先生方。  

  ↓の右は、地謡・高橋右任師他 青謡会の先生方。 

 手前に座っていたので、同じ方向の写真ばかりになった。舞の中でこちらへ進まれる場面もあったが、あまりの近さにカメラを向けるのが躊躇われた。トップは西光寺のHPより。

 後場だけの半能なので短い間だが別世界が広がった感じ。お寺でのお能もいいものだと思った。住職さんや檀家の方たちの強い思いで実現したものだろう。さぞ、費用もかかっただろうが。


ミュージカル「はだしのゲン」

2013-10-09 | 映画・テレビ・演劇・芸能

 目の手術後退院した翌日、演劇鑑賞の日だった。高岡文化ホールまでの運転も舞台がどの程度見えるかも、私にとってはテスト期間中と言うわけだ。

 演劇は、劇団「木山事務所」公演、ミュージカル「はだしのゲン」。原作の中沢啓治さんは昨年暮れに、木山事務所社長の木山さんは今年1月に亡くなられたが、二人の熱い思いのこもったこのミュージカルの6年ぶりの再演を、高岡で観られたのは幸運だった。
 私は、マンガが単行本4巻で発刊された時すぐに読んだ。その後ボランティアの大学生の手で英訳され、他の国語にも次々と翻訳された経過も聞いている。学校図書館や学級図書として子どもたちに読まれるようになり、当時時代の流れに驚いたものだ。実写映画やアニメ、テレビドラマにもなった。だから、今更ミュージカルなんて、と言う気持ちと、どんなミュージカルに仕上がっているのだろう?と言う興味はあったが、正直なところそう期待はしていなかった。

 舞台装置がほとんどないシンプルな空間に、ピッタリとした黒の上下を着た人たち(アンサンブル)が立っていたり座っていたり、消えて行ったりします。真っ直ぐに伸びる青麦だったり、被爆した人々の姿だったり、見る人の想像力に訴えます。
 食糧不足でいつもお腹をすかせているゲンと弟、優しく明るい母と姉、「この戦争は間違っている」と言い、朝鮮人にも温かい父。1945年8月6日、広島に原爆が投下され、父、姉、弟を失いますが、焼け跡の中で生まれた妹をゲンがとりあげます・・・。

 ↓に、なはさんとつもさんの感想(それぞれのブログ)をコピーしたので、ぜひご覧ください。私自身は、手術直後で視力が回復していなかったからか集中できず、淡々とした気持ちで観ていました。
   
http://miwakawa78.at.webry.info/201310/article_3.html

  http://blog.goo.ne.jp/goo1775_1945/e/10499b9e088b0df3755fa98b05e0f457

  後で聞くと、元気なゲンや弟信次役など子どもの役は、すべて女優さん達、舞台を走り回り歌う体力勝負の熱演だった。17年前の初演以来、何人もの役者さん達が挑戦しておられる。日本国内だけでなく、ニューヨーク、ソウル、ワルシャワ、モスクワなど海外でも上演を続けてきたそうだ。学校公演も多いそうだ。

 今夏、松江市教委が学校図書館での開架閲覧を禁止して撤回すると言うニュースもあったが、マンガそのものには日本軍の蛮行などリアルな描写がある。が、ミュージカルは、ゲンが生き抜く元気な姿、生きる喜びを前面に出しており、子どもたちにこそ見てほしい作品になっていた。


ただ今治療中~目の手術 

2013-10-06 | 健康

 生まれつきの強度近視で、長い間メガネやコンタクトレンズが放せなかった私。先日「ハリー・ポッターを卒業」で書いたように、2度にわけて両目とも手術を受けた。その後心配をしてくださる方が多いのでちょっとだけ経過についてリポートします。
 今回の私の手術は、白内障と強度近視を治すためのもの。が、他にもいろいろ病気があるのです。目の病気のデパートなのです。

 手術は、日帰りまたは1泊ずつで片目を、3泊4日または4泊5日で両目を、患者の都合で選べるのですが、私は、日程や送迎の都合で1週間おきに1泊ずつ入院して、26日に両目が終わりました。今は、↓のような点眼表を壁に貼り、日に4回3種類の眼薬をさし、週に1度通院しています。         
 手術入院の経験のない私にとって、目の手術は怖かったです。時間にしてほんの10数分、片目は覆われていますが、手術する目からは明るく眩しい光が見え続けます。1度目は、予想がつかなかったのでビックリ。ひたすら楽しいことを思い浮かべようと、帰ったばかりの娘夫婦との生活や会話を思い浮かべていました。2度目は要領がわかったので、光の色を楽しみました。青やピンク、紫などがキラキラ見えるのです。マークの絵の色みたい、などと想像していました。もちろん痛みはないのですが、早く終わるように念じ続けていました。
 入院生活は快適です。同じ日に手術を受けた人と話したり、昔の知人でこの病院で薬剤師をしている人が訪ねてくれたり、2度目の入院はくつろいだ気分で過ごせました。

 私の前に手術を受けた女性(まだ仕事をしている若い人)が、「もうハードレンズを捨ててもいいですね、と先生に聞かなくちゃ」と言われるので、若い人は切り替えが早いな、と感心しました。たしかに、もうハードレンズは無用です。朝起きて、眼鏡も要らないし、出かけるからとコンタクトをつける必要もありません。裸眼でこんなに見えるなんて不思議な気分です。ただ、手元が見えるように、とお願いしたので、運転時は眼鏡が必要になるでしょう。

 それと、私の場合、予想通りまだ未解決の問題が残っています。物が2重に見えるのです。これは、2,3年前から気づいていたのだけど、今回は2重によく見えるわけで、程度や経過を見ながら、次の治療にかかりましょう、と言われました。ここ10日間ほどは、昼間近辺の運転だけしています。
 この間に、先生から励ましの絵葉書き(トップ写真)をいただきました。称名の滝とハンノキ滝の間に虹がかかっています。裏には親鸞聖人のお言葉が書かれ、順調な回復をお祈りします、とありました。これからもまだ治療が続きますが、選択肢が少なくなるかもしれません。先生のアドバイスを受けながら、気長に私の眼と付き合って行かないと、と思っています。

 私の周りでも、病気や怪我で行動範囲が狭くなっている人が増えました。自分の体に見合った生活の中で楽しみも続けたいものです。


TEさんを訪ねて

2013-10-04 | 日記・つぶやき

  先週のMiTUの練習が終わった後、バスのTAさんが「そう言えば、TEさんは元気かね~」と聞かれた。「ちょうど明日顔を見に行きますよ。雨晴におられます。よろしくお伝えしますよ。」と言うと、他の人も「私からも、私も」と声がかかった。

 TEさんは、MiTU発足時からの団員でソプラノを歌っておられた。清水町方面グループ、テクシー組はいつも帰りは一緒だった。が、病気や怪我で入院生活を送られ、退院後は、「リゾートヴィラ 雨晴・潮騒の湯」へ入られた(このことは以前にもちょっと書きましたが)。
 
毎月、なにか届け物があるので2,3ヶ月に1度はお訪ねする。今回は、ANさんとSAさんの3人で出かけた。私はまだ視力に自信がないのでANさんに車を出してもらう。昼頃着いたので、まず1階の中華レストラン「福寿苑」でランチを食べる。ここでのお喋りが長引き、3階のTEさんの部屋へ行くと、今からリハビリだと言われた(この日のリバビリは塗り絵)。留守の部屋でまたまた3人で喋り、TEさんが戻って来られると4人で話が弾んだ。と言う具合で喋り通しだった。そのくらいTEさんは元気そのものだった。顔の色艶もよく、表情もゆったりとして、入所して半年、ここでの生活にすっかり慣れておられるようすだ。    

 水彩絵の具で何枚も絵を描いておられる。日課にしておられるらしい。窓から見える海の色の変化が楽しいと言われる。かもめが飛んで来る様子を、羽を広げてサッと舞い上がったり、舞い降りたりする様を手を大きく広げて再現される。よく観察しておられるのだ。       
 前回訪ねた時、今年のMiTUのコンサートのCDを聴きたいと言われ、持って行っていた。事務所でCDプレーヤーを借りて、ミサ曲やホームソングを数曲聴く。まだまだ聴きたそうなのでCDを置いて来た。このCDプレーヤーがトップ写真のようなピンクの可愛い器械(皆で聴いている光景を写真に撮ったのが消えてしまい、他の写真を借りました)だった。

 今年の練習曲「日本抒情歌曲集」の楽譜も持参していた。大正、昭和の歌がたくさん入っているので一緒に声を合わせようと。でも、遅くなったので次回にまた、とお別れした。
 この後、我々は5階の展望風呂へ。高岡市の入浴券で100円で入れる。見晴らしのいいお風呂へゆっくり浸かり、帰路に着いたらもう薄暗くなりはじめていた。楽しい訪問だったが、TEさんが疲れておられないか心配。

 さて、↓は、来年のコンサートの3曲目の楽譜。「北の国から」を譜読みし、今週は「秋桜」に入ったところ。あのきれいなメロディだが、さだまさしの呟くような歌詞のリズムがとても難しい。  

    ↓の楽譜の最下段のアルトパート、「このごろ なみだもろくなった ははが にわさきで・・・」の部分、♪ ミラミラーミミラーーミミラーーミミレレーーーー ♪ 頭が痛くなるほどリズムがとれない。弾き語りの歌を合唱できちんと歌えるだろうか。    

  


つれづれな日々⑤~北陸線沿い道路完成 & いただき物

2013-10-03 | 日記・つぶやき

 日々の生活の中でちょっと気になる小さな出来事がある。いくつかたまったそんな記事を、”つれづれな日々”として書くことにしました。今日は5回目です。

 《北陸線沿い道路完成》
 
高岡駅公園口(ここも目下工事中だが)から羽広方面に向かう北陸線沿いの道路、数年前からずっと工事中だった。156号線と交わる「南町」交差点までの短い距離にも係わらず、5,6年以上要したのではないだろうか。両側の住宅の立退きや改築が済んだ後、道路工事にずいぶん長くかかっていた。

 清水町の我が家からは車はもちろん、自転車や歩きでともかくよく通る道なのだ。工事中は突然通行止めになったり、車線が右にずれたり、左にずれたり、とても不便だった。10月初めに全線開通した。嬉しくて数枚写真を撮って来た。

 ↓ 駅から羽広方面を望む。車の交通量はそう多くない。むしろ歩道が混雑する路線だ。昔、千保川の川底だったのがよく伺える高低差だ。        

 ↓ やはり羽広方面を望む歩道。朝夕は、駅まで自転車で通う高校生の群れで賑わう。広くなり安全になった。昼下がりには、ベビーカーを押すお祖父ちゃんの後ろ姿が見える。左側の北陸本線の線路はかなり高い。

 ↓ 高岡駅を望む。左側のマンションは数年前に建った。満室だそうだ。手前は改築した店舗など。    

  ↓ 植えたばかりの街路樹。バス停は、コミュニティバスの「大工中町」。         

  ↓ 押しボタン信号も新しく設置された。

 《いただき物》
 2度目の入院は、くまさんのご主人と同じ日だった。くまさんは毎日ご主人の様子を見に来られ、その都度私をも訪ねてくださり嬉しかった。くまさん農園の野菜をお土産にもらった。ゴーヤ、つる豆、ピーマン、茗荷…。野菜に紛れてしのばせてあったのが↓の「胡麻和えの素」。味付き、二人分で使い切り。とても重宝だった。柔らかいつる豆は1度は煮物に、2度目は胡麻和えに。
       

 ↓は、アルトのKIさんからいただいた水島柿。演劇「はだしのゲン」を見た後、我が家の玄関脇に置いてあった。KIさんもどなたかからいただいたそうだ。「100点物ではありませんがそれなりでした。どうぞ・・・」とメールが届いた。とても美味しい。   

 


チーズとワインのお店”nousaku”

2013-10-01 | 食物

 9/16(祝)、いよいよ娘夫婦が帰国する前日の夜、チーズとワインのお店へ行こうと、私を誘ってくれた。新横町の「サイゴ堂」へマークの絵の額縁を頼みに何度か行っているうちに、隣の”シェーカー・オム”と言う洋服屋さんでシャツを買ったらしい。そこが、銅器の「能作」さんの息子さんの店で、2階で奥さんがチーズとワインを味わうお店を開いておられると言うのだ。

 夜8時の予約で、夕食後新横町まで3人で歩いて行った。私はよくわからぬままついて行ったと言う感じ。聞けば奥さまはチーズソムリエと1級建築士の資格をお持ちとか。二人の息子さんは建築事務所を開いておられる。子どもさん達と一緒に暮らしていた頃の住宅の2階を、ワイン・バーに改装し、お客さんを迎えておられるようだ。↓は、カウンター。この日は我々だけで一人占め。前夜15日はテーブルが満席だったらしい。      

 ↓ ワイングラスが2個出され、「どちらがお好きですか。どうぞ飲み比べてください」と仰る。メモをたくさんしたのだけど、いつものことながらどれがどれの名前か、どれがどんな味だったか、まったく覚えがないのだが(もうほろ酔い気分だったらしい)、それぞれが美味しかった。そして、いろいろなチーズが少しずつ、次々に出された。       

 ↓ セル・シュール・シェール(山羊乳のチーズ)、フランス・オルレアン地方産。ジャムの甘さとよく合うようだ。       

 ↓ シェーブルチーズ(これも山羊乳)、これもフランス・オルレアン地方産。白いのは氷見の蜂蜜だったか? (間違っていたらごめんなさい)       

 ↓ アイリッシュ・チェダー(牛乳)、アイルランド産。       

       

 それぞれの器が違うのも楽しい。少しずつ切ってワインと一緒に味わう。
 
ナチュラル チーズには、フレッシュ、白カビ、青カビ、ウオッシュ、山羊・羊乳、ウオッシュ、セミハード、ハード、と7種類あるそうだ。

 奥さまの幾代さんはドレスメーキングもされる。↓は、銘仙の着物から作ったコート。後ろに家紋がついている。       

 ↓は、奥さまが着ておられるワンピース。絵羽織から作ったそうだ。       

 ↓は、室内履き。ご夫婦でお揃い。        

       

 nousaku:高岡市 新横町 1044-2
        tel:0766-28-0138  営業時間:午後6時~12時
       http://www.nousaku.net/?page_id=2 
       
不定休 (パンはありますが、食事はできません)

 さて、今回マークが持参した油絵、鉛筆画、クレパス画の原画を改めて紹介します。額縁の準備が遅れ、北銀大門支店のロビー展には20日過ぎにようやく搬入しました。せっかく観に行ってくださった方には、以前どうようパネルだけしか飾ってなくて申し訳ありませんでした。(ガラスの額縁で光ってよく見えない絵もあります)

 ↓は、「夕べの散歩」  

 ↓は、「大地と雲」

 ↓は、「山歩き」

 ↓は、「古代の島」

 ↓は、「アイルランドの海岸」  

  何度も足を運んでくださった方、ありがとうございました。