Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

くまさんの贈り物(その2)

2009-02-27 | 日記・つぶやき
 くまさんのお宅はお寺さんなので毎年お年賀の品を用意し、
周りの善男善女に配られる。今年は「栄太楼飴」だったよう
だ。先日のくまさんのブログにこんな会話が載せられた。

 『昨夜は合唱MITUのFさんにあげました。このあめが好きだ
と言われたので。

 Fさん:何をお返ししましょうか?
 くまさん:何も要りません。何でもありますから。
     「愛」だけが無いです。あなたの「愛」を下さい。
 Fさん:愛はいつも上げていますよ。
 くまさん:ありがとう。それで充分。まだまだ「栄太楼飴」
      はあります。「愛」と引き換えにさせて頂きます。』

 読みながら笑っていたら、私にもくださった。
 翌日が音訳ボランティアの日だったので、10人の善女たちに
お裾分けを持って行った。
 その日は全員集合で10人。「市民と市政」3月号は年度末の
せいか20ページだけ。1人2ページずつの計算でいつもり少な
く、何となくのんびりムード。あれやこれやの話題に十分笑った
後、吹き込みが始まった。

 Tさんが吹き込み途中に急にむせて咳が止まらない。
「お湯…」「飴がいい…」と言うわけで「栄太楼飴」の登場と
なった。
 写真は6個だが、最初は、麻の葉模様の箱に、黒糖、梅ぼし、
抹茶など各種取り混ぜての10個入りだった。

 有難くいただきました。くまさん、ありがとう。

「おくりびと」余話

2009-02-26 | 日記・つぶやき
 高岡市出身の滝田洋二郎監督の映画「おくりびと」がアメリカ
アカデミー賞外国映画賞を受賞、県内はもちろん日本中が
湧いた。
 今日の「グループあかね」の音訳ボランティアの会でも、Oさん
が「あかねからのメッセージ」の話題に取り上げ、いつもの文章
の推敲にあたりしばらくは盛り上がりっぱなしで、原稿が仕上が
らず、Oさんは困っておられた。

 私自身は封切り直後、モントリオール映画祭の受賞で脚光を
浴びた頃にすでに見ている。
 本木君が最初、人の死について深く考えるきっかけになったと
言う、青木新門さんの「納棺夫日記」も、当時友達に薦められて
読んだ。

 本も映画も私にとっては一部分ほんの少しの違和感を残した。
それは私の生家の家業と関係ある。母は2代目の葬儀屋。
店のガラス窓にに「○○葬具店」と毛筆体の文字で書かれ、
私は小さい頃から「カンヤの○ちゃん」だった。
 
 父が戦死し、祖父母も早く亡くなり、母は親類や近所の人に
手伝ってもらいながらその家業を続け、そのおかげで、弟と
私は学校へ出してもらった。いつ注文があるかわからない仕事
で、常に造花など準備をしておかなければならない。当時は
すべて竹や木、紙での手作り。
 分家のおっちゃんが竹を削り、それが蓮や菊の花の茎になる。
その竹の棒に金銀や緑色の紙を巻くのは子供の仕事。
 長方形に切った紙に糸を巻き、ぎゅっと絞ると蓮の花びらに
なる。その花びらを作るのも子供の仕事。
 おっちゃんが木で棺おけを作り、白い紙を貼るのは子供がし
た。母は藁で作った幹に活け花のように花を挿して行く。輿や
籠の組み立てもよく手伝ったものだ。

 納棺の仕事は家族の人がしたようで、そんな人がおられない
時はおっちゃんが頼まれて出かけていたらしい。あの映画のよう
に厳かな儀式ではなかったかもしれない。
 大人になるまでその仕事を恥ずかしいとも、気持ち悪いとも
思わず育った私にとって、映画でも本でも最初、周囲の人が、
「あんな仕事につくとは」と嫌う場面が不思議に思えたのだ。

 ただ、かつて私がお見合いの後、初めて夫が我が家を訪ねた
時、駅で「○○の花屋」へ行く道を聞いたら、「花屋?ああ、
カンヤのことけ」と答が返って来た、という話を聞いた。
 仲人口としては「葬具屋」は伏せてあったらしい。

初めてのスキャナー

2009-02-25 | 日記・つぶやき
 新しい器械はできるだけ触りたくない。以前はそうでもなか
ったが、だんだん面倒くさくなってきている。

 最近、娘が遠方にいてあれやこれやと指図して来る。
お願いなのか指示なのか、頭が痛くなる。
 先日は、すぐほしい書類があり郵送では日数がかかるので
スキャナーで取り込んでメールに添付してくれと言って来た。
そう言えば、スキャナーが箱に入れたまましまってある。
7,8年前に娘のパソコンを買い換えた時、スキャナーも一緒に
買ったのだ。地図や図形を文書に取り込むことがあるかと
買ったのだが、一度も使わず埃をかぶっていた。

 箱から出してつないで、マニュアルを読んで…、ああ、面倒。
どこかパソコンショップに頼もうか、と思ったが、ともかく箱から
出してみた。プリンタより小さい。一通り並べて、お茶のお稽古に。
 帰宅後、やおらつないで「取り説」を広げる。CD-ROMを入れ
てソフトウエアをインストールする。OSはWindows Meなので
そのページの説明を読みながら…。なんかパソコンの画面と
本の画面が違うけど、「次へ」「次へ」と進むしかない。
 おや、「完了」だって。

 問題の書類をスキャナーにセットしたら、後は流れに乗って
画像を保存、メールに添付して娘に「送ってみます」と送った。
しばらくして、「ありがとう」と返事が来た。へえ~、こんなに簡単
とは! やる気がなくて2晩ほど悩んだのだ。

 便利な物があるもの、と改めて実感。会社などでは普通に使っ
ているのだろう。
           

窓辺の楽しみ

2009-02-23 | 自然・海山草花
 先月、キッチンのリフォームの最終支払いが済んだ日、河合
建築さんは大きな寄せ植え鉢を持って来られた。いつもそうし
ておられるのかもしれないが、私にとってはとても嬉しい贈り
物で思わず歓声をあげた。
 「いや、安いものですが…」と。値段の問題じゃない。
 「じゃ玄関に…」と私。「あ、リビングにどうぞ」と仰る。

 それでキッチンの窓辺に定位置が決まった。日当たりもよく、
毎日水をやり、花柄摘みもしているが、次々と蕾を開かせるの
は難しそう。ちなみに寒い玄関では、先日の「龍尚会」のお土
産のバラと庭のピンクの侘助がけなげに長持ちしている。

 先日出張で高岡へ来た息子が一泊して、初めてキッチンに
入った。工事中に一度見て行ったが、完成後は初めてだ。
「えー、こんなに広かったけ~」と言っていた。古い玄関が物置
に、トイレが洗濯場に、ボイラー室が勝手口に変身、これらは
すべて河合さんのアイディア。そして周囲の壁面には、窓が2個、
ドアが7個あるのだ。
 一応一級建築士の息子は壁や柱をなでたりさすったりしながら
「安く済んでよかったね。」と言っていた。

 キッチンの窓辺には、ミニサボテンと、正月に息子からもらった
ミニガーデンキット。水だけでパセリとミントが芽を出すらしい。
気長に育ててみよう。上手く育つかお楽しみ。


                  

キッチンお抹茶

2009-02-22 | 日記・つぶやき
 昨日(2/21)の「茶々姫教室」は土曜組が全員出席で、弟子
5人のまたまた賑やかなお稽古となった。1週間分の話題が空中
で交差して飛び交う。
 それでも薄茶点前をそれぞれがこなし、3服ずついただいた。
主菓子は「お雛様」。例年だと「めびな」か「おびな」かどちらか
一つなのに、今年は両方とも。お内裏様とお雛様、である。
 他にも桜もち、蓬もちとお菓子があり、お雛様は持ち帰りと
なる。

 昨夜遅くまで娘にスキャナー(初めて使用)で取り込んだ書類
を送っていて寝不足。今日は朝からゆっくりお抹茶をいただい
た。「キッチン抹茶」である。以前、小矢部園芸高校の園芸科に
週1で通った時、「ポットで抹茶を」と勧められた先生がおられ
た。ポットを使うけど、和室で正座である。私のは流し台の上で
点てテーブルでいただく。美味しければいいのだ。

 午前中に2服、午後から1服。たっぷりと。茶碗、茶杓、茶筅
だけキッチンに置いてある。お抹茶は飲む分だけ漉して使い、
残りは冷凍庫に。
      

 このお茶碗は、ん10年前にようこ姫さんと奈良でお揃いで求め
たもの。ふだん使うのにちょうど手ごろで模様が可愛い。

能楽体験講座

2009-02-20 | 能楽

 音訳ボランティアで「市民と市政」の1月号を録音した時「催しのコーナー」にある「能楽体験講座」の記事を発見した。
 数年前から「ちびっこ講座」が10回コースで開かれ、多くの小学生が参加、夏の「三派合同鑑賞大会」で成果を披露している。

 「ほう、今度は大人対象か。」と興味が湧いたが、忘れていたら、しばらくして一緒に謡を習っている杉○さんからお誘いを受けた。MiTUの合唱の日だな、と迷ったがめったにない機会だからと申し込んだ。
 係りの人曰く、「実は40代以下の人が対象のつもり…」。たしかに主催は「青年の家」、でもそれは、高岡の能舞台がなぜか青年の家の3階にあるからで、年齢は「18歳以上」と書いてあるだけだし。

 そんないきさつがあり、当日、2/17(火)夜。たまたま息子が、その日朝から新潟へ出張で積雪の中、一日工事に立会い、高岡で一泊し、18日は商品説明会に出る、と言う。温かい鍋にビールを振る舞いたいところだが、富山で夕食を済ませてもらうことにした。北陸営業所の人と交流を深めることも大事だろう。

 さて、体験講座は30名募集のところへ46名の参加、大盛況だった。なるほど若い人が多く驚いた。MiTUのバスの男性、昔の同僚、昔の若い知人などの顔見知りに声をかけられ、また驚いた。

 講師陣はそうそうたる先生方である。平米公民館の「能楽お囃子の会」の謡・笛の先生、先日の龍尚会で大鼓を打たれた先生、金沢能楽会からも数人来ておられた。
 まず、模範演技が舞囃子の「高砂」(トップの写真)。その後、謡曲、仕舞(しまい)、笛、小鼓(こつづみ)、大鼓(おおつづみ)、太鼓(たいこ)に分かれ、自分の好きなものを選んで3つほど回れるとのこと。

 迷わず「大鼓」の部屋へようこ姫さんと行った。大皷(おおかわ)とも言う。先生は野尻哲雄先生。龍尚会の日もご自分の出番は午後なのに朝早くから来られ、鼓の皮を炭火で焙っておられた。私たち太鼓が「舞働き」に3回出るのを見ながら、「あんたら、よく働くね~」と励ましてくださった。
 初歩の打ち方と掛け声。「やー」と「ほー」があり、黙って打つところ、休むところ、の組み合わせ。ともかく痛い。面白いが、右手が指も手のひらも痛いのだ。
 加減をすると音は出ない。それでも打ち続けると右手が腫れて来る。(2,3日内出血が治らなかった) だから、先生方は手作りの小手のようなものをしておられた。

 次は、憧れの「小鼓」の部屋へ。女性らしく、カッコいいな、と舞台を見ていた。もちろん先生は男性だが。これは鼓を持つ左腕を上げなくてはならず、1分もしないうちに肩が凝り断念。

 最後に「太鼓」の部屋へ。ここでも基本の掛け声と、刻み(2本の撥で真ん中の撥皮を右左と16回つく)のお稽古。昔は「刻み」だけに3年かけたとか。
 ああ、やっぱり太鼓が一番いい。機会があればもう一度大鼓を打ってみたいものだ。小手の作り方も教わって。

 写真はすべてようこ姫さんの撮影。
 上は、大鼓の部屋。下は太鼓の部屋。

     


角久さんとお茶のお稽古

2009-02-19 | 高岡

 1月の「源氏物語」新年会の角久ランチの評判がよく、茶々姫教室のメンバーで昼の会食をした。2/14(土)正午、7名が集まり、「Rubyの会」の4名も久しぶりに揃った。

 早めに予約を入れたので、大仏の正面の2階の部屋がとれた。2階も手作り小物がいっぱい飾ってある。ワイワイと感嘆の声をあげながら一つ一つ眺め入る。

 目の前の大仏様にはひっきりなしの観光客。街の中心がこんなに賑やかとは知らなかった。
 風子さんが紹介しておられた坂下通りもゆっくり歩いて往復する。アーケードが取り払われ、大仏に向かうとどこかよその街に来たみたいだ。

 その後、茶々姫さん宅で4人だけでお茶のお稽古をした。さすがにいつもより静かで、しゅんしゅんと釜の湯の音も聞こえる。庭の紅梅の蕾もふくらみ、マンサクが枝の先に明るい黄色の花を開かせ、青空に映えていた。

 お料理と部屋いっぱいの小物飾りの写真は、ようこ姫さんにお任せ。そのうち素適な写真をアップされるだろう。
 「梅と鶯」で主菓子もすでに登場した。
              
 私の大仏様は電線が見え、「灯りをつけましょ、ぼんぼりに」はろうそくの灯りでぶれているようだ。

 名カメラマンの皆さん、この2枚の写真どう撮ればよかったのか、ぜひご指導ください。


「初雷(はつらい)」の倉野章子さん

2009-02-17 | 映画・テレビ・演劇・芸能
 「初雷」とは、その年初めて鳴る雷~春の訪れを告げる雷の
ことだそうだが、演劇鑑賞会の4月例会のタイトルである。
 どこに、どんな雷が鳴るのか、思わせぶりなタイトルではある。
この演劇の主役の倉野章子さんを囲む会が、2/13(金)に博労
公民館であった。

 友人の山○さんが「私、あの女優さん大好きながやぜ」と仰る
ので、場所も近いし、日も空いていたので出かけた。

 倉野さんは富山県の出身(と言っても3歳まで)、文学座の
座員で、角野卓造さんの奥さんである。子育てが終わり、10年前
に「野分立つ」で舞台に復帰し、この作品で数々の賞を受賞され
た。高岡へは9年前、「野分立つ」で来ておられる。

 文学座研究所の頃のこと、「三人姉妹」の演技のこと、「野分
立つ」の話のすじなどまず過去のことを語られ、今度の「初雷」
の見所を話された。
 兄嫁が他界し、残された二人の子供たちを育てるために仕事
を捨て、家事と育児に専念して15年間過ごした理子。
 やがて子供たちが成人し、自分の役目に一区切りついた時、
理子の第二の人生が始まるように彼女の心に雷鳴が鳴りひびく…。
 いろいろなことが解き明かされて行くストーリー展開はミステ
リーのよう、とも。彼女は50歳。ちょうど倉野さんが舞台に復帰
された年齢と同じで感慨深いものがあるとのこと。

 おそらく実年齢はプラス10歳、メリル・ストリープと同じ、いわ
ゆる「アラ還」世代だ。我々「アラ古希」とは全然違い、エネルギ
ー全開と言う感じ。
 まず笑顔が素適で、話も自分で笑いながら、楽しみながらリラ
ックスして…。

   写真は左が、博労公民館での倉野さん、
   真ん中は、東京都内でのインタビュー、
   右は、「初雷」の舞台で、
   トップは、「初雷」のポスター。

  

早春の庄川峡

2009-02-16 | 自然・海山草花
 2/10(火)、友達4人でおまき温泉「和園」へ出かけた。
ここは、私の高校時代の同級生夫妻が経営、還暦の同窓会で
泊って以来ご無沙汰だったが、先日風子さんがブログで
お薦めだったので機会を狙っていた。

 清水町からまっすぐ庄川の右岸を上流へ走る。ドライバーは
ゲタ姫さん。彼女はいつまでも運転できるように、道を覚える
ためにも必ず遠出の運転を買って出られる。

 曇り空だった天気もだんだん晴れ、良いドライブ日和だった。
風はまだ冷たく、「春は名のみの風の寒さや~」の「早春賦」
さながらだ。山はぼぅーっと霞み、木の芽がふくらみかけている
のだろう。
 
 山を眺めながらの露天風呂も気持ちよく、お料理も畳の上で
ゆっくりいただけ、そう混んでもいない。ただ、休憩室でみなさん
がすやすやとお休みの人が多く、婦中カンポのように大声で
お喋りしにくいのが難点か。

 帰りに船着場まで足を伸ばした。一日3回大牧温泉まで舟が
出る。最近は大牧温泉はお高くて泊れない。
 きれいな写真は1枚もなく、証拠物件のようなものばかり
だが想像の目で見てくださいね。

 

 

戦跡巡拝参加者のつどい

2009-02-12 | 日記・つぶやき
 昨年11/27~12/3の5泊6日の日程で、フィリピンへの「慰霊
友好親善訪問」の旅に参加した。これは戦争遺児を対象にした
もので平成3年から始まった事業だそうだ。
 それまでも遺骨収集団や遺族の巡拝はいろいろな主催で行わ
れている。遺族も高齢化し、遺児すら高齢化して来ている。
戦争遺児は全国に約100万人、今まで1万人がこの慰霊訪問に
参加したそうだが、わずか1%だ。
 私は三鷹に住む2歳下の弟と参加した。2,3年前から話し合って
いたが二人とも退職後、私はパートで、弟はフルタイムで勤務
していてなかなか日が合わなかった。ようやく実現した。

      
         (マニラ港の夕日…マニラホテルより)

 今年はフィリピンへ154名の過去最多の人数で、戦没地により
6班に分かれ、我々はC班、29名のメンバーでルソン島北部を
まわった。
 マニラからサンタマリア、バギオ、ポンドック道、北サンフェル
ナンド、リンガエン湾、バンバン、クラーク、とそれぞれの父親
の戦没地で慰霊祭を行った。そこと思われる場所に祭壇を作り、
写真や郷土の食べ物を供え、一人一人が追悼文を読み、般若
心経を唱え、全員で焼香、献歌として「ふるさと」を歌う。日を
追うごとに、同じ体験を持つ者として気持がつながって行き、
父親が会わせてくれた29人の新しい友で今後も交流を深めよう
と言うことに。
          
              
       (サンタマリア東北山地を見渡せる畑にて)

 さて、帰国後県遺族会への報告もすませてから、電話があり
「参加者のつどい」で”ちょっと報告をしてほしい”と頼まれた。
どうせ我が子や親戚、友達に喋っていたのでその程度の感想
なら、供物料もいただいたし、責任は果たさないと、と引き受け
た。案内状を見ると30分もうけてある。スライドを使う人もある
とか。
 お喋りでよければ、と再度、念押しをしたが、原稿くらい作ら
ないと、思いながら先延ばしをしていたら、ミュージカルや近所の
葬儀やと重なり、結局いつもの泥縄作戦。前日夜遅くまで走り
書きした。人前で話すことはもうほとんどないので緊張する。

 当日、富山観光ホテルの会場は参加者が70名ほど。発表者は
井波の男性でトラック島へ慰霊に行かれた方と二人、私が話し
終わったら30分かかっていた。やはり、話したいことはいっぱい
あったからだろう。
 懇親会ではたくさんの方が「ご苦労様」と労いのお酒を注ぎに
来られ、自分の場合は~へ、~年前はこうだった、2回目に訪問
する時は~するといい、など教えてくださり大もてだった。
 一泊して朝食後、高岡で「マンマ・ミーア!」を見たことは
すでに書いたが、帰宅後県遺族会から電話が。ホテルの部屋に
「オレンジ色のTシャツの忘れ物があった」そうで、順番に電話
をかけている、と。

 私:「それなら福野の○○さんだと思う。赤いような色物を
    着ておられたから」
 確信を持ってそう言って電話を切った直後、そう言えば私も
たまに人前で話すからと赤めのジャケットを着て、下にオレンジ
の長袖を、と気づき、バッグの中を探したがない。今年初の
失敗?月曜日、お菓子持参で取りに行ってきた。

 私:「ご迷惑をかけすみません。自分が何を着ていたかも
    忘れてしまい…」
 職員のFさん:「たくさん持っておられるから…。」

 とっさに返事ができなかった。こんな対応をしないといけない
のだ。  

マンマ・ミーア!

2009-02-09 | 映画・テレビ・演劇・芸能
 数年前の劇団「四季」人気ミュージカルだった。当時は上京の
機会がなく見そびれてしまった。それが映画になったと言う。
しかもメリル・ストリープの主演で。皇后様もご覧になったとか。

 是非見たい、と思っていた矢先、2/6(金)ずっと気の重かった
仕事が無事終了し、朝9時に呉羽で解散だった。高岡イオンの
初回にちょうどピッタリの時間ではないか。もちろん直行した。

 物語の舞台はギリシャ、エーゲ海に浮かぶ小島。シングル
マザーのドナは、一人娘のソフィを育てながらホテルを経営して
いる。父親を知らずに育った娘は母の日記をこっそり読み、父親
の可能性のある昔の恋人3人に自分の結婚式の招待状を送る。
 と言う始まりだ。3人が島を訪れるが誰が父親か?

 劇中の音楽は、70年代に活躍したABBA(アバ)の曲だが、
私は「ダンシング・クイーン」ぐらいしか知らなかった。知っている
音楽ならもっと楽しめたかな、と思う。
     
      

 感動的なのは最後にバージンロードを歩く母娘。カバンを
かついで通学した頃を思い出す母親の歌。我が娘の小学生姿
が思い出された。
 メリル・ストリープはほんとに歌うの?と見る前は疑って
いたが、吹替えなしの歌と踊りだそうだ。歌手のように大きく
口を開けた熱唱ではなく、ごく自然な心のこもる歌だった。
踊りはなかなかの見もの。

 来日した彼女のことば。
 「中年の女性が、まあまあの歌と踊りを披露すればいいという
思いでやりました。音楽を聞けば誰でも踊りだす。その喜びさえ
表現できればいいんじゃないかと。」
 
       

 メリー・ストリープのファンか音楽や歌の好きな人にはお薦め。
元気が出ます。幸せはすぐそばにある、と気づかせてくれます。

サウンド・オブ・ミュージック

2009-02-07 | 映画・テレビ・演劇・芸能
 2/4(水)、高岡文化ホールで高岡演劇鑑賞会の例会、「劇団
スイセイミュージカルの「サウンド・オブ・ミュージック」の公演が
あった。演劇鑑賞会は昨年で創立40周年、今年の5月に記念
式典を行う。
 40年前と言えば、60年代後半私がちょうど高岡で勤務し始めた
頃で、数年後に入会している。当時は「労演」と言ったが、高校の
先生方が「高岡に演劇を、文化を」と創られたそうだ。

 今は年6回公演、会費月額2,500円、1回公演を5,000円で鑑賞
できるわけだ。ただ会員制で継続鑑賞が条件なので都合で見ら
れないこともある。
 2日間で昼夜2回公演だがそれでも都合の悪い時はボツにな
る。サークルで急に行けない人が出ると、誰かにあげて見て
もらう。少しでも観客は多い方がいい。
 今回は、2日間とも平日だった。ご夫婦ともお勤めの会員が
どうしても行けないからと、2ヶ月前から手帳を預けられた。
MiTUのくまさんが早々と買ってくださった。もう1枚は、会員の
お孫さんに見せたいからとお嫁さんの分を買ってくださった。

 オーストリア、ザルツブルグのノンベルク修道院。
アルプスの大自然の中で元気いっぱいに育ったマリアは歌う
ことが大好きな見習い修道女。天真爛漫な彼女の素行を持て
余す修道院は、マリアに退役軍人トラップ大佐の7人の子供
たちの家庭教師になることを命じる・・・。
 実話をもとにしたトラップファミリーの物語はブロードウエイ
ミュージカルになり、ジュリー・アンドリュース主演の映画でも
有名だ。

 今回の「劇団スイセイミュージカル」の公演はダンスがふんだん
に盛り込まれているのが日本初である。パーティの場面での
ソーシャルダンスはもちろん、随所に大勢の合唱と群舞が入り
活気のある舞台だ。
 また「ドレミの歌」にペギー葉山訳を取り入れているのもここ
だけ。と言うのは、彼女が修道院長役で出演しておられるから。
おいくつだろうか、立派な歌唱力で貫禄と優しさはさすがである。

 子役7人のうち、ほんとの子どもは二人か、長い公演期間中、
成長とともに背の高さが変わり、と言う話だったが、その通り
ずらっと並ぶとちょっとデコボコ。でも歌は素晴らしい。
ブロードウエイも顔負けな出来栄えだった。

 テーマソングの「サウンドオブミュージック」「エーデルワイズ」
「すべての山に登れ」などなど誰もが愛する名曲ばかり。
歌っていいな~、音楽って最高!と感じさせる2時間半だった。
 
 お孫さんの感想をぜひ聞きたいものだ。 

ボク? ワタシ?

2009-02-02 | 日記・つぶやき
 久しぶりの暖かい日。隣の保育園では、たぶん今年初めて
の園外保育が行われていた。
と言っても特に何かの練習ではない。暖かい日差しを浴びて
みんな跳び回っている。「夕日」の子供たちみたいに手袋に
コート。色別の組分け帽子をかぶって。
 もう雪もなく雪合戦もできず、ただ追いかけっこをしている。
元気一杯。でも泣き声も聞こえるぞ。

 我が家の窓から見えるのだ。「裏窓」じゃないけど盗撮は
まずかろうと遠く窓越しに眺めていた。

 そこへ、保育園でパートをしている知人から電話。
ある出来事につてどう思う?と。

 2歳児保育の部屋で保育士が子供たちに、自分の呼称を
教えていた。まだ言葉がたどたどしい年齢だ。でももうすぐ
3歳になる子は充分喋れる。

 自分のことを「○○ちゃん」などと言わずに、男の子はボク、
女の子はワタシと言うんだよ、と言うわけだ。そんなカリキュ
ラムがあるのかもしれない。
 そして、○○ちゃんは? ボク、△△ちゃんは? ワタシと
言うふうに復習(?)をした。最後に応用編で「パパは?」と
質問。
 そこで傍にいた彼女は首をかしげた。彼女の息子は会社の
くせで家庭の日常会話でも、よく自分を「わたし」「わたくし」と
言っているそうだ。保育園児の娘がいるが、娘は先の質問に
「ワタシ」と答えるかも、と言うのだ。

 それが「聞いて、聞いて」の内容だった。言葉は難しい。
教育は難しい。特に幼児の場合は。

 さて、皆さんの考えは?