Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

ドラマ「運命の人」プロデューサー

2012-01-30 | 映画・テレビ・演劇・芸能

 京都への一泊旅行の往復の電車内で、「運命の人」第4巻をほぼ読み終えた。第4巻は「沖縄編」になっている。
 毎朝新聞政治部記者の弓成(ゆみなり)は、最高裁の逆転判決で有罪を言い渡され、北九州市の実家に帰り青果業を継いだが、上告が棄却され有罪が確定すると、本土を逃れるように沖縄へ渡る。心身ともに瀕死の状態のところを、船の中で読谷村の人に助けられ、その後15年以上沖縄で暮らすことになる。

 そこで知ったのは、土地闘争(1954年)のこと、戦闘機が小学校に墜落した事件(1959年)、少女事件(1995年)…、驚きながら関係者を訪ね、ノートをとることになる。本土でも報道されたが、実際にはもっともっと悲惨な状況だった。

 私が、4巻で驚いたのは、琉球大学の教授がアメリカ赴任中に、短い時間を割いてワシントンDCの「米国立公文書館」に毎日通い、とうとうシュナイダー米公使と吉田アメリカ局長の間に交わされた密約文書を見つける場面だ。彼の執念がなかったら、密約文書はまだ分からずじまいだったかもしれない。

 さて、山崎豊子氏の原作を離れ、目下TBS系で放映中のドラマについて。ある新聞に紹介された、このドラマのプロデューサーについて書きたい。

 小説が完結した2年前、映像化を申し込んだ8社の中から選ばれたのが、瀬戸口克陽(かつあき)さん。38歳の若さだ。「冒頭のシーンは沖縄から入りたい」との提案が選ばれた理由だそうだ。小説を雑誌連載中からずっと見守って来た瀬戸口さん。第4巻の沖縄編に注目する。沖縄戦の深い傷、基地問題に集約されるように、過去から現在に至るまで日米関係に翻弄され続け、本土の犠牲になってきた沖縄の痛み…。「ドラマの手法をとることで、普段は興味を持っていない人も、興味を持ってくれるんじゃないかと思いました」と語る。

 瀬戸口さんは、鹿児島生まれ。知覧の特攻基地も沖縄も身近な存在だった。小学校2年で「はだしのゲン」を読んだ時の衝撃は、今も忘れられないそうだ。

 ドラマは、3回まで放映済みだ。原作は、1巻から4巻まで、私の手元にあります。なはさんの本です。もし、読みたい方がいらっしゃったらどうぞお知らせください。なはさんにお願いしますから。


「北斎の富士」~美術館「えき」KYOTO

2012-01-28 | イベント

 1/21(土)朝、娘が「パソコンボランティア指導者養成事業京都研修」に出席のため会場に向かうのを見送り、私もホテルを出た。もう、街中の見物はせず、JR京都伊勢丹7Fの「美術館」で、北斎の「冨嶽三十六景展」を見てから適当なサンダーバードで帰る予定にしていた。

 開館十五周年記念と言うから、京都駅がリニューアルしてからもう15年経つと言うことだろうか?「北斎生誕250年記念展」として冨嶽三十六景と富嶽百景(若い頃に描かれた絵本)が展示してある。
 翌、22日が最終日のためかなり混んでいた。東京都内で使う「スイカ」カードを使えば、入館料700円が500円となるのもありがたい。
       

 ただただ富士山の版画ばかりなのに、たくさんの人が、解説を読んだり、友だちと語り合いながら一つ一つ丁寧に見ているのは、富士山と共にそこに描かれている人々の生活ぶりが面白いからだろう。また、どこから見た富士山かと言うのも興味のあるところだ。
 描かれているのは、漁師、大工、桶屋、商人、飛脚、旅人・・・老若男女様々な人々が登場する姿が面白い。↓は、絵葉書きから。

        尾州不二身原(名古屋)…名古屋から富士山が見えるのだろうか。
 

      甲州石斑澤(かじかさわ)(山梨県)・・・岩の上の漁師の親子
    

           江戸日本橋…手前の橋を渡る大勢の人々の姿
    

 江都駿河長三井見世略図…正月、向き合う店は日本橋三越。屋根の上は瓦職人
    

    神奈川沖浪浦…これは切り絵の絵葉書になっており、マークに買った。
    

 ↓のような地図に、どの絵がどこから描かれたかが示されていて面白い。「神奈川沖浪裏」は、下の地図の1番東京湾から、描いたことがわかる。
 不明の場所も2,3あるらしいが、ほとんどの絵がどこから描かれた富士山かがわかるように番号を入れてあり興味深かった。


     

  帰りも自由席だったので、念のため早めにホームに並んだが、ゆっくり座れ、駅弁を食べた後読書したり眠ったりでのんびりと過ごした。おかげで分厚いハードカバーの「運命の人 4巻」を持参していたがほぼ読み終わった。


冬の京都で一泊

2012-01-27 | 旅行

 なばなの里から帰り、1日休養。「あかね」の新年会に「いわせのコーラス」の新年会と続き、娘をいくつか病院に連れて回り、何かと慌ただしく過ごした。
 かなり前から、娘が京都へ出張だと言っていたが、日を確認してカレンダーにメモしただけだった。近づいたので、時間を聞くと午前9時開始の研修会だと言う。じゃ、前泊しないと…、と言うことになった。「冬の京都特別拝観」などのチラシを見て、同行しようかなと心が動いていたところ。だが、21日(土)は町内の新年会に出なくてはならない、と断念していた。前泊なら、新年会の時刻に間に合うように帰ればいい、とさっそく宿探しをする。
 さいわいにも、研修会場に近い烏丸四条のビジネスホテルをネットで予約できた。「ヴィアイン京都四条室町」、ツインルームで10,200円(無料朝食つき)、パソコンが、各部屋でもロビーでもネットにつながるようになっている。(トップ写真)

 1/20(金)、午前中は娘の病院に付き添い、午後1番のサンダーバードに乗る。京都駅から地下鉄で烏丸四条へ。大きな荷物とパソコンを持って地下鉄で移動するのはやはり大変だ。東京もそうだが、街中の地下鉄駅の出入り口にはエスカレーターもエレベーターもなく、階段をよっこらしょと昇り降りするしかないことがよくある。行きだけでも一緒でよかった。
 一旦ホテルで休み、夕食も兼ね外出した。どこか美術館でもと思ったが、閉館間際に慌てて入るよりは、と四条通りを店をのぞきながら歩くことにする。鴨川まで来ると、右に南座が見える。数年前に、前進座の正月公演を観に来た。
      

 橋を渡ると、左に「北座」が建っており、「南座」と向き合っているのが面白い。
                  

 結局「八坂神社」まで歩いた。もう薄暗く、境内の舞殿(ぶでん)には提灯がずらりと美しい。LEDを使っており毎夜灯されるとか。置き屋や料亭、芸妓さん、舞踊家名前のものもある。
      

      

 更に奥には能舞台もあるようだ。↓の南楼門から入ってくる人は参拝か、タダの通り道か?着物姿、子ども連れ、学生さんなど次々と賑やか。
      

 帰り道、トイレに寄った「まるい」のカフェショップで、コーヒーとドーナツで一休み。アジア系の若者がけっこう入っていた。
      

 帰りは、蛸薬師通りや錦小路を歩く。ほとんど閉店して暗い錦小路で↓の店を見つけ、入った。店の名前は「元蔵(げんぞう)」。ここも若者で一杯。「るるぶ」に載ったとか。店の前には、「こんにちは。英語のメニューあります。」の張り紙がある。
      

      

      

 私たちが注文したのは、おでん各種とレンコン、湯葉豆腐、牡蠣。エビイモの串揚げ、稲荷ずし、生ビール小。店内の音楽も賑やかだったが、気にならなかった。
                   
 この店で、近くのスーパーを聞き、次はスーパーへ。ここで、娘の必需品の野菜と果物を買う。娘との旅はバラエティに富んでいる。


インフルエンザ検査キット

2012-01-26 | 健康

 伊勢志摩の旅の2日目を一気にまとめたのは、続けて行くことになった京都について書こうとしたからだったが…。急に上のタイトルで書く破目になってしまった。

 23日(月)の夜頃から背中がすかすかして、咳が止まらない。風邪だなと思ったが、熱も出ないし、めまいも吐き気もない。こんな時は家にある薬を飲んで治すのが普通だ。かと言って病院嫌いではなく、月に1度は降圧剤をもらいに必ず診察を受けに行くし、歯垢を取りに歯科にも通院している。視力が極端に弱いので、ハプニングがあると眼科へも駆けつける。
 昨年暮れなど、右耳がコロコロして聞きづらいので耳鼻科へ行ったら、なんと耳あかが大量にたまっていた。右後頭部がずきずきし、片頭痛?と脳神経外科へ行ったら、寒くて頭皮のすぐ下の神経が痛むのだと言われた。風邪だけ、なぜか軽く見る傾向があるのはどうしてだろう。

 それでも、歯科の予約はキャンセルし、MiTUも平米の太鼓と謡いも休み、できるだけ家にじっとしていた。だが、26日(木)の「家祈祷」だけは、その日にすませたかったので、買い物と玄関の除雪は娘に頼み、どうにか仏壇の準備をし、お祓いをしてもらった。
 木曜日は、病院は午前中だけ。ギリギリの時間にいつものかかりつけ医院へ。「血圧は大丈夫ですよ」と言われ、ひとまずほっとする。「先生、友だちにインフルエンザじゃないといいね、と言われました」と私。体重も測り、いつもの診察が終わると、先生が「じゃ、○○検査をしますか」「え~っ?」 「○○検査」 もう1度「え~っ?」と聞いたら、「検査をしましょう。」
 なんかわからぬまま、隣室の椅子に座ると「ちょっと気持ち悪いですよ」と鼻の穴に何か突っ込まれた。思わず目をつむる。痛いような、こそばいような、変な気持ちだ。それを上のようなキット(上の写真はネットで見つけたもので、同一ではありません)の上に垂らし、何か液体を落とすと…。

 右からABCと書いてあり、Aの部分に線が立つとA型だそう…。最初、変化がなく安心したが、しばらく経ち、はっきりとAの部分に縦線が立った。先生はもちろん、横に二人おられた看護師さんまでもが、「あっ!線が立った」と理科の実験が成功した時みたいな歓声(?)を。私は、思わず「あ~あ」とため息が出た。
 はっきりと、診断されたのだから完治するまで静かにしていよう。5日間は外に出て人にうつさないように、と釘をさされた。いつもの薬の他に2種類も薬をもらって帰途につく。

 と言うわけで、28日はキャンセルしました。一緒に行くはずだった方々、ごめんなさい。皆さんも気をつけてくださいね。
 帰宅後新聞を見ると、富山県内に「インフルエンザ注意報」が出たとか。一か月以内に大流行する可能性があるとのこと。もしかして、私があの医院での第1号かも…。そう言えば、今年は予防接種を受けていない。


なばなの里ウインターイルミネーションと伊勢志摩の旅・伊勢神宮参拝

2012-01-25 | 旅行

 1/13(金)、「なばなの里」で夕食も食べないで3時間過ごした後、次のSAの店にはパンもおにぎりも売り切れ、隣のコンビニでようやく弁当を買った。コンビニは名前のとおりほんとに便利な店だ。その夜の宿泊は伊勢志摩ロイヤルホテル。夜、海を渡ったようだったが、↑のような橋を渡って来たらしい。

 伊勢神宮と二見浦は、かれこれ半世紀以上前の私の修学旅行で行ったきり、トンと縁がなかった。今回は「外宮と二見浦」のオプションは止めて、「内宮とおかげ横丁」で4時間のコースを選んでいた。
 まず、伊勢志摩真珠ギャラリーに寄り、目の保養を。マークに手ごろな真珠のタグピンを買った。
 次に近くの「石神神社」へ。古くから女性の願いごとを一つは叶えてくれると言われているそうだ。いくつもあるのを、まとめて一つにして紙に書く。
      
 帰りのお土産屋で、こんな素敵な海女さんの躍動美をデザインした壁絵があった。茶々姫さんが「こんなきれいな…」と言われ、私も撮った。お店の人にインタビューしたかったが時間がない。
     

 いよいよお伊勢さんの内宮へ。宇治橋を渡る。
     

 鳥居をくぐると「神苑」だ。大正天皇お手植松がみごとだ。
     

 清流「五十鈴川」のお手洗い場。「お金を投げてはいけません」と書いてあるのに…。
     

  敷き詰められた砂利には毎日散水車が水を撒くそうだ。
     

 砂利が川の方へ流れないように、毎日砂利をならすそうだ。
      

 奉納された三重県の清酒がずらり。
     

 「第一鳥居」の辺りで、今度は茶々姫さんが行方不明。ま、行き先は同じだからと今度は心配しない。「第二鳥居」辺りから参拝者が増えた感じ。
         

 おや、竹で杉の木を保護しているって珍しいのでは?どのくらいの大きさかしら?
     

 御正宮の前は一段ずつ登る混雑ぶり。どこに神さまがおられるのやら?
ちょっと横を向いているともう友だちを見失う。でも、どうやらお参りをすませ、茶々姫さんとも再会し、お札やらお守りをもらい、無事に帰路につく。
 ↓は、帰りの「宇治橋鳥居」だ。ここで姫ちゃんに暗くならないように撮る方法を教えてもらう。上の鳥居と見比べてみてください。
     

 「岩戸屋」で外宮組と合流する。今回の旅でたった一つオプションを申し込んだのがここの昼食。上手いかどうかは別として、やはり土地の名物は食べてみないとね。右は「伊勢うどん」;これは汁がないのが特徴。左は「てこね寿司」:これは、すし飯がこねてある。昔、漁師さんが手でこねて食べたそうだ。
     
 

 最後のお楽しみ。「おかげ横丁」へ。「暮らしのすべてが神さまのおかげ」との感謝の気持ちで作られたそうだ。伊勢路の代表的な建築物を移築してある。面白いお土産屋がずらっと並んでいる。↓は、伊賀の組紐屋「平井」。
     

 ここでは、息子に干支の未の置物とスマートフォン入れを買う。「赤福」と「斎宮せんべい」も。
                 

 コーヒー店も、古い民家のよう。
     

 ↓は、「おかげ横丁」入り口。
     

 ここも、お土産屋や歴史館、テーマ館があるが、なにぶん時間がなく回れなかった。舞台では粋なお姉さんの踊りが披露されていた。
     

 踊りを観て帰る途中、またまたSaさんが迷子に…。バス集合時間に間に合うかちょっと心配。昼のこととてすぐわかったそうだ。それにしてもバス駐車場のバスの数はすごい。
 ゆっくり、のんびり、気の向くままに歩き、最後のスポットではちょっと時間不足だった。
 伊勢の昼食以外は、すべてオプションをカットして、安上がりで慌てぬ旅を満喫したが、翌15日はどこへも出ず、骨休めの1日となった。


なばなの里ウインターイルミネーションと伊勢志摩の旅・冬華の競演

2012-01-23 | 旅行

 1/13日夜、三重県「なばなの里」のウインターイルミネーションを観た。”国内最大級630万球の煌きがつくる奇跡の世界・冬華の競演”とチラシには書いてある。昨年11/3~今年3/11までの期間だ。

 「アイランド富士」を降りると、もう外は真っ暗。目の前に「光の大河」「光の雲海」などが美しく広がっていた。まさに競演である。茶々姫さんは、「光のトンネルを早く通りたい」と、皆それぞれお目当てがあるようだ。カメラマンや家族連れ、友人グループ、カップル…それは大勢の人出だ。
 会場全体に、静かなクラシック音楽が流れている。まず、橋の上から池の上に演出された大河とチャペルのイルミネーションを眺める。池の縁の黄色は一面の菜の花畑のようだ。
     

 チャペルの色が美しく変化する。
     

      

 次はいよいよ「光の回廊」(光のトンネル)へ。入り口でまたまた歓声が上がる。広く、高く、長~く続くトンネル…。
     

      

         

 トンネルを抜けると、光の壁が続き・・・。
     

 「日本の四季」の競演だ。ゆったりと枝を広げる桜の大木が、春、夏、秋、冬と四季の移ろいとともに色を変える。夏には花火が上がり、冬は一面が銀世界に。絶え間なく変わる光の色に、私のカメラ、技術は追いつかない。
        

         

              

         

 真っ暗で人混みは多く、ここでいつの間にかSaさんとはぐれてしまった。茶々姫さんがずっと私の傍についていて下さり、姫ちゃんの位置はだいたい確認していた。充分見終わり、撮り終わり、「前に進んでいるから、と姫ちゃんに言って来るからね」と戻ったのが間違いだった。さっきの位置に姿がない(ここですれ違ったよう)。元の場所に戻ると茶々姫さんの姿もない。ともかく暗く、皆似たような防寒コートを着込んでいる。行きつ戻りつ、明るく高い所に立ってみたり、3人にケータイをかけてみたり…、だんだん不安になって来る。駐車場まで戻れるかしら。
 入り口で、姫ちゃんが添乗員さんのケータイをメモっていたが、私も書いとけばよかった。ともかく戻り道らしい道を進むと…。そこは、「宝石箱」の入り口だった。そしてここで二人に会えてホッとする。
      

       

 光のトンネルほどは長くないが、まさに宝石を散りばめたような色とりどりの光。ずっとココにいたいと思うほどだ。
 結局、Saさんとは会わずじまい。さぞ心細かったことだろう。バスの中にもおられず心配したが、早く駐車場に着いたがバスがわからず、1台1台探していたそうだ。加越能バスの車体は目立たぬ色で、ナンバーか文字を覚えているしかない。駐車場もいくつもあり、観光バス駐車場を覚えていないといけない。
 会えてよかった~。でも、4人とも何にも食べていないので、次のSAのコンビニでおにぎりやら弁当を買った。後で地図を見ると、ビール園やいろいろなレストラン(中華、イタリアン、麺類などなど)、お風呂とのんびり過ごす場所がたくさんあったのに、ずっと何時間も園内を歩き回り、何とも元気な4婆でした。この後、伊勢志摩の宿へ向かいます。

 「日本の四季」のイルミネーションは、下記URL「折おりの記」に素晴らしい写真がアップされているのでご覧ください。

  http://youkohime-1.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/-5-fd02.html


「いわせのコーラス」新年会・柿の匠

2012-01-22 | 合唱

 「なばなの里」シリーズをちょっと一休みして、「いわせのコーラス」新年会のことを書きます。

 1/18(水)は「いわせのコーラス」の新年会。いつもより2時間早く集合し、野村公民館で練習をしてから、「柿の匠」へ移動した。例年は公民館でお茶とお菓子の新年会だが、今年は会場を替えての昼食会。40名以上の参加だった。蔵の前の広い部屋で、たぶん「雨晴膳」だと思うが、なかなか豪華で美味しかった。写真は撮り忘れたが、旬の地物を中心にしたお造り、てんぷら、富山湾のフグ、じょうはなポークの粕汁鍋、玉白の茸の網焼きなどなど。 

 Mr.Ha先生は、新年のご挨拶で、「指導に来ていると言うより、自分のリハビリのために来させてもらっている…」と笑わされたが、病後本当によくリハビリに励まれ、今では自分で車も運転しておられる。以前のように朗々とした声で歌うのはまだ無理なようだが、大きな声でしっかり話される。
 ここでお孫さんのピアノコンクールの話。東京でショパンコンクールがあり、富山県代表で出場されたそうだ。「金賞をとったら金太郎温泉に連れてってあげよう。銀賞なら銀山温泉、銅賞ならどうしよう?」と言ったら「じゃ、道後温泉に」と言うことに。見事銅賞に選ばれ、アジア大会に出場することになった。アジア大会も東京であったそうだが、そこでも銅賞に選ばれた、と嬉しそうに話された。道後温泉に行かれたかどうかは分からない。

 ランチの終わりに、会長のTsuさんが珍しい歌を披露された。この日は立山連峰がよく見える日だったが、昔習ったと言う「立山連峰」の歌だ。射水のすやま先生と言う方が作られたとか。25の峰の名前が歌いこまれている。厳密には3つほど独峰の名前も入っているらしいが、僧ヶ岳、毛勝岳、猫又…とたくさんの山の名前が、きれいなメロディーの中に織り込まれていた。それを、きれいなソプラノで歌ってくださり拍手喝さいだった。もう古くなった歌詞と楽譜を大事に持っておられたのだろう。次回、ゆっくりと見せてほしい、と思っている。

 ちょうど娘を病院に送って行く日で、夕方近かったが佐野方面からの立山連峰を撮ってみた。カメラのモニター画面がよく見えず、どの辺かわからずにシャッターを切ったので、どの辺りの山かが自分でもよくわからない。
       


なばなの里ウインターイルミネーションと伊勢志摩の旅・アイランド富士

2012-01-21 | 旅行

 「その手は桑名の焼蛤(やきはまぐり)」《その計略には乗らないよ》で有名な三重県桑名市は、江戸時代に菜の花の栽培が盛んで、菜種油が名産品だったそうだ。そこで、”長島リゾート”のこのテーマパークは、「なばなの里」と命名されたらしい。冬なのに菜花?と不思議だったが、ちゃぁんと菜花がありました(これはまた次に)。

 さて、ベゴニアガーデンを早めに出た二人が「アイランド富士」へ入る行列に並んでいてくれて、後の二人は割りこませてもらった。「次は5:15より運行します」の張り紙を事前にチェック済みだったからだ。
 「アイランド富士」とは? なんか張り子の富士山みたいなのがあり、手前の←入口の所から入る。寒そうに背中を丸めた高校生が写ったが、夕方になるにつれ風が冷たくなってきた。
     

 でも、行列に並んでいる間中、「寒い、寒い。雨降りそうやね~」と言いつつも、「あの富士山が45mも上昇する?どうやって?」とワイワイ話し楽しかった。私たちが乗りこむ前に目の前で試運転があった。仕掛けはよくわからないが、↓は、富士山の下の部分の大きな展望台が上って行った跡。左の円の部分が入り口になる。
     

 ↓は、ほぼ垂直に上昇したところ。
      

     

 ↓の上の部分が窓になっており、ゆっくりと回転している。中は風も入るし寒い。でも、ちょうどイルミネーションが点灯する時間で、四方八方が輝く景色は美しい。1回転して500円。あっという間だった。
     

 窓には桟がはまり、その隙間から撮った写真はトップ写真に。この程度しか撮れなかった。動くし、ぼやけているがチャペルは見える。

 あっと言う間とは言え、なかなかスリル満点だった。その後、イルミネーションを見物している時、夜空にすっくと伸びる展望台が見え、これだけでも充分きれいだ。さっき、あの中に自分もいたのだ、と宇宙飛行したような不思議な気持ち。
     


なばなの里ウインターイルミネーションと伊勢志摩の旅・ベゴニアガーデン

2012-01-19 | 旅行

 アンデスの花壇「ベゴニアガーデン」とチラシには書かれている。夏の花壇に欠かせぬベゴニアだが、ベゴニアだけの庭園ってどんなだろう?と不思議な気持ち。9000平方mの大温室とも。と言われても想像がつかない。

 入り口から入ったとたん、「おお~」と皆感動の声を上げる。まず、↓の光景が目に飛び込む。
       

 天井からはハンギングがいっぱい。
      

        

 球根ベゴニア(アンデス山脈原産)の鉢がずらりと並ぶ。
              

                      

 両方並ぶと、↓のような見事な花壇となる。
          

 次の部屋には「フクシア」が。
                

 カサブランカなどの「ユリ」や、「サクラソウ」、「インパチェンス」などなど。
      

      ↑と↓は、プリムラオブコニカ    ↓は、サンパチェンス
                     

 こんな珍しい花もあった。その名は、「ベロぺロネ(コエビソウ」。ピンクや黄色の部分は「苞」、その先の白い部分が花。右はボケているが花がよく見える。
                    

 次に、木立性ベゴニア。2m以上もあろうか。
          

 葉の裏が赤い。
     

 次に、根茎性ベゴニア。葉が大きく花が小さい。
            

 最後の部屋は、カフェになっていて、天井からはペチュニアが下がり、池にはベゴニアが浮かんでいる。
     

 以上、花の名前と写真は一致しないかもしれない。名札を写したのだがはっきりしないものもいくつかあった。
 さて、この温室3つ(4つか?)を回るうちに、途中で、いつの間にか二人、二人に別れてしまった。これが第一回目。この後、一人と三人などいろいろな組み合わせパターンでお互いに迷子になりあった。この時は、姫ちゃんと茶々姫さんが早く出て、富士アイランドの行列に並んでくれていて、アリガトウさんでした。


なばなの里ウインターイルミネーションと伊勢志摩の旅・関宿

2012-01-18 | 旅行

 だいぶ前から、「なばなの里」「イルミネーション」「ベゴニアガーデン」などの名前をチラチラと聞いた。バスツアーの話である。どこかもわからないし、あまり興味がなかった。そこへ行こうと言う話が持ち上がったのは、昨年のいつ頃だったろう?お世話係は、もちろんようこ姫さんだ。4人で申し込めば「1人1万円(1泊)」。ちらしに 本当ですかぁ!♪ と書いてある。北陸阪急のツアーだ。集まったメンバーは茶、々姫さん、Saさん、ようこ姫さん、私の4人。

 1/13(金)、富山、小杉と参加者を乗せたバスは、高岡駅南を7:40に出発、金沢、小松、加賀、福井北と客を集め、総勢45名のツアーとなった。北陸道・米原から名神高速に入り、多賀SAで一休み。
     

 ここは、「お多賀さん」で親しまれた多賀大社のある町、滋賀県多賀町。ショッピングセンター、フードコート、レストラン、ホテルまであるSAとのことだ。我々はトイレだけ。

 最初の見学先は、東海道53次の47番目の宿場町「関宿(せきじゅく)」。新名神道・亀山JCTで降りる。ここは、三重県亀山市。バスツアーと言うのは、どこを走っているのか、何県の何町を通っているのかさっぱりわからない。今回のツアーはベテランの添乗員さんつきだが、カイドさんはつかない。
 以前、ガイドさんが高速を走っていて見えない建物まで説明され(「右手のずっと向こうには○○があります…」と)、首をまわしても見えないのに、と苦笑をしたことがあった。が、山と空と道しかわからないのも困ったものだ。ともかく亀山に着いた。

 ここで、オプショナルツアー「関宿散策」に参加する人、関ドライブインでゆっくりする人に分かれた。我々は後者のグループ。東海道53次の宿場町で唯一昔の姿を留めているのが「関宿」だそうだ。ちょっと興味もあったが、今回は「のんびり旅行&節約旅行」を目指すことにして申し込まなかった。せめて弥次さん喜多さんの真似ごとをと…。
     

 ここ関宿は、東海道の江戸と京都、お伊勢参りの伊勢路への分岐点。さぞ賑わった宿場町だったことだろう。お伊勢参りは平安時代後期から盛んになり、伊勢へ伊勢へと全国各地から参宮者が増えた、と↓の道標に書かれている。
      

 宿場町を模したドライブインの前はお土産屋がずらりと並んでいる。
      

 晴れているが、風は冷たい。中は土産売り場、フードコート、レストランなど。フードコートもいいが、ゆっくりしたいし、早めの朝食で空腹だったのでレストランへ。
 私は、松阪牛・亀山ミソ焼きうどん定食と生ビールを注文。
        

 さすがにごはんは食べられず、ようこ姫さんにビニール袋をもらい、コッソリおにぎりに。さてここからいよいよ「なばなの里」に向かう。

 「長良川水辺の夢のような小さな村」がなばなの里のキャッチフレーズ。どんな所だろう? ↓は、入り口で迎えてくれたピーターラビットと花壇。右の建物は「長島ビール園」。トップは花壇の花。
       

     

 夜になると、ここに「光の大河」が現れるらしい。まず、ベゴニアガーデンへ入ることにする。皆さん、お楽しみに。

 


「あかね」新年会~清風(せいふう)

2012-01-16 | 食物

 毎月、高岡市公報「市民と市政」をカセットテープに録音し、視覚障害の方に送る音訳ボランティアをしている。月1度のボランティアだが、高岡市の行事やボランティアセンターの行事に参加、協力もする。
 高岡ふれあい福祉センターで活動しているが、毎月の例会の日は、録音しダビングするだけで精一杯、機械の点検やカセットテープの整理などに手が回らない。日頃できない作業を済ませてから新年会をしましょう、と連絡電話が回って来た。

 1/16(月)、いつもと同じ時間にふれあい福祉センターに9名集まり、不要テープを捨てる、マスターテープの整理、録音機などの点検、接続の悪いコードを買い替える、など一連の作業を全員の協力で済ませ、新年会会場へ向かった。今年の新年会は、八丁道沿いの「まちの駅たかおか」小物の店「龍の門」の奥にオープンした「清風(せいふう)」。トップ写真)

 以前、千保川「南星橋」のたもとにあった居酒屋風料理屋の「たなか」の若いマスターの店と聞き、楽しみにしていた。↓は、まちの駅「龍の門」
     

 「清風」は、↑の店の後ろにある。↓は、店内。予約席の札が立っている。
    

 小テーブル、大テーブルで25席。懐石料理・精進料理・お弁当・ぜんざいなどなど。私達は、特別注文で2000円の料理。むかごご飯、エビのてんぷら、焼き銀杏、餅とジャガイモのコロッケ風、春菊の白和えにはリンゴが入っている、というふうにちょっと工夫の料理だ。
    

 エビしんじょうと刺身が後から運ばれた。
    

 他に、おまかせ定食(コーヒーつき)で980円、半月弁当1200円、精進料理1500円などなど。

 最後に、コーヒーとようかんと干菓子。私の伊勢土産「赤福」を横につけた。
     

 コースターの角の赤い玉がかわいい。
     

 このグループは、本当に話題が豊富だ。医療費や保険の話に始り、美味しいお菓子、お店、歌舞伎や落語の話など、場所を「トワイス」に移してもなお続いた。9人で喋るからその賑やかなこと…。
 先日、私が行って来た旅行の三重県「なばなの里」のイルミネーション、伊勢神宮の「おかげ横丁」の話をすると、4人で1泊で一人1万円ならすぐ計画しようと、話がまとまりかけていた。

 まちの駅「龍の門」でも、布製小物を見ながらあれがいいこれがいい、と。私は娘に人形のブローチを買った。メンバーの中のOさんは小物作りが得意。「前によく作ったので懐かしい。もう、目が見えなくて細かい作業ができないの…」と手に取っておられた。ピエロのはよく見かけるが、この人形は丈が10cmくらいで大ぶりだ。ブローチにしてもよし、車にぶら下げてもよし。
         

 懐石・精進料理「清風」:高岡市駅南4-503 まちの駅高岡内
               TEL 0766-25-3656・定休日は火曜日 

 * 念のため予約するといいそうです。


本「運命の人」

2012-01-15 | 

 2年前の冬に、なはさんから山崎豊子著「運命の人」全4巻を借りた。いつまででもいいからどうぞ、の言葉に甘え、前の話を忘れるほどにたまにしか読まないので、やっと3巻が終わる昨年暮れに、テレビドラマ化の話を聞いた。1/15からとのこと。それまでに読了したい、と思ったがままならず、目下、4巻の途中である。

「運命の人」(1~4巻):山崎豊子著 文芸春秋社刊 (文春文庫1~4巻)

 山崎豊子の最新作で2009年に刊行された。1971年の沖縄返還協定にからみ、取材上知った機密情報を国会議員に漏洩した毎日新聞政治部記者が国家公務員法違反で有罪になった事件をベースにした小説。山崎豊子が、その取材と執筆に約8年を要して完成させた力作長編小説だ。毎日出版文化賞・特別賞受賞を受けている。

 今回TBS日曜劇場でドラマ化され、主人公の新聞記者・弓成亮太に本木雅弘、妻・由里子に松たか子、外務省事務官三木昭子に真木よう子、ライバル新聞の記者に大森美朋が扮し、その他政治家や家族のメンバーに豪華キャストがそろっている。

 原作は、弓成が霞が関の記者クラブへ颯爽と入って行く場面から始まった。テレビドラマでは、最初の場面で沖縄の海を見つめる弓成のやつれて焦燥感を漂わせた姿が現れ驚いた。しかも海に飛び込む場面。
 本は最後まで読んでいないが、実際のこの事件の記者、西山太吉さんはお元気で、2年前に「沖縄密約情報公開訴訟」で一審勝訴を勝ちとられた時のニュースで談話を発表された。

 あくまでもフィクションとして描かれるだろうが、当時の政治家は名前こそ変えてあるが、誰かはすぐわかり興味深い。


柚子大根

2012-01-14 | 食物

 音訳ボランティア「あかね」の年末の例会で、メンバーのIさんから「簡単に作れる柚子大根」のレシピを教えてもらった。ちょうど、Suさんから柚子をたくさんもらったばかり。さっそく作ってみようと、正月に入ってから作った。但し、Iさんから聞いたのを元に、かなり自己流だが…。

 1.大根を拍子木に切る(長さ5cm、小指くらいの太さに)。
      

 2.塩(大根の重さの3%)、白砂糖(100g)、酢(500cc)を混ぜておく。

 3.柚子1個の皮を千切りにする。昆布を細切りにする。

 4.大根をボウルに入れ、2の調味料、柚子、昆布をまぶす。

 5.全部をビニール袋に入れて、重石をする。

 6.2日ほどから食べ始められます。

 以上ですが、作りはじめてからハタと、年末に酢を切らしそのままになっていることに気づいた。途中で買いに?いや、らっきょう酢があったはず。これを使えば、砂糖や塩を計量することもない(初めから適当に、のつもりだったが)。らっきょう酢は便利です。生協の品とさして変わらぬ美味しさです。
        (↓は、昆布を入れる前)
       

 トップは、以前ようこ姫さんからいただいた「赤ずいきの酢の物」。大きい瓶詰でもらったのが、そろそろおしまいです。


お稽古始め&鏡開き

2012-01-12 | 日記・つぶやき

 12日は、久しぶりの青空だった。午後、平米公民館へ向かう車の真っ正面に、白い立山連峰が見えた。

 この日は、謡と太鼓のお稽古始めの日。この後、2月、3月、4月と毎月1回ずつ謡のお浚い会が続く。それぞれ、素謡、連調連管、舞囃子の太鼓、仕舞の地謡、などなど演目が決まった。新しい謡本ももらった。
 ちょうど舞囃子の「胡蝶」の太鼓をお稽古を始める前に、階下のYaさんから「ぜんざいできたから取りに来て~」と声がかかった。11日が鏡開きの日。12日は、鏡餅を焼いてぜんざいを作ってくださる。その日がお稽古のサークルは、「当り!」となる。お囃子サークルの約10名が図書室に集まりいただいた。お焦げも香ばしい鏡餅が二切れずつ入っており、お餅の塩味と小豆の甘味が、とても美味しかった。家では食べられないご馳走だ。
      

 1/10の高原兄のテレビ番組に上田先生の会社が紹介されたと言う話で、一同盛り上がった。高原兄が会社の歌を作って贈ってくれるのだそうだ。見たのは、Yoさんだけ。事前に知らせてほしかった、と皆口々に言っていた。

 その後、太鼓は「胡蝶」の練習。緩急はまだまだだが、一応覚えていてホッとする。謡は「松虫」を吹き込んでもらった。両方とも、3月の蒼山会で発表します。

 トップ写真は、公民館事務所前の正月飾り。稲穂が下がっている。


お稽古始め&新年会

2012-01-11 | 合唱

 息子も来ず、娘は旅行と言うお正月だった。2日に高瀬神社に初もうで、4日に茶々姫さん宅のPC教室、8日が25年ぶりの同窓会。9日に義妹の来訪。残る日々は暇で仕方がなく、部屋の片づけ、不用品の整理、買い物など、いつもなら年末にやることを正月にしていた。

 10日(火)は最初のお稽古始め、MiTUの合唱の日だった。いつもより30分早く始った。新しい楽譜が配られる。今年のコンサートのアンコールに歌う曲、「あすという日が」だ。年末の「紅白」でも、夏川りみさんと秋川雅史さんが歌われたのでご存知の方も多いだろう。山本瓔子作詞、八木澤教司作曲で、特に震災後多くの小中学校で合唱曲として歌われているそうだ。(最後にYou Tubeを載せました。)

 さて、1時間の練習後新年会場へ。ウイングウイングのすぐ後ろの「ポワル」だ。ここは、昨年「あかね」の新年会(ランチの会)で初めて入った。(但し、ランチは5名以上の予約制・トップ写真はポワルの2階)
 2階が4,50名は入れるホールになっていると、新団長のSaさんが交渉して来られた。この日の出席者は、止むを得ず欠席の人を除き、先生も入れて44名
副団長のHaさんの司会で、和やかに開会された。
 昨年と一昨年の富山の「第九」に参加し、奇しくも皆勤賞のワインをもらったと言うソプラノのNoさんとDoさん。二人の好意で2本のワインで乾杯。
         ↓は、ベートーベンの写真入りの有り難いワイン。
         

 その後は、飲み放題。飲んで喋って…だ。昨年の新入団員の紹介もある。テナー、バス、アルトに各1名ずつ。ふつうは、誰かの紹介で、と言う人が多い中で、アルトのTaさんは、ケーブルTVでMiTU のコンサートを聴いて自ら入団した30代。嬉しいことだ。
     

 先日から練習を重ねていた男声合唱も披露された。肩を組み青年の心意気(実際に青年もいますが)
     

 女声も負けられじと、練習もしていない「夜明けのうた」を斉唱。そうこうするうちに、では全体で、と言うことになり、なんと先生が「さっきやった”あすという日が”をやりましょう。」 そんな無茶な!と言いつつ、皆好き好きに歌っていました。
     

 最後に、合唱大好きというマスターからのご挨拶。
     

 ↓に、YOUTUBEの「あすという日が」を載せました。たくさんある中で、「東日本大震災」の映像がついているものと、盛岡市の中学校の吹奏楽・合唱(手話つき)のものと2つ載せたので時間のある方はご覧ください。4,5分です。
 ↓は、盛岡市の中学校の吹奏楽と合唱。
http://www.youtube.com/watch?v=3G0VtJCP5q4&feature=related
 

 ↓は、「東日本大震災」の直後の映像が流れます。
http://www.youtube.com/watch?v=ZhUJrKm-M7s&feature=related