Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

お芝居「てけれっつのぱ」

2011-03-31 | 映画・テレビ・演劇・芸能

 1月に、このお芝居をPRに来られた「劇団文化座」の制作部の人の話を紹介した。(下はその時のブログです)
 
http://blog.goo.ne.jp/67kiyoh/e/460eee0d448adfcad2a29de6ec57c4fa

 3/29(火)昼文化ホールで、楽しみにしていたその公演を観た。前回の「出番を待ちながら」は市民会館だったが、やはりお芝居は文化ホールがしっくりと落ち着く。
 開演前の舞台に、ピカピカ光る人力車が置かれている…。
         
 

 時は明治維新直後、ところは開拓間もない小樽、新天地を求めて東京から渡って来た人々。最初から活気あふれる舞台でワクワクする。
 商人や船乗りが往き来し活気のある小樽の街に、「きしや」と言う万屋がある。煮物を売り、俥曳き、髪結い、代書も扱う。主は、あや乃。旗本の嫁でありながら没落し、芸者となり、薩摩出身の官吏の妾になった女(安部敦子)だ。そのあや乃を助ける主人思いの女中、おセキ(佐々木愛)。 官吏の本妻の佳代(有賀ひろみ)。その3婆を中心に、あや乃に恩を感じている俥曳きの銀次と妻の混血娘ロビン。おセキの息子夫婦などがゴチャゴチャと暮らしている。

 「きしや」は土地のやくざから立退きを迫られている。何度か追い払うが、とうとう大勢で押し掛けられ、舞台では立ち回りが繰り広げられる。病人同様だった本妻の佳代が奥から出て来て、長刀を振りまわし見事な立ち回りを見せる場面が小気味いい。
 よほど稽古を積まれたことだろう。稽古中にけが人も出たのでは?結局、家は火事で燃え、跡かたもなし。荷車に少しの家財道具を積み、0から出直そうとみんなで一歩前進する場面で幕が下りる。

 ロビンがときどき、唱える呪文(落語「死神」に出てくる死神を追い払う呪文)、”あじゃらかもくれん きゅうらいそ てけれっつのぱ!!” を全員で声をそろえて唱えて歩き出す。まさに今の日本の姿と重なり、勇気がわき起こって来るようだ。
 「文化座」は佐々木愛さん、と思いがちだが、なかなかどうして。皆さん芸達者。声がよくセリフがよく透る。
 そして音楽がよかった。三味線とギターのアンサンブル。テーマ音楽が何度も流れ、そのリズムを覚えるほど。

 原作:蜂谷涼、 脚本:瀬戸口郁、 演出:西川信廣、 美術衣装:朝倉摂、 音響:斎藤美佐男

 ↓は、フィナーレと花束贈呈
          

          


本「ジーン・ワルツ」

2011-03-30 | 

 「医療現場からもの申す」と言うタイトルに惹かれ、海堂尊氏のインタビュー記事を新聞で読んだ。1961年生まれ、現役医師であり作家だ。「チーム・バチスタの栄光」、「ジェネラル・ルージュの凱旋」を読み興味がわき、「螺鈿迷宮」も読んだ。先日は、「ジーン・ワルツ」の映画も見た。映画では、どうも肝心の部分がすっきりせず図書館に本を予約した。
             

 GENE(ジーン)とは、遺伝子のこと、遺伝子はDNA配列で、塩基の3つの組み合わせが1種類のアミノ酸を指定するから、3拍子(ワルツ)のビートだ、などと、最初から書かれているが、私には何の事だかサッパリわからなかった。

 主人公の若き産婦人科医・曽根崎理恵は人工授精のエキスパート。大学で発生学の講義をする傍ら、廃院寸前の産婦人科医院”マリア・クリニック”で、恩を受けた院長の代わりに5人の妊婦の診察を続けている。

 妊婦たちはそれぞれ問題を抱えている。優しく、冷静に彼女たちを診察し、相談に乗りアドバイをし出産までこぎつけるが、理恵自身も「双角子宮」で子宮嫡出手術を受けており、子どもは産めなくなっていた。
 5人のうち、一人は流産、一人は無脳症(生まれても呼吸ができなくすぐ死んでしまう)、一人は短肢症(腕がない)、一人は長い不妊症治療の結果授かった子で高齢出産、そして最後の一人は代理母出産で双子である。出産の場面で回旋異常がわかった赤ちゃんもある。

 4人の妊婦がほぼ同時に出産を迎える場面で、お産の現実と医師、助産婦の奮闘を描きだす。お産は病気じゃない、赤ちゃんは自然に生まれるもの、心配いらない、などという今までの考えは吹っ飛んでしまう。「出産は、常に安全なものではない」「出産というのは、希望の対象。だから、帰って絶望に・・・」と言うのが理恵の考え。

 医療ミスはどこからがミスか?それを取り締まり医療崩壊を招いた厚労省への批判、、さらには、地方と都市部の間の格差、産科医院の激減などの医療の現実と理想を、理恵の口から語らせる。
 医療ミステリーの形を借りて、よりよい医療を訴えている海堂氏。小児科が舞台である「ナイチンゲールの沈黙」では、「子供と医療を軽視する社会、未来はない」と登場人物が語るそうだ。


茶々姫さんの紅梅

2011-03-28 | 自然・海山草花

 お彼岸も過ぎたと言うのに、まだ三寒四温のようなお天気である。
 3/26(土)、お寺さんのお参りの日だった。お勤めの後、いつも時節の話をして行かれるが、この日は自然に地震の話になった。 当日、羽田空港で足止めを食ったそうだ。2階の床の上で夜を明かされたとか…。横浜の娘さん宅へ、水を送ろうとしたら高岡の店に水がなく、氷見のスーパーまで買いに行ったそうだ。あれを1本、これを2本と買い集め、ようやく1ダースにして送ったそうだ。LEDの懐中電灯のことも聞いた。私も我が家用にLEDの懐中電灯を買っておこうと思う。

 さて、久しぶりにお茶のお稽古が再開された。1月の初稽古以来、雪のため中止したから、2か月以上経っているのでは?茶々姫さん宅の庭に濃いピンクの紅梅が咲きはじめていた。

 空気は冷たいが、やはり春だ。水戸偕楽園の梅はどうだろう?訪ねる予定だった弘道館もどこか破損したとニュースで言っていた。
 久しぶりに集まった(あちこちで顔を合わせてはいるが)5人の土曜組メンバーと、ゲストのSaさんを加え、賑やかなことこの上なし。薄茶を2服ずつ点て、2服ずついただき、皆「おいしい、おいしい」を連発。さすがに「お濃茶が飲みたくなった」と言う声も。いつもは、土曜組はお濃茶は敬遠しているのである。ときどきお濃茶も点てて、今年も1年間「茶々姫教室」が続きますように。

 その日の蓋置きは、茶々姫先生の「喜寿のお祝」に淡交会から贈られた品だった。「銀仕上げ銀杏紋蓋置」京都の竹影堂作と箱には書いてある。いぶし銀の上品な色、形である。
    


お好み焼き「ととまる」~柿の匠

2011-03-27 | 食物

 そば打ちの後、入浴とお喋りで過ごし、帰る頃チョッとお腹が空いた。Hoさんいわく、「K新聞の「まんまる」に、高岡市長が美味しそうに食べながらPRしていた”高岡流お好み焼き”はどう?」 彼女は、いつか食べてみたい、でも一人では来られないし、と思っていたそうだ。私としては、毎朝、「てっぱん」を見ていると、あまり好きじゃなかったお好み焼きも時には食べてみたくなっていた矢先である。即、決定し、高岡市大野「柿の匠」に寄ることになった。
 高岡流お好み焼き、名付けて”魚(とと)まる”、580円。”とびまる”と”いかまる”と2種類あるそうだ。  
         

 台はすり身、すり身の材料がトビウオとイカの2種類あり、上にのっている食材は同じ。エビとイカ、それにふりかけみたい物、青菜がのせてある。エビとイカはすでに茹でてあるそうで、鉄板は温めるだけのようだ。4等分の切れ目も入っており、食べやすくなっている。半熟茹で玉子が添えてあるので、アツアツを玉子につけて食べてもよし、上にかけてもよし。焦げないように気をつけて、などなど。
 注文する時に質問し、さらに持って来られたオネエサンにまたまた、しつこく質問して以上のことがわかった。

 いつものように、とびまる、いかまるを半々(と言っても2個と3個)に注文し、分けて食べた。ワアワア言いながら食べるので、私には違いがサッパリわからずじまい。後で聞くと、イカの食感が違うし、わからなかったの?と言われてしまった。
 580円のお好み焼きだけ食べて帰る客は少ないようで、○○膳などの会席料理メニューをたくさん紹介された。が、この日は、何と言っても夕食はお蕎麦を食べなくちゃ。次回は、5人それぞれがたくさん連れて来るからね、宣伝効果抜群ですよ!と言ったら、お土産にお煎餅を2個ずつサービスしてくださいました。
  

  「柿の匠」:富山県高岡市大野156
         0766-28-0003


年度末のそば打ち

2011-03-26 | 食物

 3/25(金)、今年度末最後のそば打ちに出かけた。今回初めてのHoさんを加えて5人のグループだった。八尾ゆめの森ゆうゆう館は、まだ雪がたくさん残っていた。 
 
     

 この日は、なんと15名の大教室。いつもの部屋にいくつかテーブルを補充して、3人の先生もフル回転だ。楽しいデモンストレーションもなし。壁に、「手打ちそばの打ち方」の新しいパネルが並んでいる。こね方から延し方、たたみ方まで図解してあった。(トップ) 
                             

 食べるのも大勢でまた楽し。先生のお蕎麦がないのがちょっと残念。 
      

 休憩室はやはり満員だったが、隅に割り込む。久しぶりのHoさんとの話も弾む。お蕎麦とお茶とお菓子だけでは、帰る頃にはお腹が空き、ちょっと寄り道することのなった。その話はまた次回に。

 今回のお蕎麦は、近所のSiさんにお裾分けし、私は、その日の夜、翌日の昼、夜と続けて3回食べた。3回ともざるそばで。そばの味は、やはり冷たいのが一番だ。


市原の友人

2011-03-25 | 日記・つぶやき

 今度の大地震の2日目、千葉・市原の友人から電話があったことは前にちょっと触れた。その後、コスモ石油の火は収まったようだが、最近の新聞の「大気中の放射線量」の地図に必ず市原の値が載る。たぶん観測地点なのだろう。その後どんな生活を送っているのだろう、ケータイメールをしようか、と考えていた矢先に、電話があった。23日(水)の夜のことだ。

 彼女は千葉県市原市に自宅があるが、月~金の毎日、船橋の次女宅へ家事や孫の世話に出かけている。ときどきは杉並の長女宅にも行くそうだ。彼女は、笑い話のように面白おかしく、停電の不便さ、放射線の怖さ、食料不足を話してくれた。

 思い出しながら、書きとめると…:

 ○ 電車がいつ来るかわからず、30分~1時間と駅で電車を待つ。ホームや改札口付近で立って待つ。たまにベンチが空くと急いで座る。「まるで”椅子取りゲーム”だよ~」と笑う。せっかく座れるとトイレも我慢して座っている。

 ○ 駅のエレベーターもエスカレーターも動かず、延々と階段を昇り降りする。「疲れるよ~」

 ○ 皆、イライラしているからか、今日嫌なことがあった。駅で、3年ぶりに、以前習っていたお稽古友だちに会い、懐かしくて電車の中でずっと他愛のないことを喋っていた。彼女が先に降りる駅で、席を立った途端に、傍にいた男性が「うっるさいババアだな~」と言った。友だちにも申し訳なく、自分もショックだった。

 ○ いつ停電になるかわからない。娘宅で、早めにご飯炊こう、と炊飯器にスイッチを入れた途端パシャっと停電。ガスで鍋でご飯を炊いたそうだ。

 ○ 「スーパーにお米がないんだよ」 1キロの袋もない。お米が切れてパンを買おうとしたら菓子パンしかなくて、今夜は菓子パンだそうだ。

 ○ 「こんな時、昭和ひとけたは強いよ~。お姉ちゃん(6歳上)が”布団かぶって寝てればいいよ”と電話で話してた」そうだ。

 ○ その後も余震がいつ来るかと思うと恐いし、いつも揺れている感じがする。

 ○ 電気や食糧はどうにかなるけど、一番怖いのは見えない原発被害…。

 などなど、まだまだいっぱい話があった。

 いかに私たちが電力に頼る生活をしているか、そしてその電力を原子力発電に頼っていることに、日本全体が改めて気づかされたわけだ。
 一人で頑張っている彼女のことを思うと、何かできることをしてあげたい、と切実に思った。
  


能「紅葉狩(もみじがり)」~砺波喜扇会

2011-03-23 | 能楽

 3/21(月)、砺波文化会館で、「砺波喜扇会 創立40年記念 能楽大会」があった。喜扇会と言うのは、能楽師の大坪喜美雄先生主宰の謡曲の会で県内にいくつもあり、私の謡の先生 山崎先生も大坪先生のお弟子さんである。
 前日の蒼山会のお浚い会にも、もちろん出席されていた。なおらいの席に、大坪先生はじめお囃子の先生方が何人も欠席しておられたのは、翌日の演能の「申し合わせ(リハーサル)」のためだったのだ。

 能は2番。「経政(つねまさ)」(太鼓ナシ)と「紅葉狩」だ。8名の会員の教授嘱託披露でもあり、ワキ方、囃子方の他は、ほとんどが素人さんによる演能だ。
 特に、「紅葉狩」を観たかったのは、一つはさぞ華やかな舞台だろう、と言うこと、もう一つは、私の太鼓の先生 上田先生が能で太鼓方を務められる舞台を、私はまだ1度も観ていなかったからである。

 砺波文化会館のステージには、立派な能舞台が設えられ、ちょうど素謡 披キ「綾鼓」の最中だった。きれいに揃った男声の見事な謡である。
 さて、いよいよ能「紅葉狩」が始まった。 まず左の橋掛りから、囃子方(笛・瀬賀尚義 小鼓・住駒幸英 大皷・野尻哲雄 太鼓・上田博)の各先生方が登場。右の切り戸口から地謡の方が登場。地頭の車伸代先生を始め全員が女性だ。

 ↓は後見が、作り物の「山(紅葉つけ)」を運んで来て、舞台中央に置き、準備が整うと、笛の出囃子を合図に、前シテ(女)とツレ3人(女)、間狂言(侍女・荒井亮吉)が登場する。
                

               

 地の底から湧き出るような地謡、♪ 時雨をいそぐ紅葉狩♪ の声が静かに聞こえ、ここ、戸隠山に紅葉狩に来た女たちが、四方の紅葉を眺めながらしばらく休んでいる。
 シテがつけている面(おもて)は、「万媚(まんび)」と言い、妖艶な若い女性の面、ツレの女たちは小面(こおもて)の面をつけ、装束も豪華で美しい。

 そこへ、ワキ(平惟茂・苗加登久治)がワキヅレ(従者・北島公之、平木豊男)を従え、鹿狩りに来る。女たちの宴に気付き、馬を降り脇道を通ろうとするのを、女が呼び止め、袂にすがり留める。そして酒を勧め、舞を舞う。(中の舞・太鼓ナシ) 拡大して見てください。妖艶な面がわかります。
                    

              

 惟茂は、酒に酔って寝てしまう。その間に女たちは化生の姿を現し、岩に火を放ち、空中に焔を降らす。(激しい囃子と謡)
 そして、女たちは一旦姿を消す。(中入り~来序(らいじょ)の囃子と共に退場) 「来序」とは、能の囃子の一つで、神や鬼が登場、退場する時に用いる厳かな曲。いよいよ太鼓の出番である。
 太鼓が、♪ いヤア~ トン ♪ と打てば、小鼓と大皷が、♪ ほウ~ ほウ~ ♪ と合わせる。全員が幕の中に隠れるまで繰り返す。最後に退場を見極めて、太鼓が「知らせ撥」を打つ。なかなかかっこいい場面だ。
                

 いよいよ、後シテ(鬼)が「山」の陰から登場する。さっきの女たちは戸隠山の鬼女たちだったのだ。この鬼の面は、「顰(しかみ)」と言う難しい漢字の面で、鬼に用いる。
                  
 惟茂は、少しも騒がず、神から授かった剣を抜いて立ち向かう。鬼は岩によじ登ろうとするが、それを引き下ろし刺してしまう。
                

 作は、世阿弥とも観世信光とも言うそうだ。優雅な舞が、壮絶な格闘に変化する場面や、紅葉の山を想像させる美女たちが賑々しく、あたかも大スペクタクルのような能で人気の曲。シテ、ツレ、地謡の方たちは長い曲をよく暗記され、舞も落ち着いてきれいだった。

 ただ、後見の仕事がよくわかった。いつもは、小物を渡したり、装束を変えたりするだけで、後ろに座り見ているのが「後見」と思っていた。今回は、登場人物も多いからか、座る位置や座る向き、など傍に寄って直したり、座る手助けをしておられた。面の目からは位置などわかりにくいからだろう。
 ちょうど、私の太鼓が途中で他の囃子と合わなくなったり、突然別の手を打ったりすると、先生が後ろで直してくださるのと同じ、と言うわけだ。

 楽しく、面白く、勉強になる観能でした。 


いなみ交流館「ラフォーレ」

2011-03-21 | 日記・つぶやき

 先週震災お見舞いの電話のやり取りの中で、福野の叔母が入院中との話が出た。父のすぐ下の妹で、遺児になった私達姉弟をとてもかわいがってくれ、母が脳卒中で倒れた時もしばらく看病に病院に泊まりこんでくれた叔母である。

 昨日の蒼山会の後で少し疲れが残っていたが、砺波文化会館の能も見たかったし、午後井波の病院へ出かけた。またまた折り紙のウサギを作り、途中で手土産のお菓子も買い、以前にも見舞った病院へ行くと、退院された後とのこと。拍子抜けだった。
 顔だけでも見たかったが、福野の自宅へ行けば長くなるし、また日を変えることにする。1時間ほど時間が空いたが、お天気もよくないし、近くのお風呂へ行くことにした。手持ちの日帰り入浴券(タダ券)が使えるお風呂が確か近くにあったはず。

 それが「いなみ交流館ラフォーレ」です。温水プール、浴室、仮眠室、グループ室、屋内健康広場がある。地図で見ると、病院からすぐの場所で、以前コンサートを聴きに来た総合文化センターの傍。ところがなかなか見つからない。緑地公園の回りをグルグル回りようやく見つけた(トップ写真はネットから)。チョッと万葉福祉センターみたい感じ。喫茶室もあるし、子どもたちが遊ぶフロアもある。

 番台を通って、お風呂へ。一般は500円、60歳以上は400円。銭湯より小さめの浴室だ。4,5人のお客さんがあり、後から来た人は必ず「こんにちは」と声をかけておられる。知らない人にも…。私も、自然と、高岡から来た、病院にお見まいに来たら退院後だった、と話し、後はコレまた自然に震災の話となった。

 ちなみに、↓は、今日ようやく届いた息子からのケータイメールである。4日目くらいから、何度メールしても、電話をかけても返事がなく、ちょっと心配していた。
 今朝ようやく、今までの5,6通のメールに対しての返事が届き、ひとまず安心した。

 ”今日は家で仕事です。健康、物資、ともに問題ありません。千葉の放射線レベルは公開情報によると、若干高め。健康への影響はない、と政府およびNHKはとりあえず言い続けています。
 
屋根瓦は応急処置済み。
 繰り返しますが、米、ガソリン、その他物資はまったく問題ありません。
 停電の備えが若干残っているが、本日中終了予定。
 通勤電車は片道3時間かかるような事態は、先週末には解消。ただし、停電の状況により予断を許さず。
 仕事は、打ち合わせ、出張の予定はほとんどキャンセル。まずはウチの製造ラインの復旧と原料購入先のライン復旧状況確認と復旧スケジュール調整に専念。以上取り急ぎ報告まで。”


第31回「蒼山会」謡曲大会~”ちびっこ教室”

2011-03-20 | 能楽

 昨年までは、蒼山会のお浚い会は7,8月だった。今年から、3月になったので半年しか経っていない。半年のお浚い会と言うことで、3/20(日)に開かれた。

 東日本大震災から1週間余りだ。厳しい被災地の様子を思うと、謡や舞の会を開いていいのかと悩んだ、と主宰の山崎先生。東京の能楽堂では、いくつかの会が中止や延期になったそうだ。
 敢えて開こうと決めたきっかけは、「ちびっこ教室」だそうだ。お謡と仕舞の山崎先生、笛の瀬賀先生、太鼓の上田先生が協力して、小学生の能楽教室を開いておられることは前にも書いた。伝統芸能のを守るための国の予算で、「高岡文化ホール」を会場に5
年前から始められ、秋の「3派の能楽大会」で毎年発表されていた。「仕分け作業」でその予算がカットされ維持できなくなり困っていたら、高岡市生涯学習センター講座として、昨年9月から継続できるようになった。
 仕舞6番と、連調連管「竹生島」。わずか半年のお稽古の発表である。月2回のお稽古でよく頑張った子どもたちを思うと、中止にはできなかったとのこと。高岡文化ホールステージではなく、本物の能舞台での発表は初めてなのだ。4月からまた新しい子どもたちの募集が始まる。

 ↓は、仕舞「熊野(ゆや)」と、連調連管「竹生島」。
              

 私は、素謡「小督(こごう)」のワキ、「清経」の地謡、連調連管で「早笛・舞働き」、舞囃子で「西王母」と4回出番があり、チョッと疲れた。すらすらだった(?)「西王母」でまたミスをしたが、今度はあまり他の方に迷惑はかからなかったのではないかな~。後見の上田先生は、心臓が止まるほどだったかも。いつも絶対間違わなかった個所でミスしたから…。でも、先生の声ですぐ気付き、元に戻せてよかった、としよう。

 なおらいの会の開始前に、会長の米島さんの言葉で全員黙祷し、義捐金箱も置かれた。なおらいの会では、お囃子や仕舞の方達から、舞囃子を合わせることの難しさ、失敗談などを聞き、いい勉強になった。今回はパーフェクトと思っていただけに、がっくりしてもう止めようか落ち込んでいたのが少し元気になった。          

 朝一番で、応援に駆けつけてくださったようこ姫さん、Kaさん、ありがとうございました。写真も撮ってもらいありがとう。↓は左が、素謡「小督」、右は、舞囃子「百万」です。
             


パート練習

2011-03-18 | 合唱

 合唱団MiTUの定期演奏会が6/5(日)に決まった。目下、猛練習中だ。今週に入り、アルトのパート練習が始まった。例年だと、公民館などを借りるのだが、今回はTaさん宅で、と決まった。しかも、週3回も。1回目の14日(月)は蜻蛉玉作りと重なり、Miさんと私は欠席したが、6名集まり、「水のいのち」の練習をしたそうだ。
 もちろん昼間都合のつく人だけで、全員ではない。でも、2回目の16日(水)は、10名集まった。「ミサ曲」をはじめから最後まで通し、部分的にわからない個所や、あまり練習していない最後の曲などを何度も何度も練習した。1度お茶とお菓子で休憩したが、すぐ再開。4時までの予定が1時間延長してしまった。

 次回は、明日19日(土)。まだ1度も練習していない3曲目の「ヴィヴァルディが見た日本の四季」の譜読みもできればいいなぁ~。


18時間のバスツアー

2011-03-17 | 日記・つぶやき

 真冬のような寒気、今朝は積雪があり1日中チラチラと雪が降った。夜中もずっと降っていたのだろう。北陸よりもっと寒さの厳しい東北の被災地で、避難所の方々、作業をしておられる方々はこの寒さをどんな思いで耐えておられるかと思うと胸が痛む。昨夜も、1時にはテレビを切ったが、テレビ放送では深夜ずっと情報を提供している。

 3/11(金)朝、私達、水戸偕楽園の梅見物ツアーの参加者は、高岡駅南口に9時前集合した。同じ時間帯に出発する沖縄行きの方達と言葉を交わした後、バスに乗車した。北陸阪急の2泊3日のツアーで参加者は42名。
 ベテランガイドさんの案内で、上信越道から関越道の周辺の市や町の説明を聞きながらバスはひたすら高速道路を走る。
 学生時代、急行「白山」で信越線をよく往復したものだ。駅の名前(今はSA)を聞くだけで懐かしい。横川SAで、ようやくカメラを取り出した。空は晴れ上がり、陽の光がまぶしく、カメラの向こうの妙義山の山容もかすんで見える。SAの中には、急行「志賀」が。上野~松井田を走ったそうだ。SAの前には土地の野菜が売られている。下仁田ねぎ、杏、しいたけ、長いもなど。案山子さんが下仁田ネギを買おうとしたら、店の人にバスの中で1日しか持たない、と言われ諦めておられた。
            

      

 この後、東京に入りアクアラインを通って千葉へ、一泊目のホテルは南房総富浦、翌日は千倉お花畑、九十九里浜、から幕張泊まり、3日目に水戸偕楽園へ、とのガイドさんの話を楽しく聞いていた矢先にバスが揺れた。テレビのニュースを見ながら、川越で高速を降りる。最初は富浦まで行くとの決定で、コンビニで全員がトイレを借り、食料を買い込む。その後、会社から戻れとの指示が出た。時速10kmで下道を走り、群馬県月夜野ICで高速に上がる。その間テレビでは、この世の出来事とは思われない悲惨な大津波被害の様子が報じられていた。ときどき嘆息の声を上げながら、静かに画面を見つめていた。なかなか通じないケータイで家族と連絡をとる人達。12時にはテレビを消し、消灯。眠れぬ夜をバスの中で過ごした。高岡駅は朝5時過ぎ到着。金沢までの人を残しバスを降りた。

 東京都内に勤めている息子から、「○○無事です。会社に泊まります」のメールが届いたのは高岡に到着後だった。川越で送った私のメールへの返信だった。
 翌日夕方、千葉の自宅に戻ると、屋根瓦が落ち、家の中は棚が倒れて散らかっていたそうだ。
 同じく千葉の市原に住む友人が、船橋の次女宅に手伝いに行っていて戻れなくなり一泊し、2時間歩いて帰宅した娘婿と久しぶりに顔を合わせた、1年以上も言葉を交わさず疎遠にしていた婿殿と仲直りができた、それが嬉しい、と電話があった。 
 4日後に、町田の友人から奥さんの実家が気仙沼で、弟さん家族と連絡がとれず心配した、今日ようやく無事を確認した、と電話があった。

 久しぶりにおばさんや従姉から電話やメールが入った。娘さんや息子さんに懐中電灯や電池、携帯ボンベを送った友人もおられる。私も、息子のその後が心配だが、詳しいことは連絡がなくわからない。

 先ほど、「普通の生活に戻りましたか」の私のメールに、「現状は、普通の生活にいつ戻るかわからないという状況です。当分戻ることはないだろうとの予想が大方です。」と返事が来た。 


蜻蛉玉”玉打ち”体験~蜻蛉玉丙午

2011-03-16 | 日記・つぶやき

 3/14(月)、震災の被害状況が刻々と報道されている最中ではあるが、予約してあった蜻蛉玉づくりに出かけた。お茶と合唱の仲間の混ぜこぜグループ4名である。初対面の人もいるがどこかでつながっているから面白い。

 まず前回の作品をもらう(トップは私の前回の作品…色と形にこだわった)。今日は4人とも、”玉打ち”に挑戦だ。
 1.説明を聞きながら、先生のお手本のデモンストレーション。可愛く、はきはき、優しく教えてくださる先生です。
          

 2.いつものように土台になるガラス棒(右)を溶かす。左は粘土棒。 
          

 3.溶かしたガラスを粘土棒に巻きつける。
          

 4.次に、玉を打つための細いガラス棒の先端を溶かす。
          

 5.↓のように、大きさ、並べ方を工夫しながら、小さい玉をのせていく。色を重ねることもできる。花や草の模様を描くこともできる。
          

 6.後で見せてもらった先生の作品。梅鉢模様のようなお花がきれい。
           

 さて、↓の見本をお手本に作りはじめる。(コレは先生の作品だ)
            

 ↓は、私が玉を打ったところ。ここまではよかった。
            

 その後のこて当てをゴチャゴチャやっていたら、玉が熔け過ぎたかな?↓は私の作品。形が上手くまとまらない。2個しかできなかった。
             

 ↓は左が、Anさん、右の2個は、今回と前回のMiさんの作品。
              

 この日は、近くで昼食後、加工もしてもらい、帰りは婦中カンポで入浴して帰った。


能「船橋(ふなばし)」

2011-03-13 | 能楽

 この度の大震災と大津波の被害に遭われた被災者の皆様にお見舞い申し上げます。


 これは、千葉県の船橋市の話ではない。万葉集にも歌われた「佐野の船橋」、群馬県高崎市の話だ。(実は、一昨日11日バスツアーで南房総から水戸偕楽園へ梅見物に行く途中、高崎から川越まで行ったところで地震のためUターンして高岡へ戻ってきた。)

 さて、「船橋」とは、簡易な橋のことで、川に対岸まで舟を並べて、その上に板を渡して橋にしたもの。

 この物語は:
 
昔、この橋を渡って、深夜に逢い引きしていた男女が、これを嫌う親が、橋の板をはずしておいたため、川に落ちて水死してしまいます。
 二人は、思いを遂げず、未だ成仏出来ないでいるのを、旅の山伏が祈祷して成仏する、と言う物語です。

 元は「田楽」だったものを、世阿弥が作りなおした作品と言われます。トップは北斎の船橋、↓は、今の船橋(H7)。(共にネットより)
               
 山伏に乞われるまま、里男は次のように語ります。 
謡本[詞章より]

 ”昔この所に住みける者。忍び妻にあこがれ。所は川を隔てたれば。
  この船橋を道としてよなよな通いけるに。二親(ふたおや)この事を深く厭ひ。
  橋の板を取り放す。それをば夢にも知らずして。かけて頼みし橋の上より。
  かつぱと落ちて空しくなる。

 この後、中入があって、里男と里女はそれぞれ霊になって現れる。山伏の祈祷により、女は成仏し、男はまだ地獄の苦患を見せるがついに仏の道を悟り、成仏する。なんとなく、「ロミオとジュリエット」や「牽牛と織女」の話を思い出すような…話だ。

   ツレ(里女):山崎健
    シテ(前シテ里男、後シテ男の霊):松本博
    ワキ(山伏):平木豊男
    ワキツレ(山伏):北島公之
    間狂言:炭哲男

    大皷;飯島六乃佐
    小鼓:住駒俊介
    太鼓:飯森友春
    笛:片岡憲太郎

    地謡:佐野由於 他

 ツレを演じられた、私の謡の先生、山崎健先生のお話:
前場ではシテは直面(ひためん…面をつけない)で、ツレは面をつけるが、面の目の穴からシテの動きは良く見えないので、合わせるのが一苦労。それを申し合わせで、太鼓の音を頼りに動きを合わせ橋から川へ落ちる場面を演じたそうだ。あまりピッタリと合って、実際には一緒に飛び込んだのではないのでは?と、言われたとか。


1年ぶりの「そば打ち」

2011-03-12 | 食物

 3/5(土)、1年ぶりに「八尾ゆめの森・ゆうゆう館」へそば打ちに行った。受講者は私達7人の他にお父さんと娘さん、もう一人女性の方と10人だった。去年の先生は体調を崩しておられるとか、去年補助役だった方が、今年は先生だ。

 私達のグループは、案山子さんだけが初めて、後は何度か経験ずみなのだけどすっかり忘れており、いつものように先生に直してもらいながら、打ったり伸ばしたり、切ったり、で、ともかく仕上がった。まだまだ太くて恥ずかしいが。(トップ写真)
 自分のを食べた後、先生が打たれた蕎麦をいただく。先生のは、微妙に甘味があり美味しいのだ。力を入れるのでお腹がすくが、2杯食べるとさすがに満腹だった。

 おや、そばの秘密?壁の貼り紙を読んでみると・・・、そばの胚芽の部分は栄養のかたまりで、生命力の源だそうだ。そして、そばは、胚芽の部分が米や麦と異なり、中央にS字型に大きく分布しているので取れにくく製粉の工程で自然に粉に混入されるとのこと。

               

 入浴券ももらえるので、お風呂へ入ったが大広間が満員。いつも開放されている部屋も団体客で使えず、結局有料の部屋を借りることになった。7人もいるから仕方がない。お風呂は”おわらの湯”と”曳山の湯”と源泉が違い、男女日替わりだそうだ。お風呂目当てにゆったり泊まりに来るのもいいかもしれない。八尾町からも近いから、風の盆の頃はきっと混むのだろう。
 帰宅後、お向いにお裾分け。その日の夕食と翌日の昼食はお蕎麦だった。茹で汁でみそ汁を作ってみたら、ほんわりと甘く美味しかった。


映画 ”The King's Speech”(英国王のスピーチ)

2011-03-10 | 映画・テレビ・演劇・芸能

 米国アカデミー賞には弱いので、受賞が決まったとたんぜひ見たいと思っていた。受賞作品が高岡で上映されるとは限らないし、ファボーレまで行くつもりでいたら、意外に早く(3/5より)高岡にも来た。来週は何かと忙しく行けそうもない。雪の舞う9日(水)、意を決して出かけた。
 先に、「ソーシャル・ネットワーク」(私は見ていない)を見た若い友人から、早口でテンポも早くついて行くのが大変、でも面白かった、と感想を聞いた。受賞後の記事に、「早口と吃音の対決は吃音に軍配が上がった」とあったが、両映画が作品賞を競っていたようだ。

 「マイ フェア レディ」は、ヒギンス教授がコックニー(ロンドン下町の言葉)を話す花売り娘イライザの言葉を矯正し、レディに仕立て上げる話(映画ではオードリー・ヘップバーンがイライザ)だが、この映画は、一人の言語治療士が英国王の吃音を矯正し、王が国民に向けての重要なスピーチを立派に成し遂げる話だ。

 その英国王とは、ジョージ6世、現エリザベス2世の父君、4月に挙式予定のウイリアム王子の曽祖父になる。
 ジョージ6世は幼い頃からずっと吃音というコンプレックスを抱えていた。厳格な国王ジョージ5世は健在の頃から、さまざまな式典で王の代わりにスピーチを命ずる。その都度緊張して言葉が出て来ない。その沈黙の時間を国民は下を向いて待つしかない。

 何人もの医者、言語療法士の治療を受けるが効果はない。ビー玉を口にいっぱい詰めて話すように言う医者まで出る始末。そんな時、妻のエリザベスが知人から聞いた言語療法士を訪ねる。その言語療法士は、オーストラリア人。元は役者だった。戦争中神経症で言葉を失った戦友たちの治療をした経験を生かし、今では診療所を開き多くの患者を治した実績を持つ。が、資格も持たず、研修も受けていない。
 彼、ライオネルと王(その頃はまだヨーク公)の涙ぐましい特訓の過程が面白い。歌を歌ったり、今まで抑えてきた汚い言葉を思い切り言ったり、叫んだり、柔軟体操をしたり、…だ。そして、幼い頃に左利きの矯正、X脚の矯正で苦労し、我慢し耐える子ども時代を過ごしたこと、父王が怖くいつもオドオドし無口になったこと、乳母にまで苛められたことなどを聞き、必ず治ると、自信を持たせる。

 そして世紀の恋と騒がれたシンプソン夫人との結婚のため退位した兄の跡を継ぎ、即位し、ジョージ6世となる。第2次世界大戦が始る数年前のことだ。
 ヒトラーの率いるナチスドイツとの開戦直前、不安に揺れる国民に向けてラジオで戦争スピーチをする。王妃の励ましのキスを受け、マイクに向かい、ライオネルの笑顔を見つめながら、一言一言国民を勇気づける言葉を述べる。ラジオに耳を傾ける町の人々、家庭で、店で、駅で、戦場で、皆、頷きながら、顔を上げて…聞く。スピーチが終わり、拍手で迎えられながら、家族と共に国民の前に立つ。そして、戦争中の苦難の時代を乗り切り、国民が敬愛する国王となった。

 可愛らしい少女時代のエリザベス女王とマーガレット王女、チャーチル首相も登場します。王とライオネル・ローグのことは、王妃エリザベスが、自分の生きている間は公にしてほしくない、と言い残しておられたそうだ。妻の支え、家族愛も魅力的に描かれている感動作。

 ジョージ6世:コリン・ファース
 ジョ
ージ5世:マイケル・ガンボン…彼は”ハリーポッター”のダンブルドア校長
 
ジョージの妻エリザベス:ヘレナ・ボナム=カーター
 言語療法士、
ライオネル・ローグ:ジェフリー・ラッシュ
 兄、エドワード8世:ガイ・ピアース
 監督:トム・フーバー