Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

新しいパソコン

2010-02-27 | 日記・つぶやき

 1週間前に、新しいパソコンが届いた。WINDOWS 7である。画面が大きく、鮮明。早い。機能は、まだまだ慣れていないから充分に使いこなせていないが、何よりうれしいのは「無線ラン」なので、キッチンで使えること。プリンタを使う時だけ、隣室へ行く。暖房費が1室で済むので省エネだな、と思っている。  

 私が、初めてパソコンを買ったのは、12,3年前だろうか、それまではワープロ、東芝のルポを文書作成にだけ使っていた。リタイアの2,3年前、若い同僚に誘われて、戸出の「百万ボルト」へパソコン探検に行き、NECのLaVieを買ったのが最初だった。WINDOWS 95だった。仕事では、「一太郎」を使ってもっぱら文書作成。 

 その後、娘が家を離れることになり、メールが必要だからインターネットを使えるように、と娘の、シャープMebiusを譲り受け、特訓を受けた。98だった。何度も修理してかなり長く使った。そのうちどうにも動かなくなり、次も娘が置いて行ったSONYのVaioに切り替えた。WINDOWS MEだ。小型で軽いのが特徴。でも容量が小さく、写真を取り込んだりブログを始めたりすると、すぐメモリー不足になるようになった。プリンタを新調した時も、ME対応を選ばなくてはならず、デジカメを新調した時もカードリーダーを別途買わねばならなかった。 

 そして、これが4代目。初代と同じくNECのLaVie・Lだ。どうして、もっと早く買わなかったかと今更ながら思う。 
 
週1度のMiTUの合唱練習の後、事務局長の池○さんがその夜のうちに練習の音声(時には映像も)をメールで配信してくださる。欠席した人には大変助かるし、出席していても、先生のコメントを何度も聞けて(時にはその都度笑いながら)、反省材料になる。食事しながらでも聴けるし、一緒に歌うこともできる。ところが、MEでは、それはきたない音声で、ウンザリするほど。下手だから、と思い込んでいたが、で聴くと、少しは上達ぶりが伺えて嬉しくなる。      

              

 「古いものを大事に使おう」は、パソコンには全く通用しない、と言うことがよくわかった。我慢して大事に使っていたのがバカみたいだ。 
 昨日は、音訳ボランティア’あかね’の日。お世話になった、なかちゃん、ミサさん、Oさんに披露した。これからもいろいろと教えてくださいね。


謝礼の袋

2010-02-24 | 日記・つぶやき

 1月のブログに、「いわせのコーラス」の新年会で、小さな折り紙の鳳凰と色紙の菓子皿の写真を載せた。私には、そんなアイディアも器用さもないのだが、最近、MiTUの合唱の先生方への謝礼をこんなリサイクル祝儀袋に入れてお出ししている。  

 発足時は、代表の方(男性)が会計も兼務されたので、金融機関の袋だったとのこと(もっぱら高信だったらしいが)。私が代わってから、家にあるあり合わせの白封筒やダイソーの封筒を使っていた。 最近は、きれいな包装紙がある時とっておき、それを利用する。これもかなり前のブログで、よっしーちゃんが婦人会で講習を受けて教えてくださった「祝儀袋」の折り方を紹介したことがあるが、それを真似て作っている。なかなか覚えられなくてサンプルを開いて折り直し、参考にしては作る。

 大きさ、折り目、色や模様など、なかなか良い紙がない。写真は、右が「金沢諸江屋」の紙で指揮者のMo先生に、左は「東京ばなな」の紙でピアニストのHa先生に。膨らんでいるので、さぞたっぷりと大金が入っているように、に見えませんか。


「風はどこから吹いて来る」~堀田善衞展

2010-02-23 | 高岡
 堀田善衞(ほったよしえ)(1918~1998)と言う名を聞いて、私が知っていることと言えば、伏木出身のエライ作家で、「広場の孤独」で芥川賞をもらった、と言うことくらい。
 以前から何度か紹介する、米田憲三先生の「文学の舞台を読む・高岡編」で取り上げられると聞き、去年から楽しみにしていた。今年正月3日に放映された「堀田善衞展」に向けての紹介番組(娘さんや宮崎駿親子が登場)を見て、更に期待感をつのらせていた。
 いつもはウイングでの講座が、今回は特別に美術館で開かれ、その後館長さんの解説で展覧会を見るという贅沢な企画だった。
                       
                 

              

 米田先生の言葉を借りると、堀田善衞氏は「とらえにくい、畏れを感じさせる、象の一部に触っているような」作家とのことである。没後10年を記念し、2008年に神奈川近代美術館で展覧会が開かれた。それを観に行き、高岡でもぜひ展覧会を開きたいと強く思った、と言われた。

 堀田氏は、伏木で「鶴屋善右衛門」の屋号で回船問屋を営んでいた堀田家の3男坊。釧路荒野で捕えられたつがいの鶴が庭に放たれ、鶴屋の象徴だったと言う。 
 氏が小学生の頃、生家は没落、丘の上の小さな家へ転居する。そして金沢二中へ進学(当時高岡中学は三大ストライキ学校だったそうだ)し、アメリカ人牧師宅に下宿、英語で生活するようになる。

 慶応の予科に入るため上京した日が、二・二六事件当日で、強烈な経験をする。軍隊が反乱を起こし、天皇がその軍隊を殺せと命令する、この経験と生家の没落とが重なり、中世の無常観につながる感覚を抱くようになる。
 法学部から仏文科へ転科し、アテネフランセでフランス語を勉強、英語もフランス語もペラペラ、回船問屋に出入りしていた俳人、画家、能役者から自然に日本の伝統芸能を知り、琴、三味線、仕舞も習ったそうだ。ただ文学者と言うだけでなく、まさにコスモポリタンだった。
 小説だけでなく、戯曲、伝記、評論、詩、書簡集など、作品は数多い。

 34歳: 「広場の孤独」と「漢奸」で芥川賞を受賞。
     (翌年映画化)  
 38歳: 日本文人会議より平和文化賞を受賞。
 40歳: ラジオドラマ「日本の天」で芸術祭奨励賞を受賞。
 42歳: ラジオドラマ「過潮」で芸術祭奨励賞受賞。
 45歳: 団伊玖磨の合唱・管弦楽のためのに作詞した
    「岬の墓」で芸術祭賞。
 53歳: 「方丈記私記」で毎日出版文化賞を受賞。
 59歳: 「ゴヤ」により、大仏次郎賞を受賞。
 68歳: 「定家明月記私抄」
 77歳: 朝日賞受賞。
     「ミシエル 城館の人」で和辻哲郎文化賞を受賞。
 80歳: 日本芸術院賞を受賞。  

 えら~くなられてからは、こっそり伏木へ帰り、お母さんの
くにさんと国分浜を散歩しておられたそうだ。
 米田先生のご推薦の、ふるさと伏木を描いた作品として:
   「鶴のいた庭」、「夜来香」、「黄塵」、「若き詩人たち
    の肖像」、「奇妙な一族の記録」など。  

 展覧会場では、美術館長さんがまた熱を込めて語られた。堀田氏にほれ込んでおられる。
 最初に、「鶴屋」の船額、子供の頃の家族写真、原稿、書簡、上海時代やヨーロッパ旅行の写真、スペインマドリッドでの書斎の復元、交流のあった作家達との写真などなどが展示されている。

 圧巻は、ゴヤの版画の連作「戦争の惨禍」だ。マドリッドのプラド美術館で「裸のマハ」「着衣のマハ」「カルロス四世の家族」など宮廷画家時代の絵を観てきただけに、同じ画家とは思えない、残酷は戦争の場面の数々。
 氏の評伝「ゴヤ」は、美術専門家も「これ以上の伝記は書けない」と称賛したそうだ。その中に、この版画作品が取り上げられているらしい。   

         

 最後に、スタジオ・ジブリ制作の「定家と長明」。堀田作品から様々な刺激を受けた宮崎駿さんが、「方丈記私記」と「定家明月記私抄」から鴨長明と藤原定家を主人公にしたアニメ映画を想定して制作したイメージボードのコーナー。ストーリーもできており、映画化が間近という感じでもある。乱世に生きる2人を主人公にするとは興味深い。
 堀田氏自身は、無常観が自分の人格形成に影響したと言っておられるが、展覧会を通して感じたのは、とても精力的な作家だったのではないかと言うことだった。

 タイトルは、「伏木中学校の歌」。校歌らしくない、素敵な詩なのでどんな曲かと思ったら、先日、伏木中卒業生のようこ姫さんや、勤務した方たちで歌ってくださった。

「風はどこから吹いて来る」
 風はどこから吹いて来る   丘を吹く風 海の風
 風はどこから吹いて来る   丘を吹く風 海の風
 港の町に育つ仕合せは    風の故郷と行く先を
 マストの鴎とともに知る    倉庫の陰で働く人も
 ウインチ巻いて荷揚げの人も みんな行く手を知っている
 広い世界で働こう        広い世界を知り抜こう
 たとえわれらの町の長い冬  海の色は暗くても
 その暗い重さはわれわれの  心の錨 学んで知るは
 羅針盤
 さあ船出しよう          エンジンかけて
 広い世界で働こう        広い世界を知り抜こう
 風はどこから吹いて来る    丘を吹く風 海の風
   

バレンタインコンサート

2010-02-20 | 音楽
 バレンタインの日に、ちょっと紹介した「バレンタインコンサート」
を遅ればせながら紹介する。2/13(土)富山市北日本新聞ホー
ルで開かれた「バッハアンサンブル富山」のコンサートだ。

 昨年は、富大の講堂で、ヘンデルの「メサイア」全曲を演奏され
た実力のある混声合唱団だ。今年は合唱はミサ曲、フルートと
オーボエのソロがあった。
 バスにMiTUのAさん、テナーに元MiTUのKaさん、アルトに元
MiTUのSiさん、市民合唱や「カルミナブラーナ」で一緒だった
Saさんなどがおられる。

 JSバッハ、パレストリーナ、モーツアルトの曲。私たちが「高岡
市民合唱」で歌った、モーツアルトの「レクイエム」から「ラクリ
モーサ(涙の日)」、同じくモーツアルトの「アヴェ・ヴェルム・コル
プス」、MiTUで歌ったバッハの「モテット」より「イエスよ、わが
喜び」。一度歌っているのでより真剣に聴く。ピアノ側の席しか
空いていなくて男声パートしか写せなかった。
 指揮は、ボイストレーナーもしておられる大前さち子氏。
アルトの方たちの口の開け方に感心して見入っていた。

       

 2部は、藤井ひろみさんのフルートソロと田中宏さんのオーボエ
ソロ。ギリシャ神話の朗読も入る。
 さらに、3部はお二人のデュエットで、モーツアルトのオペラ「フィ
ガロの結婚」から、「もう飛ぶまいぞこの蝶々」と「恋とはどんな
ものか」。知っているメロディが出てくると嬉しくなる。

        

 わりと早めに終わったので、帰る途中に噂の「珈琲哲学」へ。
土曜の午後とて超満員。若者グループが多いが我々年配者も、
ご夫婦も。コーヒー愛好者は年齢に関係ない、と言うことか。
                            (トップは外観)   
 入り口に、「元気よく営業中」と札が下がっている。中に入ると
正面に、
   「愛のように甘い、地獄のように熱く、悪魔のように黒く、
    天使のように純粋な、そんな創造的な「珈琲」であり
    続けたい」 とかっこよく書かれた文字が…。

ピアノ演奏の時間もあるようだった。

           

「黄金の都・シカン展」

2010-02-19 | イベント
2/1日のブログに書いたが、1月最終土曜日の午後、テレビで
「赤道大紀行」の番組を見た後、偶然、続けて「古代アンデス
大発掘」と言う番組を見た。MiTUのSeさんから招待券をもらっ
ていた「シカン展」の紹介だった。

 バッハ・アンサンブルのコーラスも聴きたかったし、一日富山
行きを計画し、MiTUのSaさんを誘った。前日、急にYaさんも希望
され、3人で富山へ。2/13(土)、今月もお茶が休みで、土曜日
が自由に使えて嬉しい。

 ペルー中央山地のインカ帝国(1250頃~1533、首都はクスコ)
はスペイン人ピサロによって滅ぼされた。その約500年前、更に
北方海岸のパタングランテに「黄金国家の都」があったのでは?
と考える1人の考古学者がいた。
 彼の名は、日本人の島田泉さん(南イリノイ大学の教授)だ。
彼は、推測に基づき発掘を始め、30年の年月を費やして、1000
年間埋もれていた遺跡を発掘した。

 テレビでは、彼が現地入りし住民達の協力を求める場面から
紹介された。展覧会場内でもテレビ画面で、経過、発掘調査の
様子、いろいろな科学分野からの分析、などが報告される。
 「シカン」の名前は、島田教授の命名、先住民の言葉で「月の
神殿」の意味だそうだ。

 映像で紹介された「逆さミイラ」(頭を下にして逆さに埋葬
されたミイラ)はさすがに展示されていないが、「黄金の仮面」
「アーモンドアイ(釣りあがった目)」の彫り物の器、ナイフなど
数多く展示されている。撮影禁止なので、写真は絵葉書とパン
フより。

「黄金の儀式用ナイフ」・ 「黄金の大仮面」ロロ神殿東より発掘 


   「黄金の胸飾り」布に縫いつけられていたもの
    

           「大型魚の単注口壺」土器 
 

         高純度黄金製「卵を抱いた蜘蛛」 
      

 他に、ピンク色の「ウミキクガイ」、砒素銅(青銅)製品など、
文字がないので、模様や道具から生活様式や交易の様子を想像
すると言う。
 トロイ遺跡を訪ねた時、ドイツ人シュリーマンがホメロスの叙事
詩からその実在を信じて発掘した、との逸話を聞いた。彼は考古
学者じゃなかったので、最初はメチャクチャに掘り、遺跡が破壊
されたと言う話をガイドさんが話していた。
 島田教授が発掘の後、丁寧に土を返して埋めなおす場面が印
象的だった。

 最後に、パタングランテより南方、エル・ブルボ遺跡で発見され
た「シカンのミイラ包みと銅製の仮面」。あぐらをかいた、地元の
支配者のミイラを包んであった布。

       

 これだけは「本物」のアルパカの毛。アルパカはパコとも言う。
南米アンデス山岳地帯の家畜。食用、毛用。毛は長く光沢に富む。

          
   

 マチュピツにもクスコにも行けないが、想像して満足して帰った。
「シカン展」は昨年上野の国立科学博物館、熊本で、富山展は
3/7まで。この後高知、更に全国を回る。

一日そば打ち体験

2010-02-18 | 食物

 昨年何度か、元職場のリタイア組厚生会の「ハイキングクラブ」から山歩きに連れて行ってもらった。その時一緒になった若い方から「面白いよ、お風呂もあるし、おそばのお持ち帰りもあるよ」と紹介されたのが、八尾「ゆめの森・ゆうゆう館」のそば打ち体験だ。
 年一度届く県内施設の割引券の中に1枚付いている。私が使うのは、せいぜい美術館と日帰り入浴券くらい。海の家、ボウリング、パークゴルフなどの割引券は皆捨てていた。そば打ち券ももちろんそうだ。

 以前、県政バスで利賀のそば打ち体験をしたが、面倒くさくてほとんど傍で見ていた。八尾では、必ず1人で5人前打つと言う。ようこ姫さんがお世話してくださり、なんと2度続けて行くことになった。
 2/12(金)、笛とブログの仲間5人で。その日のために、ごみ当番をお向かいさんと交代してもらう。「ゆうゆう館」に10時集合。私は風子さんの車で。その日は、生徒が7人、先生は2人。

                  下は、先生のお手本。
               

  
           打ち水したそば粉を「あおる、すり合わせる」作業。
           

               次に「こねて」、球に丸めます。
          

                押さえて平たくします。
          

             回しながら、手の平の腹で30cmの大きさに。    
            

                 いよいよのし棒で。   
           

                包丁のずらし方にコツがある。 
            

 ここまでは先生のお手本。それを見ながら一区切りずつ自分で作業する。「先生~、見てくださ~い」と言いながら。
 下は、私の作品。お持ち帰りの4人前だ。トップは1人分ずつ茹でてくださった「ざるそば」。先生曰く、「蕎麦は『挽きたて』『打ちたて』『茹でたて』の『3立て』が一番美味しい。」
 いやぁ、面白かったし、美味しかったです。
           

 お風呂も温まる良い温泉。無料休憩室で、姫ちゃんのかぶら寿司、風子さんのとち餅、私の蓮根せんべいを食べながら無料のお茶をお代わりして喋ってきた。外は1日中雪の舞う日だった。

 21日(日)に再度行きます。今度は少し上手く打てるかな。


高岡能楽会・総会

2010-02-15 | 能楽
 リタイア後、能楽の太鼓と謡を始めてはや8年になる。公民館の
教室だからと、今まで「高岡能楽会」にも入らずお稽古し、公民館
まつりだけでなく、先生方のお浚い会にも出させてもらって来た。
 公民館3人娘(?)が、今年から能楽会に入会したのは、先生方
が会員減少を嘆いておられるのを知り、長い間お世話になってい
るので微力でも、と思ったのと、私の場合、後5年は続けようとの
決意もある。

 と言うわけで、3人とも今年の総会に出席した。会員謡曲大会
も併催され、3人とも初めてだからと、「右近」の地謡に出ること
になっていた。
 Siさんと私は、初めて自分で袴を穿く日でもあり、2番目なので
早めに青年の家に行った。二人でワアワア言いながら着るので、
結局周りのベテランの方にほとんど結んでもらったのだが。

 仕舞が一つ「井筒」、番外舞囃子が一つ「船弁慶」の他は、
素謡ばかりで、各会から出られるので、上手な方ばかり。


              

 予定通り3:30から総会が始まった。出演された方も終わると
帰る人が多いので偉い先生方ばかりだが、3人とも初めてだから
一度は出てみようと最後まで座っていた。

 高岡に観世流の先生がおられないのか、高岡能楽会は宝生流
とお囃子の会のようだ。
 普通の総会と同じく、事業報告、会計報告など。会則の一部
変更もあったが、何よりも大きな出来事は会長さんが変わられた
こと。楠顕秀さんが約10年能楽会の会長さんを務めておられた。
その前は、佐藤高岡市長だったそうだ。楠さんは2,3年前から
健康上の理由で辞任を希望されたが、後任が決まらず、今度、
ようやく高橋高岡市長が引き受けてくださり、ホッとした様子で
挨拶された。(トップの写真)感謝状の贈呈式も行われた。

 その後、なおらいの会もあったが、我々はもちろん帰った。
出番は15,6分なのに朝から一日いたのは初めてで、さすがに
疲れた。仲間がいるからこそである。

私のバレンタインチョコ

2010-02-14 | 日記・つぶやき
 週の前半は暇だ暇だと読書三昧の毎日だった。週末にいろいろ
行事がたて込んだ。

 金曜日は「そば打ち体験」、土曜日は「シカン展」とコンサート、
日曜日は「高岡能楽会・総会」だった。(追い追いと書きます)

 さて今日は、2/14日、バレンタインデー。私がいただいたチョコ
レートを紹介します。

 12日(金)、ようこ姫さんのお世話で、ブログの仲間とお笛の
仲間(私は笛はやっていないが、お囃子の会で時々一緒になる)の
5人で八尾、「ゆめの森ゆうゆう館」へそば打ち体験に行った。
自分の打ったお蕎麦をいただきお風呂へ入り、休憩室で一休み。

 ようこ姫さんが、「風邪薬と胃腸薬とどっちがいい?」「どっちも
要らんわ、家にあるし」と私。
 さすが勘の良い風子さんが、「あ、この間の?」と言うわけで、
もらった風邪薬がコレです。

       

 帰宅後、包装紙を開けてみると…。横の楊子の長さと比べて
ください。カゼグスリじゃなく「ガセネタ10」(パパラッチ推進薬)
だって。英語で”Lie Scoop"と言うの?

            

 翌13日(土)午後、富山、北日本新聞ホールへ、バッハアンサン
ブルの「バレンタインコンサート」を聴きに行った。私たちMiTUの
会員、元会員、市民合唱で一緒だった人が出ておられる。(詳しくは
いずれ)終了後、出口で、合唱団のメンバーさんがチョコの包みを
配っておられた。聖バレンタインの日、確かに曲目はミサ曲が多かっ
た。下は、プログラム表紙とチョコです。

             

冬の読書

2010-02-11 | 
 立春も過ぎて「冬の読書」もないのだが、お正月休み以来の
読書の続きである。あちこちに頼んでいたハードカバー本が
続いて手元に届いた。

 一つは、お茶の仲間のKaさんから借りた山崎豊子の「運命
の人」全4巻、もう一つは、くまさんから借りた村上春樹の
「1Q84」全2巻である。いずれも昨年発刊の新刊本だ。
 私は、退職後は、義理で買う以外はほとんど本を買わない。
すべて図書館で間に合わせているので、「いつでもいいから
どうぞ」と言われて読めるのはとても嬉しい。

 映画やテレビと違い、時間にとらわれずに自由に読めるのが
性に合っている。その時の気分で両方を併読している。
 「運命の人」は1巻が終わり、佐藤首相が公約だった沖縄返還
にこぎ着けたところ、「1Q84」は1巻の半ば、青豆さんと天吾くん
の世にも不思議な物語が交代に進むところ。フィクションとは言え
史実と、ファンタジーがかった息もつかせぬ現代の話を代わる
代わるに読むのも読書の醍醐味だ。

 いずれ読み終わったら紹介します。ブログで何人もの方が紹介
済みですが、私なりに。

冬のカラスたち

2010-02-10 | 日記・つぶやき
 目下、生ごみ当番中。わが班では半月ずつ回す。月に4~5回、
3ヶ月に1度ほど。朝シートを出し、午後片付けるだけなのだが、
カラスとの闘いがある。特に冬は大変。誰も雀のように餌付けは
しないから、彼らも必死だ。先日はお向かいの葬儀も失礼して
時々見張ったので、1,2羽が群がる程度で済んだ。

 ところが、5日(金)は雪もひどかったので、怠けて外へ出ず、
晴れ間に出てみてビックリ。道路いっぱいに食べ散らかし。近所
の若い奥さんが一生懸命片付けておられる。息子さんが4月から
中学生で、説明会があるので仕事を休んだとか。
 「あ~、ゴメ~ン。すみません、私がやるから」と謝りながら、一
緒に始末し掃除した。10羽ほどで漁っていたそうな。石や瓦の他
に、水を詰めた大きいペットボトル8個で重石をしているが、上手
く転がし、シートをめくるのだ。1日中ムシャクシャして、土曜日は
映画を見に行った。

 そして、9日(火)、暖かい雨の日だった。7時にシートを出す。
いつもと重石の位置を変え、ペットボトルを奥へ、追加した石の
ブロックを手前に置く。10時頃からは、ほぼ3,40分おきに外へ
出てチェックした。うん、大丈夫、シメシメ。電線にもカラスの姿は
1羽も見当たらない。

 私はいつも我が家の一番奥のキッチンで過ごすので、道路側の
様子がいまいち分からないのだ。カアカアとかすかに鳴き声が
聞こえ、外へ出た。
 諦めて退散した後らしい。2,3羽で突付いたか。今度は穴だ。
まだ新しいシートなのに、今までの成果でいくつか小さな穴が
開いている。そこから引っ張り出した、ティッシュペーパー、菓子
袋、ラップ、アルミホイルが散らばっていた。穴が小さくて、生ご
みに行き着かなかったのだろう。大したことがなかったが、ちょっ
とした隙だ。敵もさる者。しぶとい。

 シートに水をかけ雑巾で拭いた。穴をガムテープで塞ぐが濡れ
ているからなかなか付かない。応急処置だ。ブツブツ言ってると、
隣の班の奥さん方が、通りすがりに「大変やね~」。

 結局、カーブスも行きそびれ、夜は合唱なのでちょっとは練習
もしたいし、と家に入った。
 夕方、MiTUのSaさんが、頂き物だと、金沢の「落雁諸江屋」の
お菓子を持って寄ってくださった。玄関で喋りホッと一息。さっそく
箱を開くと、加賀野菜の蓮根の煎餅など金沢のきれいな和菓子
が入っていた。左から、唐松せんべい、宝三盆、妙蓮せんべい。

            

 食べるのがもったいないような繊細な風合い。大切にいただきます。

映画「インビクタス・負けざる者たち」

2010-02-07 | 映画・テレビ・演劇・芸能
 一昨日、私が生ごみ当番中に、カラスの大群にごみを漁られ、
道いっぱいに散らかされて1日中クサクサしていた。
 夜、二人の友達から、「おとうと」を見てきた、と感想メール
が届いた。偶然、別々に(たぶん違う時間帯)見に行かれたら
しい。

 昨日の土曜日もお茶は休み、相変わらず雪の日で寒い。
こんな日は、映画に限ると出かけることにした。「おとうと」は
まだまだ続くだろうから、「インビクタス・負けざる者たち」。
クリント・イーストウッド監督、ネルソン・マンデラの話だ。
「グラン・トリノ」の時も見ようと思っているうちにすぐ終わった。
これも早く打ち切られるかも。でも、土曜日だからか結構入って
いた。アカデミー賞の主演と助演男優賞にノミネートされたから
かも?

 アフリカのことはほとんど知らない。近年、「ナイロビの蜂」で
ケニアでの新薬実験の事実、「ブラッド・ダイアモンド」でシェラ
レオネの内乱について知り、驚いた。映画は遠い国の知らない
事を教えてくれる。

 ネルソン・マンデラ、南アフリカ共和国初の黒人大統領だった人、
についても、ただ名前を聞いて知っているに過ぎない。

 この映画は、ジョン・カーリン原作のノンフィクション小説を、
クリント・イーストウッド監督が映画化した、実際にあった出来事
である。マンデラを演ずるのは、「ミリオンダラーベビー」のモーガ
ン・フリーマン、ラグビーチームのキャプテンに「グッドウイル・ハ
ンティング/旅立ち」のマット・デイモンが扮する。

 1990年、マンデラが、「反アパルトヘイト(人種隔離政策)」の
反逆罪で27年間収容されていたロベン島刑務所を出る場面から
始まる。4年後、彼は、初の全人種参加による選挙で、南アフリカ
共和国大統領に選ばれる。

        

 最初の仕事は、前政権の白人の職員を引き留めること。「赦し
こそ、この国の未来となると信ずる」と語りかける。SPにも白人
4名が加わる。

 人種差別や経済格差など山積する問題の中、彼は、南アが1年
後にラグビー・ワールドカップの開催国に決まっていることに
注目し、同国代表が優勝することを目指す。全世界が見守る中
黒人と白人が融合する試合により国民の心を一つにしようと。

 南アでは、ラグビーは白人の競技で、代表チームのスプリング
ボクスもアパルトヘイトを意味する存在だった。緑のユニフォーム
や金のエンブレムを黒人達は嫌っていた。チームは弱く、負けて
ばかり。マンデラは、あらゆる政策に優先してラグビー強化に乗り
出す。その1年間を、映画は淡々と描く。

 スプリングボクスの主将、ピナール(マット・デイモン)をお茶に
呼んで語り合う時に口にするのが、タイトルの言葉「インビクタス」。
「征服されざる者、不屈」を意味するラテン語で4行詩の中に含ま
れる言葉。27年間の獄中での苦しい毎日にいつも読んでいたと、
ピナールの前で朗読する。

 ピナールは「今までに会ったことのない人だ」と妻に語る。そして、
練習を強化し、黒人居住地区で少年たちにラグビーを教え、チーム
みんなでロベン島収容所を訪ねる・・・。

           

 初戦でオーストラリアに勝ち・・・、決勝戦でニュージランドに
延長、延長で勝ち、頂点を極める試合は迫力がある。まさに体と
体のぶつかり合いだ。
 会場の大観衆はもちろん、外でテレビを見ている人達、ラジオを
聞いている黒人の子ども、白人の警備員、みんなが手を取り合い、
肩を抱き合って喜ぶ姿は感動的。

 フリーマンは、穏やかな笑顔を絶やさず、白人たちの中に平気で
入っていくマンデラその人のようだ。
 マンデラ氏は、1993年、当時の大統領デ・クラーク氏と共に
ノーベル平和賞を受賞。現在92歳で、国連ユネスコ大使を務めて
おられるだそうだ。

映画「ゴールデンスランバー」

2010-02-04 | 映画・テレビ・演劇・芸能
 ’08年度の「本屋大賞」の映画化だそうだ。伊坂幸太郎原作の
映画は「重力ピエロ」が面白く、後で本も読んだ。
 監督は中村義洋、海堂尊原作の「パチスタの栄光」と「ジェネラ
ルルージュの凱旋」の監督だ。出演者は、「純くん」の頃からファ
ンの吉岡秀隆、最近ファンになった堺雅人、香川照之、その他も
なかなかの脇役陣だ。と言うわけで、若者たちの映画ではあるが、
昨秋チラシを見た頃からぜひ見たいと楽しみにしていた。

 タイトルの「ゴールデンスランバー」は、ビートルズナンバーの
”Golden Slumbers”(黄金のまどろみ)から採ったもので、主人公
ら4人の仲間(青柳:堺雅人、森田:吉岡秀隆、小野:劇団ひとり、
晴子:竹内結子)が、この曲を聴きながら、学生時代を過ごした。

 先週、Saさんから声がかかり、水曜日の午前に行くことに決定。
風邪がすっきりしないが、暖かくして出かける。レディスデイで
結構混んでいた。

 舞台は仙台。オール仙台ロケだそうだ。最初のシーンが仙台駅
前。最初から緊張の場面で、ハラハラドキドキと一気に盛り上げる。

        

 最初の場面しか出ない(後は回想シーンにチョコチョコだけ)が
話のきっかけを作る大事な役、吉岡秀隆の死を覚悟した緊迫感
あふれる演技に胸が痛む。

 親友の森田に呼び出された青柳は、野党初の首相の凱旋パレ
ードの最中、頭上でラジコンヘリが爆破し、首相が暗殺された
事件の犯人に仕立て上げられ、銃を向けられる。とっさに走り
出した青柳は仙台の街の中を逃げ回る。
 学生時代の友人、元恋人、職場の同僚、ニュースを見た他人
の手助けや励ましの中、逃げ通す。最後の下水道(この場面は
アンジェイ・ワイダ監督のポーランド映画「地下水道」を思い出す)
の場面や花火の場面が圧巻だ。

 青柳の父親(伊東四朗)が報道陣に囲まれ、「私はアイツが
素っ裸で生まれた頃からよく知っている。母親はそのもっと前
腹の中にいる頃から知っている」と息子を信頼して言う言葉が
いい。

      

         

 結局、誰が仕組んだかは明かされない。新首相暗殺が目的の
わな、金大中事件を思わせる大きな権力か?
 素直で優しく、平凡な宅配ドライバーだった青年に、突如大災難
が降りかかり右往左往する。警察に立ち向かって助けるのも、
優しい庶民達。楽しい会話や心にしみる言葉が、何気なく語られ、
心が和む。青柳は、整形をして別人になり…というところで終わる。

 あまり難しく考えないで見るに限る。ほんとにほんとに面白い
娯楽映画です。(写真はすべてチラシからで見にくいですが)

子ども店長

2010-02-02 | 食物
 1月最後の日曜日、音訳ボランティア「あかね」の新年会だった。
これで新年会もおしまいだ。場所は「わはく」。お茶の新年会と
同じ場所、部屋まで同じだった。食べるより喋る方に忙しく、賑や
かなのも同じ。ただ、話題がすこ~し違うかな。
 私の年齢が、お茶の会では真ん中より下、あかねでは真ん中
より上になる。年齢は関係ないとは言うものの、あかねではより
活動的な話題になる。

 さて、「わはく」を出て、アルプラザの「ココス」でお茶をと思った
ら、日曜の午後とて、駐車場は超満員。4台止めるのはとうてい
無理と、またまたお決まりコースで「ニューモンブラン」へ。

 丸いテーブルを3つくっつけて10人座れるように席を作って
もらう。今日はぜんざいもある。ケーキを選んでいると、可愛い
少年が「子ども店長です」と挨拶に来た。Haさんが、すかさず
「ワシはこんなとこ来とうはなかった、って言わんが?」少年
はニコニコ。
 「写真撮ってもいい? 」と聞いて、カメラを取りに行って
戻ると奥で何か書いている。持って来たのは「子ども店長」と
マジックで書いた紙。OK.撮るよ! ハイ、チーズ。 そう言えば、
清史郎くんに似ていますね。                                              
            

 日曜日で小学校はお休み、看板娘ならぬ看板ボーイだ。まだ
手伝いはできないけど、店に出るのが好きなのだろう。

 下は、ぜんざいと洋ナシのタルト。


                  

 ミニギャラリーでは、北山知絵子さんのクレヨン画展の飾り
つけ中。下の左が「月」、右は「女の子」。一番下は、動物の
絵葉書。トップは、絵本「空にかいた手紙」です。

 
           

テレビの土曜日

2010-02-01 | 映画・テレビ・演劇・芸能
 1月最後の週末。土曜日のお茶の最後のお休みだ。今日公開
の映画、「ゴールデン・スランバー(Golden Slumber)」を見る予定
だったが、朝刊を見た途端に変更した。

 テレビの週間番組案内で、下のこの人の顔を見たからだ。
どこかいつもと違う雰囲気の西村雅彦。ダンディと言うか、にこや
かと言うか…。「赤道大紀行」で12万キロを旅した、と小見出しが
ついている。その日の午後2時、TBS系で。「不毛地帯」と「龍馬伝」
以外はほとんどテレビは見ない。まして日中見ることは、まずない
のだが、今日は「最終章」で東南アジアの国々とのことで見たく
なった。映画はいつでも見られる。
            

 一昨年から始まった3年越しの番組で、赤道沿いの国々を訪ね
る企画だそうだ。1年目が南米編、2年目がアフリカ編だったとの
こと。
 3年目の今回は東南アジアと南太平洋を巡る完結編。インドネ
シア、シンガポール、マレーシアは個人旅行で回った国で懐かし
かった。

 西村雅彦の気さくな人柄、子どもっぽい仕草、素直な表情が、
それぞれの土地の人々(動物にも)に受け入れられるのだろう。
見ていて笑いたくなる場面がいくつもあった。

 インドネシアでは、「飯(めし)は無し、魚はいかん、菓子は食え」
と言葉を覚えて納得している。これは、私たちもそう覚えたが、
ご飯は「ナシ」、魚は「イカン」、お菓子は「クエ」と言うのだ。

 印も何もない(当然だが)道路の真ん中で、赤道を歩く子供たち
に声をかけ、ここが赤道だと知っているか、と聞くと知らないと
言う。赤道を示す記念の建物が近くにあり、当時オランダ人が測量
したが、技術が未熟で少しずれているのだそうだ。
 小学校で、子供たちが「赤道の上では、春分の日と秋分の日は
影がなくなる」と言っているのが面白かった。

 ボルネオ島のジャングルでオランウータンの母子に出会う。
オランウータンとは「森の人」と言う意味だそうだ。母親は子供が
自立するまで一緒に暮らし、生活のすべを教える。その前に
母猿が殺され孤児になる小猿が約300頭いて、親代わりに育てる
孤児院がある。1人立ちできると森へ帰すのだ。野生のオラン
ウータンの母親が西村雅彦に腕を回し、抱きついてきたのには
驚いた。「向こうから、ハグしてくるなんて不思議な感じ」と、彼も
複雑な面持ちで笑っていた。

 ボルネオ島のキナバル山(4092m)を1泊2日、11時間かけて
登山、ご来光を拝むたくさんの人達。かなりキツイ登山のようだ。
彼が、登山は初めて、と何度も言っていたが、富山県人なのに
立山登山の経験がないの?ちょっと不思議な感じ。私の実弟の
奥さんが2,3年前キナバル山に登ったと話していたが、改めて
感心した。

 その後、ミクロネシア、ポンペイ島まで一時間半の番組だった。
ところが、更に続けて「古代アンデス大発掘」と言う、考古学者
島田泉教授の発掘調査の番組が続いた。今、県民会館で開かれ
ている「シカン展」を見に行く予定なので、予習を兼ねて見始め
たら5時半だった。内容はいずれまた。
 こんなに長時間テレビを見たのは、久しぶりだ。