Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

「三派能楽鑑賞大会」’13 & 「高岡関野神社」秋季大祭奉納謡曲会

2013-09-30 | 能楽

 8月末の「高岡薪能」の後、9月中に2つの謡曲大会があった。娘の滞在、2度にわたる入院、と何もかもが9月に集中し、多忙な1か月だったが、9月も今日で終わる。

 さて、9/15(日)、高岡文化ホールで「三派能楽鑑賞大会」が開かれた。第2部の能と狂言は娘たちも観ることにしており、指定席のチケットを買っていた。午前から始る第一部は、会員の素謡や仕舞、ちびっこ能楽教室(正式には高岡市ジュニア芸術・文化プレミアム事業「能楽講座」と言う長~い名前)の出演だ。↓は、仕舞。

  ↓は、連調連管「竹生島」。中学に入ると部活動が始まるので、お稽古を続けるのが難しい、これが悩みだとのこと。

  ↓は、私たち「蒼山会」の素謡「絃上(けんじょう)」。お役(師長、村上天皇、梨壷の女御)の3人の若者たちは米島さんの息子さんと愛弟子さん達。完璧に暗記、謡も大変お上手でした。私も地謡を覚えるのにかなり苦労したが、一応暗記して出演できた。(写真はなはさんに撮ってもらいました)

  「絃上」とは琵琶の名前。
 
琵琶の名手藤原師長(もろなが)は、唐へ渡ろうと志を立て、都を出て須磨の浦まで来ます。そこで、塩汲の老人夫婦に出会い宿を乞います。老夫婦が高名な師長の琵琶を所望するので、師長が弾き始めると、俄かに雨が降って軒の板屋を叩きます。すると老人が屋根に苫を葺き、琵琶の音と雨の音を調和させるのです。「これは唯人ではない」と師長が驚き、逆に演奏を頼むと、老翁は琵琶を、老姥は琴を弾じますが、あまりの見事さに自分の未熟を悟り、密かに都にたち帰ろうとします。
 老夫婦はこれを引き留め、我らは村上天皇と梨壷の女御だと明かして、「御身の入唐止めんため」現れた、と言います。昔、「青山」、「獅子丸」、「絃上」と言う三器の琵琶が唐から渡って来た、「青山」は仁和寺に、「獅子丸」は海底に沈み、「絃上」は私が持っている、これをあなたに授けよう、と告げ、下界の龍神を呼び寄せて海底に沈んでいた「獅子丸」をも取り寄せ、秘曲を奏で舞を舞うのでした。

  ↑の、青字の部分の地謡を無本で謡う。調子よく覚えやすいのですが…。ともかく無事に終わった。この後、昼食。なはさんとお喋り。午後の第2部を待った。(能・狂言についてはまたいずれ)

 9/23(祝)、私にとっては両目の手術のちょうど中間、気が動転していたか集中できず、素謡も連調連管「中の舞」も、これまた見事に大失敗の連続で後味悪いことこの上なし。おまけに15分間ずつ4回も正座したので左脚の付け根が未だに痛い。
 それはともかく、↓は、NAさんの仕舞「野宮」。先日、金沢でお能を観たばかり、六条御息所が車を降りて鳥居をくぐったり出たりする場かな、と想像しながら鑑賞した。NAさんのシテは心情がよく表れ、物悲しさを伺わせた。とても素敵な舞でした。
 

 


娘夫婦の旅日記~冨山近代美術館・夢の平・称名の滝

2013-09-29 | 旅行

 2週間の滞在中に、娘夫婦が県内のあちこちをドライブし、その写真をすべて私のパソコンに取り込んで行った。もう一度その中のいくつかを紹介します。どうぞお付き合いください。

 9/12(木)はずっと雨模様だった。富山の近代美術館へ行く、と言う。「今、何やっているかね」と私。「常設展もいいのがあるから…」と娘。ピカソなどをマークに見せたかったようだ。ガラガラだったそうだ。中2階の喫茶ルームも平日は閉店だそうな。     

 その後、どこを通ったのか夢の平に行ったらしい。神通川か庄川か?雨に煙った川の写真がいくつも…。↓の浮島はどこだろうか?      

    

 ↓ 雨に濡れた枝にしがみつく蛙を何枚か撮っている。2匹でニラメッコしていたらしいが、ボケていて…。    

 さて、翌13日は朝から快晴。起きて来てすぐ立山へ行こうか、と言う。弥陀ヶ原か室堂まで行って山を眺めるには最高の天気だ。朝の天気を見て山行きを決めるとは、さすが富山育ち、と、先日使いそびれた半額チケットを慌てて探し、時刻表のパンフを渡し、とやいのやいのと言うのは私だけ。当の本人たちはいたってのんびり。

 結局立山駅に着いたのが遅く、日帰りは無理と「称名の滝」に切り替えたそうだ。何枚も写していたがマークの写真だけアップします。いつか、次回は一緒に行きたいものです。

 


つれづれな日々④~かわいい瓢箪・冬支度・お茶教室

2013-09-27 | 日記・つぶやき

  日々の生活の中でちょっと気になる小さな出来事がある。いくつかたまったそんな記事を、”つれづれな日々”として書くことにしました。今日は4回目です。

 《かわいい瓢箪》
 
9/11(水)、城端へ行く途中にいつものように佐野の「アグリッチ」でお墓のお花を買った。その時、サービスカウンターに↓の瓢箪が。コレは非売品。まつ毛が長く、リボンもかわいい。西藤平蔵の「あぐりぴあ」には売り物があるそうだ。   

 《冬支度》
 9/21(土)、一回目の手術が終わった翌日、アルトの会が「まんよう荘」であった。コワゴワ運転して行く。いい天気で、まんよう荘前庭の木々の剪定が始っている。ちょうど10時過ぎ、昼休みの職人さん達。ずらっと並んで一休み。             

↓は、玄関横の植木。半分すんでいて虎刈り?

 《お茶教室》
 「まんよう荘」でお喋りとパート練習の後、お風呂は諦めて演劇の事務所でシールを受け取り、お茶教室へ。忙しさにかまけ、シール渡しの日を忘れていたのだ。
 ちょうどあっ君のお点前が済んだところらしく、神妙でしとやかなあっ君は元気でやんちゃなあっ君に変身したところ。↓ まず、靴下を脱いで活動開始。
  

 「追っかけっこしようよ!」に応えられるのはANさんだけ。先週はなはさんだったそうだ。二人とも元気だな~。私は口だけで応援。茶々姫さん宅はキッチンとリビングを一回りできる間取り。何度も何度もグルグル回って、↓は、ジュースの時間です。ジュースを片手に、「ガオーッ」とまだまだ元気そのものです。            

 さて、この日の主菓子の「青柿」。       

 さらに姫ちゃん手作りの「小豆の寒天寄せ」。       

 そして秋の花の数々。↓は床の間のコスモスと水引。白いのはシュウメイ菊?      

 ↓はリビングのヒガンバナとムクゲ。紅白がきれい。    

 ↓は玄関のりんどうと水引ともう一つは?

 もうすっかり秋ですね。 


「ハリー・ポッター」を卒業

2013-09-26 | 健康

 50年以上ハードコンタクトレンズを使用しているが、矯正視力が出なくなりもう限界になった。運転免許の更新はできたものの実際の運転が心配になり、白内障の手術をすることにした。7月初めに真生会眼科へ行った。私の周囲には、この病院のアイセンターで眼の手術(白内障ばかりでなく)をした人がとても多い。ざっと数えて6,7人。いろいろ話を聞き、慎重に準備をして初めて真生会病院へ行った。
 8月は、行事も少なく私としては暇な月。その頃の手術を予定していたが、名医のTA先生いわく「あなたの眼は規格外の眼です」で、いろいろな検査が続き、9月中旬まで延びた。しかも、9月は私の謡や太鼓の会の舞台が重なり、入院日数を長くとれず、片目ずつ2度入院することにした。せっかくサポートのため来日した娘たちだが日がずれてしまい、帰った2日後の9/19(木)、義妹に送ってもらい入院した。

 個室を頼み、ビジネスホテルよりゆったりとした部屋で快適だったが、やはり手術は怖い。小さな脂肪の塊を切開して取った以外は手術の経験は全くない。前日からドキドキだった。局所麻酔なので、声も音もすべて聞こえる。片目は覆われているが明るい光がずっと見え、もちろん痛くはないが眼がえぐり取られるようだった。
 翌日、眼帯を外してビックリ。右目がこんなにスッキリ見えるなんて。朝、起きると同時に枕元のメガネを手さぐりで取る、そして壁の時計を見る。この動作はハリーと同じ。いつも映画を見て、私と一緒だ、と思っていた。が、もうメガネは要らない。外出時のコンタクトレンズも要らない。なんか不思議な感じがする。

 24日(火)、術後の診察に行った。両目が終わり、さらに不都合があれば(あるはずなのだが)次の処置を、とのことだった。

 さて、この日は自分で運転して行ったので、病院内のレストラン「グリーンハット」(トップ写真)で食事をした。外から見ると緑のとんがり帽子の建物だ。中から見ると吹き抜けになっている。前回同様、この日も「カニ玉定食」を注文した。オヤ、”ご自由にお取りください”コーナーがいつもより多いぞ。いつもは福神漬けや紅ショウガ、昆布の佃煮くらい。今日は…。
 ↓は、左からふ
かしジャガイモ、大学芋、大きなバットの中は蒸しなす。 

 先日、MiTUのHOさんが、茄子を茹でて生姜としょう油で食べると美味しいよ、と言っておられた。ここのは皮をむいてから蒸すそうだ。薬味は、生姜、葱、茗荷のみじん切り。しょう油をかけて食べる。食材が多い時に、このような臨時のおかずが出るらしい。この日は特別多かったそうで、よかったですね、と言われた。 

 


映画「少年 H」

2013-09-25 | 映画・テレビ・演劇・芸能

 前から見たいと思っていた映画「少年 H」があと二日で終わる、と聞いたので慌てて見に行った(実際には、まだ上映中)。ちょうど娘たちが新穂高温泉へ行った日である。
 ↓は、「喜久屋書店」の店頭に並んだ文庫本。私は、発刊当時図書館で借りてハードカバー本で読んだ。
  

 今度、水谷豊と伊藤蘭のご夫婦が共演して話題を呼び、さらにモスクワ国際映画祭で特別作品賞を受賞した。ポスター、ちらし、新聞の写真を中心に簡単に紹介します。                  

  昭和初期、神戸。洋服の仕立屋を営み、柔軟な考えを持ち、家族を温かく見守る父親、盛夫(水谷豊)。大きな愛で家族を包むクリスチャンの母親、敏子(伊藤蘭)。そんな二人のもと、好奇心旺盛に育つHこと肇(吉岡竜輝)と妹の好子(花田優里音)。                   

 戦争が始まる頃から、戦時中、終戦、戦後の日本の様子が、この妹尾一家を通して丁寧に描かれます。つましく、幸せに暮らしていた家族が戦争に巻き込まれて行く様子です。            
 私自身は、昭和21年4月に♪国民学校1年生~♪(こんな歌がありました)になっているので、戦後世の中がすっかり変ったことも、教科書を印刷物でもらい家で綴じたこと、一部墨を塗ったこと、我が家の2階に疎開の2家族がすんでおられたことを覚えているくらいです。
 最近、NHKで「おしん」や「純情きらり」の再放送を見て、戦中戦後の国民の生活のドラマに涙していますが、この映画ではもっと詳しく、しかし淡々と描かれます。

 Hが慕う近所のうどん屋の兄ちゃんが政治犯で逮捕され、元女形の旅芸人だったオトコ姉ちゃんに召集令状が来て入隊するが脱走し、自ら命を絶ちます。そんな姿をHは目の当たりにします。
 そして、神戸の町で外国人の洋服も仕立て、外国人の知り合いも多かった盛夫が、ニューヨークから届いた絵葉書が原因で、スパイ容疑者とて捕えられます。警察で拷問を受ける盛夫。嫌疑は晴れ帰宅しますが、大事な指に怪我をします。家族に黙っている盛夫。でもHは気づきます。

 中学に入ったHは軍事訓練ばかりで不満、しかも教官に睨まれてしまいます。妹好子は泣く泣く疎開し、母親敏子が隣組の班長になり率先してバケツリレーの訓練をする…。盛夫も消防署に勤め、一家皆が戦争に巻き込まれて行きます。

 ついに神戸が大空襲を受けた時、教わった通り夢中で防火用水で消火をする敏子とH。家は燃えますが、盛夫は焼け跡からミシンを見つけ出します。修理して磨いて、動いた、と喜ぶ4人です。    

 一家4人が潜り抜けた戦争、すべてを失ったけれども、4人とも無事に生き残れ、新しい生活を始めるところで終わります。

 原作:妹尾河童  監督:降旗康男  脚本:古沢良太
 その他の共演者:小栗荀 早乙女太一 原田泰造 佐々木蔵之助 
            國村隼 岸部一徳


娘夫婦の旅日記~奥飛騨

2013-09-24 | 旅行

 2週間の滞在期間に、一泊旅行を2回計画していた。最初は奥能登、2度目は奥飛騨。「奥」のつく所ばかり、なぜか秘境が好きなようだ。

 9/9(月)、新穂高温泉に向けて出発、中尾温泉のペンションに宿泊したようだ。夜、近くの他の宿の露天風呂に入れてもらったりして、マークも念願の温泉を楽しんだらしい。帰宅後写真を見せながら、いろいろと話してくれたが憶えている所だけ辿ってみる。

 ↓は、「北アルプス大橋」。中尾高原と鍋平高原を結ぶ全長150mのアーチ橋。 晴れた日は錫杖(しゃくじょう)岳・笠ヶ岳などの北アルプスを見渡すことができる絶景スポットだそうだ。    

 この日は、山々はよく見えたらしい。↓の左は、「錫杖岳」か?    

     

 ↓は、足湯を楽しむマークと川に入る娘。

                  

 ↓ 平湯大滝にも寄ったらしい。落差64m、夏は水しぶきを上げて落ちている。厳冬期は氷瀑になり、2月には「平湯大滝氷結まつり」が催される。 

 

 

 北アルプスの山々が一望できる新穂高ロープウエイには、時間かお金がなくて登れなかったらしく、残念がっていた。
 そのせいか2日目は早く帰って来て、すぐに伏木まで行くと言う。{海岸通り」でなはさんやようこ姫さんと偶然会ったようだ。ちょうど豪華客船クルーズ”ボイジャー・オブ・ザ・シー”の出航時間に近かったそうで伏木埠頭は賑わっていた。
         

        

 高岡商業高校の吹奏楽演奏や花火打ち上げがあったと言う。手を振って見送って来たと嬉しそう。船上で手を振っている人たちが見えるだろうか。       

         


城端・桜ヶ池へ

2013-09-23 | 自然・海山草花

 9/11(水)、娘夫婦と城端へ行った。お墓参りと7月にご主人を亡くされた分家を訪問。娘がこの機会にぜひ訪ねたいと言うので3人で出かけた。

 帰りに「じょうはな座」に寄る。ここはホールと研修室などがあるちょっとお洒落な和風の文化センター。↓ 今日は2階の練習室でお琴の練習があるらしい。    

 ↓ 曳山祭りの壁の前には「恋旅」や”True Tears”のアニメのポスター。        

 ここは南砺市。4町と4村が合併した。↓は 南砺市のキャラクター「なんとくん」。雷様みたいな回りの玉は8町村を表しているんだって。
 この受付で、3日後の「むぎや祭り」のパンフをもらったが、行けなかった。
         

 桜ヶ池まで足を延ばすのがお決まりコース。今日は池のほとりまで行った。
 ↓ 池の周りはとても静か。ボートも遊園地の広場も誰もいない。        

        

 

 ↑の池のほとりに釣り人が一人。「釣れますか?」 「いいや全然ダメです。」
 「自遊の森」で泊まって研修をしているらしい若者のグループがいたが、熱心に話し合いをしていて声をかけられない。↓は、「桜ヶ池公園」。いくつも遊具が見られるが今日は誰もいない。平日だからか子どもは誰もいない。         

 しばらく散策後、クアガーデンに入る。ここは、温泉プール、レストラン、ホテル、結婚式会場などがある。レストラン「ジョウハナーレ」は幸いにもまだランチタイム。テーブルはそこそこ埋まっていた。ランチセットを注文した。1600円。↓は、スープとサラダ。

                    

 ↓は、左がマークの「おがやポークの網焼き」、右が私の「鮮魚の盛り合わせ」、 娘はコーヒーのみ。

                         

 ↓は、コーヒーとデザートを前に。

         

 その後は、SAショップ「よってか~れ」に入り、買い物。
 
↓ 城端絹のスカーフを二つ買った。娘はりんごを一袋買っていた。                    
 

 池のほとりまで行ったのは久しぶり。私の中学生の頃溜め池として造られた池だ。子どもの小さい頃は、実家の母や家族でよく来た。懐かしかった。


映画「許されざる者」

2013-09-22 | 映画・テレビ・演劇・芸能

 9/4(水)夜、若い友人NOちゃんから電話があった。明日の試写会の券が2枚当たった。一緒にどう?と。ちょっと急だが、たまたま娘たちが能登へ泊まりに行く日。都合はいい。二つ返事でOKした。

 それが「許されざる者」。クリント・イーストウッドの”Unforgiven”のリメーク版だそうだ。渡辺謙の主演、くらいの予備知識で観に行った。(写真はネットから

 舞台は明治維新期の北海道。
 江戸幕府側の残党、釜田十兵衛は、かつて、"人斬り十兵衛"と恐れられ、女子供であろうと容赦なく斬り捨てる伝説の男だった。
 だが、そんな過去を封印し、北海道の地でアイヌの女性と結婚し、今は人里離れた土地で、子どもたちと農業をしてひっそりと暮らしていた。しかし、3年前に妻を亡くしてからは2人の子供を養っていくのも難しいほど、貧しい暮らしが続いていた。
   


 そんな時、昔の仲間、馬場金吾が賞金稼ぎの話を持ってきた。金吾はかつては一緒に戦った仲間で、十兵衛と常に行動を共にしていた良き理解者でもあった。十兵衛の怖さも優しさもよくわかっていた。        

 「一緒に来てくれるだけで良い!」という金吾の誘いに応じ、子供たちのためにと、賞金首のもとに向かう。ただし、人斬りはしないという十兵衛の意思は固く、刀は使わないという意思は変わらない。

 道中、アイヌの沢田五郎を仲間に入れて、たどり着いたのは札幌から遠く離れた鷲路の町。この町を、大石一蔵が支配者として牛耳っている。           
 

 この3人めの仲間が最後まで誰かわからなかった。よく言えば、「七人の侍」の三船敏郎を思わせる?それが、「誰も知らない」の柳楽優弥、しばらく見なかったがずいぶん成長したものだ。そして賞金首の開拓民の若者に(これも最初わからなかったが)小沢征悦と三浦貴大。2世二人が憎まれ役、汚れ役を演じているのもちょっと驚き。

 先日、テレビでオリジナル版を放映していたし、これ以上あらすじは書かないが、2時間余り緊張の連続だった。凄まじい殺戮場面もあるのだが目が離せない。未開拓の地、広大な北海道の映像も素晴らしかった。
 愛する子どものため、虐げられた女郎たちのため、無残に殺された友人のために再び刀を握る十兵衛に共感も感じるが…。

 だが、最後にスッキリしなかったのは、タイトルの「許されざる者」って、誰のことなのだろう?英語のタイトルが”Unforgiven"なのだから、「者」、「人」とは限らないのではないか。許されざる「行為」、「事柄」なのかもしれない。とすれば誰のどの行為を指すのだろう?人間は誰でも、と言うことなのか?と考えてしまった。      

 監督は「フラガール」、「悪人」の李相日監督。
 主人公十兵衛役に渡辺謙が主演し、柄本明、佐藤浩市、柳樂優弥、忽那汐里、小池栄子、滝藤賢一などが共演している。上映時間は135分。 


つれづれな日々③~星めぐりの歌・「音楽室」コンサート・赤い実

2013-09-21 | 日記・つぶやき

 娘夫婦との同居生活が2週間続いたこともあり、パソコンを開く時間が限られ記事がいくつもたまってしまった。ようこ姫さんの”ちっちゃな話”を真似て、日常の小さな記事を”つれづれな日々”に書くことにしました。今日は3回目です。

 《星めぐりの歌》
 
9/20(金)、一泊入院から帰り、録画してあったテレビの朝ドラ「純情きらり」と「あまちゃん」を2日分見た。今まで「あまちゃん」に2度ほど、「星めぐりの歌」のBGMが流れたことがあった。が、あれ?と思うほどの瞬間だった。
 それが、9/19(木)放送分の↓の画面に、今度はしっかりとゆるいテンポで「星めぐりの歌」が流れたのだ。宮沢賢治作詞・作曲のきれいなメロディーだ。↓は、あきが津波の被害にあった”海女カフェ”を見に行く場面。

 そして北三陸鉄道の電車を1両だけでも動かそうと頑張る駅長。雪の中を走る電車。地震後まったくいなくなったウニが、稚ウニの放流により2年目の夏には岩が見えなくなるほどたくさん成長していた。               

 そんな一連の話の流れに「星めぐりの歌」はしみじみとした感動を呼び起こします。最終回まで何度か流れるのでは?見ておられる方、ちょっと注意して耳をすませてください。

 《「音楽室」コンサート》
 9/14(土)、MiTUのバスのTAkeさんから、彼が所属しておられるもう一つの合唱団「音楽室」の結成20周年記念演奏会のチケットをいただき、聴きに行った。同じバスのTAkaさんは、私どうよう翌日の「三派の能楽大会」で素謡に出られるはず。連日の舞台とは大変だな~、皆頑張っておられるな~と感心しながら聴く。
 この合唱団は、MiTUより団員の年齢が若いせいもあろうが、澄んだきれいなハーモニー。”Stand by Me"や”A Whole New World"などの映画音楽はもちろん英語で。団員数は20数名で我々よりは少ない。少ないだけ各パートに責任がある。第ステージの”ネルソン・ミサ(ハイドン)”が素晴らしかった。我々の今取り組んでいるミサもこのくらいに仕上げたいもの。
         

               

 《秋の赤い実》
 秋を彩る紅葉はまだもうしばらく待たねばならないが、あちこちで真っ赤な実が目に止まるようになった。

 ↓は、「風の盆」の日の八尾の民家の軒先で。コレ、なんでしたっけ?

 ↓は、9/9(月)、娘たちが出かけた奥飛騨で。たぶんヤマボウシの実では?  

 ↓は、私も一緒に出かけた城端桜ヶ池で。”よってかーれ”の前に街路樹のように何本も植えてある木にビッシリ実をつけていた。ピラカンサのような実。店の人に聞いたが、ど忘れでわからずじまい。どなたか教えてください。  

 


つれづれな日々②~色野(しきの)の会絵画展・Tパズル・しろえび天丼

2013-09-19 | 日記・つぶやき

 《「色野の会」絵画展》 
 
9/7(土)、ANさん、なはさんと一緒に、高岡駅前の画廊「七本杉」の”色野の会”絵画展を観に行った。友人のSAさんがこの会で絵を描かれるようになりもう数年経つ。今年も太田先生はじめ10数人のメンバーの力作がそろった。
 ↓は、先生の”Layer"。

 ↓は、SAさんの”ingredient" 。今からお料理する食材、と言うところか。    

 ↓は、”宵のふぜい”。マンドリンを奏でる女の子。くつろいだ雰囲気。    

 ↓は、”サリーの女”。無造作な髪型がいい。肩の線がすてき。ちょっと緊張した面持ち?     

 そして、他の方の作品でうまく写真が撮れた絵だけ。左は”カルミアとレモン”、右は”人形”。             
 《Tパズル》
 9/5(木)、娘たちが泊まった珠洲市のホテルの部屋にあったパズル。気に入ったと売店で買って来た。The-T ”脳は使えば活きる” とある。  

 使ってみた。難しい。↓は、4個のピース。これだけ使って40ほどの形を作る。12番は、箱に収める時の組み合わせ。  

 ↓は、12番の答え。 

 ↓の26番と27番がようやく成功。 

 ↓は、26番の答え。 

 実物のピースがないとトライできませんね。木の感触がやさしく楽しめます。

 《しろえび天丼》
 9/3(水)、
八尾「風の盆」の3日目、川越から祭り見物に来たTOさんは昨日に引き続き、この日もランチは駅前の「みよし」にしよう、と決めている様子。
 
「では」と、古洞の森の湯でくつろいだ後駅前へ来た。雨が強くなり駐車場から走る。居酒屋・割烹、とあり、おまけに宿屋でもあるようだ。

  最初、TOさんに「しろえび天丼」が美味しかったと聞いた時、「八尾でしろえび?と思ったが、目玉メニューが「しろえび」だ。かき揚げではなく、しろえびだけ。私は、しろえび天うどん。  
 TOさんはしろえび天丼。


グッバイ  ボトルズ!・リサイクリング & 「マーク・セフトン展」

2013-09-18 | 日記・つぶやき

 9/17(火)、約2週間滞在した娘たちが帰る日。朝、キッチンに入ると流し台の上に瓶が4本、きちんと並んでいる。その前には瓶のふた、お隣に卵の殻?          

 そう言えば、昨夜寝る前に私が戸棚を片づけている後ろで、マークが何か真剣にやっていたようだが?さてはコレだったか。ワイン瓶が2本、ウイスキーが2本、それぞれ冠をかむっている。それぞれ拡大して見てください。左からチーズの紙パックを折った飛行機、チーズケースの扇子、食パンの袋をふくらませて…。卵の殻には、”Me Too Please!”と書いてある。そこへマークがニコニコ顔で起きて来た。常にユーモアを忘れない人だ。私は驚くばかり。あまり喜ぶものだから彼も嬉しそう。  
 4月と今回の滞在中に、リサイクリングする物を覚えたのだ。紙類、プラスティック容器、金属類。瓶は”不燃物”の日に出す、など。      

                            

    

 台風一過、外は秋晴れの青空。帰る頃になりやっといいお天気になったね~、と娘も呟く。昨日、レンタカーを返したので、私の車で北銀大門支店に寄る。最後の額縁ができたのが金曜日だったのだ。土日月と銀行は休み。帰る日に搬入となった。新しい絵は、ガラスの入った額なのできれいに撮れないが。    

 ↓の左、紹介文の横2点、テーブルの上の3点が油とパステル、鉛筆の原画です。    

 後は、今までと同じパネル。    

    

 18日(水)からは、新しいレイアウトで原画5点が見られるでしょう。

    「マーク・セフトン展」:

    北陸銀行 大門支店(大門福祉会館1F)
    9/2(月)~9/30(月)


「風の盆」 ’13~3日め

2013-09-16 | 富山

 9/3日、いよいよ最終日。今夜はなはさんも一緒だ。朝からいい天気。これなら立山も行ける?と思ったが、TOさんの「山へ行けば、たくさん歩くよ。今夜も歩くから無理では?」の一言でさすがの私も諦めた。彼女は、「平家物語」や「源氏物語」を愛読する傍ら、「山女」でもある。昨年はヒマラヤ・トレッキング・ツアーに参加したとの年賀状が届いた。

 「ではゆっくりしましょう」と、またまた隣のコンビニ食堂で高めのモーニングセットをとり、「八尾ゆめの森ゆうゆう館」のお風呂にでも行くか、と話していたら、お店の人いわく「おわらの3日間は宿泊客のみ」だそう。じゃ、ちょっと遠いけど、森の空気も吸える「古洞の森スワン王国」へ行こう、と決めた。ゆっくり入浴、冷たい飲み物を飲んで外へ出ると、雨になっていた。立山を中止して正解だったな。ここから大門のなはさん宅はそう遠くない、迎えに行ってもいいな、とメールを入れる。午後用事があるので夕方電車で行く、との返事だった。

 駅前の店で昼食。一旦宿に帰り、お茶にし、その後仮眠。隣の大部屋に団体さんが到着した様子で一時賑やか声が聞こえる。そして、なはさんから、台風のため北陸本線で電車が遅れ八尾に着くのは遅くなる、と連絡が入った。町の中で会えるだろうと、私たちは宿を出た。まだ明るいが、町にはそろそろボンボリに灯が入り始めた。

 特設郵便局の風の盆切手や、富山の薬売りの店を覗きながら歩く。なはさんから宿に着いたと電話があり、そのまま街ヘ向かうとのこと。私だけ少し戻り東町と西町の別れ道の所で待っていると、じきになはさんに会えた。ラッキー! もう暗くなっていたのに、雨模様で人出が少なかったからだろう。3人で東新町まで上る。↓は、東新町だけの早乙女姿の女の子たち。         

 ↓ 一踊りをして一服の時間。左の女の子はお母さんに脚絆を直してもらっている。        

 この後、ようこ姫さんに会い、若宮神社のそばの「マリーマリー」の宿にお邪魔した。この日だけ泊り客を受け容れると8月に聞いた。お茶だけでもと、寄らせてもらった。お茶ならぬ冷酒をいただきほろ酔い気分。マリーマリー大坪さん、姫さんと同行のどんちゃんと、お久しぶり!と旧交を温める。お泊まり客の夕食、美食薬膳料理を覗きこんだりもした。(ここでは写真を1枚も撮らなかったのです、すみません。

 皆さんと別れ、再び街へ。小雨が降ったりやんだりで通りはあまり混んでいない。↓は、西町コミュニティセンタ=で。

                  

 ↓は、今町公民館前で。お囃子の皆さん。     

 ↓ 道路を斜めに使い男踊り。 

 ↓ 輪踊り。大人に交じり真剣な面持ちの男の子。 

  この後、宿へ帰る途中で遅めの夕食をとりに店に入る。昼はうどんだったから、今度は玉子丼だ。宿に戻ると、夕方到着された静岡からの団体さんも街へお出かけの様子。私たちは前日同様2部屋使えるのでゆったりのんびり。お喋りの後、12時頃に床についた。2時(だったそうだ)になはさんが出て行かれた。「踊りの様子がわかれば電話するよ」との言葉に生返事をしていた。正直、もう充分、朝まで寝てよう、の気持ちが大きかった。

 2時半だったか3時だったか、ケータイ電話が鳴った。「街流し始っているよ」と。「TOさん、どうする?」と気乗りしない私。「行こうよ」とTOさん。二人ともタフだな~。二人の意気込みに釣られ出かけました。日本の道100選に選ばれた諏訪町の石畳。道の両側にひっそりと座って踊りを待つ人たち。寝ている人も。諏訪町をスタートする最後の踊りを待つ人達だ。
 そのうち、遠くからかすかに三味線の音が聞こえて来た。だんだん近づいて来る。待っていた人たちも静かに動き出す。街の人たちが混じり合い踊りながら鏡町に進みます。3日間の祭りの最後の夜を楽しまれるのです。鏡町のおたや坂を降りた所で踊り納めをして、その後4日の始発電車を駅のホームで見送り、その年の祭りは終わるそうです。ところどころで踊りを見せてくださいます。男女とも笠は背中に背負い、また踊り手でない人も混じり合って。
     

 踊り手の後にお囃子が進み、その後ろを観光客が黙って息をひそめてついて行く。↓は三味線方。 

 ところどころで ♪いっぷくしょまいかいね♪の歌詞が入り、一服になるのだが…。      

 ここでチョッとしたハプニング。一服が長いと思っていたら救急車が来たのだ。消防車も来て火事かと思えば、見物客が溝に落ちて動けないとか。坂の街、八尾。あちこちで通行止めの臨時の柵を見たが、それでも暗がりでわからず危険個所へ入ったか?何が起ころうと皆、静かに待っている。
 そのうち、コースを変えて踊りの列がふたたび動き出した。
      

      

  鏡町に着くと輪踊りになる。唄い手が一人ずつ輪の中に入り唄う。各町内の唄い手さん達が順番に、競うように。        

        

 そして踊り納めの挨拶があり、拍手が起こる。町の人も見物客も一緒になっての拍手。なんか胸にこみ上げるものがあった。TOさん、なはさんに充分満足してもらえたようで嬉しかった。「川越祭りにしろ、他のどこの祭りも、祭りと言うものは賑やかで勇ましいもの。こんな静かなしっとりとしたお祭りがあるなんて感動した」と、TOさんは何度も口にされていた。私としては踊りの輪の中に入れなかったのがちょっと残念。TOさんに、基本の踊りは易しいから覚えて行けば?と数回誘ったが彼女は手を振るばかり。

 今年の観光客は、1日目が12万人、2日目が6万人と聞いた。3日目はどうだったのだろう?
 ちなみに小林さん宅の泊まりは、連泊は8000円です、と言われ、4000円も儲かった気分だった。              


「風の盆」’13~2日め

2013-09-13 | 富山

 1月、東京での城端の同窓会に出席した時、翌日池袋で川越のTOさんに会った。TOさんは学生時代からの親友。当時私は中野に下宿していたが中野駅までバスに乗ると、バス代がとても高く、わざわざ京王線笹塚まで歩き、新宿経由で西荻窪へ通学していた。TOさんの家は中野駅のすぐ近くで、よく訪ね、泊めてもらったものだ。

 いつか尾瀬に行こうなどと話しているうちに、ふと「一度、風の盆を見てみたい」と言われ、「じゃ、街中の宿を聞いてみるから行けそうなら連絡して」と答えた。
 4月頃だったか、行けるから宿を頼むと電話があり、すぐ八尾福島の小林さんに聞いた。今も3日間は宿をしている、素泊まり1万円、今ならまだ大丈夫、との返事だった。
 彼女が、ゆっくりしたい、最後の夜の踊り納めを見たい、と言うので9/2日と3日の宿泊を頼んだ。私も付き合うことにした。

 9/1日夜東京を夜行バスで発ち、早朝に富山へ着いた、とメールが来た。高山線で八尾に着き、日中は街中を隅々まで見物したそうだ。昼食を食べようにもどの店も「準備中」、夜だけの営業らしい。ようやく見つけたラーメン屋さんも長く待たされ、おわらの3日間だけの営業と言われた。駅前で食べた「しろえび天丼」が美味しかったそうで、翌日も食べることになる。

 私はと言えば、3時までに入らないと町中へ車は入れません、と言われていたのに、9/2日、娘夫婦を出迎えた後2,3用事をして八尾に向かったら3時をちょっと過ぎてしまった。事情を話せば入れてもらえるなどと勝手に考えていたがとんでもない。どこへ回ろうとストップをかけられ、結局小林さんに電話をして通行許可証を持って迎えに来てもらった。(トップは、神さまに思えた「通行許可証」)。

  福島の小林司法書士事務所。ここが2日間の宿だ。前日は横浜から団体が来ていたそうだが、この日はTOさんと私の二人だけ。大部屋は空、二間続きを二人で独占だった。↓は、お茶菓子、「玉のかおり」。おわら玉殿のような味だった。風の盆の特製かな。        

 お隣のコンビニの奥に三日間だけ食堂ができている。そこで定食を注文。TOさんは昼にたくさん食べたからとデザートだけ。鯉が泳ぐお庭がきれい。      

 腹ごしらえもすみ、町へ出かける。駅前ステージを勧められたが、町へ向かった。聞名寺をちょっと覗き、東町へ上がる。7時前、東町公民館前ではそろそろ集合の時間らしい。まだまだだな~。      

 雨が心配だからだろう、時間通りに街流しがあるのか、ないのか、情報が入らない。小学校グランドの演舞場へ行くことにする。何年か前にも、遠くからシルエットのような踊りを見た。それはそれで美しかった。入場料は指定席3500円、自由席2000円。もちろん自由席だ。11町内の中、前日6支部、この日は5支部の競演会だ。支部(町内)名とその支部の踊りの特徴、指導者と演出者の名前がアナウンスされる。支部により、構成人員が異なる。中高生が少ない町内もあれば、成人女子が多い町内もある。それぞれの数に見合ったステージ構成が工夫されている。それが面白く見ていて飽きない。踊りの種類、順、囃子方と唄い手の人数も紹介される。

 まず、「鏡町」から始った。かつては花街として賑わったそうだ。女踊りの着物が白地できれい。横に広がった隊形から↓のようなポーズに。      

        

 ↓は、鏡町の男踊り。      

 ↓は、西新町の男女が混じる踊り。      

      

      

 最後は、↓の出演者みんなの総踊り。お囃子と唄い手が最後に退場する。        

                    

 ↓の「天満町」は、唄の途中で「コラショット」と囃子が入り、低い音程になるのが特徴。唄い手さんはどの町内にも5人以上はおられる。老若男女、ベテランさん新人さんいろいろ(たぶん)である。
 ↓は男踊り。全員そろっているかと思うと…

  
 ↓は、右端の人だけ間違えたのではなく…。一人ひとり、または一人と二人違う踊りをして変化するのです。
 

 ↓の右端と真中の人はずっと同じポーズ。片足のトンビです。

  ↓は、先ほど集まっておられた東町。ここでも、左の4人が同じポーズ。右から順に動き始めたのです。

                           

 この頃から少しずつ雨がぱらつき始めた。最後の諏訪町は↓のだけ。面白いポーズなので。          

 7時から9時近くまで。帰り、交通整理のおまわりさん、「街流しのことを聞かれても、私たちにはわかりませ~ん」と叫んでおられる。誰もがおまわりさんに聞くのだろう。
 途中、もう一度聞名寺に寄ってみた。ここのおわらはお寺の講中の方たちだそうだ。おわらは町内の人しか踊れない(囃子も唄も)。そこで全国の踊りたい、三味線、胡弓、太鼓を習いたい、唄いたい人が誰でも参加できるような会が生まれた。3日はお寺に奉納するそうだ。
          

  十分堪能して宿に戻る。一軒家なので自分たちで玄関の鍵をかけ、シャワーを浴びて床についた。明日、晴れれば弥陀ヶ原に行こうと用意して来たのだが、お天気はよくないようだ。 


能登のお土産

2013-09-10 | 旅行

  娘夫婦が9月に高岡へ来ると言った時、ちょうど「風の盆」に行く予定だった私は、八尾や立山弥陀ヶ原に誘った。が、娘は人混みよりも、奥能登と奥飛騨へ行きたいと言い、両方とも向こうでネットからホテルを予約した。

 9/5(木)、相変わらず小雨のぱらつく曇り空。海も緑剛崎灯台もきれいには見えないだろう、と心配するのは私だけ。元気に出かけて行った。

 さて、土産話と土産の写真です。
 ↓ まず「道の駅能登空港」へ寄ったらしい。羽田へ1日2往復便と言うから、合間の時間だったからでもあるだろう、あまり閑散としていて驚いた、と言う。マークの言葉によるとpeaceful。

                

  宿泊した珠洲のホテルも静か、お客は娘たちの他に2,3組。娘は鍋、マークはステーキを注文。でもステーキがぬるく、出てくるタイミングもイマイチ。仕方ないよね。
 ↓は、目的地緑剛崎灯台。これは昔と変わらなかったようだ。夫が奥能登が好きであちこちへよく家族旅行をした。緑剛崎は何度も行った。
      

 ↓ 左。帰りに寄った地域の文化センター(あるいは多目的ホール)。高岡で言えば「ウイングウイング」のような場所だそうだ。ここも誰もいなかった。昼は仕事、夜文化活動をするのかも。 中央は、倒(さかさ)杉。二人とも興味があったようだ。 右は、海岸の傍の「ランプの宿」。

          

 次にお土産。↓ 白あんころ。初めて見た。上に金箔がかかり、包装紙も豪華。味も美味しかった。

  

 ↓ 能登ワイン。まだ飲んでいないが楽しみ。

  包装紙がきれいで封筒を作った。以前よく作っていたものだ。先日、森のくまさんのブログに紹介され、思い出してまた作ってみた。梅鉢紋と琴柱灯篭つき。金子をたんまり入れないといけないな。 

 


つれづれな日々①~バラと蝶・保育園・田園風景

2013-09-09 | 日記・つぶやき

 9/2(月)、5か月ぶりに娘夫婦が来日した(私の目の手術に間に合えば、と思ったらしいが結局スケジュールの都合で手術は後になった)。2日は、川越の友人が風の盆を見たいと言うので私も同行することにしていて、慌ただしい日程となった。

 午後2時近く高岡駅に出迎え、すぐ米島モーターズへレンタカーを借りに行く。米ちゃん社長が、「バラの花を持って行かれ」と言われたがそれぞれ予定があり、「次回に」と言ったらお稽古の日にたくさん持って来てくださった。玄関と床の間に分けて飾った。↓は床の間に人形と並んで。  

 ↓は玄関に。隣は「バラと蜻蛉と蝶」の置物。これは、東京に住む私の同級生がリタイア後お孫さんのためにと作りはじめた手作りの品。何度も試行錯誤を重ね、バラをプラスチックから紙の花に変えたり、蜻蛉を蝶に変えたり、最後の作品が蝶が3羽のトップ写真。その都度送ってもらい、我が家には4個の置物があります(希望者にはお分けします)。   

  

  さて、4日に「風の盆」(いずれアップします)から帰り、娘たちの話をいろいろ聞く。まず言ったのが、「キッチンがベースメントみたい」と言うこと。4月には空が見えたのに、今は空の見えない地下室みたいと言うのだ。増築中の隣の保育園、我が家からは裏側しか見えなくなった。目の前に高い壁がそびえているだけ、だが大道路側(正面)から見ると↓のような立派な保育園になった。L字型の左部分が増築部分だ。工事はもうしばらく続いている。

  もう稲刈りが進んでいる頃だが、↓は田植え前の水田の写真。8月末の「あかね」の音訳ボランティアの日、田んぼに水が入った頃の風景の話が出た。帰宅後、Oyさんが送ってくださった3枚を紹介します。上から、夢の平からの散居村、菅沼、最後は途中の道からでしょうか。