Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

能「三山(みつやま)」

2010-06-29 | 能楽
 27日(日)はむーっとする蒸し暑い日だったが、ほぼ1日中富山能楽堂の中で過ごした。 この日は、富山県宝生会能楽大会だったが、2週間ほど前、急に先生から蒼山会の素謡「胡蝶」の地謡に出るように、公民館3人娘(?)にお声がかかった。 地謡8名のうち、何人もの方が都合が悪く出られなくなったようだ。 急きょ2回ほど練習しこの日を迎えた。 「胡蝶」は以前お稽古していたし、後ろの部分は太鼓でも打っている。 

 富山能楽堂は、富山空港のすぐ近く、緑の木々に囲まれた閑静な場所にある。 何度も見に行ったことはあるが、舞台に上るのはもちろん初めてだ。 
 裏玄関が2つあり、部屋数も多い。 庭もよく手入れされていて落ち着いた雰囲気。 高岡「青年の家」3階の多目的ホールの能舞台とは大違いだ。 (トップは終演後正面玄関から出てくる人たち)   
              

 さて、第1部の素謡13番の後、第2部では能、狂言、仕舞、能と続いた。 ここでは、最初の能「三山(みつやま)」について紹介します。 最後の「鵜飼」は次の機会に。

 三山とは「大和三山」のこと。 奈良盆地南部、藤原京周辺にそびえる香具山(152.4m)、畝傍(うねび)山(193.1m)、耳成(みみなし)山(139.1m)の三山だ。 そびえるとは言っても低い山々だ。 畝傍山を頂点に、きれいな2等辺三角形に位置しているとのこと。 昨年3月、蒼山会から謡蹟巡りで、葛城山、長谷寺、三輪神社などを回った時、葛城山のロープウエイから教えてもらったが、曇っていたせいもありサッパリわからず、3000m級の山々を見慣れているので上の方へばかり目が行き、滅茶苦茶にシャッターを押したのが下の写真。 右下に見える黒く小さい山々がそうかも。 右隣の写真は、ネットから。
               

 あらすじは、良忍上人(ワキ)が、三山として有名な大和の耳成山にやって来て、山々を眺めていると里女(前シテ)が現れ、万葉集の歌にある耳成山、香久山、畝傍山の謂れを語る。
 「香具山は男の山、耳成と畝傍は女の山だと言い伝えられている。 昔、膳の公成という男が、耳成山の桂子(かつらこ)と畝傍山の桜子(さくらこ)の二人の女のもとに通っていた。 しかし、そのうち公成は若い桜子のもとに通うようになり、耳成山の桂子のもとに通わなくなってしまう。 桜子を羨み、公成に失望した桂子は、嫉妬のあまり池に身を投げてしまう。」 と、語った後、私こそ桂子の霊だと言って、里女は消える。 (中入り)

 上人が桂子の霊を弔っていると、やがて桜の小枝を持った桜子の幽霊(ツレ)が現れ、桂子の恨みを晴らしてくれるよう頼む。 そこへく桂の小枝を肩に桂子の幽霊(後シテ)も現れる。 二人の女は互いに枝を振りかざして争う(地謡が ♪打ち散らし打ち散らす♪ と謡う場面)が、やがて恨みも晴れて、夜明けとともに消えていく。 

 シテ(大坪喜美雄)もツレ(高橋憲正)も面をつけ、唐織の衣装をつけた美しい女性だが、ツレはいかにも若い女性らしく、後シテは憂いを含む年上の女性らしく見える。
 後で、謡の本を見ると、前シテ、後シテ、ツレの面は、「増(ぞう)」の面、「女増髪(おんなますがみ)」の面、「小面(こおもて)」の面とそれぞれ違うらしい。 
 撮影禁止なのでアップできないが、二人の若い女性が同時に舞台に上がり舞う姿は美しく、見ごたえがあった。

梅雨の日の「おとぎの森公園」

2010-06-27 | 高岡
 確か、富山へ「あるもコンサート」聴きに行った日の朝、夜ちょうどW杯のオランダ戦の時間帯に、NHKスペシャル「沖縄返還密使・若泉敬、日米外交戦の舞台裏」と言うテレビ番組があるのを新聞で見た。 朝は、見たいな、と思ったが帰宅が遅かったのと疲れたのとで、その時間は一眠りしてしまったのだ。 
 翌々日、ビデオに録って見たと言うSaさんから感想のメールが来た。 私も見たかったから貸して、と言うわけでビデオテープを借りることに。 せっかくだから「会いましょう」になり、おとぎの森公園でお弁当を食べ、その後ウオーキングと言うプランに決まった。

 雨の落ちそうな曇り空のおとぎの森、さすがに人影はまばら。 来園者は、小遠足の近くの保育園児達、車椅子で外出のどこかの老人ホームの人達、「市民花壇」の手入れの数人くらいと私達だ。 温室では、濃いピンクのブーゲンビリアの鉢が人目を引く。 温室前がちょうど「市民花壇」だ。 これは市内のいろいろな団体、グループ、家族が一区画の花壇を受け持ち、花苗を植え育てるボランティア活動だ。 

                   

             

 ばらの花盛りはすでに終わり、目下剪定作業中。 我が家も先日チョキチョキと枝切りをしたが、ここでも大がかりに切っておられた。 花を全部落とし、短く切る。 これでまた秋に咲くのかな。
               

 さらに、タワーの壁面の大掃除の最中。 これは、公園に早めに着いたSaさんが、いち早く見つけ、「ホラ、あなたのブログの材料だよ」と教えてくださった。 塔のてっぺんからワイヤーで体をつるし、壁面に垂直に足をつけ、壁面に水をかける作業。 中では窓磨き。(拡大して見てください。)

                
             

 しばらくすると、屋根の斜面のブラシがけをしておられた。

               

 
おとぎの森は、もともと、第13回全国都市緑化フェアの会場として平成8年に作られた。 真ん中を千保川が走り、、水辺と季節のさまざまな花、広々とした芝生が美しい。 数々の大型遊具、ドラえもんの人形たち、体験施設などが揃っていて、子供から大人までが楽しめる。 晴れた日は、親子連れや散歩やジョギングを楽しむ大人たちで賑わっている。

  トップの写真は、おとぎの森の近くにある「ショウワノート」ビル。 壁一面にドラえもんのイラストが描かれていて、公園から見える。 ちなみに逆の面には、ジャポニカ学習帳のノートのイラストが描いてある。 このドラえもんの壁画は、ちびっ子に大人気だそうだ。


岐阜都ホテルのランチと土岐プレミアムアウトレット

2010-06-26 | 旅行

 郡上八幡の町並み散策と谷汲山ゆり園の間に、”おしゃれランチ”こと、都ホテルの洋食バイキングがあった。 これが目当ての人もいたようだ。 私のように毎日が”スローライフ”の人には、時間が短すぎで(と言うか、あまりに種類が多くて迷っているうちに・・・)チョッと消化不良だったが。 ワインも追加して、雰囲気だけは楽しんだ。 下は、ロビーの鵜飼船(天井)と水辺の鵜たち。 さすが、岐阜ですね。
 

               

              

 午後、ゆり園を後にして「土岐プレミアムアウトレット」でショッピング。 そろそろ夕暮れで、雨も降り続いている。 バスの後ろの座席の人の呟きが聞こえる。 「買い物なんかせんでいいから早く家に帰って休みたいわ。」 確かに、高岡駅着が23時頃らしい。 
 私ら4人はそれなりに買い物を楽しむつもり。 以前、義妹が「神戸ルミナリエとアウトレットショッピング」と言うツアーに参加、最初、格安で大きいバッグを買い、安い品をたくさん買い込んで詰めて来た、と嬉しそうに語っていたのは、コレだな、と思いながらバスを降りる。 

 アウトレット(OUTLET)は、「
出口、排出口」の意。 「販路、販売代理店、直販店、特約店」の意味もある。 「アウトレットストア」は、余剰在庫品やキズものを格安の価格で販売する店だが、ブランドメーカーが直接出店する巨大な郊外型ディスカウントストアが増えているそうだ

 ここ、 土岐プレミアム・アウトレットは、「雄大なロッキー山脈に抱かれた米国コロラドの美しい街並みをイメージした施設で、眺望とともに1日中ショッピングをお楽しみいただけます。」と紹介文にある。 下の写真のような通りが2本あり、両側に総数130ほどの店が並んでいる。 ウインドウショッピングだけではつまらないので、MiTUコンサートの第2ステージで着るポロシャツを探すことにした。 値段と色と大きさがなかなか合わない。 最後の店で手ごろな値段の品を見つけ、満足。 ブラウスと敷物を買った人、ボディスーツを買った人、何も買わなかった人、それぞれでした。


              


 日が暮れはじめ、広場の噴水が美しい。 外国で買い物をする気分を味わって、帰路に着く。 雨の中、ひたすら高岡へ。 途中、「アユの甘露煮炊き込みご飯」の夕食弁当をバスの中で食べる。 温かくて美味しかった。 盛りだくさんな、多様なニーズに合わせたプランだったようだ。 東海北陸道開通とともに生まれた新たな企画なのだろう。 疲れたことは忘れ、楽しい思い出が残る。 旅はいいものだ。 お世話してくださった姫ちゃん、ありがとう。
 
               

谷汲山(たにぐみやま)「ゆり園」

2010-06-25 | 旅行
 このツアーのメインは、ここ谷汲山ゆり園だ。 岐阜県揖斐川町(いびがわちょう)にあり、行ったことはないが根尾谷の薄墨桜の近く、西国三十三番満願霊場の華厳寺が目の前に見える。 これはすべて行ってからわかったことで、何も知らずに行ったというのが本当だ。
 郡上八幡では晴れていたのに、ぽつぽつと小雨が降り出した。 傘を持たないのは私くらい、でも貸し出し用のかわいい傘が用意してあり有難かった。

 入り口のおじさんに聞くと、ここは17年前に山を切り開いて開園、今は50種類ものユリを30万球も植えているそうだ。 砺波・夢の平のコスモスみたいに山一面にもユリ(トップ写真)、頼成(らんじょ)山の菖蒲のように畑にもユリ(左)、と言った風景だ。 プランターに寄せて植えた赤のスカシユリも(右)。

                  

 スカシユリ(上を向いて咲く種類)が開花中。 オリエンタル・ハイブリッドはまだつぼみだ。 カサブランカももちろんまだ。 オレンジ、白、ピンク、と雨露を浮かべて美しい。  
               

 こうして見ると、砺波チューリップフェアの規模の大きさ、デザインの美しさに改めて感心する。 しかも短い期間に咲かせる努力は大したものだ。
 黄色のスカシユリを撮り損ねたので、今日ちょうど開いた我が家の庭のを紹介します。
 まだ1輪だけですが。
                             

郡上八幡

2010-06-24 | 旅行

 6/18(金)、「ゆり園」の名前と日が空いているかだけで参加を決めた日帰りツアー。 高岡駅南口8時集合だった。 おにぎりを作らなくてもよく、新聞をゆっくり読んでもまだ時間がある。 幸い雨も落ちず、自転車で出かけたら早く着いたが、駅周辺は工事中なので待合室も狭い。 外をうろうろとしていたら、こんな銅像が! 「高岡城石垣の石」に座り、築城を指示している利長公だ。 いつの間に? まったく知らなかった。 築城祭りの「大石曳き」の時も使用したそうだ。(トップ写真)
                      

 さて、最初の訪問地は、郡上八幡。 ここはかつて職員旅行などで2度ほど来たことがある。 お城にも登ったし、夜を通して踊りにも参加した、なんとなく懐かしい町だ。 約1時間半、郡上八幡城を仰ぎながら、「水とおどりの城下町」を散策した。 「美しい日本の歴史的風土100選」に選ばれ、1200軒の町家群が残っているそうだ。
 まず、「職人町」、バケツに町の名前が。 「本町」の標識は美しい。 造り酒屋の前も飾りつけが。

             
 
 祭の季節でない町は、通りの人もまばらで静かだ。 八尾とよく似た「古い町並み」を歩いたからだろう。 町の中で、長良川の上流の吉田川などが合流しており、街中を清流が流れている。 「宗祇水」は、「日本名水百選」の第1号に指定され有名になった湧水だそうだ。 元々は、連歌の宗匠・飯尾宗祇と郡上の領主東常縁がこの泉のほとりで歌を詠み交わして別れを惜しんだ場所だそうだ。

 左から、「水の流れる町並み」 「宗祇水の標識」 「宗祇水(湧水は冷たく美味しい)」 「日駄良川」。

    
             

 「郡上八幡博覧館」で、郡上おどりが見られると言うので、入った。 この日は、私たちのツアー客、6,7人だけ。 おどりの種類は10種あるそうだが、「かわさき」と「春駒」の手の振りだけ教えてもらう。 わりと単純な動き。 が、これに足がつくと難しいだろう(左)。 若い頃は、かなりくずした踊りも習って、街中で踊ったものだが。 次に「猫の手」と言うのを披露してもらう(中)。 その後、舘内の展示を見て回った。 全国シェアの大半をしめると言う「サンプル食品」の展示もあった。 右は、カボチャとスイカとホカホカの焼き芋。
              

 この後、岐阜市内の「都ホテル」で食事だった。


「御食事処 酒処 四季の花」

2010-06-23 | 食物
 JRで7時頃、高岡駅に着き、駅周辺で食事をすることにした。 Saさんの提案で、「四季の花」に決める。 末広町、元「九華堂」跡の食べ物やさんだそうだ。 Saさんは車を使わない方なので、歩いて出かけるお店に詳しい。 友だちとランチを食べに入ったら、夜も食事ができる、と聞いたそうだ。 「じゃ、ぜひ行こう」となった。 駅から末広町を歩く。 土曜の夜、なのに、か、だから、か、閉店の店がほとんどだ。 富山に比べ何ともさびしい高岡駅前通りであることよ。

 九華堂は間口の広いお店だったから、ここ「四季の花」も広いのだが(左写真)、カウンター席しか空いていないとのこと。 もちろんOKだ。 目の前にドジョウの水槽があり、Teさんはかわいそうだから、と1番隅に座られた(中)。 夜は、宴会料理か、一品モノ。 右はランチのメニュー(コース料理は予約)です。 値段は安めだ


            

 一人、2~3品注文する。 左は、煮物盛り合わせ、中は、揚げだし豆腐、右は、韓国風よせ鍋。
 焼き物、酢物、お造りをとった人も。 もちろん、飲み物も。 他に、串焼き、揚げ物、サラダ、麺類・・・とメニューは豊富だ。 居酒屋風の店。 会計は、1,750円、2,100円、3,200円とマチマチでおかしかった。

                 

 オープンは1年前。 定休日は、日曜日です。

合唱団「あるも」コンサート

2010-06-22 | 合唱
 6/19(土)午後、富山市民プラザホールへ、「合唱団あるも」のコンサートを聴きに行った。  前日、日帰りツアーで岐阜県「谷汲山ゆり園」へ行き、少し疲れ気味だったが、このコンサートはぜひ聴きたかったので、予めチケットを買っていた。

 MiTUの指揮者、森川先生指導の若い人たちの混声合唱団だ。 「あるも」は「調和・和声」を表す”harmonie"(フランス語)の語感からの命名、24年前に創立、演奏会は13回目とのこと。  私たちのMiTUの5倍の歴史を刻んでいるわけだ。  「あるも通信」を発行、他県との交流も盛んだ。
 団員は老若男女幅広く、普段は仕事、勉強、子育てなど、それぞれの生活を送っている人たち・・・とあるが、やはり若い。  声が透き通っている。  曲も難しいのだろうが、大変美しいハーモニーを聴かせてくださった。

 受付の雰囲気も若さにあふれている。(左)
 
 紀元前7世紀のギリシャの詩人、サッフォーの詩に曲をつけた6声部による合唱曲。(中央)

 混声合唱組曲「五つの願い」谷川俊太郎 詩、三善晃 曲(トップ)
 混声合唱組曲「縄文」宗 左近 詩、荻久保和明 曲
 
  花束贈呈。  手を高く上げて拍手している前席の人の両手が写りました。(右)   
                                


 せめて、この10分の1くらい、きれいなハーモニーで歌えたらいいのに、と思いながら帰途につく。  MiTUのメンバーは私たち3人の他に4人に会った。  まだ他にも来ておられたかもしれない。  ソプラノのSeさんは、富山市の方。  毎週、夜、高岡まで練習に来られる熱心な方。  いつもゆっくり話もできないから、と国際会議場の喫茶で、4人でお茶を飲みしばらく話をする。  
 その後、駅近くまで一緒に歩いた。  富山城の話を聞きながら・・・。  

 濠の横の歩道が新しく、広く、斬新なストライプ模様になっている。  今、埋め立てたわけではなく、空き地で草が生えていたのを歩道に広げたそうだ。  真ん中の写真の向こうのビルは「全日空ビル」、車が2台ほど見えるだろうか。  その車道までのスペースがすべて歩道なので広々としている。  城址公園の中に「富山藩2代藩主・前田正甫公」の像がある(右写真)。  この人は、富山売薬の基礎を築いたと言われている。

 その、「反魂丹伝説」とは?  正甫公が参勤交代で江戸城にいた時、とある大名が腹痛に苦しんでいた。  正甫公が懐中に常備していた「反魂丹」を出して、飲ませたところたちどころに治った、と言う。  諸大名たちは驚き、諸国で販売してほしいと頼んだ、と言う伝説。

                                       

 駅の近くで、Seさんと別れ、JRで高岡まで。  続きはまた次回に。

「アフガンに命の水を」~ペシャワール会・中村哲さん

2010-06-21 | イベント
 先日の演劇鑑賞会・「中西和久さんの交流会」で、つもさんから中村哲さんの講演会のことを聞き、チケットを買った。

 6/17(木)、夜7時、小杉ラポールである。  前々日だったか、以前「かえでの会」のボランティアグループで一緒だったSuさんから、「場所がわからないので車に乗せて行って」と電話があり、高岡駅南口で待ち合わせをした。  どうして私が行く、とわかったのだろう?  彼女は、「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る」(澤地久枝さんと共著)も買って読み、この講演を楽しみにしていたそうだ。

 早めに会場へ着いたのに、駐車場はすでに満員、他の行事と重なったせいもあるが、各地から熱心に話を聴きに来た人たちや主催者の熱い思いが伺われる。  一回りして、入り口へ戻ると、一台出て行くではないか。  横でSuさん、「中村さんの話を聴けるように、神様がついている」と感激しておられた。  私も、ホッとする。
 
 受付の混雑ぶりもすごい。  学生割引の人たち、当日券を買う人たちの行列(左写真)。  会場ではすでにNHK番組のDVD上映が始まっていた(右写真)。  1階から3階までびっしり、舞台端の上に学生席がある。  何人か知り合いと顔を合わせるかと思っていたが、とんでもない。  誰がどこにいるやら。
 
                        

 中村哲医師は、NGO「ペシャワール会」の現地代表。  有名な方だから、皆さんご存じだろうが、パンフによると:
 1946年福岡市生まれ、九州大医学部卒業。  ’84年より、ぺシャワール(パキスタン北部、アフガニスタンとの国境、古くから交通、商業の要地)の病院に赴任し、ハンセン病や結核など貧困層(アフガン難民も)の医療活動を行う。  アフガニスタンへも活動を拡げ、診療所や病院を設立して診療する傍ら、’00年のアフガニスタンの大干ばつのため土地が砂漠化したのを見て、食糧支援はもちろん、飲料水、灌漑用水用の井戸を掘削、農村復興のための用水路の建設、孤児や貧しい子供たちのためのマドラサ(モスク付属学校)の建設にも携わる。  なんと、26年間の”あゆみ”である。

 「聴診器の使い方を忘れるほど、重機の取り扱いが上手くなった」と笑わされた。  そして、機械も電気もない砂漠では、日本古来の土木技術がいかに役立ったか、日本人の知恵を再認識した、と映像で紹介された。
 現地住民の気持ち、要望を尊重して作業を進める、障害は自然だけでなく、人間(アメリカや国際社会)の場合もあると、淡々と語られる。  
 昨年8月、水路全線開通を喜ぶ住民たち、緑の農地を回復しスイカ、サツマイモ、大豆、水稲を収穫し嬉しそうな子どもたち。  アフガニスタンでは、「カネは無くても生きられるが、水が無いと生きられない」と言われるそうだ。  それほど水が大切な資源。
           
 講演後、大学生、高校教師、高校生など若い世代の質問が相次いだ。  
  
  * メディアは真実を伝えているのか(イスラム教やタリバーンについて)。 偏って、あるいはどこかに遠慮して
     報道しているのではないか。
  * イスラム教の国だから、男女差別があるが、教育の場ではどうなっているか。
  * 昨年の伊藤さんの事件についてどう考えておられるか。 

 などである。 
                          
 
 上、左写真は、現地での中村医師の映像。  右は、ちょうど翌日のコンサートのため富山入りしていた加藤登紀子さんが客席から舞台へ上がられ、再会し対談されている。  これはハプニングだったらしい。

 つもさん、素晴らしい講演会に誘っていただきほんとにありがとう。  それにしても、この「中村哲さんの話を聞く会」を手作りで立ちあげられた、共催、後援、協力の多くのネットワークの方たちのパワーにも感動しました。  

「海の日」のコンサート~第5回MiTUコンサート

2010-06-20 | 合唱
 毎週火曜日夜7時~9時の練習が、先週から30分延長になった。  パート練習を追加する代わりに、全体練習を延長することを「コンサート実行委員会」で決めた。  今年、5回目のコンサートで歌うパレストリーナの「ミサ・ブレヴイス」はア・カペラ(ルネサンス時代の教会合唱の様式。無伴奏体の合唱様式)なので、4パート一緒に練習した方がいい、と言うことだ。
 
 長年続いた「高岡市民合唱団」が解散した時、ずっと指導して来られた森川先生を中心に再結成された混声合唱団が「合唱団MiTU」Mi・みんなで Ta・たのしく U・うたいましょう)、5年前のことだ。  今では、団員47名の大合唱団になった。 
 一回目のコンサートで、パレストリーナ名曲集をア・カペラで歌ったのだが、当時より少しは進歩したのだろうか。  今回の「ミサ・ブレヴィス」は5曲からなっているが、まだ、音が下がる、テンポがずれる、など、手こずっている。  パート同士の掛け合いが大事で、他のパートの出や重なる部分のハーモニーを感じるように歌えると楽しいし、きれいなのだが、まだまだなのだ。  私たちアルトの声も地声が出て、なかなかきれいにならない。  難題山積である。  後、1か月でどこまで仕上がるか、目下、努力中と言うわけだ。

 いつだったか、事務局長のIさんの前で、「5回目だし何か記念のイベントせんが?」と呟いたら、「もう少し上手くなっておればね~」との答えに、何も言えず・・・、だった。
 さて、チラシとチケットが仕上がったので、紹介します。

                    
 

 * コンサート日時: 7月19日(月・海の日) 午後2時開演
 
 * 会場: ウイングウイング高岡4Fホール
 
 * プログラム: ミサ・ブレヴィス(小ミサ曲)・・・・・作曲 パレストリーナ

            富山に伝わる三つの民謡・・・・・作詞構成、作曲 岩河三郎

            美しい星に・・・・・作詞 林望   作曲 佐藤 眞

 * 指揮: 森川 紀博

 * ピアノ: 般若 葉月
  

 「富山に伝わる三つの民謡」は、富山県出身の作曲家、岩河三郎さんの曲で、「おわら」「こきりこ」「むぎや」に新たに詩を加え、作曲・編曲した、それは美しい曲だ。  1曲ずつ聴かれた方もおられようが、通して歌うのでぜひ聴いてみてください。
 鑑賞券は500円、ウイングウイング3Fで求められます。 当日券(同額)もあります。(トップ写真は、第3回コンサート)

 遅ればせながら、下に、バスのYaさんのブログのURLをコピーしました。 youtubeで杉並混声合唱団の合唱が聴けます。
http://www.fitweb.or.jp/~isamu/mitu2010.htm

ぐみの木

2010-06-19 | 自然・海山草花
 6/17(木)、平米のお稽古の休日、セキスイハイムの15年点検(この会社はアフターケアがしっかりしている)に来てもらった。 屋根、外壁、水回りを点検し、修理の必要な個所を見つけ、見積もりを出す、というシステムだ。

 ついでに、梅雨の晴れ間のうちにと、冬物座布団とカーテンを取り換えた。 夕方、横の通りのフェンスに干していた座布団をパンパンと叩いていると、近所のMiさんが通りかかられた。 「暑いですね」と言葉を交わした後、「コレ何かわかる?」と手のひらの赤い実を見せてくださった。 いちごじゃないし、サクランボにすると細長いし…。 「ぐみの実やよ。 甘酸っぱくて美味しいよ。 そこの木からちょっと2,3個摘んでみたけど…」と仰る。 え~?どこにぐみの木が?と思いつつ、Koさん宅の裏庭の広い空地へ行ってみた。 電柱の横の大木がぐみの木。 右手前に保育園。

          

           

           

 1本向こうの通りのKoさん宅は、今は留守宅になっているが、広い裏庭がこちらの通りまで続いており、いろいろな木々が植えてある。 いつも横を通りながら、この木がぐみの木とはまったく知らなかった。 枝もたわわに、熟したかわいい赤い実がたくさんぶら下がっている。 家へカメラを取りに行き、写真を撮っていると、隣の保育士さんや散歩中の方が声をかけられる。

 知っておられた方も、知らなかった方も。 「ぐみの木ってもっと低い木と思ったけど、こんなに大きくなるがやね~」と言う方も。 すぐ傍にいながらまったく知らなかったのは私だけかも。 
 子どもの頃、桑の実はよく摘んで食べたが、ぐみの実は木から摘んだことはなかった。 塀があって手を伸ばしてもなかなか届かないが、いくつか手にとり、手押し車のお年寄りの方と分けて口に入れる。 ほんと、甘酸っぱい。 このままだと全部鳥の餌になるかもしれないな~。 

本「1Q84 Book3」

2010-06-17 | 
 6/16(水)、日中は梅雨の蒸し暑さに汗が流れたが、夕方は涼しい風が吹いた。 夜、月は出たのだろうか。 夕食後、「1Q84  Book3]の最終章「天吾と青豆」を読み終えた。 二人は互いに手を取り合いながら、並んで立ち、「ビルのすぐ上に浮かんだ月を言葉もなく見つめている(原文のまま)。」 見つめている月は一つだ。 ここは、月が2つある1Q84年の世界ではない。 だが、1984年とも確信できないのだ。 なぜなら、エッソの広告看板のタイガーの向きが逆だから。 さらに別の世界へ来たのかもしれない。 でも、ともかくあの世界は脱出できた。 しかも、二人は再会できた。 さらに、青豆は、マリアの受胎のように、不思議なことに子どもをみごもっている(チョッと書き過ぎたかも)。 だが、宗教団体「さきがけ」のことも、「空気さなぎ」のことも、ふかえりの行方も不明のままだ。 きっと、Book4に続くのだろう。

                    

 さて、くまさんに、Book1、2を借りたのは1月半ば、読み終えたのは4月だった。 それほどに、読みにくい本だった。 特に難解なわけではない。 ただ、話の展開について行けないと言うか、主人公達に同化できないと言うか、途中までそんな状態だった。
 Book 3は、5/30の観劇の日に、大門のKaさんに借りたから半月で読み終えたことになる。 これも、前作同様に「青豆」(30代女性、スポーツクラブのインストラクター)と「天吾」(同年齢の男性、予備校の数学講師、傍ら小説を書いている)の章が交互に出てくるが、その間に「牛河」(元弁護士、今は探偵のような仕事をし、青豆を追っている)の章がが挟まれる。 結局、牛河が青豆と天吾を20年ぶりに引き合わせることになるのだが、牛河が二人の小学校の担任の女教師を訪ね、当時の少年、少女の話を聞く場面がとてもリアリティがある。  

 前作の紹介にも書いたが、奇想天外の話ではあるが、天吾がこん睡状態の父親を施設に訪ね、何日も付き添ったり、青豆が亡くなった二人の友人を思い出し涙しながら、隠れ家で料理し、洗濯し、運動し、読書し、堅実な普通の生活を送っている姿に健全な若者像を見ることができて、ホッとする。 ひとまずハッピーエンドで終わっている。

 ちなみに、前回も触れたA新聞連載の川上弘美の「七夜物語」も、不思議な夜の世界を経験した二人の少年、少女が現実の世界に戻ったところです。



「前進座」藤川矢乃輔さんのお話

2010-06-14 | 映画・テレビ・演劇・芸能
 幸田露伴の「五重塔」は、本を読んでいなくても(本は旧仮名遣い、文語体でとても難解だそうだが)誰でも知っていると思う。 上野谷中の感応寺の五重塔建立をめぐる二人の大工(のっそり十兵衛と川越の源太)の対立を通じて、義理人情を超越する職人魂を描いた男性的な作品、と解説にある。  前進座での公演は600回に達するそうだ。 7月末高岡で上演されるが、その時、名うての棟梁の「川越の源太」を演ずる藤川矢乃輔さんが、PRも兼ね、見どころなどを話しに、11日(金)ウイングウイングへ来られた。 ちなみに、「十兵衛」は嵐圭史さんである。

 写真のように、温厚なお顔に笑みを絶やさず、軽妙洒脱な語り口で会場を笑わされる。 いくつか紹介します。

 十兵衛が建てた五重塔は、真柱が吊り下げられ地震でゆらゆら揺れても倒れない建築原理を使った。 今建設中の「東京スカイツリー」も、五重塔の建築工法を応用しているそうだ。 この五重塔は関東大震災や東京空襲にも無事だったが、昭和32年に放火心中によって焼失している。 

 芝居では、落慶式前夜、大暴風雨に見舞われるが、塔はびくともしない。 翌日桜の花が満開の中落慶供養が始まり、皆で喜びあう。
 「前夜嵐があったのに、桜が散りもしないで満開と言うのは変でしょう? でもそこがお芝居で…」と笑わせながら、「お芝居と言っても、大工の仕事はただの物真似ではいけません。 大工さんに、チョウナ、カンナ、ノミの使い方を習う。 薄いカンナくずが出るまで練習。 帯をキュッキュッと音を立ててしめる、裾をポンと叩いて座る、などの練習、江戸っ子の棟梁になりきる」そうだ。
 東京公演では、「土建業組合」へお願いに行き、たくさんの大工さん、土建屋さんに見に来てもらう。 野次も声援も飛ぶそうだ。 江戸弁でまくし立てる場面も、お客さんにわかりやすく喋る。
  
 「前進座」は元々、1931年に歌舞伎から飛び出して作った劇団。 新しく前進しよう、と言う趣旨で若者たちにわかる芝居を心がけている。 当然、「ベニスの商人」と「鳴神」と言う組み合わせの番組もある。 来年で発足80年だそうだ。 などなど、いろいろ楽しい話をされた。
 最後に、「このお芝居は、職人の芝居、男の芝居。 ぜひ、ご主人や、知り合いの大工さんに声をかけ、皆さんで見に来てください」と。
 もう一つ、「健康は?」「体力作りは?」との質問に、「アルコール消毒」と「踊りのお稽古」との答え。 ストレス解消と体を動かす、と言うことだろうか。

           

 一緒に行ったMiTUの友だちと、2F”BON”でお茶を飲んだ。 オーダーは、「イチゴクレープグラタン」。 想像できますか? 甘く、温かくて美味しかったですよ。 写真のないのが残念。
 ”Bon”の入り口の、生花のデコレーション。 白い花器に、白い花。 芍薬だろうか。
       

「伏木写友会」写真展

2010-06-13 | イベント
 6/12(土)昼過ぎ、高岡文化ホール2Fの伏木写友会写真展を見に行った。 11日(金)から今日13日(日)までの3日間だけ開かれている。 第7回写真展とあるが、会そのものは発足11年目だそうだ。 小学5年生だったジュニア部員が今は高校生とのこと。
 ”My Best My Life”をモットーに、とプログラム裏表紙に書いてあるのが印象的だ。

 15,6名の会員の方が、一人2,3点出品しておられた。 長谷寺や高山など撮影旅行の時の作品、祭や記念行事などのイベントでの人々の表情、鳥、花など自然の一瞬をとらえた作品…それぞれの皆さんの力作である。 トキが飛び立つ姿やひよどりが花の蜜を吸う姿などのシャッターチャンスに感心する。 雪の降りしきる高山の町を頭からストールをかぶって必死に歩くようこ姫さんの姿も味わいがある。

 姫ちゃんの解説を聞きながら、なるほどね~、と納得しながら鑑賞。 下は、彼女の3点と初めて見る「緑風に囲まれて」。 鮮やかな緑とカーブを描く水田、腰をかがめて苗を植える女性。 手前の道端での撮影か。 もっといい色が出ているのだが、私の影が背後霊になりボヤケて残念。

                     
              
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 その後の時間帯に出かけたAnさんの話によると、ちょうど先生の批評会が始まっており、面白い話が聞けたそうだ。 その後、お茶のお稽古に行き、帰りにココスで姫ちゃんと食事した。 ココス開店○○周年記念の”100%ビーフハンバーグ”を注文。 鉄板の上に、更に丸い鉄板があり、焼きたりない人はそこで焼くのだそうだ。 ジューッと言う音が面白く、焼かなくても充分でも焼きたくなる。 たまたま持っていたドリンクバー割引券も使い、安上がりだった。

               

 私たちの合唱団MiTUの発表会も近づいて来た。 My Best My Lifeで行きたいものだ。 写真展は、今日13日(日)5時(最終日)までです。

あんしんごはん

2010-06-11 | 食物
  6/11(金)午後、ウイングウイングで前進座の藤川矢乃輔さんの話があると聞き、MiTUのSaさん、Teさんを誘って出かけた。 そこでMiTUのKiさんとも会い、終了後BONでお茶を飲んだ。 その後、平米公民館に届けものがあったので、そのまま自転車で街中を走る。 

 高岡市内を自転車で走るのはめったにないことなのでいろいろな発見があった。 すべての工事が終了した坂下町通りは、道幅は広く、空も広く明るく、どこか違う町のようだ。 「土蔵造りの町並み」”山町筋”も道幅が広く明るく感じられる。 電線がないのだ。 本町、小馬出町、木舟町を通り、守山町へ入った。 いつもは車で通る道路だ。 赤レンガの「富山銀行」前を通り、郵便局本局まで来る途中、「オヤ!」と思い、自転車をUターンさせた。 「あんしんごはん」の看板と暖簾が目に入ったからだ。 以前、音訳ボランティア「あかね」のメンバーのHaさんが話しておられた店ってコレ? 右隣は「ギャラリー杉谷」。

         

         

         

 中に入ると、 手作りお惣菜やおにぎり、お弁当、お寿司など数多く並んでいる。 ほとんど計り売りだ。 肉じゃが、煮しめ、タラの切り身の煮つけ、肉団子、菜っ葉や胡瓜の和え物など、ホテルのバイキングを思わせる。 スーパーと違うのは揚げ物があまりない。 年配者向けかな。 一人暮らしのお年寄り、家族が多い人も一品、二品付け加えるのにいいかも。 4種類買って1,080円だった。  
         

 いつ頃できたお店だろう?と尋ねたら、去年の4月オープンとのこと。 長い間、空き家になっていた土蔵造りの家を、この町並みを生かした店にと造り変えた。 主に高岡での「地産地消」の食材で、美味しい献立を工夫している。 気軽に買い求められ、奥の座敷で食べて行くこともできる。 季節の料理や、郷土料理もそろえている。 
 
 高岡駅から<コミニュティバス/こみち>が通っており、観光客が山町筋散策でチョッと休憩することもあるそうだ。

高岡市民歩こう会~「塩の道 緑をわたる優しい風コース」

2010-06-09 | 自然・海山草花
 6/6(日)は、昨年から楽しみにしていた、「高岡市民歩こう会」のバスツアー”信州 栂池高原のウッドチップロードを歩く~塩の道・緑をわたる優しい風コース”の日。 前夜、張り切ったのはいいが、目覚ましラジオをうっかりPM5:40に設定してしまい、「まだ鳴らない、変だな」と起き出したら、なんと6時40分ではないか。 市役所前7時半集合である。 慌てた。 おにぎりだけは作らないと、とどうにか準備を終え、市役所前には7時20分に到着。

 人気のコースで、90数名の参加。 バス2台で行くことになった。 7時35分出発式。 Saさん、MiTUのTaさん、私の3人は1号車。 北陸自動車道経由、2度目のトイレ休憩が道の駅「小谷(おたり)」だった。 最近よくここを通る。 信州の物産品が一杯、温泉「深山の湯」もある。 広い駐車場に黒々とオートバイがいっぱい並んでおり驚いた。 ライダー達も黒い服でなんか異様な雰囲気。 長野、岐阜ナンバーに混じって広島ナンバーなども…。 バイクのツーリングだろう。 「歩こう会」のメンバーがライダーの一人に話しかけておられる。 ご両人とも白髪だ。 80歳のライダーだった。 大勢なのでトイレに時間がかかる。 待っている間、「塩の道」の大きな看板で予習する。 
 糸魚川(いといかわ)から松本城下まで約30里(120K)を結ぶ千国(ちくに)街道は、またの名を「塩の道」と呼ばれている。 戦国時代、上杉謙信がこの道を経て、仇敵武田信玄に塩を送った「義塩」の有名な故事によるそうだ。 現在は、国道147、148号として、新潟県糸魚川から長野県小谷村、白馬村、大町市へ続き、北アルプスの麓の山落を縫って行く。

                 

 塩の道「松坂口」でバスを下車、歩きはじめる。 目の前に真っ白な雪を冠った北アルプスの山並みが広がる。 息を飲む美しさだ。 遠い昔、猿倉から大雪渓を渡り、白馬岳に登り白馬大池へ降りた経験がある。 頂上付近で呼吸ができないほどの風雨に見舞われた。 はるか昔の出来事だ。 
 木漏れ日の差す塩の道を歩く。 道端に、マムシ草、エンレイソウが。 ミズバショウはもう終わっている。 水田に映る白い山容が美しい。 左の尖った山が、白馬鑓岳、その右が杓子岳、大雪渓を挟んで右端が白馬岳だそうだ。

            

 しばらく歩き、「牛方宿(うしかたやど)」に着く。 塩や生活物資を運ぶため、雪の深い冬はボッカ(人の背)、他の季節は牛が街道を往来した。 牛方宿と隣の塩蔵は旧街道に現存する唯一の当時の建物だそうだ。 牛と牛方が一緒に泊まった宿。 明治時代まで使われたとのこと。 入場料240円。 この日は大勢が入場した。 国道を逸れるとこんなにものどかなものか。 原田泰治の田園風景を思わせる。 誰かが、子どもたちはどこの学校へ通うのか聞いている。 「すぐ傍に立派な学校がありますよ」と説明の人。 きっとこの旧家の子孫の娘さんだ。

                     

 もう1度バスに乗り、栂池ウッドチップロード、1・5キロコースを歩く。 1キロごとに歩いた距離が表示されている。 途中の林の中で昼食、辺りを散策、駐車場に戻る。 そこにもタニウツギが咲いていた。

                     
 暑い日で少し疲れたが、歩く距離は少なく、高低差もあまりないので物足りないくらい? いや、これでちょうどかも。 こんな企画をしてくださる「市民歩こう会」に感謝である。 この長~いタイトル通りの”緑をわたる優しい風コース”だった。