の「岩伍覚え書」、岩倉政治の「煙草」と続き、最後は水上勉の
「破鞋」だ。場所も、羽衣新地、伏木と続き、今回は国泰寺。
「はあい」と言う読み方も知らず、最初は「破れたかえる」かと
思った。「草鞋」と書いて「わらじ」と読むが、破鞋は「破れたわらじ」
のことだそうだ。
最初、水上勉氏の生い立ちを話された。福井県の生まれ、貧困
のため10歳で京都の寺へ修行に出され、得度もするが脱走、だが
おかげで中、高校へと進み、17歳で還俗。行商をしながら大学に
進むが退学し、転々と職を変えながら作家活動を続ける。
富山に関する作品がいくつもあり、「飢餓海峡」もその一つ。
「雁の寺」「越前竹人形」なども有名だが、「良寛」「一休」「沢庵」
などの伝記物も書いている。
この「破鞋」も、臨済宗禅僧の雪門玄松の生涯を書いた本だそう
だ。明治17年、彼は35歳の若さで臨済宗派の総本山、国泰寺
第55世住職として迎えられる。
今でも毎年6/1には、国泰寺開祖をしのび開山忌大法要が営ま
れるそうだ。奥の「天皇殿」から、全国から集った虚無僧が黒衣に
天蓋姿で尺八を吹きながら行列する。
その天皇殿を復興する志半ばで病没した前住職の遺志を継いだ
のが雪門である。山岡鉄舟の書いた屏風、軸、額をかついで金持ち
に頭を下げて歩き資金を集めた。10年後方丈、庫裏などの伽藍が
完成した日、彼は突然退山を宣言し金沢卯辰山「洗心庵」にこもる
のだそうだ。
退山の心境、当時の国内事情、鈴木大雪や西田幾多郎が四高に
在学していた頃教えを請うたことなども書かれている。
当時の膨大な数の山岡鉄舟の書は、どこへ流れたのか地元には
案外残っていないそうだ。屏風や軸にならずに「どこかの蔵に眠って
いるのかもしれない」そうだ。
皆さんの家の押入れにありませんか?と米田先生は笑っておら
れた。
この講座や、富山国際大公開講座は意外と男性の受講者が多い
のが特徴だ。「伊勢物語」もそうだった。最近、男性シニアの活動の
場が増えているのだろう。
(写真はすべてスクリーンの映像なので見苦しいのですが)