Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

高岡が舞台の文学③~「破鞋(はあい)」

2009-07-31 | 高岡
 7/28(火)は米田憲三先生の講座の最終日だった。宮尾登美子
の「岩伍覚え書」、岩倉政治の「煙草」と続き、最後は水上勉の
「破鞋」だ。場所も、羽衣新地、伏木と続き、今回は国泰寺。

 「はあい」と言う読み方も知らず、最初は「破れたかえる」かと
思った。「草鞋」と書いて「わらじ」と読むが、破鞋は「破れたわらじ」
のことだそうだ。

 最初、水上勉氏の生い立ちを話された。福井県の生まれ、貧困
のため10歳で京都の寺へ修行に出され、得度もするが脱走、だが
おかげで中、高校へと進み、17歳で還俗。行商をしながら大学に
進むが退学し、転々と職を変えながら作家活動を続ける。

 富山に関する作品がいくつもあり、「飢餓海峡」もその一つ。
「雁の寺」「越前竹人形」なども有名だが、「良寛」「一休」「沢庵」
などの伝記物も書いている。
 この「破鞋」も、臨済宗禅僧の雪門玄松の生涯を書いた本だそう
だ。明治17年、彼は35歳の若さで臨済宗派の総本山、国泰寺
第55世住職として迎えられる。
         

 今でも毎年6/1には、国泰寺開祖をしのび開山忌大法要が営ま
れるそうだ。奥の「天皇殿」から、全国から集った虚無僧が黒衣に
天蓋姿で尺八を吹きながら行列する。
         

 その天皇殿を復興する志半ばで病没した前住職の遺志を継いだ
のが雪門である。山岡鉄舟の書いた屏風、軸、額をかついで金持ち
に頭を下げて歩き資金を集めた。10年後方丈、庫裏などの伽藍が
完成した日、彼は突然退山を宣言し金沢卯辰山「洗心庵」にこもる
のだそうだ。
 退山の心境、当時の国内事情、鈴木大雪や西田幾多郎が四高に
在学していた頃教えを請うたことなども書かれている。

 当時の膨大な数の山岡鉄舟の書は、どこへ流れたのか地元には
案外残っていないそうだ。屏風や軸にならずに「どこかの蔵に眠って
いるのかもしれない」そうだ。
 皆さんの家の押入れにありませんか?と米田先生は笑っておら
れた。

 この講座や、富山国際大公開講座は意外と男性の受講者が多い
のが特徴だ。「伊勢物語」もそうだった。最近、男性シニアの活動の
場が増えているのだろう。
 (写真はすべてスクリーンの映像なので見苦しいのですが)

高岡七夕まつり準備始まる!

2009-07-30 | 高岡
 7/27(月)の音訳ボランティアの帰りに、郵便局へ録音テープ
44本を届け、遠回りをして高岡駅前を通り、七夕飾りの準備状況を
偵察。Oさんにどこから撮ればいいかポイントを教えてもらった。
 帰宅後、昨年の七夕飾りのの写真がメールに添付して送られて
きた。夜の写真は自信がないが、今年は挑戦してみようかな~。

 さて、翌日ウイングウイングで米田先生の講座があり、その帰り
に駅前の保育園児のジャンボ七夕を見に寄った。
 今年は、我が家の隣の保育園には屋根より高いジャンボ七夕
が、お稽古に行く平米公民館にもいつもよりジャンボで本数も多い
七夕飾りが立っている。
  駅前のもなかなかの豪華版だ。市内の各保育園、幼稚園と青年
会議所の合作らしい。



              

 短冊には一人一人の園児やママさんの「願いごと」書かれている。
「およぎがうまくなりますように」「じてんしゃにのれるように」
「元気な子になりますように」・・・・

         
 
 ちょうど真向かいに家持像が立っている。
         

 トップの写真は駅から見た末広通り。七夕と赤いアイトラム。
飾りつけはまだ未完成。(今はもう完成しているだろう)駅は街の
顔、高岡を訪れる観光客に楽しんでもらえることだろう。

白いベビーシューズ

2009-07-29 | 日記・つぶやき
 7/27(月)、「市民と市政」8月号を録音する音訳ボランティアの
日だった。1ヶ月に一度、そのたび季節の移り変わりを感じる。

 今回私は終わりの言葉「あかねからのメッセージ」の当番だった。
前日、「皆既日食」について書いた後、テレビで「高岡駅前の七夕
飾り」のニュースを聞き、両方準備した。「はじめの言葉」担当の
Yさんは「ツバメの巣立ちと七夕」の記事で季節感あふれる文を
用意して来られたので、終わりのメッセージは皆既日食に決まり。
明るいニュースがあってよかった。

 さて、今日は特別にKさんを中心に、器械操作のやり方を全員で
研修する。音楽と声のボリューム調節が難しい。読み手により声量
や声質が違うからだ。私も、少しは役立ちたいと懸命にメモしたが、
本番は難しい。

 いよいよ録音前の休憩時間。ビーズショップはいつものごとく。
今日はNさんのベビーシューズの完成披露があった。
 彼女の初孫さんが今秋誕生される予定で、鈎針で白いシューズを
編まれた。先生は、同じ「あかね」のミサさん。パソコンサロンの
ホステスさんだ。何度か通って編み方の講習を受けられたそうだ。
 両方の大きさが同じにならず、苦労されたらしい。白のレース糸
のシューズに柔らかいプチプチの足がすっぽりと入りそう。

 触るのももったいなくて写真だけ撮らせてもらった。
いつか赤ちゃんの写真の披露もあるだろう。 

学遊塾「伊勢・源氏と能の世界」~光源氏か業平か

2009-07-27 | 能楽
 7/24(火)から、今年度の山本典子先生の学遊塾が始まった。
タイトルは「伊勢・源氏と能の世界」。最初「平家物語と能の世界」
で始まったのがもう10数年前ではないか。私は5年前から参加して
いる。
 昨年の「源氏物語と能の世界」については、11/2のブログで紹介
した。今年は「伊勢物語」が加わり、能の世界は更に広がった。
 「伊勢物語」は125の短編が集って構成され、大長編の「源氏物
語」に比べずっと読み易いそうだ。
 「むかし、をとこ、ありけり」で始まる在原業平の物語、と言うよう
に、高校では習ったが、諸説があり、業平とは限らず、また書いた
人も誰かははっきりわからず、加筆され複数の人と言われている
そうだ。

 業平その人は、平城天皇の孫と言う高貴な生まれ、美男子で歌人、
どんな女性でもなびかせる色好みであった。馬術や武術にも優れ
官吏としても有能だったろう、と言われている。

 能「雲林院(うんりんいん)」は、まだ観たことがないし、謡でも習っ
ていないので、どんなストーリーか興味があった。
 京都、紫野の雲林院にて、業平の霊が「伊勢物語」について語り、
昔を偲んで舞を舞うと言うのが主題だそうだ。業平が語る「伊勢物語」
は二条の后との恋物語で、生涯を狂わせてしまうような激しい恋
だった。普通「序の舞」は女主人公が舞う抒情的な静かな舞だが、
この曲で業平が舞うのは王朝時代の理想的な男性の優雅さを表す
ためとのこと。ぜひ一度、お能を観たいものと思う。

 相変わらず軽妙な語り口で、資料も豊富で楽しい。参加者もいつも
のメンバーが多く、「久しぶり!今年もよろしく」と挨拶を交わす。
もちろん新しい方も増え、全体に賑やかになった。

映画「ハリーポッターと謎のプリンス」

2009-07-24 | 映画・テレビ・演劇・芸能

 ちょうど皆既日食の頃、映画を見ていた。「ハリー・ポッターと謎のプリンス」。案山子さん、姫ちゃんと3人がそろう日がこの日しかなかった。
 映画としては6作目。本では第6巻の上・下巻だ。私は、3年前の8月に読んでおり、読書記録には:
 ハリーはいよいよ旅立つ時を迎えた。1歳で両親を失い、15歳で親とも慕うシリウ・スブラックを失い、そして16歳の今、ハリーはまたかけがえのない人を失った…、と書いている。

 実際のハリーはもう20歳になっているから、あどけなさはもうない。それは、ロン、ハーマイオニも同じこと。特に、ヴォルデモート卿側のドラコ(一緒にホグワーツ魔法学校に入学した6年生)は、今回ダンブルドア校長を殺す命令を受け、苦悩する青年に成長している。

 今作の見どころとして、「師弟ドラマ」「ライバルの謎」「ラブロマンス」とパンフには謳ってある。
 16歳と言えば思春期(?)、学校内にはカップルが生まれはじめる。ロンとハーマイオニ、ハリーとロンの妹のジニーも微妙な雰囲気。その中でロンが「惚れ薬」を飲みボーっとなるコミカルな場面や、クイディッチのチームのキーパーに選ばれたのはいいが、試合を前に自信を失くしているロンに「幸福のジュース」を飲んだと思い込ませ、急に自信がついて見事なプレーを見せ試合を勝利に導く、と言う友情の場面もある。

 だが、全体としては暗いストーリー展開だ。ヴォルデモート卿の少年時代、孤児院からホブワーツに入学したトム・リドルが出て来て彼の生い立ちがわかる。そして当時の記憶を呼び戻すために再びホグワーツへ招かれるスラグホーン先生は、「アイリス」でオスカーを受賞した英国の名優だそうで、トム・リドル少年はその甥だと言う裏話もあるとのこと。前回の、あのピンクのスーツを着て、次々と校則を作り壁に打ち付けるアンブリッジ先生も名女優だったはず。

 今回は、上下巻の2冊分を映画化しているので、かなり省略されている。不死鳥の騎士団のメンバーはチョッと出てくるだけでわかりにくい。ともかく最後には、ダンブルドア校長がスネープ先生に殺され、ハリーは最愛の師を失い、ホブワーツを出る決心をするところで終わった。もちろん、二人の仲間も一緒に行くだろう。
 本では7巻も、上下の2冊だ。映画はどうなるのだろうか。
 下の4枚の写真は映画館前の立て看板。上手く撮れなかった。トップの写真はHPのハリー。

ダンブルドア校長とハリー ハーマイオニとスラグホーン先生
         

   クイディッチの試合中のロン     ドラコとスネープ先生
              


大仏様いろいろ

2009-07-22 | 高岡
 7/20(祝)に、第2回目の「パソコンサロン」があった。先生役の
Oさんも来てくださったので、急きょ「パソコン教室」になった。
いずれにしても2回目だ。お宿はいつものKさん宅。

 Oさんは写真も先生クラス。私のブログにも何度か美しい風景写真
を拝借したことがある。

 さて、Kさん宅は公園傍の3階。はるか彼方に高岡大仏のお顔だけ
見える。ビルの谷間に垣間見える豆粒のようなお顔と光背をどう写す
か教えてもらった。ズームをかけても私のデジカメでは、①のように
しか写らない。それで画質モードを、いつものメールやブログ用よりも
もっと大きくして写し、縮小すればどうか、と言うことで帰宅後試して
みた。

    ①     ②

   ③     ④

 ④のように、美男のお顔がかなりはっきりと見えるようになった。
いかにも街の中の大仏様のお姿である。
 ニューオータニの最上階レストランから、大仏様の後姿が見える
のはご存知の方も多いだろう。家の窓から剱岳や富士山が見えると
言う人も世の中におられようが、朝窓を開けると大仏様が拝めるの
も幸せなことだ。羨ましい話である。

自遊塾「歌と文化で学ぶ韓国」

2009-07-21 | 音楽
 7/19(日)、富山の教育文化会館で、自遊塾「歌と文化で学ぶ
韓国」講座の2回目があった。
 昨年、くまさんが参加され、「とても楽しく、面白い」との折紙付の
講座で、今年は案山子さんと一緒に申し込んだ。初回は、MiTUコン
サートと重なり、欠席。この日は初めてなので楽しみに出かけた。

 先生の言葉:韓国の「歌の文化」について皆さんと学び合う講座で
5年目。歌、ことば、文化にこめられた韓国文化の魅力を皆さんと
共有したい。

 この日は、「韓国フォークの魅力」。キムグアンソクとアンチファン
と言う二人の男性歌手の歌を数曲CDで聴き、歌詞や背景、歌手
その人についての説明を聞いた。
 二人とも私の知らない人、歌も初めて聴く歌。力強い、心のこも
った歌声だった。楽譜ももらったが、何分歌詞はハングル。ルビは
ふってあるがすぐ歌うのは難しい。

 伴奏はギターとブルースハープ。このブルースハープと言う楽器
も初めて。ハーモニカの小さい物だそうだ。
 ネットの”YouTUbe”で歌や動画を聴いたり見たりする方法も
話題に出た。友人から話は聞いていたが、今度試してみようかな~。

 知らないことだらけの別世界みたいな講座だった。次回のテーマ
は、「韓国のバラード」だそうだ。

 ハングルだらけの黒板。すっかり忘れている。頭が痛い。
       

こんなところに蓮畑が・・・

2009-07-19 | 自然・海山草花
 先日、「ひかりがま農園」を訪ねていったとき。
 156号線から行ったのだが、看板を見て、十二町島で右折した。
西へ進み田園風景が広がるあたり、精米所の前で郵便やさんに
会ったので、道を聞いた。

 その後、チョッと横を見ると、道路沿いの田圃の横に蓮畑が…。
けっこう広く、今から咲くのか蕾が一杯。蓮根栽培の農家だろうか。

 私の町内のすぐ近くに、「蓮美町」と言う町があるが、ここも
千保川の川底だったそうだ。以前はこんなふうに蓮畑がつらなって
いたのだろう。

        

 

富山米と名水赤卵

2009-07-18 | 食物

 千葉に住む息子から、お米を送ってほしいと電話があった。今までは県生協のお米を時々送ってはいたが、どちらかと言えば、荷物を送ると言うと「要らない」と返事することが多かった。荷物を受け取るために家にいなければならないのが面倒なのだ。独身貴族の会社人間だ。

 ところが、今は仕事はあるのに休みが増え、時間がない。雑な仕事をこなすのが精一杯などと、先日出張で寄った時にぼやいていた。さらにボーナス分で持っていた給料が減るので生活費に支障をきたすと言うわけだ。自分はまだ良いけど、家族もちの先輩が車を手放そうかと言っておられるとか。
 世話になっている先輩だから、生活の足しに富山米を送ろうと思いついたらしい。しかも奥さんが地元千葉の人なので、美味しいお米がいい、と言う。

 何人かの友達から、どのお米が美味しい、どこで買う、どんな方法で送るなどといろいろ取材し、結局、佐野西藤平蔵の「ひかりがま農園」へ行った。Aさんが時々赤卵を買って送っておられる。お米も生産しておられるそうだ。
 
 ここ「紅屋」は、今もゆたかな白然の水がこんこんと湧き出るそうだ。紅屋という村の名前は、このあたりりに 紅染めを営む人が住んでいたことからつけられたそうだ。その昔、有名な伝説をもつ「ひかりがま」と言う直径五メートル程の大きな 泉があった。すぐそのそばにお寺があり、前田利長が人城して高岡の町を開いた時招かれて木町へ移転した。ひかりがまにちなんで「光釜山酉大寺」と言う。

 「越中名水赤卵」は、その伝説の名水ひかりがまの井戸水を給餌、厳選した天然飼料・各種薬草を給餌している高品質な卵とうたってある。ケーキや高級料理に喜ばれ、30個以上なら宅配便で送ってくれる。

                  L玉20個600円       


     
                   M玉11個300円                                                 



 気さくな奥さんでいろいろアドバイスをしてくださる。結局白米20キロを送ってもらい、卵は10個入りを買い、家で友達の農園産の野菜を一緒に詰めて荷物をつくり送った。
 今日当たり着いていることだろう。


「平和チャリティ色紙展」と「音楽室」コンサート

2009-07-16 | イベント
 7/11(土)、ウイングウイング高岡で開かれた2つの行事を掛け持
ちで回った。
 一つは、1Fロビーで開かれた「平和チャリティ色紙展」。県内
の画家、書家、工芸家など、有名作家n色紙を展示、入札による
収益は平和活動に活用される。主催は原水爆禁止高岡協議会で、
毎年開催されている。高岡にも「原水協」の会があるとは、迂闊に
も知らなかった。
 高岡市内の知っている方も何人もおられ、色紙なら私も買えるか
とも思ったが、入札なんて何分初めてだから遠慮した。

  

 その後、4Fホールへ。合唱団「音楽室」には、MiTUのバスの
ベテランさんが二人所属しておられる。2つの合唱団のきつい練習を
こなしておられる熱心さと努力に敬服する。
 「音楽室」のネーミングは、一般人の音楽との出会いは学校の音
楽室だ、と言う理由を聞き、ほほ笑ましく思った。1歳や2歳から楽器
に触れた天才ではないと言う意味か。
 今年で10回目の定演とのこと。フェスティバルなども含め、演奏を
4,5回は聴いている。若く、楽しい雰囲気が満ち溢れた合唱団だ。

 この日のプロは、混声合唱組曲「幼年連祷」、井上陽水セレクショ
ンより4曲、最後にバッハのカンタータ147番。

 男声13名、女声12名でバランスもよく、表情豊かでハーモニーが
美しい。何よりも楽しげでゆとりがある。10年の蓄積だろう。
 我々も早く、ここまで歌えるようになりたい。

 下は「陽水セレクション」の風景。最初、陽水さんが4,5人いたの
だが、ここでは1人。頭、重くて歌いにくいのかも。
 曲は、「飾りじゃないのよ 涙は」、「心もよう」、「傘がない」と
「夢の中へ」。
 最後の写真は、指揮者のM先生のトーク。とても話好き。砺波の
ヘンデルの「メサイア」、新湊の「第九」で指導を受けた。



               

♪佐渡へ佐渡へと~♪(その2)

2009-07-14 | 旅行
 2日目のコース:佐渡歴史伝説館~妙宣寺~ときの森公園~
酒蔵見学~昼食~両津港~新潟~高岡~金沢

 朝、ホテルを出る時驚いた。「両津やまきホテル」と言うホテル
だったが、玄関のお見送りは当たり前だが、バスが出てからガイド
さんに「右上を見て」「左後ろを見て」と言われるまま、顔を動かす
たびに、窓越しにおけさの笠を振っておられる従業員の皆さんの
姿が見えるのだ。これには感激した。高台のホテルから蛇行して
下るバスに合わせての見送りだった。

 「佐渡歴史伝説館」では、動く人形(ロボット?)が歴史と伝説
を再現して見せてくれる。承久の乱(1221)で流刑された順徳天皇、  
国難を訴え捕らえられた日蓮(1271)、72歳で流刑された世阿弥。
特に日蓮上人は顔の皮膚まで動き、生きているように見える。

 

 お土産売り場でジェンキンスさんと次女のブリンダさんが手伝って
おられ、握手したり一緒に写真に入ってもらったり…。

 妙宣寺は、佐渡の地頭本間氏の居城だった所。直江兼続が納めた
槍の穂先がある。日蓮の配流中に帰依した阿仏坊の寺。佐渡で唯一
の五重の塔がある。

 最後の訪問地「ときの森公園」。ときは学名を「ニッポニア・ニッポン」
と言う国際保護鳥だ。「とき色」の由来である美しいピンクの羽を
持ち、空飛ぶ姿が美しい。激減したが厚い保護により151羽まで増え
たそうだ。富山県にも1羽飛来している。
 バードウオッチングと言っても、遠くのケージの中。ほとんど見え
ない。黒ときがようやく写せた。後ろ向きだが。仕方なく高~い切手
シートと「愛」の兜の「朱鷺の子」のお菓子を買って来た。
            

 今回の旅行の反省点。義妹にすっかり任せっぱなしで、事前学習
もせずにただ付いて行ったので、一番見たかった能舞台を見られな
かった。ガイドさんに聞くと佐渡には能舞台が32もあり、全国の
能舞台の何割かになるそうだ。
 特に世阿弥が指導したわけではないが、後の奉行が広めたらしい。
寺や神社に必ずあったそうだ。村の芝居小屋のようなものか。
以前はもっと多かったが維持できず廃れた物もあるとのこと。
 ホテルのすぐ傍にもあったそうで、事前に気付ば、ホテル着後タク
シーでも行けたのに残念なことをした。やはり予習はするべきもの。

 その代わり、2日間ゆっくりと義妹と話ができたのだが…。

♪佐渡へ佐渡へと~♪(その1)

2009-07-13 | 旅行
 ちょっと古い話になるが、6/26(金)、27(土)と一泊で佐渡へ
の旅に出かけた。
 佐渡旅行も初めてなら、義妹との二人旅も、読売旅行も初めて
で初めてづくしの旅だった。

 朝6時、高岡駅南口集合。42名のツアーだ。金沢を出たバスが
県内の客を拾いながら直江津へ。直江津港から小木港まで大型
旅客カーフェリーで2時間40分の船旅だ。船内でお弁当を食べる。
 海は穏やか、船はほとんど揺れない。♪海は荒海 向こうは佐渡
よ♪の歌は昔のことか。今も天候によっては海も荒れるだろう。
船の端から端まで飛ばされるとか、見る物もあまりなくてとか、の
噂を聞き、佐渡を敬遠していたと改めて思い出していた。

 直江津港には「天地人博」のポスターが賑やかで、妻夫木くんの
写真もあちこちに。両津港~新潟港はジェットフォイルで60分だそう
だ。飛行機を使えば25分。佐渡はグッと近くなった。

 一日目のコース: 小木港~七浦海岸の夫婦岩~佐渡金山(尖閣
湾遊覧もあり)~大佐渡スカイライン~秋津温泉(両津)泊。

 佐渡金山の開山は1601年、徳川幕府の財政を支えた、とあるが
昨夜の「天地人」では、直江兼続が佐渡へ行った時すでに開かれて
いたが…。
 トップの「道遊の割戸(われと)」の写真は撮れなかったので
パンフから。主要鉱脈「道遊脈」の採掘跡だ。山頂を二分する壮大
さに驚く。

 下左は、「宗太夫抗」の入り口。中には、実物大の人形が、採掘、
保抗、測量から選鉱、製錬、小判鋳造までの過程を再現している。
 右は、「水中輪」と言う道具で地下水を排出している「水替人足」。

 農家の次男、三男が稼ぎに来、子供の仕事もあったと言う。後には
無宿者も使われた。大小の炉で製錬し、純度99.5%の金で小判を
鋳造したそうだ。
            

 下の絵巻物では、能舞台で舞を舞って生産を祝っている。後ろ
にお囃子、右横には地謡、周りにたくさんの見物客が。奉行所だ
ろうか。
           
       
 葵のご紋も華やかな江戸幕府の船。平成元年に、鉱石が枯渇し
創業停止となるまで388年続いたそうだ。                                        
           

 ホテルにはなんと4時半に到着。ゆっくり温泉に入り、夕食。
ロビーで、「佐渡おけさ」「相川音頭」などの踊りの披露と講習会
があり、義妹も私も修得証をもらった。

万歩計(その2)

2009-07-09 | 健康
 1週間ほど万歩計をつけて1日の歩数を測り、おおよその歩数が
わかったので、「5000歩」を目標にしたまではよかったのだが、
毎朝つけるのが面倒で、「1週間坊主」で終わってしまった。

 先日の佐渡旅行も、市民歩こう会も、測るのを忘れる始末だ。
やはりグラフ化するなど、数値を視覚に刻まないとダメかな~と
考えていた矢先に、同級生から久しぶりの電話があった。
 声が弾んでいて、こちらの相づちも聞こえないほど。彼女は千葉
で一人暮らし。2年前にご主人を亡くされた途端に、あちこちから
頼られ、超多忙な毎日を送っておられる。

 故郷から呼んだ94歳の実母が、都内の長姉の家の近くの病院に
おられ、3姉妹で交代して食事の世話に行かれる。
 次女さんが船橋におられるが、病気がち、孫の世話と家事に、月
~金で通われる。時々沖縄の長男夫婦から、4人の孫の世話の
援助を求める電話がかかり、出張される。

 その日は土曜日。都内と船橋と両方を回ったそうだ。万歩計が、
なんと2万歩に達した、とオドロキの声。しかも、いつものお医者さん
に検診してもらったら、すべての数値が正常で健康そのものだった、
と言う。「歩くのがいいのですよ、但し足を痛めないように」と、言われ
たそうだ。

 バス停まで歩き、JR駅で電車に乗り、おそらく東京駅で乗り換え、
その後地下鉄か、電車か、ともかくあの長いホーム、乗り換えの階段
・・・登山より大変だろう。1万歩は軽いそうだ。
 きっと、彼女自身も驚き、また嬉しかったのだろう。帰宅し、ホッと
したら、私に電話をしたくなったと言う。しばらく1人で喋りまくり、落ち
着いた頃二人で笑いあっていた。

 それにしても都会の人はタフだ。先日の「歩こう会」、一緒だった
友人に聞いたら砺波駅からで7000歩ほどかな~とのこと。あのくらい
を毎日歩いておられるわけだ。

 私はと言えば、昨夜は雨を心配しながら家を出たが、瑞龍寺あたり
でポツポツ降り出し、Uターン。今朝も明け方から土砂降りだ。夜は
どうだろうか。 
 雨の中で、たった二つ蕾をつけていた、我が家のくちなしが一つ
咲いた。まだ完全に開いていない。去年皆無だったことを思えば嬉し
く、カメラを向けた。横にもう一つ蕾が見えるだろうか。
 隣にバイカウツギとサルスベリの小鉢があるが、これも残念ながら
蕾はない。
            
 

ブログ記念日

2009-07-07 | 日記・つぶやき
 7/7は七夕。私の誕生日の5日後。そして「Rubyの会」の
ネーミングもこの前後だった。

 姫ちゃんの「高岡市民学遊塾・ブログ講座」に参加、手取り足取り
で教えてもらい、ともかく開設したのが去年の7月7日。
 今日が1年目の記念日となる。写真を入れるようになったのは
更にその後。その後も写真の撮り方、サイズ、トリミングなども
教えてもらった。文字の色やフォントを何度指南してもらっても
できないのは、この機械(WINDOWS ME)のせいだと思っている。

 その間、いろいろ教えてくださり、コメントで励ましてくださった
先生、先輩方、友人達、いつも開いて感想を言ってくださる読者の
皆様、ほんとにありがとうございます。

 今は、私の生活の1部、楽しみになっています。心身ともに
元気なうちは続けられるかな、と思っていますので、どうぞよろ
しくお願いします。

 写真は、佐渡、七浦海岸の夫婦岩。そろそろ佐渡旅行をアップ
したいとと思っているのですが。

夏越(なごし)の祓い

2009-07-06 | 日記・つぶやき
 6/30(月)午後、音訳の友人、ミサさんことKさん宅で、自称
「パソコンサロン」が開かれた。Yさんと私はお互いのノートパソ
コン持参で訪問、お茶やお喋りを交えながら、それぞれが知って
いることを交歓しながら勉強会、夕方近くまで楽しく過ごした。
 ミサさん宅は古城公園のすぐ近く、その日は朝のうちに「夏越の
祓い」を済ませた、と仰るので、「それ何?」と取材を始めたら、
日課のフォト句帖に書こうと思い、写真も撮って来た、と見せて
くださった。
 彼女は、俳句や編み物がお得意、読書や音楽も大好きな物静か
な方である。「じゃ、フォト句帖を送って」と、厚かましくお願いし、
今日のブログに紹介させていただくことになりました。

 以下はミサさんより:
            

 6月30日は”夏越(なごし)の祓い”なので射水神社へ茅(ち)の輪を
くぐりに行ってきた。
 歳時記に、「陰暦六月・十二月の晦日は一年を二期に分けて、来る
べき新たな時期に入る祭りの忌の日であった。六月晦日のを「夏越」と
言い、今は新暦または月遅れの七月晦日におこなっているところも
ある・・・近畿とその周辺の村々の社では茅の輪を作って人にこれを
潜らせ祓いを行う。」とある。

 よいと言われる事はなるべくする私、今年で十回目になる。
去年までは一回潜って、又もう一回は母の分と二回潜っていたが、
今年からは一回になった。今年の茅の輪は、<お結び>のように
上が細い。そこで

     風ぬける茅の輪の少しいびつなり  

 と句帳に記した。  


 長い間、看病しておられたお母様をちょうど1年前に亡くして
おられる。