Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

昔は千保川だった~

2009-06-30 | 高岡
 何歳だったか、小学校へあがる前だったか、すっかり忘れたが、
子供の頃、耳の治療にわざわざ城端から高岡まで通院したこと
がある。母と一緒だったか、母は忙しく誰か通院する人に頼ん
で一緒に連れてきてもらったものか。
 ともかく、高岡駅を降りるとサンクミの病院までテクテクと歩い
た。サンクミ=産組(たぶん)、今の厚生連病院だ。30分以上は
かかるだろう。当時一時間歩くのは当たり前だった。

 今は、駅南に改札口ができてJR利用の時はほとんど駅南の道
を歩く。12、3分の距離だ。
 ウイングウイングへ週1で通う合唱練習や、図書館、講座に
出る時はこの北側の道を駅へ向かい歩く。やはり14、5分だ。
道路拡張のため一昨年あたりから線路側の家の立ち退きが始ま
りもう1軒もない。

 先月、樽谷先生の講演で、ここを千保川が流れていた、と聞い
たが、家がなくなってみると、北陸線の線路の下はいかにも川床
と言う感じだ。
 先日、ウイングの帰りに写真を撮ってみた。露出が上手く行か
ずボケているが、左の上を北陸線が走っている。線路の右側が
白金町、線路の左は清水町だ。道路の向こう(西方向)は羽広へ
続き8号線と合流する。
 北陸線は途中で左(南方向)へ曲がって行く。新しい道路になる
と車道も歩道も広くなり、カーブがなく見通しのいい道になること
だろう。      
         

高岡が舞台の文学②~「煙草」

2009-06-29 | 高岡

 6/23(火)は楽しみにしていた「高岡が舞台の文学②岩倉政治編」の講座の日。
 岩倉さんは戦後しばらく、私の故郷、城端金戸の専徳寺に住んでおられた。男の子1人、女の子3人の子供さんが、私の年齢の前後におられ、友達が親しかったので2,3回遊びに行った記憶がある。長女が塩子さん、次女が高子さん(今、青年座の女優さん)3女が麦子さん(シンガーソングライターの梅原司平さんの奥さんで布絵画家)だ。

 岩倉さん本人は高瀬村(今は南砺市井波)の貧農の10人兄弟の末子だそうだ。福野農学校を卒業、大阪、東京で苦学をしながら大谷大学哲学科を卒業、鈴木大拙に仏教を学んだ。
 「稲熱病(いもち)」で芥川賞候補に。「村長日記」で農民文学賞を受賞。戦後発表された「空気のなくなる日」は映画にもなり、城端の映画館へ学校から観に行ったものだ。空気がなくなるというデマが町に流れ、大人も子供も対策におおわらわする喜劇のような児童文学だ。

 さて、高岡が舞台の「煙草」は、20ページほどの短編で、伏木港と松太枝浜が舞台である。
 貧乏寺の住職の須井が終戦近く召集され、伏木港で荷降ろしの軍務につく。当時国土決戦に備え、満州から大量の大豆や石炭が伏木港へ運ばれたそうだ。上等兵だった彼には時々俘虜監視兵の当番が回って来た。俘虜はほとんどが中国兵、アメリカ兵もいた。
 彼は僧侶だから樫棒を持たず、俘虜達に人道的に接したため、懲罰を受け松太枝浜(港での爆撃を避け)でドラム缶の荷揚げ作業を命ぜられる。大変な重労働でとうとう倒れ、部隊医務室のベッドで終戦を知る事になる。

 そこへ、かつて俘虜だったアメリカ兵達が感謝の慰問にたびたび訪れ、チョコレート、ボンボン、ミルク缶、煙草を差し入れ、アメリカの軍医まで連れて来たというのだ。
 彼らが口々に話す言葉が、「ミスター スーイ、 アウア、ヒロイック、ブッディスト、プリエスト、 スーイ」 というものだ。「非文明的な上官の指令に抗して、我々の上に人道的信念を固執した、我々の英雄的仏教僧侶」と言って見舞いに来た、と書いてある。
 彼らを苦しめた大量のドラム缶は昭和23年頃まで砂浜に山積みされていたそうだ。俘虜収容所がどこにあったかは調べたがわからなかった、と米田先生は仰った。

 下は、伏木錦町の伏木港湾合同庁舎の前に建つ「日中友好の碑」。戦時中伏木港に強制連行され港湾労働に従事した中国人は数百名、うち17名が殉職したと、氏名が記されている。
 昭和54年、中田幸吉知事の名が建立委員会の筆頭にある。        

 岩倉さんは平成12年、97歳で、富山市で亡くなられたが、他に「田螺の歌」「無告の記」(上中下巻)の大作がある。


映画「剱岳・点の記」

2009-06-25 | 映画・テレビ・演劇・芸能
 MiTUコンサートの翌日、ウオーキング仲間のSさんと「剱岳・
点の記」を観て来た。

 もちろん、剱岳は登ったことがない。我が家からも見えないが、
富山方面へ車を走らせていて、風の強い日や晴天の日に立山
連峰が見渡せると、すぐ剱岳を目で追っている。素晴らしいなぁ。
その威容を眺めるだけで気分が高揚するのだ。
 私の時代は剱岳は標高3003mと学校で習った記憶がある。
但しはっきりしない、と注釈があったような…。
 今の2999mは、2004年に決定した。明治40年陸軍参謀本部
陸地測量部の柴崎芳太郎らが測量したのが2998m。わずか
1mの差だったと言う。

 これだけ大きく報道され、期待されると、見た後それほどでは
なかった、との感想はよくある。yahooのユーザーズレビューを
読むと、新田次郎の原作を読んだ人、山岳写真が好きな人、
TVの自然を写したドキュメンタリー番組のファン、そして登山家
に不満の声が多かった。
 CGも特撮もない、あちこちの先撮りもなし、事実のまま順を
追って淡々と撮ったと言う。だから自分も一緒に山に立ち向か
い悩み闘っているような切迫感を味わう。



 雪の山を黙々と登る7人。そんな映像が淡々と続く。バックに
は聞き慣れたクラシックの音楽(特にバイオリンの音色)。
ドラマがないと書いている人もいた。原作には人間同士の葛藤が
もっと描かれていると。だが、少ないセリフからも充分想像でき
る。後は想像力の問題だ。
 最後の登頂の過程がアッサリしていたかもしれない。だが、
手旗信号で山岳会の人達とエールを交換するシーンは感動的だ
った。信号の意味を声に出さずに字幕で表せば、と言う人もい
た。が、案内人にわかるように声に出して読んだと考えてもおか
しくはない。

 素晴らしいキャスティング。名カメラマン木村大作の初監督作
品。いつも剱岳を仰いでいる富山県人としては必見の映画だ。

              

 写真はすべてHPより。

MiTUコンサート終わる

2009-06-24 | 合唱
 6/21(日)、ウイングウイング4Fホールで、第4回「合唱団
MiTUコンサート」が開かれた。
16年間ミサ曲を中心に歌い続けた「高岡市民音楽祭」の後を
引継ぎ結成された混声合唱団だ。
 今年で4回目、毎年今一歩と言う段階で本番を迎え、午前中は
上手く行ったのに本番ではどこかで失敗、の繰り返しである。
 去年は富山の「あるも」と言う若い合唱団が1ステージ持って
くださったが、今年は自分達だけで3ステージ全部通したので、
疲れが残った。が、ともかく終わりホッとしている。
 聴きに来て下さった友達からは、メールやブログ、または直接
に感想や、アドバイス、励ましの言葉をいただき、感謝している。

 4年間続けて聴きに来て下さる姫ちゃんの写真で紹介する。
トップは、第1部。八木重吉の詩に寺嶋陸也が作曲した、混声
合唱とピアノのための組曲「空を見る日」。
 心情表現までできたかどうかは別にして、スムーズに心行く
まで歌えた。

 下は、第2部。美空ひばり。初めてアンケートにより団員で
選んだ曲だ。「東京キッド」、「川の流れのように」、「一本の
鉛筆」。
 中島良史の編曲でハーモニーが美しい。ひばりと同世代も
多く、楽しく曲に乗れた。ただ、最後の曲で男声と女声がずれて
出るところでリズムが狂った。え?違う、と思ったがそれぞれ
勝手(?)に歌い進んで行く。そして最後のアカペラの箇所で
見事に合流し、きれいにまとまった。さすが、です。皆さんには、
どんな風に聞こえていたのだろう?
 ひばりの歌は誰がどんな風に歌おうと、ひばりには敵わない、
という感想を数人からいただいた。ひばりの素晴らしさを称える
言葉だが歌う側から言うとあのハーモニーはたまらない。
 ソプラノとテナーのソロがきれいだったと評価が高かった。
Nさん、Sさん、ご苦労様。よかったですね。

    

 最後に第3部「ルックスエテルナ(永遠の光)」。例年のこと
だがこれが難曲だった。歌詞が早く口がまわらない。2/4に
なったり、3/4になったり、5/4になったり拍子がしょっちゅう
変化するからしっかり数えていないと、どこを歌っているか
わからなくなる。やはり2曲目途中で迷子になってしまった。
 先生は、こんな難しいミサ曲が歌えるようになった、と励まして
くださるが。
              

 大写しの写真を見て反省したこと。楽譜にしがみついているの
がよくわかる。指揮は見ているのだが、楽譜から目が離せないの
は暗譜していないから。

 翌日はボーっと会計の仕事などをして、午後気分転換に映画、
昨日からまた新曲が始まった。
 来年もがんばりま~す!

木村有里さんを囲む会

2009-06-22 | 映画・テレビ・演劇・芸能
 音訳の友達のKさんと、いわせのコーラスの友達のYさんが、
次回の演劇の事前学習会に参加された。
 
 8月の「ハーヴィからの贈り物」で主演される、劇団NLTの
木村有里さんを「囲む会」がウイングウイングで開かれたのだ。

 Kさんからのメールによると:
 
 「木村有里さんを囲む会」に行ってきました。
気さくで朗らかな方ですね~!  よく喋られるし・・・。
かの黒柳徹子さんと喫茶店で、徹子さんが「フムフム・・・フーン」
と聞き役で、有里さんが一方的に喋っていたというエピソードが
あるそうです。

 だそうだ。これだけ読んでも楽しい会だっただろう、と想像が
つく。
 「ハーヴィからの贈り物」はファンタジック・コメディの最高傑作
だそうだ。カリフォルニア州の名家、ダウト家の長男エルウッドは
心優しい紳士だが、最近ハーヴィと言う名の彼にしか見えない
親友ができた・・・。ここまで聞いただけで、何か一騒動が起こり
そうな予感がする。

 そのハーヴィを演ずるのが寺泉憲さん。
 「彼は慶応出身で、品がよく教養があり、ハーヴィにぴったりの
お人柄だそうです。喜劇で兎に角面白いけど、最後にほろりと
する所があり、今喋ってしまうと本番の楽しみがなくなるから…
と、ほとんど雑談ばかりでした。」とKさんの言葉。

 役者さんに親近感を持つのも、学習会の大切な目的。私も聴き
たかったな~。平米のお稽古日だったのだ。
 コメディは久しぶり。8/1,2日が楽しみだ。

万歩計

2009-06-20 | 健康

 「市民歩こう会」に参加し、続けてフィットネスクラブ体験「肩すっきりコース」に出てからというもの、お金をかけないで運動を、とできるだけ歩くように心がけている。

 たまたま、古い万歩計がひょっこり見つかり、付け始めたのが、今週の日曜日。今日で1週間経った。
 朝起きると腰につける。午前中家の中や、庭ををうろうろするだけでは1000歩にも満たない。駅やウイングウイングまでの用事なら歩き、あるいはおとぎの森へ行き、何周か歩いてくる。
 夜の八丁道ウオークの日は、それで充分、と言うことにした。

 1週間の結果は?
  日・・・3,323歩
  月・・・1,860歩
  火・・・5,330歩
  水・・・5,630歩
  木・・・5,410歩
  金・・・6,285歩

 まあ、せいぜいで、5000歩が目標というところか。
「万歩計」でなく「5千歩計」でしばらくがんばってみよう。

 先日の夜の「八丁道ウオーク」の際、途中でなんとも言えない芳香が漂って来た。夜のしじまの中でこんな良い香りが漂うと思わずクンクンと鼻をうごめかす。
 これは何の香りだったっけ?思い出せない、とクンクン。Sさんと両側の木々に近寄りながら歩いていたら、あった!

 くちなしの大きな木だった。暗い夜道に白々と美しく満開に咲いている。 
 翌日、日中八丁道を歩いてみた。例のくちなしの木は花がもう終わりかけだった。私も鉢を一つ持っているが、まだ蕾もない。くちなしはその香りのせいか、虫がつきやすく開花にこぎつけるだけでも大変なのに、八丁道にあんな大きな木があったとは!。

 瑞龍寺から八丁道へ入るとこの標識がある。前田墓所まで八丁(870m)あると記してある。少し歩くと、利長公の銅像が・・・。
           

 高岡駅南口から南へ(イオン方面)進む大通りを横切り、更に前田墓所へと進むと、下の、石の道標が立っている。
 そこからしばらく行くとくちなしの木があった。

          


カラオケ再開

2009-06-18 | 音楽
 先週、何年ぶりかでカラオケに行った。

 きっかけは名古屋旅行。夕食後ホテルのカラオケルームへ。
まず、大阪のHさんに誘われて「瀬戸の花嫁」を歌ったが、リズム
が全然合わない。
 次に、今MiTUで練習している、ひばりの「一本の鉛筆」をリクエ
スト。これは合唱の編曲と違うので最初からもう、合わない。
 ちょっと情けなかった。

 夜の宴会でも、故郷の民謡をと言うので、「こきりこ節」と「麦屋
節」を披露したつもりが、伴奏のないせいもあり、声が続かず声
量もなく、散々。

 口惜しくて特訓しようと、Sさんに付き合ってもらった。
1時間半。二人だけなのでたっぷり歌えた。Sさんは演歌系、私は
歌声喫茶系。彼女は最近兄姉と温泉で歌ったそうで、板について
いる。ボリュームもたっぷり。私はやはり、リズムが合わない、
声が伸びない、だったが終わる頃には少し慣れてきた。

 今度、コンサートで歌う歌の中で「一本の鉛筆」はなかったが、
「東京キッド」と「川の流れのように」はさすがに歌いこんでいるの
で、低音部をつけたりハミングを入れたりすると、歌っていて、とて
も気持がよく、楽しかった。

 今度また行きましょう。他の方も誘ってください。

 下は、6/14の「おとぎの森」のばら。
     


我が家の紫陽花たち

2009-06-16 | 自然・海山草花
 梅雨入りはしたもののしばらく雨が降っていない。が、やはり
紫陽花は梅雨どきを彩る色鮮やかな花だ。我が家の狭い庭にも
今が盛りと咲き誇って(この花にこの表現は似合わないが)いる。

 いろいろな方からのいただきものである。小矢部園芸高校へ
週1で通っていた頃は、挿し木の授業で友達と紫陽花を取替え
て、育てる勉強をした。だから今でもたくさん紫陽花の鉢がある。
最初は、○○さん、△△さんと札を立ていたが、今ではどれが
誰のだったか?

 下の「手まり型」のピンクの花が一番古く、たくさん株がある。
以前習っていた詩吟の方だったか? 
      

 下の左の「アマチャ」は茶々姫さんから。右の「ガクアジサイ」
は小矢部園芸の誰かから。



 下の左は、近所のKさんからもらった「墨田の花火」。
右は、小矢部の同級生Nさんからもらった「ベニガク」。いつか
訪ねた時、赤いのは珍しいよ、ともらって来た。鉢植えで1株だ
けだが、今一番色鮮やかだ。



 この他に、まだ開花してないのが2,3鉢ある。どんな色だっ
たか楽しみだ。
 ついでに、もう散り始めた「タニウツギ」(隣のMさんから)
と「ビヨウヤナギ」(茶々姫さんから)もアップの機会を。
   


前田墓所の睡蓮

2009-06-15 | 自然・海山草花
 つもさんのブログで、前田墓所の睡蓮の紹介があった。
そう言えば、昨秋9/13日の「総登城まつり」の日、年に一度
お墓の門が開くと言うので、姫ちゃん、案山子さんとお参りに
行き、睡蓮の頃見に来たいと話し合っていたのを思い出した。

 日曜日、駅南にいろいろ用事があったので、ついでに寄って
みた。前田コートでは中学校のテニス地区大会の表彰式の最
中。近所の子供たちや親子連れがお濠に釣り糸をたらしてい
る。

 「何、釣れるが?」
 「ザリガニ」
 「見えるが?」
 「見えんけど、石の陰におるから」
 石を見つけてそこへ釣り糸をたらすらしい。あ、餌を聞くのを
忘れた。 

     


                   
 

 参道には、散歩の人や友達同士のお年寄りもチラチラ見える
日曜日の午後でした。

スロー・ライフ

2009-06-14 | 日記・つぶやき
 土曜日の「茶々姫教室」は、お点前もさることながら情報交換
のシニアサロンである。昨日は「枇杷の実」の主菓子に「名水点
て」のお点前だった。

 全員がリタイア組なので、自然と自分流が板につき、のんびり
型も、せっかち型も、他に合わせるよりは他人を自分のペースに
巻き込みたい。でも、年とともにスロー・ライフに慣れてくるので、
誰かに急かされるのがイヤだ、と言う話になった。

 案山子さんは、駅の駐車場の出入り口で「駐車券をお取りくだ
さい。」とか「駐車券をお入れください。料金は○○円です。
駐車券は出口で必要です。」と繰り返されるとイライラしてなお
慌てるそうだ。
 私は、それは歌のように聞こえるからあまり気にならない。
いつものことだ、と聞き流せる。

 が、先日ドキッとして心臓が止まりそうになったことがあった。
たまたまその日はAさんも一緒で駅の近くで会合があった。
 駅の駐輪場でのこと。私は徒歩だったが、駐輪場へ近づくと、
突然、甲高い声で「カギかけてかれか。かけんととらりっよ~」
と、繰り返し叫ぶ女性がいる。思わず周りを見た。駐輪場には
高校生が…。Aさんはもっと驚いたそうだ。自転車を止めようと
駐輪場へ入った途端に聞こえた。人がいる間中、繰り返している。

 センサーが働きテープが回るのだろう。生粋の高岡弁だ。言葉
だけ読むと優しげだが、なかなかきつい調子で一瞬ドキッとする。
ここに音声が出せないのが残念。

 幟には「カギかけ防犯キャンペーン実施中・『かぎかけんまい
け』・高岡市安全まちづくり推進センター/高岡防犯協会」と
書かれていた。
 きっと苦肉の策なんだろうな~。


                

肩すっきりコース

2009-06-12 | 健康
 義妹がときどき、近くのオーパスフィットネットクラブの招待券
を持って来てくれる。「お風呂だけでも行って来れば?」と言う
が、せっかくだから何かのコースに参加したいと思い、スケジュ
ール表と空いた時間をチェック。初心者が無理なコースがほとん
どで、急にやると無理と言う。

 昨日、平米のお稽古がお休みだったので「肩すっきりコース」
に参加してみた。若い男性のインストラクターがてきぱきと指導、
音楽に合わせていろいろなストレッチをする。約25,6名が
受けている。肩甲骨を意識する動作が多く、私にはなかなかきつ
かった。特に左の肩が痛くて動かせないポーズがいくつかあった。

 いつも左首の付け根が痛いが、大したことはないと慣れてしま
っていたのだ。昨年暮れに疲労が重なり、左首に激痛が走り、
左右上下どちらへも動かせなくなったのは、コレだったのだ。
 慣れとは恐いもの、これが当たり前になっていた。最近前かが
みの姿勢が多いのはパソコンのせいかな~と反省している。

 それにしても、たくさんの人が来ている。この界隈に3箇所の
スポーツクラブがあるのだ。若い人は空いた時間を利用か?
年配者はここで半日過ごすのでは?よほど、お金と時間のある
人達だろうが、こんなに多くの人達が健康に留意しているという
ことだろう。

 まだまだ平均寿命は延びるのでは? 

高岡が舞台の文学①~「岩伍覚え書」

2009-06-11 | 高岡
 6/9(火)は、高岡市生涯学習センター講座「文学の舞台を読
む」の初回日だった。予定より日にちが遅れたのは、講師の米田
憲三先生の健康上の理由だったとのこと。
 「いつまでも若いつもりでおりましたが・・・」と仰った。
シリーズ⑲なのでずい分長く続けておられるわけだ。私は、2,3年
前の泉鏡花の「義血侠血」(滝の白糸の話)の頃から聴講する
ようになった。

 今年度は、宮尾登美子、岩倉政治、水上勉の3人を取り上げら
れる。後期では堀田善衛が予定されているらしい。
 宮尾登美子は高知生まれの小説家で、「櫂」や「一絃の琴」等
で有名だ。父が芸妓紹介業だったそうで、それを恥じつつもそれ
を題材にして書いた本が多い。
 「岩伍覚え書」も父が語る形式で3つの話があるが、第2話の
「すぽ抜きについて」と言う話の中に、高岡の廓が出てくると
言うので驚いた。

 すぽ抜きとは引き抜きのこと。高知の百姓の娘が家計を助ける
ために、大阪でチケットのもぎりをしていた揚げ句、高岡の廓に
売られて来た。ところが父親に「ココイヤ、ムカエコズバネコイラ
ズ」ハツエ」と電報を送る。慌てた父親は岩伍の所へ頼みに来る。
そこで身代金を用意して若い衆が高岡へ「すぽ抜き」に行く。

 そこが羽衣新地の八島楼、市の北郊にある開発町という埋立
地とある。高岡市は人口6万、北陸の大阪と言われ、行政的には
富山県下、文化的には金沢の影響が濃く、と書かれている。

 米田先生は、羽衣新地のあった羽衣神社へ行き写真を撮って
来られスクリーンで紹介された。私も行ってみた。
 赤い社のお稲荷さんである。昭和6年建立とある。境内に
大きな石碑が建っており、3人の翁の名前を刻み「創廓功労記念
碑」と書いてあった。
 明治33年高岡大火の後、羽衣新地を造り街中の遊郭が移った
そうだ。昭和32年、すべての廓が消滅するまで続いていたのだ
ろうか。



 

 下は文庫本。図書館には「宮尾登美子全集」などがあるが今は
貸し出し中。私は分厚い「昭和文学全集」を借りた。3段組の本
だが読みやすい。


市民歩こう会~新緑の有峰湖で森林散策

2009-06-10 | 健康

 4月から八丁道ウオーキングを再開した。清水町からだと往復約40分。週2回夜歩く。3年ぶりだ。3年前に比べ、手の振りも、脚の上げ方も、息切れも退歩しているね、と友達と分析している。
 3月頃から旅行の度に、坂道や階段を上る時息切れと膝の具合をチェック、そろそろ山道を歩く会に参加したいと思い始めた。

 だが、以前入っていた自遊塾の「山野草と温泉」はまだ無理、知人が入っているハイキングクラブも無理そう。そこへSさんから「歩こう会」の話があった。音訳で市報を読む時、いつも気になっていた会だ。
 さっそく、6/7(日)の有峰から参加した。市役所前に集合、なんと90名の参加で、バス3台も。MiTUの合唱仲間や、以前のご近所さんなど知ってる顔もチラチラと。
 6年前の秋、県政バスで来た時は、林道の落ち葉を裸足で踏みしめながら歩き、湖畔でハーモニカの伴奏で合唱した。

 今回はさすが「歩こう会」だ。ビジターセンター前で準備体操、周辺散策、そして職員さんによるオカリナとギターの演奏があった。曲は「エーデルワイス」や「憧れのハワイ航路」…。ずっと聴いていたいほど楽しい気分だったが、その後はひたすら歩く。 周辺に咲く谷ウツギが可憐だ。                               

              
 今年赴任したばかりの職員さん。オカリナは2週間目とか。          

 いよいよダム堰堤、沼浦谷、兵五郎谷と歩き始める。ゆるい登り坂だ。ペースが速く、息切れしそうだ。


 キャンプ場に着くと、冷タ谷(つべた谷)遊歩道を歩くコースとアスファルトの車道を歩くコースに分かれることになった。遊歩道は最初急傾斜があるらしい。迷ったが車道を歩くコースに加わった。24名だった。
 遊歩道からは薬師岳が望め、湿地にはみずばしょうも群生しているらしく、後で少し悔やまれたが、無理をしない、をモットーに。
                   

 山は一面に、赤いウツギの花が満開だった。我が家の谷ウツギは、白から赤に変わるが、これは赤一色。これも可愛い。          
 6月はコンサートと重なり参加できないが、7月の散居村はぜひ歩きたい。Sさん、またよろしくね。今回、彼女は野ぶきをたくさん摘み、美味しい煮しめを味わったそうだ。


映画「天使と悪魔」

2009-06-08 | 映画・テレビ・演劇・芸能
ようやく「天使と悪魔」を見た。前作の「ダ・ヴィンチ・コード」
より分かりやすく面白い。システィナ礼拝堂、サン・ピエトロ
大聖堂、他いろいろなローマ市内の観光名所の中へ入れる。

 17世紀、近代科学の父、ガリレオ・ガリレイは「地動説」を唱え、
宗教裁判にかけられ有罪となり、教皇庁から地動説を捨てること
を誓わされた。その後科学者達は秘密結社「イルミナティ」を作り
密かに活動を続けていた。
 今、ローマ教皇が逝去し、新しい教皇を選ぶコンクラーベの
最中に、教皇候補の4人が誘拐される。そこで事件を阻止すべく
アメリカからラングドン教授が呼ばれ、イルミなティにつながる
暗号を読み解いて行くのだが…。

 二転三転する展開にハラハラドキドキ。最後にどんでん返し
がある。ただ、最後の謎解きの場面が少し簡単すぎるような気
もした。
 
 さて、この映画に流れる音楽が、もう一つの関心事だった。
ストーリーを追うのに真剣で音楽を聞き漏らしたかと心配した
が、最後に、聴きなれたあの美しい曲が湧き出るように流れて
来た。
 新しい教皇が決まり集った市民が喜びの声を上げる場面だ。
モルテン・ローリドソンの「ルックス・エテルナ」、最後のアニュ
スディの中のアレルヤ・コーラスのメロディだ。
 この場面にピッタリのように思った。

 「神よ、世のすべての罪を取り除き、やすらぎを与えたまえ。
  永久のやすらぎを与えたまえ。
  永遠の光がかれらに輝きますように。
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 6/21のコンサートで、こんな感動的なコーラスをお聴かせ
できるだろうか?

 写真は、ラングドン教授(トム・ハンクス)と科学者の
ヴィットリオ(アイェレット・ゾラー)
          

きらり岡崎

2009-06-07 | 旅行
 名古屋旅行の最終章は「岡崎」。
「徳川家康公と三河武士を生んだ岡崎。265年の平和な江戸
時代は岡崎から始まりました。江戸時代の故郷は岡崎です。
歴史と文化のきらり、食のきらり、匠のきらり、岡崎のきらりを
お楽しみください。」とパンフにある。なるほど上手くPRする
ものだ。

 まず「大樹寺(だいじゅじ)」へ。歴代将軍の位牌が祭られて
いる菩提寺。三門から遠くに岡崎城が見えると言われ、皆、かが
んで眺めた。

 その後、八丁味噌の郷、「カクキュー」へ。岡崎城より八丁
(約870m)離れた八帖町(旧八丁村)の2社で江戸時代から
生産されている味噌とのこと。

 まず、昼食。八丁味噌ラガーと八丁味噌定食。こんにゃく、
焼豆腐、大根などにタップリと八丁味噌がかけてある。ゆで卵
にかけてあるのが特に美味しかった。売店にもいろいろ。八丁
味噌ういろう、八丁味噌羊羹…何にでも混ぜてあるらしい。
次々と試食しながら品定めし、一通りの物は買った。

 

 お土産コーナーの後、資料館へ。明治40年にできた味噌蔵が
資料館になっている。この地は東海道と矢作川の交わる所で
大豆や塩を入手しやすく、良質な天然水にも恵まれ、味噌作り
に最高な立地条件だったそうだ。

 まず、昔の店先と宮内省御用達の資料等。
         
         

 次に、水に浸した大豆を蒸す場面、蒸気発生用の鉄製の大釜、
蒸した大豆を拳大の味噌玉に握り、味噌玉に麹をつけ発酵させ
る過程が再現されている。

 写真は、昔の仕込み風景。発酵した味噌玉を大きなたらいの
中で塩と水とでこね合わす。それを仕込み桶へ運び、中にいる
人が踏み込みをしている。
        

 もちろん今は、すべて機械化。攪拌器でこね合わせた味噌を
仕込み桶に約6トン入れ、約3トンの石を積み上げて、二夏二冬
じっくりねかせるそうだ。熟成蔵には仕込み桶がずらっと並ぶ。
 工場の敷地内には、仕込み桶が所狭しと置かれ、たくさんの石
も積み上げられていた。
        

 ここは、平成18年度の朝ドラ「純情きらり」の舞台にも
なったそうで、こんな広場が。宮崎あおいちゃんの写真もあるが
撮影禁止。街中には「きらリ通り」もあるそうだ。