Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

凍結した朝

2014-01-31 | 富山

 最近は、真生会病院の眼科通いも2ヶ月に1度、3ヶ月に1度になった。1/27(月)、9時半予約の日、家を出たのは9時ちょっと前なのに、道路はまだ凍結状態。勤めていた頃は、つねに前日から天気予報をチェックし、積雪や凍結が予報される日は早起きしたものだ。家の前を除雪する、車のフロントガラスにお湯をかけ凍った雪を融かす、道路が凍結するとノロノロ運転になるので余裕をもって家を出る…などなど、ともかく早く家を出ないと勤務先に間に合わなかった。

 今年は不思議なほど雪が降らず、このまま立春を迎えようとしている。だが、27日の朝は、久しぶりに凍結した道路の怖さを味わった。清水町から舘川町交差点辺りまでの道路(県道58号線)が凍るのは、以前と同じ。慎重にブレーキを踏む。ゆっくり走る。昔の感覚がよみがえった。大野辺りからは何ともないのに、どうしてここの道路だけ凍るのだろう?
 真生会病院の広い駐車場でも、やはり日陰は凍っていて歩くのも怖い。日差しは暖かく冬晴れで、立山連峰がクッキリと大きく見えた。診察の結果は異状なしで、この後の定期検診で緑内障や黄斑上膜のようすを調べるそうだ。私の素朴な質問にも写真を見せて丁寧に説明してくださるので、よくわからないが納得する。毎日の生活でまだ慣れていないプリズム眼鏡は、徐々に慣れていくしかない。 11時過ぎに病院を出たが、日陰の道路は凍結したままだ。

 太陽がまぶしいほど照っているが、気温は低いのだろう。市役所やふれあい福祉センターで用事をすませ、センターの内の「高福レストラン」に入る。日替わりランチを注文。けっこう混んでいた。この日、ここで活動したグループや、サークルの方たちだろう。

 こんな雪景色は久しぶりと、シャッターを切ったのが、トップと↓の写真です(同じ家並みですが)。道路の雪も日当たりの屋根の雪もすっかり融けているのに、日陰の瓦屋根に雪が残り、きれいでした。                


映画「東京家族」と絵本「ちいさいおうち」

2014-01-29 | 映画・テレビ・演劇・芸能

 山田洋次監督の映画「小さいおうち」が、今上映中である(私はまだ見ていない)。それに先立ち、同じ監督の「東京家族」が、先日テレビで放映された。意外と早い地上波初上映で、嬉しくなって録画をして見た。昨年は、忙しくて見逃した映画だ。小津安二郎の「東京物語」のリメーク版(?)との触れ込みもあり、いつかぜひ見たいと思っていた。
 名画と言われた「東京物語」は何度もテレビで見ている。笠智衆と東山千栄子の老夫婦の姿、尾道の風景、戦死した次男の嫁、原節子との会話など、今でもよく覚えている。 

 さて、「東京家族」は、民放のBSでの上映なので頻繁にCMが入るので落ち着かない。時間もとても長く(実は録画しながらリアルタイムで見たので)、眠くなるところだが一気に最後まで見てしまった。そのくらい魅力的な映画だった。現代の生活に合わせて描かれているので、親の立場も子どもの立場もわかる私には、身につまされることばかり。しかも、ほのぼのと暖かい家族の繋がりが丁寧に映し出され、心を動かされる。

 広島から、子どもたちが住む東京を訪ねて来る老夫婦に、橋爪功と吉行和子。町医者の長男夫婦に西村雅彦と夏川結衣、美容師の長女夫婦に中嶋朋子と林正蔵、次男と恋人に妻夫木聡と蒼井優。                        
 大まかなあらすじは、ほとんど「東京物語」と同じ。大きく違うのは、若い二人の存在。二人とも地道な仕事を持ち、将来結婚を約束している。旅行先での母親の突然の死に、涙を流す次男。父親から息子を託され、頭をさげられて思わず泣く恋人の紀子。(名前も、「東京物語」と同じか似た名前になっているらしい) この若いカップルが、未来につながる次世代として明るい展望を予感させる。とは言え、今の世の中では、それも難しいかも…。

 途中で一つ気付いたことがあった。蒼井優の働く本屋さんの場面、ケータイに母親が倒れたとのメッセージが入る。ちょうどその時、女の子を連れた若いパパが、本棚の絵本を取ってくれるように頼むのだが、その絵本が、バージニア・りー・バートンの絵本「ちいさいおうち」に一瞬見えたのだ。アレッ?と思った。これは偶然?          
 後で、録画した画面を再現したら、やっぱり!

 当時は、中島京子の「小さいおうち」は発表され、直木賞受賞をしていたのだろう。山田監督は、すでに映画化を決めていたのだろうか。もちろん、絵本の「ちいさいおうち」と、小説「小さいおうち」はまったく違うストーリーなのだが。ますます映画が見たくなった。

 ↓は、中島京子の「小さいおうち」を読んだ時のブログです。 (映画のあらすじもわかり、ネタバレ?になるかも)

 http://blog.goo.ne.jp/67kiyoh/e/2f65905ba19e8bebb23c2abfe9e35a3c


天神様 & 家祈祷(やぎとう)

2014-01-28 | 富山

 1/22(水)夜、米島さん宅でお囃子の合わせ稽古があった。能舞台の床の間に、天神様の掛け軸が2幅かけてあり、鏡開きが過ぎたので、お神酒だけ供えてあった。
 そう言えば、我が家の天神様は、私が千葉で正月を迎えている間1人でお留守番。今年はお客もなかったので寂しかったことだろう。せめて「天神講」に向けてお供えを、とバローに寄った。「天神講」の張り紙コーナーには、かまぼこの赤い鯛、大きなカレイ、カニ…、値段と調理を考えて買ったのはハチメ2匹一皿。24日にお供えをした。            

 今年は、「家祈祷」が夫の月命日の26日。例年は、私の都合で、20日前後に来てもらっていたので、床の軸は天神様のままだった。25日に、天神様をお仕舞いし、すぐ家祈祷の準備をした。

 用意するもの:赤ろうそく、紅白のお鏡餅(これはなくてもいい)、お神酒、小皿に洗い米と塩、仏様のご膳、お花。           

             

 今年はそんなに寒くもなく、積雪もなく、とても助かった。例年だとお寺さんの車のために、朝除雪をしなければならなかった。そのため少し気が緩んでいたのもあり、朝1番に来られた時はまだお供え物の準備中。玄関も鍵がかかったままで、春のはじめから失態だった。いつものように若はんと二人で来られた。                

 力強い、テンポの速い祈祷のお経を上げられ、私もお祓いをしてもらう。お経の後は、お神酒と米と塩を、家の外の四隅に撒く。これで一年間、無病息災に過ごせると言うものだ。お正月の行事はすべて終わり、ホッとする。

 ↓は、5年前、初めての家祈祷のブログです。「家祈祷」について少し詳しく書いてあります。興味のある方はお読みください。 

 http://blog.goo.ne.jp/67kiyoh/d/20100123


田尻池の白鳥たち ’14

2014-01-26 | 自然・海山草花

 1/22(水)、富山婦中カンポの湯へ行った。年末に大きな行事を抱えていたSAさんと、「年が明けたら温泉にでも」と話していたのだ。私も年末は、例年より忙しく、千葉で正月を過ごしたせいもあり、すっかり忘れていたら、ホッと一息ついた頃彼女から電話があった。

 残っている無料券も3月で期限切れ、水曜日はランチバイキングとの情報で、22日に行きましょうと決めたのだが…。ランチバイキングは第2,4水曜日、ただし元日は休みだったからこの日は第3水曜なんだって。水曜はレディスデーだそうでそこそこ混んでいた。大広間で、ノンアルコールで○○ご膳を食べ、お互いの積る話をしあった。
 外は雪、立山連峰は見えない。ここのお風呂はホントに温まるので体がポカポカする。お風呂から上がるとちょうど3時だった。             

 帰り道で、ふと思いつき田尻池に寄ってみる。森のくまさんのブログに白鳥の記事が載っていたのだ。もう夕方だからお出かけから戻っているかしら。岸は鴨の大群で足の踏み場もないほど。                    

 白鳥は?池の遠くにいます。鴨に囲まれて…。でも数えたら20羽くらい。例年だとこの時間には1羽もいないこともある。子どもたちが食パンやコッペパンを千切って白鳥にやっている。何羽かが近付いて来たが、鴨に負けそう。                      

 鴨もいろいろな種類がいるらしく、羽の色が違い可愛いのだが…。                  

 昨年秋、針原・白鳥の里のお世話係りの方が引退され、針原の白鳥は激減した、と新聞に出ていた。田尻池へ来る白鳥は増えたのかもしれない。
 一旦帰宅、夕食後、米島さん宅のお囃子の特訓に出かけた。私は「融」の舞囃子の太鼓を打たせてもらった。ミスはいくつもあったものの、わりと気持よく打てて嬉しかった。   


柚子マーマレード、けっこう美味しく仕上がりました

2014-01-25 | 食物

 柚子茶を作って2週間目、今日試飲してみました。柚子茶と言うものを初めて飲むので比べようもありませんが、まあまあ美味しかったです。

 ↓は、先日作った柚子マーマレードです。これがけっこう美味しく仕上がり、翌日会ったSAさんに少しお裾分けしました。次の日、「今朝、トーストパンにつけて柚子マーマレードを食べました。朝からリッチな気分」のメールが届き、嬉しくなったので紹介します。私は、毎朝作るカスピ海ヨーグルトとバナバに加えて食べています。たまにトーストにも。 

  材料: 柚子 500g(トップ写真・10個)、砂糖 250g、水 250CC (柚子の重さを測って砂糖と水の量を決めました)

 作り方
   1. よく洗い、皮と、種、果肉(果汁、袋も)に分ける。果肉はスプーンで取る
          (種は取りにくいですが、残ったのは後で煮詰める時に浮いて来ます)

   2. 皮を千切りにする (綿はつけたまま)。

   3. 果肉を細かく切る。

   4. たっぷりの熱湯に皮を入れ、沸騰させ、5分間茹で、水にさらす。

   5. 2,3回水を替えて、軽くもみ洗いして、一晩水につける。

   6. 皮と果肉、砂糖、水を混ぜ、中火で煮る。       

             

   7. 煮汁が1/3以下、とろみがついたら完成。アクを丁寧に取る。            

  ↑の写真の大びんと、小びん2個分作れました。毎朝食べるのですぐ無くなりそう。私の千切りの切り方が大きめなので、シャキシャキしますが、味はちょうどよし、とても美味しいです。            


映画「武士の献立」

2014-01-24 | 映画・テレビ・演劇・芸能

 新作オペラ「滝の白糸」を見た数日後、映画「武士の献立」を見ました。大寒の日のわりに暖かい日。これは、加賀藩の実在の家族の物語とのこと。二つ続けて「金沢の文化と歴史」に触れたせいか、「さすが加賀百万石!敵いません」との思いを強くしました。

 映画は、加賀藩の江戸屋敷でお能が演じられている場面から始まります。5代目藩主の前田綱紀が催した能は「船弁慶(たぶん)」、前シテ静御前を演じたのが大槻伝蔵(緒方直人)。聞いたことのある名前だと思ったら、加賀騒動で五箇山に流刑になった加賀藩の重臣だった人です。子どもの頃や学生の頃、五箇山へ行くたび、「あそこが大槻伝蔵が流された場所」とよく聞かされたものです。庄川対岸の絶壁に洞穴が見え、綱を渡して食料を運んだとか。子ども心に大悪人と思いこみ、怖い思いをしたものです。

 その観能の宴の席で、加賀藩料理方の舟木伝内(西田敏行)は、お春(上戸彩)と出合います。お春は浅草の料理屋の娘、幼い頃火事で両親を亡くし、藩主の側室、お貞の方(夏川結衣)に仕えて娘同様に可愛がられます。商家へ嫁いだものの気の強さが仇になり、1年で離縁されました。春の優れた味覚と料理上手を見込んで、伝内は息子の嫁にと懇願します。
 舟木家は、加賀藩の由緒ある包丁侍の家。刀ではなく、包丁で主君に仕える武士を、揶揄と親しみを込め「包丁侍」と呼んだそうです。料理で藩に仕え、動乱を乗り越えた舟木家の家族の物語です。

 息子、安信(高良健吾)は、そんな家系を嫌い武道に専念し、腕の立つ剣士になっていました。だが、兄が流行り病で急死、家を継ぐことに…。お春は、料理が大の苦手で、しかも4歳年下の夫に「古だぬき」呼ばわりされ、ぶつかり合いすれ違いながら、夫を支えます。             

 治部煮に「すだれ麩」を入れたり、南瓜のいとこ煮を作ったり、お春の機転と工夫の料理や加賀野菜がふんだんに登場し、我々北陸人には懐かしい思いがします。そして、伝内が倒れた後、父に代わり夫婦で能登の郷土料理を調べ歩く中で、夫婦の絆が深まっていきます。また、各国の大名を招き、加賀藩の威信を示す饗応料理を作る大厨房と料理の数々は圧巻です。             

 藩主綱紀没後、寵臣だった大槻伝蔵は前田土佐守により失脚させられ加賀騒動が起こります。側室お貞の方(真如院)も罪人となります。土佐守暗殺のグループに加わろうとする夫を、命をかけて止めようとするお春。

 上戸彩ちゃんは、「半沢直樹」に次いで気が強く、健気な妻の役を演じていました。若夫婦を温かく見守る母、満に余貴美子、安信の友人に柄本佑、他、成海瑠子、鹿賀丈史、笹野高史などなど…、多彩な顔ぶれで楽しめる映画でした。
 舟木伝内と息子安信は、当時のレシピ集とも言える「料理無言抄」を残しているそうで、映画ではそれをもとに、当時武家や庶民が食べていた料理を再現、珍しい食材や馴染みの料理がスクリーンに登場します。お料理好きにはさらに興味が湧くことでしょう。朝ドラ「ごちそうさん」もそうですが、食べることは生きることですね。


新作オペラ「滝の白糸」 in 高岡

2014-01-20 | 音楽

 今から思えば、退職したばかりの頃、何にでも興味がありいろいろな講座やサークルに顔を出していた。ウイングウイングの「高岡が舞台の文学」(講師は米田憲三先生)もその一つである。泉鏡花の「義血侠血」が「滝の白糸」の原作で、高岡から話が始まると知ったのもその頃。ゲタ姫さんと一緒に、金沢の鏡花記念館や鏡花に関係のある寺、東茶屋街、浅野川巡りなどを楽しんだ。↓は、浅野川のほとりの「滝の白糸」像と梅の橋(ネットから)。   

                 
 水芸の白糸の話は、新派のお芝居にふさわしくてもオペラなんて、と言うのが私の正直な気持ち。だが前作の「高野聖」が素晴らしかったと言う感想を、MiTUで聞きチョッと興味が湧いている頃、風子さんから電話がかかった。ウイーンサロンオーケストラのチケットを買いに行った時、チラシだけ持って来ていたので、それを眺めながら「フムフム」と話を聞く。
 俳人の黛まどかさんの作詩、千住明さんの作曲で、高岡出身の森雅史さんも出演の新作オペラ、高岡が初公演、その後金沢、東京の新国立劇場で公演予定。市民会館を満席にして初日を迎えたい、と市民会館に係わる人から誘われたそうだ。その気持ちは、高岡市民としては当然。じゃ、と言うわけで、なはさんとMiTUの友人二人に声をかけた。

 そして、17日(金)、SAさんと待ち合わせ、なはさんとは駅で、TAさんとは会場入り口で、その前に夕食をなどプランを立て、出かけた。が、予定のお店はクローズド。幸い、公園内の「古城亭」前に止められたのでそこで野菜たっぷりパスタを食べる。なかなか美味しかった。          
 すっかり遅くなり、駐車をお願いするはずだった風子さんには迷惑をかけてしまった。市民会館ロビーはごった返し。高橋高岡市長、黛さん、千住さんも写真に収まっておられる。↓の写真は、ネットからいただきました。                 
 一幕から三幕まで、休憩を2度はさみ3時間に及ぶ大作です。
 高岡片原町から石動まで、乗合馬車に乗った「滝の白糸」こと水島 友。人力車より速いと聞き乗ったのに、人力車に追い越されてしまいます(原作で面白いこの場面も、乗客の合唱を入れコミカルに表現してあります)。馬丁の欣さんが馬を一頭外し、白糸を抱えて石動まで走ってくれ、気を失った白糸を茶店に預けて行きます。真面目で学問好きな欣さん、としかわからない…。

 その後、浅野川天神橋のたもとで二人は再会します。彼、村越欣弥は、あの一件で職を解かれ金沢まで来たが働き口が見つからず疲れて眠っていた、と言います。法律の勉強をしていたが、父を亡くし、高岡の母との生活費を稼いでいたのでした。白糸は突然仕送りを申し出て、彼を東京へ行かせます。高岡の母親にも仕送りを約束するのです。↓は、再会の場面。(写真はすべてネットから)          

 この後は、皆さんご存知でしょうから、写真だけ。
 ↓は、滝の白糸の水芸。水は光の映像です。光線が動くので水のように見えます。           

 ↓は、最後の裁判の場面。金沢地方裁判所。検事代理になった欣弥が、殺人の罪を犯した白糸を裁くことになり、死刑を言い渡します。        

 舞台の上に、歌のセリフの字幕が大きく出るのでわかりやすい。もちろんソリストも合唱も歌詞をはっきり歌われた。黛さんは、さすが俳人、古語が含まれているのか(私にはわからないが)、言葉が柔らかく美しい。オペラはアリアが大切だから、特に気を配ったと言っておられる。その言葉を生かすような千住さんの音楽が、またこのうえなく優しいのだ。ソリストが静かに、切々と歌う声が心を打つ。

 舞台の下にオーケストラピットが設けられるので、私たちの席はけっこう前の方だったがやはり距離がある。表情までは見えず、オペラグラスを持って来ればよかった、とTAさんが何度も呟いておられた。私も、超よく見えるプリズム眼鏡を忘れ、残念だった。でも、風子さん、みきこさんと我々4人が横並びの席で、幕間のお喋りも楽しく、夢のようなひと時だった。↓は、新聞記事より。「世界遺産級の公演」とあるが、まさにその通りと実感した。ぜったいに後世に残る名作オペラになるに違いない。       

 ここでも、オペラ鑑賞のマナーとしての拍手が気になった。切々と歌い上げるアリアやデュエットの後、次の曲に移る間合いがある。皆シーンとして待っている(実は私もそうだった)。余韻に浸っているとも言える。だが、途中から、ここは拍手の間(ま)じゃないかと気づいた。欣弥の母親が白糸への感謝の気持ちを歌う場面(しっとりとした心に沁みるメゾソプラノ)の後、拍手したかったが1人ではヘン。2幕、3幕目からは拍手が起こるようになった。
 最後に処刑前、二人がデュエットを歌いあげて、欣弥が去る場面。欣弥の死ぬ場面を割愛してあったね、と私。なはさんが、「後で、銃声が聞こえたけど、拍手が早くてよく聞こえなかった」と仰った。これは帰り道の会話である。感想を話しあわないとわからないことがずいぶんあると思った。新作オペラの初演、聴衆にとっても初体験。金沢ではどうだったのだろう?

 委嘱新作オペラ「滝の白糸」
 作曲:千住明  台本:黛まどか  原作:泉鏡花「義血侠血」
 演出:十川稔  指揮:大友直人  テーマアート:千住博
 キャスト:滝の白糸 中嶋彰子   村越欣弥 高柳圭   
       欣弥の母 鳥木弥生   
南京出刃打ち 森雅史    他
 コーラス:「滝の白糸」アンサンブル・ゾリスデン
 オーケストラ:オーケストラ・アンサンブル金沢

 なお、風子さんのブログに、「義血侠血」の乗合馬車の出発点だった片原中島町の稲荷神社のことや、オペラの舞台の写真などがアップされているので、↓をご覧ください。http://blog.goo.ne.jp/sakasita1292/e/a0f47cb81cf1e6219a00df3d92d0e79c?fm=entry_related


新年あれこれ~高貴高齢者など

2014-01-19 | 日記・つぶやき

 「新年あれこれ」シリーズの最後です。

 私が所属する合唱団MiTuの新年会で、バスのMAさんが「今年の誕生日で後期高齢者の仲間入りをします」とニコニコしながら、クラリネットを披露された。開進堂で習い始めたのだそうだ。感心するとともに、「え?もしかして私も?」との思いが頭をよぎった。このグループには私と同い年の団員が5,6名はいるはず。みんな一緒に後期高齢者?と思うと気分が萎えた。昨年は運転免許の高齢者講習、目の手術、足の怪我などなどで、体力に自信をなくしている矢先だからなおさらである。

 ところが、姫ちゃんの同級生のどんちゃんから、上のタイトルのような素敵な言葉のプレゼントが届いた。「善喜高齢者」と「高貴高齢者」(私のPCくんは、もはやすでにこの漢字を記憶しました)である。これだと善喜でも高貴でもどちらでもいいわ、両方でもいいわ、だ。高齢者が嫌なら、高麗者もお薦め、とのこと。
 そもそもが医療制度かなんかでお役所が作った言葉。年齢の区切りと思いこみ、落ち込む私がアホなのだ。古来の言葉、古希はあまり抵抗なくすんなり受け入れられた。お祝いとの意識も働く。喜寿はどうなんだろう?次は傘寿なんだって。それぞれいい漢字です。

 と言いつつ、私のひ孫を紹介します。孫のいない私が、突然ひ孫?と驚かれる人もありましょうが、そこはいろいろありまして。私としてはとても嬉しく、悦に入っています。トップ写真の、向かって右の女の子がレイラ・スーちゃん。たくさんの玩具に囲まれて、いとこと一緒に。クリスマスに撮ったものです。先日、マークから送られて来ました。 


柚子茶を作ってみました

2014-01-18 | 食物

 年暮れに、2か所から柚子をいただいた。いつもなら、お風呂に入れたり、スライスしたり絞ったりして料理に入れるくらい。柚子味噌はようこ姫さんからもらうし、いつものことだが作る人より食べる人の私だが、今年はなんか作ってみようと、一番簡単そうな柚子茶作りに挑戦した。
 森のくまさんのブログに、柚子マーマレードや柚子ジャムの作り方が紹介されていた。新聞には柚子茶。もちろんネットには、音声つき動画でいろいろ載っている。いつも目分量の私が、この際スケールを買うことにした。接骨院の帰り道に「クスリのアオキ」に寄ったがない。仕方なく佐野の「ウエルサンピア」まで行ったら、一種類、一個だけあった。980円のデジタル。            

 ↑の写真の左(チョッと萎びている)の柚子を柚子茶に、右のをマーマレードにしよう。

 材料:柚子、砂糖(氷砂糖 or はちみつ)…砂糖は柚子と同量か2/3くらい。

 1.まず皮をよく洗います。(赤いスポンジはゲタ姫さんのプレゼント)             

 2.スプーンか、包丁の先で、果肉と種をとり除きます。皮は千切りに。果肉は細かく切ります。(種は別に使います)                    

 3.千切りにした皮を、1時間ほど冷凍します。(組織が壊れエキスが出やすくなる)
 4.冷凍した皮と果肉を混ぜます。             

 5.熱湯消毒した瓶に、皮・果肉と砂糖を交互に重ねて詰めます。一番上にたっぷりの砂糖と残った汁をかけます。そのまま、室温で2週間保存して出来上がり。ときどきやさしく振ります。2週間後が楽しみ。         

 次回は、残った柚子でマーマレードを作る予定。 


新年あれこれ~左義長など

2014-01-15 | 富山

 全国高校サッカー選手権大会の富山第一高校の準決勝、決勝戦とも素晴らしい試合でしたね~。感動の涙、涙でした。14日の朝刊2紙を隅々まで読み返し、またまた涙がにじみました。
 11日(土)の準決勝はずっと見ていたのですが、最後のPK戦は怖くて見られず音声だけ聞いていたのです。決勝は、しっかり観て応援しようと、テレビに向き合い目を離さず最後の瞬間までドキドキ、ハラハラしながら観戦しました。
 13日(月)の星陵との決勝戦。2点差をつけられた後半42分、途中から入った高浪くんがゴール後すぐボールを持って駆け出す姿、時間がない、早く試合を続けようと言う気持ち、終了間際のPKを冷静に蹴ってゴールに入れた主将の大塚くん。同点で延長戦にもつれ込み、そこでも決まらずPK戦突入を目前に、村井くんが放ったゴール。ドラマの連続でした。99名の部員のほとんどが県内の生徒で自宅通学生だそうです。大塚監督の「子どもの頃から知っている者同士、田舎の子でも全国一になれることを証明でき嬉しい」の言葉を誇りに思った県民は多いことでしょう。

 祝日だが息子は出勤しているか、家でテレビを見ていたか?と思いつつケータイにメールを入れました。「テレビ見ていましたか?感動的な試合だったね」と。折り返しの返事は「見ませんでしたが…、他の人からもその話でメールが来ました。」 会社の人か?同郷の友人か?でしょう。

 さて、翌14日、近所の大木白山神社の左義長の日。朝、姫ちゃんの伏木・気多神社の左義長の様子をブログで見て思い出しました。大木白山神社は、高岡市大工中町、JR北陸線の線路南にある神社。ウイングウイングでのMiTuの練習日なので、途中神社に寄ってから行くことに。左義長は6時までなので、5時に家を出ました。雪がハラハラと落ちています。途中、お向かいのご夫婦と会いました。境内でも近所の方と数人会い、新年の挨拶を交わします。暗くなった境内で赤い炎が勢いよく燃え上がっています。       

 ↓ 拝殿前で、1年の無病息災をお祈りします。       

 ↓ 道路脇には、消防車が待機していました。                         

 ↓ 線路側に回り、石垣の間から。      

 この石垣と線路の間の道を駅方向へ進み、線路下の地下道をくぐると駅北へ出ます。たまに車か自転車で通りますが、めったに歩きません。地下道の両方の出入り口に、↓のような表示を見つけました。右は 階段、左はスロープです。この地下道の上を用水が流れていますから、浸水した時の目安でしょうか。見方がよくわからないけど、赤線まで達したら通行止めになるのでしょうか。       

 7時の合唱までかなり時間があり、図書館で本を読んでいました。


ニューイヤー コンサート 2014・富山

2014-01-13 | 音楽

 いよいよこのブログのテンプレートのような雪の日が続くようになりました。寒さが増しますね。

 11日(日)は、半日だけですがウイーン気分を味わいました。もう、15年ほど前になりますか、案山子さんと’中欧物語’(当時こんなネーミングが流行していた)と言うツアーに参加しました。 プラハに入り、後はバスでウイーン、ブタペストと回るコースでした。3カ国を2泊ずつと言う駆け足旅行でしたが、ドナウ川を下ると言うふれこみで印象に残る旅でした。

 年暮れの「第九」コンサートの際に、富山・オーバードホールで「ウイーン・サロン・オーケストラのニューイヤーコンサート」のチラシをもらい、MIさんに誘われていました。毎年正月に、ウイーンフィルのニューイヤーコンサートがNHKで放送されますが、そのミニミニ版と言うことでしょうか。ぎりぎりに決め、高岡文化ホールのアーツナビで1000円引きのチケットを買いました。
 当日は小雨の降る日でしたが、気温はあまり低くなくまあまあのコンサート日和。ドレスを着て行くわけではないので、オーバーに襟巻姿で小杉駅に集合、電車に乗りました。なはさん、案山子さんと一緒です。ホールでは、偶然MIさんの隣の席でした。↓は、オーバードホール入り口。       

 オープニングは、軽快なマーチ「ウイーンはいつもウイーン」。2曲目が、昨年MiTUで歌った「ウイーン、我が夢の街」、懐かしくて口ずさみたくなります。
 この「ウイーン・サロン・オーケストラ」は、コンサートマスターのウド・ツヴェルファー氏が率いる30名足らずのオーケストラです。ソリストが2人、バレエダンサーが2人の最小編成で、ウイーンの音楽を本場の雰囲気で提供しようと設立されたとか。
 ワルツや、ポルカ、マーチ、オペラのアリアやデュエット・・・、聴いたことのあるよく知られている曲ばかりなのでとても楽しいものでした。

 プログラムは、ワルツ「金と銀」、ポルカ「チック・タック」、歌曲が喜歌劇「メリーウイドウ」より「ヴィリアの歌」、「閉ざした唇に」、バレエは「トリッチ・トラッチ・ポルカ」、「ハンガリー万歳」など、可愛らしい男女の民族衣装で。オペラのアリアやデュエットは演技力も素晴らしく、衣装をつけたオペラの舞台を観たくなりました。(↓の写真はネットから)       

 最後は、「美しき青きドナウ」でしたが、拍手が鳴りやまず、アンコールとしてチェロソロを入れて「浜辺の歌」、次に「ふるさと」。最後に、「とやまのみなさま、しんねんおめでとうございます」と上手な日本語で挨拶され、「アンネンポルカ(たぶん)」を演奏してくださいました。

 もちろん指揮者はいないので、コンマスのウドさんが全身の動きでリズムをとられるのを、演奏者もソリストもダンサーも、心と体で感じて演奏されます。すごいことだな~と感心しました。ワルツもポルカも、緩急のリズムが曲の要、指揮者がいても合わせるのは難しいのに…。 
 思わず、能楽の世界を思いました。今、舞囃子の練習をしていますが、自分の太鼓の手を覚えるだけでなく、ここで謡がゆるむ、舞いの足拍子が入る、小鼓がポンポンと聞こえる、ここは大皷と合わせて打つ、などなどプロになるとその場の呼吸で合わせるのです。22日、米島家にてそんな申し合わせ(合わせるお稽古会)があり、それに向け少しずつ練習しないと、と思ったことでした。

 小杉駅前、ココスで久しぶりに3人で話しました。3月までお茶教室はお休み、いつか全員集合のRubyの会を計画しないといけません。


新年あれこれ~お稽古始めなど②

2014-01-11 | 能楽
 
アルトのつどい & MiTU初稽古
 千葉で、のんびりと息子と二人の正月を過ごし、帰宅した途端に大雪に見舞われた。除雪する気力もなく4日は降りしきる雪を眺めて過ごした。見るに見かねたお向いさんが我が家の除雪をしてくだ...
 

 ↑ のブログは、昨年のもの。gooの事務局はこまめに昨年のものを送ってくれる。昨年も、MiTU初稽古の前日に、TAさん宅でアルトのつどいをしたのだと、懐かしくなる。転勤族の若い団員さんの顔も見え、さらに懐かしくなった。横浜から年賀状が届いたが、彼女は女声コーラスを楽しんでいるらしい。

 さて、合唱の初稽古と新年会はアップ済みなので、今日は「能楽お囃子の会」の初稽古をアップします。と言っても写真がほとんどない。
 9日(木)、平米公民館の「能楽お囃子の会」の初稽古。が、親戚の不幸や怪我などで太鼓は3名が欠席、私一人だった。笛や謡のお稽古もあるので、総勢8名。お菓子の大当たりだった。上田先生が、ラングドック・イワカミのシュークリーム、米島さんから丸岡の五月ヶ瀬煎餅、YAさんから富山干し柿、私は千葉のお土産、落花生饅頭。大盛り山盛りだった。↓は、残った3個。   
 3月に、蒼山会と芙蓉会とお浚い会が二つもある。舞囃子が「融」と「絃上」、両方とも早舞なので覚えやすい、と先生は仰るが…。「絃上」のビデオテープを持って来てくださった。我が家には、まだ、ブラウン管テレビもビデオデッキも存在するので、観ながら練習することにしよう。この他に素謡や、仕舞の地謡(暗記するもの)など多数…。前期高齢者として最後の年と言うことで頑張りましょう。それにしても、後期高齢者なんて、医療制度での区切りのはず。年齢の区切りのように思われ、変に老人意識をかき立てる。

 10日(金)は、歯医者の初治療日だった。この日も雪。最近は、2ヶ月に1度歯石をとってもらうだけ。HA歯科さんの玄関は、正月飾りが華やかだ。↓は、玄関の外。赤い高杯(たかつき)に緑の松。中にあるのは何の実かしら?         

 玄関正面には、             

 下駄箱の上に、縁起ものの熊手。正月らしい飾りは押し絵のようだ。ガラスの向こうは待合室。              

 お稽古初めも、診察始めも、無事に終了。新しい1年が始ります。


新年あれこれ~お稽古始めなど①

2014-01-08 | 合唱

 例年になく長い正月休みをゆっくりされた方も多いだろう。幸い富山も雪のないお正月だったようだ。とは言え、私が千葉から帰った4日、富山空港を出ると外はみぞれだった。無料駐車場までの長い通路をスーツケースを引っ張って歩く。一応屋根はついているが寒い。若い人たちにどんどん追い越される。歩くのがずいぶん遅くなったと自覚する。

 カーラジオで「ぼやき川柳」を聞いた。ああ、土曜日だった、と思う。思わず笑うのがいくつもあったが、メモしないとすぐ忘れる。一句だけ覚えているのが↓の句。一瞬考えたからかもね。

 「うまどしを うしどしとかく ばかむすこ」 (ん?)
 「午年を 牛年と書く 馬鹿息子」 (なるほど)  先生のコメントは「よく似てますもんね」

 5日(日)、宅急便を待って義妹宅へお土産を持って行く。彼女はフィットネスクラブから帰って来たところ。う~ん、やはり若いね。

 6日(月)、私としては、この日が普段の生活に戻り活動開始する初日。翌日のMiTUの初稽古&新年会に向け、アルトだけの女声コーラス練習をTAさん宅でする。9名集まった。昨年”エーデルワイズ”を歌ったので、今年も、と声が上がった。英語の歌詞も入れたい、と熱望する人がいて”You Are My Sunshine"に決定、FUさんが楽譜を準備された。↓の楽譜をご覧ください。最初気づかなかったが、高音部は手書きでした。FUさんいわく、「私が、3度高く手書きしてコピーしたの。」 スッゴイ~イ!! FUさん編曲だったのです。皆さんがぜん張り切る。短いので3題目まで歌い、3題目は英語で、最後のフレーズは繰り返す、と決める。          

 当日、森のくまさんから、「ハモッていてきれいやったよ」とお褒めの言葉をもらったから、まあまあだったのだろう。

 7日(火)、MiTUの初稽古。1時間早めの6時から始る。年暮れに先生から、「’さだまさし’を5曲通すから練習して来るように」と宿題が出ていたのだが…。あいかわらず、同じ個所が揃わず、道遠しの感あり。来年は10回目の記念コンサート。今年はイブの年だ。設立9年目は、県内の合唱団としては非常に若い。しかも、毎年20曲近い新曲に取り組むなんてすごい頑張りだ。先生の「白い頭も黒い頭も交じって音楽を作る」と言う方針は大賛成。が、今年は、後期高齢者がどっと増える予感がする(たぶん私も)。これからも末永く歌い続けたいが、お世話係としては若返りが必要、せめて60代にリードしてほしいと思っている。

 新年会は、ウイングウイング隣の「居酒屋ポワル」。飲んで、食べて、喋って、歌って、SAさんと一緒に歩いて帰る途中、SAさんが茶々姫さんの年賀状を紹介してくださった。茶々姫さんの賀状は、雨晴の日の出の写真がプリントしてあったが、手書きの文章はそれぞれ違っていたらしい。SAさんが、思わず笑ったと言う言葉は:
 「楽しいことは、ホイホイ。ものいことは、あっち向いてホイ。」(正確でないかも?ほぼこんな意味) コレ、とても気に入りました。私もこの精神で行きたい。せめてスローライフをめざします。

 トップ写真は、KI新聞のサイトから。早川接骨院へ行く途中、ずっと眺めていました。こんな素晴らしい立山連峰はチョッと見られません。見出しのように「神々しさ」を漂わせていました。私の腕では無理と撮らなかったけど、実際には↑の写真よりずっと左右が広がり、MiTUの仲間が薬師まで見えたと感激しておられました。↑の写真では見えません。

 明日は、謡と太鼓のお稽古始めです。


千葉でのお正月 ’14

2014-01-04 | 日記・つぶやき
 
千葉でのお正月
 2年ぶりに千葉でお正月を過ごした。年暮れの雑用が多く、出発の日がなかなか決まらなかった。それでも29日にJTBへ行ったら、30日の座席指定がとれたので、朝8:44の「はくたか」で...
 

 昨年と同じタイトルで書こうと思っていたら、 昨年のブログがgoo事務局から送られて来た。私自身忘れていこともあり懐かしい気持。

 さて、2014年、元日朝、明るい日差しで目が覚めた。もう、、息子が起きてピアノ(ピアノは健在です)を弾いているようだ。聞いたことのあるメロディが聞こえてくる。午前中は実業団駅伝を見ていた。息子が時々富山へ出張で来る会社、セキノ興産が初出場するのでテレビ応援をするため。繰上げスタートになり最下位だったが、よく頑張っていました。

 2日と3日は、箱根駅伝。合間に読書。機内用の文庫本の他に、「利休にたずねよ」を宅配便に忍ばせた。少しずつ読み進める。表紙の絵は槿(むくげ:ムグンファと言い韓国の国花)。    

 日差しが暖かいので庭に出てみたが、小菊と南天しかない。枝を折って玄関に生ける。驚くなかれ、1年間千両と松の造花を入れたままだったのだ。        

 夕食はこたつで。ビールや日本酒を飲みながら。昨日紹介したご馳走の他に、冷凍のタラバガニがあった。ひとまず茹でて2杯酢で。鯛にしろ、カニにしろ、おせちにしろ、二人では多すぎ。毎日どう調理するか、相談しながら食べる贅沢な正月だった。
 3日午後、散歩がてら近くの「房の駅」へ出かける。横にコンビニもあり、買い物に便利になった。老人も若者も、この辺の人たちにとって住みやすくなったと言える。「房の駅」の隣にマンションも建った。落花生、ムラサキ芋、貝類など千葉の特産物も置いてあり、道の駅みたいなお店。       

 歩いて外へ出て気づいた。息子の家は角家だが、塀の回りのあちこちに落ち葉がかたまっており見苦しい。他のどの家もきれいに掃除されている。夕方近くから落ち葉掃除を始めた。キリがなく、なかなか終わらない。日頃見慣れぬバアチャンが掃除しているので、お隣のご主人や道を挟んだ横のご主人や家族の方が声をかけてくださる。大きな袋、2袋になった。

 最後に、↓は、息子の年賀状。私が20枚ばかり持って行ったのに写真を取り込んで印刷した(ボケ写真だが)。上の建物は、隈研吾設計の金沢の保育園。屋根に会社の製品が使われ、その修理に行った時のもの。下は、太陽光発電の屋根や息子考案の落とし口(?)など、なぜか鯛も。       

 4日朝、会社で部屋内の引っ越しを済ませたいから車で出勤すると言うので、羽田まで送ってもらった。富山空港はみぞれだった。寒い。


明けましておめでとうございます

2014-01-01 | 日記・つぶやき

 2014年を千葉で迎えています。12/31日、昼過ぎ羽田に着きました。東京は晴れた青空、気温も暖かです。息子の車で千葉へ。途中スーパーに寄り、1年ぶりに息子宅に入りました。庭を見て、昨年1年間、電話の返事もメールの返信もろくになかった理由がわかりました。よほど忙しい1年だったのでしょう。家の中に入り、「やっぱり」の思いを強くしました。お客もほとんどなかったのでしょう。床の掃除から始めなければなりません。こんなことは珍しいのです。二人で手分けして午後いっぱいかかって済ませました。もちろんガスレンジも。私もすぐ疲れるので、かなりいい加減ですが、でも家中そこそこきれいになりました。

 「食べる物がたくさんあるから持ってこないで」と電話で言うので、え?誰か作ってくれる人でも?と思いましたが早とちりでした。あちこち地方から送られてきた品、つきあいで買ったおせち料理がたくさんあり、食べきれないと言うわけです。

 ↓は、大和ハウスの「おせち料理」。        

        

            

 ↓ 金沢から送られた「大根ずし」。四十万谷さんから直接です。大根と鰊を重ねて麹漬けにしてあります。甘くておいしい。           

 ↓ お酒は、高知の「土佐のこうち」。これでおとそ。                  

 元日朝になり、明石から「真鯛の塩焼き」。 

  それぞれ出張先の取引の方や知り合いの方たちからです。この他に、私が持って行ったかぶらずしやら、昆布締めやら、お餅やら・・・。5日までに食べきれないと、彼は悩んでいます。毎日、ビールやワインを飲みながらたらふく食べよう、と贅沢なことを言っています。息子の仕事が、昨年からかなり変わったのがわかりました。

 うまくいけば、千葉から発信できそうです。