Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

全日本合唱コンクール 全国大会 ’12

2012-11-26 | 合唱

 24日は、富山オーバードホールで「全日本合唱コンクール全国大会~大学・職場・一般部門」が開かれた。今年で65回め。富山県では初めての開催。残念ながら富山県勢はこの部門には出場していない。だが、65年で1度のチャンスなので、初日SAさんと聴きに行った。MiTUの仲間には、二日間ともチケットを買った人もおられる。

 受付を通ると、↓のような衣装の展示。ソリスト用ではなく女声パートのメンバーのドレスだ。衣装も大事なアピール材料だろう。           

 もちろん楽譜も並んでいる。私たちが歌った「やさしい魚」もあった。           
 10時から開会式、その後大学部門9グループ、お昼休憩をはさみ、8グループ。その後、一般部門が14グループ。それぞれが課題曲と自由曲(8分30秒以内)の2~3曲を歌う。

 東京工業大学混声合唱団のように142名の大編成から、一般では指揮者のいない16名のこじんまりしたグループまで。混声、男声、女声もさまざまだ。ほとんどアカペラの曲で、ピアノ伴奏はほんの数団体だけ。北海道、東北、東京、関東、中部、関西、中国、四国、九州のそれぞれの支部からの代表団体なのでそれはレベルが高い。

 お昼は、ホール内の「まいもんや」で定食ランチ、700円。富山は「地場もんや」やら「まいもんや」やらと面白いネーミングの店があるようだ。          

 MiTUのIさんと一緒に食べながら、この大会の歴史など聞く。Iさんは県合唱連盟の仕事をしておられたのでとても詳しい。話しこんでいて、午後の部が始ってしまった。演奏中は入場できない。2番目の関西学院グリークラブが聴けてほんとによかった。この大学は、私が子どもの頃からの常連校だ。名前だけよく聞いた。
 課題曲は、八木重吉の詩に曲をつけた「はらへたまってゆく かなしみ」。自由曲も、合唱による風土記「阿波」から、「水取り」と「たたら」。両方とも日本の曲だった。

 課題曲の中には、「無声慟哭」から「鳥のように栗鼠のように」と、「永訣の朝」から「松の針」のように、宮沢賢治の詩が二つも選ばれているのに驚く。詩の心を歌で表現するということだろう。
 課題曲の中には、パレストリーナの”Ego sum panis vivus”(私は命あるパンである)と言う曲があり、何度も聞いているうちに、TAさんが「きれいやね~。この曲、私たちにも歌えないかね~。がんばれば。」と何度か言われ、その熱意に驚く。私など「すごいな~」とただ感心して聞いているだけ。

 翌日の新聞発表によると、大学部門の最優秀賞は「関西学院グリークラブ」(兵庫県)、一般部門の最優秀賞は、「Combinir di Corista」(東京都)だった。
 25日(日)は、職場部門と一般大編成部門が行われたはず。全国から集まった合唱仲間の皆さん、富山が気に入ってくれたかな~。25日は快晴。立山連峰の素晴らしさに感激してもらえたら嬉しい。


いよいよ「宴会泥棒」~林与一さん 高岡へ!!

2012-11-25 | 映画・テレビ・演劇・芸能

 11/29、30日に、高岡文化ホールで劇団NLTの「宴会泥棒」の公演がある。タイトルに驚くが、ポスターにも驚いた。↓の紳士の背広の内ポケットにあるのは、ワインやら、パンやら、チキンやら…。これはどんなお芝居だろう?       

 10/12(金)に、劇団NLTの制作担当の「小川浩さんを囲む会」がウイングウイングで開かれ、なはさん、NAさんと参加した。(トップ写真も) ↓の小川さん、↑のポスターに似ているような。           

 原作は、「キャビアか煮豆か」というタイトルのイタリア喜劇だそうだ。舞台は、失業者があふれているナポリ。パパガット一家の当主レオニーダは、「宴会泥棒」と言う奇妙な仕事で家族を養っている。燕尾服を着こみ、招待されない宴会に出席し、酒や料理をちょろまかし、それを売りさばくのだ。このレオニーダ役が林与一さん。時代劇の人が翻訳劇をするのも面白いと言うのでお願いしたら、ちょうど60歳になるので新しいことをやってみようと引き受けられたそうだ。かくして”男の色気たっぷりの怪しいオッサン”が出来上がった。
 翻訳劇は初出演、時代劇で使わない言葉が多く自宅の壁という壁にセリフを貼って覚えられたそうだ。「林与一をよく知る方が『こんな面もあったか』と感じていただけたら」とは、ご本人の言葉。

 実は、私は数年前の上京の際に、三越劇場で「花の元禄後始末」と言うお芝居を観た。今は亡き淡島千景さんと林与一さんが紀伊国屋文左衛門夫婦を演じられた。これも、お金に困った女房が旦那を死んだことにして香典を集め、それを資金に商売をやり直し、儲けたお金を皆に返そうと言う喜劇さてうまく行きますかどうか?(↓はボケているが当時のポスターと観劇のブログです。開いてご覧ください)               

    「花の元禄後始末」:  http://blog.goo.ne.jp/67kiyoh/m/200908  

 「宴会泥棒」の方は、どんな結末になるのか?サブタイトルが「残りの人生もあなたと」とあるので、危機に瀕していた夫婦が仲直りする話かも。ともかく、名古屋で観て来られた会員の話によると、最初から最後まで笑い通しだったそうだ。
 運営サークルでは、シールを作ったり、観劇パンフ「カーテンコール」を作ったり、少しでもたくさんの方に見ていただこう、と懸命である。↓は事務所での打ち合わせ会。              

 ↓は、「カーテンコール」の表紙。なはさんのお孫さん、まごなはさんが洒落たスマートな表紙絵を描いてくださった。                

 11/29(木) 6:30~ と 30(金) 2:00の2回公演です。今からでも間に合います。新入会員のために良い席を確保してありますよ。高岡文化ホールにて、今回のチケットは5000円、後は月2500円ずつで2ヶ月に1公演、来年も面白いラインナップが続きます。入会希望の方は、「高岡演劇鑑賞会」☎0766-21-0027へどうぞ。              


お見舞い & samasama

2012-11-22 | 日記・つぶやき

 11/21(水)、11月も半ばを過ぎ冬は目と鼻の先まで来ている。最近は時々晴れ間が出て嬉しいのだが、庭の冬支度を始め半分ほどすると用事ができて、ずっと中保半端なままだ。
 この日は、午前中は「あかね」、午後はお見舞いの日だった。近所の一人暮らしの方が相次いで入院されている。野村公民館のコーラス(2ヵ月ぶりだった)で、YAさんと会い、一緒に済生会病院へ知人のお見舞いに行った。まず、イオンの花屋で、バラやカスミ草、ガーベラなどの切り花を買う。次にダイソーで花瓶を探した。細い小ぶりのものしかなく日用品売り場で↓のを見つけた。DUST BOXと書いてあるが大きさも色も手ごろ。        

 病院の洗面所で水を入れ、花を生けた。        

 Uさんは93歳。ずっとお一人で暮らしておられた。子どもさんが3人とも関西におられ、冬の間は子どもさん達の家で過ごすのを楽しみにしておられたものだ。最近は息子さんが退職されたので高岡と神戸を行ったり来たりしておられたが、その矢先の入院である。お見舞いに行っても大丈夫と言われ、でも心配しながらお顔を見に行った。

 とてもお元気で、今はリハビリで歩く練習だそうだ。もともとお話し好きな方なので、近所のこと、昔のことなど話はつきない。早くにご主人を亡くされたせいもあろうか、明るい、しっかりした方だとは知っていたが、テーブルの上に「ナンプレ(数独)」の本があるのに驚いた。息子さんか娘さんが持って来られたのを解いておられる。
 Yaさんと二人で、「すごいね~、さすがやね~」を連発していた。話も楽しく、お見舞いに行き、こちらが元気になるとは! 後でお疲れではなかったか、と気になっている。

 そして、帰りに”samasama”に寄った。この日から、しろえびラーメンの発売である。富山麺遊会の作ったしろえびラーメンが「東京ラーメンショー」で日本一に輝いた。昨年のブラックラーメンに続く連覇だそうだ。↓は、新聞記事。

             

 ↓の写真の左端の背の高い男性がsamasamaの店主さん。 

 しろえびは唐揚げにしたのを、寸前にオーブンで温め香りを出す。とろろ昆布や昆布蒲鉾が入っているのも富山ならでは。あっさりと薄味、とても美味しいです。水菜は自分で麺の上に散らしていただきます。ぜひお試しください。800円です。  

 お見舞いに行き元気をもらい、ラーメンでまた元気になった。Uさんは、退院後どこで暮らすか思案中とのことだった。私は、2ヶ月に1度、お便りを持って訪問していた。お留守の時は、デイケアの日なので郵便受けに入れていたが、できるだけ家におられる日に訪ね、玄関でお話をしていたのだが。


3歳の孫弟子 誕生!

2012-11-21 | 日記・つぶやき

 11/17(土)、茶々姫教室のお稽古日。いつも弟子たちが車を止める車庫には誰の車もない。まだ皆揃っていないな、と思いながら茶々姫さん宅に行くと、お茶室が明るく話声も聞こえる。「珍しい。もう始まっているの?」と覗いたら、かわいいお弟子さんがお点前中だった。

 ようこ姫さんのお孫さん、あっ君だ。点て終わったお抹茶を「どうぞ」と私の前においてくれ、私が一服飲んで「ああ、美味しい。ありがとう」と言うと、にっこり。自分から「やってみたい」と、思うような接し方を日頃からしておられるのだろう。茶々姫さんの言葉によれば、「姫さんの子どもへの対し方がとても上手い」のです。

 お点前だけ頂戴して、その場にいなかった私は、茶々姫さんと姫さんからすべて写真を拝借した。どうぞご覧ください。
 ↓ このお棗は、お茶杓を立て掛けまが、こんなに上手にできました。
    

 ↓ 両手使いでお湯を注ぎます。こぼれないよう真剣なまなざし。    

 ↓ 左手お点前です。誰かが話しかけたか、顔がこちらを向いていますね。              

 後で姫さんに聞くと、「なんにでも興味をもっています。茶筅の置き方がとても気に入ったらしく、炒り卵をしながら、箸で逆さに置くのをやって見せてくれました。
おばあちゃんのお友達の所へまた行きたい、と言っています。」だそうです。

 茶々姫先生は、将来が楽しみだ、と言っておられます。


雨の「歩こう会」 & 「高志の郷」

2012-11-18 | 日記・つぶやき

 昨年もこんなに寒い日が続いただろうか。毎日、雨か風、気温も低い。16日は半月ぶりに快晴、この日しかないと庭仕事に出たが、落ち葉や雑草を始末しているうちに来客。途中で終わってしまった。木を縛ったり、支柱を立てたり冬支度をしなければならない。そして翌日からまた、寒さと雨だ。
 そんな折の、「歩こう会」。例年通り、年度最後は二上山万葉ラインを歩く。高岡市内に、適度にウオーキングが楽しめ、見晴らしもきく、こんな良い山があるのは幸せと、毎年参加している。ところが、前日から背中がスカスカし、なんか気が進まない。そんな状態だから寝坊してしまい、スタートの伏木正法寺には間にあわなかった。最終日は反省会もあり、「まんよう荘」で昼食を一緒に食べるのがお決まりだが、頼んでいたのでキャンセルはできない。朝、KIさんに電話をすると、「今、歩いているよ。反省会だけでもおいでよ」と言われた。ずっと、雨の中を歩いたそうだ。

 ちょうど乾杯と言う時に到着。皆さんと一緒に食事をした。年14,5回の「歩こう会」の完歩賞が6名だったそうだ(私は、今年は日が合わず、3,4回しか参加できなかった)。食事後も、MiTUの仲間4人と大いに喋り気分が晴れた。最後に、来年のコース案の紹介があった。4月の万葉ラインから始る。バスツアーは敦賀とか。来年も元気で歩きたい。
 その後、ゆっくりと入浴。ここは天然温泉だ。隣の「百楽荘」は来年閉館と「市民と市政」に載っていた。「まんよう荘」は民間会社経営だから、まだ大丈夫だろう。

 さて、帰宅途中、ふと思いついて「高志の郷」に寄ってみた。最近、話題の「サービス付き高齢者向け住宅」だ。元高岡市長の家の広い敷地跡に建てられた。高岡西高校の近くだ。
 前にも、書いたが、元職場の退職厚生会のお便りを配る係をしているが、今年は、4人の方が次々と入院されたり、ホームに入られたりした。その中の一人が、ここに入居されたのだ。横田本町の通りがこんなに広くスッキリしたのは知らなかった。       

       
 4階建ての建物で、1階はデイサービスセンター。訪問介護もする。2~4階にAタイプ~Dタイプまでの居室があり、各階に相談室・食事コーナー、和室、読書室などがあるようだ。中へは入らなかったが、パンフだけもらって来た。


映画 「かぞくのくに」

2012-11-17 | 映画・テレビ・演劇・芸能

 11/12(日)、富山「フォルツア」へ、「かぞくのくに」を見に行った。最初SAさんに誘われた時、どこかで聞いたタイトルだと思ったら新聞の紹介記事だった。11日に主役の井浦新さんが舞台挨拶に来ると言うのだ。残念ながらその日は無理で、翌日になった。その代わり月曜日はシニア割引で900円。駐車料金は2時間無料。

 いつものように「地場もん屋」から入る。「紅大根」と言う真っ赤な大根が出ている。各種柿も取りそろえ。いつ行っても面白い店だ。私は、かぼちゃと干しエビとおにぎりを、SAさんもどっさりと買い物をしてから映画館に入った。

            

 監督のヤン・ヨンヒ(↓の手前)は在日コリアン2世の女性、今も北朝鮮に住む3人の兄達と、日本で暮らす両親と自分、別れ別れに暮らしている、その実体験を自ら書き下ろした。    

 1959年~20年間、北朝鮮への「帰国事業」と言うのがあった。当時、民族差別や貧困に苦しんでいた9万人以上の在日コリアンの多くは、「地上の楽園」と言われた北朝鮮へ集団移住した。新潟の港から出航するニュースを覚えている。映画「パッチギ」にもそんな家族が登場した。

 映画では、1970年代16歳で北朝鮮に行った兄(井浦新)が、25年ぶりに病気の治療のため3カ月の予定で日本に帰って来る。「アイヴィ」と言う喫茶店を営む両親(津嘉山正種と宮崎美子)と妹(安藤サクラ)、親戚、友人などが大歓迎するが、兄の表情は冴えない。彼にはずっと監視人(ヤン・イクチュン)がつくのだ。    

 病気は長い治療が必要と診断されたのに、ピョンヤンから明日すぐ帰国するように、との指示が届く。「あっちの国ではそんなことは当たり前なんだ」と言う兄。怒って監視人に食ってかかる妹、16年前に息子を送り出したことを悔やみながら何も言えない父親、監視の人の分も背広を新調し息子を託す母親。淡々と描かれるだけに尚さら切ない。日本との国交が回復していないのでずっと会えないままだそうだ。

 ↓は、映画館内のポスターやパンフより。    

     

   

 井浦新は、以前は”ARATA”で出ていた(何にだったか覚えていないが)。今年の大河ドラマで、崇徳上皇で出演し印象深い。


射水市混声合唱団・モーツアルトの「レクイエム」

2012-11-16 | 合唱

 11/11(日)は、射水市混声合唱団の第1回コンサートだった。市制5周年目に音楽劇「射水の海」を上演、その後も小杉ラポールで活動を続けているそうだ。指揮者は宮丸勝先生。私たち、MiTUのメンバーが8名もダブル(中にはトリプルも)団員である。
 第1回コンサートに、モーツアルトの「レクイエム」を選んだとかなり前から聞いていた。アルトのMIさんからチケットをいただき、なはさん、案山子さん、SAさん、FUさんと出かけた。当日朝になり、風子さんも行けそうだからと電話を下さり、駆けつけてくださった。

 第1ステージは、混声合唱組曲「海鳥の詩」(更級源蔵作詞・広瀬量平作曲 (トップ写真)

 第2ステージは、「ふるさとの四季」(源田俊一郎編曲)を、4人のソリストでメドレー。この曲は、混声合唱曲で私たちも歌ったことがある懐かしいメロディー。        

 そして、第3ステージが、「レクイエム」。これも高岡市民音楽祭で何度か歌った曲(私は1度だけだが)。ちょうど1週間ほど前に、「ららら クラシック」で取り上げていた。モーツアルトが死の直前に、悲しみの中で作曲した未完の曲、と言われているが、逆に新しいことへの挑戦として、希望に満ちて作曲始めたと言う解釈だった。
 いずれにしろ、美しい曲で、何度も歌いたくなる気持ちがわかる。終演後、ソプラノのMAさんは、まだ感激冷めやらぬ表情で、「歌いたかった、歌えて嬉しかった」と仰った。↓は、カーテンコールと指揮者の挨拶。      

      

 終演後、小杉図書館後ろの「ルチャナ」に寄った。いつも満員とのことで、ダメ元で。紅葉を眺めながらゆっくりくつろげたらいいな、と思ったが、案の定4時半から貸し切り。何でも行政(どこかは聞かなかったが)が企画した合コンだそうだ。富山の方をあちこち回り、「ルチャナ」が最終コース。ここで結果発表(?)。何組かのカップルが成立すると良いね。
 ママさんの「ゴメンね、ゴメンね」の声を聞きながら、ケーキセットを注文し、楽しくいただいた。↓は、かぼちゃのスポンジケーキ。その↓は、コーヒーと、ニンジン、小松菜、もう一つは何だったか?のケーキです。    

           

 曇り空に、雪をかぶった剱岳が見え、いつかまたゆっくり来るね、と言いつつ店を出た。続々と若者達が到着するのを見ながら、同席したい気持ちだったが。


永村幸治・三味線ライブと兼六園

2012-11-15 | 音楽

 一昨年、津軽三味線の若き演奏者 永村幸治くんのライブを聴きに行って以来、彼の追っかけ(と言うか応援団)をしている。幸治君はようこ姫さんの親せき筋の青年で、小学生の頃から民謡三味線を習い、津軽三味線に魅せられ、全国大会に優勝、今はギターやドラム、ピアノとのコラボでロックやジャズも披露している。
 昨年は、県立音楽堂邦楽ホール、今年は金沢市文化ホールで。11/9(金)は、茶々姫教室の7名とimaichiさんと総勢8名で、JRで出かけた。

 ↓は、昨年2月のコンサートの模様です。http://blog.goo.ne.jp/67kiyoh/e/349cf901aeeb8cc4db6780d54a7ab826

 早目の昼食をすませて行ったので、金沢駅から兼六園に直行。全員65歳以上のシニア割引で、保険証か運転免許証で入園料が無料になる。これは先月同窓会で来園した時に知った。あの時は堤亭のガイドさんだったが、今回は青春時代を金沢で過ごしたKAさんの案内だ。ようこ姫さんの提案で園内は自由行動、入り口に4時集合、となった。園内で何度かすれ違いながら、いくつかのグループに分かれて歩いた。雪吊りと木々の写真を紹介します。11月から雪吊り作業が始っていが、(↓とトップは唐崎の松。) まだ途中で、支柱だけ立っているところもある。         

 ↓は、宝来島の紅葉。          

 阪急のツアーがバス3台で来ている。神戸からだそうだ。人だかりがするので行ってみると、今青鷺が飛んで来て内橋亭の屋根に止まったところと言う。青色の羽がきれいだったらしい。もう1度飛び立つかと待ったが、ゆっくり羽を休めてどこ吹く風の様子。諦めた。しばらくカメラを構えていたので、ボケ写真だが紹介します。        

         

 芭蕉の句碑や成巽閣前まで、かなり広範囲に回った。途中茶店でみたらし団子やぜんざいを食べて。朝から心配したお天気も、雨も落ちず散策にはちょうど。だが、夕方になると背中がスカスカと寒くなる。
 ↓は、雪で曲がりくねったり、えぐられたりしている木々の姿。植物園のように木の名前はない。手入れが行き届いているとは言え、やはり雪の重みには勝てない。
         

         

 ↓は、「根上がり松」。これは盛り土がしてあり、土をだんだん削ったものらしい。         

       

  全員が時間励行で4時に集合。尾山神社前の市文化ホールまでタクシーに乗った。近くのホテルで夕食の予定だったが、時間と値段と好みが合わず、レトロな食堂「お多福」へ入る。        

  たくさんのメニューから好きな物をチョイス。↓は、私のテーブル4人の注文の品。誰一人として同じ物を注文しない所が面白い。牡蠣フライ、生姜焼き、鯖の味噌煮、とんかつ定食です。それぞれうどんの小鉢がついている。          

 開場まで時間があり、ホール内の会議室(?)で休憩してから入場。1階の指定席である。↓は、会場入り口。左に東日本大震災の募金箱が置いてある。        

  ↓は、ポスター。共演のサウンドスプラッシュのメンバーの写真も添えてある。        

        

 この日は上のメンバーの他に和太鼓のキンボーさん(リンボーさん?)も加わった。       
オープニングは、オリジナル曲「まつり」。その後、幸治君の挨拶とメンバー紹介。挨拶では思わず胸が詰まり、言葉が途絶える。3年目を迎えたこと、キンボーさんが駆けつけてくれたことなど、嬉しい思いで感無量だったのだろう。
 トークを交えながら、オリジナル曲、「忘れ物」、「白山カントリー」など。民謡のアレンジ曲、「こきりこ」、「やまなか」など。第二部は、幸治君のソロで、大好きな「りんご節」、「津軽ジョンガラ節」など。「津軽ジョンガラ節」は、特別な曲で永遠に弾き続けるために絶えず努力、研究を続けなければならない、と語られ、若い情熱を垣間見た思いがした。

 ↓は、ネットに紹介されたステージ写真。         

 私としては、しっとりとした民謡がもう少し多めに聴けたらな、と思った。   


ボランティア広場 ’12

2012-11-13 | ボランティア

 11/10(土)、高岡ふれあい福祉センターで「ボランティア広場」の催しがあった。今年は、場内放送を私たち「グループあかね」が担当する番だ。私は、10時からの時間帯だったが、前日の金沢行きの疲れが尾を引き遅刻、開会式のアナウンスに間に合わず、迷惑をかけた。その後も会場をふらふら歩きまわり、肝心のボランティアの仕事がついつい疎かになってしまう…。野菜も買いたい、お餅も買いたい、茗荷寿司も買いたい、ステージ発表も見たい…などなどである。

 今年重点的に回ったコーナーだけ紹介します。(トップは1階ロビー 車椅子でゲーム・体操のコーナー
 まず、私たち「あかね」のパネル紹介です。「音訳テープができるまで」のパネルは例年通りですが、デジタル録音に挑戦の様子の写真が加わりました。
        

           

 次は、今年初めての「音声パソコン体験コーナー」。NPOのNATのコーナーだ。中央のパソコンは、入力するキーボードを音声に変えて知らせる視覚障害者のための物です。「あい」と入力すると「いとしの”愛”」と言うように漢字変換を音声で教えてくれます。上にカメラがついていて無料テレビ電話「スカイプ」としても使え、先生と生徒の両者がパソコンを操作し、遠隔学習もできます。         

 次は、人気の「おもちゃ病院 ぺんぎん」。「診療受付」 「診療病棟」の看板が見えます。         

 ↓は、診療中の豚自動車と、各種電池、工具。

            

 次に、「食改」の試食コーナー。「大根餅」がとても美味しかった。レシピもついています。昔風の木製の千枚おろしが展示してありました。        

        

        

 最後に、「手話サークル」の指文字。赤い手袋に綿を入れ五十音図を展示、思わず立ち寄りました。手話は言葉(名詞や動詞)を指で表しますが、外国語や人名地名など1音ずつ表す時は指文字を使います。        

 いくつか紹介してもらいました。↓は、文字の形で表す例。 「や」  「へ」。アルファベットで表す 「お」。

          

 「ぬすびと」を拝借した 「ぬ」。いろんな発想があり面白いですね。        

 最後に、私の名前を教えてもらいました。

         


本「ミレニアム 1 ドラゴン・タトゥーの女」上・下

2012-11-12 | 

 「あかね」のKAさんが「面白いよ」と言われたので、図書館で借りたことは以前書いた。久しぶりのミステリー、最初のとっつきが悪くて返却期間を過ぎてから読み始めた。そのうち、「ハリーポッター」の時のように、寝る前に必ず読み、先が気になり夜中まで放せなくなってきた。謎解きの面白さだ。続けて借りた下巻はあっと言う間に読み終わった。

 「1Q84」の青豆と天吾のように、二人の主人公の物語が別々に並行して進む。二人とは、ミカエル・ブルムクヴィストリスベット・サランデル。このカタカナ名前を見ただけで頭が痛くなる人もいるかも。私も何度も、最初のページの登場人物紹介に立ち戻った。

 タイトルの「ドラゴンタトゥの女」とは、もちろんリスベットだ。体中に刺青があり、耳と鼻にピアスをつけている痩せた小柄な女性。フリーの調査員。だが、物語はミカエルの事件から始まる。ミカエルは、雑誌「ミレニアム」の発行責任者で記者。二人は別々のルート(実際は仕組まれて)で、大実業家 ヴァンゲル一家の秘密に係わることになる。元会長ヘンリック・ヴァンゲルの孫娘、ハリエットの失踪事件である。
  
 
舞台はスエーデン。ストックホルムの北、ヘーデビー島。(↓は、上巻の表紙と本の最初のページの地図)
 

                        

 3部作全部を英訳で読んだSAさんに、「あなたがあんな本を読むとは…」と驚いたように笑われたが、私はミステリーは大好き。だから、真実が明らかになって行くまでの謎解きの過程が面白い。ただ、この本は、変質者が犯人で異様な殺害場面もあり、後味はあまりよくない(今新聞を賑わせているニュースを見ると、こんな事件は異様ではないかもしれないが)。

 過去の新聞や雑誌、犯罪記録などの資料を洗い出し、舐めるように読んで手がかりを発見する。資料のスキャン、メモのまとめなどすべてパソコンに保存、また相手のコンピューターへのハッキング行為もあり、で最先端の情報小説さながらである。
 2008年に、各国で翻訳され、どの国でもベストセラーだったそうだが、著者は出版前に亡くなったのだそうだ。 

  スティーグ・ラーソン著  ヘレンハルメ美穂・岩澤雅利訳  早川書房

 第2部を借りようかどうか目下思案中である。


能  三番

2012-11-10 | 能楽

 10/27(土)午後、茶々姫教室の日、お稽古前のお喋りのひと時のこと。最後に到着したANさんが、慌ただしい声で「Eテレ 見せて。今、能・狂言で『通小町』と『雷電』をしているよ。」 さっそく、茶々姫さんがテレビをつけると、ちょうど狂言の最中。お稽古が始まるので最後まで見られない。すぐに家に電話をして、娘に録画を頼んだ。NHK Eテレ「古典芸能 能・狂言」の番組だ。

 帰宅後、「雷電」を見た。宝生流家元 宝生和英(かずふさ)さんのシテである。上演の前に家元自らの解説があった。

 〈あらすじ〉 比叡山の僧、法性坊は菅原道真の師であった。天下のため護摩供養をしていると道真の霊があらわれ「自分は冤罪で左遷され死にいたったので、雷となって内裏に行き恨みをはらそうと思う」と述べる。そして「朝廷は悪霊退散のために法性坊を招くだろうが、もし呼ばれても参り給うな」と願う。法性坊は「比叡山は天皇の祈願所であるため、三度勅使が来たら断れない」と答える。それを聞いた道真の霊は、本尊の前に供えてあったざくろを噛み砕き、寺の戸に吐きかけると扉は燃えあがった。法性坊が法力で消し止めると、道真の霊は走り去る。(ここまでが前段)

 後段は内裏で雷となった道真の霊が暴れまわり、法性坊の法力と対決する。最後は朝廷から「天神」の神号をおくられ、礼を述べて黒雲に乗り立ち去る。

 宝生流では、宝生流の大後援者であった加賀藩主前田氏が菅原道真の子孫と称していたことに遠慮して、道真の霊が雷神となって内裏を暴れまわるところを改作し、朝廷を寿いで舞を舞うという筋にして上演する。曲名も「来殿」と改めた。
 だが、2年前に本来の「雷電」を復曲させ、難しい技も取り入れて演じている、と若き家元が秘めた決意を語っておられた。その後、偶然、後場だけのyoutubeを見つけたので、ぜひご覧ください。中入り後15分ほどです。シテ、ワキ、囃子とも迫力があります。画面に字幕も入るのでわかりやすいですよ。(写真は、トップ、↓ともに別の能のものです
       

 http://www.youtube.com/watch?v=GWUMUyfZqIo    

 11/4(日)、金沢定例能を なはさん、ANさん、SAさんと4人で見に行った。金沢駅2階でランチの計画で、店探しをする。これが楽しい。↓は、時間がかからず、値段も安く、好みにも合うと選んだランチ、「月替わり 料理3点とデザート付き」野菜中心のご膳で990円。店は、「八兆屋駅の蔵」。      

 駅前シャトルバスで能楽堂へ、と急いで店を出る。      

 定例能は、「柏崎」と「小鍛冶」の2曲。「柏崎」(シテ:佐野由於、ワキ:殿田謙吉、ワキツレ:平木豊男、子方:渡邊真之助)については、12月素謡で出るので、その時に内容を書きます。

 「小鍛冶」は、一昨年の冨山薪能、今年の高岡薪能で家元のシテで鑑賞したので、どうしても比べてしまう。この日は、シテ:渡邊茂人、ワキ:苗加登久治、ワキツレ:荒木克弥の皆さん。渡邊さんもお若い方だが、やはり動きは20代の家元には敵わないと言うのがいつも厳しいANさんの感想。だが、キビキビトした稲荷明神の所作、宗近(ワキ)と二人で刀を打つ呼吸はぴったり。ちょうど暗記した最終場面は、言葉がよくわかるので聞いていて心地よかった。太鼓(大橋紀美)も女性だが力強く、これも「早笛」 「舞働き」など日頃よく打つ手なので、体が自然に動くほど。知っている曲を聞くのは楽しいものだ。

 かくして4人での金沢行き観能ツアーは、無事に楽しく終わりました。


ヘリオス音楽祭

2012-11-08 | 音楽

 11/3(祝)は文化の日。ここ数年は、高岡市芸術祭の能楽部門に「連調連管」で出演していた。今年からまた邦楽と洋楽が別の日になり、能楽部門の枠が元通りに増えて仕舞や舞囃子の舞台になったのだろう、連調連管はなかった。

 これ幸いと、南砺市福野の「ヘリオス音楽祭」に行くことにしていた。円形劇場ヘリオスが建てられて22年目だそうだ。毎年「ヘリオス音楽祭」が開催されているとのこと。実行委員長は杉原芳枝さん。お笛の瀬賀先生のお姉さまである。
 今年は安念千重子さんがゲスト出演と聞き、SAさんと出かけた。福野へ行く途中、病院に寄りTEさんを見舞った。元気そうに見えたが、心なしか声が小さくなられたみたい。

 ヘリオスに着くと、ちょうど吹奏楽の演奏中だった。中学生と高校生。地元福野中学校と福野高校の吹奏楽部員だ。大勢でボリュームもあり息もぴったり。何と言っても若々しい。
 次がハンドべルクワイア。20名以上のメンバーが、小さいベルから大きいベルまでずらりと並び、一人が2個以上のベルを持っておられる。反響を止める時胸につけるしぐさや、振るだけでなく打ちつける音などが珍しかった。
 そしていよいよ 
ゲストステージ。↓は、安念千重子さんの歌樂「べろ出しチョンマ」、一人芝居(一人語り)を歌で綴る。原作は、斎藤隆介の童話。作曲は三木稔。ピアノは清水香里さん。大きく蝶々を刺繍した紫地の和服風のドレスで、けなげなチョンマと妹ウメの話を歌いあげられた。村人と一緒に父親が強訴し、母親と幼い兄妹までもが磔の刑にあう話である。 

 

 ↓は、もう1人のゲスト、バリトンの小林大祐さん。楽器のような大きな体でオペラのアリアなどを歌われた。久しぶりにオペラが観たくなる。 

  ↓は、福野高校合唱部の女声コーラス、「きみ歌えよ」など。澄みきった若者の声は胸を打つ。あんな声が出せたら、と思う。

  他に、森川先生指揮の女声合唱団「あすなろ」、混声合唱団「ア・ピアチューレ」、杉原さん指揮の「エーデルワイス」。
 ↓は、福野小学校合唱クラブ。最前列の男の子が何とも可愛らしかった。

  ↓は、コーラスあかね&福野小合唱クラブ。合同練習も何回かされたのだろう。こんな形式で歌えるのは、年代を問わず合唱に親しむ人が多い証拠。年齢層も幅広く、合唱活動が盛んだからこそ。

 最終ステージの混声合唱曲「夜高幻想」が圧巻だった。子どもの頃から聞きなれた歌のメロディーと、「ヨイヤサ ヨイヤサ」 「オチャヤレ オチャヤレ」 「ササ ドッコイサノサ」のかけ声の混じった歌、大人の声が入ったり、子どもの声が入ったり、吹奏楽の管楽器が入ったり、交じり合う音楽、素晴らしいものだった。
 杉原さんは、歌って、指揮をして、挨拶をして、と大活躍。一つの町が、音楽で一つになるなんてすこいことを続けておられる。

 帰りに、戸出の「餃子大将」(大伍の跡)で夕食。 


「菊池秀峰遺作展」

2012-11-07 | イベント

 今年春、お世話になった菊池秀雄先生が亡くなられた。11/2,3日の「戸出文化祭」で、水墨画の遺作展を開くと奥さまから知らせがあり、当時の同僚6名で出かけた。会場は戸出支所。広い部屋いっぱいにたくさんの軸や額が飾られていた。ほんの一部だけで、もっと作品はあるそうだ。「そんな恥ずかしいことすんなま。」と草葉の陰で言っているやろう、と奥さん。 

 ↓は、先生の遺影と奥さまの添え書き。   

 ↓にも書いてあるが、退職された後公民館の水墨画教室へ通われて、描き方の基礎を勉強されたようだ。熱心に線の描き方を研究しておられたのを奥さまは覚えておられる。描き始めて気に入らないと、すぐ破り描き直しと言うことはしょっちゅうだったそうだ。わざわざ紙を梳きに福井まで行かれることもあったらしい。大きな絵は、1ヶ月から2ヶ月もかけて描きあげられたそうだ。

  氷見出身の方で、小学校の担任の先生が絵の先生で、絵の基本を学ばれたようだ。現職中は仕事一筋だったろうから、退職後ずっとやりたいと温めておられた趣味の道に入られたのだろう。↓ 写真がぼやけているがそれは細かい線や点が描かれている。

  ↓は、ニワトリと牡丹。牡丹の花が大変好きで、初期の頃よく描かれた。鳥の絵は、「若冲みたい」とANさん。

                           

 ↓は、お気に入りの傑作、「夜の月」。大観を思わせる梅と月だ。   

 最初バックの墨を塗ってから梅の花と枝を描く。バックのムラを何度も直しておられたとか。白い梅は浮かび上がって見える。   

  ↓は、遺作展のお世話をしてくださった真木さんと「馬下げ、川下げ再現ウオーキング」の写真展。2,008年の開町400年行事の一環として行った。戸出地区は美味しいお米の宝庫。馬2頭に米俵をかつがせ、千保川まで歩く。そこから船に乗せ、吉久まで運ぶ。そこから関西方面へ運んだそうだ。それを再現して、大勢で歩いたのだそうだ。写真を見ながら、石引きの話、千保川下りの話が出て盛り上がった。

                

 その後、奥さまも交え、156号線沿いの一休食堂で、コーヒーとケーキで一休みし、再会を約束して別れた。
 この店は、「昆布飯」キャンペーンの参加店で、ランチに昆布飯メニューがある。いつか試食したいものだ。
 

                    


国上寺(こくじょうじ・くがみでら)~新潟県

2012-11-05 | 旅行

 今年の「蒼山会」の旅行はあいにく雨模様だった。毎年楽しみにしている謡蹟巡り。今年は、「禅師曽我」のお寺、新潟県燕市国上寺~弥彦山ロープウエイ~金太郎温泉と言うコースだ。

 高岡駅前7:30にバスが出発、国上寺に着いたのは11:30だった。バスの中で早目のお弁当を食べる。この寺は、良寛さんと酒天童子で有名だそうだが、能「禅師曽我」の舞台でもある。
 曽我兄弟の末弟が、この地に住む叔父 伊東九郎の養子となり、国上寺に上り国上禅師を名乗っていた。富士の裾野で曽我兄弟が父の仇を討った後、頼朝は「禅師を鎌倉へ差し出せ」と命ずる。やむなく九郎は寺へ攻め入り、禅師は「養父と言えども父は父」と九郎に名を揚げさすべく、少し戦った後自害せんと護摩壇に登り、刀を口にくわえんとしたところを生け捕りにされる。18歳だったそうだ。(トップ写真は曽我禅師坊の軸)

 この護摩壇の前で 「素謡・禅師曽我」と「仕舞・小袖曽我」を奉納する予定だったが、奉納料が大きく、金太郎温泉で夕食前に研修することになった。
 ↓は、国上寺。
  

 道沿いの ↓の看板が目に付いた。このお寺では 「樹木葬」をするようだ。お骨を埋めた上に桜の木などを植えてお墓とするらしい。        

 ↓は、良寛さまが20年間住まいとした「五合庵」。近くに、「焚くほどは 風がもてくる 落ち葉かな」の句碑がある。  

 写真は大きく見えるが、一間だけの庵である。上がり框に小さな小さな良寛像が座っておられた   

 次に、弥彦山ロープウエイで山頂に登る。晴れていれば日本海が見渡せる絶景らしいが、なにぶん雨。しかも寒い。皆、そうそうに戻って来た。↓の看板、わかりますか?弥彦山の標高634mは東京スカイツリーと同じ高さ。パノラマタワー(回転しながら上昇する)に乗り、同じ高さを体験しませんか、と言うわけだ。        

 ケーブルカーの窓は水滴がついて、山の紅葉もこんな具合。         

 ↑の写真をアップ後、ようこ姫さんから「遊んでみました」とのコメント付きで、↓の写真がが送られて来た。水滴にボカシが入ったかな?雨粒一粒ごとにボカシをかけるのだろうか?それとも画面全体かな? 追加してアップしたので よく比べてみてくださいね。         

 山は少し、色づいていた。        

↓は、弥彦神社。     

 参道は、菊花展の準備中だった。
 薄暗くなった頃、魚津「金太郎温泉」に到着。広間の舞台の上で全員で素謡「禅師曽我」を、山○さんと安○さんとで仕舞「小袖曽我」の相舞いを演じられた。私たち4人が仕舞の謡を受け持った。今年2度目の無本である。どうやら覚えられた。
 


デジタル録音を始めました!

2012-11-04 | ボランティア

 10/28(日)は雨模様の日の日帰り旅行だった。目的地は新潟県国上寺と弥彦山。お隣さんなのに、新潟県は遠かったです(いずれアップします)。
 翌29日(月)は、音訳ボランティアの日。必ず月末に「市民と市政」の録音をするのだが、娘の渡仏も近く、仕事が錯綜していてできれば休みたかった。だが、いよいよデジタル録音を始める日だったので頑張って出席した。

 高岡ふれあい福祉センターへ、私は遅刻で到着。もう皆さん、到着で器械やテープなど準備一式整っていた。8月に富山ライトセンターを訪ねて見学して以来、富山第一銀行の援助で新しい録音器械を購入、2度にわたり使い方を試し、この日が本番だった。
 パソコンによる編集でCDも作れるのだが、最初は、まだカセットテープだけにし、”DR-1”と言う録音機を使うことにした(トップ写真)。↓の写真でもわかるように小型である。DR-1と言うのは商品名だが、DRはdigiital recorder の省略だろうか?カセットテープレコーダーと同じように上書き録音ができる他に、修正削除挿入がより簡単にできる。
    

  ↓は、録音風景。読み手はOさん、機械操作はYAさん。   

  カセットテープレコーダーは直接カセットテープに録音をするが、DR-1では、CF(コンパクトフラッシュ)カードに録音されるので、これをカセットテープにコピーしなければならない。60分テープなら60分必要になる。A面に30分、B面に30分、ふりわける作業の時チョッと手違いで、B面の最終部分が、またA面最初の部分に回って録音され、冒頭の「高岡市民の歌」が半分ほど消えてしまった。そこで歌だけ再録音。その後、↓のダビング機2台使って、45本ほどのテープを作る。  

 以前のようにお喋りの時間はなくなった。いつもよりかなり遅くなったがれればもっと早く仕上がるだろう。音量にもまだ問題があるが、ともかく第1回目としては上出来だ。全員が、DR-1を使いこなせるように、交代して練習しなければならない。