Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

映画「あなたへ」

2012-09-30 | 映画・テレビ・演劇・芸能

 かなり前からこの映画の宣伝紙を読み、公開されたら観に行こう、とようこ姫さんと言っていた。なかなか日がとれず、観たのは11日。その後も行事続きでアップも遅れに遅れた。もう皆さん、観ておられるだろうから感想だけ書くことにします。

 高倉健が、前作「単騎、千里を走る」(中国を舞台にした映画、これもようこ姫さんと観に行った)以来、7年ぶりに出演した映画が、「あなたへ」である。たぶん健さんのために書き下ろした脚本であろう。高倉健、81歳だそうだ。NHKTVの「プロフェッショナル」で、2夜にわたり、彼の生い立ち、映画俳優になったきっかけ、俳優としての生きざま、映画に対する情熱、日常生活など、密着取材した番組を、インタビューも交えて放映した。映画はその後見たので、いっそう感ずるものがあった。

 私の世代にとっては、高倉健は江利チエミの旦那さんだった。映画は、「幸福の黄色いハンカチ」、「鉄道員(ぽっぽや)」、「ホタル」 など、最近の作品しか見ていない。前作同様、この映画もセリフや説明が少なく、見る者の想像力で違う解釈が生まれるかもしれない。私流に書きますのであしからず。 

 富山の刑務所の指導技官・倉島英二(高倉健)の元へ、ある日、亡き妻洋子(田中裕子)が遺した絵手紙が届く。二人が結婚したきっかけは、洋子が刑務所へ慰問に来たことが始りだった。洋子は受刑者たちの前で童謡を歌う。その歌が「星めぐりの歌」。宮沢賢治作詞作曲だ。賢治の故郷花巻へ旅行した時、記念館で聞き耳にこびりついた。きれいな、物悲しい曲だ。
 洋子はこの歌を悲愴な面持ちで歌う。じっと聞き入る英二。追いかけてお礼を言う英二に、洋子は、受刑者の中の一人のために来ていた、その人が亡くなり今日が最後と告げる。

 そんな二人だから、きっと過去のこともお互いに聞かず結婚し、つつましく睦まじい生活を送る。↓の場面を見るだけで想像できます。阪神の優勝で沸く居酒屋で楽しそうに語り合う二人。この表情、ポーズに、涙が出ます。   

 妻の病死後、元気になったら旅行しようと改造していたキャンピングカーに乗り、富山から妻の故郷の長崎・平戸へ9,000kmの旅をする。絵手紙に、「故郷の海を訪れ、散骨してほしい」との想いが記されていたのだ。
 長い道のりは、ロードムービーとして描かれる。ビートたけし、佐藤浩市、草剛と出会い、言葉を交わしながら、妻との何気ない日々を思い出す。

 そして、洋子の故郷平戸に着き、見知らぬ町を歩きながら、彼女の少女時代の古い写真を町の写真館で見つけ、じっと見入る英二(トップ写真)。海への散骨を頼むために出会う人々、余貴美子、綾瀬はるか、三浦貴大、大滝秀治にも物語がある。
 大滝秀治(87歳)は、散骨を引き受ける船の持ち主。散骨を終え船を岸につなぎ、お礼を言う英二に、「久しぶりにきれいな海を見た」と呟く。撮影時、このセリフの後健さんは横を向き涙をぬぐう(TVの映像で)。だが、映画にその場面はない。大先輩の名優の短いセリフに感極まった、のだそうだ。「作品のテーマとも言うべき重さと深さを持った言葉」と健さんのブログに書かれている。

 長くなりました。読んでくださった方はありがとうございました。もう一つついでに、散骨についての私の体験を書かせてください。
 夫が、過労で突然死したのは23年前だが、その数年前に白州次郎(たぶん)が死去、
 「葬式無用 戒名不用」との遺言書に共感し、同じ言葉を紙に書き、「骨は海に撒くように」と付け加え、日頃から無造作に壁に貼っていた。だが、実際には、当時そんなことはできず心残りだった。せめてお骨だけはと、納骨の時に少し取り分けておいた。翌年夏の新盆に、例年のように親類皆で氷見へ行き、これも例年のように義弟たちや若者たち皆で虻ヶ島へ泳いだが、その時、息子に託し氷見の海に散骨してもらった。花束も読経もないけど、大好きだった海に父親の1部が残っていると、娘も息子も思っているだろう。当時、散骨についてそう煩くはなかった。

 ↓は、日経電子版の高倉健さんのブログのコピーです。興味のある方はどうぞ。 

      http://www.nikkei.com/article/DGXBZO39328420V00C12A3000000/


芸術の秋(その2)~「色野の会」絵画展

2012-09-28 | イベント

 9/22日(土)、お茶はお休み。茶々姫さんが河辺さんご夫妻の写真展のお手伝いで忙しいからだ。午後、文化ホールで「フォト二人展」を鑑賞後、高岡駅前「七本杉画廊」へ駆けつけた。「色野の会」絵画展の最終日。1週間も開いていたのに、最後の日になってしまった。いつもだと、早目に見て来てブログに紹介していたのに。
 最終日は、4時まで。15分前に入ったら、講評会が始ったところだった。↓は、講師の太田広信先生の講評を熱心に聴くお弟子さん達。先生は、一点ずつ丁寧に講評をして回られた。       

       

 講評を聞きながら、その合間を縫って写真を撮らせてもらった。今回は人物画が多いように思った。        

        

 友人のSAさんの絵、3点。↓は、「ガーベラ」。花、葉っぱ、花瓶、バックの色のバランス、躍動感がいいと思った。             

 ↓は、「樹陰」。実際の絵は、もう少し暗い色調だったかも。

 ↓は、「夢幻界」。黄色調のバックの色彩が、タイトルのイメージに合っている。                  

 ↓は、「お気に入りの帽子」。表情がいいので、私もこの絵がお気に入りと思って撮ったが、蛍光灯が一文字に入ってしまった。               

  ↓は、ちょうど画廊に入った時に講評中だった「人物」。 

  毎年、見に来るのだが、講評会を傍で聴いたのは初めて。先生は、作者に質問を投げかけながら、作者の意図に沿うように講評しておられた。


芸術の秋(その1)~「フォト二人展」

2012-09-27 | イベント

 9月第3週は大忙しの週だった。暑さでダウンしたこともあり、とうとう週末まで延びた展覧会を二つ、掛け持ちで回った。本当は初日に行きブログに紹介する予定だったが、事後報告になってしまった。
 22日、高岡文化ホール2階で、「フォト二人展」が開かれた。河辺重臣さんと和子さんのご夫婦の写真展だ。今年、古希と喜寿を迎えられ記念の写真展となった。高岡市能町公民館で13年間、石田正博講師に学んだ、と案内状にある。茶々姫さんも、その教室に通っておられ、朝早くから撮影旅行に出かけられた話をよくお聞きしたものだ。

 その教室が昨年だったか、閉講になり、茶々姫さんも寂しそうだった。河辺ご夫妻の展覧会には、3日間ともお手伝いに詰めておられ、張り切って解説をしてくださった。懐かしい思い出の場所もたくさんあることだろう。

 写真を撮るのは難しく、ここに紹介するのは、電灯の光や人影があまり入っていない作品だけ。タイトルが分からない物もあり、紹介とは言い難いのですが、雰囲気だけでも味わってください。本物の写真に申し訳ないほどボケているのですがご容赦を。
 テーマは、里山 ・ 里海 ・ 水 です。

 ↓は、「日本の四季」から、夏と冬。          

          

 ↓は、「彩映」。近江八幡にて。 トップは、「彩渓」。郡上八幡にて。          

 ↓は、「先祖代々」。瀬戸内海 鹿島にて。            

 ↓は、どこだったか忘れてしまった。左奥は、船か人影か?            

 一口に13年間と言うが、長い年月だ。しかも、ご夫婦で続けておられるとは立派だな~と思う。公民館活動は、今や大流行り。どの公民館にも多種多様なサークルがあり、多くの人(ほとんどシニア)が活動している。毎年2月には高岡市内の公民館の合同の「公民館フェスタ」も催されている。
 私も、平米公民館のお囃子教室にで謡と太鼓を習い始めて10年経った。いつまで続けられるかな~と思うこのごろである。


「高岡関野神社」秋季大祭奉納謡曲大会 ’12

2012-09-25 | 能楽

 8月末の「薪能」以降、ほぼ毎日曜日に何か行事が入っている。9/23(日)は、関野神社の秋季大祭奉納謡曲大会だった。以前は、9/10の秋祭りの頃に行われたが、秋分の日の前後に開かれるようになり、かなり過ごしやすくなった。今年は曇り空の涼しい日で、吹きさらしの拝殿は風の通りがよく寒いほど。例年は一般の参拝客も謡を聴いて行かれるが、今年は寂しいほど閑散としていた。
 午前11時から始り、素謡、仕舞などが次々と奉納され、途中に、祝詞奉上、玉串拝礼の式典があった。

 素謡の写真を何枚かアップして、雰囲気だけ紹介します。↓は、「誓願寺(せいがんじ)」。           

 ↓は、「巻絹(まきぎぬ)」。           

 ↓は、「紅葉狩」。           

 ↓は、独調で、「蝉丸」。この方は、以前「高岡学遊塾」で一緒だったTAさん。偶然彼女のブログを見つけ、小鼓も習い始められたことは知っていた。2年ほど前からだそうだが、落ち着いて姿勢もよく、ほれぼれした。謡は、車伸代先生。          

 私は、「富士太鼓」のツレ(太鼓の名手「富士」の娘)で素謡、連調連管で「岩船」に出た。謡は、どうやら無事に終わったが、太鼓は、大ミス2回、小ミス1回、とミスを連発して皆さんに迷惑をかけた。4人で出たのだが、4人とも違う手を打っていたね、と言われてしまった。本家本元は私だ。朝の練習も、直前の練習も、問題はなかったのに…。何が原因かわからない。いや~な気分が残り、ホッと安堵とは行かない。帰りに駅南鉱泉に寄って帰宅した。

 ↓は、同じ日にチェロのコンサートを終えられたくまさんの一句。

     * コンサート  終えて安堵す  秋彼岸


オーケストラ・アンサンブル金沢 高岡定期公演

2012-09-24 | 音楽

 9/21(金)夜、高岡市民会館で”オーケストラ・アンサンブル金沢”の高岡定期公演があった。最近は高岡フィルを聴くくらいで、しばらくオケのコンサートは聴いていない。今回は高岡市野村出身のバスソリスト森雅史さんの披露も兼ねており、YAさんのお誘いでチケットを買った。B席階上席を買っていたが、2階から階下を見ると空席もかなりある。5分前に急きょ階下に移った。座れた席はなんとS席。ラッキー!

 数年前の市民合唱で、天沼さんの指揮でアンサンブル金沢と歌ったことがある。5年前から井上道義氏が音楽監督を務めておられる。この日も指揮をされた。井上さんは、もう30年ほど前かNHKTVの音楽番組(名前は忘れたが)で、尾高さんの後継でクラシック紹介のトークを担当しておられた。軽妙洒脱な話しぶりが印象に残っており、勝手に親しみを感じていた。

 この日のプログラムは、1部が、ベートーヴェンの第6シンフォニー「田園」。休憩をはさみ、森麻季さんのソプラノ、森雅史さんのバスによるアリアとオケによる小曲となっていた。アリアの中では、ヘンデルの歌劇「セルセ」よりの”オンブラ・マイ・フ”が楽しみだった。たまたま、NHK BSで、イギリスの男子校に合唱団を作る先生の苦労を”クワイア ボーイズ”と言うタイトルで放送したが、その中で取り上げられていた曲だ。偶然、森麻季さんのソロ(たぶんピアノ伴奏が井上道義さん)の動画が見つかったので、下にコピーしました。ぜひお聴きください。すてきですよ。きっと1度は聴かれたことのあるメロディーでしょう。

 さて、「田園」の演奏中にチョッとしたハプニングがあった。♪ チャララ チャラララーラ ラララーラララー ♪ とあの快いメロディの第1楽章が終わると場内に拍手が起きた。なかなか止まない。井上さんは後ろ向きのまま、右手を振り、制止の合図をされたがしばらく続いた。その後、パラパラパラパラとさざ波のように紙をめくる音が広がった。(私も正直、プロを確認したい気持ちを抑えていたのだが)
 そして、第2楽章が終わると、前ほどではないがまたまた拍手が起こった。とうとう、井上さんは、半分ほど後ろを振り向き、「このシンフォニーは・・・。最終楽章が終わってから拍手をしてください」と仰った。第4楽章で、ピッコロとトロンボーン2人が入場し、一気に最後まで演奏された。

 休憩時間に井上さんは再び、登場し、「ちょっと話をさせてください。先ほど、紙をパラパラめくる音がしましたね。・・・」と、このプログラムは不親切で何も書いてないけど、ベートーヴェンの「田園」は、第5楽章まであること、”田舎へ着いた晴れやかな気分”に始り、”小川のほとりの情景”、第3楽章で”農民のつどい”、次に”嵐”が起こり、最後の第5楽章は、”牧人のうた、感謝の気持ち”で終わると、説明され、「高岡へはオーケストラはあまり来ませんか?」と、語りかけられた。ふつう、第3~5楽章までは続けて演奏するそうだ。
 シンフォニーの途中の2度もの拍手にきっと驚かれたことだろう。そして、このトークとなった。おかげで聴衆は、恥ずかしい気まずい思いを拭われた気がした。さすが、だな~と思った。確かに、私が若い頃は、高岡でもよくオーケストラの演奏会があった。国内、国外の交響楽団の演奏を、子どもを連れてこの市民会館へ聴きに来たものだ。プログラムには、必ず、その交響楽の構成、曲想、楽器などの説明が書かれ、どこで拍手をするかのマナーは予めわかるようになっていたものだ。これは、経験から学ぶものだから、高岡市民の無知ばかりは責められない。
 それにしても、さすがの名指揮者の機転に感服するばかりだった。最後まで楽しい演奏会だった。ますます井上さんのファンになった。

 二人のさんに、「田園」、アンコールでは、ヘンデルの”メサイア”から「田園交響曲」(これも優しく美しい曲で私は大好きだ)、「今日は、盛り(森)だくさんでしょう」とのジョークを飛ばし、緊張しておられる森雅史さんを励ましておられた。バスの声も重々しく、背は高く、容姿端麗、有望なソリストだと思った。

 ↓は、森麻季さんの「オンブラ・マイ・フ」のyoutube。ぜひお聴きください。 

    http://www.youtube.com/watch?v=uLjXqy4eOqE


”KHEIR”と言うお店

2012-09-22 | 食物

 9/21(金)は、夜、久しぶりにオーケストラのコンサートを聴きに行く日で、朝からゆったり気分でいた。が、翌日が祝日で病院は休みだと気づき、急に病院を2つ回ることになった。折しも、ようこ姫さんから大仏様の「お身拭い」のお誘いがあったが、断わってランチだけ一緒にする約束をした。

 午前中、いつも血圧の薬をもらう近所の医院で診察を受け、帰宅する頃姫さんから電話があった。何でも英語の名前で読めないけど、「野村の自動車学校の前の緑の屋根の店」と言う指定だった。行ってみると、なるほどすぐわかる目立つ店だ。(トップ写真)
 緑の屋根の真中に”KHEIR”と書かれている。こりゃ読めないわ。小さく”ケイル”と書いてある。ドイツ語かな。ともかく入ると、天井が高く広々とした店内。右側は、園芸のコーナー。
     

 正面左がレストランだ。階上にも洒落たソファが置いてある。ライブの時の観客席か。     

 昨年10月のオープンだそうで、もうすぐ1周年記念ライブがあるらしい。     

 ”KHEIR"とは、ギリシャ語で「手」と言う意味。Cafe, Interior, Greenのそれぞれ”人の手による人のためのコミュニティ”だそうだ。つまり、家具や住宅造り、観葉植物や花束作り、そしてランチ、ディナー、カフェなど食事もできる店。オマケに100名くらい入れるライブもできる。テーブルや椅子も木工作品。     

 ↓の時計もユニークだ。     

 ランチが1200円。サラダとスープはおかわり自由。姫ちゃんのパスタと私の鮭のムニエル。
                

 ↓は、レストルームの手洗い前のバスケット。綿棒と楊枝と絆創膏と長い竹棒は何だろう? 私はさっそく絆創膏を頂戴した。     

  ランチ後は皮膚科へ。そして、夜は市民会館で、オーケストラ・アンサンブル金沢のコンサートに。この日も忙しく、楽しい日だった。


狂言「鈍太郎」 と 能「蝉丸」

2012-09-21 | 能楽

 9/16(日)は、「三派能楽鑑賞大会」の日、今年で26回目。宝生、観世、和泉流の三派合同の能楽大会である。高岡文化ホールで行われた。午前中は、素謡、仕舞など各会のお浚い会を兼ねる。高岡市ジュニア芸術・文化プレミアム事業「能楽講座」の受講生の発表もあった。

 午後は、プロの先生方の舞囃子や仕舞。最後に、狂言と能が演じられたが、狂言「鈍太郎」と能「蝉丸」の両方を紹介します。

 狂言「鈍太郎(どんたろう)」:シテ(鈍太郎):野村祐丞 アド(本妻):炭哲男 小アド(愛人):荒井亮吉

 西国へ下り、都を留守にしていた鈍太郎(シテ)が、3年ぶりに帰って来ます。下京に本妻(アド)、上京に愛人がいるが、両方へ手紙一本書いていません。まず、本妻宅を訪ねますが、3年も音信不通だったから帰って来るはずがない、すでに棒使いを夫に持ったからと、戸も開けず追い返します。怒った鈍太郎は、上京の愛人は優しいからと言って訪ねますが、愛人も近所の若い衆がからかっていると思い、すでに長刀使いを夫に持ったと追い返します。
 落胆した鈍太郎は、女二人に捨てられどうしようもないので、出家して諸国行脚に出ると言って、一旦幕内に入ります。
 追い返した男が本当の鈍太郎と気付いた女二人は、出家を止めようと街道で待ち、出家しないでほしいと説得しますが鈍太郎はなかなか承知しません。が、二人が協力して必死に説得し、月の上15日は上京へ、下15日は下京へ行くことに決め、二人の女達に手車をさせて、シテが「これは誰の手車」 女二人が「鈍太郎殿の手車」と囃しながら、舞台を廻り退場します。

 鈍太郎が、あっちへ行ったり、こっちへ来たり、次には二人の女が鈍太郎にああ言ったりこう言ったり、それぞれの思惑が見え見えのやりとりが滑稽。3人の呼吸もピッタリで安心して笑える狂言だった。こんな理屈っぽくない狂言は面白い。

 能「蝉丸」:シテ(逆髪(さかがみ)):大坪喜美雄 ツレ(蝉丸);山崎健 ワキ(廷臣・清貫):苗加登久治 ワキヅレ(輿舁):平木豊男、北島公之 間狂言(博雅三位):荒井亮吉
 大皷:飯島六之佐 小鼓:住駒幸英 笛:瀬賀尚義 地謡:佐野由於 他

 百人一首の「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」の作者、蝉丸法師は、醍醐天皇の第4皇子とも言い、盲目で和歌・琵琶に優れ、逢坂山に住み、博雅三位に秘曲を授けたと言われている。昨秋、蒼山会から蝉丸神社を訪ね、国道1号線沿いの関所跡も見たが昔はさぞ山奥だったのだろう。
 
能では、シテは蝉丸の姉、逆髪(さかがみ)で、蝉丸はツレである。  だが、逆髪は「中入り」後の「後場」だけに登場するが、蝉丸は、最初から最後まで出ずっぱりで主役のようであり、題名も「蝉丸」である。いしん

 あらすじなどは、一昨年の金沢定例能のブログで紹介したので↓を、ご覧ください。山崎先生が蝉丸を務められるので、蒼山会から米島さんの車で観に行った時のものです。今回は舞台の雰囲気を味わっていただくために、他の会の写真をお借りしました(同じ演者ではありません)。 

http://blog.goo.ne.jp/67kiyoh/e/c187ca830e965e07b33d651fc91cfa90

 ↓は、輿に乗って逢坂山へ来た蝉丸が輿から降り、廷臣清貫から出家してこの山に留まるように告げられ剃髪したところ。出家を表す”蝉丸頭巾”をかぶっています(’物着’と言い、舞台の上でかぶります)。 

 ↓は、間狂言の博雅三位が哀れに思い、藁屋根の小屋を用意し住まわせるところ。     

 ↓は、中入り後登場する逆髪(蝉丸の姉)。生まれつき髪の毛が逆立ち、子どもからも笑い物になると嘆く。物狂いとなり、放浪の旅の途中、逢坂山へさしかかる。            

 ↓は、琵琶の音色を聴き、もしや蝉丸では?と藁屋を訪ね二人が出会うところ。

  山崎先生の蝉丸は、前回どうよう気品があり哀れ。初めて手にする杖と蓑を持ち泣き伏しながらも、前世の罪を償う運命と受け止める。姉の逆髪もまた同じ。今回は逆髪に注目して観ていたが、我が醜さを嘆きながらも順逆について反問する姿は強く美しい。蝉丸と逆髪が泣く泣く別れる場面は、もの悲しいけれど前向きに歩み出した、とも見ることができる、と思った。 


「三派能楽鑑賞大会」 ’12

2012-09-19 | 能楽

 謡を習い始める前から、この能楽鑑賞大会はチケットを買って時々観に来たものだ。三派とは、「宝生流」、「観世流」、「和泉流」のこと。最初の2流は、能の、後のは狂言の流派である。4,5年前から、蒼山会の素謡に時々出ることがある。蒼山会では、この大会は”無本”でする事になっており、地謡であれ暗記しなければならず気が抜けない。6月頃から、テープに録音してもらい準備は整ったが、覚え始めたのは8月だったか。今年の薪能で演じられた「小鍛冶」の最終部分、宗近と稲荷大明神で刀を打つ場面の素謡だ。地謡はコーラス部分、地頭(じがしら)さんがリードされるから完璧に覚えなくても”口パク”でも、とは言うが、せっかくだから覚えて思う存分声を出したいもの。

 話の筋をイメージしながら、また謡本の字面を思い出しながら、まず言葉を覚える。次に、上げ下げ(つまりメロディー)を覚える、最後に緩急(つまりリズム)を覚える。ここまで来ると歌のようになる。
 「願わくは」は、♪ ねェがァわァくゥゥはァァァ ♪ と言う感じ。完璧に覚えると、合唱と同じ、声をそろえて謡う楽しみが増す。
 

 9/16(日)、文化ホールに9時集合。着物を着て袴をつけてもらう。2階の研修室で、お役の2人、地頭の米島さんを中心に2度練習(申し合わせ)をした。出番は5番目。無事に終了。
 その後、ちびっこの連調連管「羽衣」、仕舞などを鑑賞。ちびっこ達は長い曲をよく覚え、山崎先生、瀬賀先生、上田先生の後見があるとは言うものの見事な演奏だった。”ちびっこ”などと軽く言っているが、これは、”高岡市ジュニア芸術・文化プレミアム事業『能楽講座』受講生による公演”であり、続けている子の中には中学生もいる。この後も、各会の素謡や仕舞が続いた。
      

 午後からは、プロの先生方の仕舞、舞囃子、狂言、能が続く。東京や金沢から来られた先生方の出演だ。昨年の能は、家元の「殺生石」だった。そして、我が家ではその日、夫と義母の法事を営み、それを機会に娘の結婚披露を行った。能を、娘婿、娘、息子、義妹達と一緒に鑑賞したことが懐かしく思い出される。

 今年の能は、「蝉丸」。私の謡の先生、山崎健先生が蝉丸役を務められる。2年前に金沢でも同じ役を演じられ観に行ったものだが、今年はシテ方も異なり、別の楽しみがあった。


「むぎや祭り」と秋風

2012-09-18 | 富山

 子どもの頃から、9/15日のむぎや祭りの夜から長袖ブラウスを着たものだ。毎年そうだった。遠くから聞こえる胡弓や三味線の音色に耳を傾けながら、なんか腕が寒く長袖をはおっていた。
 が、今年のこの暑さはどうだろう。17日(月)、今日は35度を超しているのでは?熱風のような空気だ。この日は、富大講堂の「ヨハネ受難曲」を聴きに行く予定だったが、先日来の登山、三派能楽大会などで疲れ果て、体調も悪いので急きょ取りやめた。残念だが休養の日としよう。

 さて、15日夕方のこと。午前は東部老人福祉センターへ行き、午後はまだ疲れが残っていたが、茶々姫さんのパソコンのチェックもしたくてお茶教室へ回った。
 帰宅後、翌日の素謡の仕上げをしようか、と思っているところへ電話のベルが。さっきまで一緒だったKAさんからだ。「今、むぎや祭りの中継をしているよ。」と。「え?今日、むぎや祭りだった?」と言うわけですぐテレビをつけた。すっかり忘れていた。最近、9月は行事が多くむぎや祭りはご無沙汰だ。KAさん、お知らせ、ありがとう。

 嬉しいことに、平高校の郷土芸能部の演奏最中だった。私の高校生の頃は、福野高校平分校。中には、福野町に下宿したり、高校の寮に入って本校に通学している人もいた。今は、南砺平高校だ。数年前から、郷土芸能部が生まれ、麦や、こきりこ、古代神、といちんさなど、五箇山に伝わる民謡の歌と踊り、囃子を練習披露するようになった。全国高校総合文化祭で何度か最優秀賞をとった。
 今年の夏の総文祭は、富山県が会場。郷土芸能は砺波文化会館で行われた。超満員で入場できなかった客のために、外でも演奏したとニュースで言っていた。テレビ画面は、ちょうど始まったところ。だが、動いている画面を撮るのは難しい。色も悪い。精一杯マシな写真だけ載せてこの程度だが、何よりも高校生の笑顔に注目ください。↓は、こきりこ。ささらを持って。     

 ↓は、歌い手たち。この自信を持った、元気な笑顔。

             

 3年生は引退して、1,2年生だけとのこと。女子の踊りも初々しい。     

 ↓は、笠踊りと笛方。     

 踊りの種類も多く、囃子方や唄い手も大勢。全校生徒総出演かと思うほど。この後、城端の町内の踊りに移ったが、元気さでは高校生に負けている。でも、幼児や保育園児の踊りは可愛い。小学生になると笠踊りもきりっとしている。        

 久しぶりの「むぎや」。居ながらにしてテレビで観られて嬉しかった。


「敬老の日」のつどい

2012-09-17 | 日記・つぶやき

 今年の「敬老の日」は17日(月)、毎年変わるのでわかりにくいが、ともかく9/15日前後に敬老の催しがある。
 牛岳登山の翌日の15日(土)、朝からふらふらした。毎日飲んでいる3種類の降圧剤を飲まずにきつい山登りをしたせいだ。原因がわかるとなおさらふらつく気分。めまいこそないが気持ち悪く脂汗が流れる。が、この日は野村公民館の「いわせのコーラス」が、東部老人福祉センターの”敬老のつどい”に出演する日(私が退職した当時まだ博労校下に公民館はなく、平米と野村公民館のサークルに入った)。30名以上のコーラスだが、この日はアルトが6人しかいないと聞いていた。10月の万葉朗唱や11月の公民館祭りは都合で欠席するので、この日は出たかった。お稽古をさせてもらっているのだからお返しはしなくちゃ、と私なりの責任感だ。

 野村の東部老人福祉センターの広間は、たくさんの人で賑わっていた。♪上を向いて歩こう♪、♪おぼろ月夜♪、♪もみじ♪、♪ふるさと♪、♪見上げてごらん夜の星を♪ を、Mr.長谷部のトークを交え歌う。まあまあの出来栄えかな。とても静かに聴いてくださった。
 ここは、お風呂もあり、サークル活動も盛んらしい。それは見事な作品が展示されている。↓は、あんどん、布小物、焼きもの、折り紙、書道などの作品。

            

                 

     

  ↓は、ちぎり絵の絵手紙。        

                      

 この後、舞台では、カラオケ教室の合唱、下町の豆奴一座の歌と踊りとお笑いがあるようだ。私と言えば、空腹なのか、やはり昨日の疲れなのか、なんか体がシャキッとしない。「何か食べよう」と山○さんを誘うと、「その前に、もう一つ行く所があるので付き合って」と言うわけで、↓の野村児童センターに寄った。夏休み中に老人会と子どもたちで作った作品が展示してあるそうだ。 

 作品展示室だけ見た。↓は、ガラス工芸(古沢のガラス工房で作った吹きガラス)やロープアート、立体写真など。

                

  ↓は、山○さんとお孫さん達のストラップ。七宝焼きみたいに張りつけるのだそうだ。                

 その後、久しぶりにsamasamaへ行き、”冷やしめん”を食べ、マスターとお話をし、コーヒーを買って来た。来週くらいから試飲しよう。
 16日(日)夜、三派能楽会から帰ると、町内の自治会からの敬老のお祝い品(カステラ)を女性部の方が持って来てくださった。3日間連続の行事で心身ともに疲れていたので、とても嬉しくありがたく頂戴した。他町内へばかり行かず、博労公民館も覗いてみよう。
     


秋の牛岳登山

2012-09-16 | 自然・海山草花

 9/14(金)、ハイキングクラブで牛岳登山をした。昨年は6月の新緑の季節だった。今年は初秋とは言うものの、まだ日中は30℃を超す気温。夏バテもまだ回復していないし、つらいかな~と思いながら参加した。私と同じ思いからか、行事が重なったせいか、珍しく今回は8名の参加、車2台に分乗して薬師寺池駐車場を出発した。

 昨年と同じコースで、パノラマ展望台から「2本杉」の登山口まで車で行く。昨年はここで、HOさんがモリアオガエルの泡のような卵がたくさん木の枝にあるのを見つけ、地面に落ちたのをかわいそうにと家に持ち帰り育てられた。↓の写真の左に小さな池があり、今年は草におおわれ水も少なかった。池にはオタマジャクシた泳いでいた。     

 ここから急にきつい登りになる。この季節は花が少ないが、黄色のアキノキリンソウ、紫の釣鐘そうが色鮮やかだった。唯一写真に撮った「穂つつじ」もボケてしまった。(後ろの薄に焦点があったらしい。花の後、白い穂が出るつつじ)            

 しばらく登ると「鍋谷のぶな林」(トップ写真と↓)。ベンチがあり、お茶を飲んだり飴を口に入れたり、小休憩する。         

 頂上近くには、牛岳大明神の社がある。ここまでの登山道は、両側の枝が刈られ歩きやすくなっていた。社からもう少し登ると、本当の頂上(987m)で、2等三角点がある。昨年もここまで来たが、こんなに草茫々ではなく、広いスペースがあった。夏の間に草が伸び放題に伸びたか、8名立つと狭いほど。          

 ここは、山田村と庄川町と利賀村の境だった。今は、富山市と砺波市と南砺市の境ということになる。記念撮影をする場所もないほどで、カメラマンのKO先生、後ろに下がると南砺市側へ転がり落ちるぞ~と、笑っておられた。

 社の近くの休憩所で早目の弁当を食べる。秋アカネがスイスイと飛び。薄の穂が揺れている。          

 ↓は、頂上からの展望。秋空の雲が爽やかだ。         

 帰りは牛岳温泉で一休み。上から下まで汗びっしょり。下着の着替えは用意していたが上着とズボンは濡れたまま。どれだけ汗をかいたか、ソフトクリームを食べ、牛乳を飲み、さらにカフェオレを飲み、もちろんお茶も飲み、飲んでも飲んでも体の水分が足りない感じ。夕方降るとの予報で、心配していた雨も落ちず秋空のもと、気持いい登山だった。

 ところが翌朝になり、大変なことに気づいた。毎朝必ず飲む降圧剤を飲み忘れていたのだ。丸一日、薬なしできつい登山をしていたことになる。翌朝、ただの疲れではないほどふらふらしたのはそのせい?急に怖くなってしまった。もし、山で倒れていたら…と考えるとぞっとする。

 ↓は、昨年6月の牛岳登山。 

http://blog.goo.ne.jp/67kiyoh/d/20110618


国分浜「海岸通り」のマンスリー・コンサート

2012-09-15 | 音楽

 お盆の墓参りの後、娘と国分浜から万葉埠頭へ回った。8月末に、息子が大阪への出張の帰りに遠回りをして寄ってくれた時も国分浜へ行った。いずれも「海岸通り」で海を眺めながらコーヒータイムをとった。テーブルの上に、9月の”マンスリー・コンサート”のチラシが何気なく置いてある。
 以前ようこ姫さんに誘われて、胡弓とシンセサイザーの姉妹ユニット”胡恋かぜコンサート”を聴きに来てライブの楽しさを味わった。目の前の演奏者と会話が交わせ、一緒に歌ったりできるのも嬉しい。。

 9/8(土)、お茶教室の後(今回は夜の部だけ)、ようこ姫、茶々姫、なはさんと4人で出かけた。開演は6時なので、夕食用にスパゲッティを注文する。食事しながら聴けるのもライブだからこそ。
 この日は、富山市周辺を中心に活躍中のバンド、ソロ、デュオなどの出演。トップバッターはとても家庭的な雰囲気の”La 彩ら”。それもそのはず、母子共演と若い男性二人の4人グループ。4人合わせて150歳とのこと。昭和のアニメの主題歌を歌ってくださった。♪サザエさん♪に始り、♪こち亀♪、♪トムソーヤ♪、♪母を訪ねて3千里♪、最後に♪サザエさん一家(エンディングテーマ)♪で終わる楽しいひととき。赤いシャツがお母さん、黒いシャツが男の子と思いきや、声を聴くとかわいい女の子。笛を口にくわえたり、箱の打楽器が楽しい。
        

       

 2番目は、ソロで”あまのじゃく”。泉谷しげるや吉田拓の歌の他にオリジナル曲を歌われた。「命あるかぎり」で♪原発は要らない、戦場に行きたくない♪ と、「しあわせの歌」では、♪子供の手を引いている親子を見ていたら、笑顔の素敵なお年寄りを見ていたら、夢に立ち向かう若者を見ていたら、幸せな気分になったんだ…幸せっていうやつは どこにあるのだろう…幸せっていうやつはきっと 僕やみんなのそばにある…♪ の歌詞とメロディーが胸に響いた。↓は、ハーモニカをくわえて。          

 3番目もソロで、「ぎば」。アコースティックギターの弾き語り。♪夏の思い出♪、♪遠い世界へ♪、♪風♪、♪海岸通り♪、♪上を向いて歩こう♪l、♪時代♪などなど。口ずさめる曲があり、手拍子も。          

 そして、トリの「ちちバンド」は、還暦を迎えた二人のきよしのアコースティックギターデュオ。それぞれの持ち味を出した歌声のハーモニーで、♪ひょっこりひょうたん島♪ ♪ゲゲゲの鬼太郎♪に始りl、♪心の旅♪ ♪竹田のこもりうた♪ ♪海は恋してる♪ ♪ぷかぷか♪ ♪ぼくの胸でおやすみ♪ などなど…。我々の青春時代よりもチョッと時代は後だけど、耳に残っている曲たち。それはそれで懐かしいもの。         

 最後に、皆で合唱したのが、♪翼をください♪。そして ♪ふるさと♪。二つとも良い曲だ。出演者も客も店全体が一つになって、歌う。         

 アコースティック・カフェの名の通り、この音響装置。ギターの高音、低音の一つ一つの音量を調整できるらしい。          

 次回は、9/26(水)20:00より、「流(ながれ)」(二人組ユニット)と「だんもかとし」(男性トリオ)のコンサートです。 


ひかり一番町

2012-09-13 | 高岡

 暑かった夏のせいか、私の回りの一人暮らしの方たちの中で体調を崩された方がいらっしゃる。先月娘さん夫婦やお孫さんと米寿のお祝いをされたばかりのお隣さんが、9月になってしばらく娘さん宅へ行かれ、お隣は留守になった。
 また、同じ町内に住む私の大先輩の方が、先月初めから入院しておられると聞いた。難病を抱えながら、昨年までMiTUの合唱団で歌っておられた方だ。私は、月1度退職厚生会の新聞を配る係をしているのだが、先月は鍵がかかっていて郵便受けに入れたので気付かなかった。

 9/12日、SAさんと光が丘病院へお見舞いに行った。寝たきりになっておられるかと心配しながら病室を訪ねると、ベッドに座って読書中。とてもお元気で顔もふっくらと色つやもよく、以前と変わらない様子でホッとした。入院して1か月ほど経つそうだ。立ったり歩いたりできないほど足腰が弱っていたのが、歩行器や手すりにつかまってかなり速く歩けるようになった、と嬉しそう。早く退院したいと仰る。
 「今、何を歌っている?」と聞かれ、合唱の話もした。東京の息子さん夫婦が家を新築され、一緒に暮らそう、と言っておられうそうだ。退院後また一人暮らしをするか、東京へ行くか、思案中のようだった。

 光が丘病院は、よく車で横を通るし、知り合いが入院とも聞くが、中に入ったのは初めて。ともかく広い。手入れの行きとどいた中庭も広い。見学したいほどだったがそうも行かず、受付でパンフレットをもらった。
 病院内には、外来、人間ドック、病棟があり、デイケアやショートステイのできるホームある。駅南のケアハウス「おおぞら」もこの病院と提携している。
 パンフの中の「ひかり一番町」が目に止まった。”住み慣れた地域、自分らしい暮らしをしたいという想いを実現するための小規模多機能ホームです”と説明がある。一番町もよく通るがそんな建物があったっけ?

 翌13日は、平米公民館で謡と太鼓のお稽古日だった。明日の「ふれあいの集い」の準備が始っている。その中に「ひかり一番町」のスタッフが何人かおられた。一番町は平米校下なのだ。どんな所なのだろう?と、公民館の方に場所を教えてもらい、帰りに寄ってみた。守山町の富山銀行の真後ろの角の家だった。5年前に古民家を改築して開いたそうだ。外見ふつうの家と変わらない。        

 玄関には、↓の看板が。

        

 「通い・訪問・泊まり」のすべてを同じ職員で行い、利用者と顔なじみの環境で接する施設とのこと。惣万さんの冨山型ホームみないなのか、と想像した。見学させてもらえるよ、と公民館の方の言葉だったが、それはいつかまた。↓のURLを開くと、行事や日常生活の様子が写真入りで記録されています。

 http://www.shirankai.net/PDFdeta/kenkyuH19%20itibanmati.pdf


能「富士太鼓」

2012-09-11 | 能楽

 2週続き(いや、薪能を入れると3週続き)で観能三昧だった。薪能の素謡で「富士太鼓」の地謡を謡い、23日の関野神社奉納謡曲大会でまたまた「富士太鼓」の子方の役が当たった。(「富士太鼓」のあらすじについては、高岡薪能その1に書いています)
 お稽古を続けているうちに、この物語(実際の話)に興味が湧いて来た。楽人「浅間」と「富士」は共に太鼓の名手。「浅間」は、「富士」を憎み討ってしまう。それを知った「富士」の妻は「浅間」を敵と言わず、”太鼓こそ敵”と、娘と共に打ちかかる。その場面はどのように演じられるのだろう?太鼓を打つ? 太鼓を破る? 太鼓ってどんな太鼓? と、またまたいつものように、先生に質問攻め。先生は、「火炎太鼓ですよ。来週の金沢定例能でやりますよ。観に行くといいよ」と。先生も地謡で出られます。

 そんないきさつがあり、急きょ9日(日)に金沢へ行くことにした。狂言「雁大名」については昨日書いたので、今日は「富士太鼓」の舞台の様子を紹介します。(最後の能「黒塚」は以前見たことがあり、また、翌朝早く娘が関空へ行く日でもあり、観ずに早目に帰った。)

 写真撮影は禁止なので、ネットの写真と絵を中心に紹介します。それを見ると様々な演出があるらしい。トップと↓は、太鼓に近づく妻(シテ)と娘(子方)。            

 ↓は、太鼓の横で撥を持って舞うシテ(妻)。            

 ↓は、太鼓を打つシテ(妻)。右に座っているのは、ワキ(官人)と子方(娘)。          

 火炎太鼓とは、火焔型の装飾板を持つ大太鼓のこと。上に鞨鼓(かっこ)が乗っている。
 最初、「富士」の妻は、上に薄青い水衣を着て笠をかぶって登場。太鼓を打つ前に、鳥兜をつけ舞衣を着る。中入りはないので、舞台中央で後見二人が鳥兜をかぶせ、水衣を舞衣に着替えさせる。これを「物着(ものぎ)」と言うが、ふつうは舞台の後方でシテは後ろ向きで隠れるように行う。が、「富士太鼓」では、舞台中央でシテは前向きのまま、観客に見せる形で行う。見ている側は、兜が落ちないか、衣を素早く着替えられるかとハラハラドキドキである。それを思えば、先日の「道成寺」で、鐘の中で面も着物も一人で替えるのがいかに大変な作業かが分かると言うものだ。

 肝心の敵(太鼓)を討つ場面は、「樂」と言う長い舞いだった。お囃子が「太鼓なし」なので、笛の音がひときわ美しい。「樂」を舞うことで、妻は夫になり代わり仇を討ち恨みをはらしたのか、それとも夫と共に舞い悲しみを乗り越えたのか。
 シテは、「修羅の太鼓は打ち終わった。大君の長久を祈って千秋楽を打とう。民も栄えるように太平楽を打とう。夫の仇をとった上は気も晴れ泣くことはない」と謡い、太鼓を振り返りながら娘と共に帰って行く。

 さて、 子方はもちろん子ども。澄んだボーイソプラノの謡が可愛らしく、太鼓を打つ形の所作もきびきびしている。↓は、本当の舞台写真。(もちろん当日のではない

 子方(娘):牧 諄
 シテ(妻):高橋 右任
 ワキ(官人):苗加登久治
 間狂言:山田 譲二

 後見:藪俊彦、松田若子
 大皷:野尻 哲雄、 小鼓:住駒 俊介、 笛:江野 泉
 地謡:渡邊容之助 他


狂言「雁大名(がんだいみょう)」

2012-09-10 | 能楽

 8月末の「高岡薪能」以来毎日曜日ごとの観能になったが、9/9(日)SAさんとJRで金沢へ行った。月1回の「金沢定例能」は、午後1時開演。駅百番街「あじわい館」でランチをとることにした。いつもと違う店にと、入ったのが「黒百合」(トップ写真)。名前のイメージと違い、居酒屋風。「カウンターがいいですか?それともテーブル席?」と聞かれ、テーブル席へ。メニューには、加賀野菜とか、治部煮の文字がある。駅は街の玄関口、おでんの他に金沢名物を出す店らしい。
 私たちは、軽く「季節替わり定食・グラスビールつき」980円を注文した。昼からビールとはあまり軽くもないか。キスフライ、茄子とレンコンの煮物、サラダと豚肉の煮つけ。わかめの味噌汁、香の物。ご飯は大盛り+20円、小盛り-20円。
   

 和風の造りのカウンター席も満員。   

 駅構内の食堂は旅行客が多い。たっぷりとしたスペースの荷物置き場にはずらりと旅行鞄が並んでいる。キャリアケース、リュックも。左手前はビニール傘、真中の白のカーテンはコート掛けハンガー、その奥もバッグ置き場だ。   

 ゆっくり食べ、のんびりお喋りし、兼六園シャトルバスで成巽閣前に着くと開演ギリギリだった。

 定例能は、能が2番と狂言が1番。仕舞や舞囃子はない。まず、狂言を紹介します。「雁大名」、初めて見る狂言でした。

 あらすじ》 めでたく訴訟がかない、近く国へ帰る大名が、在京中に世話になった人々に振る舞いをしようと、太郎冠者を肴を買いにやります。太郎冠者は肴屋町で見事な初雁を見つけます。値段は500疋。「負けろ」と言うと、雁屋は、「初雁は負けられません」 と答えます。「また買いに来るから」と交渉し、300疋に負けさせますが、肝心の代わり(代金)を持っていないことに気づきます。持って来るから必ず取っておくように頼み、一旦帰りますが、長の在京で大名家にはお金がありません。太郎冠者は、思案の末名案を思いつき、大名と謀って芝居を打ち、雁屋の面前で大喧嘩、ドサクサにまぎれ雁を盗んでしまうのです。最後に二人は高笑い。

 いつもはドジな太郎冠者が、ここではなかなかの知恵者、雁屋がちょっととぼけた感じ。「お許されませ」も、「やるまいぞ」もない、ちょっと珍しい狂言でした。もう少し歯切れのいい演技だったら、もっと盛り上がったのに、と思ったことでした。

 ちなみに、見事な「初雁」は、羽箒でした。