Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

映画「沈まぬ太陽」

2009-11-26 | 映画・テレビ・演劇・芸能
 11/23(月)ようやく「沈まぬ太陽」を見る機会があった。3時間半
近いとなかなか空いた日がない。祝日で混んでいないか心配した
が、そこそこだった。

 山崎豊子の原作は1995~1999年に「週刊新潮」に連載したそうで、
当時日航が反発、連載中は機内にその雑誌を置かなかったそうだ。
映画化にあたっても角川映画や東宝へ何度も警告文を送ったらしい。

 私は、山崎作品は、昔、「白い巨塔」、「女系家族」、「ぼんち」を
読んだり映画やテレビドラマを見た記憶がある。が、最近の作は
トンと縁がない。今回も「渡辺謙主演」というので見たようなものだ。
しかし、見終えて「久しぶりに映画を見たな~」と言う満足感を味わ
った。渡辺謙が、ぜひやりたいと言った「恩地元」にぐいぐいと引き
込まれていったのだ。

 恩地元は、国民航空(NAL)の社員で労組委員長。空の安全、
社員の待遇改善を求めて団交に臨み、大幅な成果を勝ち取るが、
その後、カラチ、テヘラン、ナイロビと10年にわたる懲罰人事を
食らう。
 詫び状を1枚書けば戻す、と言われるが、「皆のためにやった。誰に
詫び状を書くのか。僕の矜持が許さない」と突き返す。その間、会社
が行う組合分裂工作、不当配転、昇格差別、いじめがすさまじい。
そして第二組合が作られる。

 帰国後、航空史上最大のジャンボ機墜落事故の遺族係として、
1人1人の遺族に誠意を持って接しながら、遺族の怒り、痛ましさ
に直面し苦悩する。事故現場、遺体の検視、事故原因の究明、
補償交渉の様子など、まだ記憶に新しい事故だけに切なさがこみ
あげる。

 NALの再建を図るため、新会長に迎えられたのが国見正之
(石坂浩二)。恩地は新設された会長室の室長に抜擢される。
ドル先物予約の疑惑やNYのホテルの放漫経営など不正と乱脈が
次々と明るみに出始めるが、政・官・財が癒着する腐敗構造の中
で、国見会長は力を発揮できずしだいに追いつめられ辞任する。
恩地は再びナイロビへ。
 彼を理解し支え続ける妻(鈴木京香)、いじめに合いながらも、
父のため我慢し素直に育つ息子と娘。こんな家族が本当にあるだ
ろうか、と思うほどだ。

 さて、原作は、「アフリカ篇」「御巣鷹山篇」「会長室篇」の3部に
分かれ、文庫本では5冊本になっているそうだ。アフリカ篇の
恩地には実在のモデルがおられ、山崎豊子は千数百時間も取材
した。御巣鷹山、会長室の恩地はその人物ではなくフィクションだ。
 60年代は労使紛争が絶えず、組合の切り崩しも激しかった時代。
自分の生きてきた時代だけに、当時の首相は誰?国見会長って?
と興味が湧く。「親方日の丸」の日航の建て直しに呼ばれたのは
鐘紡の伊藤会長、三顧の礼をもって迎えたのは中曽根首相、頼み
に行ったのは瀬島龍三氏だそうだ。瀬島氏は「不毛地帯」の壱岐
正のモデルと言われ、小矢部市出身の軍人でシベリアに11年間
抑留された。戦後は伊藤忠商事の会長。

 恩地の生き方に感動を覚えつつも、日航を取り巻く政・財・官の
動きに興味が移る。折しも、11・23付け朝日新聞のGLOBE版に
「JAL 再び翔べるか」の特集が組まれた。1951年日航創立以来
の歴史も書かれている。映画で出てきた「闇資金捻出のための
ダンボール入りCF券」も事実のようだ。

 余話をいくつか。
 映画で、遺族の方とトラブる遺族係りを演じられ山田辰夫さんは
射水出身で滝田監督の同級生。「おくりびと」にも出演されたが
今年夏亡くなられ、この映画が遺作となった。

 10分間の休憩時の音楽は、ダイアナ湯川さんのヴァイオリン
演奏による「祈り」「永遠の記憶」。彼女は、父親を御巣鷹山で
亡くした遺児で、事故後9月に生まれ、父の顔を知らない。
途中トイレに行ったので半分しか聴けなかったが。

「半島へ、ふたたび」

2009-11-24 | 
 最初、この本を知ったのは、案山子さんの紹介だった。直後、何か
ドキュメント賞を授賞され新聞に大きく広告が出ており、すぐ図書館
に予約した。なかなか来ない。そのうち、MiTUのHoさんが買われ
たので、借りることにした。

 「半島へ、ふたたび」、このタイトルに蓮池さんの思いが凝縮されて
いる。半島、そう、朝鮮半島なのだ。朝鮮王朝に始まる一つの国だ。
でも今は2カ国。分断されていたドイツもヴェトナムも、今は一つに
なったのに、この半島はまだ…。

 私自身は韓国へ5回行っている、単なる観光客として。蓮池さんは、
去年2月初めて夫婦でソウルを訪ねておられる。しかし、30年前に、
自分の意思に反して24年間北朝鮮での生活を強いられた。

 第1部、「僕のいた大地へ」の始まりは、奥さんのこの言葉だ。
「ああ、見て、見て、あれ、朝鮮半島じゃない!」
 瞬間、背筋にひやりとしたものが走ったそうだ。「黒みがかった
森と赤みがかった茶色の田野」、韓国のそれは、かの地と同じだっ
た。同じ自然、同じ歴史、同じ言葉を持つ一つの国なのだから。
 蓮池さんのソウル旅行は、翻訳した本の原作者に会ったり、訪問
地の取材のため。韓国で確かめたいことがたくさんあったと言う。
北と南のちょっとした違い、同じ文化、同じ生活様式を発見し、素直
な率直な感想を述べておられ興味深い。
 特に北での生活を強調してないが、ソウル市内をを回りながら
自然に、つらいキムチ作りや暖房費の節約の苦労話が語られる。

 下は、本の中の写真の写真でボケているが、「南山韓屋村」の韓式
家屋の裏でキムチ甕を見つけ感慨に耽る二人。

         

 今は翻訳業と新潟産業大の講師。韓国語を教えながら留学生の
相談相手もする。帰国後今の生活を選ぶまでの試行錯誤、悩み、
努力が、第2部「あの国の言葉を武器に、生きていく」に書かれて
いる。

 私が個人的に興味を持ったことをいくつか書き出してみる。

* アメリカ大使館の前は、いつ反米デモや抗議活動が起こるか
 わからないので常時警戒態勢下にあるそうだ。アン・チファンと
 言うシンガーソングライターの「今日もアメリカ大使館の前には」
 と言う歌を日本語に訳し、日本では誰もこんな反米の歌を歌わ
 ないだろう、でも韓国は違う、と書いておられる。この歌手は、
 富山の「韓国の歌と文化」講座でも紹介された。

* 「景福宮」の「光化門」を元の位置に復元すると言う。私が、娘と
 初めて韓国へ行った時は、景福宮の前に旧朝鮮総督府が構え、
 国立中央博物館になっていた。その後、解体撤去され、国立博
 物館は二村で新築。数年前に行った景福宮は勤政殿前に広々
 とした広場があった。そして光化門(正門)も元の位置に戻し、
 日韓併合前の李朝の王宮時代の姿に戻すと言う。

* 「戦争記念館」へ行くことは、蓮池さんにとって義務だったと
 書いておられる。朝鮮戦争がなぜ起こったか、どうして南北に
 分かれたのか、確かめたかったと。ここは、ガイドブックには
 載っていない。私もいつか行ってみたい。

* 「西大門刑務所歴史館」。蓮池さんの翻訳した小説の舞台が
 刑務所だったことがきっかけで訪ねた。年間5万人の日本人が
 来るそうだ。反日教育に慣らされた彼も目をそむけたくなる
 場面が再現されている。小学生も見学に来ており、日本を憎む
 のではないかと心配になったが、「過去の過ちを2度の繰り返さ
 ないよう、お互いの友好をいつまでも」と言うメッセージが
 いくつも残されておりホッとしたそうだ。

* 最後に「イムジン河」の歌。♪鳥になり南へ飛んで行きたい♪
 と歌う。南北分断の象徴でもある臨津江(イムジンガン)、彼は
「南」を「日本」に変えて歌ったそうだ。

 ちょっと硬く、暗い話が多くなったが、本は「紀行エッセイ」風で
日記のようで読みやすく、面白い。韓国が好きな人、よく旅行する
人、今から行きたいと思う人にお勧めです。
 富山から近いし、来年あたり6度目の韓国旅行を計画しようかな。 

「ボランティア広場」’09

2009-11-20 | ボランティア
 11/14(土)は、高岡市ふれあい福祉センターで第4回「ボランティア
広場」が開かれた。今年は、会場アナウンス係をもう一つの音訳
グループ「つるばみ」の会が担当するので、私たち「グループあかね」
は、パネル展示のみ。友達のコーラスグループ「さわらび」の女声
コーラスを聴く予定が、朝出そびれてしまい昼頃会場に立ち寄った。

 あいにくの雨の日だったが、会場は賑やかだった。パネル展示を
眺め、ショッピングをして、久しぶりのお茶の教室へ。ステージは
覘けなかった。

 いくつか紹介します。まず、ステージ演奏もあった「リンベルの会」。
ドレミファの順に並べてある。もちろん半音のベルもある。一人で
4個持ったりもするらしい。試している女の子。私も「キラキラ星」を。
 
                

 次に、当日表彰を受けた「伏木かたかごグループ」(トップは手芸
グループ)、各グループにわかれ、活動範囲が広いらしい。
 その下は、「地域女性ネット高岡」の”もったいない活動”。
「生と死を考える会」もある。増え続けている「自殺」の問題を考え
る会だ。命について語るコーナーもあった。
        
                
   

 次に、「高岡らっこの会」。市保健センターで赤ちゃんと保護者に
絵本の読み聞かせをしている。3~4ヶ月健診終了のすべての
赤ちゃんに文苑堂書店から絵本2冊が寄贈される”ブックスタート”
のメッセージを伝える活動だ。赤ちゃんの笑顔を見てください。

  

 以前紹介した「買い物応援団」の活動の様子も展示してあった。
パネルじゃないので少し見にくいです。

       

 ヴォランティア推進校の小中高校も含め、90以上もの団体が
参加している。その日の買い物は、万葉福祉作業所の「カリッコ」、
ラクノラグループの「卵」、さわらびの「おこわ」でした。
 いつもは、リフォームのベストや野菜も買います。

映画「ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ」

2009-11-15 | 映画・テレビ・演劇・芸能
 大きな行事が終わりホッとすると、いつものように映画が観た
くなった。ようこ姫さんと打合せをする。彼女は「沈まぬ太陽」は
もう鑑賞済み。そこで、「ヴィヨンの妻」に決め、日も決めた。
ところが、この映画、意外に短期間で、決めた日は夜一度のみ
上映になってしまった。
    私「どうしますか?取り止めてもいいですよ。」
    姫ちゃん「この時間しかないのなら、仕方ないですね。
     行きましょう。」

 今年は、「太宰治生誕100年」だ。6月、桜桃忌の頃、「太宰作
品3本映画化!」と新聞を賑わした。映画化しにくいと言うこと
らしい。
 ヴィヨンとは、フランス中世紀末の詩人、フランソワ・ヴィヨン、
逃走、入獄、放浪の生活を送った、とパンフに書いてある。
 そのヴィヨンならぬ大谷(太宰の分身と思われる小説家、浅野
忠信)の妻、佐知(松たか子)の物語り。

   

 原作「ヴィヨンの妻」に忠実なストーリだが、墓地での子どもの
頃の場面は「思ひ出」から、佐知が万引きをして捕まり釈明する
場面は「灯篭」から、大谷が愛人の秋子(広末涼子)と心中を図る
場面は「姥捨」から、大谷の小説のファンであり、佐知にも思いを
寄せる工員(妻夫木聡)のセリフは「きりぎりす」から、そして
最後に二人が手をつないでさくらんぼを食べる場面は「桜桃」から
という具合に、映画は、太宰作品の短編のエッセンスをミックスし
て作られている。これは、ネットで作品を斜め読みしてわかった
こと。240ほどの作品をすべて読めるとは知らなかった。製作中の
もある。

 人気作家であるのに、酒を飲み歩き、借金を重ね、次々と愛人
を作り、いつも死を考えている夫。その夫を、柔らかに受け止め、
逞しく生きることを考えている妻。そんな夫婦の愛の物語りと
言える。地味で頼りなげだが、シンのしっかりした美しい妻を、
松たか子が好演。「ラ・マンチャの男」のアルドンサとは似ても
似つかぬ、戦後の素直で強い日本女性を演じている。
 浅野忠信が上品過ぎるとはAさんの感想だが、「太宰」ではなく
「大谷」なのだから、苦悩しながらも魅力的な小説家を充分表現
していると思う。他の出演者は、伊武雅刀、室井滋、堤真一など。
 監督の根岸吉太郎は、カナダモントリオール映画祭で、「最優
秀監督賞」を受賞。

         

 太宰が玉川上水で入水自殺したのは、昭和23年だそうで、私の
小学生の頃。「斜陽族」と言う言葉も記憶にある。中高生の頃に
かなり短編を読んだはずだが、中味は全然覚えていない。きっと
常識外れの人物と思え、拒否反応を持ったからだろう。「走れメロ
ス」も彼の作品と知り、後で驚いたものだ。
 今は、純粋無垢な誠実な生き方だったかも、と理解できる。
青森県五所川原市の「斜陽館」も訪ねてみたい。

 ちなみに、朝ドラ「純情きらり」の原作「火の山」の著者、津島
佑子さんは太宰の次女。長女園子さんは、政治家津島雄二氏の
奥さん。私は見ていないが、ドラマの中に、太宰夫妻が描かれ
ていたそうだ。また、小説家太田治子さんは、太田静子との間の
娘さんだ。

舞台「細雪」

2009-11-13 | 映画・テレビ・演劇・芸能
 3日間の過密スケジュールの最終行事は、オーバードホールの
「細雪」。元の職場の厚生会が、毎年、観劇や野球、サッカーの
観戦、講演会を企画して、割引券を募集する。春以来何度も応募
するが、毎回ボツ。まったくくじ運が悪い。ようやく当選したのが、
「細雪」公演だ。S席1万円が7,000円に。5時開演の夜公演を選んだ
のがよかったかも。
 
 8日(日)芸術祭の出番が終わるとすぐJRで富山へ。前日は市民
プラザ、今日は北口。出るとすぐライトレールの乗り場があり、線路
沿いに花のバスケットが飾られている。一度乗ってみたい。夜の
ライトアップも始まったとか、終演後に見られることだろう。
 オーバードホールの1Fホールのデコレーションツリー。2Fロビー
ではすでに待っている人達が。まだ行列はできていない。杖をつい
た年配の方が何人か椅子に座って待っておられた。和服姿の女性
も。富山市内の方たちだろう。
                

 谷崎潤一郎の「細雪(ささめゆき)」は3度映画化されている。
3度目の(1983年版)映画を何回かテレビで見た。市川昆監督で、
女優陣は、岸恵子、佐久間良子、吉永小百合、古手川祐子の豪華
版だった。

 舞台は、菊田一夫の脚本で1200回上演されているそうだ。様々な
女優さんの競演で。だが、地方ではめったに見られず、今回は絶好
のチャンスだ。
 新しい顔ぶれは:
    長女鶴子 ”御寮人様”(ごりょんさん)に高橋恵子
    次女幸子 ”中姉ちゃん”(なかあんちゃん)に賀来千香子
    三女雪子 ”雪姉ちゃん”(きあんちゃん)に壇れい
    四女妙子 ”こいさん”に中越典子

 この呼び名からもわかるように、舞台は大阪、船場(せんば)、
時代は昭和10年代、戦争が始まる直前だ。
 徳川の時代からの木綿問屋、蒔岡商店の四姉妹。暖簾を守り、
格式を重んじる本家の長女、姉と妹達の間に立ち気を使う分家の
次女、縁談を断り続け婚期が遠のいている三女、活発で自立を
目指している四女。
 話は、雪子のお見合い、妙子の自立までの苦労、蒔岡商店の
倒産を中心に進み、姉妹同士や夫たちの思いやりが美しく描かれ
る。映画では夫たちのリアルな部分も出ていたが舞台ではない。
 雪子を壇れいが演じるのも話題の一つ。彼女の「ふぅん」は、
強調しすぎ。(笑いをとる演出だろうが)3人の子役(本家の兄弟、
分家の娘)が元気よく愛らしい。

 そして、花見(原作ではホタル狩、月見も)などの伝統的行事
や舞の会などの上方文化が慌しい世相の中でも残されている。
 舞の会の場面では、中越典子があでやかに地唄舞「雪」を舞っ
た。ここで拍手が来なかったのは、富山だな~と思った。見せ場
なのに…(たぶん)。ま、その後は肝心な場面では、拍手が起こ
ったが。
 姉妹の着物の「虫干し」の場面では、会場からため息が出た。
写真は、K新聞より。
       

 もちろん、場面が変わるごとに4人の衣装が変わるのも楽しみの
一つ。「細雪」を見る人の中には、着物を見に来る人もいるそうだ。
 「どんな世の中になってもあの花だけは、咲き続けますやろな…」
のセリフで終わる「紅枝垂桜」の終幕は華やかだった。

 5時開演、8時20分終演。休憩が2回あった。オーバードホールを
出て、余韻に浸りながら電車時刻を待つ間、ライトアップを眺めた。



                

袴を新調しました~高岡市芸術祭

2009-11-11 | 能楽
 11/8(日)は「高岡市芸術祭」。例年だと、邦楽・洋楽と2日間に
わけ、邦楽の部は市民会館で開かれる。能楽の他に、日舞、
民謡(踊)、筝曲、尺八、詩吟(舞)…あらゆる分野からの総出演。
 一方、洋楽の部は、合唱、独唱、楽器演奏、バレーなど、文化
ホールで開かれていた。

 今年は、開町400年を祝う行事として、1日だけ、邦楽洋楽のコラ
ボレーションと言う企画になったようだ。だが、能楽の先生方が、
単独の舞台を希望され(コレはあくまで私の推測だが?)たので、
時間が短く、仕舞や舞囃子ができない。そこで、笛と太鼓、地謡の
アンサンブルである「連調連管」に決まった。太鼓方は少ないので、
私たち、公民館組にも出番が回って来たのです。

 「西王母」は、今まで何度も打っているが、高岡文化ホールでの
オープニングとあれば緊張する。青年の家の能舞台のように、お浚
い会だから、では済まされない。文化ホールの舞台は、詩吟をやっ
ていた頃何度か立っているし、地謡でも一度出ている。だが、太鼓を
打つのは初めて。決まってから2ヶ月ほどずっと気にかかりっぱなし
だった。

 ついでのことに、と言うか、景気づけに袴を新調することにした。
習い始めて9年、そろそろ止めようかという頃になり、馬鹿げている
がもう「ひとふんばり」のけじめとしよう。
 謡の山崎先生のお店でお願いし、1週間ほど前に仕上がった。
襦袢や着物の丈など着付けのポイントを教えてもらう。      

       

 当日は、晴れ上がったよい天気。11時集合、11時半から申し合わ
せ(リハーサル)。駐車場が心配で早めに出た。どうやら高岡高校
構内に止められた。公孫樹の黄色が美しい。
               

 文化ホールでは、民踊や詩吟・詩舞の人達がもう衣装をつけ
て待っておられる。
 太鼓の上田先生は、早くから汗だくで「しらべ」(太鼓の紐)を
締めておられた。私たちのリハーサルは洋服のまま。
 舞台の上に、鏡板、4本柱、橋掛かりもある「能舞台」が作ら
れていて驚いた。たった10分の演奏のためにだ。太鼓は4人。
笛が9人、地謡が10人。先生も入られるので安心だが、私自身
は3箇所間違った。昨夜も今朝も、通し稽古をしなかったからだ。
でも、リハーサルで間違うと本番は大丈夫のことが多い。
 昼食の前後、Siさんと二人で膝を叩いて、何度も練習した。
部屋の中は暑く、着物を着るのも汗だく。袴を山崎先生につけ
てもらう。「同じ所に両足入れたらアカンよ」と言われながら。
さあ、準備完了だ。

 本番。落ち着いて気持ちよく打てた。「西王母」とは3千年に
一度だけ花が咲き、長生を約する桃の花。その実を帝に献上
し、喜びの宴が催される、と言うおめでたい曲。その曲で幕が
上がり、開会式が行われたはず。私は、その後、客席にも座らず、
呈茶席にも、華道展にも寄らずに、一旦帰宅後、富山へ。
「細雪」の割引チケットが買えたのだ。

 出番の合間に、同じ太鼓方のTさんから、「高岡能楽会」のHPを
担当しておられると、聞いた。ときどき訪問したい。

ジョイントリサイタル

2009-11-10 | 音楽
 11/6~8(金~日)の3日間は超多忙だった。いろいろ重なったのだ。

 7日(土)は、富山市民プラザで、私たち、合唱団MiTUの指揮者
である森川紀博先生の娘さんの有紀さんと、先生の教え子の
赤根純子さんのジョイントリサイタルがあった。先生も賛助出演を
され、目下独唱の特訓中と聞き、団員が多数で応援(?)に駆け
つけたわけだ。
 MiTUの仲間と、昼頃のJRで富山に着く。気持ちの良い秋晴れ
なので市民プラザまで歩いた。

*富山城址公園横の街路樹 *市民プラザ・アンサンブルホール
                          前のポスター
         

 プログラムの先生の言葉を引用すると:

 ”…合唱団「あるも」(今も先生が指導しておられる混声合唱団)
のアイドルだった教え子(当時高校生)が音大へ進み、以来10数
年粘り強く勉強を続けてきました。一方、大学を出して無事に就職
したと思った娘は、突然進路変更をしてしまいました。共に、道半
ばの二人ですが、皆様の前に発表の機会を持たせていただき、
今後ますますの研鑽を積んでゆきたいと考えております…”と
ある。

 有紀さんは、富大理学部数学科大学院を修了後、就職、その後
ソリストとして声楽家を志し上京、働きながら勉強しておられる。
 真にやりたい事を見つけ、志を立てて転向された勇気と努力が
素晴らしいと思った。2年前に聴いた時より格段に上達され、立派
なアルトソリストになっておられた。

 青いドレスの赤根さんは、「かやの木山の」や啄木の「初恋」を
美しいソプラノで情感を込めて歌われた。
 ピンクのドレスの有紀さんは、金子みすずの詩「ほしとたんぽぽ」
や星野富広の「よろこびが集ったよりも」を心に沁みこむような、
低く響くアルトで歌われて感動的。

 ♪よろこびが集ったよりも かなしみが集ったほうがしあわせ♪

 こんな歌詞だったか? 日本の歌は、詩の心が伝わるから聴く者
の胸を打つ。
             

 他にもオペラのアリアを。
 下は、オペラ「カプレティー家とモンテッキ家」より。ロミオとジュリ
エットと同じ題材のオペラだそうだ。ロミオ役をメゾソプラノが歌う。
衣装も変えて、オペラ風に。右は、「カルメン」より「ハバネラ」。
知っている曲を多く取り入れて、とても楽しい舞台だった。
 先生も、「楽に寄す」や「美しき五月に」など何曲も、原語で歌わ
れたが、若い二人をたてて少し控えめに。

    

 トップの写真は、アンコールにこたえて、三人でシューベルトの
「魔王」を。MiTUからお祝いの花束を、若い団員のKさんから
先生にお渡しした。

 12/4(金)夜、富山教育文化会館ホールで今年も「市民クリスマ
ス礼拝」が行われ、宮丸先生の指揮でヘンデルの「メサイア」日本
語版が歌われるが、有紀さんはアルトソロを務められる。もちろん
無料す。

♪ 滝沢卓さんと歌う ♪

2009-11-09 | 音楽

 野村公民館の「いわせのコーラス」に月2回、通っている。指揮者は、長谷部元信先生。11/6(金)夜、同じ野村の「若葉保育園」の行事で歌う、お呼びがかかった。しかも、シンセサイザー奏者で作曲もされる滝沢卓さんと共演(?)とのこと。

 若葉保育園は近くのお寺(名前は聞かなかった)に併設の保育園だったそうだ。一緒に歌っている山○さんの息子さんたちが子どもの頃に通園していたそうだ。30年ほど前今の敷地に移ったとか。
 下は、保育園の玄関。わかばちゃんの像が迎えてくれる。
      

 この、「HOT家(や)の集い」は年に数回、開催するらしい。夜、7時になると、子どもを連れた若いお父さんやお母さん、祖父母、町内の一般の人達が続々と集まられ、ホール一杯になった。
 これが、シンセサイザー。もう舞台に設置されている。          

 まず、シンセサイザーの演奏だ。「亡き王女のためのパバーヌ」などクラシックから、「月の砂漠」「赤とんぼ」など童謡から、そして「風」「くろべ」など自作の曲を演奏された。
 様々な音色が出る。尺八のような音も聞こえた。


 滝沢さんの手の位置に注目してください。すぐ前のキー、上のキー、右のキー、たぶん足も使っておられるのだろう。
 次に、私たちの歌、「ゆりかごの歌」「まっかな秋」「瀬戸の花嫁」に伴奏をつけてくださった。最後に滝沢さんのオリジナル曲「ねがい」を歌った。歌詞も曲もきれいで歌いやすい曲だ。平和を願うメッセージが込められている。長谷部先生も若々しい声で「この道」を独唱された。

 その後、保育士の島崎さんのマリンバとシンセサイザーのジョイントで子供たちもみんな手拍子を打った。「アンパンマン」と「小さな世界」。
          

 滝沢卓さんは高岡市出身の音楽家、シンセサイザーの演奏や作曲活動を県内を中心に続けておられる。新潟地震やイラン地震などのチャリティ、ジョイントコンサート、FMいみずでのラジオ番組、そして今回のような保育所を中心に「愉快な参加型コンサート」。バイオリン、ドラム、フルート、サックス、お話などのパフォーマンスを滝沢さんの演奏とともに展開する活動だ。私たちも参加させてもらい楽しいひとときを持った。

 一つ、印象に残る話をされた。「メーリングリスト」のことだ。
私も、MiTUのコーラスや以前の職場のサークルのメーリングリストに入っており、諸連絡や意見交換に使うものだと思っていた。が、滝沢さんは、若い頃からの仲間(中には障害者の方もおられ)とメーリングリストで、「元気?今日は晴れてるね」などと日常会話や近況報告をしながら、お互いに心をつなぎ合わせている、と話された。
 HPやブログのように発信するだけではなく、親しい仲間の場合は数人でリストを作りコミュニケーションを図る。自由な時間に、好きなだけ。
 そんな話を控えめに話される滝沢さんは、とても優しい方なんだろうな~と思った。

 滝沢さんのHPより:

 「いつか、雨晴海岸で海と空を見ていたぼくは、その遙かなる向こう、風と潮騒に混じり、遠い空から何かが響いてくるのを感じました。
 いままで聞いたこともない、それでいてなぜか懐かしい。その音はどこから聞こえてくるのだろうか・・・それが、きっ
かけでした。」


ケータイ・5日間行方不明

2009-11-07 | 日記・つぶやき
 10/30(金)は音訳ボランティア「あかね」の日だった。「市民と市政」
11月号をカセットテープに録音した。一日家を空ける日は必ずケータ
イ電話を持って出る。その日は、かかってくる用事も、かける用事も
あり、ケータイはテーブルの上に出しっぱなしだった。

 夕方、すべての仕事が終わり、機械などの道具を皆で片付け、忘
れ物がないか確認して、皆で一緒に部屋を出た。郵便局にテープを
預け、真直ぐ帰宅。バッグの中を整理する。荷物が多く、2個バッグを
持って行った。筆記具、めがね、カメラ、電子辞書、カセットテープ…
アレ、ケータイがない。ケースだけある。慌ててケースと本体を別々
にバッグに放り込んだのを思い出した。すぐ車の中を探したがない。
明日、明るい時にもう一度車の中を見よう。

 翌朝、車のトランク、前後部座席、もう一度バッグの中、物をどかし
たり取り出したりして念入りに。でも、ない。
 場所はふれあいセンターだけ、一緒にいたのは6人、車の中とバッ
グの中と、限られている。どこへ消えた?いつものことだが、ミステ
リーみたい。自宅の電話からかけてみる。コールがあり、留守電の
メッセージをどうぞ、の声。どこかで鳴っているのだ。それともマナ
ーモードにしていたかも。

 ふれあいセンターの事務所へ行き、職員の人に使った部屋を開け
てもらい、自分で確かめる。やはりないのだ。その日、ケータイの
忘れ物はあったが、場所はトイレ、持ち主もわかったとのこと。
 あかねの友達に一人一人電話で尋ねようか?でも、バッグに紛れ
込んでいれば、知らせてくださるだろう。

 3日目、日曜日、一日待機。見落としがないか、同じ所を何度も探
す。電話もかけてみる。呼び出し音はする。息子が、とにかく回線を
止めるといい、もし悪用されたら困るから、と言う。auショップへ行こ
うとは思っていたのだ。翌日出かける。

 4日目、「安心ロック」をかけてもらう。着信だけできて操作でき
ない処置だそう。もし出て来なかったら、新品は、27000円もするら
しい。この際、ケータイは止めようかしら。
 
 5日目、待機。どこからも音沙汰なし。ロックをかけたから何と
なく安心。
 6日目、近所の美容院へ行く。Siさんに一部始終を話す。話しな
がらヒントをもらった。バッグの中から落ちたかも?
 家へ帰り、もう一度車の中を。あった!左後部ドアと背もたれ(ワ
ゴン車なのでたためる)の間の小さな隙間に隠れ、1部顔を出して
いる。やはりマナーモードのまま。トランクの中のカセットテープの
カゴを取り出す時、バッグが傾いて、こぼれ落ち挟まったのだろう。
 27000円助かったし、友達にも迷惑をかけず、に一件落着。ロック
を外してもらったら、電話が2件、メールが1件と私がかけた3件入っ
ていた。

 5日間、そう不便でもなかった。でも、手に戻るとまた便利に使って
いる。下は、私の愛機。ケースは太鼓の先生の奥様より、初舞台の
時に記念にいただいたお気に入りだ。
 7月に機種変更した時、ジャラジャラ下げていたストラップを全部
外した。白色で薄くて小さい。それも隠れていた原因だろう。
   

 ケースには「アフラック」、ケータイには「クロネコ」のそれぞれ
サービス品をつけた。もう大丈夫だろう。

金沢散策物語~書店と金沢城

2009-11-05 | 旅行
 金沢「21世紀美術館」の近くに「うつのみや書店」がある。
一緒に行ったAさんのご主人は謡の先生、「時間があれば、カセット
テープを買ってきてほしい」と頼まれたそうだ。すぐ近くだが場所が
わかりにくい。美術館受付で道を詳しく聞き、外へ出た。

 市役所や能楽美術館の後ろ辺りか。かなり前に一度来たことが
あるはずだが、何か違うような…。入ってすぐ右側に、こんな棚が。
さすがに「加賀宝生」の町である。 あいうえお順に、赤、青、赤、青
の見出しがついている。「葵上」「阿漕」「芦刈」「安宅」…。
 次にお稽古する「井筒」もある。

    

 昼食後、「観光物産館」と「金沢城公園」へ。県立美術館へ
「本願寺展」を見に行く人や、兼六園へ行く人などさまざま。

 私は、息子の誕生日に久しぶりに「ネクタイを送ろうか」と聞いた
ら、珍しく「ほしい」と返事があったので、加賀友禅の薄黄色系(本
人の希望)のを、Aさんの見立てで買った。
 その後、Aさん、Kさんと3人で金沢城へ。金大がすべて角間へ
移転した後、ここは公園になっている。Aさんが五十間長屋は初めて
とのことで中に入った。シニアは無料。証明する物がない、と言うと
「住所と名前を書いてもらえば、どうぞ」とおおらかな対応。さすが、
金沢城、前田のお殿様のお膝元だ。

 時間が足りず、ゆっくり見る暇もなく、登って歩いて出て来た。
写真もそこそこで、たぶん左は、五十間長屋。右は、菱櫓だと思う。

                                                
               

 はるか彼方は兼六園だろう。兼見御亭までの上り坂がきつかっ
た。                                         
         

 ちょっと行けない金沢散策。今日も一日楽しかった。

まっかな秋

2009-11-04 | 自然・海山草花
 「まっかだな、まっかだな、つたの葉っぱがまっかだな・・・」
 「まっかだな、まっかだな、からすうりってまっかだな・・・」

 いわせのコーラスでよく歌う、私の大好きな秋の歌。
10/31(土)の「月見のお茶事」の朝、茶々姫さん宅へ伺うと、玄関
横の塀に絡まるつたが見事に色づいていた。からす瓜のつやや
かな赤い実も。



 なかなか皆の日が合わず、ようやく決まったこの日の夜はちょう
ど満月とか。結局、月曜組と土曜組と別々の日になり、先生には
2度手間で申し訳ないから、お茶事の後の懐石料理を、レストラン
「くにさき」でランチと言うことに決めた。

 Aさんのお濃茶のお点前、後、員茶(かずちゃ)方式で全員で
お薄のお点前でお茶をいただき、出かける。

 「くにさき」は最近オープンしたレストラン、演劇鑑賞会の事務所
で聞き込んできた評判のお店。南星中の前の通りにある。こだわ
りのオーナーシエフご夫婦の経営らしい。事前に下見をし予約し
た。土曜日のこととて超満員。980円のランチをお願いした。

 喋って食べて満腹状態で、「おとぎの森」へバラを見に行く話が
すぐまとまるのは土曜組ならではである。

 開町400年記念「菊花展」の搬入の最中だった。入り口に、福岡
行政センターからのお祝儀の「利長くん」。南瓜や小豆で作って
ある。
             

 会場は搬入の人達でドタバタしている。菊花展は11/5(木)まで。
                   
               

 ここ、おとぎの森公園の真ん中を千保川が流れていて、南北に
2つ橋が架かっている。地元の人達が、長い間千保川をきれいに
する活動を続けて来られ、6月には天然のホタルが飛び交うまで
になったそうだ。
 下は、かっぱの広場。川のすぐ傍に子どもも安心して遊べる池が
ある。そこへ野生のカモが休みに来ている。日向ぼっこをしている
のか、石なのか鳥なのか?
        

 親子連れ、犬の散歩、ジョギング、子供たち・・・大人も子どもも
それぞれが楽しめる良い公園だ。と言うわけで、「月見のお茶事」
も楽しい1日となった。

金沢散策物語~珠姫の寺「天徳院」

2009-11-03 | 旅行
 10/28(水)は秋晴れで、汗ばむほどの陽気だった。20人ほどの
ツアーで金沢日帰り旅行に行った。
 コースは、天徳院(からくり人形)、21世紀美術館、兼見御亭
(トップ)で昼食、午後はフリー。

 金沢市小立野にある天徳院は曹洞宗のお寺、前田家三代藩主
利常公の正室、珠姫の菩提寺である。珠姫は徳川2代将軍、秀忠
の次女で3代将軍家光の姉に当たる。母は、浅井長政とお市の方
の娘で淀君の妹、小督(崇源院)。つまり、信長が大叔父、家康が
祖父と言うこと?この時代の親類関係はややこしい。名前もいくつ
もあるし。
 さて、珠姫様はわずか3歳で金沢へ興し入れ、14歳で結婚、利常
公との間に3男5女をもうけ、立派に育てて、24歳で亡くなっておら
れる。その間、徳川家と前田家を結ぶ絆として心労も絶えなかった
そうだ。その短い生涯を、本堂横の1室で電気仕掛けのからくり人
形で見せてくれる。その他、珠姫坐像、珠姫手作りの紙雛人形や
お道具など展示されている。すべて撮影禁止。
 
 左は、両側に枝垂れ桜のある山門。春はさぞ美しいことだろう。
右は、山門のすぐ傍に安置してある「水かけ金洗い弁才天」。
金運・才能運を授けてくれることで親しまれているそうだ。

   

 下は、左が「鎮守堂」入り口の天狗面。右は、その中に祀られて
いる「白山妙理天狗尊」。御簾が垂れており、大きな鼻しか見えな
い。他に、さっきの「大弁財尊天」や「烏天狗尊」が祀られている。

        

 拝観料は500円。庭園は無料、抹茶席があり、一服500円。
「天徳院前」バス停があり、傍に付属幼稚園もあるらしい。
 珠姫様は、今でも金沢市民に大変親しまれているようだ。

 この後、21世紀美術館で「横尾忠則展」を鑑賞し、兼見御亭
(けんけんおちん)で昼食を。ツアー客で大賑わいだった。お膳に
は、金沢の郷土料理「治部煮(じぶに)」も添えられている。

     
                  

本「天使と悪魔」

2009-11-02 | 
 映画「天使と悪魔」を見たのは、6月だったか?「ダ・ヴィンチ・コー
ド」の第2弾と言う前評判で早々と見に行った。
 その後すぐ図書館に本を予約、3ヶ月ほど待って上巻を読んだの
が9月、下巻を予約し、先日一気に読み終えたが、結末が映画とまっ
たく違っておりびっくりした。読後感が映画とはぜんぜん違うのだ。

 原作はダン・ブラウン、訳が越前敏弥、角川書店の本(文庫本も)。
上下巻700ページの大長編だが、たった1日の出来事である。

 スイスのセルン(欧州原子核研究機構)で科学者レオナルド・ヴェ
トラが、核エネルギーを上回る反物質の生成に成功する。ところが、
彼は何者かに殺され、反物質は盗まれてしまった。セルンの所長の
コーラの依頼で、ハーバード大学のロバート・ラングドン教授が、ヴェ
トラの娘で共同研究者のヴィットリアとともにローマに向かう。
 ローマ、ヴァチカン市国では、新しい教皇を選出するコンクラーベ
の真っ最中。だが、新教皇の有力候補4人が失踪しており、亡くなっ
た前教皇の侍従、カルロのもとにイルミナティを名乗る者から電話が
あり、かつて科学者を弾圧したキリスト教会に復讐するため、1時間
に1人ずつ、拉致した新教皇候補を殺害してゆくと言う。
 しかも、盗まれた反物質はヴァチカン市国のどこかにあり、放置し
ておくと大爆発を起こし、ローマは吹っ飛んでしまう。 

 殺害場所を示すヒントに気付いたラングドン教授は、殺害を阻止
すべく推理と追跡を開始する。
 そのヒントはベルニーニの彫刻や建築物にあり、彼が、ローマ市
内の教会、墓所、美術館、地下道をあちこち走り回るのが興味深い。
が、彼の活躍も空しく、候補者達は次々と無残な遺体で発見される。

 この辺りまでは映画も原作とほぼ同じ。前回の映画紹介のブログ
にも書いたが、映画では、推理とアクションにドキドキし、ローマの
美術品やコンクラーベと言うヴァチカンの珍しい行事にワクワクした。

 『宗教と科学』の対立がメインテーマだ。大量破壊兵器を生み出す
研究に対しキリスト教を土台にした科学研究に前教皇が賛同する場
面や、カルロがTVを通して、ローマ市内、いや全世界に向かい、宗
教は、科学はどうあるべきかを訴えスピーチをする場面があり、原作
では、テーマを具体的に取り上げている。

 何よりも、映画では原作の最後の人間ドラマが削られてしまってい
た。当時、結末が軽い、と思ったのはそのせいだろう。
 カルロの厚い信仰心と科学を憎む気持は、子どもの頃母親を爆弾
テロで失っていることに由来する。彼は父親を知らない。育て慈しん
でくれた前教皇を父同然に信頼し尊敬していた。教皇が若い頃科学
の恩恵を蒙り、子供を授かった、と告白始めた途端、立派な聖職者と
信じていたのに裏切られた思いから、教皇を殺してしまう。そして更
に、科学に傾倒しようとする教会を元に戻そうと一連の犯行を…。
 しかし、カルロこそが、前教皇が科学から受けた恩恵(すなわち
人工授精)により、愛する尼僧(母)との間に授かった子供だった。

 セルンの所長のコーラが子供の頃、大病を患い、親が信仰の強さ
のあまり科学による治療を拒否したため、車椅子の生活を強いら
れ、親への憎悪もあり科学の道を選んだこと、セルンで共同研究を
しているヴィットリアの父への信頼感…などが盛り込まれ、私流に
言うならば、親子の情愛が底流に描かれている、と思った。

 映画を見ておられない方には、ゴチャゴチャと余計なことだし、今
から原作を読む方にはネタバレになり申し訳ありません。