Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

「鮎の庄」でランチとお風呂

2017-04-27 | 食物

 茶々姫さんのお茶教室で月1000円の積み立てをしている。初釜、誕生会、ランチの会や小旅行に行く時に使っている。3月に、我が家の親戚で法要があり、後の会食が庄川の「川金」であった。ちょうど小鮎が出始めたところでとても美味しく、いつかお茶の皆さんと食べに行きたいね、と言ったら話がまとまった。

 4/22(土)総勢7名、3台の車に分乗して出かけた。個室は頼まなかったのだが、仕切りのある10名くらいのスペースのテーブル席に案内され、ラッキーだった。
 「鮎ご膳」(松:2500円)を頼んでいた。追加の鮎はこの日は一匹360円、一人2本を追加した。。👇は、塩焼き。

 👇 ちょろぎ。     

 👇 鮎の甘露煮。   

  👇 蕗の薹みそ。   

  👇 鮎のみぞれ酢もの、茗荷添え。

  👇 ウルカ入り玉子豆腐。

  お刺身は、鯉のあらいかサーモンを選べます。この他にたしか鮎のみぞれ和えも。👇はデザート。

  👇 「囲炉裏茶屋」では、こんなふうに焼いて運んでくださるのです。         
 満腹になり、隣の「川金」で入浴。500円で入れます。

 帰りは、砺波へ出てカフェ「マンデリン」でコーヒーを一服の予定…、が、途中、大門(おおかど)の「花卉球根協同組合」の前を通ると…。👇の看板が目に入り、観光客が大勢。長靴まで用意してあった。

 👇 品種はなんと400種あるそうだ。

 今年は、砺波のチューリップが生まれて100年目だそう。👇は、初めてチューリップに取り組んだ水野豊三(ぶんぞう)氏の胸像。体が弱く、出稼ぎに行けなかった豊蔵さんがチューリップ栽培に取り組んだそうだ。
 農閑期に植えた10球のチューリップが美しく咲いたことから、砺波でのチューリップ栽培の歴史が始まった。その後、出荷直前のチューリップ畑が荒らされ、枯れた後に掘り起こした球根が大きくなっていることに気づいた豊造さんは、水田裏作としてのチューリップ栽培を思いつき、球根の栽培、販売、輸出とすべての礎を築きました。    

 👇 事務所内に見本だながありました。

 ゆっくりと見物後、「マンダリン」でコーヒーを飲み、帰りました。


花の上州路の旅~水沢観音・伊香保グリーン牧場

2017-04-26 | 旅行

 4/19、20日に「花の上州路 妙義山さくらの里・みさとの芝桜・榛名雲海桜と伊香保温泉」と言う長い名前の一泊ツアーに参加した。読売旅行の企画、義妹のお誘いである。早割と元職場の旅行社経由の割引で2000円余り安くなると言うのが売りだった。
 群馬県は今までまったく縁のない県だったが、3年前富岡製糸場が世界遺産に登録された直後に、やはり義妹と伊香保温泉泊まりで旅行したのとよく似たコースだ。
 👇は、その3年前の旅行の私のブログ。伊香保の石段、水沢観音の写真と記事がアップされている。3年前はまだまだ元気だったんだな~。
  http://blog.goo.ne.jp/67kiyoh/d/20140710

 👇 今回も「水沢観音」にお参りした。

  👇 六角堂。

 👇 3回、回転させながら祈願します。 

 駐車場付近も桜が満開。お土産売り場や手作り品の店が並び、露店のカフェもある。👇は、カフェラテ。     

 「上州物産館」に入り、水沢うどんのランチ。👇は、水沢うどんと名物 こんにゃくと牛蒡の煮もの。

      

 👇 2階の窓からも桜。

 いよいよ最後の見学地、「伊香保グリーン牧場」へ。ここにも約800本のソメイヨシノが植えられている。向こうに見える雪を頂く山、袴腰山みたい山は? 

 👇 「さくらゲート」(帰りはここに入れません、と念を押されたが…)を出て、牧場内を歩く。木々の間から見えるのは乗馬場? 

 👇 ああ、やっぱり!

 👇 お客がおらずお馬さんは暇そう…。

 👇 ニンジンをやる親子。 

 👇 羊のショーもあるらしいが、時間が合わない。

 👇 ココは、馬車乗り場? ベビーカーの親子連れ。 

 👇 ああ、ホントだ。馬車がいます。ベガくん。ドイツから来た、ラインランドと言う体の大きな品種だそうだ。     

 👇 そのうち、先ほどの親子3人連れが乗られました。で、私たち5人も乗りました。ベガくん重そう…。

    

 若い御者さんと楽しく話をして、一回り。さあ、駐車場へ戻らなければならない。道は上りだ。私は息切れやら膝痛やらで皆より遅れるから、早めに出た。結局、5人が3組に分かれたみたい。駐車場への矢印を見て、茶々姫さんと二人で駐車場へ向かった。行く手に駐車場も加越能バスも見えて、さあ着いたぞ、と思ったら、駐車場の柵は封鎖されていた。茶々姫さんはスマートだが、私の太さでは柵の隙間は通れない。戻ると大幅に遅刻だ。どうにかして柵を乗り越えるしかない。まず、茶々姫さんが軽々と乗り越え、次に私が、何度も反動をつけて脚をかけ、自分の脚を手で持ち上げるようにしてまたがり、降りた。👇が柵。この上にもう一本、横に丸太が渡っていた。 

 👇 封鎖されていた「さくらゲート」。ここから出たんだよね。

 何分遅刻だったのか、捜索願が出るほどではなくてよかった。が、50円引きソフトクリームを食べられず、茶々姫さんは残念そう。
 帰りは関越自動車道で長岡へ出てひたすら富山へ戻りました。帰りのバスの中で、SAさんからメールが入り、「筍ご飯を作ったから郵便受けに入れておきます」とのこと。その晩美味しく頂きました。       


花の上州路の旅~みさと芝桜公園・伊香保温泉・竹久夢二伊香保記念館

2017-04-25 | 旅行

 4/19、20日に「花の上州路 妙義山さくらの里・みさとの芝桜・榛名雲海桜と伊香保温泉」と言う長い名前の一泊ツアーに参加した。読売旅行の企画、義妹のお誘いである。早割と元職場の旅行社経由の割引で2000円余り安くなると言うのが売りだった。3年前富岡製糸場が世界遺産に登録された直後に、やはり義妹と伊香保温泉泊まりで旅行したのとよく似たコースだった。

 一日目、「妙義山さくらの里」で桜を愛で、次は「みさと芝桜公園」で芝桜の絨毯を眺める予定。ここは、高崎市箕郷町。ちょっとまだ早く、絨毯とは言い難いが十分にきれいだった。

  👇 「ホテル天坊」。3年前もそうだったが、伊香保温泉繁華街や有名な石段からは遠く離れている。前は初めてだったので、石段は登れなくても見て来たい、と何人かで頼みホテルのバスを出してもらった。75段目かで降ろしてもらい、そこから下まで降りた記憶がある。今回のホテルではそれを頼めず、皆さんタクシーで。義妹と私は温泉でゆっくり。

  👇 フロント横でお出迎えのペッパーくん。お客様とお話したり、ゲームで遊んでくれる。「国旗クイズ」です。

       

 翌朝は、ホテルのすぐ前の「竹久夢二伊香保記念館」を見学。夢二が伊香保をたびたび訪れるようになったのは、伊香保に住む一人の少女のファンレターがきっかけだそうで、その往復書簡が展示してあった。👇は、大きなオルゴール。

    

 館内は撮影禁止。👇は、有名な「黒船屋」の一筆箋と「子供の絵」の絵葉書セット。お土産に買いました。

      


花の上州路の旅~さくらの里

2017-04-24 | 旅行

 4/19、20日に「花の上州路 妙義山さくらの里・みさとの芝桜・榛名雲海桜と伊香保温泉」と言う長い名前の一泊ツアーに参加した。読売旅行の企画、義妹のお誘いである。早割と元職場の旅行社経由の割引で2000円余り安くなると言うのが売りだった。
 群馬県は今までまったく縁のない県だったが、3年前富岡製糸場が世界遺産に登録された直後に、やはり義妹と伊香保温泉泊まりで旅行したのとよく似たコースだ。

 朝、高岡を発つ頃は雨、が、嬉しいことにだんだん空が明るくなり日が差してきた。北陸道から上信越道に入り新潟、長野、群馬と進むと、窓の外の山々が雪景色から新緑に変わり目を楽しませてくれる。桜紀行は満開の花に出会えるかどうかで旅の楽しみが決まるが、さて、最初の「さくらの里」はどうだろう。 バスが妙義山麓を登って行き、目の前にパッと一面の桜が広がると「うわ~」と歓声が上がった。まさに満開の桜だ。添乗員さんもホッとした様子。吉野山ほどではないが、山全体が桜だ。 

 

 👇 散策路がいくつもあり、体力に応じて歩けるようになっている。

 👇 入り口のバス道路。

 👇 まだ蕾の桜に人が寄っているので、見ると「楊貴妃」と言う桜。    

     

 👇 あずまやの窓に映る桜。

  👇 ミツバツツジも。 

  説明によると、ここ、『県立森林公園さくらの里』は、妙義山の南面山麓に広がる斜面一帯を利用して園地にしているそうだ。園内に植えられた桜は、45種5,000本で最も多い種類はソメイヨシノ。また、カンザン、フゲンゾウなどの八重桜も多く、咲く時期が異なるので、4月中旬から5月中旬まで開花を見ることができる。珍しい種類としては、ミシマザクラ、ヨウキヒ、コトヒラなどがある。ちなみにここは下仁田町である。

 管理事務所の方の話では、ディズニーランドができた年(昭和58年)に開園したそうなので30年以上の桜の木々と言うことだ。妙義山の山容とマッチしてスケールの大きい風景となっている。


「第九回高岡芙蓉会謡曲大会」 ・ 5月の演能(高岡)・ 銀座に能楽堂

2017-04-21 | 能楽

 4/16(日)、「高岡市青年の家・能舞台」にて「高岡芙蓉会謡曲大会」が行われた。謡曲・仕舞・お囃子のお稽古に励んでいる呉西地区の女性だけの会だ。発足してはや9年。5年目の記念大会では能装束の着付けが舞台の上で披露された。来年は10年目、また新たな計画が練られているようだ。

 蒼山会からは、オープニングの連吟「鶴亀」、素謡2番、仕舞2番、連調連管1番、舞囃子2番に総勢8名が参加した。なはさん、みき子さん、茶々姫さんが朝早くから見に来てくださった。なはさんが撮ってくださったもの、私が撮ったものをいくつか紹介します。

 👇 連吟「鶴亀」。        

 👇 素謡「車僧(くるまぞう)」。        

 👇 仕舞「巻絹(まきぎぬ)」。        

        

 👇 仕舞「高野者狂(こうやものぐるい)」。KAさんは他の会の方だが、以前「学友塾」でご一緒して以来いろいろご縁のある方。この日は町内の「いきいきサロン」の方たちを案内して来ておられた。        

 👇 「鵜の段」。立ち方のIさんを始め城端の方たちである。        

 昼食、総会をはさみ、舞囃子まで、女性の会とは言うものの、調べ緒を締めたり、後見をお願いするのでお笛の瀬賀先生、大皷の川原先生、太鼓の上田先生に来ていただく。
 私の「岩船」は何度も何度も打っていて今度こそ一人でと願ったが、前日の申し合わせでズレてしまい、ショック。耳が悪くなったかズレに気づかなかったのが情けなかった。本番は先生についてもらいどうにかクリア。

 さて、5月に偶然3日間、高岡で演能が続くので紹介します。

 5月19日(金) 日米親善能 「猩々」 シテ:山崎健師    青年の家「能舞台」
 5月20日(土) 瑞龍寺 燭光能 「融」 シテ:広島克栄師  瑞龍寺法堂
 5月21日(日) 高岡能楽会 定例能 「巻絹」 シテ:金森良充師 青年の家「能舞台」

 もう一つ、ニュースです。東京銀座6丁目 松阪屋跡の商業施設「GINZA SIX」の地下へ「観世能楽堂」が移築したそうですね。4/20日がオープンだったとか。私は月末に上京予定、3日目午前が空いているので覗いてこようかな~と考えています。


よへさの枝垂れ桜 2017

2017-04-18 | 自然・海山草花

 NHK・BSの「こころ旅」は、今週から岡山県。いつ頃の撮影か、まだまだ桜がきれいだ。ここ高岡は寒い雨の日が続き、もう散ってしまっているだろう。

 今年も「よへさの枝垂れ桜を見る会~さくら・桜・サクラ」が開かれている。1回目の、4/14(金)、15(土)、16(日)は終わったが、2回目の21(金)、22(土)、23(日)の3日間は今週末だ。
 昨年は姫さんに誘われて夜桜見物をした。今年は初日の14日(金)にランチしながらと言うお誘いだった。伏木駅集合と言うことで集まったのは、なはさん、風子さん、みき子さんと私。案内役は姫さんだが、駐車場が狭いので風子さんの車に5人が乗った。先着のグループがいくつかあり、駐車場は満員。
 👇は、先日伏木コミュニティセンターで上映されたアニメ「無念」の会場で「よへさ」の奥様から直接いただいた案内葉書。
 👇 「よへさ」の案内板。ここは向さんと言うお宅、昔の豪農だそうだ。この期間だけ公開されるらしい。

 👇は、家の前の枝垂れ桜。

            

 👇 玄関前の水盤に水を張り、白椿を浮かばせてある。

 👇 中に入ると、照明に和紙をかぶせて…    

 

 👇 陶芸展も開かれている。 

 

 👇 5人でテーブルを囲み、仕出し廣田さんのお弁当を食べる。 

 👇は、はまぐりの潮汁。       

 👇 コーヒーはバルコニーのような一角で。外のしだれ桜がカップのコーヒーに写るのを撮るのに一苦労する。      

 ずいぶん長い間、楽しい時間を過ごさせてもらった。👇 見送ってくださる奥様。       

 21日(金)~23日(日)のよへさdeランチは、まりころさんのランチ(1000円)、タッシュのパウンドケーキ&小物、金屋町前掛屋の品、陶芸展は「五嶋直子さんの藍九谷の新世界」です。

 ひと もの こと と出会える スペース よへさ
  高岡市伏木矢田 2-24   090-8746-3050(向)


15日(土)のお茶

2017-04-17 | 茶道

  4/15(土)、高岡文化ホールで「画我会小品展」を鑑賞した後、茶々姫さん宅の「お茶教室」へ。この日は、案山子さん、よっしーちゃん、義妹と私の4名。
 👇は、呉山先生の「東山水上行」のお軸と花寄せ。

     

  👇 は、主菓子。

  よっしーちゃんのお点前で釣釜のお濃茶。甘くて美味しかったです。

  👇 お道具の拝見もありました。

  👇 この日は茶々姫さん宅の町内のお祭り。赤飯のお結びをいただきました。獅子舞を待ったのですが…。この日は翌日の「芙蓉会」の申し合わせが「青年の家・能楽堂」であるので早めに帰ったので写真は先導者まで。いいお天気の祭り日和でした。

  この日の申し合わせは連調連管「竹生島」はバッチリでしたが、舞囃子の「岩船」を先生の後見なしで始めたら、合わなくなり途中でストップ。結局先生についてもらうことに…。耳が悪くなったかズレに気づかなかったです。
 👇 よっしーちゃんから筍ご飯をいただき、夕飯にいただきました。少しホッとした気持ち。


画我展作品展(第32回)

2017-04-16 | イベント

 4/13(木)の「能楽お囃子の会」のお稽古日に、NOさんから「画我展」のことを聞いた。と言うより「きんちゃんの絵の展覧会」があるので今から観に行くとのこと。きんちゃんとは絹ちゃん。二人は同級生、今も同窓会のお世話や趣味の話で親しくしているのだろう。

 では私も、と15日(土)のお茶のお稽古の前に「高岡文化ホール」に寄った。16日(日)までなので、1日でも早めにアップしPRに努めたいと思ったが…。
 15日も16日も疲れ果てて遅くなってしまった。上手く撮れた何点かを紹介します。

 👆のトップ写真は、高岡文化ホールエレベーター前の案内板。2階と3階で書と絵画の展覧会が開かれていた。「がが展」かと思ったら「かくが展」。32回目で、年に何度か展覧会を開き、今回は小品だけ。油彩、水彩、デッサンなどいろいろあるのが楽しい。聞けば、先生がおられないそうだ。グループ展の中には先生の色、一色と言う印象を与える展覧会もあるので、私など素人には親しみやすい。
  「写真もどうぞ」と仰ったので、いろいろ尋ねながら鑑賞させてもらった。

 👇 「月花」…余計なものが写っているがご勘弁を。 

 👇 「能登島にて」・「想い出」 

 👇 「瓜ひとつ」…瓜ふたつではなく?・「白鷲」 

 👇 「フレンツエ」

 👇 「赤白」 

 👇 「芥子の花」・「椿」 

       

 👇 「Happy Wedding~こうのとりよ早くやってこい!」・『サマータイムソング』より 色使いがとても美しく繊細な絵。

       

👇 「ひととき」・ 「人物スケッチ」 

        

 👇の4点は絹ちゃんの作品です。

 👇 「主役はどいつだ?」…時計の横の青と白の縞々は何だろう? 

 👇 「わかもの<中川一政風>」 

 👇 「ゆり」・「はき古し」 

 芳名帳を見ると何人かの知り合いの中にたくちゃんの名前もありましたよ。翌日見に行かれたなはさんと茶々姫さんは絹ちゃんに会い、お話してこられたようです。


芸能人格付けチェック~一流芸能人に「和」の常識はあるのか⁉ スペシャル

2017-04-14 | 映画・テレビ・演劇・芸能

 今から思うと4月4日、新聞のテレビ予告欄に👇の写真が載っていた。10年以上も能楽を習っていると、太鼓や鼓の写真に敏感になる。まず太鼓方に目が行った。どなたかしら? 次に小鼓を打つ姿はGACKT ? サウスポーだけど、この佇まいは超一流?

 単にそんな単純な興味からやがて3時間この番組を見た。

 「和」の常識って? 客として和室に通された時の作法、挨拶をする、座布団に座る、お土産を出す、お茶をいただく、…ごく当たり前のことが作法通りきちんとできるか?

 「日本の発明」~たすき掛け、灯油ポンプの使い方、コンビニおにぎりの開け方…が正しくできるか?

 伝統の打楽器「小鼓」をポンッと鳴らせるか

 美味しい日本茶の入れ方、松茸の土瓶蒸しの食べ方、粋な蕎麦の食べ方…ができるか?

 子ども遊び~こま回し、折り紙、あやとり…が正しくできるか?

 などに挑戦し、できなかったら一流、普通、二流、三流…と格付けが下がっていく。しかも個人競技ではなく連帯責任になると言うのも面白い。

 平米公民館の「能楽お囃子の会」のお稽古の時、その話をしたら見ていた人が4,5人いた。テレビ朝日だったが、富山テレビで再放送されると言う。夜、NOさんから、いつ何時に再放送するのかのお知らせメールが届いた。

 4/15(土)14:00~16:55 富山テレビです。興味のある方はどうぞ。面白かったですよ。


溝掃除は春の行事です。

2017-04-13 | 日記・つぶやき

 4月に入りようやくお雛様を片付けたと思ったら、溝掃除だ。雪解けとともに始まる大切な町内の行事。旅行や納涼祭は不参加でもいいが、溝掃除を抜けるわけにはいかない。しかも、例年「芙蓉会」の謡曲大会と同じ日なので、前の週の平日に済ませるのだが、お天気具合、寒さ具合、私の外出予定などでいい日がなかなか来ない。

 12日(水)天気は晴れ、気温も暖かく、駐車スペースを貸しているお隣宅もちょうどお出かけ。この日を抜かすとまた用事が続く。せめて半分だけでも、と正午近くから取り掛かった。すぐに息切れするのでゆっくりゆっくりの作業だ。重い目皿を外し、たくさんたまった泥をすくい、草をとる。途中一度家に入れお茶を飲み休んだが、残りも片付け、思っていたより短時間に済ませられてホッとした。
 夜は米島さん宅で「芙蓉会」の申し合わせ。緩急の打ち方や大鼓との呼吸の合わせ方が上手く行かなかった。翌日の13日(木)平米公民館でも、太鼓、笛、素謡、仕舞のお稽古が熱心に行われた。
 
 👇 平米公民館前庭のしだれ桜が満開だ。前庭に3本ある。

 👇 後ろの建物は平米小学校。

 そう言えば、城端町の「しだれ桜まつり」はいつだったかしら?聞けば、9日(日)までだったそうだ。👇は、ネットにアップされた城端別院のしだれ桜。

 あちこち用事をすませ帰宅した頃、よっしーちゃんから「小杉アルプラザへ買い物に行ったついでに、近くの桜を見物しながら散歩しました。」と、スマホで撮った桜の写真が送られて来た。今年は開花が遅く、気温が上がらなかったこともあり、桜の花はずいぶんと長持ちしている。お陰でまだまだ花見が楽しめそうだ。

 👇は、アルプラザ近くの桜。


千保川の桜

2017-04-12 | 自然・海山草花

 ”春” と言えば季節の変わり目、気温が上がると同時に花の芽、草の芽が顔を出し、手入れしない我が家の庭にもムスカリやチューリップが花をつけ始めた。
 人の動きも変わる。お隣の空き家へ埼玉に住む娘さんご夫婦が久しぶりに帰って来られた。年暮れ以来かなぁ。こまめによく帰り、片付けや手入れをして行かれる。また、友人の娘さんが私の町内にお引越しをされ我が家を訪ねてくださった。

 他にも来客があり、ようやく和室のお雛様を片付けた。玄関の木目込み人形のお雛様は早めに仕舞ったが、和室のは延び延びになっていた。今年は和室まで入ってお雛様を見てくださったのは月忌参りのお寺さんと義妹だけ。ま、冬の寒い間来客がなかったということだ。だんだんこんな生活になるのかも?

 4/10(月)、買い物の帰りに千保川に寄った。バローに車を止めたまま土手へ出る。夕方で日が陰り風も冷たかったが、土手の道を歩く人はけっこう多い。保育園帰りの兄弟を連れた若いママさん、姉弟の孫とベンチに座るおじいちゃん、ご夫婦連れの散歩姿も何組か…。
  今年は鴨がとても多い。家族が増えたのかも。餌を啄ばみながら下流から南星橋に向かってゆっくりと上ってくる。   

    

 

 すれ違う人と会釈を交わか、一言、二言話すだけなのだが、しばらく立ち話をした女性がいた。定塚町から市内バスの「こみち」に乗り木津橋の近くで降りて、川沿いを南星橋に向かって歩いて来られたとか。富山の松川べりにしようかな、と思ったけど千保川の桜にした、と話される。81歳、ご主人の13回忌を済ませたところ。近くに子供さんが住んでおられる様子。朝夕の小学生の見守りボランティアを続けている…と、短い時間に話された。「またいつかお会いしましょう」と別れた。

 👇 下流に向かい、「木津橋」を眺める。

 👇 木津橋の手前に北陸本線の線路の橋。

 👇 上流に向かい、南星橋を眺める。

 11日(火)は雨風だったが、たぶんまだ散らずに花のトンネルの姿をとどめていることだろう。今日は晴れ間に溝掃除をしないと、町内の掃除日は「芙蓉会」だ。溝掃除も春の訪れとともにやって来る。


新学期いろいろ

2017-04-10 | 日記・つぶやき

 4/8(土)、野村児童センターの「多文化子ども勉強室」の新学期だった。子どもはAくん一人で寂しかったが、ボランティアの新人さんや見学者が5名も来られ賑やかだった。私の義妹、彼女の友人の他に、「市民と市政」やネットの「サポナビ」を見て来られた方もおられた。嬉しいことである。
 市役所の担当の方も変わったので、改めて連絡を密にして、新しいサポーターの方の意見も取り入れながら楽しく進めたいものだ。Aくんはいよいよ6年生になり、担任が男性の先生に変わったそうだ。「人生初めての男の先生」と言うので、大笑いになった。

 一旦帰宅し、午後はお茶教室へ。古城公園のお堀端の桜がほぼ満開だ。歩道を歩く大勢の花見客が続く。運転しながら横目で花見をするしかない。
 お茶教室の新学期は、よっしーちゃんだけが欠席で6名が次々にお薄の点前をお稽古した。釜の蓋が炉に落ちて五徳と間に挟まり、なかなか取れないというハプニングも…。そう言えば、まだ釣釜だ。よくよく聞けば4月までだそうだ。3月に「最後の釣釜」と書いたのは私の思い違いだった。
 👇は、主菓子の「夜桜」。ガラスの菓子器は、姫さんの記憶を手繰りながら茶々姫先生が棚の奥から出してくださったもの。先生宅にどんな菓子器があるかまで覚えているとは姫さんの記憶力は大したものだ。ちなみに、お棗も「夜桜」だった。   

 👇は庭の白椿。白椿の上の方の隙間から見える金平糖のような白と黄色の花は、楮(こうぞ)だそうだ。 

 樹皮が和紙の原料になるそうだ。👆の写真でははっきり見えないが、👇のような花が咲く。「楮」の画像検索結果

 あまりいい天気なので、帰りに千保川に寄ってみた。ちょうど8,9日の土日に「千保川桜クルーズ」が予定されているようでピンクの幟が立っていた。このイベントの初年度にお茶の皆さんと、翌年に娘夫婦と乗ったものだが、すっかり定着したようだ。夕方なのでもう終わっていたが、このあたりが終着地点だったはず。        

 日曜日は寒かっただろうな~。


本「霞という女」

2017-04-09 | 

 いつぞや、BさんがCさんに「読ませられよ」と言ったという本は実はこの本だった。姫さんのかつての恩師の川島昭子さんが書かれた小説とのことだ。私にも順番が回ってきて読ませてもらった。

 著者の川島さんは、本の最終頁の著者略歴によると:
 川島昭子(カワシマアキコ)
 1927(昭和2)年、富山県高岡市生まれ。1983(昭和58)年から小説の執筆を始め、1986(昭和61)年、小説「袱紗包み」で北日本文学賞選奨を受けた。第一、四回全国万葉短歌大会万葉大賞受賞。文芸誌「ペン」同人。

 「霞という女」、トップ写真は本のカバーだが薄紫系の色に格子戸が描かれている。本の表紙は薄墨色の霞か靄の模様。目次は、遊郭 / 誠二 / 蝋人形 / 夕凪心中 / 浜町 / 堅気 / 大旦那 /  雪の宵 / 真実 / 太平洋戦争 となっている。最初のページを開くと、まず文字のサイズが大きく、1ページに12行でとても読みやすい。まず、「遊郭」を読み始める。

  「今朝も、私はふだん着に足袋を穿きまして、軽い草履で家を出たのでございます。
 能登へ続きます海沿いの道には深い霧が立ち込め・・・」 

 この「ございます」の文体で思い出したのが、朝日新聞の連載小説として1月スタートした吉田修一の「国宝」である。長崎のやくざの息子が歌舞伎界に入る話らしいが、独特の雰囲気がある。
 また、川島さんは伏木の方と聞いているので、”海沿いの道”とは、伏木の浜か港だろう、と想像しながら読んで行く。今や八十歳を越えた「私」が知り合いの駄菓子屋で香ばしいお茶をいただき、うとうとと眠り、夢で見た子供の頃の話が語られていく。

 「私」の名前は雪子、小学生である。母親は霞という源氏名のお女郎。浜町に8軒あった女郎屋の一つ「姫の屋」に住み、その﨟たけた美しさは浜町界隈で評判だった。雪子は赤ん坊の頃からそこで育った…。戦前から戦中にかけての浜町の女郎屋を舞台に、花街で育った少女が、旦那や女将、賄のおばちゃん、客として来る浜の男たち、もちろん他のお女郎たち、小学校の友だちや町の人たちとふれ合いながら、多感に成長していく姿を描いた連作小説集である。父親らしき人も登場する。

 「あとがき」にもあるが、川島さんが連作小説を書かれたのは直木賞作家の出久根達郎氏の勧めだそうで、たいへん苦労されたそうだ。長編小説ではない。話はプツン、プツンと切れている。が、短編小説でもない。話はずっと少女雪子の語りで、舞台もほとんど「姫の屋」である。この構成が面白いと思った。俗っぽくなりがちな題材なのに、なんか古風でロマンチックな夢物語みたい。
 とても楽しませてもらいました。姫さん、貸してもらってありがとう。


映画「ラ・ラ・ランド」

2017-04-08 | 映画・テレビ・演劇・芸能

 「サバイバルファミリー」を見た後だったか、「ラ・ラ・ランド」のチラシをもらって来た。今年度の米国アカデミー賞の6部門だったか(?)を受賞したミュージカルだ。ミュージカル大好きの茶々姫さんにも渡していた。が、なかなか観に行く機会がない。そのうち夜8時台に1度だけという上映時間となった。もう無理だと思っていたが、上映終了にもならないので時々チェックしていたら、そのうち、6日(木)まで5時台に変更しているとわかった。

 折しも、前日の観劇の帰りにSAさんから「くまさんが”ラ・ラ・ランド”が楽しかったよ」と言っておられたとの情報で、茶々姫さんがとても観たがっておられたことを思い出した。木曜日は「能楽お囃子の会」のお稽古日、が夜なら行けるな~と、翌朝、茶々姫さんにメールと電話の両方をした。メールに返事はなく、電話はお留守で通じない。でも茶々姫さんは昼は必ず帰宅されるので正午過ぎに再度電話をした。なんと朝6時から花見がてら古城公園を散歩、その後お姉さんと氷見番屋街へ行き買い物をして来たそうだ。タフだな~、脱帽だ。「行く、行く」と仰るので、「疲れてな~い?」と私。「大丈夫。今から5時まで寝るから」とのこと。これが健康の秘訣なのですね~。

 と言うわけで前置きが長くなったが、そんな曰く因縁付きの映画だった。
 ” LA LA LAND ” とは、ロサンゼルス、主にハリウッド地域の愛称、陶酔しハイになる状態を表すそうだ。夢の国とも。デイミアン・チャゼル監督の最新作で、売れないジャズピアニストと女優の卵のロマンスを描く、楽曲・ダンス・脚本のすべてがオリジナルのミュージカル映画だ。

 👇は、オープニングの画面です(たぶんPR用の映像では?)。ロサンゼルス行きの渋滞道路で、車の中から一人、二人と出て来た人たちが踊り出す。合成写真ではないかと思われるほどだが、実際には練習を重ねたとか。

 👇 ミア(エマ・ストーン=青いドレスの女性)は映画スタジオのカフェで働きながら女優を夢見ている。何度オーディションを受けても落ち、自信をなくしている。一方、セブ(ライアン・ゴズリング)はいつか自分の店を持ち、本格的なジャズを思う存分演奏したいと願っていた。

 そんな二人が、偶然2度、3度会ううちに恋に落ち、互いの夢を応援し合います。

  二人はそれぞれの夢をかなえるが、結局別々の人生を歩むことになります。歌ありダンスありのラブストーリーで、戦争や貧しさに翻弄されるわけではなく、強いメッセージや主張があるわけでもないのだが、いつの世にも恋は切ないもの、誰もが若き青春時代を思い出しうっとりするのではないか、と思いました。まさにハリウッド映画、と言う感想です。
 ラストシーンを観た後、かつてのフランス映画「シェルプールの雨傘」や、ロバート・レッドフォードとスーザン・ストライサンドの「追憶」を懐かしく思い出していました。
 👇は、予告編、二人のタップダンスや車の上で大勢が踊る場面も見られます。
  http://gaga.ne.jp/lalaland/?site=%25252525252525255C

 👇は、主題歌賞をとった「スターの街(” City of Stars” のデュエットが聴けますよ。 
  http://uinfavorite.jp/2016/12/23/lalaland-songs/#City_of_Stars

 見終わった後、喜久屋の中の”スターバックス”に入った。8時を過ぎているので食事もコーヒーもいらない。ピーチ ストロベリー スクイーズを注文した。ストローをこんな風に真ん中の十文字の切れ込みに入れるとは知らなかった。


演劇「旅立つ家族」

2017-04-07 | 映画・テレビ・演劇・芸能

  4/5(水)高岡文化ホールで、文化座公演「旅立つ家族」を観た。「文化座」は、佐々木隆・鈴木光枝ご夫妻が創設された劇団で「荷車の歌」や「おりき」などの高岡公演を観たものだ。今は娘の佐々木愛さんが代表を務めておられる。

 この例会の昼公演は木曜日。「能楽お囃子」のお稽古日なので水曜の夜公演に変更した。SAさんと早めに出かけ、ホール内の「和庵」で食事をした。SAさんはカレー、私はオムライス。この店はちょっと高めだが器も面白く、料理も手が込んでいる。カラフルで形のいいオムライスだったが写真を撮り忘れ。👇は、コーヒー。ミルク入れが竹製。  
 期日変更なので、すぐ入場できず並ばなければならない。が、元の席よりずっと前に座れた。 

 👇は、ポスター、いくつかの場面が映し出されている。右下は主人公の奥さん(96歳で今も健在の方子さん)と語り部を演じられた佐々木愛さん。左下は舞台の一場面のようだが、実は彼の絵の再現。

 👇は、実際の絵です。このモチーフで何枚か描いているようです。牛を引いているのはィ・ジュンソプ、車には妻と二人の子ども達、旅立ちの様子です。戦乱を避け家族で釜山へ避難するところか、あるいは家族そろって幸せな旅立ちに向かう所か…。この絵のタイトル「旅たちの家族」が芝居のタイトルにもなっているそうd。

 さて、イ・ジュンソフは日本ではあまり知られていないが、韓国では”韓国のゴッホ”と呼ばれ、知らぬ人はいない人気のある画家だそうだ。彼は、1916年、朝鮮の元山(ウオンサン、今は北朝鮮)で富豪の息子として生まれた。日本による韓国併合の時代だ。朝鮮の大地を愛し幼い頃から牛の絵を描いていた。牛は彼の祖国への愛情の象徴だ。

 幕が開くと舞台には大きな2頭の牛が登場する。頭、肩、胴体、尻尾が分割されたパネルでできている。裏でそれぞれのパネルを人が持っており、息を合わせながら動く。そして2頭は向き合って戦う。最後は粉々に砕け散る。これが朝鮮の南北の分断を表すと、後でわかった。

 1935年、彼は支配国である日本へ渡り文化学院へ入学、その学校で方子(まさこ)と出会う。二人は惹かれあうが、戦局もひっ迫し彼一人で故郷へ帰る。思いを断ち切れない方子は、終戦間近の1945年、一人玄界灘を渡り何カ月か費やして彼と再会、祝福されて結婚する。方子はイ・ナムドクとして生まれ変わり二人の子供を授かる。
 やがて第2次世界大戦は終わるが、喜びもつかの間、朝鮮戦争が勃発する。一人残る母親に絵を託して一家は釜山へ、のちに済州島へと移り住む。が、食べ物もなく子供たちは栄養失調になりやむなく日本国籍を持っているナムドクと子供たちは日本へ帰ることとなった。
 翌年、ジュンソプは船員の資格を得て日本に帰り、家族と再会するが1週間だけの滞在だった。そのまま家族と共に暮らすこともなく、貧しさの中に心も体も蝕まれ、39歳で早逝した。

 スターリンの自画像を描け、と言われ「見ていないものは描けない」と断り、反抗的だと目をつけられます。貧しさゆえタバコの箱の銀紙に錆釘で描いた彼の作品が、ニューヨーク近代美術館にアジアの芸術家として初めて収納されたのは、彼の死の5カ月前だったそうです。餓死同様の最期だった彼の絵に今35億円の高値がつくそうです。
 彼が家族と11カ月生活した済州島 西帰浦(ソグイポ)にィ・ジュンソプ美術館があり、大勢の来館者が訪れるそうだ。
いつの時代にも、どこの国にも歴史に翻弄され不遇の生涯を終えた芸術家は多い。優しく強く、純粋な彼の魂に心を動かされ、何度も涙を流した。朝鮮は今も38度線で分断されている。38度線のDMZ(非武装中立地帯)、板門店もNOちゃん、姫ちゃんと個人旅行で訪ねたものだ。日本にとって、「近くて遠い国」、本当にそう思う。ソグイポも1度ツアーで行ったのだが、できれば彼の本物の絵を見たいものだ。

 👇は、ィ・ジュンソプが愛して描いた「牛」。