もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

70冊目 カミュ「異邦人(窪田啓作 訳)」(新潮文庫;1940) 評価5

2011年11月12日 05時50分04秒 | 一日一冊読書開始
11月11日(金):

143ページ  所要時間3:00

「太陽が暑かったから」という不条理殺人の物語という認識だった。実際に読んでみて、第一部は、「きょう、ママンが死んだ。」で始まる。舞台はフランス植民地時代のアルジェリアのアルジェである。主人公ムルソーは、よく分からないうちに母の葬儀を済ませ、翌日海水浴に行き、マリアと出会い、コメディ映画を楽しみセックスをする。女衒?の友人とアラビア人らの揉め事に関わり、焼けつくような太陽の光に堪えかねて、一歩前に踏み出し、結局アラビア人に引き金を引いてしまい、なお四たび打ち込んだ。気だるい雰囲気と、人間関係がよく解らなくて読むのが辛かった。これだけだったら、評価は3だった。しかし、第二部になって、俄然緊張感が高まり始める。刑務所に収監され、弁護士、予審判事とのどこか他人事のやり取りが続く。ムルソーは、空しい長い時間をさして気に留めない「独特な時間観念」を身に付ける。10ヶ月に及ぶ収監を経て、再びの夏が巡り来る。犯罪当事者ムルソーの声を全く置き去りにして行われる弁護士と検察官の延々と展開する本質からずれた応酬。特に、病的攻撃性を発揮する検事の弁論は過剰な悪意に満ちて展開する。本人も殺人の理由を「それは太陽のせいだ」などと言って、訳のわからない印象を与える。そして、予想だにしなかった<死刑判決>が下る。理不尽で不条理なのはムルソ-ではなく、裁判そのものだった。上告の権利はあるが、ムルソーは、ギロチンについての考察、御用司祭を拒否し、神による救済を拒否したままで、自らの意思として死刑を受け容れる。結末に近づくほど一気に高まりを見せていく展開が何か圧倒的な風圧とともに、読者に迫る。死刑決定後のムルソーの心理の展開と「神の否定」の最後のシーンが凄過ぎるのだ。最後の論の展開のものすごさによって、総合評価を5にせざるを得なかった。カミュは、当時としては最年少の44歳でノーベル文学賞をとっている。サルトルの『嘔吐』と並ぶ、すごい作品だったのだ。もう一度、じっくりと神無き、実存主義的自己責任の思考を読み直してみたい。但し、カミュ自身は、自分は実存主義作家ではないと言っている。
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