もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

142冊 立花隆「証言・臨死体験」(文春文庫;1986)  評価4

2012年02月03日 07時47分52秒 | 一日一冊読書開始
2月2日(木):

330ページ  所要時間4:40

17年ほど昔にNHKや民放の「臨死体験」特集番組をビデオに撮り、何度も観た。立花隆『臨死体験(上)・(下)』も苦労して読んだ。本書は、その続編と言ってよい。この歳(小さな秘密です)になると、若かりし昔以上に、メメント・モリの意識は、ますます深まっていく。当り前のことだが、残り少ない人生の<生>を充実させるために、終焉の<死>を掘り下げておきたいのだ

本書は、やや怪しい体験者の例も混じっている。しかし、その経験が重篤な例であればあるほど、臨死体験者の証言には、共通性の高い部分が明確に存在する。
*三途の川(或いは水辺) =生死の境目
*美しい花畑の存在
*向う岸で待つ人々(ex.手招きをする人々) 
*死後の魂の世界の存在への確信=「死ねば終わりなのではない」→信仰の有無に無関係。
*普通の夢とは全く違う現実感の記憶
*「あんな気持ちのよい経験なら、死も怖くない」という<死の恐怖からの解放>
…これは読者にとって福音である!

他に、光の存在。幽体離脱(目と魂のみ、肉体ともなわず)。空に昇っていく。未来予知。瞬間移動。死者の出た日に魂(光の玉)の目撃。所謂「霊視(死んだ人の魂が見える、感じる)」の存在。外見上昏睡でも臨死体験から戻った人の意識はかなりはっきりしているので耳は良く聞こえている。etc.

23人の証言者:安田 伸(俳優)/水上 勉(作家)/邦光史郎(作家)/志賀信夫(放送評論家)/前田忠明(TVレポーター)/佐野三治(ヨットマン)/向井承子(ノンフィクション作家)/北林谷栄(女優)/永倉万治(作家)/木内鶴彦(彗星探索家)/大仁田 厚(プロレスラー)/岡 ふさ江(ホームヘルパー)/大熊武志(郵便局局長)/佐藤正弥(大学教授)/奥津浩美(主婦)/山本江里子(ワープロ技術者)/石田雅祥(紀和交通大阪支店長)/中村のり子(『ふたたび愛をありがとう』著者)佐藤国男(機械設計技師)/古口樹美(演歌歌手)/宮内婦貴子(脚本家)/天野そう一(元検察事務官)/羽仁 進(映画監督)

※本書は、臨死体験の検証本であるが、一方で、まさに生死の境目を彷徨う重篤で・不幸な人々の人間模様になっている。「幸福な姿は皆似ているが、不幸はどれ一つとして同じものは無く、まさに個別にさまざまである!」普通では出会えない特殊な不幸な事例の集積でもある。その角度からも十分に社会に訴える強い存在感がある。やはり労作ということになるだろう。

夜半に一人で読む本ではない。途中で少し怖くなって何度も後悔したのも事実である。こんな時には、必ず子どものときに読んだ漫画『うしろの百太郎』や『恐怖新聞』の恐怖感を思い出してしまうのだ。そう言えば、臨死体験に守護霊や背後霊、自爆霊などのおどろおどろしい話は全く出てこなかった。それでも、首のまわりのうすら寒さが気になった。

※昨日、中江兆民の「無心無霊魂」の唯物論的哲学を読んで「さすが幸徳秋水の師、兆民センセー!」と感慨を覚えたのに、翌日には「宗教」や所謂「昔話」に見られる<死後の世界>がまんざら作り話ではない。百歩譲って少なくとも、古来から臨死体験経験者による現実感をともなった経験知に裏付けられた、ある意味で始末に負えない<実在的存在>だったのだと思い知らされた。

※俺は、この<死後の世界>を迷信・偏見と切り捨てられるほどお偉い科学的人格ではない。 少なくとも、<死後の世界>の存在を信じることによって、何かの<効用>・<救済>があるのであれば、やはりそれは十分に意義ある存在と考えるべきだ!という程度の非科学的俗物人間なのである。面白いなー。別に、なんのイデオロギーもポリシーも無い“ノンポリ”人間でも、こうしてアンビバレンツに陥るのだ!。だからこそ人の世は、面白いのだ!!と、もみのオッサンは思うのだ。  

※注意:今、相当酔っ払ってます。暴論・駄弁、お許し下さい。でも正直に本音を吐いてます。ほんまスンマセン。



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