もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

189冊目 司馬遼太郎「項羽と劉邦(下)」(新潮文庫;1980) 評価5

2012年04月01日 05時24分28秒 | 一日一冊読書開始
3月31日

362ページ  所要時間8:00

中国王朝史上最も低い身分から身を起こした<無頼のダメダメ人間劉邦>が、どうして400年の漢帝国を建てられたのか?。渾身の司馬遼太郎を堪能させて頂きました。本作を通読するのは2度目。中巻でのやや足踏み感の後、下巻ではいつ果てるともない漢楚の争いに、新たに漢の別働隊韓信の躍進と斉王就任による第三勢力の出現など大きな状況変化が起こる。

劉邦は、延々と項羽に負け続け、百戦百敗、全く歯が立たない。やがて、劉邦は「防御は城、という観念からとびこえて、いっそ食糧庫を抱きかかえて防戦しようとおもった。略。飯櫃をかかえて飯櫃を守るという防御戦」を発想する。

広武山の二つの峰に劉邦の漢城と項羽の楚城が対峙する。「決定的なちがいは漢城の峰はメシツブのかたまりであるのに対し、楚城の峰はどこを掘っても穀物のかけらも出て来ない」。さらに楚軍の兵糧輸送を彭越のゲリラ軍が脅かす。楚軍はしだいに兵が餓えていく。やがて、劉邦と項羽の間で偽りの和平が成立。しかし、その直後に、劉邦の漢軍は、項羽の楚軍を追撃する。怒った項羽は、劉邦の漢軍を撃破し、漢軍は固陵城に籠城するが、激しく消耗していったのは項羽の楚軍であった。

負け続ける劉邦の側は、江南に埋伏した漢の別働隊、旧魏の彭越軍、旧魏・趙・燕・斉を支配下に入れた斉王韓信との連携が、前後して成立し、形勢はにわかに逆転する。囲みをといた項羽の楚軍は西楚の都彭城(徐州)をめざすが、そこには韓信の30万の軍勢が迫る。やむなく垓下(がいか)に城を築き籠城するが、四面楚歌を聞き、酒宴の中で有名な詩(*)を歌い、虞美人を殺す。項羽は重囲に突出して脱出をはかり長駆して烏江浦に至る。

*力は山を抜き  気は世を蓋ふ
 時に利あらずして
 騅(すい)逝かず
 騅逝かざるを奈何すべき
 虞や虞や若(なんじ)を奈何せん

最後は英雄項羽の目線で「劉邦に負けるのではない、天が(天の意志として)我を滅ぼすのだ!」と自刎して最期を遂げる。最後の一行「項羽の死は、紀元前二〇二年である。ときに、三一歳であった。」まで息もつかせず緊張感が維持されたままで、一気に終末を迎える。少しあざとい終わり方だった。

全く飽きることのない展開に魅せられる。とにかく、大勢の登場人物が現れ、一人ひとりが生き生きと息づいている。

ただし、うんこ蠅の谷沢永一の解説は、全くもって不要だった!。

司馬さんを「体制よりの作家」という安っぽいレッテルを貼って進歩派気取りの評論家たちに是非読んで欲しい作品だ。イデオロギーよりも先に、「おもしろい!」ということの大切さを第一に考えるべきだろう。司馬さんは「猥雑な土地でなければ住む気がしない」と自ら記しているように、あくまでも「(東大阪の)市井の作家」(御自身そう自戒している!)なのだ。

左翼でも、右翼でも、押しつけがましいのはダメなのであって、大切なのは「面白さ」と感動だろう。俺は、イデオロギーの勉強をさせて頂くために小説を読むのではない。読者を一方向に導くための小説(例えば童門冬二)なんて、臭過ぎて何の価値もないのだ。司馬さんを安っぽく否定する輩には、「おまえ、ほんとにちゃんと読んでから言ってんのか!。なんで司馬さんにだけ教条主義的な枠組みをはめ込んでしたり顔で批判するんじゃ!」と反論したくなる。また、司馬さんを下らない自慰史観(自由主義史観)に利用しようとする輩には「ウジ虫野郎!うんこ蠅!」と罵声を浴びせたくなるのだ。

現在、相当に酔っ払ってます。全然、うまくまとめられないけど、ご無礼の段、おもさげながんす。お許しえってくなんせ。

◎登場人物メモ

始皇帝:宦官趙高、李斯、扶蘇、蒙恬、二世皇帝胡亥、子嬰、章邯

劉邦:漢の三傑=蕭何(治世)、張良(参謀)、韓信(国士無双)
曹参、樊噲、盧綰、夏侯嬰、周勃、灌嬰、劉賈
呂公、呂后( 呂雉)、息子と娘(後の恵帝と魯元公主)
項伯(項羽の叔父)、陳平
酈食其、蒯通、随何、紀信、周苛、侯公

項羽項梁(項羽の伯父)、范増、龍且、鍾離昧、周殷  

他:陳勝、呉広、旧楚の懐王(義帝)、宋義、英布(黥布)、彭越、張耳

◎楚漢戦争 ※BC210 始皇帝崩御

BC209 陳勝・呉広の乱→楚の項梁が継承→共に秦の章邯に敗北
  *懐王は「一番先に関中に入った者をその地の王とするだろう」と約束

BC207 鉅鹿の戦い→項羽、20万の秦兵を阬する(生き埋め)。
   劉邦、搦め手武関を破り、関中に先んずる→項羽激怒、鴻門の会

BC206 劉邦、漢中・巴蜀に左遷→すぐに関中を奪回

BC205 彭城の戦い…56万と号する劉邦の連合軍、3万の項羽軍に大敗瓦解→敗走。

BC204 滎陽の戦い(~202)劉邦、飯櫃を抱えて山上に立て籠もる。
   *韓信=井陘の戦い(背水の陣) 趙を制圧
        濰水の戦い 斉を制圧→斉王となる。

BC202 固陵の戦い→垓下の戦い(項羽、烏江浦で自刎;31歳) 劉邦54歳(45歳?)

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