4月21日(火):
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219ページ 所要時間4:20 図書館
著者60歳?(1960?生まれ)。東京都出身。筑波大学大学院教育研究科修了。公立高校の地歴・公民科教諭として約20年間勤務し、教科指導、進路指導、高大接続を研究テーマとする。早期退職後、大学非常勤講師、公立教育センターでの教育相談、高校生・保護者対象の講演等幅広い教育活動に従事
まず、俺は本書に対して好感をもった。現場を経験した教員によるある種の使命感に突き動かされて書かれた著作だと感じた。本書で言う「教育困難校」とは、老舗の商業・工業高校以外の所謂”BF(ボーダーフリー)”、偏差値が最底辺の普通科高校のことである。
「だいたいそういう状況だろうな」という予測の範囲を超えて厳しい状況で、昔とは形や課題を変えながら深刻さは深まっている。現場の厳しい状況が赤裸々に描かれ、「そこまでしっかりと深刻に観てるんだ」と少し驚かされるくらいに踏み込んだ記述で報告されている。
生徒、教員、保護者いずれも三者三様に余裕がなく追い詰められている。進学校のことは注目されるが、「教育困難校」については話題にすらならず、社会的にはお荷物のように目されているが、実際にはこの社会になくてはならない必要不可欠な受け皿としてしっかり支えていかなければならない存在なのだと、訴えている。
全体として現状についての問題提議は、非常にリアルで生々しい記述で興味をひかれたが、「第5章 脱「教育困難校」を目指して」でいくつかの高校の困難解消のための取り組みについての報告では途端に迫力がなくなってダラダラした記述になったのは残念だった。砂浜の山の如く、積めども積めども波に洗われていく。この問題の難しさが記述に反映したとも言えるが、改善のための問題はもっともっと大きな社会全体の問題として、哲学の問題として提示されなければならず、著者にとっても誰にとっても手に余るということだろう。その意味で、いっそのこと第5章は省いた方がすっきりしたかもしれない、と言いつつ「そういうわけにもいかんか…」と思う。
本書を読んでいて、なにやら現場にいる教師の肉声を聞いているような気になることが何度もあった。その意味で本書は著者の個人的体験を書いた本だという見方も成立する。そうすると今度は「どこまで信じていいのかわからない」という気分にもなる。ただ「現場で問題意識をもって懸命に観てきた当事者(教師)の本音が書かれた本であり、俺は著者を正直な人だと信用できる」ということだけははっきり言える。ただ著者は繰り返し全国的問題だと叫ぶが、本書のベースに都心部でない関東の高校のにおい(地域性)を強く覚えたのは考え過ぎか…。
1980年代から2020年にかけての日本の教育の歴史の具体的で貴重な証言と言える。さて、アマゾンで取り寄せたものやら、どうしようか…?
【目次】第1章 「教育困難校」とはどのような高校か /第2章 「教育困難校」に通う生徒たち /第3章 「教育困難校」の教員たち /第4章 「教育困難校」の進路指導 /第5章 脱「教育困難校」を目指して /第6章 それでも「教育困難校」は必要である
【内容紹介】序列の下位に位置する高校は、貧困や家庭問題などの原因で、教育活動が困難になっている。しかし、学校や生徒たちに対して、侮蔑したり興味本位で語ったりすることはあっても、社会的な関心は向けられてこなかった。本書は、元高校教師である著者自身の体験をまじえ、重層性を持つ「教育困難校」の問題を多角的に考察する。 //授業崩壊が進む「教育困難校」は学力、貧困、教育行政、新自由主義経済などの問題が重層的に絡む、現代日本の縮図だ。教師でもある著者自身の体験、関係者のインタビューを通して、現場の実態をリアルに描き、公教育の再生を探る。
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219ページ 所要時間4:20 図書館
著者60歳?(1960?生まれ)。東京都出身。筑波大学大学院教育研究科修了。公立高校の地歴・公民科教諭として約20年間勤務し、教科指導、進路指導、高大接続を研究テーマとする。早期退職後、大学非常勤講師、公立教育センターでの教育相談、高校生・保護者対象の講演等幅広い教育活動に従事
まず、俺は本書に対して好感をもった。現場を経験した教員によるある種の使命感に突き動かされて書かれた著作だと感じた。本書で言う「教育困難校」とは、老舗の商業・工業高校以外の所謂”BF(ボーダーフリー)”、偏差値が最底辺の普通科高校のことである。
「だいたいそういう状況だろうな」という予測の範囲を超えて厳しい状況で、昔とは形や課題を変えながら深刻さは深まっている。現場の厳しい状況が赤裸々に描かれ、「そこまでしっかりと深刻に観てるんだ」と少し驚かされるくらいに踏み込んだ記述で報告されている。
生徒、教員、保護者いずれも三者三様に余裕がなく追い詰められている。進学校のことは注目されるが、「教育困難校」については話題にすらならず、社会的にはお荷物のように目されているが、実際にはこの社会になくてはならない必要不可欠な受け皿としてしっかり支えていかなければならない存在なのだと、訴えている。
全体として現状についての問題提議は、非常にリアルで生々しい記述で興味をひかれたが、「第5章 脱「教育困難校」を目指して」でいくつかの高校の困難解消のための取り組みについての報告では途端に迫力がなくなってダラダラした記述になったのは残念だった。砂浜の山の如く、積めども積めども波に洗われていく。この問題の難しさが記述に反映したとも言えるが、改善のための問題はもっともっと大きな社会全体の問題として、哲学の問題として提示されなければならず、著者にとっても誰にとっても手に余るということだろう。その意味で、いっそのこと第5章は省いた方がすっきりしたかもしれない、と言いつつ「そういうわけにもいかんか…」と思う。
本書を読んでいて、なにやら現場にいる教師の肉声を聞いているような気になることが何度もあった。その意味で本書は著者の個人的体験を書いた本だという見方も成立する。そうすると今度は「どこまで信じていいのかわからない」という気分にもなる。ただ「現場で問題意識をもって懸命に観てきた当事者(教師)の本音が書かれた本であり、俺は著者を正直な人だと信用できる」ということだけははっきり言える。ただ著者は繰り返し全国的問題だと叫ぶが、本書のベースに都心部でない関東の高校のにおい(地域性)を強く覚えたのは考え過ぎか…。
1980年代から2020年にかけての日本の教育の歴史の具体的で貴重な証言と言える。さて、アマゾンで取り寄せたものやら、どうしようか…?
【目次】第1章 「教育困難校」とはどのような高校か /第2章 「教育困難校」に通う生徒たち /第3章 「教育困難校」の教員たち /第4章 「教育困難校」の進路指導 /第5章 脱「教育困難校」を目指して /第6章 それでも「教育困難校」は必要である
【内容紹介】序列の下位に位置する高校は、貧困や家庭問題などの原因で、教育活動が困難になっている。しかし、学校や生徒たちに対して、侮蔑したり興味本位で語ったりすることはあっても、社会的な関心は向けられてこなかった。本書は、元高校教師である著者自身の体験をまじえ、重層性を持つ「教育困難校」の問題を多角的に考察する。 //授業崩壊が進む「教育困難校」は学力、貧困、教育行政、新自由主義経済などの問題が重層的に絡む、現代日本の縮図だ。教師でもある著者自身の体験、関係者のインタビューを通して、現場の実態をリアルに描き、公教育の再生を探る。