もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

220715 再掲:「 4 012 大岡昇平「野火」(新潮文庫;1951)感想 特5 」

2022年07月15日 23時55分50秒 | 一年前
7月15日(金): 再掲する。

特に、以下の部分は、今の時代に読み返されるべきだと考える。

・この田舎にも朝夕配られて来る新聞紙の報道は、私の最も欲しないこと、つまり戦争をさせようとしているらしい。現代の戦争を操る少数の紳士諸君は、それが利益なのだから別として、再び彼らに欺されたいらしい人たちを私は理解できない。おそらく彼らは私が比島の山中で遇ったような目に遇う他はあるまい。その時彼らは思い知るであろう。戦争を知らない人間は、半分は子供である。171ページ 」

4 012 大岡昇平「野火」(新潮文庫;1951)感想 特5
2014年10月17日 01時16分29秒 | 一日一冊読書開始

10月17日(木):

189ページ  所要時間 3:30    ブックオフ50円

著者42歳(1909~1988;79歳)

大変な地雷を踏んでしまった。既に日付をまたいでしまって感想を書く時間が限られてるのが悔しい。

戦場はレイテ島である。「レイテ戦記 全三巻」の下巻をまだ読めていないが、作中のレイテ島について土地勘が働き、読み易かった。本書は、ちょうど下巻と重なるあたりの内容だと思う。即ち、オルモックの陥落前後から、日本軍が潰走し、総退却のためにパロンポンに集結しようとするところである。

主人公は、小泉兵団村山隊歩兵を結核のため追放された田村一等兵である。作中では、一人称の“私”で語られる。日本軍崩壊前後から、ひりひりするような死の気配の中、逃げまどう主人公が、敵の陰に怯え、飢えに苦しみ、山中を彷徨するなかで、無辜の比島女性を撃ち殺し、原罪を背負い込む。手に入れた塩と引き換えに、小部隊に拾われてパロンポンを目指すが、米軍の圧倒的武力を前にして“降伏”を念慮するが、敗残の日本兵同士が互いを監視し合い、また何者かの目を感じて実現しない。

出会った多くの日本兵が次々と死ぬ中で、パロンポン行きを諦めて、逆方向の山中に逃れた“私”は、そこらじゅうにある日本兵の死体のなかに、臀部などを齧られたものがあることに気付く。「山中には、死肉をあさる犬もいないのに…」。やがて、“私”は、多くの日本兵たちと同様に、極限の飢餓状態に陥るが、互いが相手の弱り方(「もうちょっとで死ぬかどうか」)を窺い合ってしまう。

人肉食への誘惑を嫌悪し排除しようとしながら、格好の死にかけた将校と出会い、その死に立ち会う。その将校は、亡くなる間際、締まった筋肉の胸をさして「食べてもいいよ」という。しかし、その言葉がかえって“私”にブレーキをかけるが、山ビルたちが、その将校の死体にたかって吸った血を、狂ったように引き剥がした山ビルを絞ってその血をすすってしまう。もはや、間接的には人肉食をしてしまっている。

いっそ、直接食べてしまおうと、右手に軍刀をかざした時、不思議なことが起こる。左手が勝手に右手首を持って、人肉食を止めたのだ。大いなる何者か(神か?)の意志を感じ、敢然と人肉食を放棄するが、その後には、死の覚悟と極限の飢えの苦しみによる彷徨の果てに死を迎える。

しかし、その直前に、永松に助けられ「猿」の肉を与えられる。本当は、何の肉なのか(つまり、さ迷う日本兵を狩りした人肉)を知りながら、“私”はそれを食べて回復する。永松が大勢の日本兵を殺して肉に捌くキル=サイトを発見した“私”は、永松から同行の安田との殺し合い(その後、人肉食)を持ちかけられる。安田を殺した永松を、“私”は殺すが、肉は食べなかった。

その後、記憶が無くなり、10日後気付いたときには、比島ゲリラにつかまり、頭蓋骨折で米軍の医療を受け、捕虜となり日本に送り届けられ、妻と再会するが、5年後、精神病院で治療の一環として、この作品を書いている。

極限の場での「人肉食」をこれほどまでに描き切った作品に出会うのは、戦場ではないが、竹田泰淳の「ひかりごけ」以来であり、本書はそれをはるかに凌駕する作品になっている。戦場でカニバリズムがあったことは、漠然と知識では知っていたが、これほどリアルで、切迫した事実を教えられた作品は初めてだ。

本書は、現代日本人が読むべき必読の書だ。「レイテ戦記 全三巻」が、俯瞰的な戦争(負けいくさ)の記録であるとすれば、レイテ戦記は、時と場所と戦死者の数字で示された記録だとすれば、「野火」は、レイテ島で存在した兵士たちの単に数字で示すだけではいけない、疎かにされてはいけない無数の顔と意志を持った兵士一人一人の記録である。

司馬遼太郎の「坂の上の雲 全八巻」を読んで熱くなった人は、必ず、大岡昇平の「レイテ戦記 全三巻」、「野火」、「俘虜記」を読んで、バランスをとるべきだという言葉が、今はとても良く分かる。

・この田舎にも朝夕配られて来る新聞紙の報道は、私の最も欲しないこと、つまり戦争をさせようとしているらしい。現代の戦争を操る少数の紳士諸君は、それが利益なのだから別として、再び彼らに欺されたいらしい人たちを私は理解できない。おそらく彼らは私が比島の山中で遇ったような目に遇う他はあるまい。その時彼らは思い知るであろう。戦争を知らない人間は、半分は子供である。171ページ

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