もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

8 094 重松清「ステップ」(中公文庫:2009)感想4+

2019年08月15日 23時43分48秒 | 一日一冊読書開始
8月15日(木):  

366ページ      所要時間6:50      ブックオフ108円

著者46歳(1963生まれ)。岡山県生まれ。早稲田大学教育学部卒業。

時間のかかり過ぎる失敗読書だった。涙を流すことはなかったが、読んでいて気持ちが安らぐ優しい物語である。子どもを産んでほどなくいきなり妻が亡くなる展開は過酷だが、それなりに長い物語りの中に悪い人は一人も現れない。主人公とその娘、そして亡くなった妻の義父・義母と子どもの無い義兄夫婦が主要メンバーである。特に義父が魅力的な存在である。

突然妻を喪っても、幼い娘がいる。悲しみにふける余裕はない。保育園、七五三、日々の生活に追われながら、懸命に生きる父͡と娘の歩みを亡き妻の実家の人々が支える。「とんび」は父子家庭でも息子だったが、今回は娘である。我が子を愛し、人として真っ当に生き抜こうとする主人公の本質は変わらないが、女の子の父親の「僕」は、随分と違った落ち着いた人柄に描かれていた。その点で少し刺激が少なくて物足りない感じで、涙が流れることにはならなかったが、静かに丁寧に紡がれる物語りは温かだった。

そして、終わりに形は違えど悲しみを忘れるのではなく、悲しみを大切に抱いたままの生き方を肯定し合える女性が現れる。新たな妻として、娘の母として。亡き妻の実家の人々に祝福されながら新たな家族が生まれる。再婚しなかった「とんび」のやっさんとは違う物語りである。

「会ってやってください」/「つらい思い出を増やすのはかわいそうだろう」/「つらくても……大切な思い出になります」/僕たちはそうやって生きてきたのだ。/僕の胸の奥にはずっと、朋子を亡くした悲しみがあった。美紀はママのいない寂しさと一緒に大きくなった。/悲しみや寂しさを早く消し去りたいと思っていたのは、いつ頃までだっただろう。今は違う。悲しみや寂しさは、消し去ったり乗り越えたりするものではなく、付き合っていくものなのだと--誰かが、というのではなく、僕たちが生きてきた日々が、教えてくれた。/悲しみを胸に抱いたまま生きていくのは、決して悲しいことではない。その人がいないという寂しさを感じる瞬間は、そのひとのいない寂しさすら忘れてしまった瞬間よりも、本当は幸せなのかもしれない。343~344ページ

俺は重松清の作品が好きだ。次回は、もっと一気に読み切ってしまおうと思う。

【目次】ケロ先生/ライカでハロー・グッドバイ/あじさい/キュウリの馬に乗って/サンタ・グランパ/彼岸過迄/バトン/ホップ、ステップ/ジャンプ/文庫版のためのあとがき

【内容情報】結婚三年目、三十歳という若さで、朋子は逝った。あまりにもあっけない別れ方だったーー男手一つで娘・美紀を育てようと決めた「僕」。初登園から小学校卒業までの足取りを季節のうつろいとともに切り取る、「のこされた人たち」の成長の物語。悲しみを胸に少しずつ「育って」いく父と娘とやさしい人たちの、ささやかで確かな歩みを描く連作長編。人の優しさと強さを、季節のうつろいとともに描く。
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