もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

139冊目 百田尚樹「永遠の0(ゼロ)」(講談社文庫;2006) 評価5

2012年01月31日 06時22分24秒 | 一日一冊読書開始
1月30日(月):

589ページ  所要時間5:05

今日偶然、ブックオフで手に取り、「ああ、あの話題の本やなあ。105円で589ページか!。ちょうど速読の練習本にしてみたらいい感じやな」と、本当に軽い気持ちで買って読みだした。びっくりした!。大当たりである。はずれの日もあれば、こんな大当たりの日もあるのだ。

当初、新人の処女作で大したことはないだろう、戦争中の海軍ゼロ戦乗りと神風特別特攻隊の物語りであり、戦争美化になってるんじゃないか、うっかり騙されるんじゃないか、など余計なことを警戒しながら読んでしまった。3分の2までは、1ページ15秒で速読を実践し、細部は解らないなりに、作品の構造・展開は読み取れていた。しかし、残り3分の1以降で速読は崩れた。「どうもおかしいぞ、意外と掘り出し物の充実した良い作品になってるんじゃないか?」「ちょっと味わって読みたいなあ」と思い始めたら、完全にストーリーにはまってしまったのだ。

読んでいて、この作品は、浅田次郎の吉村貫一郎を主人公にした「壬生義士伝」の、吉村を知る人間に語らせることにより、吉村貫一郎の人物像を浮き彫りにするところ。主人公の宮部久蔵が、吉村同様、残された妻娘を一途に思い続ける、見事な最期を遂げた上で、死して妻娘のところに帰っていく点。斎藤一を思わせる特攻崩れの博徒の景浦が、愛憎強く挑みかかっていく点など、「壬生義士伝」に対するオマージュを感じさせられた。そして、作品の出来栄えの良さは、全く遜色ない高レベルなのである!。

とにかく、最後の3ページで、はからずも落涙してしまった。途中、何度も目元にぐうっとくることはあっても、まさか本を読んで落涙するなんて経験はほとんど記憶にないので少し焦ってしまった。イデオロギーを気にして、読んでしまったことを、強く後悔している。そもそもそんな、中途半端なちゃちな本ではないのだ。皆さんに、安心して、是非読んでほしい!とお薦めします。

物語は、2001年9月11日、NY同時多発テロが起こる。「犯人のイスラム原理主義者たちと、かっての日本の特攻隊は同じではないか。」という声が世間で出たりする。そんな中で、祖母が祖父と再婚する前に母を生んだ、祖母の最初の夫で真の祖父だった宮部久蔵とは、どんな男だったのか。1919年生まれ、1934年海軍入隊、1945年南西諸島沖で戦死。限られた情報しかない中で、祖父の真実の姿を求める旅が始まる。30歳?姉と26歳弟が、彼を知る老人たちを訪ね歩いて、60年前の歴史の闇に消えかけている人物の姿を追い求める。残してきた妻娘のために「死にたくない」、「命を無駄にするな」と公然と言い、「臆病者」と陰口をたたかれながら、一方で、抜群の戦闘機操縦技術の高さと、弱い立場の兵たちに限り無く優しく、時に臨んで判断能力の高さは誰もが認めざるを得ない。彼をよく知る者ほど、彼を敬愛し、尊敬し、真の勇気の持ち主だと言う。戦争という異常時の中で、妻娘への責任感と愛情を堅持し、自己を見失わず、確かな判断力と人間愛を維持できた希有な存在だった祖父の姿が明らかになっていく。そんな彼が、なぜ、日本敗戦の数日前に神風特別特攻隊としての死を選んだのか。

巻末の児玉清さんの解説も良かった。

※著者は「探偵!ナイトスクープ」構成作家としてより、伝説の人気番組「ラブ・アタック!」の“みじめアタッカー”の印象・記憶の方が鮮烈に残っている。私には、恥ずかしいことを面白がる精神を持つ若者がいる!、という衝撃的驚きの存在だった。

※もう、寝なければなりません。限界です。皆様、お休みなさいませ。
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