もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

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151129 朝日デジタル:【考論 長谷部×杉田】平和主義守るための改憲、ありえるか

2015年11月29日 19時07分03秒 | 考える資料
11月29日(日):

朝日デジタル【考論 長谷部×杉田】平和主義守るための改憲、ありえるか  2015年11月29日05時00分
 憲法解釈の変更で揺らいだ「9条の理念」を守るためには、いっそのこと憲法改正で自衛隊を認めた方がいいのでは――。長谷部恭男・早稲田大教授(憲法)と杉田敦・法政大教授(政治理論)の連続対談は今回、集団的自衛権の行使を認めた安全保障法制の成立を受けて、護憲的な立場から浮上した「新9条論」を切り口として、憲法と民主主義の関わりを考えます。

 ■9条と自衛隊だけ批判、不思議 長谷部/解釈余地なくせば理念守れる? 杉田
  杉田敦・法政大教授 朝日新聞の「声」欄に、「憲法9条を素直に読めば自衛隊の存在は違憲だ」「護憲だけれども、自衛隊は現状のままでよいというなら、立憲主義を語る資格などない」という投稿が寄せられ、賛否両論の反響があったようです。まず、自衛隊は違憲だ、自衛隊合憲論は解釈改憲だという説に対して、どうこたえますか。
  長谷部恭男・早稲田大教授 憲法に限らず、法律の条文はレストランのメニューと同じで、解釈しなくても意味がわかるというのが原則です。ただ例外的に、解釈が必要になる場合がある。ある条文と別の条文が矛盾している、あるいは普通の日本語の意味通りに考えたら良識に反する結論になってしまう時などです。
  杉田 「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とする9条2項は、解釈が必要な条文だと。
  長谷部 普通に読んだら自衛隊のような実力組織は持てないことになる。しかしそれでは日本国民の生命と財産を守れません。国民の生命と財産を守る。これはどんな国家でも最低限やるべきサービスです。だから、これまで政府は国外からの急迫不正の侵害があった時に、どうしても必要だという場合に限って、均衡のとれた範囲内で個別的自衛権を行使して対処する、そのために自衛隊を備える、憲法がそれすら認めていないのはおかしいだろうと解釈してきたわけです。
  杉田 解釈が必要なのは9条だけではありませんね。21条には「一切の表現の自由は、これを保障する」とありますが、人の名誉を毀損する表現などは保護されません。また、内閣不信任が決議された場合でなくても、首相が衆院を解散できるということについては、明確な憲法の条文はありませんが、解釈によって認められてきました
  長谷部 その通りです。それらについて、違憲だ、解釈改憲だ、おかしいという批判は聞こえてこないのに、9条2項と自衛隊の関係についてだけ、護憲、改憲両派からことさらに批判が出るのは不思議です。
  杉田 ただ、戦後の平和主義的な価値を大事に考える人々の一部には、現行憲法の文言が抽象的だからこそ、今回、集団的自衛権が行使可能にされてしまったという忸怩たる思いがあるようです。そこで、平和主義の理念を守るために憲法9条を改正すべきだという「新9条論」も出ている。個別的自衛権は行使できるが、集団的自衛権は認められないなどと明示し、解釈の余地をなくすべきだと。
  長谷部 そのような改正が仮に実現したとしても、それがさらなる解釈の対象にならないという保証は全くありません。集団的自衛権は行使できないと書いてあっても、フルスペックでないからOKだと解釈されてしまう可能性は残る。

 ■憲法の蘇生めざす「新9条論」 杉田/みんなで決めれば正しいのか 長谷部
  杉田 まさに今の政権が言っている話ですね。
  長谷部 条文の文言は思っているほど頼りになりません。一番頼りになるのは安定性継続性昨年夏の閣議決定による集団的自衛権の行使容認に対して、歴代の内閣法制局長官や元最高裁長官らが厳しく批判しているのは、法の安定性と継続性を破壊してしまうからです。集団的自衛権は行使できないという憲法解釈は長い年月をかけて営々と紡ぎ出され、積み重ねられてきた。すでに確立した解釈であるから、簡単に変えられないし、変えてはならないはずだと。
  杉田 しかし、その安定性と継続性が安保法制の成立によって断たれ、9条は空文化し、死んでしまった。だから、新条項として蘇生させなくてはいけないと、「新9条論」者たちは主張しています。
  長谷部 死んでいるのならなぜ、安倍さんたちは明文改憲を目指しているのでしょう。死んでませんよ。集団的自衛権の行使は認められないという「法律家共同体」のコンセンサスは死んでいませんから。元の政府解釈に戻せばいい
  杉田 その法律家共同体の営みが、密室での合議で不透明だという不信感が、改憲論の背景にはある。安倍さんが以前唱えた「憲法を国民の手に取り戻す」、つまり憲法改正規定をゆるめて国民投票で民意を反映しやすくするのが民主主義だといった主張のベースにもあるし、「新9条論」にもそれがあるようです。
  長谷部 法律の現実を形作っているのは法律家共同体のコンセンサスです。国民一般が法律の解釈をするわけにはいかないでしょう。素っ気ない言い方になりますが、国民には、法律家共同体のコンセンサスを受け入れるか受け入れないか、二者択一してもらうしかないのです。
  杉田 おそらく、宗教と並んで、法について解釈学が発達してきたことには理由があり、専門的な解釈の積み重ねによってしか運用できないようなものなのでしょう。しかし、それは一般的にはなかなか理解されない。解釈の余地がない、透明な秩序を作れるはずだと多くの人が思っている。憲法についても国民自身が参加する透明な手続きで、透明なものに作りかえられるし、その方が望ましい。国民の同意によって出来た憲法であれば、政府を縛る力が強まるはずだと。
  長谷部 しかし、同意が基礎だと言い始めたら、10年、20年おきに憲法を全部作り直さないといけなくなります。しかも、同意は法律や憲法の正当性を基礎づけることにはならない。みんなで議論し、最終的に多数決で決めれば、正解にたどり着く蓋然(がいぜん)性はある。でも、みんなで決めたことだから正しいという主張に根拠はない。多数決で間違った決定をすることも珍しくはありません。

 ■緊急事態条項、必要か疑問 長谷部/立憲体制、根幹変質の恐れ 杉田
  杉田 たしかに、みんなで決めたことでもだめなものはだめ。これが立憲主義でしたね。民主主義と立憲主義の間の緊張関係を常に意識しておかないと、「新9条論」を主張する人たちの純粋で真摯な思いが、民主主義の名の下に、改憲そのものを自己目的化する現政権の動きを、裏側から支えてしまう可能性がありそうです。
  長谷部 そもそもなぜ、憲法を書き換えるという形で自らの社会構想を表現するのでしょうか。憲法改正には衆参各院の総議員の3分の2以上の賛成による発議という、非常に高いハードルが課されています。政治や社会の基本原則を軽はずみな思いつきで変えてはならないからです。
  杉田 憲法を書き換えるくらいの勢いでないと、民主政治が活性化しない、という発想でしょうか。しかし、今年、憲法を守ろうと、人びとは大いに盛り上がった。戦後日本は、9条で平和主義25条で生存権の原理を掲げ、現実をそこに向かわせようと実践を積み重ねてきました。いま条文を実態に合わせようとすれば、現実を変える力はむしろ失われてしまうでしょう。不幸なテロ事件をきっかけに、フランスでは緊急事態対応の憲法改正が取りざたされています。日本でもさっそく、呼応する議論が出てきていますが、立憲デモクラシー体制の根幹を変質させることにつながらないでしょうか。
  長谷部 フランスで議論されているのは、すでに法律レベルで定められている非常事態対処措置の根拠を憲法に書き込もうという話ですね。他方、安倍さんは緊急事態条項を憲法に取り込む改正に意欲を見せていますが、憲法を改正する必要が本当にあるのか。国民の安心を保障しようとしても、心配のタネが尽きることはないわけで、得られるはずのないものを得ようとして、むやみに政府の権限を広げることにならないか。問題は山のようにあります。この件については、回を改めて話し合うことにしましょう。=敬称略    (構成・高橋純子)


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