シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 四月は幸せシャンソン
四月は 一月新年と同じくらいの 新たな気持ちになる月ですね。
新学期
新入生
新年度
今年 日本国的には 消費税が8%になったのも
画期的。
長く欧州に暮らしたり 未だに 往復滞在している私には
消費税やサービス税 チップの高い
ヨーロッパの国々を知っているためなのか
あまり 驚愕はしないのですが・・・・
さてさて
四月
庭の木蓮が満開
葡萄の 新芽が吹き
そして
ハナミズキが咲き始め
チューリップも咲き始め
我が脳に流れるシャンソンは
明るくて 楽しいメロディーばかりです。
最近 ジャズテイストの 軽いリズムで歌うシャンソン
アレンジが多いので
「さーて 私も ジャズ ピアノでも 習うかなー」
音楽家は 一生涯 自己投資 学習 研鑽
過去の身につけた技術に 更に 何かを見につけなくっちゃー
というわけで
個人指導のアメリカ ジャズの学校を 卒業した先生を
みつけて
体験レッスンしてきました。
そして
個人レッスン 月に 二時間という教室に入学しました。
ジャズは 理論だそうで 学習と 毎日のコツコツ勉強が
大事だと 言われ
来週から稽古は始まりますが 宿題が出るそうです。
まず ピアノの かなりの基礎の技術があっても
ジャズコードを
マスターするのには 頭と肉体が 覚えるまでに
月 二時間 の個人レッスン
毎日 ぜったいに15分の 練習続けて一年は かかるそうです。
私みたいに ジャズなんて なーんにも興味がなかった
無知なモノでも
へぇー 一年たてば 少しは 前へ進めて
知らない世界も 多少身近に なるかもねぇー
と 好奇心と 挑戦心 冒険心・・・むら むら むら
クラシックピアノ クラシック声楽
あらゆる楽典
そして シャンソン
クラシックバレエ モダンダンス ジャズダンス アエロビック
フラメンコ ゴルフ
カート バイク
お絵かき クロッキー 水彩画 油絵
英語 ロシア語 ドイツ語 イタリア語 フランス語
何だかんだと
私の人生は 習い続ける人生
二十歳前までは 我が両親のお蔭様で お稽古させて
頂いたのですが
それ以降は
自分が 稼ぎ主で ばばばばーんと 自己投資人生が 続いています。
そうそう
本日 ステージ衣装の整理整頓していたら
100枚近い 数 が ありましたよ・・・・・
これも
芸大卒業して 舞台人になってから 捨てたものもあるので
凄い 投資でした。
あー 私は 本当に自分の為だけに生きてきてしまったのかも・・・
勿論 父の死後12年間は 父の代わりに母の経済は
支えたのですが・・・そして
両親は きちんと 見送ったつもりではあります。
でも 子供も産まずに
或る意味
エゴイスト的に 生きちゃいました。
自分の 血と肉と 五感に 技を身につける教育栄養と
普段使わない舞台ドレスが 残骸の様に 残っています。
重複しては 舞台で着れないけれど 体型が変わっていないので
古いモノも 時々 着まわしていますが。
それでも
この先 舞台人である限りは
ドレスは 増え続けるでしょう。
そして 舞台人を 止めた時は ドレスは 廃棄だわ。
今は
毎回 ドレス選びは 楽しいし 見ているとワクワクするし
もし
私がシャンソン歌手でなかったら
この年齢で
13センチ ハイヒールで ドレス着ることも無かったわけで
フランス語シャンソンを 歌っていることすら
不思議な 運命です。
新たな挑戦は 続きます。
バレエのストレッチ 床運動 毎週二時間の稽古も
三年目
ジャズ ピアノは 何年継続できるでしょうか・・・
私は 一生涯 音楽に自己投資する運命なのだわ・・・
音楽やバレエ お絵かきを 三歳から始めたとき
まだ 脳みそも小さかったから
意志は皆無で
先生たちに 言われるままに 命令に従っていただけで
そのまま
その習慣と 性格は形成されて
自我も 我がままも 反抗心なるモノ も
人生で 一度も 経験することなく
いまだに 従順な生徒として 稽古事は 続いてます。
あー 反抗心は
我が父に対しては あったかもー
勘当されたくらいだからー
父から生活費を頂いている限り 父の命令には
従わなければならない。
「ニンニクは 食べるな。 泊まりは禁止。結婚するのでなければ
男子と 自由恋愛で 付き合うなー」
という 命令に 従えなかったもの。
勘当されたとき 嬉しかったのは
私が 冒険好き挑戦好き 自由人だという事なのだと思います。
いまもって
血肉躍る 動物的感性が 自分の年齢にはふさわしくない程
あり過ぎで アンジュと 気が合います。
四月は 一月新年と同じくらいの 新たな気持ちになる月ですね。
新学期
新入生
新年度
今年 日本国的には 消費税が8%になったのも
画期的。
長く欧州に暮らしたり 未だに 往復滞在している私には
消費税やサービス税 チップの高い
ヨーロッパの国々を知っているためなのか
あまり 驚愕はしないのですが・・・・
さてさて
四月
庭の木蓮が満開
葡萄の 新芽が吹き
そして
ハナミズキが咲き始め
チューリップも咲き始め
我が脳に流れるシャンソンは
明るくて 楽しいメロディーばかりです。
最近 ジャズテイストの 軽いリズムで歌うシャンソン
アレンジが多いので
「さーて 私も ジャズ ピアノでも 習うかなー」
音楽家は 一生涯 自己投資 学習 研鑽
過去の身につけた技術に 更に 何かを見につけなくっちゃー
というわけで
個人指導のアメリカ ジャズの学校を 卒業した先生を
みつけて
体験レッスンしてきました。
そして
個人レッスン 月に 二時間という教室に入学しました。
ジャズは 理論だそうで 学習と 毎日のコツコツ勉強が
大事だと 言われ
来週から稽古は始まりますが 宿題が出るそうです。
まず ピアノの かなりの基礎の技術があっても
ジャズコードを
マスターするのには 頭と肉体が 覚えるまでに
月 二時間 の個人レッスン
毎日 ぜったいに15分の 練習続けて一年は かかるそうです。
私みたいに ジャズなんて なーんにも興味がなかった
無知なモノでも
へぇー 一年たてば 少しは 前へ進めて
知らない世界も 多少身近に なるかもねぇー
と 好奇心と 挑戦心 冒険心・・・むら むら むら
クラシックピアノ クラシック声楽
あらゆる楽典
そして シャンソン
クラシックバレエ モダンダンス ジャズダンス アエロビック
フラメンコ ゴルフ
カート バイク
お絵かき クロッキー 水彩画 油絵
英語 ロシア語 ドイツ語 イタリア語 フランス語
何だかんだと
私の人生は 習い続ける人生
二十歳前までは 我が両親のお蔭様で お稽古させて
頂いたのですが
それ以降は
自分が 稼ぎ主で ばばばばーんと 自己投資人生が 続いています。
そうそう
本日 ステージ衣装の整理整頓していたら
100枚近い 数 が ありましたよ・・・・・
これも
芸大卒業して 舞台人になってから 捨てたものもあるので
凄い 投資でした。
あー 私は 本当に自分の為だけに生きてきてしまったのかも・・・
勿論 父の死後12年間は 父の代わりに母の経済は
支えたのですが・・・そして
両親は きちんと 見送ったつもりではあります。
でも 子供も産まずに
或る意味
エゴイスト的に 生きちゃいました。
自分の 血と肉と 五感に 技を身につける教育栄養と
普段使わない舞台ドレスが 残骸の様に 残っています。
重複しては 舞台で着れないけれど 体型が変わっていないので
古いモノも 時々 着まわしていますが。
それでも
この先 舞台人である限りは
ドレスは 増え続けるでしょう。
そして 舞台人を 止めた時は ドレスは 廃棄だわ。
今は
毎回 ドレス選びは 楽しいし 見ているとワクワクするし
もし
私がシャンソン歌手でなかったら
この年齢で
13センチ ハイヒールで ドレス着ることも無かったわけで
フランス語シャンソンを 歌っていることすら
不思議な 運命です。
新たな挑戦は 続きます。
バレエのストレッチ 床運動 毎週二時間の稽古も
三年目
ジャズ ピアノは 何年継続できるでしょうか・・・
私は 一生涯 音楽に自己投資する運命なのだわ・・・
音楽やバレエ お絵かきを 三歳から始めたとき
まだ 脳みそも小さかったから
意志は皆無で
先生たちに 言われるままに 命令に従っていただけで
そのまま
その習慣と 性格は形成されて
自我も 我がままも 反抗心なるモノ も
人生で 一度も 経験することなく
いまだに 従順な生徒として 稽古事は 続いてます。
あー 反抗心は
我が父に対しては あったかもー
勘当されたくらいだからー
父から生活費を頂いている限り 父の命令には
従わなければならない。
「ニンニクは 食べるな。 泊まりは禁止。結婚するのでなければ
男子と 自由恋愛で 付き合うなー」
という 命令に 従えなかったもの。
勘当されたとき 嬉しかったのは
私が 冒険好き挑戦好き 自由人だという事なのだと思います。
いまもって
血肉躍る 動物的感性が 自分の年齢にはふさわしくない程
あり過ぎで アンジュと 気が合います。