シャンソン歌手 リリ・レイ LILI LEY 舞台芸術
芦野宏先生が 亡くなられて まだ 四ヶ月なので
先生の お誕生日6月18日が 先生が昨年に販売した
ご自身のバラのカレンダーに 私の字で記載してあり
なんとも 辛い。
「六月のバラの絵が 一番地味だわね。でも
自分の誕生月に選んだ 地味なバラの絵が12ヶ月中で
一番味があるねぇ」と
マダム FUGIKURAは ため息をついて
おっしゃいます。
私から見ると 紫陽花みたいな色使いの バラ達が
カレンダーの 上で 咲いています。
我が家の庭では
台風が去った後 紫陽花で 折れていたのは 小さい花二輪だけ。
強いねー 紫陽花って。長く 咲いているし。玄関に飾りました。
花達の 生かされ方 生かし方は 絵画や 舞台と似ています。
舞台の芸術は とても 大勢の方々に 支えられています。
音響 照明 舞台スタッフに 助けられ 支えられ
でも 一人ピンで 舞台の額縁のなかで 絵にならなければならない
我々 歌手や ダンサー。
一人きりで ステージで 歌うとか 踊るとか って
経験した人なら 分かるけれど 強烈な重責がある。
転べない 躓けない 音楽は止められない くしゃみ 咳できない。
そして 客席の 皆様を がっかりさせられない。
芦野宏先生は 優しいけれど 舞台の芸術性に対する 審美眼があり
日本シャンソン館の舞台の時色々 教えていただき
経験も させていただきました。
芦野先生の 七年間の 舞台指導は 私の財産です。
突然に ドレスでなく シャンソン館に着いた普段のズボン姿のまま
歌うように 指示された事も ありました。
今日の長坂さんの普段着姿は カッコイイですから・・・とのこと。
臨機応変で 指示 の変化があり ドレスを 着ない時がありました。
初めの頃は プログラムの作り方も 注意 指導があり
曲目は変更しなければ なりませんでした。
色々 教えていただきました。
NHKホールの バンド譜面作りの 重要性なども含め
大舞台に 出演し そこで 額縁の中の 一輪の花が
綺麗に 芸術的に 描けるかどうかは
自分で 絵を書いたり 花を活けるのと 同じなのだなー
と 今は 感じます。
自分という 素材を 自己マネージメントして 客観的に
美を クリエイトする。
ただ 歌えるだけでは 駄目だということ
それは 当たり前で それ以上の深い 舞台芸術の 奥がある。
久しぶりに 高瀬多佳子さんと 芸術を クリエイトしながら
あー 若かりし頃 分からなかった事が
分かり始めて 多佳子さんの舞台芸術性に 少し 近づけている自分が
嬉しくて仕方ありません。
二十代の頃は いくら 芸術大学の大学院や 二期会の研究生を
卒業したからって 現場経験が少なすぎて
頭でっかち に過ぎませんでした。過去の私は 今 思えば
いきがっていたナー と 反省しますが
素直に 学び続けて 良かった。今があるもの。明日もあるし・・・
学べば 学ぶほど 謙虚になれる 芸の 道 舞台芸術です。
それにしても 芸大の恩師 亡き毛利先生も
プリマドンナだった勝本先生も
大舞台に 残れる人は 音楽大学の全卒業生 十年に一人よ・・・っと。
磨き続けないと・・・なれないわよって 言われましたよ。
高原加代子プロデューサーは 運が良くないと 舞台人にはなれない・・・
など 運命論者。
我武者羅 のし上がろう 精神は 芸術舞台には 不必要なのよ。
コンクール一位は 毎年出るけれど 生き残れる人って 少ないのは
そこが 頂点に思うからよ とも。
戦いなんて 芸術には無い。競争意識も美学には 無い。
私は 若い頃 コンクール 否定の 先生ばかりについていました。
逆に 日々の地道な精進論者 芸術信奉者の 方ばかりに囲まれた
人生でしたから・・・・
芸大一年生の時の 著名な 芸大教授の 野口道三 先生などは
競争反対 戦いの為の芸術など無い オリンピック反対論者でしたよ。
私の尊敬する 高瀬多佳子さんは 現代舞踊の世界的
ダンサーなのに いまだ 週一度 師につき リトミックも続けている。
私も 習い続けないと 額縁の姿が へんてこりんに なりそうで怖い。
芦野先生 どうしよー。天国の先生。 師が居ないって 孤独です。
とりあえず 頑張ります。自分に 厳しく指導します。
芦野宏先生が 亡くなられて まだ 四ヶ月なので
先生の お誕生日6月18日が 先生が昨年に販売した
ご自身のバラのカレンダーに 私の字で記載してあり
なんとも 辛い。
「六月のバラの絵が 一番地味だわね。でも
自分の誕生月に選んだ 地味なバラの絵が12ヶ月中で
一番味があるねぇ」と
マダム FUGIKURAは ため息をついて
おっしゃいます。
私から見ると 紫陽花みたいな色使いの バラ達が
カレンダーの 上で 咲いています。
我が家の庭では
台風が去った後 紫陽花で 折れていたのは 小さい花二輪だけ。
強いねー 紫陽花って。長く 咲いているし。玄関に飾りました。
花達の 生かされ方 生かし方は 絵画や 舞台と似ています。
舞台の芸術は とても 大勢の方々に 支えられています。
音響 照明 舞台スタッフに 助けられ 支えられ
でも 一人ピンで 舞台の額縁のなかで 絵にならなければならない
我々 歌手や ダンサー。
一人きりで ステージで 歌うとか 踊るとか って
経験した人なら 分かるけれど 強烈な重責がある。
転べない 躓けない 音楽は止められない くしゃみ 咳できない。
そして 客席の 皆様を がっかりさせられない。
芦野宏先生は 優しいけれど 舞台の芸術性に対する 審美眼があり
日本シャンソン館の舞台の時色々 教えていただき
経験も させていただきました。
芦野先生の 七年間の 舞台指導は 私の財産です。
突然に ドレスでなく シャンソン館に着いた普段のズボン姿のまま
歌うように 指示された事も ありました。
今日の長坂さんの普段着姿は カッコイイですから・・・とのこと。
臨機応変で 指示 の変化があり ドレスを 着ない時がありました。
初めの頃は プログラムの作り方も 注意 指導があり
曲目は変更しなければ なりませんでした。
色々 教えていただきました。
NHKホールの バンド譜面作りの 重要性なども含め
大舞台に 出演し そこで 額縁の中の 一輪の花が
綺麗に 芸術的に 描けるかどうかは
自分で 絵を書いたり 花を活けるのと 同じなのだなー
と 今は 感じます。
自分という 素材を 自己マネージメントして 客観的に
美を クリエイトする。
ただ 歌えるだけでは 駄目だということ
それは 当たり前で それ以上の深い 舞台芸術の 奥がある。
久しぶりに 高瀬多佳子さんと 芸術を クリエイトしながら
あー 若かりし頃 分からなかった事が
分かり始めて 多佳子さんの舞台芸術性に 少し 近づけている自分が
嬉しくて仕方ありません。
二十代の頃は いくら 芸術大学の大学院や 二期会の研究生を
卒業したからって 現場経験が少なすぎて
頭でっかち に過ぎませんでした。過去の私は 今 思えば
いきがっていたナー と 反省しますが
素直に 学び続けて 良かった。今があるもの。明日もあるし・・・
学べば 学ぶほど 謙虚になれる 芸の 道 舞台芸術です。
それにしても 芸大の恩師 亡き毛利先生も
プリマドンナだった勝本先生も
大舞台に 残れる人は 音楽大学の全卒業生 十年に一人よ・・・っと。
磨き続けないと・・・なれないわよって 言われましたよ。
高原加代子プロデューサーは 運が良くないと 舞台人にはなれない・・・
など 運命論者。
我武者羅 のし上がろう 精神は 芸術舞台には 不必要なのよ。
コンクール一位は 毎年出るけれど 生き残れる人って 少ないのは
そこが 頂点に思うからよ とも。
戦いなんて 芸術には無い。競争意識も美学には 無い。
私は 若い頃 コンクール 否定の 先生ばかりについていました。
逆に 日々の地道な精進論者 芸術信奉者の 方ばかりに囲まれた
人生でしたから・・・・
芸大一年生の時の 著名な 芸大教授の 野口道三 先生などは
競争反対 戦いの為の芸術など無い オリンピック反対論者でしたよ。
私の尊敬する 高瀬多佳子さんは 現代舞踊の世界的
ダンサーなのに いまだ 週一度 師につき リトミックも続けている。
私も 習い続けないと 額縁の姿が へんてこりんに なりそうで怖い。
芦野先生 どうしよー。天国の先生。 師が居ないって 孤独です。
とりあえず 頑張ります。自分に 厳しく指導します。