3月15日 日曜日 日本シャンソン館
芦野宏先生が 館長の シャンソンミュージアムには
大きな庭園 モネの蓮の池 美味しいフレンチのCAFEレストラン
そして シャンソンを聞くのに最適な コンサートホール
素敵な グッズやCDの買える売店があり
渋川という 地方都市なのに フランスのように感じます。
毎月 一回 私は12曲 シャンソンを 歌います。
もう 四年目になると思います。
朝10時のリハーサルから シャンソンの生き字引の
ような芦野宏先生が 客観的に アドヴァイスしてくださいます。
プロの私に 的確な 舞台演技 歌唱表現を お世辞抜きに
厳しくおっしゃつて下さる方は もう 一人だけです。
私の音楽を 褒める人 けなす人 嫌いだという人 あこがれてくれる人
気に入ってくださる人は
私の長い音楽家の人生で 数多ですけれど
魂とエネルギー 真実の音楽性 表現を 模索し続けて
今 思うのは
音楽家は 永遠に 自分の奏でる音で 人々を幸せで元気に
する 目的で 生きてきているのだ・・・ということ。
音楽家の役割は 自分の為ではなく
お客様の平和なひと時 安らぎを与える為だ・・・・と
昨日月曜日は 12時半から 教え始め 夜9時まで
シャンソンを習いにみえる生徒さんが 続き
ピアノを弾き続けている私の右手は 流石にしびれて来ました。
夜はお客様の為に 弾き語りをしました。
アカペラで バラ色の人生も 歌いました。
あの偉大な エディット・ピアフは 自叙伝の中に書いています。
「私が路上で 歌うと 人が一杯集まってくるけれど
お金を 帽子に 入れてもらおうとすると 皆 散らばって
掻き消えていった」
声という 肉体の楽器 だけ 伴奏無く
路上で 生きるために歌っていた 歌手の 凄さが
今の 私には よく 理解できます。
マイクも無く 伴奏も無く 人の心に音楽の神様を
与える為には どれほどの 試練と 苦しみ
そして勇気が必要なのか?
芦野宏先生が 館長の シャンソンミュージアムには
大きな庭園 モネの蓮の池 美味しいフレンチのCAFEレストラン
そして シャンソンを聞くのに最適な コンサートホール
素敵な グッズやCDの買える売店があり
渋川という 地方都市なのに フランスのように感じます。
毎月 一回 私は12曲 シャンソンを 歌います。
もう 四年目になると思います。
朝10時のリハーサルから シャンソンの生き字引の
ような芦野宏先生が 客観的に アドヴァイスしてくださいます。
プロの私に 的確な 舞台演技 歌唱表現を お世辞抜きに
厳しくおっしゃつて下さる方は もう 一人だけです。
私の音楽を 褒める人 けなす人 嫌いだという人 あこがれてくれる人
気に入ってくださる人は
私の長い音楽家の人生で 数多ですけれど
魂とエネルギー 真実の音楽性 表現を 模索し続けて
今 思うのは
音楽家は 永遠に 自分の奏でる音で 人々を幸せで元気に
する 目的で 生きてきているのだ・・・ということ。
音楽家の役割は 自分の為ではなく
お客様の平和なひと時 安らぎを与える為だ・・・・と
昨日月曜日は 12時半から 教え始め 夜9時まで
シャンソンを習いにみえる生徒さんが 続き
ピアノを弾き続けている私の右手は 流石にしびれて来ました。
夜はお客様の為に 弾き語りをしました。
アカペラで バラ色の人生も 歌いました。
あの偉大な エディット・ピアフは 自叙伝の中に書いています。
「私が路上で 歌うと 人が一杯集まってくるけれど
お金を 帽子に 入れてもらおうとすると 皆 散らばって
掻き消えていった」
声という 肉体の楽器 だけ 伴奏無く
路上で 生きるために歌っていた 歌手の 凄さが
今の 私には よく 理解できます。
マイクも無く 伴奏も無く 人の心に音楽の神様を
与える為には どれほどの 試練と 苦しみ
そして勇気が必要なのか?