3月21日(火)春分の日 天気:曇りのち雨 室温:18.2℃
きょうは、公民館の歴史教室に 主席しました。 今月は、元城郭研究室長の中川秀昭氏の
「近世播磨の教育」 です。 今回も 出席者が 多かったようです。 行くときは 降っていま
せんでしたが、帰るときには 降ってきて 濡れました。 春雨じゃ・・
。。。。。。「近世播磨の教育」。。。。。。。
Ⅰ 日本遺産「近世日本の教育遺産群ー学ぶ心・礼ー」 (平成27年指定)
・わが国では 近代教育制度の導入前から、支配者層である 武士のみならず、多くの庶民も読み
書き・算術ができ、礼儀正しさを 身に付けるなど 高い教育水準を示した。
これは、藩校や 郷学、私塾など 様々な階層を対象とした学校の普及による影響が 大きく、
明治維新以降の一足早い近代化の原動力となり、現代においても、学問・教育に 力を入れ、
礼節を重んじる日本人の国民性として 受け継がれている。
・近世の日本人が 高い教養を身に付ける上で 大きく貢献したのが、全国各地に 建てられた学校
である。 中でも 旧公道館(水戸市)、足利学校跡(足利市)、旧閑谷学校(備前市)、咸宜
園(かんぎえん)跡(日田市)を 代表的な構成文化財とする
「近世日本の教育遺産群-学ぶ心・礼節の本源ー」 が 平成27年に 日本遺産に指定された。
1.ストーリーの構成文化財
・茨木県水戸市 旧公道館(特別史跡)・常磐公園(偕楽園)・日新塾跡(市史跡)、大日本史
・栃木県足利市 足利学校跡(国史跡)・国宝漢籍「礼記正義」「尚書正義」「文選」『周易注琉』
・岡山県備前市 旧閑谷学校(国特別史跡)・釈菜(せきさい)・熊沢蕃山宅跡(市史跡)・井田跡
・大分県日田市 咸宜園跡(国史跡) ・日田市豆田町重要伝統建造物群保存地区(国重伝建)
2.代表的な構成文化財
(1)日本最大規模の藩校(旧公道館(国特別史跡・茨木県水戸市))
・水戸藩主 徳川斉昭が 設立した藩校。 歴史だけでなく 医学、兵学、武芸など実用的な科目も備えた
(2)現存する日本最古の学校(足利学校跡(国指定史跡・栃木県足利市))
・室町時代に 上杉憲実が 書籍(国宝)を寄進。 庠主制度を設けるなど( 自学自習の精神)
(3)世界最古の庶民のための公立学校(旧閑谷学校(特別史跡・岡山県備前市))
・岡山藩主 池田光政が 熊沢蕃山から 学んだ 儒教思想に則り、重臣津田永忠に命じ、庶民のため
の学校、地方のリーダーを育てるための学校として、寛文10年に 開校。 その後 拡張整備。
(4)近世日本最大規模の私塾(咸宜園跡(国史跡・大分県日田市))
・豊後日田では 町人を中心とした自由な風土が生まれ、廣瀬淡窓が 咸宜園(かんぎえん)という
私塾を創設。 特色ある教育が 全国的に評判となり、全国から門下生を集め、日本最大規模の私塾。
Ⅱ 江戸時代の教育制度
1.特に 武士の子弟を対象
<昌平坂学問所>
・寛政2年 神田湯島に 設立された江戸幕府直轄の教学機関・施設、当初は 幕府直参の子弟が 対象
<藩 校>
・諸藩が 藩士の子弟を教育するために 設置した学校。 藩学ともいう。 「文武兼備」を、掲げ、
「四書五経」の素読・会読・講義と 習字・習礼を中心に 武芸として 剣術・柔術・馬術などの教育が
主な藩校は、日新館(会津若松藩)、公道館(水戸藩)、明倫堂(尾張藩)、明倫館(萩藩・長州藩)等
2.主に庶民を対象
<郷学(郷校)>・・・半官半民で 設立された庶民のための学校。一部 武士の子弟も受け入れ
<寺子屋>・・・読書・習字・算術などを教える農民・町民などの庶民のための学校
3.私塾
・個人の有識者が 居宅などを利用して 学問・技芸を教える。 松下村塾(吉田松陰)、適塾(緒方洪庵)、
鳴滝塾(シーボルト)、慶應義塾(福沢諭吉)、鈴屋(本居宣長)など
ⅲ 近世播磨の教育
1.藩校
・姫路藩・好古堂、学問所(江戸上屋敷)
・元禄5年 酒井忠拳が 前橋藩 藩校として設立。 「好古堂」扁額は 林大学頭信篤書。 寛延2年
酒井家の姫路転封に伴い、藩校 好古堂を 城下の総社門内に置いた。
・林田藩・敬業館
寛政6年 林田藩7代藩主 建部政賢が 林田藩藩校として 設立。
2.仁寿山校
・文政5年 河合道臣は 城主から賜った山荘の地に、私学校の仁寿山校を 開校。 天保13年 医学寮を
残し 廃校となるまでに、幾多の有為な人材を世に輩出
3.郷学(郷校)
①申義堂(高砂 北新町)・設立は 文化年間、河合道臣が 文化9年に 高砂を見分し、姫路六人衆の
一人 岸本吉兵衛に 町民の子弟の教育を担う申義堂の創立を命じたといわれる。屋根の飾り瓦は 一見の価値あり。
②熊川舎(姫路・元塩町)・設立は 申義堂と ほぼ同じといわれる。 柳田国男の父・松岡賢次も教鞭を
とった。 寺子屋とは異なり、上層町民の子弟の教導を 目的とした郷学であった。
③国包郷校(印南郡国包村・元加古川市)・天保4年 以前に三谷伊左衛門が 中心となり設けられた郷校
4.寺子屋
・従来(中世末頃まで)は、僧侶・神官が 地域の基礎教育の中心を担っていた。 「日本教育史資料」
によると、姫路藩内で 文禄2年~明治初年の間に、148カ所の寺子屋の開設を見たとある。
◇好古堂と仁寿山校 ・・・・・ ※四書:大学、中庸、論語、孟子 五経:易経、詩経、書経、礼記、春秋
◇林田藩・藩校:敬業館
※「敬業」は 『礼記』の「敬業楽群」(学業を 敬重し 学友との交わりを楽しむ)から
◇郷校・申義堂
※美濃部秀芳は、天皇機関説の美濃部達吉の父、元東京都知事・美濃部亮吉の祖父
◇稲香村塾(市指定文化財)
・慶応4年 河野東馬が 開設。 明治22年 私塾名を 「誠塾」とし、多くの人材を輩出した。
◆丸亀藩飛地・網干
・明治3年 作成の「陣屋外郭屋敷割図」 に 「明輪館(ママ)」の記述。 網干陣屋に藩校が設けられた?
<現況写真> ・ ・ ・ ・ ・ ・ 飾瓦六角露盤
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