5月17日(火) 天気:曇りのち晴れ 室温:23.4℃
きょうは、公民館の歴史教室に出席しました。 今月は、元城郭研究室長・中川秀昭
さんの ”たたらの里西播磨” です。 先月の ”銀の馬車道・鉱石の道” つながりですが、
たたらも 意外と奥が深い…。 金月の出席者が多く、用意された資料が足りません。
。。。。。。 たたらの里西播磨 。。。。。。。
1.「たたら製鉄(たたら吹き)」 とは
・砂鉄を木炭で 燃やすことで 砂鉄から鉄を取り出す 日本古来の製鉄法で、千年以上の
歴史がある。
・たたら製鉄が 行われていた場所を 「鉄山跡」 と呼ぶ。 鉄山跡では、今も 鉄滓が
多く見つかる。
・鉄滓は、砂鉄を溶かす際に、砂鉄に含まれれていた不純物が 溶けだして固まったもの
一般には、「かなくそ」と呼ばれている。
2.播磨北西部に 製鉄遺跡が集中(宍粟市・佐用町に 200カ所以上
~播磨北西部は、古代より 「たたら製鉄」 が 盛ん~
・『播磨国風土記』(霊亀元年(715)頃)
・讃容(さよ)郡の条:産鉄記事、1カ所
・「鹿庭山」の「四面に 十二の谷有り。 皆、鉄生ふること有り。 難波豊前朝廷に
始めて進りき。 見顕しし人は 別部犬、其の孫等奉発り初めき」。
※「鹿庭山」(現在の大撫山に比定)の鉄が 孝徳天皇のときに 初めて朝廷に貢進された
こと、鉄を発見したのは 別部犬なる人物であったことである。
・宍禾(しさはほ)郡の条:産鉄記事、2ヶ所
・柏野(かしわのの)里:・・敷草の村。 草を敷きて 神の座としき。 敷き草と日ふ。
此の村に山有り。 南の方去ること十里許に 沢有り。二町許なり。 此の沢に
生ふる菅は、笠を作る最好し。 柂・杉生ふ。 狼・羆住めリ。
・御方(みかたの)里:・・・大内川、小内川、金内川。 大きなるは 大内と称ふ。
小さきは 小内と称ひ、鉄生ふるは 金内と称ふ。 其の山に、柂・枌・黒葛等生ふ。
3.宍粟市・佐用町の製鉄遺構
・古代・中世の製鉄遺跡
・分布:主要河川や幹線道路に近い地点・・砂鉄・木炭の搬入、生産鉄の搬出に便利
・佐用町の主な製鉄遺跡
・大撫山周辺に分布
・坂遺跡(奈良時代、佐用町早瀬)、水谷C遺跡(佐用町長尾)、金谷中土井遺跡(佐用町金屋)、
カジ屋遺跡(佐用町山脇)、水谷C遺跡(佐用町長尾)
・西下野製鉄遺跡(奈良時代初頭・8世紀初め、佐用町西下野)など 29カ所の製鉄遺跡が 判明
・宍粟市の主な製鉄遺跡
・安積山遺跡(平安時代末・宍粟市一宮町安積)、高保木製鉄遺跡(中世・千種町西河内・県指定史跡)、
小野段林遺跡(中世・波賀町小野)、小茅野後山遺跡(中世・山崎町小茅野)
・近世以降のたたら製鉄遺跡
・宍粟市千種町:天児屋鉄山跡(西河内・県指定史跡)、荒尾鉄山跡(岩野辺・市指定遺跡)、
高羅鉄山跡(河内・市指定遺跡)、鉄穴流し場跡(奥天児屋、森ノ上(市指定史跡)、
笠ヶ谷、鍋ヶ谷)
・宍粟市波賀町:音水・万ヶ谷・赤西・カンカケ・広路の各遺跡
・宍粟市一宮町:樅ノ木・溝谷・阿舎利の各遺跡
・宍粟市山崎町:小茅野・野々隅等の各遺跡
4.なぜ、播磨北西部に製鉄遺跡が集中しているのか
・中国山地一帯に分布する花崗岩に由来する良質な砂鉄(真砂砂鉄)が豊富に採れたこと
※真砂砂鉄:花崗岩、花崗班岩など 酸性の母岩が風化したものの中に含まれる黒色で 光沢があり、
硫黄、燐、チタンなどが 少ない 鉄の品位が高い砂鉄
※赤目砂鉄:閃緑岩、安山岩など 塩基性の母岩からできた赤褐色のもので、真砂砂鉄に比べ、
不純物が多く含まれ、鉧(けら)より 銑(ずく)が作りやすい砂鉄
※宍粟の山の土は、花崗岩の風化した真砂砂鉄を多く含み、たたら製鉄には 最も適したもの。
良質の砂鉄から生み出された 「宍粟鉄」(千種鉄)は、高い品質を誇り ブランド化し、
備前の刀匠たちにも 珍重された。
5.たたら製鉄の四つの工程
(1)鉄穴流し(かんなながし)
山を崩し、砂鉄を含んだ土砂を水路に流し、比重によって 砂鉄と土砂を分離する
(2)大炭・小炭焼
(3)鉄づくり(たたら場)・・・炉を造り、砂鉄を木炭でもやす
炉を造る粘土を元釜土といい 村下(むらげ)の指図のもと 四日目の早朝 炉を壊して
できる鉄の質と量に大きく影響 砂鉄と木炭を追いくべしながら 約4トンの鉧を引き出し
したので 土の選定は重要だった 三昼夜吹き続けた 冷却した。 この工程を一夜という。
(4)割鉄づくり
炉から取り出した鉧を小割にし、脱炭して 割鉄に仕上げる
冷却した鉧は、どう場で大割り、 割った鉧は、刃金・歩鉧(ぶげ 鋳鉄ものとして出荷する以外の
中割り、小割りして こぶしほど ら・刃金より質が劣る鉄)、 銑は、左下場で 脱炭して 左下鉄
の大きさにした 銑鉄(ずく)に 選別した として 歩鉧と合わせて本場で均一な
割鉄に仕上げた
6.天児屋(てんごや)鉄山遺跡(兵庫県指定史跡)
・所在地:宍粟市千種町西河内字新田
・操業期間:江戸時代前期から 明治18年(1885)
・江戸時代、千種は 徳川幕府の直轄地となり、天児屋鉄山は 幕府から許可を受けた千種屋などの
豪商「鉄山師」により 請負運営された
・城跡を思わせる整然と積まれた石垣が残り、高殿(たたら)、勘定場(事務所)、砂鉄・炭小屋(材料庫)、
山内小屋(社宅)など 複数の建物群で 構成されていた大規模製鉄施設の跡。
最盛期(江戸時代後期)には、数十戸から百戸、数百人を超える従業者が 居住していたと推測される
7.荒尾鉄山跡(宍粟市指定史跡)
・所在地:宍粟市千種町岩野辺字荒尾・・たたらのふるさと 岩野辺(岩鍋)
・操業期間:江戸時代中期から、明治時代前期(推定)
・荒尾集落から 川沿いに 500mほど登った山中に 石垣が残る荒尾鉄山は、高殿(たたら)、
勘定場、砂鉄・炭小屋、山内小屋などの複数の建物群で構成された製鉄施設
天児屋(てんごや)鉄山遺跡に比べると やや小ぶりであるが、中央を幅2mほどの通路が貫通し、
道の左右に作業の順序に合わせて 施設が配置されている
・鉄山跡の入り口に、嘉永2年(1849)の年期が入る地蔵菩薩の供養碑が建てられている
8.高羅鉄山跡(宍粟市指定史跡)
・所在地:宍粟市千種町河内字足谷口
・操業時期 不明。
・河内集落の北側高台に存在したと推定されるが、現在は 水田化していまい、正確な位置を推定できない。
・大坂の豪商住友家(泉屋)の分家手代で 泉屋真七郎が 現場責任者として、幕末に 天児屋、荒尾など
複数の鉄山を運営していたという
。。。。 。。。。。 。。。。 。。。。。 。。。。。 。。。。 。。。。
きょうは、公民館の歴史教室に出席しました。 今月は、元城郭研究室長・中川秀昭
さんの ”たたらの里西播磨” です。 先月の ”銀の馬車道・鉱石の道” つながりですが、
たたらも 意外と奥が深い…。 金月の出席者が多く、用意された資料が足りません。
。。。。。。 たたらの里西播磨 。。。。。。。
1.「たたら製鉄(たたら吹き)」 とは
・砂鉄を木炭で 燃やすことで 砂鉄から鉄を取り出す 日本古来の製鉄法で、千年以上の
歴史がある。
・たたら製鉄が 行われていた場所を 「鉄山跡」 と呼ぶ。 鉄山跡では、今も 鉄滓が
多く見つかる。
・鉄滓は、砂鉄を溶かす際に、砂鉄に含まれれていた不純物が 溶けだして固まったもの
一般には、「かなくそ」と呼ばれている。
2.播磨北西部に 製鉄遺跡が集中(宍粟市・佐用町に 200カ所以上
~播磨北西部は、古代より 「たたら製鉄」 が 盛ん~
・『播磨国風土記』(霊亀元年(715)頃)
・讃容(さよ)郡の条:産鉄記事、1カ所
・「鹿庭山」の「四面に 十二の谷有り。 皆、鉄生ふること有り。 難波豊前朝廷に
始めて進りき。 見顕しし人は 別部犬、其の孫等奉発り初めき」。
※「鹿庭山」(現在の大撫山に比定)の鉄が 孝徳天皇のときに 初めて朝廷に貢進された
こと、鉄を発見したのは 別部犬なる人物であったことである。
・宍禾(しさはほ)郡の条:産鉄記事、2ヶ所
・柏野(かしわのの)里:・・敷草の村。 草を敷きて 神の座としき。 敷き草と日ふ。
此の村に山有り。 南の方去ること十里許に 沢有り。二町許なり。 此の沢に
生ふる菅は、笠を作る最好し。 柂・杉生ふ。 狼・羆住めリ。
・御方(みかたの)里:・・・大内川、小内川、金内川。 大きなるは 大内と称ふ。
小さきは 小内と称ひ、鉄生ふるは 金内と称ふ。 其の山に、柂・枌・黒葛等生ふ。
3.宍粟市・佐用町の製鉄遺構
・古代・中世の製鉄遺跡
・分布:主要河川や幹線道路に近い地点・・砂鉄・木炭の搬入、生産鉄の搬出に便利
・佐用町の主な製鉄遺跡
・大撫山周辺に分布
・坂遺跡(奈良時代、佐用町早瀬)、水谷C遺跡(佐用町長尾)、金谷中土井遺跡(佐用町金屋)、
カジ屋遺跡(佐用町山脇)、水谷C遺跡(佐用町長尾)
・西下野製鉄遺跡(奈良時代初頭・8世紀初め、佐用町西下野)など 29カ所の製鉄遺跡が 判明
・宍粟市の主な製鉄遺跡
・安積山遺跡(平安時代末・宍粟市一宮町安積)、高保木製鉄遺跡(中世・千種町西河内・県指定史跡)、
小野段林遺跡(中世・波賀町小野)、小茅野後山遺跡(中世・山崎町小茅野)
・近世以降のたたら製鉄遺跡
・宍粟市千種町:天児屋鉄山跡(西河内・県指定史跡)、荒尾鉄山跡(岩野辺・市指定遺跡)、
高羅鉄山跡(河内・市指定遺跡)、鉄穴流し場跡(奥天児屋、森ノ上(市指定史跡)、
笠ヶ谷、鍋ヶ谷)
・宍粟市波賀町:音水・万ヶ谷・赤西・カンカケ・広路の各遺跡
・宍粟市一宮町:樅ノ木・溝谷・阿舎利の各遺跡
・宍粟市山崎町:小茅野・野々隅等の各遺跡
4.なぜ、播磨北西部に製鉄遺跡が集中しているのか
・中国山地一帯に分布する花崗岩に由来する良質な砂鉄(真砂砂鉄)が豊富に採れたこと
※真砂砂鉄:花崗岩、花崗班岩など 酸性の母岩が風化したものの中に含まれる黒色で 光沢があり、
硫黄、燐、チタンなどが 少ない 鉄の品位が高い砂鉄
※赤目砂鉄:閃緑岩、安山岩など 塩基性の母岩からできた赤褐色のもので、真砂砂鉄に比べ、
不純物が多く含まれ、鉧(けら)より 銑(ずく)が作りやすい砂鉄
※宍粟の山の土は、花崗岩の風化した真砂砂鉄を多く含み、たたら製鉄には 最も適したもの。
良質の砂鉄から生み出された 「宍粟鉄」(千種鉄)は、高い品質を誇り ブランド化し、
備前の刀匠たちにも 珍重された。
5.たたら製鉄の四つの工程
(1)鉄穴流し(かんなながし)
山を崩し、砂鉄を含んだ土砂を水路に流し、比重によって 砂鉄と土砂を分離する
(2)大炭・小炭焼
(3)鉄づくり(たたら場)・・・炉を造り、砂鉄を木炭でもやす
炉を造る粘土を元釜土といい 村下(むらげ)の指図のもと 四日目の早朝 炉を壊して
できる鉄の質と量に大きく影響 砂鉄と木炭を追いくべしながら 約4トンの鉧を引き出し
したので 土の選定は重要だった 三昼夜吹き続けた 冷却した。 この工程を一夜という。
(4)割鉄づくり
炉から取り出した鉧を小割にし、脱炭して 割鉄に仕上げる
冷却した鉧は、どう場で大割り、 割った鉧は、刃金・歩鉧(ぶげ 鋳鉄ものとして出荷する以外の
中割り、小割りして こぶしほど ら・刃金より質が劣る鉄)、 銑は、左下場で 脱炭して 左下鉄
の大きさにした 銑鉄(ずく)に 選別した として 歩鉧と合わせて本場で均一な
割鉄に仕上げた
6.天児屋(てんごや)鉄山遺跡(兵庫県指定史跡)
・所在地:宍粟市千種町西河内字新田
・操業期間:江戸時代前期から 明治18年(1885)
・江戸時代、千種は 徳川幕府の直轄地となり、天児屋鉄山は 幕府から許可を受けた千種屋などの
豪商「鉄山師」により 請負運営された
・城跡を思わせる整然と積まれた石垣が残り、高殿(たたら)、勘定場(事務所)、砂鉄・炭小屋(材料庫)、
山内小屋(社宅)など 複数の建物群で 構成されていた大規模製鉄施設の跡。
最盛期(江戸時代後期)には、数十戸から百戸、数百人を超える従業者が 居住していたと推測される
7.荒尾鉄山跡(宍粟市指定史跡)
・所在地:宍粟市千種町岩野辺字荒尾・・たたらのふるさと 岩野辺(岩鍋)
・操業期間:江戸時代中期から、明治時代前期(推定)
・荒尾集落から 川沿いに 500mほど登った山中に 石垣が残る荒尾鉄山は、高殿(たたら)、
勘定場、砂鉄・炭小屋、山内小屋などの複数の建物群で構成された製鉄施設
天児屋(てんごや)鉄山遺跡に比べると やや小ぶりであるが、中央を幅2mほどの通路が貫通し、
道の左右に作業の順序に合わせて 施設が配置されている
・鉄山跡の入り口に、嘉永2年(1849)の年期が入る地蔵菩薩の供養碑が建てられている
8.高羅鉄山跡(宍粟市指定史跡)
・所在地:宍粟市千種町河内字足谷口
・操業時期 不明。
・河内集落の北側高台に存在したと推定されるが、現在は 水田化していまい、正確な位置を推定できない。
・大坂の豪商住友家(泉屋)の分家手代で 泉屋真七郎が 現場責任者として、幕末に 天児屋、荒尾など
複数の鉄山を運営していたという
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