私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

歴史教室 播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道Ⅱ

2022-04-19 13:43:48 | 歴史探索
 4月19日(火)   天気:晴れ    室温:22.2℃

 きょうは、公民館の歴史教室4月に出席しました。 今月は、3月に続き、元城郭研究室長・
中川秀昭先生の ” 播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道Ⅱ” です。
 3月に 行われる予定でしたが、4月に変更されました。  5月は、”たたらの里 西播磨” が
行われる予定です。 きょうは、なぜか 受講者が多く 用意された資料が足りません・・。



1.但馬は 「かねほる里」 ~日本を代表する鉱山王国~中瀬・明延・神子畑・生野銀山~
 ※『桜もちるに嘆き…、 ここに 但馬の国かねほる里の辺に…』。 これは 江戸時代の浮世草子作者・
   井原西鶴の作品である『好色一代男』の冒頭の一節。「かねほる里」とは 生野銀山のことであり、
   主人公は 生野の富豪として 描かれています。

 〇中瀬銀山
  ・天正元年(1573)、氷ノ山を越えてきた因州の旅人が、八木川大日渕付近で 水田作業を
   している中瀬の農民が 砂金を手にしているのを発見
  ・翌年、八木川付近で 金鉱脈を掘り当て、”石間歩” と名付けた。 以降、各地の山師や下財
  (鉱夫)が集結し、次々と優良間歩が開かれた。
  ・その後、豊臣秀吉の支配下、但馬 八木城主別所氏が 代官を務める。
  ・江戸時代は、生野奉行所の直轄鉱山となり、奉行の間宮新左衛門が 陣屋を建て、町の東・西・
   南に 番所を設け、 ”総構え”の金山町を整備
  ・最盛期には、戸数3000戸、寺院も 8寺を数えたが、次第に衰退し、享保8年(1723)
   役所や番所が 廃止され、長い低迷期に入る。
  ・昭和10年(1935) 日本精鉱(株)の所有になり、旧坑道の再開発等が進み、天正から
   江戸期につぐ 昭和の繁栄期を迎えた
 
 〇明延鉱山
  ・ 天平年間(729~748)に 開山し、奈良・東大寺の大仏鋳造に 明延の銅が献上されたと
   伝わる歴史の古い鉱山。   ※両松寺の梵鐘:明延の銅使用
  ・豊臣秀吉の支配、続いて 江戸幕府の下、生野奉行所の所管として、国内有数の銅山、銀山として
   盛衰を繰り返す
  ・明治42年(1909)、錫鉱脈が発見されると 「日本一の錫の鉱山」として栄え、錫の産出量は
   全国の90%を誇った。
  ・他にも 多鉱種を産出、全国から 「山男」が集い、昭和30年代の最盛期には、人口4000人を
   超える鉱山関係者たちが暮らした。
  
 〇神子畑鉱山
  ・平安時代に開山したと伝わる。 15世紀に 採鉱が盛んに
  ・明治新政府が 生野鉱山周辺を調査した結果、明治11年(1878) 銀の新鉱脈を発見、生野
   銀山の支山 「加盛山」として 銀の採鉱始まる。
  ・明治40年(1907)以降、鉱脈は減少。一方、明治42年(1909)、明延鉱山で鈴鉱脈
   を発見、採鉱は 明延へ移った。
  ・その後は、明延鉱山の鉱石を選鉱する 「神子畑選鉱場」 に生まれ変わる。
 
 〇生野鉱山
  ・開鉱1200年の歴史を誇る日本有数の銀山。 大同2年(807) 開鉱と伝わる。
  ・天文11年(1542)に 生野で銀鉱脈が発見されたのを 契機に 但馬守護・山名祐豊が、石見
   銀山の先進技術を導入し、本格的に採掘を始める。
  ・その後、山名氏、太田垣氏は 銀山の支配権を巡って 度々対立したが、後に 織田信長、豊臣秀吉、
   徳川家康へと 経営が移管し、江戸時代には 生野奉行所、さらに享保元年(1716) 生野代官所へ
   変わると、28代の代官が 任務についた。
  ・明治元年(1868) 日本初の官営鉱山となり、お雇い外国人・コワニェや薩摩藩の朝倉盛明の
   尽力により 近代化を牽引、模範鉱山となった。
 
2.近代以降の但馬の鉱山
 
 

 <中瀬鉱山>


 <明延鉱山>


 <神子畑鉱山>


 <生野鉱山>


 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・




◇「鉱石の道」 三つの道
  ・生野鉱山寮馬車道(飾磨津物揚場~生野鉱山)
  ・馬車の鉄道(神子畑~生野)  ※神子畑鋳鉄橋(国重文)、羽淵鋳鉄橋(県指定)など
   当初は 馬車道、明治24年(1891) レール敷設・神子畑鉱山の銀鉱石運搬
  ・明延電車(一円電車)(明延~神子畑・約6km、明延の錫石等運搬)
 
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